ぶく塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

先頭にあるべきもの

2016-08-30 10:24:07 | 武久の視線
どんな人であれ「生きがい」を感じれない生活では
生きている意味が分からなくなります



治療にせよ、機能回復にせよ、その人らしい生活のケア、仕事、、、なんにせよ
患者、利用者、医師、看護師、介護士、、、誰にせよ、人はみな生きがいを求めます


目先の業務、目的、専門スキル、人間関係、生活に追われるのは常ですが
一番先頭にあるべきものは「生きがい」


自分自身の生きがい、関わる人たちの生きがい
ケアとか、支援とか言い回しはどうであれ


生きがい探しのお手伝い
生きててよかった、長生きしててよかった、のお手伝い



ケアされる側も、ケアする側も生きがいを感じられる
介護業界の未来だったらいいと、僕は思います




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中途障害者

2016-08-20 11:16:52 | 武久の視線
僕は中途障害者として障害を受容しているらしい、、、
らしい、、、と言うのは、僕と関わった専門職の人の見解であって、僕自身は障害を受け入れた気はない


のり越えた気もしてない、別にのり越える意識がなくとも生活はしていかなければならないから
ただこの不自由、退屈、世間とかけはなれた生活に、いかに生きがいを感じられるか
と、試行錯誤の日々だった気がする、否、この先も逝くまでそうなのだとも思う


そんな僕の心もちは置いておいても、、、


中途障害者を支援している専門職の人たちは
武久さんに会ってもらいたい中途障害者の方がいるとか、同じ中途障害と言う境遇だから話が合うかも、とか


相手の意思も確かめず自分の思い込みを話しする


中途障害者だって人それぞれ、僕自身、人見知りするタイプだし
相手の方だって他人と比較されるようで嫌な場合もあるし(僕は他人と比べられるのは大嫌い)


なんか同じ中途障害だからとか、同じ寝たきりだからとか、、、話しが、気が合うのでは?

支援する人たちは、同じ職業だから、同じ会社だからと言いうだけで
誰とでも気が合い、話が合うのだろうか?そんな事はないだろう 


「支援している」言う考えは、そんな一般社会では極普通な事すらを見えなくしてしまっている、と僕は思う。





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