武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

書く

2020-04-28 08:50:26 | 武久の視線
このコロナ騒動でみんなが自粛生活疲れをしている、と言う

私は四肢麻痺になってからは必然的に自粛生活みたいなもの
その体験や、その生活から生まれた考え方などを綴ってゆこう

この生活の一番の敵は暇や退屈、忙しいのも大変だが
暇や退屈さは、重く心に圧し掛かって来る感じのもの

その暇や退屈さを打ち消してくれるもの、、、それは夢中
私の唯一麻痺しながらも動く左手、左手のリハビリをしてPCを覚えた

PCで詩や文章を書いてブログやフェイスフックで発信した

時間をかけ考えながら書き、数日をおいて読み返し、直したり
特に詩は一字に拘ったり、迷ったり手をかけ創った

そして書き終わった時、手をかけた分、達成感と言うか
自画自賛と言うか、夢中になると時間はあっという間に流れる

貴方もこの自粛生活で詩とか俳句、はたまた自分史的小説など
書くことに挑戦してみたらどうでしょうか?

思案六法したり自問自答しながら書くことは夢中になり楽しみになる。


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新たなる視点

2020-04-25 11:00:40 | 武久の視線
武久さん、返信ありがとうございます。
フェイスブックも拝見しています。
少し心が疲れてらっしゃるように思いましたが、いかがでしょうか?

確かに社会全体がコロナ疲れが心の域にきているのを実感します。
当方もずっと自宅自粛中ですから、ストレスもたまり気味です。

これって要介護の方と心理的にはとても近いのではないかと。
とくに施設に入所する要介護者の気持ちに近いのではと想像したりしています。
その意味ではリアルに語れる武久さんはとても貴重な存在です。

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とは、今朝開いたケアマネ業界では著名な人からのメール
色んな方から気づかされた、今はみんなが自粛疲れ

自粛生活で過ごす暇や退屈や、葛藤、ストレスなどと闘っている
夫婦仲も共にいる時間が長くなりギクシャクして来る、とか

長い間それらと対面して来た僕ら夫婦の生活

今、そちらに視点をずらして
僕の体験や考えたことなどを、ここで発信して行こうと思う

専門職に囚われることなく、みんなと共にコロナ自粛生活を乗り越えてゆこう!

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コロナ騒動

2020-04-24 15:39:53 | 武久の視線
僕は44歳で脳幹出血に倒れ、四肢麻痺となり
退院後、自宅のベッドで妻の介護で生活を始め
意思伝達装置で体験や詩を書くことを覚えた

その後、訪問リハビリでパソコン操作を訓練
麻痺しながらも動く左手でマウス操作
指一本ひらがな入力でキーボードを打ちネットも出来るようになった

自宅で生活が始まった頃から、僕の社会的存在って?
僕に出来る事って?と2,3年ぐらいは考えたのだろうか

出した結論は「障害者だから出来る事」だった
子どもたちに障害を見てもらい体験談を聞いてもらったり
医療や介護関係者に当事者、利用者の視線をネット発信する

そんな想いで地域福祉学習の「心の授業」をやったり
ネット活動としてブログやフェイスフックをやって来た

しかしながら、このコロナ騒動で当然「心の授業」どころではない
ネットの発信もコロナ情報や対策が殆んどになった
僕も不要不急の者となった、否、愚痴ではなく僕も自粛を、と自覚する

四肢麻痺となってから、やれることはやり切った感もある
還暦を過ぎ、夫婦ともども体力と気力の衰えも感じる

コロナ終息までは、最短でもあと一年以上はかかると思っている
僕の「障害者だから出来る事」も、これを期に終止符、、、と思う。


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生きている

2020-04-01 13:32:54 | 武久の視線
僕は禅とかアメリカインディアンの精神とかが好きで
たまには本などを買い読んではいたが、僕は無宗教だった

キリスト系の人だと神は乗り越えられない試練は与えない
「神様は武久さんを乗り越えられる人だと、、、」

仏教系の人であれば
「武久さんは生かされたのですね、感謝ですね、、、」

哲学的な人なら
「生きている意味は何なのだろう?武久さんにも助かった意味が、、、」

一般の人が
「武久さん、死ぬこと以外はかすり傷ですよ、、、」
挙句の果てに
「武久さんはまだいい方ですよ、僕はもっと大変な人を知っています」

僕は試練を乗り越えたつもりもないし、生かされているとも思わない
生きている意味も要らなければ、四肢麻痺をかすり傷とは思えない

ただ、44で倒れ意識不明から、家内と必死に懸命に生きて来た
そして今は、ただ淡々として毎日を家内と共に生きている

「長生きしような」と生きている。




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