広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

JR迫真の演技・隣県広告

2020-09-29 00:32:31 | 秋田のいろいろ
新型コロナウイルス感染症対策の換気のため、鉄道車両の半自動扱い(乗客がボタンを押して乗降ドアを開閉する方式)を取りやめた会社や地域がある。
JR東日本秋田支社エリアでは、4月20日から、車掌が乗車する電車の途中駅(始発・終着駅を除く)では、駅に停まると自動で一斉に開閉するようになっている。気動車(ディーゼルカー)と電車でもワンマンの時は、半自動のまま。

5か月経ち、いつも同じダイヤの列車に乗っている人は慣れたかもしれない。しかし、乗る列車が一定でない者、しかも半自動に25年慣れた者としては、まだまだ戸惑う。ボタンに指を伸ばした瞬間、自動で開き、そうだったと思うこともしばしば。
なお、車掌が乗る列車で、途中駅なのに半自動扱いをする場合もあるのだが、その判断は車掌に任されているようだ。
つがる運輸区(今春、大館、青森両運輸区を弘前運輸区に統合)担当、東能代駅で9分間停車、大館で2分停車する秋田発弘前行きの場合。
秋田発車後の放送で、途中駅では自動で開くので注意するよう案内があるが、東能代は半自動扱いにするとその時点で断言する人が多い。
一方、「途中駅で半自動にする場合は、都度案内する」と駅名を出さなかったり、「次の土崎は半自動」ということも1度だけあった。天候や乗客数での判断もあるようだ。【30日追記】「終点弘前以外の各駅では…」と、東能代でも自動扱いと受け取れる言い回しの時もあった。
【11月25日追記】11月時点では、車掌が乗っても、全駅で半自動のこともあった。労働組合報秋田版には寒い時期に向けて「屋根のある駅や乗降の多い駅で換気するよう指導している運輸区もある。」とあった。

ところで、秋田の鉄道では、車内広告というものがとても少ない。
大都市圏のような週刊誌の中吊りなどないし、弘南鉄道(あるいは各地の路線バス)のような地元の医療機関の広告もない。
通学利用が多く客層が偏ること、運用範囲が広範囲で地域密着の広告は効果が低いのだろう。見かける広告は、JR時刻表やキャンペーン、大学・専門学校の学生募集程度。

奥羽本線・羽越本線・津軽線用の701系電車では、中ドアの横左右にだけ(つまり1両に4つ)、横長の掲出枠がある。B3判だそうで広告業界では「ドア横ポスター」と呼ぶらしい。
秋田ではここに学生募集広告が入っていることもあるが、空の枠もあった。それが現在は埋まっている。
これが掲出されている。※自動扱いで開いているので、ドアボタンが点灯していない。
「広告」ではなくて、JR東日本秋田支社による、ドア自動扱いの注意喚起なのですが。1両に付き2枚掲出が原則のようだ。
「ドアによりかかると危険です!」
換気とは明言せず「感染拡大防止のため」としている。
「この電車では」と書いているが、上記の通り電車でしか実施してないし、掲出もしていないので、間違いではない。男鹿線のEV-E801系蓄電池式電車は、すべてワンマン運転なので対象外で、掲出なし。

注目したいのは、左側の写真。どなたか存じ上げないが、迫真の演技じゃありません?

ドアが半開きで、左足しか着地しておらず、右手がブレ気味に写っている(ブログ掲載写真では伝わりませんが)。
静止して撮影したのでなく、実際にドアから外に放り出されそうな瞬間を撮影していると思われる。
また、ドアボタンが点灯していることから、実際には半自動扱い中に、「開」ボタンを押して、開きかけたところで迫真の演技をしたのを撮影したのではないだろうか。
ドアボタンの右に、空のドア横ポスター枠が写っているから、それこそ中ドアだ。右のドアガラスにワンマン時の注意書きらしきシールが貼られているから、おそらく2両編成。
ヘルメットもかぶらず、ホームにマットもなさそうだし、危険を伴う撮影だったのではないでしょうか。JR東日本社員? スタントマン?

あと撮影地。
ホームの向こうには、緑が多そうだし、向かい側のホームには貨物列車(積載していないコンテナ車)が、おそらく停車している。支社隣接の秋田駅で撮影すれば良さそうなものだけど、秋田駅ではない。
柱の感じも似ているのは、羽越本線・新屋駅の1番線のような気がするけど…

【2020年12月31日追記】その後、年末までには「換気のためドアを一斉に開閉することがあります」という別の掲示に変わって、アクロバティックな写真はなくなってしまった。
【2021年9月22日追記】と思ったら、2021年夏までに復活していた。


また違うものも掲出されている。1両につき1枚が基本のようだ。
「新型コロナウイルス感染症の拡大を防ぐために」
まずは、黄色くて目を引く。
内容は「他のお客様とできるだけ距離を保ち、会話を控えめに」「向かい合う際は、互い違いに座ることも有効」など、具体的。
会話を控えめにというのは、JR東日本による駅掲出ポスターにもあったが、互い違いまで言及するのは初見。

そのポスターとは色やデザインが違うから、じゃあ国土交通省とか厚生労働省ででも作ったものかと思ったら…
「青森県」!
コールセンターも青森県のもの。リストにある保健所も、青森県内のみ(中核市で独自の保健所がある青森市、八戸市も掲載)。

701系の運用範囲は、青森県内は津軽地方のみで、秋田県全域と山形県の一部も含まれる。車両基地が秋田であることもあって、車両が青森県内に滞在する時間というか割合としては、さほどではないはず。
上の注意書きは、どの地域でも有効なものだけど、当然、秋田県や山形県のものと統一性がないとも言える。秋田県や山形県の連絡先は分からない。
701系2両編成の中には、青森県外・秋田-新庄間での運用が基本で、1往復だけ青森に少しだけ入る秋田-弘前の運用を専属で行う、ボックスシート付きの編成があるが、それに掲出されているかどうかは不明。

広告でなく、無料扱いなのかもしれないが、広告扱いだとすれば、青森県の税金から支払われるだろう。それなのに、青森県の半分でしか見られず、秋田県や山形県に滞在する時間が長いとなれば、広告効果や青森県民の感情としてはどうだろう。
緊急事態宣言中に「東北・新潟緊急共同宣言」を出したように、この広告でも、例えば運用範囲の3県共同扱いにして、3県の相談窓口を掲載したり、制作費・広告費を按分することもできると思う。

秋田県は、コロナ関連告知のテレビや新聞の広告はよく出しているが、駅や車内では見かけない。県立高校の生徒会が作成した(主に通学する高校生向け)ポスターがあるくらいで。
その穴埋めを青森県のポスターがやってくれている面もある。費用はともかく、秋田県知事から青森県知事へ、礼状でも送ったらいかがでしょう。
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違う標識は違う規制

2020-09-17 00:11:15 | 秋田のいろいろ
以前、秋田市内の道路標識で、「違うけど同じ標識」としてみずほ銀行横の仲小路と「矛盾した規制(標識)」として高陽地区の住宅街を取り上げた。前者は、同じ向きに同じことを言いたそうだけど違う標識が2つあり、後者は、同じ規制が適用されるはずの1つの道なのに、方向によって標識が違うものだった。
どちらも、「自転車及び歩行者専用」と「歩行者専用」の標識が関わる。
(再掲)
その時問題視したのは、まぎらわしさや、補助標識(もしくは本標識)の不備で生じる矛盾であった。
「自転車を除く」など補助標識を工夫すれば、両者が要求することは同じものだと認識していた。


ところが、警察庁の「交通規制基準」を見ていると、そうではないことを知った。
「第4章 交通規制の実施基準及び道路標識等の設置基準」より抜粋する。
規制目的や規制対象も異なるが、ここでは省略。分かりやすい留意事項の1項目を示す。
自転車及び歩行者用道路
「本規制は、「歩行者用道路」と類似しているが、普通自転車や許可を受けて通行する車両に法第9条の「特に歩行者に注意して徐行」する義務が課されず、また、歩行者について右側端通行義務や横断歩道横断義務等が課されることに留意すること。」

歩行者用道路
「本規制は、「自転車及び歩行者用道路」と類似しているが、許可を受けて通行する車両に徐行義務が課され、歩行者について右側端通行義務や横断歩道横断義務等が課されないことに留意すること。」

つまり、
自転車歩行者専用は、
・歩行者は右側通行等、車が通る普通の道路と同じ歩き方。
・自転車や通行可能な車は、徐行義務なし。

歩行者専用は、
・歩行者はどこを歩いてもいい。
・通行が許された車(自転車含む)は徐行義務。
なお、歩行者専用に「自転車を除く」の補助標識を併設して、自転車も通らせることは認めている。この点は、自転車を例外的に通らせることで、注意喚起する意図かと思っていたが、上記の通り、明確に徐行義務が課される。
【27日補足・ここで言う「自転車」とは自転車に乗って通行する場合。自転車を降りて押して歩く時は、歩行者扱いになる。】


となると、みずほ銀行横の、同じ方向にこの2種が併設されているのは、問題だ。
(再掲)
実質的に車は入ってこないが、歩行者はどこを歩けばいいのか? 自転車(の徐行義務)は?

