武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

最初のボタン

2016-09-13 15:58:12 | 武久の視線
「あなたは介護されたいですか?」
「あなたはリハビリしてみたいですか?」
「おなたはケガとか病気で入院したいですか?」
「あなたは他人のお世話になりたいですか?」


100%の人がNOと答えるだろう
医療従事者、介護従事者、福祉従事者、、、支援する立場の人たち


その志の中に「他人から感謝される仕事をしたい」
「ありがとう、を言ってもらえるお仕事がしたい」「他人助け、、、」


その志にあやをつけるつもりない
が、しかし感謝されたい、他人の役に立ちたい、他人助けをしたいなどの思いは
支援する側の思いであって、支援される側は

支援を受けることは自分の本意ではなかったはず


あなたの目の前にいる患者、利用者、被支援者、、、の人たちは
今の自分は、自分が望んではいなかった姿、自分にとっては惨めな姿なのだ


だから何?って話だけれど
そこらを認識して支援する方と、認識していないで支援する方とでは
ケアとか関わりの中で大きな差として表れてゆくと、僕は思う


  最初のボタンをかけちがえると、全てのボタンをかけちがうように。  



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かわいそう、、、

2016-09-06 15:26:14 | 武久の視線
「かわいそう」には思いやりのかわいそうと、さげすむかわいそうとがあるのだろう


最近のニュースに出てくる集団いじめの果ての殺人
親たちがわが子を虐待死させる
身勝手な言い分の通り魔的殺人などなど、、、

他人を、相手を思いやれる気持ちの欠落、身勝手な自己中心

著名な学者や古くからのことわざに
人は3歳までに感性などが形成されるみたいな話がある
幼児期、他人などを思いやる「かわいそう」という感情の発芽があるか?ないか?では

大人への成長段階で、他人を思いやれる感性などに大きな差が出る気が僕はする


紙芝居ボランティアや福祉学習などで僕と関わった園児や学童などが
「たけちゃん かわいそう」と言ったときなど、僕は(やったぁ)と嬉しくなる


子どもたちにとって「かわいそう」と思える事はとても大切な事
否、老若男女、他人を思いやれる「かわいそう」という感情は
こんな現代だから、とても大切な気持ち、感情なのだと僕は思う


僕と関わった人が、僕を「かわいそう」と思ってくれたなら
それだけても、僕の社会的存在価値があった気が、僕はする。




(写真 介護フォトライター 野田明宏)

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