武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

専門職の常識にあてはめない

2024-06-28 09:39:24 | 武久の視線

 

在宅でリハビリを始めた当初

0Tさんは僕の唯一マヒしながらも動く左手で食事をする訓練をしていた

2,3回やった頃だった頃だったと思う

僕は食事の訓練より、PCの操作の訓練したい旨を伝えた

ADLを優先する療法士の常識と 

QOLを求める患者、利用者の対話の大切さが浮き彫りになった事例に思う

意思疎通がある程度できる人の

ケアプランやスケジュールなどは施設側や専門職などの常識にあてはめず

本人と対話しながら決めて行った方が「その人らしさ」を重視したケアになるのでは。


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使っていませんか?

2024-06-27 15:41:50 | 武久の視線

 

あらゆる声かけを省略する一言「何でも言って下さいね」

患者や利用者で自分から要望や頼みごとなどを言える人は極わずか

普通、人は頼みごとなどをするのは苦手なもの

やはりその場面々での心配りの声かけかが必要になって来ると思います。


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相互関係的な「お世話」というもの

2024-06-26 09:04:58 | 武久の視線

 

介護も保育も子どものお世話、お年寄りのお世話

「お世話」と表現する、語源は知らぬが、僕はお世話には相互関係的なものを感じる

お世話してもらう方は当然、助かる

お世話する方も感謝されたり他人や社会のためになることに生きがいを感じたりする

 

「お世話」ということの中には、そうした相互関係が存在すると思う

つまりお世話には「おたがいさま」の精神が流れている、と僕は感じるのだ。


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ポジショニングとかシーテイング

2024-06-25 09:40:09 | 武久の視線

 

受ける側としての視線なのだが

ポジショニングとかシーティングをしてもらい、その時はいのだが

いざ生活してみると痛みが出たり不具合が生じたりする場合が多々ある

ポジショニングとかシーティングなどは瞬間的なものではなく

その人の生活場面に合わせながら進んでゆく

継続的なものでなければならないものに思います。


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赤ん坊に帰る

2024-06-24 10:58:50 | 武久の視線

赤ん坊でお世話された記憶をもつ人はいない

老いて他人のお世話になり、だんだんと記憶が薄れてゆく

母のお腹から生まれて来た記憶はない

人は夢うつつの間に永遠の眠りへと導かれる

。・

人は赤ん坊に生まれ、人生を終え、赤ん坊に帰り永遠の眠りにつく。


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心の痛みの問診票

2024-06-21 15:12:30 | 武久の視線

告知を受けた患者は(どうして自分なの、、、)とか(何も悪いことしていないのに、、、)

突然の動揺や絶望感や喪失感などで、病気の説明や治療方針など話されても考えられない

医師にとっては割の合わない話なのだが

患者は医師に対する事務的な冷たさや不信感などを感じるのだろう

医師による告知の後は

患者が病気を受容するための時間、フォローするチームケアが必要になって来る

担当する看護師、介護士など関わる人で「心の痛みの問診票」を創り

告知後の患者の心理状態を医師と共有できたなら、患者の心の痛みも緩和されるのではなかろうか。

 


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終わり良ければ総て良し

2024-06-20 09:08:41 | 介護を受ける心得

介護を受けるための心得

自分が老いて他人の世話になる、と言うことは

老いていずれは死ぬ、と言うことよりも考えたくないことなのかも知れない

なりゆきなのだから考える必要もないのかも、だが

葛藤まみれの介護生活では、穏やかな気もちで最期を迎えることは難しいと思う


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老いれること

2024-06-19 10:53:40 | 介護を受ける心得

介護を受けるための心得

老いて介護を受ける体になった自分を嘆くか

この歳まで事故や災害、大病気からも免れ生きて来れた、と思えるかでは

全然、違った老後の介護生活になる

僕も四肢麻痺にはなってしまったけれど、老いてゆけることは幸せに思う。


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恥ずかしさ

2024-06-18 09:37:13 | 介護を受ける心得

介護を受けるための心得

羞恥心、つまりは恥ずかしさへの対処

オムツをしてもらう、入浴介助、トイレ介助など想像しただけでも恥ずかしいよね

しかし、こればかりは考えようで慣れるか諦めるしかない

強すぎる羞恥心は自暴自棄になったり、自尊心をキズつけたり、自分を苦しめるだけのもの


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集中治療室

2024-06-15 07:57:58 | 武久の視線

脳出血に倒れ、集中治療室に運ばれた僕は

医師から見れば意識不明に見えたのだろう、親指の爪の根元を刺激された

頭の中で(イテテー何すんだよー)表情に出たのかはわからないけれど

医師と看護師さんらの会話は寝落ちするまで聞こえていて記憶には残っている


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