田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

47年前の夏旅行(2019/6/27)

2019-06-27 14:28:00 | 農園巡り
昨日から、断続的な雨。
これで畑の野菜は勢いを取り戻すはず。
畑に出かけることもならず、一日家でゴロゴロ。
本箱にあった、同志会という私が大学生の頃暮らした学生寮の会報(冒頭)に、寮生として寄稿した夏休みの旅行記事を読み直しました。
私はこのとき、23歳、翌年の春には、北九州の住宅設備機器のメーカーに就職することが決まっていた。
 この春、47年ぶりに訪ねた八ヶ岳山麓の日野水牧場や、山形の山の中にある高校、山形基督教独立学園(広い敷地内に畑があり、牛も飼っていて生徒が世話)、大阪の芦屋にある三田谷治療療育院(ここにも広い畑があった)の先輩の仕事振りを見物に行ったときの思い出話。
 47年たった今も記憶が鮮明で、竹田農園で健康野菜作りに汗を流すときの、励みになっていると思ったことでした。下のような内容。


夏旅行 (1972年同志会 会報)

今年の夏休みの前半、二十日ほど、日本の中央部(北は山形・南は四国)を行ったり来たりしてきた。懐かしい思い出もあれば、話したくない思い出もある。懐かしい思い出、二、三。
七月十八日~二十日。同志会を昭和12年に卒業され、農林省の役人として将来を約束されていたにかかわらず、戦後、開拓農民として、八ヶ岳のふもとで、高地農業に従事しておられる、日野水一郎先輩の牧場に、長網兄と行く。「私は農民であり、実際家である。私はこのことを誇りとしている。」と言われる日野水先輩。乳牛二十頭の為の干し草作りに大忙しの頃。抜けるように青い空。八ヶ岳の威容。
軽井沢、甲府、尾鷲とほっついた後、大阪へ。
七月二十七日。同志会を、昭和八年に卒業され、建設省で、銚子港建設等に携われた後、奥様の父上の後を継がれ、現在、芦屋市内にある、三田谷治療療育院という精薄施設の責任者として活躍しておられる、飯島十郎先輩を、小西兄と伺う。どっしりして、悠々迫らぬ先輩。園児の作った花瓶。学校畑。人懐っこい園児。寿司のおごりにあずかった後、失礼する。
東京にひとまず戻り、その後、山形の飯豊山に登り、帰路、基督教山形独立学園に。
八月三日。昨年六月、河野兄と学園に来て以来、一年振りで、学園の鈴木先生とお話しする。河尾兄といっしょ。真理を求めて止まない、そのために、この山奥に来て、教育に半生を捧げる鈴木先生。学園に、夏休みを利用してやってきた、小生と同年輩、または、やや若い学園OBの皿洗いに口ずさむ歌が、やがて、同志会メンが、クリスマス前、半月間特訓をやっても、まだ実現出来ぬ、見事なハーモニーとなる。昨年、支払わずに来た、食費、宿泊費(一泊三食六百円)をついでに支払って後、学園を後にする。
今回旅行でお会い出来た三人の先輩(鈴木先生は同志会の先輩ではない)は、それぞれ、ご自分の天職を見出しておられる。小生も、自分の天職を見出したいという願いがあったので、これらの三人の先輩との何日間かが、特に印象に残っているのかもしれない。小生にもいつか自分の天職が示される時が来るかもしれない。その時、この夏の三人の先輩との何日間かが、小生を何らかの形で、力づけてくれるものと信じる。
追記・・現在特に印象に残っている事、人間のよく出来た女性を生涯の伴侶とすべし。
   三人の先輩とも、素晴らしい奥様がついておられ、内助の功、少なからずと見た。
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