梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

風情と論理と

2009年03月13日 | 芝居
今月の『元禄忠臣蔵』の舞台、季節は春か冬しかないのですね。
「風さそう 花よりもなお…」の辞世とともに、散りゆく桜の中で命を断つ内匠頭の『江戸城の刃傷』、白木蓮の花がほっこり咲いている大石家の玄関先での、井関徳兵衛と内蔵助の緊迫したやりとり『最後の大評定』、助右衛門命懸けの槍先に身構える綱豊卿に、爛漫の桜が降りしきる『御浜御殿綱豊卿』。以上昼の部は、春。

一方夜の部、『南部坂雪の別れ』は、雪に滑って転ぶ丁稚の姿が可愛く、『仙石屋敷』の幕開き、刻の太鼓を合図に若侍が木戸を開けてゆく風景は、朝の冷えきった空気が感じられるようです(梅丸がウ~ンと背伸びしている姿も印象的)。
『大石最後の一日』で磯貝十郎左衛門が活けているのは寒椿。庭には咲き出した梅の梢。こちらは早春の趣きですね。

今回上演されない『第二の使者』『伏見鐘木町』も季節は春ですし、『吉良家裏門』『泉岳寺』は、討ち入り直後のことですから当然雪景色。

多門伝八郎のセリフには「明日は満月…見事な月ではござらぬか」とあり(『江戸城の刃傷』)、また「月光は水の如く蒼く、四辺に降りそそぎ…」(『最後の大評定』)、「月光霜の如く冴え渡り…」(『伏見鐘木町』)など、月に関するト書きも多く見られます。
まさに雪月花。美しい自然の中の、厳しく激しい人間同士の葛藤、対立…。
どの場面も絵になっている、やはり<歌舞伎>なのですね。



子供の頃は三日坊主でしたが

2009年03月12日 | 芝居
3月12日をもちまして、『梅之芝居日記』は4周年を迎えました。
よくここまで続けてこられたものだと、自分でも驚いています。
これもひとえに、拙文をお読み下さる皆様のおかげでございます。この場を借りまして、厚くあつく、御礼申し上げる次第です。

書いたことは、より強く記憶に残るのでしょうか、これまで綴ってきた約1200の文章を振り返ると、その時そのときの出来事、感じた思いがまざまざと蘇ってまいります。そういう意味で、これはまぎれもなく私にとっての<日記>になっております。5年目となるこれからも、思い出や芝居のお話しを、楽しみながら積み重ねていきたいと思いますが、来年の今頃は、歌舞伎座とのお別れが間近に迫っているんだな…。人やお役との出会い、新たな経験が、このブログに何か変化をもたらすかもしれません。それもまたワクワクすることのひとつ。

流れに身をまかせながら、のんびり気ままにやってゆきます。
続けられるまでは続けるつもりです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

中村 梅之

綱豊卿はすごい召使いを抱えていたのです

2009年03月11日 | 芝居
『御浜御殿綱豊卿』に、奥女中役で出させて頂くのは、平成13年8月歌舞伎座以来、2度目となります。大和屋(三津五郎)さんの綱豊卿、中村屋(勘三郎)さんの助右衛門でした。
このときの幕開きは、舞台上手で花を摘んでいる者もあり、下手の床几に座って談笑する者あり、“お浜遊び”の1日を自由に過ごす、和やかな光景として描いておりました。先年の国立劇場で、師匠が綱豊卿をなすったときも同様です。

今回は、全員で“綱引き”に興じている様を見せております。こちらのやり方も昔からあるもので、どちらでやるかはその度ごとに、主演なさる方のご意向等を考慮して選択されます。
真ん中に金の大鈴を吊るした紅白の綱を引き合うという、なんとも派手な試合(?)ですが、奥女中たちの衣裳も、元禄ということもあって華やかな色み、柄になっておりますから、桜花爛漫のお庭先、20人近くが舞台に居並んで歓声を上げながらうち興じている景色は、それまでの幕が男ばかりの渋い雰囲気なだけに、より印象深く、鮮やかに見えること思います。

…上手チームと下手チーム、双方互角の戦いというおりから、颯爽と登場する“大女”が、あっけなく勝負を決めてしまいます。御覧になった方はおわかりかと思いますが、実に豊かな肉体をお持ちの彼女、昔から、大柄な立役さんが演じることの多いお役でございます。
今回も、これが2度目という立役の先輩がお出になっております。もともとの体に、着肉もばっちり着込んでおりますので、迫力満点! 「ご加勢いたしますッ」の声も頼もしきスーパーウーマンの登場に、客席も沸いております。

