武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

言葉に表せなかった不快感

2015-11-25 10:42:59 | 武久の視線
44歳から四肢麻痺の中途障害者となり、16特定疾患より介護保険の第二保険者とされ、介護サービスを受けるようになる
以来、介護される者として感じて来たモヤモヤ且つ重要な不快感を、十数年たってやっと今、言葉に表せるようになった



僕は、年、数回にせよ福祉学習やら講演などでお呼びがかかり出かけている
僕の意向とにかく、常識的に講師とか、武久先生とか呼ばれたりする


が、しかし、いざ介護サービスの利用者となるとどうだろう?


何人もの方に、顔を洗ってもらう時ホッペを両手ではさまれニュムニュされたり、カワイイと言われたり、まるで子ども扱い
管理者やケアマネなどにも、有無もなく支援者側の決まりとやらを押付けられたり、支援側の都合(監査とか、事務仕事の多忙など)を押付けられたり


利用者と話し合って決めるという文化がなかったり、、、


介護される利用者は、自分より弱いもの、自分がお世話するもの
一般の社会人ではない弱者、いっちょ前のない人、かわいい対象、癒しの対象、、、などになるみたいだ




介護保険従事者、高齢者介護にたずさわる方々は、その意識を変えない限り
「団塊の世代のプライド高き高齢者」をむかえいれる事は出来ないだろうと、僕は思う

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支援者側の思い込み

2015-11-20 10:37:08 | 武久の視線
高齢者が主役の介護保険だから、いたし方ないのだろうけど、支援する側(ケアマネ、デイの相談員、介護士、療法士、、、)
介護保険従事者は、利用者と話し合い決定する、という意識が乏しい


支援する側の中にある理想の利用者像なのか?、セオリー通りなのか?、話し合うこともなく押しつけられる事が多い


ケアマネさんに「リハビリを多くして機能回復訓練、、、の方が希望をもちハリのある生活、、、」
療法士さんに「じゃ、食事場面の訓練から始めます」
デイの相談員さんに「武久さんもみんなと一緒に外出できるように、、、」


上げたらキリがない程、思い込み的な、セオリー的な押しつけが多い


僕の意思的には、リハビリに明け暮れるより、地域社会活動をやってた方が生きがいを持てる
食事訓練より、普通のパソコンが使えるようになりたい
高齢者の方と買い物出たり、他の利用者と映画を見たりしたいためにパワリハデイに来たわけではない、、、とかとか


そのつど、自分の意思を伝えて修正してもらってきたが、、、


支援者側の固定観念が強すぎる、と思った
障害者には仲まが必要だ、とか、明るく楽しく、とか、みんなで一緒に、とかとか、、、セオリーの、理想像の押しつけの介護業の現状


  利用者は一緒くたではない、人それそれに個性、性格、人生などがある  

介護保険従事者は、利用者と話しあって決める、という意識をもっと持つべきだ、僕は思う



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