隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

上海城市新聞Vol.23 『10年後の上海』 (その11)

2013年12月03日 | 上海城市新聞

上海城市新聞Vol.23『10年後の上海』(その10)⇒ https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/1ab5e7cbe8bf8c753ba0921632e0e55f
            

一昨日(12月1日)は、2003年に上海に赴任してから丁度10年目でした。『10年後の上海』では、この10年間で、上海の何処が変わって、何がそのままかをお伝えしています。

         

   =写真をクリック・タップすると拡大画像が表示されます=

 


「南京路歩行街」の散策を終え、次の目的地、地下鉄2号線「江蘇路駅」に向かう為、「新世界百貨店」前の広場から、地下に降ります。
 

 

上海に住んでいた頃は、地下鉄・バス・タクシーで使える“ICカード乗車券”の「交通卡(カード)」を使用していましたが、今回は乗車毎に「単程票(英文名:Single Journey Ticket)」を購入しています。

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「人民広場駅」から「江蘇路駅」までの運賃は3元(約50円)です。

 

「人民広場駅」は、隊長が上海に赴任した2003年12月当時は、1号線と2号線だけでしたが、日本への帰任直前の2008年1月に8号線が乗り入れてから、構内がさらに複雑になりました。

 

この日も、前日の「徐家匯駅」と同じ様に、12:45に改札を入ってから、2号線のホームにたどり着く迄に、コンコースを迷ってしまいました。

 

「江蘇路駅」に到着しましたが、この駅も、2009年12月に11号線が開通してから、駅の構内と出口が変わってしまいました。

 

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4号口を出ると、確か「中国農業銀行」の支店が有ったはずですが、見当たりません。ビルのガードマンに聞いたら、今は支店は無くなりATMだけあるそうです。 

 

目の前には、2号線1号口と2004年11月~2006年10月迄の2年間住んだ「(ChangYuan)」が聳え建っています。

 

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「暢園」は、敷地内に居住者のみ利用出来るプールや、卓球場まである大型高層のマンションです。ここにも色々な思い出があります。

 

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ここでの生活の一端は、上海城市新聞Vol.2『衛星放送屋さん』⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/4cfc4f606deab4beb003af8cd0f73253で紹介しています。

 

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 懐かしさの余り、敷地内に入ったのですが、セキュリティが厳しく、建物の中に入る事が出来ませんでした。

 

住んでいた頃と違っていたのは、以前敷地内になかったコンビニが出来ていた事です。

 

お腹がすいて来たので、2号線2号口に有った「家常菜」のレストランに行く事にしました。「家常菜」とは、名前の通り家庭料理の事で、「暢園」に住んでいた頃には良く行きました。 

 

しかし、「家常菜」のお店は無くてその場所は「小楊生煎愚園路店」に変わっていました。附近には、他の「家常菜」のお店が2軒あったのですが、そこも無くなっています。

 

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“生煎”は、小ぶりの肉まんを鉄鍋で焼いた料理で、「小楊生煎」はチェーン店です。個人経営のレストランが無くなってしまい、こうしたチェーン店ばかりが増えています。 

 

他に選択肢が無かったので、この店に入る事にしました。入店は13:30。店内では、“生煎”に餡を詰めて、鉄鍋で焼いています。

 

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オーダーしたのは、“小楊生煎”4個6元(約85)円と、“小(金へんに昆)(金へんに屯)(ワンタン)”8元(約130円)。

 

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焼きたての“小楊生煎”は、熱々で皮は固く、餡の肉のすり身とスープも美味しいです。ビール を飲みたかったのですが、まだ歩かなければいけないのでやめました。

 

満腹になったので、14:05にお店を出て「宣化路」を「中山公園」に向かいます。

 

 

行きたかった場所は、「宣化路」にある「美天諸安浜菜場」で、地元の方が買い物をする野菜・魚・肉市場です。

 

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「中山公園」の「柏華麗豪華公寓」に住んでいる時に、初めて行って驚いた場所です。雑然とした市場の中で、生きたままの鶏や亀やカエルを売っていて、多くの買い物客で賑わっていました。

  

「美天諸安浜菜場」は、まだ同じ場所にありましたが、中は閑散としていました。お昼過ぎの時間帯だったからか、近くに超市(スーパー)や方便店(コンビニ)が出来た為でしょうか。

 

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それとも、一時中国で猛威をふるった“鳥インフルエンザ”の影響で、生きたままの鶏の販売が禁止されたからでしょうか。何れにしても、寂しい限りです。

 

 

===続きは『10年後の上海』(その12)で==


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