温故知新~温新知故?

音楽ネタが多いだろうけど、ネタのキーワードは、古きを訪ねて新しきを知ると同時に新しきを訪ねて古きを知るも!!

「乙武炎上」があったみたいですね~皆日本人の特異性をもっと認識したほうがいいのでは~

2013-05-25 16:16:56 | その他
ツイッターから距離をおいて、1年ぐらい経つけど下のようなことがあったようですね。
この記事は、この炎上した内容がどうとかこうとかとは述べていない。日本の価値観は独特のものもあるよ、それを認識した方がいいという内容だ。これは私も常日頃感じる日本だけかな?と思わせる日本の特異性だ。日本にずっと暮らしていると気が付かないようなことが海外に長くいるとよく見えてくる。
「乙武炎上」にみる、日本人の不寛容さの理由:日経ビジネスオンライン
“今日は、銀座で夕食のはずだった。???というイタリアンが評判よさそうだったので、楽しみに予約しておいた。が、到着してみると、車いすだからと入店拒否された。「車いすなら、事前に言っておくのが常識だ」「ほかのお客様の迷惑になる」――こんな経験は初めてだ。
 お店はビルの2階。エレベーターはあるが、2階には止まらない仕組みだという。「それはホームページにも書いてあるんだけどね」――ぶっきらぼうに言う店主。「ちょっと下まで降りてきて、抱えていただくことは…」「忙しいから無理」「……」「これがうちのスタイルなんでね」以上、銀座での屈辱。”

下に、なるほどと思った部分を引用する。
下は、そう、日本人ってきれい好きが昂じてか、一色に染まりやすいというか、他に対して不寛容になりやすいですね。大体、ツイッターなどですぐ炎上する。
しかし、今回の一連の騒動では、そこかしこで当事者でない私たちの不寛容さが散見された。入店を拒否した店長を罵倒する人にも、乙武さんを責める人にも、そして、自身のTwitterで脊髄反射的に外野の人々の不寛容を批判した私自身にも。
 この不寛容は、一体どこからやってくるのだろうか。

下の英国でのエピソードは私も具体的には覚えていないけど、そうだろうなと思う話だ。フランスで日本人あるいはアジア人である私に、フランス語でアンケートに答えてくれと話しかけてくる感覚もそうだろう。
一般人の思いやりで成り立つノーマライゼーション
 最近ロンドンによく行くのだが、同じような出来事がロンドンであっても、こんな騒ぎはそもそも起こらなかっただろう。
 
 車椅子の人が周囲の人に助けを求めて、周りの人が当然のように「いいよ」と言って階段の上まで車椅子の人をお店にまで連れていく。帰りは帰りで、お店の人が「どなたか、彼を下に降ろしてくれませんかー」とお客さんたちに声がけして、2、3人がすぐに「喜んで」とボランティアを買って出て、車椅子の人を下に運び出す。

これは別にロンドンに限った話でなく、ヨーロッパの多くの都市でも同じことのようだ。
(私の追記:日本では)階段の昇り降りで手伝おうとする人が少ないので、駅員や駅の設備がノーマライゼーションの役割を果たしている。一般人の思いやりでノーマライゼーションが実現されているような都市とは対照的だ。

日本は、本当に単一民族国家なんですよ。日本人って、そこからくる特殊な価値観を持っていることは意識したほうがいいと思う。
何が思いやりをつくっているのか
では、何が思いやりと寛容の土壌になっているのだろう。一言でいえば、余裕と多様性ではないだろうか。

私は、2011年、約1年間東京で通勤生活を体験したが、池袋駅の人の多さは異常であった。池袋はまだマシで新宿はそれ異常。あの人の多さを異常と思えない特殊な価値観を意識しないといけないでしょう。私は大学まで東京でその後37年くらいは浜松という地方都市生活だったから、昔の東京での通学生活との対比を感じられるのかもしれない。ずっと東京に住んでいる人はその異常性に気が付かないでしょう。
新宿駅はJRと私鉄併せて30ホーム、ウォータールー駅は19ホームであり、ホーム数あたりの利用者数は新宿駅が13万人であるのに対し、ウォータールー駅は1万5千人と、約9倍の差がある。実感ベースでも言えることだが、日本の駅は圧倒的に混んでいるといえる。

ほう過労死は、そのまま通じる日本語なんだ。ホント日本は働き過ぎ。今いる会社では、中国人は休日出勤は年中しているけど、残業は基本的にゼロだ。
例えば過労死。この言葉は、英語圏ではそのままKaroshiという言葉になっているが、それは、過労死をする人間がそもそもいないからだ。ヨーロッパで過労死の話をしたらとても驚かれる。「なぜ家族のために働くのに、死ぬほどに働くのか」と。

定量的に比較することはできないが、実感ベースで 日本の労働環境は、決して余裕があるものとはいえないし、それが人々を「思いやりのない人」「寛容でない人」にしているのかもしれない。

下のまとめのような一節は、なるほどなあと思う。
同質性の高さと同調圧力
 また、思いやりは「身につまされる」経験からやってくる。すなわち、「自分も似たような経験をしたことがあるな」ということを思い出し、目の前にいる人の苦労が他人事ではないと思えるからこそ、人は思いやりのある行動をとれる。
 しかしながら、日本のように国民の同質性の高い国では、マイノリティとしての経験をしたことのある人が少ない。少数派の居心地の悪さ、少数派ゆえに受ける不利益を経験したことがないと、不利益を被っている少数派に対して、「他人事ではない」と感じることがなくなるのではないか。同質性の高いコミュニティが異質なものに対して不寛容になりがちなのは、こういったことに理由があるのかもしれない。

本来私はツイッターもfacebookも下のような違った価値観のぶつかり合いの場として活用したいのだけど、なんか炎上とかバッシングとかになってしまうので、もうほぼこれらのツールは付き合い程度にしか活用できないと思っている。
同質性は寛容さにも影響を与える。先にも述べたように人の思想や考え方は体験に基づくので、同質性が高い集団においては同じような意見が出やすく、自分と異なる意見に直面する機会も多くない。一方で、様々なバックグラウンドを有する人がいる地域においては自分とは違う意見について「そういう考え方もあるよね」と受け入れることが、社会生活を円滑に進めていくための基礎スキルとして身につくようになる。

実際のところ、外国人比率が高い地域では、異なる意見や行動に対して寛容な人が多い。最低限のルールだけを守っておけば、あとは他人の意見は自分と異なっていても尊重するという人が多数なのだ。

皆さんももっと海外に住んでみて、日本の特殊な部分も感じたり体験したりしましょう!。
なかなか面白い記事でした!。

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