武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

集う

2019-08-31 10:45:12 | 武久の視線


私は若い頃、暴走族なので集団心理や集う一体感やらを体験した
モーレツな営業マンをやっていた時期もあったので
セミナーなどの高揚感のある盛り上がりも経験した

この身体になっても
何かの縁で介護系の〇〇学会にも参加をした体験もある

と、ここまで書いて何が言いたいかと言えば
医療、介護、福祉などのFBグループに参加していて
多くのイベントやセミナーの告知や様子など写真を目にする

イベントやセミナーの報告記事、そこには感じるのは
集団心理や一時的高揚、集うことへの安心感、飲みにケーションの一体感、、、

本題の報告よりも、そんなものばかりを強く感じるのは私だけなのだろうか?



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感謝の裏側にあるもの

2019-08-27 08:22:38 | 武久の視線

FB武久塾の投稿を読んだ方からこんなコメントを頂いた
――――――――
>私は、毎日ヘルパーさんが 家に来てくれて 介護を、受けてます。
出来ない事を、やってもらう 有り難さで 多少気に入らなくても、
痛い思いを しても [有り難うございます。助かります。] と 笑顔で返事を、します。
多分私以外の方も 同じ対応する方が、多いと 思います。
ーーーーーーーー


人は誰しも他人に頼む、やってもらうといことには気をつかうもの
だから多少の無理をしても、自分でやってしまうのが普通の人なのだろう

でも、患者や利用者は自分では出来ない、やってもらうか介助を必要とする人
そこには遠慮ともつかぬ感謝、相手のご機嫌をうかがったり、、、

やってもらう方へ、へりくだる低姿勢が存在する
相手に好印象でいたい、という心理がはたらく

もし、嫌われたり怒らせたら
やってもらえなかったり後回しにされたりするかも、、、そんな不安が湧くのだ

この頼む、お願いする心理は私も入院時やデイに通っている時に経験をしました
日々、私を介護する家内に対してもこんな気もちは多少にせよ、なくはない。


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人の心

2019-08-22 10:08:04 | 武久の視線


たとえ医療が必要になった人でも
たとえ介護が必要になった人でも

あなたと同じく、その人には生まれ育ちがあり
生きて来た人生の膨大な物語りを持っている

専門職として治療や介助などは出来る、が
こと、その人の心に触れよう、どうにかしようと向かったとしても

なかなかその人の核心までは届かない
いくら勉強しても、いくらスキルを身につけても

人の生まれ育ちから培ってこられた
性格や価値観などを変えることなど出来ない


たとえ専門職とてその人の内面的なことに関しては
ただただ歩幅を合わせ心に寄り添い歩くことしか出来ないのだと私は思う。


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特別

2019-08-20 11:29:59 | 武久の視線


患者様、利用者様、、、見かける、聞くことがある呼称である
しかし、患者や利用者などは良くも悪くも決して特別な者ではない

あなたと同じような心、感情を持つ人間

あなたがしてもらって嬉しい事は、患者もしてもらったら嬉しい
あなたがされて嫌だった事は、利用者もやられたら嫌だ
あなたが恥ずかしいと思うことは、患者にとっても恥ずかしい

普通なこと、あたり前なことなのだ

患者や利用者などは、ただ
医療が必要になったり、介護が必要になった人

必要以上に敬うこともなければ、ましてや卑下することもない
あなたと患者、利用者などはキブ&テイク「おたがいさま」の関係。

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色んな人

2019-08-15 17:01:19 | 武久の視線
重度障害でも働きたい重度障害者がいる
こんな身体で働きたい、とは思わない重度障害者もいる

釣りが好きだったので、釣りをしてみたいと思う重度障害者がいる

針も結べないのに魚だけを釣る釣りはしたくない
と思う釣りバカだった重度障害者がいる

絶対、歩くようになりたいと必死にリハビリをする重度障害者がいる

希望が願望になってしまうような
闘うリハビリはしたくないと思う重度障害者がいる

言わんとすることは、支援する側の一人よがりで
「こうなのだろう」と決めつけて支援されても困る

あたり前の話だが
支援者も被支援者も人それぞれ、色んな性格、考え方の人がいる
常に対話を大切にして接して欲しい、と言うこと。



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引き合い

2019-08-08 17:22:03 | 武久の視線
専門職の方はよく受容したような障害者や
社会で成功したような障害者を引き合いに出すことが多いが

私的には止めて欲しい
山登りをしている人に頂上から声かけするみたいな行為

現実に頑張り踏んばっている人に
成功体験的なものを見せられても
他人と比べられても困るのである

時として屈辱を覚えたり、憤りを感じたりもする

障害者それぞれに障害も違えば立場や
家族構成や経済的なことや取り巻きなどそれぞれに違う

他人を引き合いに出すと言うことは
支援するその人と向き合っていないことだ、と私は思う。


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障害者

2019-08-07 09:20:12 | 武久の視線


私は四十四歳の時、脳幹出血に倒れ四肢麻痺となり要介護となった
この先どうなるのかも、ましてや制度なんか分かる筈もなくただ必死だった

受傷して5年以上ぐらいしてからなのだろうか
私の利用している介護保険第二被保険者の介護サービスと
障害者自立支援法の介護サービスがあることを知ったのは

当時のケアマネさんに障害者自立支援法とは?と聞いてみたら
その方は存在すら知らなかった、制度的な優先順位なども加味したら理解はできるが

それぞれの制度に、それぞれの問題や課題などはあるにせよ

介護保険は高齢者のためのもの
障害者自立支援法は障害者のためのもの

高齢者制度の中に中途障害者の私
私の四十代、五十代は介護保険に馴染もうとはしたものの

ストレスによる問題行動を起こしたり
利用禁止になったりして、サービス利用で自宅から出ることはなくなった

介護保険第二被保険者という制度がいつまで続くのかは知らないが


受け入れる介護保険施設側でも、介護保険第二被保険者にも
市民権を与えて欲しい
と、第二被保険者に馴染めなかった私は思う。



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バリアフリー

2019-08-02 09:09:21 | 武久の視線


今が旬の重度障害者への制度やバリアフリーなどの問題

私は以前から思っていた
車いすが動きやすいのがバリアフリーの街、バリアフリーマップでない

一重に障害者と言っても度合いも種類も多種多様だ
一例をあげたら視覚障害者のための点字ブロック
車いすユーザーにとっては走行しにくい凹凸、知的障害者には、、、

と言ったように障害者の中でさえもバリアフリーや制度への不満も違う
今回クローズアップされているのは重度障害者への制度やバリアフリー

精神障害や知的障害、感覚障害や〇〇障害
とにかく障害者の極々一部分にスポットを当てた話題、議論、対策である

私は以前から思っているが
バード面よりソフト面、物質的なものより内面的(心とか精神)

心のバリアフリーやノーマライゼーション精神
人権問題、共生思考などの後進国な日本
なのだと思う

心の共わない政治、制度改革、改築などなら
「仏、作って魂入れず」と同じだと私は思う。


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