武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

強さ

2019-07-30 16:06:56 | 武久の視線


高齢者への虐待、園児たちへの暴力、学校でのいじめ
社内のパワハラ、セクハラ、あらゆる暴力やハラスメント

それは
水が高い所から低い所へ流れるように、強い者から弱い者へと、、、

弱い者から強い者へと流れるものも確かにある
尊敬とか癒しとか感動とか、ペットセラピー的な感覚とか、、、

私も間違いなく弱者、重度障害者と言う社会的弱者
腕力的に言っても園児にすら勝てない弱者

そんな弱者な私でも
負けない自信のあるもの、鍛えることの出来るもの

それは「」精神、魂、、、
自問自答をくり返し、葛藤をくり返し、自分と対坐し

寿命と共に、意識が鮮明なうちは日々精進したいものである。



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興味

2019-07-28 10:50:40 | 武久の視線


ベッドの上でパソコン&テレビが中心の日常
今更この生活を、どうこう言う気はないが、、、

この生活、一言で表せば退屈そのもの
働いていた頃の私は、釣りバカのアウトドア、アナログ生活

ベッドの上でも出来る事として私はパソコンを選んだ
パソコンは素人同然からのスタート、詩を書くことを覚え
ネットを覚え、次第にパソコン生活も充実していった

しかし、好みとか思考とかは180°転換せざるを得なかった
今の生活に関係した事柄を観たり調べたり、発信したり

しかし、私の場合は必然的にそうなっている訳で
専門の方や関係者の方みたいに特別な興味や情熱がある訳ではない

私は退屈さがはびこる
この今の生活をどうやって生きてゆくか
、が主題である

働いていた頃には殆ど観なかったテレビも
今では、すっかりテレビっ子となっている。



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介護

2019-07-23 09:21:54 | 武久の視線
「介護」

調べたわけではないからよくは分からないが
この国で介護を受けている人、介護をしている人

当事者、家族、従事者、関係者、この先介護に関わるだろう人、、、
合わせたら何パーセントぐらいになるのだろう?

かなりの割合になるのだろうと思う、なのにどうだろうか?
世間のイメージとして介護生活などは暗いイメージ不幸なイメージ

介護されることに至っては「他人の世話になるまで生きなくていいわ」
みたいな介護を受けるなんて考えたくもない、と言わんばかりである

明るく楽しい余生とか、明るく楽しい介護、なんてことは言わない
人は生まれいつかは必ず死ぬ、あたり前のことだ

人は生まれ教育を受け、大人になり社会責任をはたし
病になれば医療の世話になり、老いてゆけば介護の世話になる

と言うように
人の一生としての介護と言う部分は決して特別なものではなく
極、自然の流れ、あたり前のこと、暗い分野や不幸な分野ではなく


嬉しいこともあれば、嫌なこともある
大変なときもあれば、楽しいこともある
悩むこともあれば、幸せを感じることもある


介護も普通の生活と同じなのだ、と、四十代から介護を受けている僕は思う。

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二つのクリスマス

2019-07-18 11:45:53 | 武久の視線
「二つのクリスマス」


なぜこの季節にクリスマス?
社会の光と影、いや二面性、、、いや、どちらも幸せと言う話なのである

障害者となる前のクリスマスと言えば

ご馳走に酒、洒落た音楽に着飾った女たち
みなそれぞれに大きな笑いに包まれプレゼントの交換など
賑やかに派手な「楽しい」クリスマスパーティだった

十数年前、障害者となって初めて招かれたクリスマスパーティ

地域の知的障害者授産施設のクリスマスパーティ
自分の席にはローソクの灯りが灯るショートケーキ
利用者たちによる歌、ボランティアの方による演奏
社協や職員による寸劇、手作りのプレゼント、、、

地味だけれど真心の詰まった「喜び」のクリスマスパーティだった

人は「楽しさ」だけでなく
「喜び」からも幸せを感じられること
を教えてもらったひと時でした。


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声かけあるある

2019-07-17 11:29:25 | 武久の視線
「声かけあるある」


●デイなどの食事場面で
「こちらお下げしてもいいですか?」
まだ残っていてももう少し待ってとはなかなか言えない


●入浴後の声かけ
「お風呂どうでしたぁ」
気もちが悪かったとかいう人はいるのだろうか?

●リハビリ場面などで
「わーー動いた」「わー歩けたぁ」とか言われても
僕、赤ちゃんじゃねぇっし、、、

医療や介護などの色々な場面で
患者や利用者がこれしか言いようがない、と言う声かけはしていないだろうか?



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リハビリ

2019-07-12 09:12:19 | 武久の視線


僕のリハビリへの想いは
その人に「生きがい」を与えられることだ

訪問リハビリを始めた頃、担当のOTから食事訓練をさせられた
僕は一人食事が出来ることよりパソコンを使えるようになりたいことを伝えた

それまで意思伝達装置でネットは見れたが参加は出来なかった
リハビリでパソコン操作を習得しネットの世界へ参加したかったのだ

麻痺しながらも唯一動く僕の左手、半年ぐらいのリハビリの後
左手マウス操作、左手指一本ひらがな入力でネットが使えるようになった

今ではネット発信が僕の「生きがい」となっている
思うに自立支援やリハビリの先に「生きがい」が見えぬものは
本物の自立支援やリハビリとは呼べない
と僕は思う

余談だが
以前パワリハで顔を合わせた後期高齢者の顔見知りは
「武よぉ~、俺パワリハやりたくないんだよぉ~」と言っていた

数か月後、彼は持病で入院、逝ってしまった、今も彼の声が残る。


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2019-07-08 11:43:42 | 武久の視線


四肢麻痺となり、この生活となり色々な欲がなくなったと言うか
持てなくなったという方が正解なのかも知れない

言わば強制出家みたいなものだろうか?仏教の五欲を考えてみる
●食欲
お腹は減るが動かないからさほどの空腹感はない

●財欲
お金には触れることもなくなったし
欲しいものはないし、家計は家内が考えていてくれる

●色欲
男性機能は後遺症として喪失した

●名誉欲
認められようが、認められまいが
僕は家内と寿命の限り生きていく

●睡眠欲
眠剤を服用している

と挙げてみたが立場上
●機能回復欲
完全四肢麻痺から左手でパソコン操作が出来るようになったし
子どもたちの前で話すことも出来るようになったし
これぐらい回復したら御の字、後は望んではいない

何はともあれ四十四までは普通に生きれたのだし
しかも死亡率の高い病に助かったのだし

それは、動けた方がいいのは言うまでもないが
良し悪しは別として

この身体にならなかったら家内のことは
上っ面の事しか知らなかったのだと確信をする



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前向き

2019-07-03 14:18:55 | 武久の視線


医療、福祉従事者の方にも「前向きですよね」とか言われることがある
僕ら夫婦は受傷後「前向き」などと意識したことはない
試練や逆境を乗り越えて来たとも思ったことはない

ただ必死、無我夢中に生きて来た感はある
それは、みなさん同じなのではなかろうか?

被災にせよ、病気にせよ、障害にせよ、事故にせよ、離婚にせよ、、、
何にせよ、人は自分に起こってしまった不幸なことを受け止めて生きている

僕に関して言えば受傷後
家内に八つ当たりをしたり、悔しくて頭を掻きむしったことも
大泣きしたり、悪態をこいたり、妬んだり僻んだりしたりしたことも、、、

そんな中から、たった一つ気がついたこと
何を言っても、やっても起こってしまったことも現実も何も変わらない
ただ、その一点だけである


後は
今の僕らに出来ることで、どうやって生きていくか?ただそれだけのこと。



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