高陽のほうは、歩行者専用の側からは、歩行者はどこを歩いても許される。
(再掲)
その逆向きは、本来は自転車歩行者専用、後にその標識がなくなってしまっている。どちらにしても、歩行者は右側通行しないといけないし、車は徐行しなくていい。
それでは、歩行者専用側から歩く人が危険にさらされる。
現時点では、標識がなくなった側の空き地(解体前の家の敷地内に標識が立っていた)に、新しく家が建てられている。それに合わせて、標識が再建されるかもしれないが…この分ではないかな。


理屈を知れば、やはり明らかにおかしい。秋田県公安委員会、秋田県警察本部は「交通規制基準」を読んでいるのだろうか。
法律や役所の規則は、こみ入って難解なものではあるが、このケースは警察庁が「類似しているが(違うので)留意すること」などと親切に説明してくれているというのに。

※みずほ銀行横は、実はこの記事アップ直前(2020年初夏頃?)に、標識が交換され、問題は解消していた。この記事後半参照。
高陽青柳町のほうも2021年後半に問題解消
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2020.10バスダイヤ改正

2020-09-07 23:18:53 | 秋田のいろいろ
秋田市内の秋田中央交通の路線バスのダイヤ改正が、2020年10月1日に実施されることと、その内容が同社ホームページに掲載された。※昨2019年10月改正の記事
恒例ではあるが、新駅開業を春に控えた今秋はやるかどうか予測がつかないでいた。

今回は小規模。リストに路線名が出てこない路線(=変更なし)も少なくない。
「路線廃止」も告知されているが、実態としては片道1便の経由地振り替えの「系統廃止」レベル。
今回、いくぶん目立ったのは、「一部便が、沿線にある施設や団地の中まで乗り入れていている」のを、土日祝日ダイヤを中心に、乗り入れを取りやめる(乗り入れない系統として存続し、総本数としては変わらず)のが複数あった。
例によって、わずかな減便や最終便を含めた時刻変更はあるので、利用の際は公式な情報で確認願います。

↑変更なしの路線もあるとしたけれど、実は、ひっそりと全路線で適用される変更もある模様。
12月29日も年末年始特別ダイヤ適用(明確に告知されていない)
秋田市内では、10年ほど前は12月30日~1月3日で年末年始ダイヤを実施。30日と3日は土日祝日ダイヤ、31日~2日は土日祝日ダイヤの時刻表に「□」印を付けた便を運休とする特別ダイヤとしていた。
その後、徐々に、しかも明確な告知なく、特別ダイヤ適用日の拡大が繰り返され、昨2019年秋に12月30日~1月3日とされていた。さらに、いつの間にか12月29日は土日祝日ダイヤ適用になっていた。
今回(2020年末)からは、さらに前倒しされ12月29日も特別ダイヤになるらしい。したがって、12月30日~1月3日は5日連続で特別ダイヤで、普通の土日祝日ダイヤが適用される日はなし。

なお、秋田市が民間会社に委託運行する、郊外各地域の「秋田市マイ・タウンバス」では、□印特別ダイヤの概念はなく、年末年始は土日祝日扱いになるだけ。その期間は29~3日で、中央交通側とそろってはいるが、乗り継ぐ場合は要注意。


コメントでもお知らせいただいていたが、改めて路線ごとに見ておく。
※軽微な時刻移動は、原則として取り上げません。利用の際はご注意願います。
※土日祝日を「土日」、秋田駅西口を「駅」等、略記しています。
※分かりやすさと個人的こだわりにより、中央交通発表とは異なる路線・系統名で表記するものもあります。

・新国道経由 五城目線
平日最終1往復(五城目発18:51、秋田駅発20:30=五城目営業所担当便なので五城目が起点)減便。
平日は10往復に。下り最終は駅19:30に。※この便が(追分線も含めて)飯島北より先方まで行く最終便。

平日土日とも、上りメルシティ潟上→飯塚下丁が2分短縮。これに伴い、上りは全便・全区間で時刻移動あり。
→五城目線は、2020年4月に一部区間で経路が変更されている。(昔の特急バス「かもしか」と同じ?)
以前は八郎潟町へ出て、大川地区など国道7号を南下していた。現在は五城目署前で国道285号に入り、坂本入口、国花苑前、メルシティ潟上を経て7号に合流。285号による短縮効果か。


・新国道・土崎(飯田街道・秋田高専)経由 秋田厚生医療センター線
平日 上り最終(医療センター18:20)減便。上りは5本(最終16:10)に。
→医療センターでは県庁サンパーク線が20分後にあり、飯田街道~新国道では五城目線が5分後(現ダイヤ)に追走している。高専付近からの乗客がどの程度いるか知らないが、影響は少なそう。

平日土日 朝の上りのサンパーク経由(団地内乗り入れ)を1便(平日2便目医療センター8:40、土日始発7:50)ずつ、乗り入れ取りやめ。
平日始発7:55だけが乗り入れ継続。
→サンパークは県庁経由があるし、「サンパーク入口」は引き続きこの路線が通る。


・新国道経由 土崎・飯島線
土日 北部市民サービスセンター経由の取りやめ。経由していたのは下り9、12、13時台、上り10、15時台。
・県庁・寺内経由 土崎・飯島線
土日 北部市民サービスセンター経由の取りやめ。経由していたのは下り10、13、16時台、上り10、14時台。
飯島北着発1往復(駅14:30、飯島北15:30)を土崎駅前着発に短縮。
→市役所支所や公民館を統合した北部市民サービスセンター(キタスカ)オープン時は、「土崎循環線」が新設(2010年)されたほどだったが、それも2014年で廃止
駅~飯島の路線の一部が立ち寄るだけになったが、その本数も徐々に減っていた。
土崎の旧道のバス路線からキタスカへ立ち寄るには、多少距離があり、国道7号を2度越えるので長めの信号待ちもあり、無経由と比べて下り7分、上り6分、余計にかかる。
何度か乗ったことがあるが、催しの有無による違いはあるにしても、立ち寄り経路上(キタスカ前以外にもバス停がある)での乗降は皆無のことのほうが多かった。効率化のために妥当かと思う。
でも、市役所支所機能もあり、土崎駅辺りから徒歩で往復するには近いとは言いにくい場所。こんな場所にこんなものを建てた、秋田市にも責任はあるか。


・新国道経由 セリオン線
平日 下り駅10:15を減便、1日7便に→平日は30分後10:45発もあり、いちばん運行間隔が詰まっていた。


・通町・寺内経由将軍野線
?不明?
変更対象路線として時刻表が掲載されてはいるのだが、年末の12/29だけが赤文字。現時刻表と比べても、変更点を見つけられず????


・県庁・寺内経由 サンパーク・秋田厚生医療センター線
平日 上り2便目(医療センター7:05)を新国道経由から寺内・県庁経由に変更。これにより、西口-新国道-サンパーク-厚生医療センターの新国道経由サンパーク・秋田厚生医療センター線、系統番号「134」廃止
→これが、公式サイトで言う廃止路線。
市営バス時代(医療センター=組合病院移転前はサンパーク止まり)から存在した系統ではあるが、市営バス時代からサンパークといえば県庁・寺内経由がメインで(大昔は通町・寺内経由サンパークというのもあった)、新国道経由サンパーク線はマイナーだった。
市営バスの中央交通への路線移管の第一弾として、2000年に新国道経由各系統が移管されたが、この系統だけは将軍野・サンパークの一部とみなされて、翌2001年に移管された。2000年度1年間だけは、市営バス唯一の秋田駅発着新国道経由の路線であった。
移管時2001年4月の時刻表。「新国」が新国道経由、平日休日共通の時刻表
↑2001年春の時刻表の通り、かつては駅発の下りも、上りは夜の便もあった。【8日補足・上の時刻表では「将軍野線」と記されている。現在は、通町経由市民生協行きだけを将軍野線ととらえることが普通だが、市営バス~移管直後はサンパーク系統も含めてとらえられ、かつては時刻表も1つにまとまっていたかと思う。】
その後、平日/土日が分割された2000年代中頃には、組合病院発駅行の最終3便が新国道経由になるなど、一時的に新国道経由が増えた。
2015年秋には駅21:20発が廃止され下り新国道経由が消滅。その時点では、上りは朝1本のほか最終1本も新国道経由だった。

「自衛隊入口」バス停の配置上、上り便では、自衛隊通り側と新国道側(電柱に巻き付くバス停)と、同名バス停を2度通る。
時刻表検索も可能
1便だけ経由が違っていたのは、利用者にとって意味があったのか、それともまぎらわしいだけだったのかは分からない。
中央交通としては、この廃止により、新国道経由で秋田駅西口へ乗り入れる秋田営業所担当便がなくなる。※東口行きや高速バス能代線はある。
現在は、サンパーク線と五城目線以外の新国道経由各路線は臨海営業所が担当している。臨海営業所は市営バス移管で開設され、その数年後に新国道を担当するようになったはずなので、まだ10年程度。それ以前は秋田営業所が多くを担当していた(サンパーク線は当時あった秋田東営業所が担当)。
さかのぼれば、昭和30年代だろうか、秋田市電に対抗するために新国道にバスを走らせた時からずっと、秋田営業所(場所は今のドン・キホーテの所)が関わっていたのではないだろうか。それが途絶える。


・土崎・秋田厚生医療センター線(土崎駅前-自衛隊前-秋田厚生医療センター。神田線の一部とされてしまっている)
土日 全便廃止
現在の土日ダイヤは、土崎駅8:20、11:00、13:55。医療センター発9:55、11:30、13:15。
→これも妥当なところか。
JRから乗り継いで秋田厚生医療センターへ行きたい場合、来春からは泉外旭川駅で、神田旭野線の医療センター行きに乗り換えることは可能になるはず。本数や接続はまだ分からないし、運賃は高くなりそうだが、総本数は少なくない。


・神田線(駅-天徳寺前-旭野団地・外旭川市営住宅)
平日 上り1本(外旭川市営住宅回転地6:52=始発から3便目)増便。前は6:42、次は7:02
→珍しく増便だけど、昨2019年の改正で市営住宅6:57発が減便されており、その復活。朝は通勤通学で利用が多いのだろう。

・添川線(駅-天徳寺前-添川-蓬田上丁)
土日 下り始発(駅9:20)減便。→始発は14:00に!

