介護されし者

とある中途障害者の発信

自己紹介

3000-05-14 07:45:38 | 自己紹介
自己紹介動画(2015撮影)

楽しさ明るさ

2018-09-19 15:51:09 | 介護されし者の想い

パワリハ・デイサービスに通っていた頃に思わされた
この医療介護、福祉などの業界全体的に
「明るく楽しく」がモットーみたいなところがある

一般社会の
「楽しくなければ人生じゃない」なら分かるのだが

介護や医療のお世話になる人は大体が社会的弱者
明るく楽しくしたい方もいれば
逆に楽しさや明るさを眩しく感じる人たちもいる

私もその一人である
四肢麻痺となって以来(楽しい~)
なんて思ったことなど一度もない

ただし、喜びや幸せは感じられる
しいて楽しさと言えば、家内の(楽しい)が私の楽しさだ

感動とか楽しさ明るさなどは、与えるものではない
自発的にその人から湧いてくるものである
楽しさや明るさを押し付けてはいけない、と私は思う。





原点なる想い

2018-09-10 11:31:57 | 介護されし者の想い

最近、病院から自宅へ戻った頃の心境を書く機会があった
その時、再認識したというか(あぁ、そんな想いがあったのだ)と
私の発信や地域活動の原点に想いを馳せた。

働き盛りに脳幹出血に倒れ、重度障害者の四肢麻痺となった
重度障害者、、、
加入していた生命保険では死亡と同じ扱いだった
住宅ローンの残高も免除された

働き盛りから収入が無くなった私には家計的に助かった
がしかし、事務的な「死亡と同じ扱い」これが私に大きく圧し掛かった
何んの生産性もなく、逆に障害者年金を国から頂く私

生きるしかばね?社会のお荷物?私の社会的存在価値は?、、、
そこが私の原点なる想いだった

そこから自分の社会的存在価値を求めた
苦悩や葛藤、現実などとの格闘の日々
現在に至るまで、私の在宅生活の日々が始まったのだ。





FBグループ

2018-09-04 09:46:06 | 介護されし者の想い
医療福祉系のFBグループに参加してて思う
封建的、閉鎖的プライドをもつ方が多いと

医師だから、、、
介護士だから、、、
ケアマネだから、、、
看護師だから、、、
療法士だから、、、
当事者だから、、、職種や立場など関係ない


専門的なことも使う人によって
温かなものになったり
冷たいものになったり

専門性は使う方の人間性で凶器にもなりうる

専門性がどうのこうのよりも
その方のお人柄や
その方の人間性など

その人が
人としてどうなのかが大切なのだ。

人権+

2018-09-01 10:11:26 | 介護されし者の想い

医療、介護、福祉従事者、一般市民、、、どんな人であれ
患者や利用者などに成りたくて成る人はいない
。・
私は四十代に脳卒中で倒れ、働き盛りの社会人から
要医療、要介護の重度障害者の患者、利用者になった

そんな状況の中で強く感じたのは、、、
患者、利用者とかになると選択や権利などを失うこと

大体のことは施設側や職員さんの
都合などに従わねばならないこと

対話しようにも「みなさんそうしてますから」とか
「そういう決まりになってます」などにはね返されてしまう


一人の人として
人権を否定されたような気持ちになったことが多々ある

医療、福祉などの専門職に就いた方は
社会に貢献したい、命を守れる仕事がしたい
人に感謝される仕事がしたいとかの思いで選んだ職業なのだと思う

命を守る、与える、お世話がしたい、などのそんな志の中に
他人の人権とも関わる仕事、という視点も入れて欲しい

どんな状態になった人間でも
命と人権とは守られるべき、と私は思います。




胃ろう

2018-08-10 10:24:17 | 介護されし者の想い
胃ろうの話題と言うと
 
高齢者医療従事者の人たちなどの是非論ばかりなので
胃ろう経験者として、経験した体験感覚を書きました




胃ろう経験


よく高齢者医療で
胃ろうの是非などが話題として扱われているが
胃ろうの是非はともかくも、私は胃ろうを体験した
嚥下機能が低下していた半年ぐらいだったのかと思う

食事時間になるとベッドをギャッチアップして流し込む
お腹が暖かくなる(当然ながら食事感は皆無)

