武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

介護保険

2023-04-30 07:36:56 | 武久の視線


自立支援や自律支援とは言われるものの
要介護の人は自立とか自律のために支援をして欲しい訳ではない

自ら進んで要介護になる人はいない
介護が、介助が必要だから介護認定を受けて要介護となるのだ

つまりは、いくら目指しても
支援受けても自立できる人も自律できる人もまずいない

自立や自律、、、人間的には、言葉的には見栄えはするが
介護保険の本意とか本質を突いた言葉ではない、そんな違和感を抱く。





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今を精一杯に

2023-04-29 09:26:24 | 武久の視線
この生活となり気がつかされたことがある
意識不明から目覚めた私は声も出ず目蓋しか動かせなかった

そこから20年経った今はパソコンを操作し話も出来る
もちろんここまでの回復には段階的なものがあったのだが

その色々な機能の回復過程で
「今やれること」「今できること」を精一杯にやって来た気がする

やれぬこと、できぬことを望んでも仕方ないこと

大切なことは
人は今できること、今やれることを精一杯にやることなのだな、と思う






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炎上

2023-04-28 06:08:05 | 武久の視線
統一性を持たせなくてはいけないものがある
意見交換や議論などを重ね、みんなで創り上げてゆく

個人的、人それぞれでいいことがある
その人が培って来た価値観などで判断、選択などをし、生きている

現代の風潮としてこの区別がごちゃ混ぜな気がする
意見を言うような感じでマウントを取ったり、遠回しに批判したり

人それぞれで良いのでは、と思うようなことでも熱く炎上したりしてね。


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助かった意味

2023-04-27 09:08:22 | 武久の視線
この身体になってから機能的にもそぎ落とされていった欲
そんな生活の中でたった一つ残った欲があった

その欲とは「役に立ちたい」と言う欲だった
高齢者にせよ障害者にせよ、誰かの何かの役に立てると言うことは

その人の喜びとなり、生きがいとなり生きる力となる

僕はそこの部分に自分の社会的存在価値を見つけたし
死亡率の高い脳幹出血から助かった意味がそこにあるのだと思う



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ノーリフティングケアについて考える

2023-04-26 09:23:00 | 武久の視線
月/1のzoom武久塾の冒頭のテーマトーク(数分)です
今回のテーマは「ノーリフティングケアについて考える」


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死んだ体験?

2023-04-25 06:18:46 | 武久の視線


44歳の時に脳幹出血で倒れ救急車で搬送、耳は聞こえていたが
医師が意識確認をしていたので傍目には意識不明に見えていたのだろう

医師と看護師たちの会話を聴きながら強烈な睡魔に寝落ちした
夢を見た、河原に亡くなった義父と義兄、山の中の神社、、、

要はあのまま眠りから覚めなければ永眠と言うことなのだろう
私は死ぬ体験をした、私にとっての死とは、、、寝落ちする感じだった




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身についたこと

2023-04-24 07:38:07 | 武久の視線
元気だった頃の私は他人に媚びへつらうタイプではなかった
だが患者や利用者になってから私にも媚びへつらうことが身についた

他人からお世話をしてもらう立場になると

もし、お世話してもらう人に嫌われたら
やってもらえなかったり後回しにされたら困る、そんな気もちが生じる

だから患者や利用者は気に入られようと媚びへつらう
何度もお礼を言ったり冗談を言ったり、何かをあげようとしたりしてね。



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専門職フローチャート

2023-04-23 10:02:02 | 武久の視線


工業高校で成績はどん尻だったが情報システム科だった
その科で学ぶプログラミングと言うものがあるのだが

プログラミングの始めの作業にフローチャート図作成がある
条件に対してyes,noつまりはオンオフで判断していく図なのだが

最近のマニュアル化された社会にフローチャート思考を感じる
相手の緒情は無視、その問題をyes,noの判断だけで進んでゆく

最近の医療や福祉にも
専門職フローチャート思考を感じるのは私だけだろうか、、、。




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おたがいさまのケア

2023-04-22 07:10:38 | 武久の視線


ケアなどに関して語られる時、そこにはケアされる側の視点はない

ケアスキルやケア用品、ケア方法に対する賛否などが論じられる時など
その場はケア職側の視点のみだ、しかし実際ケアを受けるのは患者や利用者

例えば料理、調理人の技術や拘りだけでは通用しない
やはり食した人の味への評価が料理の良し悪しを決める

ケアする者の視点、ケアを受ける者の視点、この両方があるからこそ
おたがいさまのケアが生まれる、ケア職だけの拘りや満足のケアであってはいけない





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変わり者?

2023-04-21 07:02:07 | 武久の視線


この身体になってから長く抱く違和感がある
それは私みたいな状態の人は旅行とかに行きたい筈、と言う支援側の先入観

勿論、善意であることは十分に感じる
善意を感じるからこそ無下には断れない、四苦八苦の対応

そもそも元気な頃から私は
外食よりは家での食事がいい、評判の店に並ぶことなど考えたことはない

一人の休日は釣りがてら自然の中で食べるコンビニ弁当が楽しく美味しかった
とにかく街とか人混みは苦手だった(もう一つの趣味パチンコは別として)

そんな変わり者なのかも知れないが
やはり対話の中から生まれる支援であって欲しいと、私は思う。





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