武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

聞きたいこと

2023-06-22 08:47:50 | 武久の視線


患者や利用者の不安や疑問、質問などに
専門用語を使ったり専門的考え方を押しつけ話す専門職の人は多い

聞いた患者や利用者は
分かったような分からないような煙に巻かれた気もちになってしまう人は多い筈

腑に落ちないのなら更に聞けばいいのだが
遠慮がちになり、なかなか聞けない人が多いのだろうと察する

専門職の人にとって常識的な用語や考え方など
関わる素人の患者、利用者には理解できなくてもあたり前のこと

素人にも理解できるような
話し方や伝え方などを身につけることも専門職の大切なスキルなのだと思う




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体験談として

2023-06-21 08:24:50 | 武久の視線

退院してから1年後ぐらいに
病院から何とかカンファレンスとかで人前で話すことを勧められ話をした

話した内容は忘れたが、私の話を聞きに来た人からお礼のメールが届いた

僕は幼い息子を亡くし絶望感で自殺願望に捉われた者ですが
自殺することもままならぬあなたを見て改心しました的なものだった

その話やメールを見聞きした友人は「失礼な奴」と怒ってはいたが
私を見て自殺願望が消えた、この事実を私は喜ばしいことだと感じた

受傷してから初めての感覚だった
こんな私でも他人を救えるのだと言う驚きと、とても嬉しいかったことは忘れない。







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どうでもいい話

2023-06-19 08:00:11 | 武久の視線
この身となり、この生活となり、僻みなのか妬みなのか?
(そんなことどうでもいいじゃん)と思うことが多くなった

否、これは私だけの気もちではない筈
ハンデキャップを持つ体や生活をしている人なら多かれ少なかれ抱く気もちだと思う

今でも苦手なのだが三面記事的なものや世間話みたいなもの
一時はその旨を相手に言い伝えたこともあったが、今は聞き流されるようになった

がしかし、ストレスになることは変わってはいない
ケア職の方、その話、患者や利用者とって「どうでもいい話」になってはいませんか?




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在宅介護生活の知恵

2023-06-18 10:10:02 | 武久の視線
在宅介護生活は介護する人も介護される人も閉塞感に苛まれやすい
疲労とストレスなどは社会の仕事にはつきものなのだが、閉塞感は厄介だ

世間からの疎外感や孤立感、それらか生じる妬みやひがみ、、、葛藤
そんな在宅介護生活では各自に知恵を持ち泣き笑い汗かきながら乗り切っている

そんな知恵を持ち合うのもこのグループの趣旨である、ちなみに我が家は
端的に言えば、ものは考えよう、深刻にならない、なるようにしかならない。




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自分のため

2023-06-15 08:14:52 | 武久の視線


医療職の方たち、ケア職の方たちは
慈愛の心とか奉仕の心とかを原動力としている人は多いのだろう

私もよく「僕の発信が誰かのお役に立てたなら、、、」と表現をする

この身になって気が付いたのだが
人には善欲として「役に立ちたい」みたいな欲があるのだと思う


昔からよく世のため他人のためとは言うものの
実はそんな生き方をしたい、善欲を満たしたい自分のためでもあるのだよね。





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ストレス

2023-06-14 08:18:17 | 武久の視線

ストレスは万病の元、と言われているけれど
現代ストレスと言われるものとは、、、主に苛立ちなのだろうと思う

ストレスの要因は数多くあるのだろうけれど
苛立ちは内側から生まれる感情、確かに私も常にイライラしていた時代もあった

否、今でもイラっとする時もある、がしかし
ストレス発散の出来ないこの身、やたらイライラしていたら身が持たない

ストレスからの自己防衛として無感情や無関心などの使い分けが身につく。





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老いに伴う負担と痛み

2023-06-13 08:55:41 | 武久の視線


老いの終盤、大概の人は介護を受けざるを得なくなる
誰しもがピンピンコロリを望むが実際にはなかなか望み通りにはいかない

40代から介護を受けて来た私は体験から思う

介護を受けるようになると感じる喪失感や様々な葛藤
先々の不安、下の世話や入浴介助などに感じる羞恥心、様々な妬みひがみ

体への負担や痛みとは別に
介護を受けると言うことは想像以上に心への負担、心の痛みもある

これらを緩和しない限り
終わり良ければ総て良しみたいな穏やかな最後などとは程遠くなる。




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鶏が先か卵が先か?

2023-06-11 07:59:35 | 武久の視線
体と心

わたしの体は不自由な四肢麻痺だ
しかし、心はネットでの発信活動などで喜びを感じられ幸せを覚える

ターミナル期の方、体は病に蝕まれていても
終末医療を受けながらも感謝とか生かされている喜びとか感じることが出来る

体が自由に動かされる人でも
健康な人でさえも心が病んでいたり生き辛かったりしたら幸せは感じられない

つまり、鶏が先か卵が先か?的に言えば心ありきの幸せなのだと私は考える。




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主語の大切さ

2023-06-09 07:19:55 | 武久の視線
子どもたちのための学校

あることについて各立場の人が話し合う中で
話し合っていることの主語が隠れてしまい本筋から離れてしまうことは多々ある

例えば学校、教師の過密な労働が語られている場の根底には
健全な教師による生徒たちへの質のいい教育の提供などと主語の
「生徒」が入らなければ本質からどんどん離れた話し合いになってしまう

どんなことを話し合うにしても
話し合いの主語、誰のため何のためなどがぼやけてしまうと本質がぼやけてしまう

誰のための医療、自立支援は誰のため、誰のための介護、誰のための福祉用具、、、。




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言葉尻

2023-06-08 08:08:07 | 武久の視線
言葉尻を捕まえて議論を重ねる不可解さ

一つ例に挙げてみれば

十数年前、医労連の会長さんから頂いたメール
私たちは障害者の「害」の字を「がい」に変えようと活動しています
「武久さんは如何お考えでしょうか?」みたいなものだった

私とすればどちらでも構いません
そんなことより字のことに浪費を掛けるぐらいなら
通院時間の効率化とか通院の移動方法とか、、、他に議論改善すべきことが、、、

私に意見を求めた会長さん
よほど合点がいったのか次回の県大会に講演を頼まれた思い出があります。





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