武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

ケアプラン

2015-06-30 12:23:46 | 武久の視線
僕の体験として、、、
パワリハビリがしたいから介護予防のパワリハデイサービスに4年間、通っていた


のっけからデイ側の担当者会議みたいのに驚かされた
相談員が「武久さんも早くみんなと買い物や外出ができるように、、、」


元気な頃からの買い物ギライ、しかも、みんなとってじぃちゃんやばぁさんと???


当時利用していた訪問入浴スタッフから「武久さんでもパワリハができます」と言うことで
そこの系列施設のパワリハデイに通うことを決めたのに


僕のニーズを相談員は把握してなかった、連絡も何もなかったのだろうか?


パワリハデイに通った4年間
パワリハが僕のニーズであり、外出するなら森林浴がしたい、そんな僕のニーズは



僕がパワリハデイの利用を断られ辞めるまでの4年間、スタッフの統一意識として、僕のニーズが浸透することは無かった
そのもどかしさに、僕のケアプランを立てる話し合いに僕を参加させて欲しい、と言い続けても


僕のデイでのケアフランは、カンファレンスとやらて僕ぬきで決められていた
僕のケアプランなのに、僕が参加できることは最後までなかった



今になってわかるが、高齢者が主の介護保険


ニーズと言うのは介護家族のニーズが主であり、ケアマネのケアプランって、介護サービスの利用プランなんだなってこと



本人不在の介護保険のケアプランって、一体、誰のためにあるものなの? 一体、誰のケアのプランなの?と思う僕なのだ。


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存在価値

2015-06-26 15:33:51 | 武久の視線
自分の存在価値を求める


お世話をする人も同じなのだと思う
よくアニマルセラピーなんかで、動物のお世話をして必要とされてる自分の存在を感じて安心する


介護職の人でも、そんな気持ちの人も多いのかも知れない


そうだとしても、それはおかしい事でもない
人はどんな人であろうと、多かれ少なかれ自分の存在価値を求めている


会社や仲間うちでリダーシップをとっていた僕は、現役時代はさほど感じたことなかったけれど
中途障害者となり、働けなくなってからは、自分の存在価値を追い求めて来た


だから介護の仕事に、自分の存在価値を求めたとしても普通なことなのだと思う


しかし、介護の仕事として、自己満足の介護になってはいけない、と思う
あくまでも、介護される側の満足度を意識した介護になっていなければいけないのだと思う


だって介護職の人にとって、、、介護とは仕事なのだから
自己満足でやれる仕事なんてアーティスト系ぐらいしか社会にはないんじゃないのかな?




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癒し系

2015-06-24 10:03:12 | 武久の視線
デイサービスに通ってた頃によく耳にした「かわいいばぁちゃん」「かわいいじぃちゃん」
認知症の利用者の言動を「うけるぅ~」「○○さんおもしろーい」タメ口なんてあたり前


和気あいあいのフレンドリーな空間

そう思えるのは、介護する側だけなのだと思う



この高齢者の方たちはあなたたちの
かわィィ、うけるぅ~、いやされるぅ~、おもしろーい、のために生きているのではないのだ


そんな光景を見ていた不快な僕は、相談員とやらに、所長に「親しき仲にも礼儀あり、の介護じゃないの?」と伝えていたが改善はしなかった


そのフレンドリー、癒し系?、かわいい、おもしろい、、、みたいな視線が、僕みたいな中途障害者にも注がれるのにはまいった
口の周りの食べかすを指でぬぐわれたり、入浴介助の時、顔を洗いながら頬をムニュムニュされたり、、、


数人から「武久さん、だーい好き」とか、「うふ、かわいい武久さん」とか、「武久さんと会えない日はさみしい」とかとか、、、
当然、彼女らは介護視線の延長の言葉なのだが、言われた僕は、一丁前の男性に扱われた、と思い込み舞い上がった苦い経験がある




僕も、おじぃちゃんおばぁちゃんも、他人を癒やすために存在しているのではないのだ。





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覚悟

2015-06-20 12:05:53 | 武久の視線
受容、あきらめ、なれ、、、傷害に対して色んな言い方がある


願っても祈っても、泣き通してもいじけても、元どうりにもどれるはずもない
ならぬものは、ならないとは思ってはやって来たけれど、、、


受容とか「神はのり越えられぬ試練はあたえない」とか、生かされているとか、障害が教えてくれたとか
そんなピカピカな言葉で、僕は障害を飾りたくはない(子どもたちへの話しは別として)


どんなことをいっても、僕は普通に生きていたかった
しかし、それはどんな事をしても叶わぬこと、ならぬものは、ならぬこと


あとは、いじけて生きるか、愚痴っぽく生きるのか、ひがむか?ねたむか?、、、いや、そんな生き方は僕の性分にはあわない



元にもどれぬ人生ならば、腹をくくり覚悟を決め、はいつくばっても生きるしかないのだ



きれいな言葉で飾らなくとも、泥くさく、汗くさくとも、やらねばならないことをやり、僕は一度きりの人生を生きぬく!

