タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

ハチクマ

2020年09月22日 | 携帯から投稿
今日は独りで来ました。

昨日はハチクマ軍に完全試合で負けました。

今日は満塁ホームランを打ちたいけど、無理かなぁ⁉️

それならシングルヒットを狙います。

今日もノーヒット

2020年09月21日 | タカの渡り
    

今日もお山に登りました。

何を思ったのか、女房殿も行くと言うので一緒に登ったのですが、、、、、

女房殿はこのポイントではまったく当たっていないのです。そろそろヒットが出るのではないかと期待したのですが、、、、

今日もノーヒット、ポテンヒットも出ませんでした。

    

ある人があるポイントではまったく当たらない、と言うことは珍しいことではありません。

女房殿も他の観察地では大きな群れも見ているのですが、何故かしらこのポイントではダメなのです。

今日はダメもダメ、トビも飛びませんでした。

これがプロ野球の世界だったら間違いなく二軍落ちですが、タカの世界には二軍暮らしはありませんから、何年ノーヒットが続いても大丈夫です。

    

昼前にはhigeさんや他の登山者も来られて、、、、、

ヒマで困っていたタカ長の相手をして頂きました。感謝、感謝ですね。

    

何も飛ばなかったら女房殿に当たって夫婦喧嘩、と言うような段階は卒業していますから、何も飛ばなくても家庭内の雰囲気が悪くなることはありませんが、、、、、。

それにしても、、、、、1羽くらいは飛んで欲しかったが正直な気持ちです。

空を飛んだのはカラスが2羽と、シッカリと確認できなかったのですがアマツバメみたいな鳥が4羽だけ、これがすべてです。

と言うことで今日撮った写真は蝶とトンボだけです。

自信がないのであえて名前は書かないことにします。


今日の渡りは

2020年09月20日 | タカの渡り
    

4連チャンの二日目です。

ハチクマ様に会うのを特別意識したわけではないのですが、今朝は早く目が覚めてしまい、完全な睡眠不足の状態でした。

しかし、登山準備をしていたら目が覚めてきたので予定通り出発。

観察ポイントへの登りは問題なかったように思うのですが、山道に入るまで夏草が茂っていたり、倒木があったりして、春に登ったより30分くらい時間がかかったような気がしました。

30分と言うのはあくまで気分だけですが、でも、春より時間がかかったことは間違いないようです。

    

ハチクマの渡りを見ることが出来ましたが、このように目線より下を飛んだり、、、、、

距離が遠かったりで、タカ長自慢のキャノン砲でゲットできるチャンスは3回しかありませんでした。

このポイントは春に適したポイントですから、もともと大きな期待はしていません。

写真に撮れればもうけもの、と言えるのかも分かりませんが、、、、でもねぇ、、、やはり、、、、。

そのような写真です。

    

    

    

午前中は登山者1名。

昼食のころ男性1名と女性の二人連れが来られて一緒に食事。この時間は楽しい時間でした。

ハチクマの渡りを見ることは出来ましたが、ひと群れ数羽程度、、、、、、

明日は大きな群れを見たいなぁ、、、、。

4連休、4連チャン?

2020年09月19日 | 日々雑感
19日から忙しくなるので予約投稿します。これがアップされるころタカ長はある山を歩いているはずです。

     

忙しくなることのその1:広報紙づくりが始まります。

それを前にある人に相談しました。そうしたら良いアイデアをもらいました。

当たり前のことですが、人には会わないといけません。人と話していたら何かを得ることが出来ます。

その2:19日の午後遅くから風車関係の講演会に行きます。会場は風車が立つ山の中の町です。
    と言うことは、終日忙しくなると言うことですね。

    

その3:ハチクマの季節到来です。

世の中、19日から4連休になります。天気も回復して、タカ長にとってはハチクマの季節の始まりです。

そのハチクマ様をお山で出迎えるつもりのタカ長、渡りの状況や天気予報を見ると、少なくとも22日まで4連チャンしたくなります。

仕事ではないので疲れたら休めば良いのですが、でも、何とか頑張りたいのです。

     

昨秋は台風の影響などもあり、渡りらしい渡りは1回しか見ていません。

今年はせめて2回、出来ることなら3回は大きな群れを見たいのです。

と言うことは、やはり4連チャンしないといけないようです。

出来るかなぁ???


