武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

命と人権、そして平和

2016-11-21 11:29:03 | 武久の視線
人の命と、人権に優劣はない、命と人権とは同等に僕は思う



僕の経験の中に、在宅の担当医から
「武久さんは色んなとこに出歩かないで、家で安静にして居てもらうと私は安心します」
そのような内容の話しをされたことがある

通ってたパワリハデイの看護師には、ほぼ毎日のように血圧は測定してもらっていた
でも、最終的に担当医は「私には責任は負えませんから、、、」と
代わりの医師を紹介をれた、そんな経験が僕にはあった


それ以来、医療従事者や介護従事者に必用以上に
「私たちは命を預かってます」「利用者の安全を守ってます」
などの言葉をふり回されると、僕は反発したくなる


人は、、、
食事して排泄をして安静、安全を強いられて長生きしても(長生きしてよかった)
命の維持のために色んな治療などをほどこされ寝たきりでも(生きてて良かった)
そんな場面でも、そう思えるのだろうか?



医者と看護師と患者
大学教授と、道路工事のおじさん
施設職員と認知症の入居者


障害者と健常者
介護する人と、介護される人
支援する人と、支援を受ける人


命と人権に優劣はない、命と人権、これらは同等に重いものと思う
そして、それが世界平和への礎になるのだと、当事者の僕は思う。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中心

2016-11-15 12:10:50 | 武久の視線
患者中心、利用者中心、、、ケアの業界で最近よく耳にする言葉である
そんな言葉を目に、耳にする度に、当事者武久は思う「別に中心じゃなくてもいい、、、」


当事者にせよ、介護家族にせよ参加したいだけなのだと思う
同じテーブルに着く機会が欲しいのだと思う


多職種連携、カフェ活動など
専門職のみにて語られる地域在宅医療、訪問看護、介護、訪問リハビリなど、、、


ユーザーである当事者や介護家族
はたまた医療や介護などに関心のある地域住民なども
同じテーブルに着くことすら出来ぬ地域がほとんど


国政、制度の流れにはいくらデモをやっても、署名運動をやっても押し切られる
そんな光景、体験は十分知ってる筈だ、となれば


住民が、住民の手で創り上げる社会ネット「助けあい」とか「お互いさま」などの
共生意識などが重要になってくる


地域住民総活躍時代でなければ、この超高齢化社会、超格差社会
都市集中、過疎などの問題を抱える時代は乗り切れないのだろう



当事者 介護家族=クレーム と決めつける専門職の方も未だ多い
クレームを苦情ととるか、問題提起などにとるかなのだとも思う



支援される人も、人権をもつ人間
支援する人も、人権をもつ人間

優越などない、同じ人権をもつ、、、同じ人間なのだと僕は思う




(倒れる二年前)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多職種連携

2016-11-07 17:01:40 | 武久の視線
多職種連携とはよく耳にするが、FBを見てて僕は疑問に思った
○○カフェとかコワーキングスペースとか連携とは言うけれど

FBに上がってるのは 飲み会風景がほとんど
誰のための連携? 専門職の仲よしこよし会?

カフェの中には「地域まるごとケア」などを
掲げ取り組んでいるところもあるようだけど 全国的には、、、


そろそろみんなが気がつかないと、、、


国からの報酬が主であれ 何割かを負担する、サービスを選ぶ
ユーザーあっての 医療サービス、介護サービスだと言うこと



団塊の世代の後期高齢化 羞恥心などプライド高き世代 
高齢者にも貧富の格差 オプショナル的な介護サービスによる
介護格差 務める施設によっての介護従事者の賃金格差、、、

制度や政策の対策だけに、仲間づくりなどにかまけている連携なら
これらの時代の流れに立ち向ってはいけないと思う


当事者 介護家族 地域住民、、、
ユーザーの声を聞く耳を持った多職種連携であって欲しいものだと
介護保険第二被保険者の僕は思う。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする