Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

0の無い世界

2011-05-04 00:53:13 | 災害ボランティア クライマー派遣

宮古ボランティアセンターでコーディネーターをしておられたS氏は、被災地ボランティアの現場を「戦場」と言われた。

今、「戦場(経験は無い)」「被災地ボランティアの現場」「厳しいアルパインクライミング」の共通点を、「0」の見出しにくい世界だと感じている。「0」、あるいは「人畜無害」を見出すのが困難な世界なのだと思う。全てをプラスかマイナスに感じてしまう。「いてもいなくても同じ人」は平和な世界では存在するが、「戦場」「被災地ボランティアの現場」「厳しいアルパインクライミング」では、「いるだけ」の者はそれだけでプラスかマイナスのどちらかにされてしまう。厳しい状況の中で「0」は見出しにくく、「0」という数字は平和な世界にしか存在しないように思えてくる。

これはどういうことか。よくよく考えてみれば、存在そのものが「0」などというものは、人にしても物にしても無いのではないか。しかし、心が平和で穏やかな中では、少々のマイナスを許している。きっとそれが「0」なのだと思うのだ。

きっと誰にでもプラスの要素もあればマイナスの要素もある。それを点数化するのは無理な話だが、人は他人をマイナスの要素かプラスの要素のどちらかだけを強調してとらえてしまう傾向があるように思う。よく言う「レッテルを張る」というやつだ。それを考えたら、自分など「極悪人」にされてしまうかもしれない。それでも心が穏やかな人に赦してもらって生かされている。皆の心が平和で穏やかでなかったら、自分なんてすぐに死刑にされているかもしれないと思うのだ。

被災地では、被災者もボランティアも、心に余裕がなくなってくる。「戦場」というのはその極地かもしれない。「厳しいアルパインクライミング」でもそうだ。心に平和がなく、穏やかでない世界では、人を許すことが出来なくなるのだろう。人の小さな良いところを無視してしまうだろう。逆に、ちょっとしたことで英雄や極悪人も生まれるかもしれない。

今、自分の住んでいるこの地が、大きな被災と被害を受けている状況の中でも、あるいは自分が「戦場」にいても、「被災地ボランティアの現場」にいても、「厳しいアルパインクライミング」をしていても、自分の心を平和で穏やかに保ちたいと願う。

被災地に咲く花のように。