麓のない山登り

2020年09月18日 | 山歩きから
予報通り雨になりました。裏山歩きをキャンセルしてブログの更新です。長文になりますが、最後まで読んで頂けると幸いです。

     

昭和33年に創刊された山の雑誌「アルプ」です。この雑誌はタカ長の青春とともにありました。

早くから定期購読していたタカ長は、この雑誌から多くのことを教えられたことは間違いありません。しかし、何をどのように教えられたか、と問われると具体的に答えることは出来ません。空気のようにタカ長にしみこんでいったのかも分かりません。

昭和58年2月、アルプは300号をもって終刊を迎えます。その終刊号に「麓のない山登り」(川崎精雄・日本山岳会会員・著述業)と言う一文があります。

近頃の日本の山は、どこも核心地帯まで立派な道路が通じてしまった。私たちの山登りは、今や「麓のない山登り」である。

    
                二軒小屋駐車場を出発して登山開始

いつの頃からかタカ長も「麓のない山登り」を意識するようになりましたが、それが川崎精雄のこの一文によるものかどうか、自分でも分かりません。

これを読むとタカ長など麓のない山登りの時代から登山人生が始まっているようにも見えます。でも、自分の時代しか知らないタカ長には、麓のある登山をしていたような認識も持っています。

そのように思いつつ、先人が残した紀行文など読んで、彼らが自分の麓を持っていることを羨ましく思っています。

昔のことばかり書くのは気が引けるが、あの頃の山登りにあっては、麓は山頂にも等しく欠くべからざる存在であり、場合によっては主題でさえあった。だから山男は、それぞれおのれの愛する麓を持った。上高地、細野、八ッや那須の裾野、梓山、栃本、清水、藤原、等、等。そこを通過するだけでは気が済まず、出来れば滞在して、逍遥し山を眺め、そこの情趣を満喫したものだ。(川崎精雄)

    
タカ長たちが登った至仏山。鳩待峠まで車で行ったので、この山は「麓のない山登り」です。

 

北側から尾瀬を目指す登山者にとって檜枝岐は大切な麓でした。しかし、そのことを知ったのは先人たちの紀行文によるもので、タカ長は檜枝岐に行くチャンスに恵まれないままこの歳になってしまいました。

    
              二軒小屋駐車場へゴールイン

広島の登山者がこよなく愛した恐羅漢山の麓の古屋敷や二軒小屋。

そこは麓の町戸河内から内黒峠を越えたところにある集落なので、川崎精雄が言う「」と言えるのかどうか、タカ長には分かりません。

しかし、少なくともサンパチ豪雪までの古屋敷は、タカ長たち広島の登山者には大切な「麓」であったと思っています。

    

恐羅漢山にスキー場が出来て、山はすっかり変わってしまいました。今はどんなにひいき目に見ても、麓のある山とは言えなくなりました。

10月10日、その麓のない恐羅漢山の麓を歩く予定です。お世話をお願いしたのは「同窓会のような山登り」の言いだっしぺの歌姫さんやganchanさんたちです。

    
            先日登った羅漢山も麓のない山になりました。

当日、どこをどのように歩くかは未定ですが、どこを歩いても内黒峠にある加藤武三の碑を訪ねるつもりです。

この一文を書いていたら、この内黒峠も広島の登山者には恐羅漢山の麓のように思えてきました。

    

前方に砥石郷山や恐羅漢山を見ながら下りる峠道ですが、青春のころの記憶にはこのような風景はありません。ほとんどの場合、内黒峠を夜越えていたからかも分かりません。

漆黒の内黒峠を越えて、遠くに古屋敷の灯りを見た時の、ホッとした安堵感は今でも鮮明に覚えているのですが、、、、、、。

    

その「同窓会のような登山」には加藤武三のお嬢さまも参加されます。タカ長にとって加藤武三は雲の上の人なので、一緒に山登りをしたことがありませんが、お嬢さまはタカ長の母校の先生をされていたこともあり、身近な存在なのです。

当日は内黒峠にある加藤武三の碑を訪ねるつもりででしたが、お嬢さまが参加されるのなら絶対に行かないといけません。偶然と言えば偶然ですが、翌日は加藤武三の命日だそうです。

