武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

不立文字

2020-03-29 09:26:19 | 武久の視線
先頃、僕の訪問リハビリを担当する療法士さんが盲腸で入院をした
週二回の訪問リハビリ、我が家の長男ぐらいの年齢、地元進学高卒

僕と馬が合うのか普段、内容のある話も出来る好青年
当然、ここに書くような当事者、患者や利用者の心もちみたいなことは
常々の会話の中で伝わってはいるものの、、、彼曰く、、、

「他人にものを頼む心苦しさ、頼むタイミングの気づかいや
下のお世話になる羞恥心、ベッドに寝ているだけの退屈感などなど、、、

色んな心境を武久さんから聞いてはいましたが
短期間の入院でしたが、手術の痛みや患者の心もちなど
身に染みて痛いほど理解できました」そんな話しでした

不立文字ではないが、人は頭では分かったつもりでも
体験しなければ身に付かないこともあるのだな、とつくづく思いました。




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これから、、、

2020-03-24 07:04:09 | 武久の視線
人は幸せになりたいと思い、日々を生きているのだろう

しかし、最近の僕は思うようになった
家内との「良くもあり悪くもある」この閉鎖的在宅介護生活の中で

幸せとか不幸せ、愛情だの絆だの、夫婦円満だの
そんなことはどうでもいいことに思える

それらの感情は瞬間的なものに過ぎないし
自分の考え方次第でなんとでもなること

最も大切なのは、二人共に何はともあれ
老いてゆけるまでに生きて来れたこと
今もこの海の見える家に二人で暮らしていること

この先、老いに向かっての(だんだん実感あり)互いの
体力の衰え、体の痛み、老々介護の問題点、葛藤、認知症など
様々な問題が起こってくるのだろう、これからはそんな事も発信してゆこうと思う。


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因果応報

2020-03-12 10:22:41 | 武久の視線


仏教の言葉で
良い事も悪い事も自分の行いによって生じるみたいな意味なのだが

僕は脳幹出血に倒れたことも
四肢麻痺と言う後遺症が残ったことも因果応報だと思っている


思わなくてはやって来れなかった、と言った方が良いのかも知れない

以前は(俺より悪いことしている奴もいるのに、何で俺だけ?)とか
(運が悪かった、運命だった)とか、何かのせいにしたりしていた

しかし、ある時思えた
何かのせいや運だのとか言っていても悔しさや惨めさは増すだけ

それじゃいっそのこと自分のせいにしちゃえ、と!

たとえ無茶でも、倒れたのも自分のせい
四肢麻痺になったのも自分のせいなのだ、と思えたら

何か背負っていたものが少し下ろせた僕が居た。



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