梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

男? 女?

2007年11月08日 | 芝居
先日お話しいたしました『宮島のだんまり』の主人公は<傾城浮舟太夫実ハ盗賊袈裟太郎>。
最初は鮟鱇帯を締め、織物の打掛をまとい、廓ならではの<天紅>の手紙(巻き紙の上の端が赤く染められている)を持った典型的な花魁姿で登場いたしますが、途中から本性を現し、金糸馬簾付きの四天という大時代な立役の格好になり、幕外の引っ込みではまた傾城の着付で出てきますが、それが<ぶっかえり>となり、再び盗賊の姿に変わります。そうして、上半身の動きは男、下半身の動きには花魁独特の<外八文字>の歩き方を織り交ぜるという<傾城六方>で花道を引っ込む、大変かわったお役でございます。
男と女の間を思うさま行き来する不思議なキャラクターですが、衣裳とともに変わる鬘もそんな役柄をうまく表しております。

最初の純粋な傾城姿には、<振り分けの下げ髪>という鬘、これは『将門』の滝夜叉姫と同形ですが、古風さと妖しさに富んだヘアスタイル。今回の成駒屋(福助)さんは、額の生え際に<紫帽子>をつけていらっしゃり、より<時代な>雰囲気です。
いったん引っ込んで立役姿になった時から、幕切れまでの鬘は<菊百(きくびゃく)・五本車鬢(くるまびん)の下げ髪>に。100日間伸ばしっぱなし、という意味で<百日>と呼ばれる月代(さかやき。額から頭頂部分の毛)部分を、さながら菊の花のように形作ったのが<菊百>で、鬢は荒事の芝居で見られるような棒状に固めたもので、その本数から<五本車鬢>。これらだけを見ますと実に大時代な拵えで、力強い立役の印象となりますが、後頭部のみ、先ほどの傾城の姿を残して、簪を差した<下げ髪>になっておりますのが、先ほども申しましたように男女の境があいまいなこのお役らしいところでしょう。

一つのお役でも、鬘が女から男へ変わるにともない、その鬘をうけもつ<床山>さんも変わるというのが、面白いところです。
歌舞伎の床山さんは、立役、女形にわかれての分業制で、歌舞伎座や国立劇場など古い劇場ではお部屋も別々なくらいですが、<振り分けの下げ髪>は純然たる女形の鬘ですから女形の床山さんが。次の<菊百 五本車鬢~>は下げ髪があるとはいえ、主要部分は全て立役の髪型ですから立役の床山さんが担当いたします。
うかがいますと、基本的には、生え際の形が立役のものか女形のものかという点で区別をするそうで、今月上演されている『三人吉三 大川端』のお嬢吉三も、女装はしていても男の役なわけですが、生え際もふくめ純然たる女の髪型ですので、担当は女方の床山さんとなるのです。

こういう分業がしっかり残っているところが、歌舞伎らしいですね。

今回の上演では、上にご説明したように鬘が変化いたしますが、最期まで<振り分けの下げ髪>で通すこともございます(近年ではその方が多いと思います)。その場合でも、いったん引っ込んだときに、少し大振りなものにかけかえて、<男になった>ことを視覚的に表現する工夫があることを、補足としてご紹介させて頂きます。

なまっているのでしょうか

2007年11月07日 | 芝居
『梅之さん、<運動>ですよ運動』

最近何となく身体の調子がおかしいというか、今までとどこか違うような感覚を覚えておりまして、それを楽屋で話しましたら、後輩からこう言われたのです。
う~ん、確かに最近は舞台でも激しい動きをすることはなくなりましたし、そうでなくてもスポーツとは無縁の(むしろキライ)な生活を送っておりましたからね。新陳代謝が滞っているのかも?
そこで自宅から劇場まで自転車通勤してみることにいたしまして、今朝さっそくトライ。汗はびっしょりかけましたが、実にくたびれました。
でもなんとなく爽快な気分に。早起きをしたせいか身体もシャキッとした感じ。
とりあえず今月いっぱいは継続してみようと…。

