武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

同じ人間

2016-03-15 10:36:31 | 武久の視線
あなたの目の前に居いる「介護されし者」
高齢者だろうが障害者だろうが、認知症だろうが難病だろうが、、、あなたと同じ人間


怒られれば恐いだろうし、笑顔で話しかけられた嬉しいだろうし
小突かれたら痛いだろうし、声もかけられず無視されたら淋しいだろうし、、、


尊厳とか利用者様本位、その人らしさとかとか、歯の浮くような特別な言葉は要らない


ただ介護される者も、あなたと同じ気持ちをもっている、と言うこと


大勢の前で裸になるのは恥ずかしいだろうし、乱暴に扱かわれたら痛いだろうし
いつまでも綺麗でいたいおばぁちゃんも、スケベな男もいるだろうし、、、普通な人なんだ


何人もの手術をしたお医者さんでも
手術の仕方は分るけれど、手術の痛みは知らない


何人、介護しようが、介護される人の気持ちはわからない
でも簡単なんだよ


あなたがされて嫌なことは、される利用者も嫌
あなたが、してもらって嬉しかったことは、利用者にしあげたら喜ぶ


介護を受ける人は、特別な感情を持つ人ではない
あなたと同じ感情を持つ、あなたと同じ人間、普通の人なのさ。




(写真撮影 妻 武久利江子)

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「今」

2016-03-08 15:07:52 | 武久の視線
「今」を楽しむ、ために生きてた僕だった、楽しみのために働いていた


しかし、44歳で脳幹出血に倒れ、生死をさ迷った
長い長い夢を見ていた記憶が残る、あのまま目が覚めなかったら、死んでいたのだろう


死ぬのが恐いという感情は無い、死ぬのは、僕にとって夢から目覚めぬことに思った
生まれて来るのも一人なら、死んでゆくのも一人なんだなぁ、とも思った


死は、絶対なるノーマライゼーション

そんなことはどうでもいいのだけど
僕は、楽しむために生きた受傷前の生き方から


「今」やれること、「今」やらなければならないこと、を意識して生きるようになった
機能的にも欲が、殆どそぎ落とされたこともあるのだろうが、、、


僕がやらねばならないこと
 四肢麻痺になった僕を発信する事、見てもらう事、感じてもらう事 



倒れるのは一瞬だった、今は薬をたくさん飲んでいる、でも、、、そん時はそん時、、、
今の僕にできること、今の僕だからできること、今の僕だからやらねばならないこと


今が、これからの過去になり、今が、これからの未来になる


必ず明日が来るとは思っていない、未来に夢や希望があるとも思っていない
大切なのは、今を生きているということ、今、何をやって生きてゆくかということ、だと僕は思う。


(写真 介護ライター 野田明宏)



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