・泉・八橋環状線(駅-千秋トンネル-泉ハイタウン-八橋田五郎-面影橋-県庁-駅)
平日のみ運行 泉回り1便(駅13:40)廃止。7:15の1本だけに。
→前身の泉・山王環状線時代からの「午前は泉回りのみ、午後は山王/八橋回りのみ」という伝統を打ち破って、2017年に「午前の八橋回り、午後の泉回り」が増便された。しかし、午前の八橋回りは昨年廃止、続いて午後の泉回りもなくなってしまい、伝統が復活してしまう。
廃止される便は、何度か見かけ、数度乗ったことがある。ゼロのこともあったが、2~3人乗っていたこともあった。神田線や泉ハイタウン線で代替できる区間の乗降もあったけど。

残るは、朝の泉回りと、午後と夕方の八橋回り、計3本。朝夕は県庁方面への通勤利用があり、当分は安泰か。午後は附属小の帰宅で使われるが、それは神田線で代替できるし…
もうちょっと工夫すれば、もっと乗ってもらえて、もう少し増便できるように思えてならないのだが。ひょっとしたら、泉外旭川駅開業時に…と期待は、しないほうがいいでしょうか。


・手形山経由大学病院線
土日 手形山西町(県営住宅内)経由を取りやめ。下り11、15、18時台、上り7、10、13時台。


・広面御所野線(東口-日赤病院-御所野)
平日 下りの御所野学院中学高校経由便の移動。東口発7:00、7:40、8:00で、経由便を2・3便目→1・2便に変更。

土日 御所野学院経由取りやめ。下り東口7:30、上り13、17時台。


・牛島経由仁井田・御所野線
土日 中央シルバーエリア経由取りやめ。下り9・12時台、上り13・14時台。


・川尻・割山線
土日 駅15:10(商業経由)減便。前14:40、次15:40と1時間間隔。

平日土日 上り船場町経由の所要時間1分増
→現行の南浜回転地→駅の所要時間は、船場町経由が30分、商業高校グラウンド前経由が32分。30分が31分になる1分の意味って? 素人にはどうも分からない。


・新屋西線
平日 下り駅14:20(新屋県営住宅経由)減便。前3便の経由を入れ替え。
13:05、県住13:35、14:05、県住14:20、14:50、県住15:20。

県住13:05、13:35、県住14:05、14:35、県住15:20。


・臨海営業所線
土日 上り1本(臨海10:35)増便。
下り駅19:12に、年末年始ダイヤ適用時運休の「□」印追加。年末年始の最終は16:39に。
→車庫行きは時刻表があってないようなもの。時刻表にないバスが来ることがある(と期待して待っても来ないこともあり、それで当たり前なのだが)。特別ダイヤと言えども、他路線駅着便はあるだろうに、全部回送で戻るということか。


※時刻移動のうち、平日の駅発最終便が繰り上がるものをまとめておく。
神田線21:15→21:10、秋田温泉線21:00→20:50、商業経由川尻割山線21:15→21:10、新屋線21:05→21:00(土日も21:00→20:50)、新屋西線21:25→21:20。
以前から臨海営業所担当路線を中心に、最終便が少しずつ繰り上がっている。少しずつ労働時間を削っているということか。
ちなみに、秋田新幹線「こまち39号」は、秋田21:04着(臨時列車運転により21:10になる日あり)。乗り換える人がいるかもしれないが、今回は直接的には影響ないかな。昔は新屋線など22:00が最終で、もう1本後のこまちでも乗り換えられた(こまちのダイヤも現行とは違ったけれど)ものだ。


●空港リムジン「御所野」廃止
秋田空港リムジンバスの、空港発西口・県庁行きの降車バス停「御所野」が廃止。空港の次のバス停は仁井田横丁となる。
御所野は、一般路線バス(とマイ・タウンバスも)用バス停としては存続するのでしょう。
立地的に御所野と空港を行き来する人はいなくはないだろうけど、片道だけでは使いづらかったことだろう。どうして空港行きの乗車は扱わなかったのか。



半年後には、泉外旭川駅が開業する。神田線と泉ハイタウン線(今回変更なしらしい)が乗り入れるはずで、また改正があるに違いない。
ダイヤとは関係ないかもしれないが、ICカード乗車券も導入される。その準備は順調なのでしょうかね。【12月1日追記・ICカードは、1年遅れて2022年春開始になった。】
さらに、来年以降は、秋田に限らず、新型コロナウイルス感染症による、外出もしくはバス利用頻度の低下で、さらなる減便もあるかもしれない。

※10月には行き先表示の内容の一部変更が行われた。さらにバス停名称の変更も実施。
※このダイヤでの年末年始の状況や過去との比較はこの記事
※1年後2021年10月改正について


秋田市内とは関係ないが、男鹿市では、北浦・男鹿温泉・湯本方面の男鹿北線が廃止される。
これにより、中央交通本体直営の路線が男鹿からなくなり、中央交通男鹿営業所が廃止される。
廃止代替バスは1乗車200円均一で、中央交通の回数券は使えないらしく、払い戻しを行うとのこと。

男鹿北線代替を含めた男鹿市が運行する「男鹿市内バス」は、中央交通の子会社・秋田中央トランスポートが運行を受託するため、その男鹿営業所は同じ場所で存続。それに、中央交通本体の男鹿営業所も、ここ何年かはトランスポートに委託していた(五城目営業所も)そうだが、秋田中央交通の名前が男鹿から消えるわけで、大きな節目になるだろう。

廃止直前の男鹿北線は、平日9往復、土日祝日4往復だけ。それだけを直営にするのは効率が悪そう。
少し昔は、新国道経由で男鹿営業所と秋田駅を結ぶ路線、秋田駅-男鹿温泉・入道崎の急行バスもあったことを思えば、地域の衰退を感じさせられずにはいられない。
(再掲)2010年春で秋田市と男鹿市を結ぶ路線は廃止。写真は元秋田市営バスの大型車

再掲)2008年まで運行されていた急行バス
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秋田製ごみ置き場

2020-08-19 23:58:43 | 秋田のいろいろ
“告ぐ”」でも触れた、秋田市のごみ置き場(ごみ集積場)について。
土地によっては「ごみステーション」と称するそうだが、秋田市では一般的ではない。ただし、秋田市役所ホームページでは「ごみ集積所」が基本なものの、一部で「ごみの収集・集積所(ごみステーション)」の表記が見られる。
秋田市では集積所を「概ね15戸から20戸につき一カ所設置できます。」とのこと。乱暴に計算すれば、秋田市の世帯数は13万7千だから、20で割っても6千か所以上、集積所があるかも??

昔は、覆うものがない台だけの集積所もあれば、何もなく道端にただ積み上げただけの集積所もあった。
2014年に「秋田市ごみ集積所の設置および維持管理に関する要綱」が定められた。「ごみ集積所の形状は、ボックス型、折りたたみ型および被せネット等(ブルーシートを含む。)の3種類とする。ただし、市長がやむを得ない事由があると認めるときは、この限りでない。」とあり、今は基本的には積み上げるだけではいけなくなったらしい。

市街地では、以前は積み上げてネットやシートをかける集積所も多かったが、近年は激減している。
市が、集積所の購入や設置に補助金を出すようになり、それを利用した町内会が多いのだと思われる。

補助制度は、集積所を自作しても対象になるものの、実際に新たに設置されるものは市販品を購入する町内が多い。もちろん複数のメーカーが製造しているが、市内で圧倒的に多い製品がある。市街地に限れば、おそらく集積所の半分前後がそれではないだろうか。それが、
これ
「折りたたみ型」に該当するので、
折りたためる

たたんだ状態の中央部
上の写真で「T」型の部品を四角い枠が囲っている。その枠は右側のボルトを軸に右へ半回転させることができ、それによって、T部分が手前に倒れ、収納スペースができる仕掛け。

広げると全面がネットで囲まれ、上面のネットがめくれる作りで、そこからごみを入れる。
上の2つの写真は、別々の町内のものだが、広げた時に地際になる部分は銀色のシートになっている。ただし、製造メーカーのホームページに出ている写真は、シートがなくすべてネット。
高さ1.3メートル。幅は186センチと247センチ、広げた時の奥行きは90センチと70センチがあり、組み合わせて4タイプがあるようだ。2つ並べて設置する町内もあった。
こんな町内も
本来のネットだけでは足りないのか、青い網を足している。
これは2つのコンクリートブロックの重さで、路面や地面に固定する方式。ブロックが、枠の後部ギリギリにあるので、背面を無駄なく使えるものの、その分、条件によってはバランスを崩して後ろに倒れてしまいそうな気がしなくもない。
上の写真では、歩道の車道際に設置しているから、後ろに倒れたら車にひかれる。以前、台風で倒れたのを1つだけ見たが、それは前に倒れていた。メーカーでは、条件によってはアンカーボルト等で固定することを呼びかけている。

強固ではなさそうな作りだけど、そんなに壊れやすいというわけでもないとは思う。でも、
こんな町内も
黄色い網もあるけど、なんか枠が壊れてません?