体力のない私には
胃ろう時のこのギャッチアップの体制が辛かったし
しかも搬送時
意識不明で高熱だった
私はウォーターベッドに寝ていたらしい

その時に出来た褥そうで胃ろう体制をとると
尾てい骨あたりをキリで刺されたように痛んだ
食事(胃ろう)時間は私にとっては拷問みたいな時間だった

胃ろうの是非ともかく
胃ろうは、患者によっては痛みを伴ったり辛かったりする。




現代を変える

2018-08-04 16:46:54 | 介護されし者の想い
連日の多分野にわたる
不正や腐敗や残虐なニュースの現代

官僚が、議員が、親が、先生が、、、
と批判したりや嘆いたところで
世の中は何も変りはしない

まして
優秀な人、社会的な地位がある人、実績のある人
などの人を変えるなどと言うのは不可能に近い

一般社会においても
出来上がってしまった人の意識を変える
と言うのは容易なことではない

出来上がった大人にスポットを当てるより
この国は根っこから変わっていかなければいけない

子どもたちの教育部分から考えていかないと
戦後ではなく、戦前となってしまう現代に思います。





基本部分

2018-07-31 08:26:47 | 介護されし者の想い
重度認知症であれ
重度障害者であれ
老いて寝たきりになっていても
たとえその患者さんと意思疎通が出来なくとも

生きている人には、あなたと同じように
「命」と「人権」とがあることを

命と人と関わる仕事をしている
医療従事者の全ての人が
基本部分として認知しておくべきに思います




還暦

2018-07-27 10:12:25 | 介護されし者の想い
私も還暦が目の前になった
44歳で脳幹出血に倒れ四肢麻痺になり15年

結婚生活の健常者年数と
四肢麻痺になってからとが同じ年数になった

四肢麻痺になりたての頃は、おぼろげに
もう10年生きれたら御の字だな、とか思ってた

それが、色々あったような
「あっ」という間だったような15年

辛くないと言えば嘘になるけれど
なにはともあれ老いれると言うことは有難いことに思う

倒れそのまま逝ってもおかしくない脳幹出血
小児病棟で痛ましくも病に屈してしまう子
事故や病などで人生途中で無念にも逝ってしまう方

老いれる、ということは
嘆いたり、拒否否定するものではなく

感謝したり、めでたいことに私らは思う
ちなみに家内と私とは同い年である。



命、死など

2018-07-08 11:12:20 | 介護されし者の想い
死を考えることは生きることを考えること
人はいつ命を失うかもしれない、だから今日を大切に生きよう、、とかとか


確かに人にとって命とか死は大切なもの


しかしながら
普通に生きている、生活をしている人は不安や恐怖心などから
死ぬことや命のことなど真剣には考えたくない、という人が大半なのだろう

身になってみる、想像してみる、体験してみる、とかしても
その立場になってみないと分からないのが人

死の話しとか、命の話しの落とし込みたいところは何なのだろう?
つまりは「感謝して生きる」とか「今を一生懸命に生きる」とか
その人の心の部分へのアプローチなのだろう

そこに導きたいのに私は命とか死を媒体は使いたくない
死とか命とかは本人、伴侶、家族にとって計り知れないものなのだから
私はいたずら引き合いに出したくはない

人の心に働きかける方法や媒体はいくらでもあるのだから、、、。




人の心

2018-06-07 08:36:26 | 介護されし者の想い
政界でもスポーツ界でも、会社企業、職種は何であれ
子どもたちに社会的倫理などを教えなくてはいけない大人たち

