武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

臨死体験⑤

2022-08-31 07:28:18 | 武久の視線


窓の外には転院用のヘリコプターが待機中
僕はコンビニの弁当になり毎日、妻が買ってくれて安心をしていた

見舞いに来てくれた姪は山の神社の巫女として登場
看護師さんたちは小人になって毎朝、列を組んで行進していたり、、、

目に映ったものや人物が変換され僕の混濁記憶に
健康な脳の機能の重要性をあらためて感じる経験だった




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臨死体験④

2022-08-30 07:05:43 | 武久の視線


1、2週間で目を開けたらしいが覚えてはいない
まぶたを開き眼で妻の動きを追っていたらしい

僕の記憶では韓国の病院にいた
松と青空が見え病室は淡いピンク色

この頃から目に映ったものが夢として記憶に、、、
意識混濁の摩訶不思議な世界がひと月ほど続くことになる






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臨死体験③

2022-08-29 06:59:28 | 武久の視線


丸石のゴロゴロした河原、暗い空だった
浴衣を着た義父がいた、若くして胃がんで逝った義兄がいた

慕っていた兄が言った「あきお、お前が来るのはまだ早い」
よく生死をさ迷った人が語る、いわゆる三途の川なのだろう

この光景は脳の酸欠状態で表れやすい光景なのか
死の手前なのかは見て来た僕にも分らない。





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臨死体験②

2022-08-28 09:20:48 | 武久の視線

診察台の上、強烈な睡魔に寝落ちした
山の中の神社にいた、床に寝むり枕辺には妻が座っていた

僕は別に信者ではないのだが
僕の住む山形の庄内平野は出羽三山信仰の郷だ

そこからが僕の夢見の始まりだった
あのまま目覚めなければ永眠と呼ばれたのだろう



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臨死体験①

2022-08-26 07:31:22 | 武久の視線
救急車で病院到着
聞こえるストレッチャーの走る音、看護師さんの呼びかけ

診察台に移される
医師が意識確認のために親指の爪の付け根を刺激した

僕は(痛ッテー!何すんだコノヤロー)
その痛みが多分しかめっ面になり医師に伝わったのだろうか?




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武久塾の発信

2022-08-25 07:24:30 | 武久の視線
武久塾で僕は、患者や利用者の気もちとか
中途障害者や当事者の心理などと発信をして来ましたが

最近、気づかされた
武久塾での発信は、あくまでも僕個人の視線や気もちであること
専門職の方が学んで来たことやセオリーなどには当てはまらないこと

そんな武久塾の発信は参考になる方にはなるし
人によっては(何言っているのかな?)となるのだろう。




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看護介護

2022-08-24 07:31:09 | 武久の視線
人は体と心とで出来ている

看護とはその人の治療の一部
介護とはその人の生活の一部


看護、介護
患者や利用者の体と心とのふれ合い、関わり合い
患者や利用者の人生物語りとのふれ合い、関わり合い

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僻みや妬み

2022-08-22 07:37:30 | 武久の視線


患者や利用者の生活は当然、明るく楽しい生活ではない

明るく元気に楽しそうな人たち(映像であれ)を目にすると
眩しく感じたり、そこに僻みや妬みが生まれることは多い

これは一般の人にも言えることだが
自分が辛い時などは周りの人たちに僻みや妬みを抱くことがある

患者さんや利用者の前で明るく元気にふるまう
そんなスタッフの心づかいが、逆に患者や利用者を辛くさせることもある。




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ありがたいこと

2022-08-21 11:47:17 | 武久の視線
僕自身、44歳で死にかけたのだが
還暦も過ぎ歳を重ねると知人の悲報を耳にする機会が増えた

死が身近になったと言う感じより
死ぬことへの確信と四肢麻痺とて老いれることへのありがたさを覚える

エイチジングとか若返り、健康寿命とか介護予防とか
老いることへの反発、抵抗的な発想が主流の現代だが

きちんと老いを受け入れ、どんな状態であれ
無事に老いれることはありがたいことなのだと自覚、受け止めて生きてゆきたいもの、、、。




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なりゆき

2022-08-18 07:06:36 | 武久の視線


自分が死ぬとか自分が老いて介護を受けるようになる
そんなことは想像もできないし、考えたくもない

どうせ人間いつかは必ず死ぬのだし
他人の世話になるまで長生きしなくてもいい

そんな風に思う人は多いのかもしれない
いや、この僕も受傷する前はそんな風におぼろげに考えていた

働き盛りに脳幹出血に倒れ危篤状態に、それから20年近く経つ
その流れの中で感じたことは、全てはなりゆきだったような、、、

考えたくない人はべつに考えなくてもいいと思う
終活や人生会議などに「なりゆき」と言う選択肢もあってもいいと僕は思う。






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