この多数派の折りたたみ置き場、実は秋田で作られている。シールが貼ってある。
「日本機械工業株式会社」
新国道から貨物駅方向に入った、秋田市寺内字三千刈に本社がある企業。道路の防雪柵なんかも作っている。
公式ホームページによれば、これは「折りたたみ式ゴミネット NEWタウンネット」。1999-2000年のグッドデザイン賞を受賞しているので、20年以上売られていることになる。
秋田市でのシェアは圧倒的だが、全国的には分からない。「折りたたみ ゴミ置き場」で画像検索しても、他にさまざまあって見当たらない。秋田市が地元メーカーの製品をあっせん・推薦などしているのか、それとも製造元が地元で熱心に営業活動している成果なのか。


折りたたみでない、ボックス型とされる常設のごみ置き場は、スペースに余裕がある郊外部のほうが多いかと思う。町内の器用な人、あるいは大工さんが作ったような小屋状の集積所は、今も見かける。「路線バス乗り継ぎ旅」だと、徒歩移動中にバス待合所を見つけたと思ったら、ごみ置き場でぬか喜びする場面がある。
常設タイプでも、新しいものをたまに見かける。そんなに多くないが、市内に複数あるのが、
このタイプ
カキッとして丈夫そうな、全金属製。プレートがあって、
「有限会社 堀井鉄工」
これも秋田市内。勝平の新屋天秤野にある。
ホームページによれば、竿燈まつりの継ぎ竹の接続部品(タンパクと呼ぶそうだ)、赤れんが郷土館の「P」看板なども作っているが、「ゴミステーション」が主力商品。
20年ほど前から、全国に900基以上設置例があるとのこと。規格品もオーダーメイドもあるが、最低でも10万円はする。


秋田市がごみ置き場を何らかの形で「覆う」ことを求めているのは、カラスや動物に荒らされないためだろう。紹介した2タイプとも、壁はなく網で囲まれているので臭いは漏れてしまうが、通気性を良くする意図だろう。
常設タイプだと、屋根というか天面があって雨や雪が降り注がない。秋田市街地程度の積雪なら耐えられそう。でも、横は全部網なので、吹雪の時は中に積もってしまう。折りたたみ式では天面もネットなので当然。
となると、気になるのは、出したごみが濡れてしまうこと。回収・処分されるものだからいいのだろうけど、その分、重くなり、回収する人や焼却炉に、多少は負担になりそう。古紙だと、確実に重くなるから、雨の日は出すのが特に気が引けてしまう。

そもそも折りたたみ式では、資源化物の日はたたんだまま、前に置いても問題がないようにも思う。カラスたちは資源化物は狙わないはず。
でも、秋田市の決まりでは、ごみの種類を問わず覆うことを求めているようにも読めるから、厳密には広げないといけないのだろうか。
冒頭の写真を見れば、広げた中に瓶回収箱が入っている。回収業者が箱を置いていく時は、広げずに路上に置いていくので、各町内の人たちが広げて中に入れていることになる。実際には、資源化物でも広げる集積所のほうが多いのではないだろうか。

以上、秋田産、地産地消のごみ置き場でした。秋田市のごみ集積所の話は続きます
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「<>」「><」ボタン

2020-08-18 00:42:20 | 秋田のいろいろ
JR東日本秋田支社のドアボタンの話。
奥羽・羽越・津軽線を走る701系電車において、新タイプへの更新が始まったのは、2013年末のこと。
その後、更新が進んだものの、工場(秋田総合車両センター)に入っても、必ず交換されるというわけでもないようで、今も製造当初のボタン(以下、原型)のままの編成も数本残っている。
2両編成のN16編成は未交換

原型ボタンの外側はぐいっと押さないとならない
秋田の701系は、田沢湖線用を除いて2両編成30本と3両編成11本が運行中(関連記事)。
その中で、運用範囲が狭いグループが2両×3本ある。
N36~N38編成で、申し訳程度のボックスシートが設置され、奥羽本線の新庄-秋田と秋田-弘前だけを走っている。弘前方面は1日1往復だけだし、新庄方面は利用する機会が少ないので、個人的には遭遇する機会がほとんどない編成。
N37編成。貫通扉の「N37.」の文字が太く、「ワンマン」の書体が違うのは、秋田支社の気まぐれ?
N37編成のドアボタンが違った。※写りが悪くて恐縮です。
車外
ボタン自体は車内外とも同じもの。
車内
他編成の新しいドアボタン(以下「多数派」)を見慣れた人なら、ちょっと違うと思われるかと思う。
僕の第一印象は「出っ張ってる」。ボタン自体もだし、周囲の黄色い輪も、立体感があるような、だけど平べったい感じもするような。それに、ボタンそのものが若干小さい感じも。
多数派と比較すると、
(再掲)

(再掲)
比べると、まずはボタン表面のアイコンが違う。
多数派は、エレベーターのドア開閉でよく用いられる、中央に縦線、ドアの動く方向を横にした▲で示す。平面に印刷されているはずで、指で触れるだけでは区別できないと思う。
N37編成は「<>」と「><」で、盛り上がっているので、触れて区別可能。

どちらも、ボタンが有効な時は、周囲に緑や赤のLEDが点灯する。多数派は、点灯部もボタン中央と同じ平面で、LEDの粒が見える。N37ではつるんとしてカーブ(アール)が付いていて、ほぼ均一に点灯(写真に撮ると明暗が出る)する。
その外周の黄色い部分も、多数派は外に向かって傾斜した「頂上が平らな山」みたいな作り、N37は平面部分が広く、救命用浮き輪もしくは切ったバウムクーヘン状。

多数派では、ボタン面と黄色い枠の高さがそろっているのに対し、N37ではボタンのほうが少し出っ張って、さらにアイコンが出っ張っている。
N37編成車内ボタン
また、車内側のボタンの三角柱の台座は、多数派ではボタンがない面は白いプラスチック製【18日追記・というかボタン取り付け面だけ金属で、その縁も含めて樹脂製】だが、N37ではその面も金属【18日追記・全面金属で、樹脂は見えない】。

ボタンを押すと、多数派ではコリッというかカチッという軽い感触だけで、ボタンそのものはほぼ動かない。小指でも操作できるであろう。
押したところ
N37では、ストロークがわりとあって、ボタンが戻ろうとする反動もあるので、多数派よりは押すのに力を要する。クリック感はなかったと思う。原型のゴムをかぶせたような車外ボタンに比べれば、軽いけれど。【18日補足・そういう点では、原型の車内側のボタンと共通するが、原型よりは軽くて押しやすいと思う。】


ドアボタンに求められるのは、誰でも分かって誰でも使いやすいことに尽きる。
アイコンの機能(開/閉)の分かりやすさと触覚での識別はN37のほうが良さそう。でも、ボタンの反応・操作性では多数派のほうがいいのではないだろうか。
ボタン自体の存在の分かりやすさや、大きさ(測ってないので厳密には不明)は大差ないだろう。

調べてみると、以前ちょっとだけ取り上げた、首都圏のE233系電車の一部の車外のドアボタンも同じもののようだ。
(再掲)モハE233-421。2007年製造
けっこう前から存在するボタンで、JR東日本では2種を並行して使っているようだ。

仙台地区のE721系電車の一部では、2019年頃にN37編成と同じもしくは酷似したボタンに交換された車があり、701系の一部でも交換されているとのこと。車外/車内問わず。
秋田のN37編成では、少なくとも2019年4月時点でこれに交換済み。2015年始までは原型ボタンで、2015年春にボタンが交換されているようだが、その時に既にこれだったのか、あるいはいったん多数派に交換された後、再度これに交換されたのかは分からない。

秋田地区における、ボタン交換の進捗が分からないが、原型のまま残っている編成は、いずれこれになるのだろうか。としても、既に交換済みが多いから、それらを変えない限り「少数派」になりそうだけど。


ところで、男鹿線の蓄電池電車EV-E801系。今はまだ2両×1本だけだが、今年度中に5本追加導入され、来春から本格稼働。
先日(7月末か8月頭?)、ホームで見かけた時、車外のドアボタンが以前と違う気がした。改めて確認。
今春のラッピング時

今春のボタン
落成時点から付いていたのは、701系交換後の多数派と同じボタンだった(ただし、車内側の台座は異なる)。
現在は、
N37と同じボタン!
車内側はそのままで、車外だけ交換されていた。わずか3年で交換されるとは…
やはりこれがこれからのドアボタンなのだろうか。
車外側ではアイコンの分かりづらさは(1つしかボタンがないので)大きな問題ではないし、中と外でアイコンが違うのもちょっとおかしいかも。

701系の今後の交換、EV-E801系量産車に注目。
【追記】その後、2020年12月19日には、運用区間限定でない2両編成の、N11編成とN21編成でも、このボタンに替わっているのを確認。12月31日にはN18編成も。
EV-E801系量産車は、内外ともこのボタン。
EV-E801系のG1編成の車内側も、2021年にボタンが交換されて、このボタンになった。
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地家簡裁/農水支局

2020-08-04 00:25:24 | 秋田のいろいろ
秋田市山王の裁判所建て替えの続き。
隣接地に仮庁舎が建てられ、2019年11月から業務が行われている
その後、旧庁舎の解体に入っているが、今のところ姿はあまり変わっていない。リサイクルを徹底するご時世のためか、頑丈だったためか。

現在は、旧庁舎に広めの仮囲いができ、建物1階など一部はシートで覆われ、窓ガラスが外され、多少は進んでいる。
休工日のようだが、出入り口は開けっ放しだったので、のぞかせてもらった。
右の正面玄関は壊されている。一部のガラスは残っている?

