梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

『種蒔三番叟』と『舌出し三番叟』

2007年11月05日 | 芝居
昨日お伝えしました『種蒔三番叟』の後見の裃(つまりは師匠の『口上』の裃なわけですが)の梅の模様、《梅だすき》という柄であるとのご教授を頂きました。3代目の中村歌右衛門(俳号梅玉)以来の柄とのことでございます。改めましてご紹介させて頂きます。

その『種蒔三番叟』ですが、清元と長唄の<掛け合い>による『再春菘種蒔(またくるはる すずなのたねまき)』、通称『舌出し三番叟』がもともとの曲でございまして、それを清元だけで演奏する時の題名が『種蒔三番叟』となるそうです。『舌出し三番叟』の初演は3代目の中村歌右衛門でございますから、師匠にとりましてもゆかりのある演目と申せましょう。

その昔秀づる鶴の名にし負ふ都のぼりの折を得て
おしへ請地の親方に舞のけいこを志賀山の
振りもまだなる稚気に 忘れてのけし 三番叟…

という幕開きの浄瑠璃の歌詞には、3代目中村歌右衛門が『舌出し三番叟』を作った由来が説明されているそうです。
なんでも、初代中村仲蔵(あの定九郎の型を作った役者)が大坂で上演した『寿世嗣三番叟(ことぶき よつぎさんばそう)を、当時上方にいた幼少の3代目歌右衛門が習い覚えていた。それを約30年ぶりに江戸の舞台に再現するという企画が『舌出し三番叟』だったそうで、『秀づる鶴』は仲蔵の俳号<秀鶴>、『志賀山』は仲蔵の踊りの流派<志賀山流>、仲蔵のことを歌詞の随所に織り込み、「稚気」ゆえに「忘れてのけし」と謙遜しつつも、いわゆる“仲蔵ぶり”を久しぶりにお目にかけましょうという趣向なのですね。

今回は『種蒔三番叟』ですから、『舌出し三番叟』とは振りや雰囲気もだいぶ違いまして(歌詞も異同がございます)、<仲蔵ぶり>をしのぶというものではございませんが、全編清元節ということで、格調の中にも艶と申しましょうか色気もあり、お洒落な三番叟となっております。