武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

ラベリング

2018-11-24 10:51:09 | 武久の視線
介護生活=不幸、孤独、孤独死=不幸
そんなイメージが根強い世間です

孤独な高齢者とか孤独死などは
専門職の人でさえも不幸と観る人が多い

私は思う
家族から送られ看取られるおぱぁさんが
(私はもっともっと孫と、、、死にたくない、死にたくない)と終わる

独り暮らしのじぃさんが布団の中で
(俺の人生も色々あったが、まぁまぁの人生だったなぁ)と終わる
どちらが幸せで、どちらが不幸なのか私には分からない

そんなものは他人が決められるものではなく
その人生を生きた本人が決めることなのだと思う

世間はいたし方ないにせよ
専門職が客観的に孤独や孤独死などに
幸、不幸のラベリングをするのは、その方の人生に対して失礼だと思う。



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排せつ

2018-11-14 10:10:42 | 武久の視線
泌尿器科のお医者さんとのメッセのやり取りに思わされた
排尿、排便、排せつケア、、、

胃ろうの是非や在宅での看取りなど
支援者側主観の事柄などは多く目にするが

患者、利用者など本人にとって一番、心苦しく
しかも、恥ずかしさやプライドなどが絡んでくるもの
それが俗に言われる「シモの世話」なのだろう

「他人からシモの世話されてまで長生きしたくない」
「嫁からシモの世話されるくらいなら死んだ方がましよ」
などとは、世間でよく聞かれる言葉だ

「シモの世話」=看護、介護などを受ける身になった時
一番、気になる、懸念されることなのだと核心に気づかされた

しかしながら、私の体験上、看護や介護現場において
(シモの世話に対して)
雑だったり、他人には言いたくないような言動は経験したが、、、

流石プロ!などと感じたことはなかった気がする
この「シモの世話」への配慮が
今の、看護や介護の現状の全てを表している、と私は思う。

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認知症≠不幸

2018-11-09 09:31:21 | 武久の視線
認知症はマイナスイメージだが、、、
認知症=不幸ではない

私が思うに認知症は

死に対する不安や恐怖心、介護を受ける自尊心の痛み
下の世話してもらう羞恥心などを包み込んでくれるもの

神さまが用意してくれた「ゆりかご」のようなものに思える
そして、私はそのゆりかごで眠りに就きたい。




人に対して死は昔から不安なもの、恐怖なもの
それらの死に対する想いから宗教などが発達していったのだろう


若くして、意識がクリアーなまま施設などの業務的介護を受けた私そうは思う
業務的介護の良し悪しを言っているのではなく

他人に介護してもらうと言うことは
まともな意識では並み大抵なことではない

プライドや恥ずかしさ、心苦しさなどなどでボロボロになる
しかるに神さまは認知症と言うゆりかごを用意してくれたのだ。






*親の介護は
自分が育てられたお返しみたいなようなもの
                  に私は思います

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