北西角。手前は仮庁舎の車庫。左奥は県庁正庁舎【2021年4月11日訂正】本庁舎、右奥は秋田法務合同庁舎

さて、これまで何度も繰り返していたように、このような地方の裁判所の建物の呼称が謎だった。
仙台高等裁判所秋田支部、秋田地方裁判所、秋田家庭裁判所、秋田簡易裁判所、秋田検察審査会が入居するわけで、普通なら「○○合同庁舎」のような建物名があってもいいのに、裁判所の場合はなさそうだった。
秋田市で「裁判所」といえばここだけだから、それで誤解なく通じるわけではあるけれど。

仮庁舎の南西角=裏、農水省の出先機関の建物寄りに、
「建築計画のお知らせ」4月20日付
3階建て以上の建物を建てる時に義務付けられている看板。
連絡先は、東京都千代田区の「最高裁判所事務総務局経理局 営繕課第一設計班」。

この看板で、いちおう謎が解けた!

建築物の概要>名称欄に「仙台高裁秋田支部秋田地家簡裁庁舎」。
解けたけど、釈然としない。
入居する5機関のうち秋田検察審査会が無視されてしまっているのは、まあいい。
「仙台高等裁判所秋田支部」を略して「仙台高裁秋田支部」。ほかの3裁判所は、頭に秋田が付く「秋田XX裁判所」なのでまとめて、1文字ずつ並べて「秋田地家簡裁」か。

高裁支部と比べて、「地家簡」が軽んじられてしまっている感じ。
高裁支部はあまり略さず、後半は一気に略してしまっているのが、アンバランスだし、略しているのにまだ長い。
で、読みは「ちかかん」でいいのでしょうか?

Googleで検索すると「"地家簡裁庁舎"」約1390件。今回のような各地の裁判所庁舎の工事等の入札資料や、施工業者の施工事例紹介を中心に使われていた。
また、弁護士や裁判傍聴愛好家は、各裁判所を一括して呼ぶ時に、「地家簡」「地家簡裁」と頭文字をつなげることがあるようだ。
2016年3月には、産経新聞の見出しで「切手ずさん処理が約900万円分 全国の地家簡裁と同支部、最高裁発表」というのも。
一般人でも「高裁」「地裁」など単独の略称では通用するが、まとめて建物の名称として「地家簡裁」は通じないだろう。漢字で見せられれば理解は可能だけど。

「秋田裁判所庁舎」みたいな、もっと簡潔な庁舎名にしようという発想はないのでしょうか。

【9月1日追記】9月1日付秋田魁新報に、同日付の人事異動が掲載。「秋田地家裁異動」のタイトル。
内容は、秋田地家裁事務局長→青森地裁事務局長、山形家裁事務局長→秋田地家裁事務局長。つまり、事務局長は、秋田は地家兼務で(そして簡裁は別)、青森と山形は分離されているのだろうか。
それに、役職名や対外的な人事異動発表でも、「地家裁」とまとめた呼称が使われていることになる。



裁判所はここまで。※新庁舎はこちら
工事看板が立っていたすぐ横が、農水省の出先機関。その名称についても。
当ブログでは、これまで何度か「東北農政局 秋田県拠点」を用いている。それは、ネットの地図などでその呼称が用いられているし、東北農政局の公式サイトにもそう書かれている。
東北農政局「組織図」より抜粋
2001年に農林省が農水省になり【5日削除】、2003年に外局の食糧庁がなくなり、2011年まで出先機関は農政事務所(秋田農政事務所)という名前だったりという、変遷はなんとなく把握していた。「県拠点」はその後?

ところが、裁判所裏の秋田農政事務所時代からの庁舎の正面の植え込みには…
東北農政局 秋田支局
奥の玄関上にも同じ名前があった。「秋田支局」って何?

ネットで調べると、たしかにそのような名前が使われていることは分かる。しかし情報が少ない。
東北農政局のホームページ内を検索すると、2015(平成27)年のPDFファイルがあった。
抜粋
「平成27年10月1日に秋田県に新たな農政の拠点(東北農政局秋田支局)が配置されました。」
まったく新しい組織ができたかのような言い回し。それ以前がどうだったのかが分からない。
PDFに組織図が出ていて、農政局の下に「地方参事官」がいて、それが「支局長」。以下、各組織で秋田支局が構成されているらしい。
ただ、それは、現在ホームページに出ている「秋田県拠点」と変わらない。


Googleストリートビューで、庁舎前の表示を見ると、2017年7月では現在と同じ支局。
支局発足前の2015年8月や2012年10月では「東北農政局 秋田地域センター」だった。

Wikipediaの「地方農政局」の項では、
2011年9月1日に「旧食糧事務所の残存組織であった地方農政事務所は、(略)廃止し、地域センターに改組再編した。」。
2015年10月1日に「地方農政局の内部組織変更。地域センターを県域拠点に改組し、地方参事官を配置」。
さらに「県域拠点」の説明として、
「名称は、改組当初は「○○支局(例:滋賀支局)」が多く使われたが、2018年現在「○○県拠点(例:滋賀県拠点)」でほぼ統一されている。」

Wikipediaでやっと分かった。つまり、秋田の場合、
秋田農政事務所→秋田地域センターが、2015年10月時点に秋田支局に。その後、どこかで秋田県拠点に変更されたのだろう。
そして、庁舎の表示は、秋田県拠点に変更されておらず、1つ前の秋田支局のままということか。
支局と県拠点では、どこが違うのだろう。地方参事官が「支局長」を名乗るかどうかくらいの違いしかなさそうな…
立派な表示を作ったのに、短期間で変えるのも無駄だけど、実態と違うというのは… ゼンリンの住宅地区ではどうなっているだろう。地理院地図では、ごちゃごちゃしているが、県拠点と記載。


あと「秋田支局」という名前の組織って、官民問わず、意外にありそうでないのでは。
国関係だと東北運輸局「秋田運輸支局」はある。
あとは、読売、毎日、産経といった全国紙の秋田支局くらい。朝日新聞とブロック紙の河北新報は「秋田総局」だし、IBC岩手放送秋田支局は2003年頃に廃止されている。たまに誤解する人がいるが、NHKは「秋田放送局」、支局はその下部組織(旧・報道室)の名。
農林水産省東北農政局秋田支局も、今は表示だけで組織としては存在しないことになろう。

それにしても国の機関の名前は分かりづらいものだ。
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原の町セブン閉店

2020-08-01 23:36:55 | 秋田のいろいろ
「8/6 15時閉店します」
秋田市内のセブン-イレブンに閉店の告知が出た。
8月6日・木曜日15時で閉店するのは、セブン-イレブン秋田保戸野原の町店。

千秋トンネル通りが菊谷小路と交わる交差点角、秋田保戸野郵便局の小路を挟んで隣に、2018年11月30日にオープンした店
店内に入って突き当りに横長にレジカウンターがある、2018年から採用された「タイプF1」と呼ばれるレイアウトの店。

セブン-イレブンが秋田県に進出したのが2012年5月、秋田市は2013年3月。
その間、内陸南部では閉店した店はあったと聞くし、市内では自衛隊通りの近距離で店が移動(旧店舗は解体)した例はあった。【2日追記・秋田市内でも少なくとも2店舗が既に閉店していました。コメント欄参照】
原の町店は「閉店」としか書いていないから、近隣への移転ではなさそう。2年経たずに閉店してしまうのは、かなり短命。

閉店の理由は?
普通に客は入っていたと思う。生鮮野菜コーナーがあり、直近に他のコンビニやスーパーがないので、近隣の高齢者で利用する人もいた。
セブンは開店時の立地や商圏の調査が綿密だとされるから、たった1年ちょっとで客が来ないからと、やめるだろうか。

近接した交差点の角で、車の出入りが危険だったというのも、開店前から分かっていたことだし、大きな事故は起きていないはず。

となると、従業員確保や、オーナーの何らかの問題だろうか。
新型コロナウイルス感染症は、ここまでは影響はあるかどうか。


さて、原の町店の土地は、開店前は駐車場だったので住居表示がない土地だった。開店直後には「保戸野原の町28-1」とされていたが、ここが「1番地」なのは確実だから間違い。現在は、
公式サイトより
「保戸野原の町1-16」になっているけど、まだ違うような。
こここそ「保戸野原の町1番1号」だと思うのだけど…
Googleマップで「保戸野原の町1-1」を検索すると、
セブン原の町店の場所に印が付く(店の住所としては1-16としている)


再び、ちょっとしたコンビニ空白域ができる。※周辺のコンビニは、セブンが通町と桜町、あとは附属学校敷地の反対側に密集しているローソン群
跡はどうなるのか。密集ローソンの1つが、居抜きで移ってくるとかないかな???

