武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

俺たちにとっての普通

2015-12-28 16:20:29 | 武久の視線
今年のクリスマスにこんな事を思い出した

僕らが在宅生活を始めた頃、地域の知的障害者の授産施設とおつき合いがあった
今は施設長が変わったりなどで疎遠になってしまったが、以前は季節ごとの行事をみんなで楽しんだものだった


そんな中に、クリスマス会があった
各自にショートケーキ、紅茶などが出、職員の寸劇、利用者の唄、ボランティアの演奏などなどで楽しんだ


その時書いたブログの一節を、うる覚え思えに噛みしめた

そのパーティーには、着飾った女も居なければ、美味しい酒や豪華な料理もない
洒落たイルミネーションもなければ、カッコイイ音楽も流れない


しかし、そこには、各テーブルのロウソクの灯りにゆれる笑顔がある
決して派手じゃなくとも、豪華ではなくても、、、そこには真心があった



そんな事を書いた記憶がある


決して僕らは、不幸でも、淋しくとも、辛く大変ではない
でも、一般社会の人たちには、この生活が大変で我慢することが多く、ストレスが貯まる、息抜き不可欠、みたいに映るらしい


僕らは悩んだり、ケンカしたり、葛藤もするけど
それって普通の夫婦にもある事だし、在宅介護生活だから特別って事でもないのじゃ?


この生活には大変、苦労、介護疲れ、ストレス、などなどのダークなイメージが湧くらしい
まっ、どう思われ様が僕ら夫婦は 凡庸 な心もちなのだけれどね。








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普通

2015-12-23 12:23:48 | 武久の視線
44歳の時から介護保険のお世話になって十数年、一番言いたいことは「普通に接して欲しい」と言うことである
デイサービス、訪問入浴、、、さまざまな介護サービスを利用したし、今も最低必要限な介護サービスは利用しているが


いつも思うのは、介護はされていても、歳相応の普通の男として関わって欲しい、と言う事である
歳相応の男性、楽しく明るくなくとも普通に静かにお風呂に入りたいし、明るく楽しくなくとも普通に日常を過ごしたい


デイを利用していた時も、訪問入浴を利用してても、介護サービスと言うもの「明るく楽しく」がモットーみたいなところがあるみたいだ
当事者との話し合いもなく介護する側主導で決まってゆくものごと


50男が干支のマスコットもらっても、、、誕生日色紙もらっても、、、僕はうれしいとは思わない
デイサービスでは、自分のケアプランカンファレンスに、当人の自分が参加出来なかったり


ローテーションだからと言って、必用以上に沢山のスタッフにシモの世話や入浴介助をさりたり
50代の男の感覚では、普通ではない介護サービスを受ける世界


あなたは介護されているのだから、こちらの言う事は聞いてください的思考


してもらっているのだから文句は言う気はないが
僕は躰は不自由だか、心、精神は普通の50代の男として生活していたいから、妻の介護による在宅生活をしている。



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法改正

2015-12-11 10:15:31 | 武久の視線
定期的に見直される介護保険らしい
らしい、、、とは介護保険の被保険者として関心のなさすぎでは、、、


と言うよりも、僕ら利用者がいくら考えても、いくら不安がっても何が変わるわけでもない
逆に、身体に悪いとも思っている、なのに介護サービス事業所から署名活動も回ってきたりしている


別に名前を書くぐらいなら協力もするけど、、、法改正、法改正と騒ぐのは、利用者や家族の不安をあおるだけだと思う
百歩ゆずって、より良い法改正に、とは言ってもその署名活動ぐらいで何が変わるわけでもない


集団的自衛権の時のように、あんなにデモなんかやっても行政は変わらない
今や、集団的自衛権強行突破時の有権者の不信感を、消費税の譲歩的思案で有権者の好感度アップをねらっている


行政は沖縄基地問題にせよ、介護保険にせよ、なんにせよ、現場とは関係なしの理屈で動くもの


確かに経営者、施設運営者などの方々には、法改正は重要な事なのだろうが
利用者、利用者家族の不安をあおる署名運動やら、不安をあおる文章の配布やらは控えて欲しいもの、と僕は思う。



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教そわる?

2015-12-01 16:10:08 | 武久の視線
介護従事者が言うおじぃちゃん、おばぁちゃんに、利用者さんに私たちは教わることが多いんです


謙虚な物言いで耳ざわりがいいが、僕は? と思う
もちろん利用者を虐待したり、利用者を幼児扱いしたり、、、そんな人よりはましに聞こえるが


利用者(利用者様って言う所もあるようだけれど、僕は介護サービスのユーザーでいいと思う)
利用者、ユーザーは、生活の一部として介護サービスを利用しているのであって、ものを教えようと介護される者はいない


介護が必要なのだから必死に、懸命に生きているのだ
介護従事者がどう感じるのは自由なれど、利用者に教えられるとか、教わるとか、、、胸はって言われると


利用者は、あんたらの勉強のため、介護されているわけでも、生きているわけでもないと言いたくなる


関わりの中で、共感したり、生活の一部を共有(共に生きている)したり、支え支えられたり する感覚はいいと思うけれど
様とか、教えられるとかとかの表現を使われると、小ばかにされた気がする僕なのである。    






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