武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

こびへつらう

2016-06-25 15:24:36 | 武久の視線
健常者でも他人に頼みごとをする時などは、相手に気をつかったり、機嫌をうかがったりする
だから動ける人は、たいがい他人に頼むより、無理してでも自分一人でやってしまう

あたり前のことだけど、他人に頼む、お願いするということは、気をつかうということだ


介護を必要とする利用者は、施設職員やサービススタッフに頼んだり、お願いすることだらけだ
必然的に職員やスタッフに気にいられる人を装うようになる


なぜなら、嫌われたら頼みづらくもなるし、頼みごとも後回しにされたりする
実際、僕は嫌われて、僕に挨拶もしない職員も多くいた


デイなどで介護されるということは、こびへつらうことや、フレンドリーさを持たないと孤立する


中途障害者の僕にはデイとは、そんな所だった
アウェイ感覚と、無視、厄介者感を抱えながらも、ただ機能回復をめざし4年間ほぼ毎日、利用を断られるまで通った


こんな田舎には慢性期の四肢麻痺がやれるリハビリは、介護予防のバワーリハビリぐらいしかなかった
こびへつらわない僕は、パワリハビリデイで孤立していた。




(写真 介護ライター 野田明宏)



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2016-06-16 12:44:24 | 武久の視線
僕は44で脳幹出血に倒れ、介護保険の利用者にされたけど
お年寄りが好きなわけでもないし、高齢者医療、介護に興味があるわけでもない


僕は中途障害者になったけど、障害者を主張する気はない
むしろ、44までは普通に生きれたのだから、それはそれで幸わせだった、と思っている


僕は、僕の病気体験や、介護される気持ち、ベッド在宅生活などから感じた心的なものを発信してゆきたい
批判的な内容もあるのだろうが、それはそれとして僕が抱いた気持ちだ

以前は、専門職さんたちのお役に立てるなら嬉しい、、、とか思っていたけれど
専門職の方々は、それぞれに専門職同士の連携とか、勉強に余念がない


そこに何かを求めても、当然、介護保険専門職の方たちは、高齢者の事だけ
介護保険第二被保険者の市民権などなどは見えても来ない


あくまでも高齢者介護の参考としてまでの僕の発信である
最近はそれでもいたし方ないと思っている


高齢者介護の中で、介護保険の第二被保険者の存在や市民権などを
考えようともしない、考える余地もない、介護保険専門職なのだと、僕は発信を通じて思い知らされた。




(写真撮影 妻 武久利江子)


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雑感

2016-06-03 11:34:30 | 武久の視線
僕は44才で重度障害者となり、介護保険の第二被保険者になった
僕が体験して感じたことをブログ、FBで発信している


十数年経ち、、、今、痛切に感じる事
人としてあたり前の事が、当たり前ではなくなった


患者、利用者など、介護されている、リハビリしている人など、本人は望まなかった姿の状態だという事

お世話している、機能回復訓練をしてる=相手に喜ばれる、相手に感謝されるの法則に、なんら疑問を持たない専門職


人は生きがいがあるから生きてゆける
そんな人として当たり前の事も、、、QOLがなんちゃら、、、


「何でも言ってくださいね」
他人に何でも言える、頼める人は健常者の中にもいる筈もない


「障害者の仲まづくり」
障害者だから仲まになれるだろう、という支援側の押しつけ


障害者スポーツ、障害者アスリート、、、それすら眩しい人種がいることすらわからない専門職
笑顔とか、ポジィティブさとかをふりまわす障害者、障害者の権利をふり回す障害者


専門用語、決まりなどでねじ伏せる専門職
何していようが、どんな立場であれ人は




(写真撮影 妻 武久利江子)




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