武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

延命治療

2019-02-13 11:01:36 | 武久の視線

死は個人の尊厳も大切なのだろうが、私の死は
私だけのものではない長年連れ添った妻のものでもある

ある番組の一場面として見た

延命治療をしているだろうお爺さんの頭を
婆さんが撫でてベッドの枕元に寄り添う姿だった
その姿に夫婦の凝縮された関係を垣間見る気がした

私の延命治療は妻が納得できる方法で行って欲しいと願う
逝く私の意向とか尊厳などというものより
残される、見送る妻の意向を聞いて欲しい

それが妻にとっては
私、夫にしてあげられる最後の選択なのだから、、、。



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「死ぬこと以外はかすり傷」

2019-02-07 10:10:07 | 武久の視線
「死ぬこと以外はかすり傷」

誰の言葉で、どんな場面に使うものなのかも知らないのだが
身体障害者のカテゴリで出くわす、投げかけられる言葉なのだ

自分の障害をどう思うのか?感じるのか?
はたまた障害者に何を感じ思うのかは
その方の自由なのだが、その言葉を押しつけて来る方もいる

私は自分の四肢麻痺と言う障害をかすり傷とは思えない

障害をかすり傷とは思えない方は全国に沢山いるだろうし
私にもそんな時期が一時期あったけれど
死ぬことより辛いと感じる障害さえもあるのだろと思う

「神は乗り越えられぬ試練は与えない」とか
「生かされている意味があるのだよ」とか
仏や神の教えのような口ぶりは時として当人には刺さるもの

障害があっても、意味がなくとも、とてつもなく辛くとも
自らの死を選択しない限り、人は生きていかねばならないのだ

仏神の教えや悟りなどをもの教えされても
押しつけられても、上から目線のように感じる私なのである

正義も真理も愛さえも振りかざしたり、振り回せば
それらも全て凶器に成りうると思う私なのです


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場所

2019-02-02 11:09:49 | 武久の視線

住み慣れた家で最後をむかえたい
医療設備の整った病院の方がいい

最後をむかえるにあたって何処どこと話題にはなるみたいだが
私は場所よりも人だ、長年連れ添った家内に傍に居て欲しい

それは人それぞれなのだろう
独身の方もいたり、何らかの都合で入居施設に入居していたり
病で入院している方、最後をむかえる状況は人それぞれなのだろう

理由はなんであれ、情況はどうであれ
本人にとっては身近な人、いつも話していた人
本人は、そんな人たちに見送られたいのではなかろうか

私は思う
場所が何処なのか?よりも、誰から見送られたいのか?なのだと。



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