なお、原の町店の数か月後にオープンしたフォンテ秋田店、その近くに先立って2017年にオープンしていた、駐車場がなく、やや狭く変わった造りだった仲小路店は、どちらも健在。

※セブン-イレブン保戸野原の町店だった建物は、2021年1月下旬に解体された。
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盆灯籠の税率は?

2020-07-31 00:02:47 | 秋田のいろいろ
もう8月、(月遅れの)お盆も近い。
秋田(+青森津軽、所によっては山形庄内や岩手でも)のお盆に欠かせないのが「盆灯籠(とうろう)」。
照明の灯籠ではなく、仏事やお盆らしいアイテムをかたどって着色したモナカの皮状のもので、それを盆棚に吊るす風習がある。「下げ物」や「とうろうっこが」転じたのか「トロンコ」などと呼ぶ土地もある。
※お盆専用の「盆棚」を作らず、単に仏壇に飾る家庭も今は多いだろう。宗派などの違いか無着色の白いものもある。山形県庄内では落雁のような素材のものもあるらしい。
2010年以来、何度か取り上げ、毎年シーズンには多くのアクセスをいただいている。

盆灯籠は、もともとは農家の副業として作られていて、後に地元の菓子メーカーが製造するようになったとのこと。
秋田県では地元の大手「たけや製パン」のものが広く流通する。青森県では弘前市の「かさい製菓」のものをよく見かける。そして、その両者は、商品名が「お盆とうろう」、中身も袋のデザインも同一。
たけやでは、秋田の授産施設に製造の一部工程(組み立てなど?)を委託している。
よく分からないものの、たけやとかさいで、製造工程の(全部もしくは)どこかが共通化されていると思われる。

秋田では多くはないものの、青森市の「種金 山野辺商店」もしくは「八甲堂」というメーカーの「お盆供養とうろう」が流通していた。袋も中もたけや・かさいとは別。
ところが、その山野辺さんは2018年で廃業してしまった。
昨2019年は、まったく同じものが、北津軽郡鶴田町の「サトウ商事」の商品として売られたので、権利や型が譲渡されたと考えられる。


さて、2020年も、7月半ばからスーパーで盆灯籠が並んでいる。
今年気になるのはその消費税率。

昨年秋から、酒以外の食品と新聞は軽減税率8%に据え置かれ、それ以外が10%に引き上げられた。
盆灯籠は、食品メーカーが、食べられる原材料で製造するし、お供え菓子など食品と同じ売り場に置くスーパーが多い。
しかし、袋には「食べられません」と注記される。栄養成分も賞味期限も表示されない。
たけや製パンなど各食品メーカーにとって、おそらく唯一の食べられない商品ではないだろうか。
なお、ほんとうに食べてしまう人もいるらしいが、たけやのものは2月とか冬の時点で形としてでき上がっており、密封されずに半年以上経つのだから、食べないのが無難でしょう。

軽減税率は、イートインorテイクアウトとか、ほぼ同じ成分でもサプリメントと薬で税率が違ってしまうなど、おかしな制度。
お盆関連では、お供え用の段重ねの落雁は、ちゃんと食べられる食品扱いだから3%なんだろう。
じゃあ、盆灯籠は?


我が家でも(形式的ながら)必需品だから、買わねばならない。
買った
30日はイオングループで5%引き、7月30日は木曜だから、イオン東北運営のマックスバリュ店舗なら「ごばばばーい」のポイント5倍デーでさらにお得。
今年の秋田市内のマックスバリュでは、たけやのものしか置いていないようで、値段も標準的なので購入。ここ数年は山野辺→サトウだったから、久しぶり。
税抜き表示のレシートは、
お盆灯籠 198
「※」が付いていないから、軽減税率対象外・10%だ。
198円だと、税込み217.8円。今回は10円値引いてもらって、税込み206.8円。

ちなみに、上のハーフベーコンに「会員様割引 5%」の前に「一般割引 5%」とあるのは、これもイオン東北運営マックスバリュ恒例「ハームハムハムソーセージ(略)ごパーオフ」の5%引き。歌詞にはないものの、ベーコンも対象。感謝デーと重複適用され、ポイントも5倍でお得。


買ってきた今年のたけやのお盆とうろうは、袋も中身も、これまでと変化ないようだ。
改めて見ると、たけやは「発売元」とされている。ヤマザキ系列の商品では「製造者」「販売者」表記が普通なので、珍しいけど、やはりたけやは直接製造には関わっていないことになろう。【8月1日追記・記載された電話番号は、フリーダイヤルのお客様相談室ではなく、本社代表電話番号。フリーダイヤル設定前に印刷したのか。】
価格は、今年はイオン以外でも税込み217円で売るスーパーが多い。昨年まではもっとバラついていた気がするけど… 来春撤退するので今年で最後となる、ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店では、昨年までは、たけやより山野辺→サトウのほうが安かったが、今年は逆転して217円のたけやが最安。あと、マックスバリュでは、7月中頃当初はもっと高く、後から値下げしたようだ(旧イオンリテール店舗では最初から217円)。
【2021年8月8日追記・翌2021年は、マックスバリュは据え置き217円、総合スーパー・イオンはちょっと値下げして213円。】
【2023年8月14日追記・2022年も2021年と同程度の価格。物価上昇が著しくなって、2023年は260円程度に値上がり。】

【8月8日追記】いただいたコメントによれば、たけやの盆とうろうは、秋田の最中種メーカーが製造しているとのこと。
また、青森の紅屋商事のドラッグストア「メガ」の折込チラシによれば、今年も以前同様、青森県内の店舗ではサトウ商事の、秋田県内の店舗ではたけや製パンの灯籠を棲み分けて販売。価格はどちらも税込み約217円。

【2023年2月8日追記・サトウ商事の製造風景が報道された】
2023年2月7日、NHKが青森放送局が「お盆の時期つり下げて飾る「お盆とうろう」作り本格的に始まる」として、製造風景を報道してくれた。東北地方の話題として、秋田県でも放送。以下、抜粋。
「お盆の時期に、墓の前や仏壇につり下げて飾る、「お盆とうろう」と呼ばれるもなか作りが、青森県鶴田町で7日から本格的に始まりました。」
「「お盆とうろう」は、もち米とコーンスターチを材料にしたもなかで、津軽地方や下北地方では、野菜や果物などの供物の代わりに墓の前や仏壇に飾って、お盆を迎える風習があります。」

「鶴田町にあるサトウ商事は、県内で唯一、「お盆とうろう」をつくっている業者」
「作業は着色した生地を蒸し上げたあと冷蔵庫で冷やして固めてから2センチほどの大きさに切ってチップ状にします。
これを専用の金型に入れて、ゆっくり焼き上げると花や仏像の形をしたもなかができ、2つのもなかを紙のひもでつなげると「お盆とうろう」が完成します。」

「作業は、5月下旬まで続き、20万個から30万個のお盆とうろうを作って、県内をはじめ、一部に同じような風習が残る北海道や秋田県などに出荷する」

大変詳しく伝えてくれ、貴重な製造シーンを見ることができた。
秋田で製造されるとうろうも、福祉施設によって冬のうちから製造されると聞いていたが、それはくっつける作業のようだった。全工程を初めて知ることができた。
青森ではここが唯一と報道された。たけや製パンのものと同一のとうろうを売る、弘前の「かさい製菓」のものは、秋田で作っているとのコメントをいただいていたが、それを裏付ける。(以上追記)


津軽地方では、お盆にお墓に供える折り詰め「法界折」があり、スーパーでも販売される。秋田市内でもまれに販売される。
それも「食べられません」扱いのものもあるので、やはり10%課税なのかな。
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アンダーパスの水位線

2020-07-28 23:55:09 | 秋田のいろいろ
昨日の猿田川の記事アップ後、東北地方で大雨となり、各地で被害が出た。
秋田市でも避難所開設、浸水被害はあったが、人的被害はなく、とりあえず雨はやんだ。

大雨で危険な箇所の1つが、線路や道路の下をくぐるアンダーパス(地下道)の冠水。
冠水を知らずに、もしくは知っていても通り抜けられると思って車が進入し、途中で動けなくなることがある。水深10センチでも車に影響を与える場合もあるし、深くなればドアが水圧で開かなくなって出られなくなる危険もある。

冠水自体を防ぐのは難しいだろうし、ピンポイントなので監視も行き届かないのだろう。冠水していることを、その場で直接運転者に知らせる方策が、各地でされているようだ。
秋田市道では、昔から一部で冠水警報装置が設置されており、2010年頃に更新・増備されている。

最近は、「水位の目安になる線」を引くことが流行っているようだ。入口付近で、この線まで水が来ていたら、中央部で水深どのくらいか分かる。
やり方は2つあるようで、1つは路面にペイントするもの。停止線の道路標示のような感じ。分かりやすそうではあるが、消えやすそう。
多くが採用するのが、壁へのペイント。
秋田県道の外旭川アンパスで実施されたのに、昨年末に気付いた。Googleストリートビューで調べると、もっと前、2015年8月から2017年7月の間に施工されていた。
ストリートビューより
外旭川アンパスでは、水深0.5メートルに黄色、1.0メートルに赤色の線。
目安として、30~160センチまで、10センチ刻みの目盛りもペイントされている。
※もちろんいちばん低い部分における水深なので、上の画像地点では30センチがいちばん下になっている。

