タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

アリランの青い鳥

2008年11月11日 | 韓国情報
アリランの青い鳥

表題は絶版になっている書名です。1羽のシベリアムクドリが、朝鮮動乱で生き別れになった父子をつないだと言う、実話を基にした物語です。絶版になっていますから図書館で読むしか方法が無いのですが、子ども向けの易しい本ですから是非読んで頂きたいと思い紹介させて頂きます。

 1964年5月北朝鮮から一通の封書が山階鳥類研究所(以下山階鳥研)に届きました。差出人は北朝鮮科学院生物学研究所の元・洪九(ウォン・ホング)所長で、その内容は下記のようなことです。
 元所長は北朝鮮で、日本の足環をつけたシベリアムクドリを捕獲したが、このシベリアムクドリはいつ誰が放したものか調べてほしい、と言うことでした。


      シベリアムクドリ     写真: キム・ソンヒョン

 山階鳥研で調べてみると、そのシベリアムクドリは1963年6月6日にソウル郊外の清涼里で、ウォン・ピョンオが放したことが分かります。そのことを知ったウォン所長は驚きます。朝鮮戦争の動乱で離別し消息不明になったわが子と同姓同名だったからです。元所長は再度山階鳥研に連絡して、その漢字表記を確かめるのです。
 ピョンオの「オ」は「旿」と書きますが、この漢字を人名に使っている人は非常に珍しいのだそうです。
そのことを山階鳥研からの2回目の返信でウォン所長は知ります。「ウォン」と言う姓も、もともと韓国では少ない姓です。そのうえウォン所長はその昔、少年だったピョンオを連れて野鳥の標本作りのため野山を歩いていたことと思いあわせ、このウォン・ピョンオは、あの日以来一日も忘れることのなかったわが子であることを確信するのです。


     シベリアムクドリ     写真: キム・ソンヒョン

 この父子をつないだシベリアムクドリの話はソ連のプラウダによりスクープされ、ニューヨークタイムスでも報じられ世界的なニュースとなるのです。1000万人とも言われる朝鮮戦争の離散家族のうち、消息の分かった最初の肉親になったのです。
                           (つづく)