帰宅してからのビールが美味しいのは嬉しいのですが。

闇の中で探り合い

2007年11月06日 | 芝居
夜の部の序幕は『宮島のだんまり』です。
皆様ご存知の通り、闇夜の中、登場人物がお互い探り合いながら歩くという、ただそれだけのシチュエーションを、いかにも歌舞伎らしい様式美に富んだひと幕に仕上げる<だんまり>。『東海道四谷怪談』や『め組の喧嘩』などの世話物の途中でみられるものは<世話だんまり>、今回のように、それだけで独立して上演されるもの、他に『鞍馬山のだんまり』や『市原野のだんまり』などがございますが、これらは<時代だんまり>とも呼ばれ、登場人物の扮装や一幕の状況設定が、多分に誇張されたものになっております。

<時代だんまり>では、えてして<宝物>をカセにしての探り合いが見られます。お家の重宝の旗だとか、香炉、刀剣など…。『宮島のだんまり』では、平家の赤旗が使われます。
また、主なる登場人物は、幕切れになると<引き抜き>や<ぶっかえり>、あるいは上半身の着付を<肌脱ぎ>するなどして、隠された本性、身分を明かすというのがお決まりです。今回の上演でも、色々なお役が「◯◯<実ハ>△△」となりますのでご注目を。
だんまりの最中演奏される下座は<大べし>という三味線の合方に、太鼓やチャッパ(小型のシンバルようなもの)
などの楽器で<夜神楽><双盤>などの囃子をかぶせます。ちょっと不気味さもあるお神楽風の曲は舞台背景の厳島神社にもぴったりですね。

だんまりは時と場合に応じていくらでも登場人物の増減が可能。というわけで、一座総出演で『口上』がわりの『お目見えだんまり』を巡業で上演することも昔はよくあったそうです。
演技といたしましては、舞踊的な動きが多いですが、だんまりの手順は<立師>が附けるのが慣例。上演の都度、新たに組み立てます。同時に大勢があちこちで動き回り、要所要所では全員揃っての見得があったりいたします。大先輩に伺いますと、「立師はだんまりの手がつけられたら一人前」という言葉があるんですって。

今月は13人の登場人物に、2人のカラミが加わっての<闇試合>です。

『種蒔三番叟』と『舌出し三番叟』

2007年11月05日 | 芝居
昨日お伝えしました『種蒔三番叟』の後見の裃(つまりは師匠の『口上』の裃なわけですが)の梅の模様、《梅だすき》という柄であるとのご教授を頂きました。3代目の中村歌右衛門(俳号梅玉)以来の柄とのことでございます。改めましてご紹介させて頂きます。

その『種蒔三番叟』ですが、清元と長唄の<掛け合い>による『再春菘種蒔(またくるはる すずなのたねまき)』、通称『舌出し三番叟』がもともとの曲でございまして、それを清元だけで演奏する時の題名が『種蒔三番叟』となるそうです。『舌出し三番叟』の初演は3代目の中村歌右衛門でございますから、師匠にとりましてもゆかりのある演目と申せましょう。

その昔秀づる鶴の名にし負ふ都のぼりの折を得て
おしへ請地の親方に舞のけいこを志賀山の
振りもまだなる稚気に 忘れてのけし 三番叟…

という幕開きの浄瑠璃の歌詞には、3代目中村歌右衛門が『舌出し三番叟』を作った由来が説明されているそうです。
なんでも、初代中村仲蔵(あの定九郎の型を作った役者)が大坂で上演した『寿世嗣三番叟(ことぶき よつぎさんばそう)を、当時上方にいた幼少の3代目歌右衛門が習い覚えていた。それを約30年ぶりに江戸の舞台に再現するという企画が『舌出し三番叟』だったそうで、『秀づる鶴』は仲蔵の俳号<秀鶴>、『志賀山』は仲蔵の踊りの流派<志賀山流>、仲蔵のことを歌詞の随所に織り込み、「稚気」ゆえに「忘れてのけし」と謙遜しつつも、いわゆる“仲蔵ぶり”を久しぶりにお目にかけましょうという趣向なのですね。

