武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

対話という名の人権

2017-04-22 09:13:50 | 武久の視線
僕が16特定疾患により、介護保険の第二被保険者とされ痛感したことは
「対話のなさ」
である


主に高齢者が対象な介護保険がゆえ
お世話感覚の高い介護保険がゆえに
支援側の固定観念や、理想などで進んでゆくケアを体験して来た


そこをほじくり返す気はさらさらない

今、在宅医療や終末医療、終活、、、、専門職の間で確立されてゆく理想形
素晴らしいものなのだろう、完璧なものなのだろう



でも、それらのスキルなどの先頭にあるものは
利用者、患者との対話であるべきに思う


医療的、自立的、介護的などなどに理想的なものであっても
必ずしも、その人の考えに、生き方に、性分にあったものとは限らない


その人の人生、逝くはその人
生い立ちや、生きて来た歴史の中で育まれて来たもの
価値観や生死観などは、人の数、人生の数だけあるのだから、、、


形、知識、スキルなどの理想像ではなく
その人と「対話」するという行為を、対話して来た時間を


対話するという人権を先頭に置き、一番大切にするべきだと僕は思う。



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時にはバリア「肩書」

2017-04-14 11:11:59 | 武久の視線
 これからの地域包括システムの中で、大きな役割を担うだろう一般市民


その集まりなどで専門職の方はIDカードやプレートに肩書を示す
市民団体やNPO団体の方も、代表、理事とか肩書を示す


そんな場に一般市民の、おばちゃんや若者などなどの
どこにも属さず、なんの資格もない人たち
でも地域包括システムや、助け合う街づくりなどに興味がある
そんな人たちが気軽に参加できるだろうか?


IDカードも、○○代表、□□大学教授も、、、
それら肩書もある意味バリアになるのではなかろうか?
安全性の為と言うならば氏名、生年月日、学区名などの表示だけでもいいのでは?


共生の街、助け合い、おたがいさま、、、などを創り上げる場に
極力、肩書などの表示は不要なのだろうと思う


「私は一般の市民じゃない」的な雰囲気の肩書を見せられると
素人の一般市民は気軽に話し掛けれない
簡単、単純な質問したら笑われちゃう?失礼?みたいに感じてしまう人も、、、


告知しても集まってくれない
既成事実づくりの集まりなどにならぬよう


名実ともに、の地域包括システムにしてゆきたいのなら
手を広げ待っている、「私たちはやっているのに集まってくれない」ではなく
集まらない色んな要因をリサーチ、考えていくべきに、僕は思う。




(写真撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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「仁の視線」

2017-04-06 08:16:47 | 武久の視線
現代の風潮

物質主義、利己主義の競争社会、年代に関係なく貧富の差の二極化


自己主張と、自己中心を取り違えたよう
自分がよければ、自分たちさえよければ
みたいな風潮が大人たちから、子どもたちまでも、、、


そんな現代の風潮の中で置き去りにされてきた心
思いやる心とか、助け合い、お互いさまの心など


福祉大学の教授が、この現代の風潮を変えてゆくには
学校教育が大切と「福祉教育」の導入を唱えている


今、地域包括の流れとして専門職だけではなく
助け合い、共生的な街づくりとして、地域住民との関わりが増えて来るはず


その時に、制度や方法などのハード面だけではなく
医療、介護にある「仁の視線」心的なもの
ソフト面も地域社会に、一般市民に伝えられたなら

現代の風潮に、風穴を開けられるのではないか!と僕は思う。




(撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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