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介護認定調査

2015-06-17 16:51:43 | 武久の視線
16特定疾患で介護保険のお世話になった僕だが
介護保険を利用するにあたっては介護度認定の更新を受ける


担当するケアマネとは別に、地区地域ケアマネが更新時、介護度認定調査に来るのだが
その三十代らしき女性のケアマネの聞き取りした後の、一問一答の質問に驚き、あきれてしまった


「ここがどこかわかりますか?」
「今日は何月何日ですか?」

(さっきまで僕と、僕が理事をするNPOの話しや、やっているブログの話ししてたのに、、、???)
一応、決まりなのかと頭をかしげながらも答えてはいたものの、、、次の質問に僕はキレた!



「深夜徘徊はありますか?」


「俺、四肢麻痺だよねぇ,、、%&#$△○×□、、、ぐぁぁぁ、、、」
ケアマネは興奮した僕にかまわずかみさんに挨拶して帰って行った


後日、認定調査の結果が届いた「介護度5→介護度4」意識がしっかりしていて手がかからないとかの理由、、、?
僕は四肢麻痺だから何をやるにしても介助が必要なのにね?


即、その当時の担当ケアマネが区部変更とかを役所に申し立ててくれ「介護度5」にもどった
カテゴリ初の、体験ビックリ、オモシロ話しでした、


まだまだあるよ、このカテゴリのネタは「介護業界の常識は、一般社会の非常識」。



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その人らしさ

2015-06-14 16:01:16 | 武久の視線
その人らしい暮らし、その人らしさを尊重するケアなどと、介護保険サービスでよく使われているれている「その人らしさ」



しかし、実際はどうなのだろう?
介護保険サービスの頂点に立つケアプランを立てるケアマネ


僕は4.5人のケアマネと関わったが、以前の僕の仕事とか、僕の趣味などは聞かれたことはない
ケアマネがひな形のようなさしさわりのないケアプランを立てて、あとは利用者(家族)から要望があったサービス業者を手配する


サービス業者も、その人がどんな仕事していたのか、どんな趣味をもっていたのか?などは聞かない
対利用者や利用者家族との会話は業務連絡をのぞけば、世間話しをしている場合がほとんど



「その人らしさ」を聞き出す意図的な会話などない
デイサービスなどでは勤務時間内、現場でスタッフ同士が利用者を無視してのおしゃべりは日常普通なことだった




利用者が認知症だろうが、脳卒中の片麻痺だろうが、頭がクリアーの人だろうが
高齢者だろうが、障害者だろうが介助を必要とする人はみな同じなのだ、それが現在の介護保険、介護サービス介護現場なのだ


「その人らしさ」へのアプローチはまったく感じない介護現場
介護サービスのキャッチコピー


心は家族、介護はプロ




確かに、介護技術はプロなのかも知れない
利用者のその人らしさのかけらも見つからない介護サービス現場



このキャッチコピーは、僕には利用者の心、精神面のケアは家族でしてください、としか聞こえない



介護職が低賃金だとか、ケアマネの提出書類が多いとか、介護報酬がどうのこうのは、利用者にはまったく関係のない事なのだ



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介護従事者様へ

2015-06-11 15:19:52 | 武久の視線
あなたの目の前にいる利用者さんは、、、


その人は元気な頃、決して介護される事を望んではいなかった
他人のお世話になることを望んではいなかった



たとえ利用者さんが認知症だろうが、四肢麻痺だろうが
高齢者だろうが、若かろうが、先天性だろうが、中途だろうが、、、介護されたいと思う人はいない


あなただって介護される身にはなりたくないでしょ
あなただって認知症にはなりたくないでしょ


介護される自分は、その人が望まなかった姿
その認識だけは持ってて欲しい


デイでスタッフにはやし立てられる高齢者や
ハイテェンションで訪問してくる介護職員さんなんかを見ていると、、、そんな当たり前の事を伝えたくなる、僕である。



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二つの受容

2015-06-10 10:31:49 | 武久の視線
障害受容、、、以前も書いたと思うが、専門職が「彼は障害を受容している、とかしてない」とか、、、
障害をもっても生きてゆく、しょうがねぇと思いながらも生きてゆく、これが障害を受容したことになるのだろう


機能的なものはしょうがねぇと受容はできた
しかし、僕の場合は重度障害、食事にも排泄にも介助が必要だ


妻を僕だけの介護に縛りたくないの思いから
数年はデイサービスにも通った、しかし僕の羞恥心が悲鳴をあげ問題行動を起した


高齢者なみに下のお世話してもらう事に、50代の身体だけが動かない男性は耐えられなかった



今の生活は、妻の介護負担の軽減を考え
訪問入浴を利用しながら、陰部を洗うのは妻が担当している



中途重度障害者の僕は、下のお世話の介護サービスは受容できなかった
身体は動かなくとも、意識がクリアーな50男は羞恥心やプライドを捨てられなかった。



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