今回は『種蒔三番叟』ですから、『舌出し三番叟』とは振りや雰囲気もだいぶ違いまして(歌詞も異同がございます)、<仲蔵ぶり>をしのぶというものではございませんが、全編清元節ということで、格調の中にも艶と申しましょうか色気もあり、お洒落な三番叟となっております。

舞台が変われば…

2007年11月04日 | 芝居
『種蒔三番叟』の舞台装置が、いつもの<松羽目>でないことは先日お話しいたしましたが、これは、後に上演される『素襖落』も<松羽目>でございますので、お互いの印象が<つく>ことを避ける意味もございます。
舞台面が変わると、それに付随して色々な変更があるというもので、この度は演奏家の皆様の<裃の色>に工夫がなされております。
というのも、いつもの松羽目の舞台面ですと、本行(お能)にならうということで、正面にお囃子ご連中が並び、上手の<山台>に清元ご連中が並ぶというのが、基本的な居所となるのですが、松羽目以外の書割りとなりますと、お囃子さん方は正面にいることができない。そこで今回は上手に<雛壇>を作り、清元さんとお囃子さんが一緒に並ぶことになりました。

そうなりますと、清元の方とお囃子の方が着用する裃の色をどうまとめるかということになります。ご存知のように、清元の方は、常に濃い緑色の裃ですが、お囃子さん方は演目や公演ごとに違った色、柄になり、決まったものはございません。
一つの雛壇に、違う色の裃の演奏家が並ぶということはまずないことなので、清元さんと同じ、緑色の裃をお囃子さんも着るということになりました。
舞台面に描かれた、若竹の青、松葉の緑とも調和し、清々しい雰囲気になっております。

ちなみに三番叟と千歳の後見二人の裃は、主演は私の師匠ですので、師匠が『口上』で着るのと同じ<芝翫茶>色、梅の模様が<熨斗目(のしめ。胸の下から膝上にかけての部分にのみ柄をあしらう模様の出し方)になった裃です。さすがに後見まで真緑では煩くなってしまいましょう。
この裃、入門して初めて着ることができました。師匠と同じ柄の裃! なんだか嬉しい気持ちです。

嬉しいニュース

2007年11月03日 | 芝居
すでに新聞などで報じられました通り、この度の秋の叙勲で、師匠が紫綬褒章を受章されました。一門のひとりとして、本当に嬉しく思います。
「いつまでも前髪の似合う役者でいたい」という旨を、受章にあたってのコメントで述べられておりましたが、そんな師匠を、いつまでも支えてゆけるよう、弟子としても一生懸命精進いたします。

『種蒔三番叟』の後見もだんだんと落ち着いてきました。汗をかかない後見へあと一歩、というところでしょうか。

宿題を片付けます

2007年11月02日 | 芝居
今月のお芝居のお話をする前に、皆様から頂戴したご質問へお答えしなくてはなりません。
自分だけではわかりかねる内容でしたので、専門の方にお話など伺ってまいりました。お返事が遅くなりましたこと、まずはお詫びさせて頂きます。

<けい>様からの『毛剃』の鬘もヤクの毛か? というご質問。毛剃のほか、『俊寛』の瀬尾や『神霊矢口渡』の頓兵衛などでも見られるパーマ状の毛、床山用語で<癖付き>と申しておりますものは、<唐毛>、つまりヤクの毛を使います。ヤクの毛のようにしっかりした毛でないと、あのような癖はつかないのだそうです。鬘の土台に植え込まれた毛のうち、外側のみを<癖付き>とし、内側の普通の毛で鬢や髱などあらかたの形を作ったところで、それに被せるように<癖付き>の毛を合わせ、仕上げるそうです。
癖をつけるのは<鬘屋>さんの仕事、それを結うのは<床山>さんの仕事です。