後ろ姿もこの通り…。

衣裳がはち切れそうですね。

お知らせです

2009年03月10日 | 芝居
4月は、師匠は本興行はお休みとなりましたが…。

27日(月) 歌舞伎座『第35回 俳優祭』に参加
今の歌舞伎座での最後の俳優祭です。演目、企画は現在選定中。おってご報告させて頂きますね。

翌日28日(火) 国立劇場大劇場 NHKエンタープライズ主催<第3回 芸の真髄シリーズ>『黒塚』阿闍梨祐慶
花柳壽輔師の老女岩手実は鬼女との共演です。当公演は、他に藤間紫師の『萬歳』、紫師、壽輔師の『隅田川』と、古典の名作が並びます。

そして5月…。

2日~26日 歌舞伎座<5月大歌舞伎>昼の部『加賀鳶』日蔭町の松蔵
これで2演めとなります。道玄・梅吉の2役は、音羽屋(菊五郎)さんが初役で演じられます。
今年は<團菊祭>ではないのですね。

翌日27日 天王寺屋(富十郎)さんの自主公演<矢車会> 夜の部序幕 箏曲『寿競べ』
第9回となる今回は、天王寺屋さんの傘寿記念でもございまして、まことにお目出度い舞台でございます。『寿競べ』は歌舞伎の興行ではあまり出ない曲ですが、加賀屋(魁春)さんとご一緒です。また、昼の部『勧進帳』では、梅丸が太刀持ちを勤めさせて頂きます。

また、舞台ではございませんが、3月25日から4月28日まで、早稲田大学演劇博物館におきまして、『六世中村歌右衛門展~新作と復活狂言~』の展示がございます。
毎春、大旦那の舞台、業績をしのぶ企画が催されておりますが、今回は副題にもございます通り、大旦那が携わられた<新作>と<復活狂言>に焦点があてられます。何卒ご来駕賜りますようお願い申し上げます。私も今月末に伺わせて頂く予定です。

先々のご案内ばかりで恐れ入りますが、こうしてみると、2009年も、もう半分近く予定が埋まっているのですね…。
時間の流れが速すぎます!

記念日ですか

2009年03月07日 | 芝居
『仙石屋敷』におきまして、<伴 得介(ばん とくすけ)>のお役を勤めております部屋子の梅丸ですが、初めて師匠の楽屋を訪れ、楽屋見習いをはじめたのが、5年前の昨6日だったそうで…(本人談)。
ハァァ…。もう5年も経つのですか。溜息。
照明室の椅子に、私が彼を持ち上げて座らせたものでしたが。今はとてもとても。
この春からは中学生ですか。再び溜息。

ちなみに5年前の3月歌舞伎座も、『大石最後の一日』をやってましたね。その他『達陀』『千本桜 木の実~鮓屋』、『先代萩』の半通しなど。
ワタクシは五体投地をしてましたなぁ…。

6年目突入の梅丸を、どうぞよろしくお願い申し上げます。

女紋によくみられますが

2009年03月06日 | 芝居
『御浜御殿綱豊卿』で勤めさせて頂いております奥女中。締めている帯の柄は“雪輪”です。
雪の結晶を図案化した“雪輪”。優しい、可愛い紋様ですよね。

私、自分の芸名にもある、梅の紋、紋様が大好きでして、梅模様の小物や古布、食器などを見つけると、買い求めずにはおれないくらいなのですが、同じくらい雪輪紋様も好きなのです。自分の化粧前のカバーも、雪輪散らしの柄ですし。
そんなわけで、大好きな模様の帯を締めて舞台に出られるのがとっても嬉しい!
衣裳は自分では選べないもの。ただの偶然と言ってしまうのは簡単ですが、なにか、引き合わせの不思議を感じます。

奥女中たちの帯は<一文字>という結び方。同じように結んでも、両端を垂らすように折り下げると<文庫>になります。




いまだ宿題を果たせず

2009年03月05日 | 芝居
『御浜御殿綱豊卿』の大詰は、“お浜遊び”の宴もたけなわ、吉良上野介がご趣向で後シテを舞うという『望月』の舞台裏が描かれます。
出の謡が始まり、橋懸かりを進み行く後シテ。赤穂浪士富森助右衛門が、怨敵吉良と狙い槍を突き刺したのは、実は最前まで激論を交わしていた徳川綱豊でした。助右衛門の短慮無分別を、綱豊卿は滔々と諭し、真の忠義を説き、やがて颯爽と舞台へと赴きます…。

能『望月』も、敵討ちを描いた作品です。信濃の国の安田荘司友治が、望月秋長によって殺され、残された妻と子が放浪するうち、近江の国で旅籠を営んでいた昔の家臣、小澤刑部友房に再会。偶然止まり合わせた仇の望月に、刑部は妻子を流浪の芸人と偽ってひきあわせ、諸々の芸を見せて油断させ、ついに仇を討たせるというのがあらすじ。
後に長唄にも移され、歌舞伎舞踊として上演されてもいます(師匠も先年、『大望月』の題名で、素踊り形式により、仇の望月を演じられました)。

