武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

アナウンス

3000-12-21 16:03:53 | 武久の視線
1959年生まれ
2003年(44歳)脳幹出血に倒れ四肢麻痺となる
 
後、妻の介護、訪問サービスを利用し在宅生活を送る
介護を受ける者として医療や介護、人の心など感じたことを徒然に書く
 
医療や介護を受けるにあたっての持論「人は体と心とで出来ている」
 
 

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寄り添う〇〇

2024-04-25 09:37:49 | 武久の視線

医療や福祉分野でよく耳にする「寄り添う〇〇」

それってあくまでもケア側の一方的な想いであって

本当の意味での「寄り添う〇〇」ってものは

患者や利用者との信頼関係が出来ていなければ寄り添うことなどは出来ない


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全人的医療

2024-04-23 10:03:41 | 武久の視線

全人的医療と難しく言わなくとも

小学生でも、人間は体と心とで出来ていることぐらいは理解するだろう

だが僕らが度々、医療に感じる事務的な冷たさ

最近、医師より告知を受けるような大病を患った知人の話では

治療は進んでいっても、心の痛み(絶望感や喪失感、不安)などは患者任せ

スタッフによる心の痛みに関するような気づかい声かけはなし

ただ病気の治癒やケアがたんたんと進んでゆき、患者の心は置き去りの医療

普段は事務的に癌告知していた医師が、自分が癌になり

自分が癌になり気づかされたこととかを出版するのは多く目にする

 

 

 


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受容

2024-04-18 09:04:22 | 武久の視線

人は自分にとって

不利なことや嫌なことは受け入れようとはしない

それが選択すら出来ない現実ならば

自分と対話をして折り合いをつけ自分の中へと落とし込み

それを受け入れることは出来なくとも

それをしっかりと受け止めて生きてゆかなければならない

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

とは、今朝投稿のつぶやき詩だが

専門職がよく使う「受容」と言う言葉、当事者や患者は受け入れている訳ではない

生きている人は健常者であれ病人であれ、障害者であれ

受け入れがたい現実であっても、致し方のないその現実を受け止めて生きているのだ

 

 


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二通りの看護師さん

2024-04-14 09:15:33 | 武久の視線

看護師さんって医療寄りの人、介護寄りの人がいると感じる

病院勤務とか訪問看護とかの働いている職場などとは関係なく

バイタルとか薬をつけるとかの医療行為が早いとか

着ているものの着脱や介助が上手いとかではなく

患者や利用者には時折、医療を冷たく感じることがある

医療行為とか問診とか会話などが事務的に感じられる感じることがある

そこにある違いは、相手を気づかう心や言葉があるか?ないか?なのだと思う。

 


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未來のためにも

2024-04-10 10:29:43 | 武久の視線

僕は高齢者となりましたが

当時の生きにくさ居場所のなさなどを忘れたわけではありません 

制度的に介護保険第二被保険者を受け入れているのなら 

介護サービスにもそれなりのマニュアルがあってしかり、、、

しかし僕の第二被保険者の立場はなくなったので

現役第二被保険者の人たちにこの理不尽さを発信続けて欲しいものです、未来のためにも!

 


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体験会

2024-04-05 09:44:36 | 武久の視線

当事者やその家族から出て来るは

要望であったりクレームだったりする

そんな固定観念が専門職側にはある

だから専門職だけで語られるケアだったり支援だったりする

しかし、介護リフト体験会などの話を聞けば

当事者やその家族たちの反応がダイレクトに伝わって来たと言う

この在宅介護の臨場感や生の意見、生の問題点などなどは

専門職同士が何回、会議を重ねたとて得られるものではない

専門職+当事者やその家族が参加するケア体験会

こんな試みが、良質のケアを構築する手助けになるのではなかろうか

国民の声の届かぬ国会ではいけない

当事者やその家族の声が届かないケア業界ではいけない

 


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思い出の曲

2024-04-02 09:34:16 | 武久の視線

僕がまだ病院でまぶたしか動かず夢うつつ状態だった頃

その頃、妻が看病しながら聞いていたシングルCDがあった

 

妻が家に帰っている日など見回り来てくれる看護師さんや介護さん

その中の数人はプレイヤーを回して行ってくれた

 

どんな職業でも、どんな立場でもその人の人柄なのだな、と

今でもその曲を聴くと、病院にいた頃を懐かしく思い出します。

 

 

 


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幸せ

2024-04-01 16:44:49 | 武久の視線

44歳の働き盛りに死亡率の高い脳幹出血に倒れ

1年入院の後、四肢麻痺と言う重度障害者となり帰宅

 

20年余り妻の介護でベッドの上での生活

マヒしながらも唯一動かせる左手でパソコンを使い日々を送る

 

今年、夫婦ともに高齢者の域に入り

動けなくとも、こうして夫婦二人で老いてゆけることを幸せに思います


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変化

2024-03-30 09:48:11 | 武久の視線

気心知れた訪問リハビリのPTさんに聞かれた

「武久さんの発信って長いですが、歳と共に変わって来た気もちなどあるんですか?」

僕も考えさせられた

僕が発信を始めたのは4.50代、介護を受け始めて20年、今65、、、

確かに介護を受けた年数と共に考え方、感じ方が変わったということは

照らし合わせ考えてみたら沢山あるのかもしれないな、と気づかされた

過去に書いたものを読み返し

大きく気もちが変わったことなどを書くのも必要なことだと思った

 

 

 


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