<ひでかず>様からの、主演者にちなんだ唄が使われるのはどんな演目があるのか? というご質問。ご本人様もお書き下さったように上方狂言の『雁のたより』が有名ですね。「重ね井筒はナ ありゃ延若さんの紋所~」といったように、主人公三二五郎七役の俳優の紋と芸名を唄い込みます。
この他、ポピュラーな舞踊の歌詞の一部を、その月お勤めになる俳優さんに合わせて変更することもございます。平成14年4月歌舞伎座で、師匠と成駒屋(福助さん・橋之助さん)のご兄弟の3人で『おしどり』を上演いたしましたおりは、長唄のオキ(冒頭部)で、
『誉れは知るき 成駒の 手練名に負う 高砂の…』という風に、屋号を盛り込みましたし、平成15年12月歌舞伎座で、成駒屋(福助)さんが『舞妓の花宴』をお出しになった時は、
『開く扇の数々を 祗園守と末かけて 結ぶ歌舞伎の舞の袖 伝えてここに 成駒屋』
と、やはり長唄の歌詞に紋と屋号を入れました。
こういう例はもっと他にもあると思いますが、必ずそうする、というものではございませんので、念のため。

<揚羽>様からは、お化粧方には基準があるのか? というご質問を頂きました。とくに女形についてのことと存じますが、たしかに個人差が出やすいものでございます。お白粉のつき具合、紅の濃さ、眉や唇の形…。皆々、自分の顔立ちに合わせ、より美しく見えるよう工夫をしており、それは当然のことではございます。とはいえ、主役の方々よりも目立つような顔になってはいけないということは、かねがね先輩方より戒められておりますし、同じ役で大勢が出る時は、肌の色みや白粉の濃さなどは、<揃える>ようにも教わっております。
ただ、これは決して言い訳をするわけではございませんが、役者それぞれが使っている化粧品によって、色合いが違ってくるということは確かにございます。自分たちがそれぞれの肌質にあわせて選んで使っている化粧品まで、一つのものに統一することは不可能でしょう。そういう点も考慮しながら、その役<らしい>化粧、脇役としての<立場>をわきまえた化粧をきちんとできるよう、気をつけてまいりたいです。

<カトウ>様からは、女形の発声は裏声か? というご質問。これも人それぞれですね。私などは、裏に抜ける一歩手前の高さで喋るようにしております(張るところでは裏に抜くことも)。女方の発声法にも、これという基準があるわけではないので、それぞれの喉にあわせて、各人の工夫で喋るのですが、昔のレコードなど聴きますと、今よりもずいぶん調子は低いですよね。確実に変化をたどっておりましょう。
研修生が、まずぶつかる難関が、やはり女形の声の出し方です。

…『種蒔三番叟』のあと、いったん帰宅してこの記事を書いております。
もう少しのんびりしてから、再び楽屋と向かいます。

始まりました

2007年11月01日 | 芝居
本日歌舞伎座11月公演《吉例顔見世歌舞伎》の初日でございました。
序開きとなる『種蒔三番叟』に、後見として出させて頂きますが、今日は少々緊張してしまいました。初日、序幕、そして儀式性の高い<三番叟もの>…。ドキドキの要因ばかりです。お陰様で大過なく勤めることができましたが、明日からはもっとこなれた、“柔らかい”後見になれるよう気をつけたいと思います。

空き時間も沢山ある月となりそうなのですが、今日は一日銀座で過ごしました。もう少ししたら、いったん自宅に戻ったり、藤間の御宗家でのお稽古となるでしょう。
楽しいひと月になればよいのですが。