綱豊が扮していた後シテは、刑部友房が望月に“獅子舞”を披露するという設定での装束で、牡丹の花を戴いた獅子頭をかぶっているのはそのためです(出の直前に、舞台上手にあるというつもりの能舞台から聞こえてくる地謡も、「獅子團乱旋(ししとらでん)は時を知る…」)。獅子そのものが登場する『石橋』とは違い、あくまで獅子の真似事ということですね。
一番上に着ている、織物の装束は、お能では“厚板”とおっしゃるそうですが、あれはお能ですと、終盤で獅子頭とともに自ら脱ぎ去り、安田の家臣の正体を現すわけです。

先年、師匠が国立劇場でこの綱豊卿をなすったおり、せっかくなのでお能の『望月』を勉強したく、謡本を読んだりしましたが、ちょうど友人に観世のお能の方がおりましたので、装束の着付け方など伺えたらと思ったのですけれど、舞台上で脱げる着方は多分に企業秘密的なところがあるそうで、いまだ本行を存ぜぬままでございます。
いつか、実際に『望月』を拝見できたら、少しは推察もできるところもあるかとは思うのですが、はてさていつになりますことやら…。




雑感

2009年03月04日 | 芝居
『元禄忠臣蔵』3日目。御坊主 関久和のお役は、僅かずつですが、落ち着いてまいりました。
歌舞伎座の大舞台での25日間のチャンス。絶対無駄にはできません。お役の気持ちを大切に、少しでも進歩できるよう努力してまいります。

…歌舞伎座での、<新歌舞伎の通し狂言>といいますのは、私にとりましては初体験。国立劇場での公演は、どんなに長くても4時間くらいですが、こちらでは10時間近い長さ。丸一日をかけての上演は、普段の時代物の通し狂言よりもある意味“濃厚”な面もあり、気分的にはなかなかこたえます。
場割り、役数の多さ、現代語に近い台詞の応酬、見得がないツケもない、舞踊場面がない、三味線が聞こえてこない、女形の出番が少ない、柝は刻まれないし定式幕すら使われない…!
でも、これも<歌舞伎>なのですね。2代目の高島屋(左團次)さんを中心として、『大石最後の一日』の昭和9(1934)年の初演以来、70余年の歳月をかけて、歌舞伎俳優の手で練り上げられてきた作品。台詞まわしにしても要所要所の演出にしても、やっぱり歌舞伎の芝居なんだなァ…。
“新”歌舞伎というカテゴリなのかもしれませんが、だんだんと古典となりつつあるのかもしれませんね。

古典オンパレードの1、2月公演から引き続いての仲間からは、「同じ歌舞伎座という感じがしない」なんて声も聞かれますが、それだけ歌舞伎の懐が深いのでしょうし、どちらも興行にかけることができる“歌舞伎座”という劇場の懐も、とっても深いのではないでしょうか。



こんなにドキドキの初日は久しぶりです

2009年03月02日 | 芝居
本日、歌舞伎座三月興行『通し狂言 元禄忠臣蔵』の初日。
なんとか無事に、自分のお役、師匠の仕事を勤めることができました。御礼申上げます。
これから日を重ねるに連れ、段々と落ち着いてきて、よりこなれてくると思いますが、油断せぬよう、慣れが出ないよう、気を引き締めて取組んでまいります。大きな勉強の場を頂いた身としまして、ご覧頂く皆様に、お見守り下さる諸先輩方に、そして歌舞伎座の大舞台に、誠心誠意、全力を尽くす所存です。
今はまだ、正直言って悩みもあり、緊張もとけない状態ですが、早くそういうものを吹っ切って、自然にその役になれるよう、"心"のありかたを、改めて学びたいと思います。何卒よろしくお願い申上げます。

禊月稽古場便り・4

2009年03月01日 | 芝居
『仙石屋敷』の<初日通り舞台稽古>。

昨日の脳内シュミレーションがどこまで功を奏したかは別としても、この幕では裏方に徹する身として、まずは大過なく仕事を勤め上げられ安心しました。
経験のない芝居の舞台稽古ほど、不安になり、バタバタするものはありません。思わぬところで、稽古場では気がつかなかった用事があったりするものです。その場でどれだけ迅速に対応できるか。これも弟子の立場といたしましては、勉強せねばならないことかと存じます(一にも二にも経験、経験!)。

この後、『最後の大評定』『南部坂雪の別れ』『大石最後の一日』と舞台稽古が続きましたが、私の今日の仕事は『仙石屋敷』でおしまい。
昼過ぎには楽屋を出ました。せっかくなので、泉岳寺にお参りに行こうかとも思ったのですが、内匠頭を押しとどめて、吉良への意趣を晴らさぬままにしてしまった立場のお役を頂いておりますので、泉下で「おのれ憎き坊主」と思し召されるのも畏れ多く、ご遠慮申し上げました。

さあ、歌舞伎座では約20年ぶりの『通し狂言 元禄忠臣蔵』6部11幕、いよいよ始まります!
皆様のご来場を、心よりお待ち申し上げます。