武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

なじめないもの

2015-05-30 09:21:45 | 武久の視線
中途障害者になって感じたこと


●仲間づくり

元気な頃からやたら仲間をつくるタイプではなかった
同じ趣味だったり、うま(人間性)があったり、、、同じ仕事、職場だから仲間づきあいをするタイプではなかった


しかし中途障害者、障害者となると、それだけで仲間づくりに参加させられたり、同じ思いなんだと決めつけられる


僕は被害者意識の強い中途障害者、障害者なのだから特別扱いされてあたり前、先天性障害者より中途障害者の方が偉い
なんて語る中途障害者は仲間なんてとんでもない、おつき合いしたくない


人生の中年までは普通に生きてこれて、脳卒中などの病気から命が助かったのに、なぜ?不幸の代表者みたいになれるのだろう
進行性の病気の人や、幼くして旅立ったしまう魂たちに、お国の為に散って行った御霊に、、、なにも思わないのだろうか?


●なぐさめ合い


弱者同士でも、健常者同士でなんの根拠もない「だいじょぶ、だいじょうぶ」とか
「いつか必ず願いがかなうよ」「お祈りしてます、応援しています」とかやたらと言う人


気休めの言葉に依存しているブログ仲間や世間


自分の人生、自分でどうにかするしかないのだ
宇宙の法則でもスピでも、なんとかパワーでもない、他力本願ではないのだ


なにかのせいでも、誰かのせいでもない

自分の人生、自分の責任で生きていくのだ、僕は。



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ベッドの上にて、、、

2015-05-22 09:27:26 | 武久の視線
僕の日常はベッドの上、寝ているか? パソコンしているか? テレビを見ているか? だいたいそんなものだ
介護する妻は、僕の介護以外の時間は畑仕事だったり、家事だったり、、、


僕の生活は、時間に追われることなく、必ずやらなければならない事はなく、お金にふれることもない、最低限の人間関係、、、
この生活を、孤独な時間が多い退屈、暇な生活とも言えるし、痛みや進行する病気もなく安定した平穏な生活とも言えるのだろう



ないものねだりが人の常なのだが、、、今の生活をどう感じるかは本人次第なのだ



この浮世ばなれした四肢麻痺のベッドの上での生活
確かに心の浮き沈みはあるものの、僕には山の上の別世界に居るような気がして、、、


アウトドア、森林浴、静寂、街より里山、海、渓流釣り、、、などが好きだったやんちゃ親父だった僕には
耐えられない空間でもなく、どちらかと言えば心地よささえ感じることが多い孤独感と退屈さなのだ


そりゃぁもちろん、元気で現役の生活が、一番いいんだけどね。。。




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社会的存在価値

2015-05-19 10:31:53 | 武久の視線
社会的存在価値、、、健常者だった頃は考えたことなどなかった
仕事をして生計を立て家族を養う、それが大黒柱としての条件でもあり、社会での位置でもある


44で倒れ、無我夢中の入院生活も終え、在宅生活も一段落した頃
部屋の窓から見える通勤する車の流れを見てて思った


(家族的存在価値はあるのだけれど、、、
なんの生産性もなく、なんのやくにも立たずに介護保険や障害者年金のお世話になっている、俺って社会のお荷物的存在なんだよなぁ)と、、、


目いっぱい働き、定年をむかえ残りの人生を楽しむ、そんな生活でも気持でも身体機能でもない
ベッドの上での生活、、、そんな僕に社会的存在価値などある訳がなかった


でも、昔からの負けず嫌いの目立ちたがり屋
障害者になったからといって性分や人間性が変わるわけでもなかった


体験冊子を書いたり、詩集を書いたり、ブログ発信したり
オリジナル紙芝居の読み聞かせに妻と出かけたり、地域の福祉学習のお手伝いをしたり、、、


中途身体障害は、その人の生きてきた性分や人間性までをも変えることはない



一時的にひがみが強くなったり、自暴自棄にはなっても、その人の根本的なものは変わらない、いいとこも、悪いとこも。





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イメージ

2015-05-01 11:27:36 | 武久の視線
介護生活、、、介護家族の負担軽減を唱えるケアプラン、市の制度、テレビ番組など
介護する人は大変、辛い、ゆきづまる、孤独、、、そんなイメージが世の中にできあがっている


確かに、認知症のお舅、お姑さんなんかを介護する場合には想像もできない苦労があるのだろう
そこを否定する気持ちはない、がしかし


僕らの在宅介護生活に、世間一般の介護生活のイメージを押しけられるのは困ってしまう
ケアプランの時点でも介護者の負担軽減、親戚縁者の妻へのねぎらい「がんばるはね」「大変ねぇ」


病院や介護施設などでは「ぶくさん、奥さんに感謝してね」
そんな時、俺は思ってしまう(別にあんたから言われることじゃねぇし)


かみさんは必用以上に「大変でしょ」とか「よくやってるはよね」みたいに言われることをきらう
生活していれば誰しも大変なこともあるだろうし、生活のためみんな働いているんだし


私は夫婦で生活するために、お父さんの介護をしているんだし
それに一番大変なのは、がんばってるのは、動けないお父さんなんだから
、、、
と言う


俺は妻に言う



「この生活、誰にもわかりはしないよ、わかってほしいとも思わないしね
俺とお前だけがわかってるんならそれでいいよ、なっ!」とね。




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