その大人が嘘をついたり、言い訳に終始したり、、、大人たちの失態

しかも、社会的地位があったり、指導する立場の人だったり
何故?こんな不条理なことがまかり通る社会になってしまったのだろう
私は以前から言っていた

「物が豊かになると、心は貧しくなる」
否、もう貧しい心を越えて良い事と悪い事の判断すらつかなくなっている

そこには利害関係や損得勘定、合理化や結果主義、、、
あらゆるエゴイズムが渦を巻いているのだろう


深々と頭を下げる謝罪会見
悪い事をしたら謝ることは大切なのだろうが
経緯分析、対策、再発防止、意識改革などの方をもっとアピールすべき


今ここに来て
本当に学ばなければいけないのは大人たちなのだろう
現代の大人たちが創った社会の価値観みたいな中で育ってゆく子どもたちはどうなるのだろう

少なくとも
やっていい事、やってはいけない事の判断くらいはつく大人になって欲しい

そして今、大人たちも本腰を入れて人の心みたいなものと
向き合っていかねばならない時代なのだろう。


「心の学び舎」





死にざまは、生きざま

2018-05-07 16:30:43 | 介護されし者の想い
どこで死んだら幸せだ
誰から見送られたら幸せだ
どんな看取られ方なら幸せだ、、、

孤独な死に方だった
家族の人が最後は病院へと希望した
本人が施設での介護、看取りを選んだ、、、

色々な終わり方がある
どれが正解、どんなのが理想的、尊厳のある死に方
どれとも、こうとも言えないと思う

死は点ではない
死は「生きる」の延長線の上にあるもの
その人がどんな生き方をしてきたのか?

価値観や人生設計
金銭感覚や勤勉さとか
家族や周りの人たちとの関係、、、

様ざまな、その人の生きざま
生きて来た生きざまの最終点が死にざまなのだと思う。



2018-03-01 09:38:24 | 介護されし者の想い
倒れて15年、四肢麻痺からPCが使えるようになり10年あまりになったのだろうか?

今まで私は中途障害者、介護保険第二被保険者の視線で
医療や介護、制度などなどにブログやFBで発信して来ました
それは、それで誰かの何かのお役に立てたのだろうと思います

患者や利用者の気持ち、心もち、終いには人権問題までも、、、
専門的なことは私には分かる筈もなし、出し尽くした感もある
制度やスキルなどのことは専門の方たちにお任せして、この先は




 教育、医療、福祉
人生で誰もがお世話になり通る道です
 


人の身体だけではなく
人の心というものも大切にしなければいけないと思います

介護を受ける立場の私は
詩療法詩人として、人の「心」と言う観点から
教育、医療、福祉などを考えてみようと思います。




高齢者問題

2018-02-20 08:54:12 | 介護されし者の想い
 人生を全うして老いて逝く 

私にはそれだけで幸せなことに思う
しかし、世間では高齢者問題とか、健康寿命、介護予防などなど

老いへの反発、老いへの悲壮感など
老いることへのマイナスイメージが強い感じがする

老いて死ぬるはめでたき事みたいな日本古来の感覚は薄れ
不老不死を願うのか?延命治療の進歩なのか?
人生を全うして終わる=めでたいにはならないみたいだ

淋しそうとか、可哀そうとか、可愛いいとか、癒されるとか、、、
それらは客観であって、決して本人の気持ちではない

本人は人生を全う出来た満足感や
生きぬいてきた誇りみたいのを抱いているのかも知れない

いやいや、これもまた私の客観なのだが、、、。



介護リフト

2018-02-11 15:26:56 | 介護されし者の想い
最近、頓に「抱えない介護」とか「ノーリフト」などを目にする
支援側では賛否両論のようだが、自己紹介動画にもあるように、私はリフトユーザーだ

支援側の意見を交わすことも大切なのかも知れないが
やはり一番は使った、リフトに乗った人の意見も重要なのだと思う

人それぞれなので、あくまでも私の意見になるのだが、、、
支援側の人の手神話「機械は冷たそう」とか「利用者に失礼よ」とかとか

それらは、あくまでも使う側からの思いである
生活でリフトに乗っている私の経験から考えるに

他人にお願いしてやってもらう心苦しさより機器で済むなら
心の負担の軽減になる、多忙な職員さんに粗雑に扱われるより機器の方が良い

体重が重い私をは人数がいないと移乗などができないため
院内などでは職員が大きな声で人を呼び集めていた、そのたび心苦しさを感じていた

私の移動で力自慢をする療法士や職員がいた、嫌だった
「落としても私が下敷きになるから大丈夫」と言われても不安が増すだけだった
と挙げればリフトの利点はたくさんあるのだが、、、

患者や利用車、入居者などにもデモ機などで体験してもらい聞き取りしてみたり
大切なのは、支援側だけの意見で進めてはいけない

支援側は多忙や腰痛の軽減、被支援側はお願いする心苦しさや不安の軽減になる
私には一石二鳥に思える介護リフトなのだ。