    
               恐羅漢山のスキー場を見ながら二軒小屋駐車場へ

そのようなこともあって、いつも以上に楽しみにしている10月10日の登山です。
お天道様、この日だけは晴天にして下さいよ。


その日にそなえて

2020年09月17日 | 日々雑感
    

雨になりました。この時間は、一旦上がりましたが、午後にはまた降る予報です。

明日も雨予報で、裏山歩きは休むつもりです。

山を歩かない日が続きますが、天気が悪くては山も楽しくありません。

それに、、、、

    

その後は好天が続くようで、、、、、

ハチクマ様の渡りの最盛期と好天が重なるような気がするのです。

その日にそなえて休養をしておく、と言うのが山を休む理由です。

    

そのハチクマ様御一行をお山で迎えるつもりです。

タカ長のお迎えは裸眼で見えるハチクマ様です。双眼鏡などの光学機器で探しまわるような出迎えはしません。

数より質です。

    

タカ長の当たらない予報では9月20(日)に第一陣がお着きになる予定です。

前日の土曜日にお出で頂くと、タカ長は午後に予定があるので丁寧なお迎えが出来ません。

ハチクマ様、日曜日以降に広島を通過するようにして下さいね。

この連休は広島をはじめ西日本のホークウォッチャーがお迎えにあがります。

彼らの近くを飛んで下さるよう、くれぐれもよろしくお願いします。

その日にそなえて、タカ長は今日と明日は休養に努めることにします。


場末の山

2020年09月16日 | 山歩きから
場末と言う言葉を聞いて人はどのような景色をイメージするのでしょうか?

繁華街を外れた、薄暗い路地の一杯飲み屋。下戸のタカ長でもそのようなイメージを描くことが出来ます。

場末の山
、と言うような言葉はないのでしょうが、昨日、仲間たちと3名で行った羅漢山でそのような言葉が頭に浮かんできました。その話題です。

    

羅漢山(1109m)は広島・山口県境にある独立峰です。広島の登山者にとっては間違いなく名峰です。

青春のころから登っていますが、そのころは南の美和町秋掛から歩き始め、羅漢山に登って北側の羅漢温泉に下りていました。初めて登ったのは落葉期で、明るいミズナラの森を歩いたような記憶が今も残っています。

    

マイカー時代になるとレジャーランドのような山になりました。その頃は秋掛から登ることは無くなりましたが、開発されたことにさしたる違和感を感じることもなく、何度も登っていました。

    

    

駐車場のそばにはこのようなものがあります。錦町は羅漢山の西側にある町ですが、そこに見えるのは星野哲郎・市川昭介と言うビックネーム。
タカ長は見たことがありませんが、センターには横尾忠則の天井画があるそうです。

青少年旅行村とかちびっ子動物園のようなものもありました。これらのことから連想されるように、羅漢山はそれなりに賑やかな山になっていました。

    

その山を昨日歩きました。先ず、南側の法華山に登り、1枚目の写真を撮りました。その後駐車場に帰り、羅漢山の山頂を目指しました。

タカ長には嬉しくない、人工林の中の階段道が続いています。ここは一気に登りました。

山頂まで800メートルと言うような表示が出てきますが、その800メートルが年々長くなっていくような気がします。

    

山頂の展望台でのんびりするつもりでした。昼食を食べながら、ハチクマの飛来を待つつもりでしたが、トビはおろかカラスも飛びませんでした。
持参した双眼鏡で広島市内や安芸の宮島などを見ただけです。

    

山頂には誰も来ませんでした。

それだけではありません。羅漢山の駐車場から法華山に登り、そしてここまで誰にも会っていません。まさに無人の山です。

仲間は心の中で三橋美智也の「古城」を歌いながら歩いていた、と言っていました。その歌が似合うような風景になっていました。

        

山を下りてもタカ長たちだけの世界でした。
ここからアスファルト道を出発点まで歩きます。左には牧場がありますが、馬が2頭見えただけでした。

    

駐車場の近くまで帰ったとき1台の車が上って行きました。オートキャンプ場のゲイトを閉める人がいました。
一番上の、営業中と書かれたものが放置された店のそばで一人の人影がありました。

    

人が二人と車が1台、これがすべてでした。いくらウイークデイとは言っても少なすぎます。

    

このような青空の下を歩きながら「場末の山」と言うのはおかしいのですが、本当にそのような言葉が突然心に浮かんできたのです。

    

たまたま昨日だけがそのような状態だったのかも分かりませんが、、、、、、。

帰りに立ち寄った道の駅は満車に近い状態でした。