全国的にも、赤や黄色の線を引くところが多い。これを見て連想したのが、川の橋の橋脚などに表示される、水位の目安。前回の猿田川の最後でも触れた。
(再掲)秋田市太平川愛宕下橋
下から黄色、赤、白の順。
前回の繰り返しだが、いちばん危険なところが白なのは、違和感。全国的にも多数派ではなさそうだった。
川とアンダーパスで同じ色使いにする必要性はないが、外旭川アンパスのほうが直感的で分かりやすいものの、「まだ黄色だから大丈夫」と突っこんでしまって立ち往生する場合もあり得る。

秋田市道のアンダーパスでも、壁に線が引かれている。
明田(みょうでん)地下道
2017年7月から2019年9月の間に線が引かれていた。
歩道から車道を見下ろすと、1.0メートル位置の黄色い線が目立つ。最深部では歩道と車道が隔てられていて見づらいが、赤っぽい線も引かれている。
水深0.5mの線
ストリートビューで最深部を見ると、
縁石みたいな部分にもう1本、赤い0.2m
すなわち、0.2メートルが赤、0.5メートルがオレンジ(サーモンピンク?)、1.0メートルが黄色。
外旭川アンパスと比べると、0.2メートルがあるのはより注意深い(車が被害を受ける可能性は充分ある)が、水位も色も県と統一されていない。


秋田市道のこのほかのアンダーパスでは、2019年度末に10か所(架道橋なども含むが、市道アンダーパスの全部ではない)で施工されていた。
南中裏と明田富士山の間の楢山大元町地下道

両側の壁に3本の線

保戸野と泉の間の天徳寺地下道
色と水深は明田地下道と同じ。
入札資料では「地下道内縦断変化(底部分で高さが変わるってこと?)」の有無で、中央部(線路などの直下)にもペイントするかどうかが違い、牛島西アンパス、茨島・大住アンパス、末戸松本地下道では、中央部にもペイント。それ以外は、出入り口の斜面部分のみ。

さて、楢山大元町と天徳寺の両地下道(他は未確認)の線がおかしい。ズーム撮影すると分かりやすい。
楢山大元町地下道

線が一直線じゃない!
同じ位置を示すはずの同じ色の線が、構造上いったん途切れる部分でがくんと差がついている箇所もあれば、途中からぐにゃりと角度がついて曲がってしまっている部分もある。
黄色い線が左で下がっている

反対面も
天徳寺地下道でも、おおむね同様だった。
最深部での水位を示している線なのだから、同じ地下道内では一直線でなければおかしい。途中でぐにゃりとなるのは、地球の重力に逆らう力が働いているのか?

大元町や天徳寺は、古いアンダーパスであり、壁の構造や角度が、つぎはぎのように変化している。



そういう環境で、正確な直線を引くのは技術的に難しかったのかもしれないけれど、ぐにゃっと曲がっているのは、みっともない。完工時に、市がチェックするものだろうが、よくぞパスできたと思わずにいられない(渋々OKしたのかな)。
まあ、目安ということで…
いくら苦労して線を引いても、分からない人は分からず、突っこんで水没してしまう事例はなくならないでしょう。無理せずに、慎重に。
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元都営ロング 秋田市街で活躍

2020-07-26 20:59:03 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通の秋田市内を走る路線バスの中古車の話。記事は2018年末が最後【27日リンクミス修正】だったが、その後、2020年春までに断続的に導入された。
小田急中古はあまり入らなくなり、2019年夏に大型車・エルガが何台か入ったのが最後。中型は来なくなった。
その代わり、首都圏や関西の複数事業者から来るようになり、2020年初めにはワンステップまたはノンステップの日野といすゞの中型車が5台強(?)導入されたのが最後。
新型コロナウイルス感染症流行で、取り引きや輸送もままならないのか、最近は動きはなさそう。秋田200かナンバーはそろそろ15-00到達か。


話が少し戻るが、中型バスの幅はそのまま、車体長を大型バス並みに延長した、「中型ロング」のバスも導入された。今のところ4台で、いずれもノンステップの日野レインボーHR。
秋田市内では、秋田市交通局(秋田市営バス)から譲渡された、日産ディーゼルのワンステップの中型ロングはあったが、2011年頃までに廃車済み。※秋田市交通局の中型ロング車は、1993年製で、全国的にかなり最初期に製造されたものだった。関連記事。また、羽後交通・急行本荘線には、近年西武中古の中型ロングが入ることがある。
中央交通としては久々の中型ロングであった。日野製、ノンステップとしては初。

4台のうち、2019年6月頃来た14-13と2019年8月頃の14-28は、いずれも東武の中古で、臨海営業所配置。大型バスと共通の運用に入り、新屋、割山、新国道方面を走っている。
14-13。この車は前方がロングシート
14-13には乗る機会がなく、14-28には何度も乗っているが、車内がとても長く感じる。収容力もけっこうある感じだし、走行音も静か。客としては、当たるとうれしい車。なお、降車合図ボタンを押した時の音は、昔の玄関チャイムみたいなシンプルなピンポン。


残り2台は、2017年4月頃の12-50、2019年7月頃の14-23。いずれも東京都交通局(都営バス)の中古。
運用が特殊で、秋田市中心部は走らず、国道13号で回送を何度か見るだけだった。それが今、
竿燈大通り・二丁目橋付近

二丁目橋交差点。上は土手長町歩道橋
秋田駅前を含む秋田市街地で、日常的に営業運行している。
この2台は、秋田営業所(大川反車庫)に所属するものの、同営業所の他の車両とは、運用が分離されていた。秋田市郊外の国際教養大学周辺(イオンモール、四ツ小屋駅前等)で完結する路線の専属であった。

ところが、新型コロナウイルス感染症対策で、教養大は4月からの春学期(「前期」と言わないのは国際対応か)をすべてオンライン授業にし、学生寮などを閉鎖。
客が見こめなくなった、教養大線も「5月1日から当面の間」全便運休となってしまった。(イオン~四ツ小屋駅とかの客はいなくはないでしょうけど…)

ヒマになった車両の有効活用として、秋田営業所の別路線に入れられ、市街地を走るようになったようだ。車内設備は一般的なワンマンバス仕様だから、問題なさそう。
これまで、教養大の正月休みの時など、イオンモール直行無料シャトルバスに入って、秋田駅東口へ来たことはあったそうだが、一般路線としては初めてか。

臨海営業所と違って、現在の秋田営業所は一般路線車(教養大限定以外)の大型バスはとても少ない。小田急中古のいすゞエルガ、977と10-04の2台だけ。
車庫から赤沼線(県庁市役所または長崎屋バスターミナル、秋田駅西口、大学病院経由)で秋田駅東口へ出て、広面御所野線(日赤病院経由イオンモール方面)に入って、逆ルートで帰る運用をしているようだ。※赤沼線、広面御所野線は中型車も多い。大型が入るダイヤは、ある程度固定されている感じがする。
日曜などのイオンモール無料シャトルも担当(臨海営業所と1台ずつ分担)。

この中型ロング2台も、赤沼線、広面御所野線で目撃している。
エルガ2台と共通ではなく、さらに別立ての専用運用かもしれない。4連休直前の平日では、東口12時45分→大学病院12時56分→西口13時08分→長崎屋→車庫の便は、2台どちらかが高頻度で充当されていた模様。


上であっさりと都営バス中古としていたが、その出自も特徴的。
かつては中央交通にも都営中古は何台か来ていたが、2005年に石原都知事の環境対策を理由とした独断により、地方事業者への中古譲渡を原則中止(突然で困惑した地方事業者が多かったとか)。後に、排出ガス規制対応車から譲渡が再開されている。
中央交通としては五城目営業所に数年前までいた車が廃車になって、都営中古車はいったん消滅していたはず【27日補足・それ以前には秋田市内にも都営中古車が配置されていた】。この2台が、久々の都営中古に当たる。
2台とも、座席の布地は都営バス(交通局全体のではないのか)のマスコット「みんくる」柄のまま。

12-50は2002年度製(2003年初め導入)。前乗りの都心部だけでなく、中乗りの青梅地区を走っていた経歴があるため、車外スピーカーが2つあるのが特徴とのこと。(中乗りの中央交通では、前乗りの中古を買っても、スピーカーはそのままなのですが…)
14-23は2003年度導入で、側面窓のほとんどが固定式に変わった。正面のナンバープレートには縁取りがあるようだ。
1423の側面。大型と同じ長さなのに、長く見えてしまう
中央交通転属時の塗装も変更された。全体に塗装が下に下がり、フロントガラスの下に黒い部分ができて、ガラスの左右で段がついているのが目立たなくなった。ヘッドライト間に白い線が入り、「ノンステップバス」位置が上がった。全体に引き締まっていて、このほうがいいと思う。けど、気まぐれで元に戻ったりするのでしょうね…

日野レインボーでは、2017年春に来た12-54も、これと同様のデザインだったが、その後の転入車は元に戻っていた。
(再掲)当初は秋田営業所所属、後に臨海営業所へ転属した

