武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

クレーマー扱い

2020-06-30 11:10:07 | 武久の視線
介護職の人に対しての当事者や当事者家族の話は
はなっからクレイムか要望である、と捉えられがちである

つまり話し合いの場が持てたとしても
ユーザーの声としては届きにくいものになっている

私の経験上でもしかり
施設のケアカンファレンスなどに意向は伝えていたものの
利用を終えるまで、当事者である私は参加できなかった

自分のケアプランが自分抜きで進められてゆく
それは不安なことだし、私には介護と言うより管理だと思えた

すでに前兆はあるのだろうけれど
団塊の世代の後期高齢化に伴い施設の利用率が上がるだろう

団塊の世代は現高齢者より自己主張が強い世代である

これからの時代
当事者や当事者家族を無視したケアカンファレンスなど通用しなくなる。




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姿勢

2020-06-26 10:59:07 | 武久の視線
四肢麻痺になってから、「障害者でも出来ること」ではなく
「障害者だから出来ること」を求め私は活動、発信をして来ました

そこには少なからずや私の反骨心みたいなものがありました
否、逆に反骨心があったからこそやって来れたのだ、とも思います

しかし今、ここに来て加齢や諸事情により想いが変化しています

私の書く詩や視線、それらって障害者になった私から見えたもの
つまりは私が障害者だから見えるもの、だったのだと思いました

私の活動や発信への姿勢が変わりました。


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私が逝く時

2020-06-23 09:55:06 | 武久の視線


私は44の時に倒れ四肢麻痺になりベッド生活を余儀なくされ
現在は61才、倒れてから退院後は妻の介護で在宅生活を送っています

近年、話題にされ始めた「縁起でもない話し」タブー視されて来た
自分が逝く時の話し、終活とか人生会議、尊厳死などの話し
私が思うに、自分らしい終わり方も大事だとは思いますが

逝く者の意思も去ることながら
送る人の意思も尊重されるべきに思います

私の妻は今現在の時点では私が逝く話題は嫌がります
そこを無理に押し通して話す気はありませんが
臓器移植とか重要な意思は何気に伝えておきたいと思います

後は、私の逝く時のなりゆきもあるだろうし
最後は妻が納得する処置でいい、私との別れに妻なりの選択でいい

そんな逝き方が「自分らしい」終わり方だと私は思っています。


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発信

2020-06-19 12:03:53 | 武久の視線
私は中途重度障害者、故に利用者とか患者
つまりは被支援者としての思いや視線の発信

それが障害者、四肢麻痺にも出来る事として発信して来た
その発信も出し尽くした感もあり、さ迷う、模索する感じだった

私の葛藤に対しての自問自答したような詩やつぶやき、川柳
以前から発信はしていたものの専門職という枠の中では付録的なものだった

今、FBグループの仏教やカウンセリングなどのコミュニティーに参加し
詩やつぶやきなどを発信していて思った

私自身も専門職枠に依存していた部分があったと
何か専門職の雰囲気に守られていたと言うか甘えがあったと

今こうして色々なカテゴリの人と接し、感じ、自分と言う者を知る
自分の感性、詩やつぶやきへの共感などを受けて自分と言う者の存在を感じる。




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映画、カラオケ、娯楽

2020-06-09 16:54:18 | 武久の視線

これは私が介護保険適用施設、介護予防のパワーリハビリの
デイサービスに通っていた頃(50頃)の話しなのだが

勿論パワリハデイの利用者は高齢者
がしかし、介護保険第二被保険者の中途障害者も数名はいた

パワリハをやり入浴をしても当然、時間は余る
高齢者は買い物とか外出企画とかレクレーションとか

中途障害の人たちは昼寝をしたり、テレビを見たり
たまに企画として映画を観に行ったり、カラオケ屋に行ったり

私はと言えば、別に真面目ぶっている訳ではないのだが
4.50歳、普通の人なら働いている時間帯だ

働けないのは致し方ないにせよ、映画、カラオケ、、、
娯楽に同行する気もちにはなれず

パワリハ以外の時間は自分で決めたカリキュラム
持ち込んだ足こぎ車いす、スタンドアップチェアー、日光浴
ボイストレーニング、ヘッドホンして音楽や落語を聞いていた

そんな姿に他の中途障害者「武ちゃん、もう俺ら楽しむしかないよ」
「武ちゃん、もっと周りの空気よめよ」パワリハデイで私は孤立していた

それでも機能回復を目指し、四年間は毎日のようにパワリハに通った
出来れば10年間はパワリハ機能回復訓練をやってみたかった、、、。



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アニマルセラピー

2020-06-04 09:50:52 | 武久の視線
今朝、頂いたコメントに
以前から思っていたことが湧いてきた

「ヘルパーさんとか医療従事者の方って、
優しいけど、おせっかいが多い気もします。」こんなコメントだった

可愛いおじぃちゃん、おばぁちゃん、とはよく耳にした
私にさえも、ほっぺを両手で挟みムニュムニュ、そんな体験も数回ある

幼児や高齢者をお世話する職業の人って
アニマルセラピー、ペットセラピーに似たような感情
お世話をしながら自分も癒される感覚を持つのだろうな、と私は思う。

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苦肉の策

2020-06-01 13:56:25 | 武久の視線
人は「何か好いことないかなぁ」と生きている
しかし自粛ムードの中には、なかなか好いことなど起こりにくい
よって退屈だとか、つまらないと言う感情に悩まされる

私の生活は退屈な時間との格闘と言っても過言ではない
そんな生活を15年ぐらいして来た私の、退屈に対する苦肉の策を伝えたい

何か好いことを求めるから退屈になる、つまらなくなる
何か好いことを求めなければ退屈、つまらないにはならない

こんな考え方もありで
自粛ムードの時期をたんたんと生きて行って欲しいものです。


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