武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

体裁のよい謙虚さ

2023-02-27 08:03:07 | 武久の視線


よくケア職の模範的な言葉として使われるフレーズ
「私たちは患者さんや利用者さんに教わることが多いのです」

確かに虐待や幼児扱い、タメ口などのケアよりはずっとましなのだが
人生の大先輩に教わるとか教えて頂くとかにも何かしらの違和感を抱く

患者とか利用者は病気や要介護の身の上で必死、懸命に生きている
がしかし、それは誰の為でもなく、ましてや他人に教える為でもない

ケアする側、ケアを受ける側、、、そんな関わりの中で
支え、支えられ共感したり、共に生きていることを感じたり

謙虚になることもない崇拝することもない、ただただ人生の一部を共に生きる感覚




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論ずる

2023-02-26 09:46:13 | 武久の視線


生活環境や立場によってものの捉え方、感じ方などが違うのは当然のこと
人生の中で培って来た価値観などは人それぞれであたり前のこと

違法とか迷惑なこと以外なら何を感じ何を考え、どう思うのかはその人の自由

議会とか会議とか決めなくてはいけない場面でない限り
論ずることは無意味なこと、SNSの炎上などを考えるとむしろ悪影響

なぜならば論ずること、意見交換や議論には
否定や批判はつきものだから、主張の言い争いになりがちだから、僕は好まない






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読む言葉

2023-02-25 08:01:41 | 武久の視線


読む言葉と言うもの
書いた人の気もちより、読んだ人の気もちが優先されるもの

書いた人は申し訳なく思い「どうもすみませんでした」と書き
読んだ人は投げやりな「どうもすみませんでした」と感じて読む

こんなことは往々にしてある、連絡事項などなら良いが
気もちを伝える場合は絵文字や小文字などを使い文章に表情を持たせよう




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なりゆき

2023-02-24 07:15:37 | 武久の視線
予定していたからと言って、その通りに進むわけではない
ましてや自分以外の人が絡んで来るのだとしたら予定通りにはいかない

なりゆきと言う言葉がある
ある辞書には「物事の動きや結果に身をゆだねること。」とある

僕の人生、受傷前も受傷後もそうだった気がする
だからと言って別に消極的な生き方をして来たわけではない

良い時は良い流れにそのまま身をまかせ
悪い時にはジバタバタせず悪い流れに身をまかせて生きて来た

そしてこれからも僕は
気負わず下手な意地は張らずに、なりゆきに身をまかせ生きていくのだろう





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専門職がゆえに、、、

2023-02-23 10:30:41 | 武久の視線
どんな職業、どんな立場の人であれ、もれなく逝くように
どんな職業、どんな立場の人であれ病気になれば患者、要介護となれば利用者になる

人は必ずいつか死ぬ、そのことは誰もが知っている
しかし、自分が大病したり、介護を受けたりすることを想定する人はまれなのだろう

多くの医療や福祉の人たちと関わって来て思うのだが
自分が患者や利用者などになってしまったら人一倍、ストレスや葛藤を感じると思います





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継続は力なり

2023-02-22 07:59:08 | 武久の視線


数字などあまり気にしない僕なのだが、ふと今朝見たら
ブログ武久塾の訪問者が、のべ20万人を超えていた

その数が多いのか少ないのかなどには関心ないのだが
僕の当時者視線発信をのべ20万の人が見てくれたのだ、と感無量

僕が卒業した大正からの工業高校
その卒業アルバムの冒頭に校長の写真と共に書いてあった「継続は力なり」

ふと応援団長だった自分と校訓、誠実勤労、質実剛健を思い出した朝でした





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僕とパソコン

2023-02-21 06:49:43 | 武久の視線

工場勤め、釣りが唯一の趣味だった僕にはパソコンは無縁のもの
そんな僕が初めて手にしたパソコンが病院での意思伝達装置だった

退院し自宅に戻り伝達装置で体験記など書いていたが
この伝達装置がインターネットに繋げることに気がつき想いは広がって行った

食べ方の練習をしていた作業療法士さんに頼み
僕もパソコンを使えるような訓練にしてもらった

勿論、普通のパソコンが使えるようになるまで数年は掛かったが
ぎこちなくもマイパソコンでインターネットが使えるようになった

それからは水を得た魚状態、書き貯めた詩や当事者視線のネット発信
一気に世界が開けた感じがした、あれから十数年、、、パソコンは僕の一部になった





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大変だ

2023-02-19 09:18:11 | 武久の視線
在宅介護生活は確かに大変だ
しかし介護だけではなく、世の中には大変なことはゴロゴロしている

僕の四肢麻痺も大変
不自由さや退屈、僻みや妬みなどに押しつぶされる日もある

家のかみさんも大変
小柄な体格で介護度5の大男の僕を20年近く介護している

世の中、大変大変と言い始めたらキリがないほどに大変
穏やかな日は与えてくれるものではなく、自分で感じ取るもの

大変さは誰かや何かのせいではなく、自分が焦り、苛立ち創り出しているもの





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徒然に、、、

2023-02-18 08:50:44 | 武久の視線


やってあげている、でもない
やらしていただいている、でもない
そこには必ずギブ&テイク、おたがいさま、相互関係が存在する

人は誰しも老いるし逝く
情けは人の為ならず、めくり巡っていつかは我が身

尊厳とか人権とかは
ケアされる側のものだけではなく、ケアする側にもある

誰一人として
患者になりたかった人はいない、利用者にもなりたかった人もいない




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諦めが肝心

2023-02-17 08:03:09 | 武久の視線


僕の障害に対する想いは
時の流れと共に拒絶→受け止め→諦めへと変化して行った

今、受容と言う言葉をあえて使うのならば
僕の中での受容とは、、、究極の諦め、みたいなものになっている

僕の障害のことはともかく
最近、葛藤の中で肝に銘じたこと、全てに於いて「諦めが肝心」

いくら考えても、何をやってもどうしようもないことは必ずある
どうしようもないことに囚われていて心を痛めてしまう人は多い

どうしようもないことは
心を痛める前に諦めて、どうしようもないことから解放され楽になればいい





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