武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

生きててよかった

2015-07-23 12:06:25 | 武久の視線
僕は意識不明から意識がもどり、動けない現実がわかった時、生きててよかったとは思えなかった


その時に気がついた! 
人は生きている、命がある、というだけじゃ生きててよかったとは思えないんだな、と、これは高齢者にも同じなのだと思う


確かに、医療が進歩し人の寿命も延びた
それに伴い高齢者の一人暮らしや、老老介護なども増えた



寿命が延び、命があり生きてさえいれば、幸せなのではない
生きててよかった、長生きしててよかった、と思えるには心が共わなければ思えない


医療にせよ、介護にせよ
命さえあればいい、介護されながら生きていればばいいと言う時代ではない


逆に、長生きなんかしなければよかった、他人の世話になりながら生きてても、、、


懸命に子を育て、懸命に働き、年老いて要介護の高齢者になったとしても
生きててよかった、長生きしててよかった、と思える介護保険、介護保険サービスであるべき


要介護者を、ますます惨めにさせる介護保険、介護保険サービスであってはならない。


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介護保険は、誰のためのもの?

2015-07-17 15:04:21 | 武久の視線
介護保険の専門的な事など知らないし、調べる気もない僕なのだが、、、


僕が体験した介護保険業界では、ケアプランでも介護サービスでも、介護家族の負担軽減が主軸に語られる
要介護の高齢者や、第二被保険者は単なる介護対象者、話し合いなどでも蚊帳の外の感じがある


介護保険の被保険者となった時点で、社会人ではなくなるみたいだ


確かに、介護する家族は大変なのはわかる
しかし、介護家族の負担軽減を先頭に掲げるのはおかしい、



介護保険利用者は、家族の負担になる存在と言わんばかりである
僕は思う、介護保険って誰のためにつくられたものなのだろう?


子どもたちのために学校が、国民のために国会が有るように
介護保険利用高齢者本人や、介護保険第二被保険者本人のために介護保険はあるのだろう



介護家族や、介護保険従事者のためにある介護保険ではない


その人らしい生活、その人らしいケア、利用者本位、、、などを目にするたびに
介護保険の建て前や理想と、現実の差に呆れて無気力になる僕なのである。

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身近な遠い世界

2015-07-12 10:50:17 | 武久の視線
教育、医療、福祉、介護、、、介護は親の介護、自分の老後
ほとんどの人が人生で関わりをもつカテゴリだ


教育、医療などは社会的にメジャーなもの、しかし福祉や介護って、、、


僕も、仕事に趣味に、娯楽に、と働き盛りの頃は
「介護保険料と言う給料天引きが増えってさ、小遣いにひびくなぁ」とか


社協?(なんかの労働組合?)、、、ケアマネージャー?(なに部のマネージャー?)その程度
一般の社会人にとって福祉とか介護とかは、その程度の認識しかないのだ



いずれ身近になる世界なのに、すすんでは考えたくない、なったら考えればいい
という、確実に身近な問題なんだけど、遠ざけている、考えたくない世界、「人はいづれ必ず死ぬ」と同じなのか?


近年なら、福祉学習やボランティア体験などで、子どもの頃からなんらかの知識や体験をもつ場面がある
しかし、今の社会の主軸なる人たちは、年代的に福祉学習とか、総合学習などを体験せずに育った世代


それをどうのこうのしよう、こうしなければ、の話しではない



ただ福祉従事者、介護従事者の人たちに
日本の民主主義も、福祉の歴史も、介護の歴史も、介護保険などもまだまだ日は浅く


みんなが今、やっている仕事に問題意識を持ち、進まねばならないのだと思う。

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心のケア

2015-07-08 12:32:50 | 武久の視線
「心のケア」、、、目にはするようにはなったが、介護保険の利用者として実感することはない



あいも変わらず介護生活を苦に起こる事件
そのたびにとりただされる関わりあい、近所づきあい、近所づきあいは個人差、地域差はあるものの


介護保険を利用しているのなら、必ずや月に1回はケアマネが訪問するはずだし
何らかの介護サービスを利用しているのなら、その職員とも接点はあるはず


そんな環境の中で何故?孤立してゆき、自死、心中まで至ってしまうのか?


この生活を体験している僕らはわかるような気がする
介護保険内でアセスメントとか関わり合いと言っても、内容は世間話しなのだ


こちら側から心配事や悩み事を口にしない限り
「最近どうですか?困ってる事や、悩んでる事などないですか?」などと聞かれたことはない


利用者側から想いを伝えない限り、見落とされてしまう辛い想い、苦しい想い
介護保険内にカウンセラー機能はなにもない


身体のケアだけで、その人らしさは保てない


「心のケア」、、、耳ざわりのいいことばだが
介護保険の中では、僕は 絵に描いた餅 にしか見えない感じない。


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人権

2015-07-04 15:35:34 | 武久の視線
一番最初に書いたが、僕は


 人の命を守ってくれるのが、、、医療
人の人権を守ってくれるのが、、、福祉
 
だと思っているが



その人らしさのケアとか、尊厳のある介護を、、、とか唱えつつも
介護現場では拘束や虐待じみた介護行為や、終いには暴言、暴力と、、、完全なる虐待


家族でも文句つけようなら、文句があるなら、どうぞ入居利用者さんは出て行って下さい、みたいな施設もあると言う
施設不足、介護の人手不足にかこつけて、どんどん介護の質の低下と言うか、利用者の人権すら犯す介護現場

だからと言って介護職をどうのこうの言う気はない
むしろ、真面目に一生懸命、低賃金、人間関係のストレスなどを抱え介護をしている介護職が多いのだから


しかし、現実問題としてどこの施設、どこの事業所にもある介護の質の低下問題
これだけみんな現場では感じているのに


経営者や管理職、責任者、役職なんかは、あいも変わらず認知症についてどうのこうのとか、オムツ外しが、、、とか
水飯糞運動とかとか専門的な事を学び、自分の理念や知識などに自己満足している


介護現場では、高齢者の人権すら守れてないのに!



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美談?感動?

2015-07-02 11:59:22 | 武久の視線
マラソンランナーを観てて感動した、根性エピソードに胸うたれた


いい話である、素敵な話しである、しかし、それは一般人から見た場合
同じマラソンをやってる人やコーチ、トレーナー、関係者なら見かたが違ってくるだろう


ぺース配分、給水タイミング、フォームの変化、、、これらが専門的視線なのだ





さて、この業界になると、ケアマネはじめ介護職の中にも


「素敵なご夫婦、前向きなご夫婦ですね」とか「武久さんは素敵です」
「武久さんは受容しててすごいです」とかとか、、、


いや、そう思われるのが嫌なのではない、他人がどう思うのかはその人の自由なのだから、、、



しかし、当事者たちは必死なのだ、辛い、大変だなんて言わなくとも楽しくも楽でもない
汗まみれ、涙まみれに毎日を生きている、生きていれば普通の人だってそうなのだと思う


専門職なのに、一般的視線しか持てない人が多すぎる
そういう人に限って「決まりですから、、、」などと、変な所にだけ専門職風をふかせる傾向があるみたいだ。





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