武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

老もう

2017-10-27 11:21:28 | 武久の視線
「老もう」と言う言葉を知った
もちろん専門的なことは分らぬ浅い知識なのだけれど

僕の疑問を晴らすには十分な言葉だった

シルバー世代おいては、介護されることに強く嫌悪を示していたのに
なぜ老いてゆく段階では普通に介護を受け入れてゆくのだろうか?

老いてゆく、、、どんな心の変化があるのだろう?
五十代の僕は、あれこれ想像するしかなかった

そんな矢先に出合った「老もう」という言葉

老いてゆく段階で身体機能の低下はもちろんのことながら
殆んどの人は脳の機能も低下してゆく、思考力や記憶力なども低下してゆく

死に対する恐怖や、介護されることによるもろもろの感情、葛藤
そんなものが老もうによって緩和されてゆくのだろう、と思えた
ただただ、時の流れに身を任せ老い、そして逝く

ならば、老いに心の準備など要らないのかも知れないが
老い、病になり思考などが鮮明ながら介護を受けるようになったり

身体機能は低下しても、脳の機能は低下しなかった方や
介護する側の方の参考にでもなれればと、このカテゴリを僕は書き続ける。




(写真提供 「風の記憶」

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分からない!

2017-10-19 16:33:50 | 武久の視線
僕が脳卒中に倒れ、四肢麻痺となり15年あまり
普通に送ってきた結婚生活と、この在宅生活とが同じ長さとなる

まっ、それだけの話しなのだが
倒れてから今に至るまでに一番、僕ら夫婦が感じた事といえば

「人はその立場にならないとわからない」ということ

患者さんをいつも診てるお医者さんが
病にかかり、病人となりあらためて患者の気持ちがわかったり

災害にあった被災者の方が
災害前の普通な暮しがどんなに幸せな生活だったのかと気づかされたり

だから僕が語る「老い」と、実際の老いるということは違うのかも知れない
しかし、老いて寿命を全うし逝くまでの道のりの中で

運動機能の低下により、他人の介助を受ける生活になったり
病気などの悪化で寝たきりの生活になるかも知れない

僕はまだ老いてはないが
自分で出来なくなった歯がゆさや情けなさ
他人の世話になる心苦しさや申しわけのなさ

寝たきりの生活になった時に生まれてくる感情や葛藤
そんなところを僕は体験、経験している

僕は本当の「老い」は経験してはいないけれど
今までの倒れて四肢麻痺となり経験してきたことが

これから老いを迎える方々の少しでもお役に立てたら、、、と
必ず老いてゆき、いつかは必ず死を迎える僕は思う。



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新カテゴリ「介護をうける心もち」

2017-10-12 09:17:05 | 武久の視線
私は五十八歳、まだ老いを考えるには若い
しかしながら介護度5と言う生活全般に人のお世話になっている現状

シルバー世代の人たちは言う

「俺の人生、太く短くだよ」
「他人の手がかかるまでは長生きしたくない」
「シモの世話までされるくらいなら死んだ方がまし」

漠然的ではあっても「死ぬ」と言う事実は受け入れている
しかし、こと介護を受ける、ということにはどうだろうか?
殆どの方は介護には否定的、ピンピンコロリと逝きたい願望


しかし願望に反して
殆んどの人は死の前に介護される、人のお世話になる時期がつきもの

老いて死ぬことと、老いて介護されるということは一体、セットなのだ

そこには、他人からやってもらう心苦しさや
自分で出来ぬ歯がゆさや情けなさ
シモのお世話をしてもらう恥ずかしさ、、、

色々な葛藤が生まれる
それらの感情、葛藤をのり越えていかなければ
自分らしい死に方や、穏やかな死に方などはないのだ

僕は今ここに、介護を受ける気持ちを「介護をうける心もち」として記して行こう



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