東武中古と比べると、車椅子マークの色が薄めで水色っぽいのは、都営時代そのままだからか。
元東武14-13は、出口入口の表示に、マークと英字が表示されているが、元都営の2台はマークなしで英字あり。この点も、塗装した業者の違いか、中央交通ではよくある。

非常口が前寄りなのはレインボーHR初期型の特徴

前は日産ディーゼルのワンステップ。車高がかなり違うもんだ
後部は都営出身2台で差なし?
車外に広告がまったくないのは、中央交通の大型車では普通かな。運用路線が限られるから、広告効果が限られるとの判断だろうか。
山並みを背に手形陸橋を渡る都営中古中型ロング
現時点での国際教養大学としては、9月7日からの秋学期は、一部で対面授業を再開したい考え。どの程度学生が戻ってくるか次第だが、運行が再開される可能性がある(そうなってしかるべき)。それまでしばしの秋田市街地での活躍。
【8月3日追記】国際教養大学線は、8月24日から運行が再開されることになった。
【9月6日追記】と思っていたら、8月3日に秋田県知事が感染拡大地域との県をまたぐ移動への注意喚起を行ったのを受け、大学は8月5日に秋学期もすべてオンライン授業とすることに方針転換していた。その後、中央交通ホームページの運転再開の告知もいつの間にか元に戻されて(運行再開を削除)、「当面の間」運休に戻ってしまった
【追記】9月15日時点では、上記と同じ東口12時45分発長崎屋車庫で運用されていた。
12月11日に、2021年1月9日からの国際教養大学線の運行再開が告知された。イオンモール秋田、秋田空港(限られた日のみ)は存続し、四ツ小屋駅発着は廃止。代わりに和田駅発着の系統が再び設定された。以前は正面の駅北側だったが、今度は裏の南側に「和田駅前」を設置。
だいぶ迷走しているのと、教養大以外の利用者は想定していないような対応が気になる。それだったら、路線バスとしては撤退して、大学が運行主体となる(有料でもいいから)シャトルバスに変えたほうがいいのではないでしょうか。
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五能線等の新車両到着

2020-07-18 20:10:02 | 秋田のいろいろ
JR東日本がキハ40系気動車(ディーゼルカー)の後継として、新潟地区と秋田地区に導入することになった、新型車両GV-E400系。
新潟では昨年夏~今春で導入完了。※昨年乗車した記事

ついに秋田向け第1弾が完成し、18日昼に秋田に到着した。
GV-E400系について、簡単にまとめておくと、
・ディーゼルエンジンで発電して作った電気でモーターを回して走る「電気式気動車」。
※ハイブリッド式(=バッテリーも搭載される)ではないし、男鹿線の蓄電池式電車(=ディーゼルエンジンはない)とも違う。
・導入線区は、奥羽本線、五能線、津軽線とアナウンスされているが、主な運用区間は五能線と津軽線・蟹田-三厩間。
奥羽本線は秋田-東能代と弘前-青森で各1往復だけ、津軽線でも青森-蟹田では1往復だけになると思われる。これは車両の回送を兼ねて営業運転しているため。

GV-E400系は、公募調達方式により川崎重工業が全車両を製造。神戸の工場から秋田まで、貨物列車扱いの「甲種輸送」でほぼ一昼夜かけて到着。
甲種輸送は、愛好家向けの雑誌で車種やダイヤが公表されることが多いが、今回は掲載されなかったという。それでも、神戸や沿線の皆様のネットへの投稿により、こちらへ向かっていることは余裕を持って把握することができた。秋田側では、従来の甲種輸送のダイヤが若干変更されて、早く着いたとか。

18日午後、所属車両基地となる秋田車両センター(旧・南秋田運転所。一ツ森公園と金照寺山の間の奥羽本線)を覗きに行った。
城南中学校下の道のオーバーパスから見渡すと、南寄り・西側の検修庫(?)の外の線路にいた。ディーゼル機関車DE10 1759がこちら向きに連結されているし、そもそも奥まってよく見えない場所。

あきらめて仁井田福島をうろうろしていると、ディーゼル機関車の汽笛が聞こえた。急いで戻ると、
動いてる!
DE10がオーバーパス下付近までひっぱってきて停止。今度は逆方向に押して、検修庫の中へ押しこんだ。
DE10 1759・GV-E401-17(片運転台・トイレあり)・GV-E402-17(片運転台・トイレなし)・GV-E400-9(両運転台・トイレあり)
の順。初回はGV-E400系の各形式を1両ずつ導入ということか。
窓が1つ開いている

フロントガラスのグレーの縁取りは輸送時の養生

新潟のGV-E400系では、黒くてカクカクした先頭形状とともに、グラデーションのドットを並べた正面・側面の帯が斬新だった。
(再掲)新潟のGV-E400系
秋田向けでは、五能線だから青系統かなと予想していたら、とりあえず色は当たった。
でも、ドットでなく、普通の帯のグラデーション。やや太め?
下が紺色・上が白に近く、色の変換幅が大きいグラデーションで、総合的には水色ってところか。キハ40系の濃い青からは、若干イメージが変わる。

また、正面はよく見られなかったが、黒い地色部分にもグラデーションがつながっているようにも感じる。その分、側面とは若干ズレる?
新潟向け同様、向かって右・運転席フロントガラスの下に、小さめに「GV-E400」と書かれる。新潟では黒部分だったが、秋田ではグラデーションの薄い部分に重なっているので、分かりづらい。

暑かったけど、一瞬でも見られて良かった。

この3両は週明けにかけて、メーカー立ち会いで整備や試運転をして、正式にJR東日本に引き渡され、以降、乗務員などの訓練をして、営業運転に入る(秋? 冬?)ことだろう。そして、次々と新しい車が納品される。
導入区間は、秋田から三厩まで長距離かつまばらなダイヤ。特に車両基地の秋田へ行き来するダイヤは1つだけ。順次新車を増備しつつ、キハ40系と並行して使っていくのは、ダイヤ編成(新旧車両運用のやり繰り)で苦労するかも。※キハ40系とGV-E400系を連結していっしょに動かすことはできない。

来年度以降、列車本数は変わらないのか、性能上は可能と思われる時間短縮がされるのかも注目。
あと、男鹿線ではEV-E801系の増備もある。男鹿線では4両編成でのワンマン運転(中編成ワンマン)もやるとか。
そしてJR東日本では秋田が最後のとりでとなってしまったキハ40系気動車(リゾート列車改造車を除く)も、終焉を迎える。

【8月23日追記】8月23日に河北新報サイトに「五能線などへ新型電気式気動車を導入 JR秋田支社」が掲載。魁などは未報道。
「12月中にも運行を始める」「外装に日本海の水平線をイメージした青と白のラインを入れたほか、車内の座席の仕切りや天井は、世界遺産・白神山地のブナの木目を基調とした。」「計23両を導入する。」。

【9月6日追記】9月4日に、秋田車両センターで報道公開され、各社が伝えた。上記河北新報で伝えた点と相違なし。河北新報はどういう経緯でフライングできたのだろう。
車内は、色以外は新潟地区のものと変わりなさそう。
片側の2人ボックス席も変わらず、「秋田支社では初の1人掛け対面シート」とか「通路が広くなった」と伝えられた。
座席の色は、(水色でなく)青系の柄入り(他路線で見覚えのあるような柄)。

車体の帯色も座席の色も青で統一されている。五能線らしく「海の色」かなと予想はついていたが、報道公開で説明を受けているはずの各マスコミの伝え方が微妙に異なるのがおもしろい、というか、何社かはいい加減に書いているのではないかと疑いたくもなる。
秋田魁新報は「車体に「日本海と青空」をイメージした青のグラデーションのライン」「車内の座席は日本海をイメージした青色で統一」。
魁以外でも同様の伝え方が複数社あったが、NHK秋田放送局は、
「車体には、日本海と青い空をイメージした鮮やかな青のライン」
「車内のシートは、青森県深浦町の、五能線沿線にある十二湖を表現した青色で統一されている」
と、車内外でモチーフが違い、十二湖も出てくる。
NHKでは前日の予告で「奥羽線などを走る新型車両」と五能線の名を出さず、誤解されそうな伝え方で、最近の他のニュースも踏まえると心配だったが、今回は丁寧で詳細だったと思う。

新潟地区では、ピンク色=朱鷺色だった天井の中央部とドアと座席の仕切り板(袖仕切り)は、秋田では「白神山地のブナをイメージした木目調(これは各社大差なし)」。
テレビなど遠目に見ると、ただのベージュ色のように見えるが、薄めに木目模様が入っているようだ。

東能代駅での試運転の様子
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“告ぐ”

2020-07-15 20:20:48 | 秋田のいろいろ
秋田市内の街角で、時々こんなものを見かける。

30センチ×24.5センチほどの白い板に、縦書きで「“告ぐ”/この集積所から/   の    /を堅く   」「秋田市/秋田警察署/秋田臨港警察署」。

穴埋め問題みたいになっていて、意味不明なのは、とりあえず置いておいて。
書体は前回扱ったばかりの写研「石井太丸ゴシック体」。末尾の小さい3者連名は「~細丸~」?
市内のとあるゴミ集積場。ここは側面にある
文中に「集積所」とある通り、これが見られるのは、秋田市内各所のごみ集積所=ごみ置き場(※)。
※全国的には「ゴミステーション」と呼称する土地もある。秋田市では一般的ではないと思うが、秋田市役所ホームページでは「ごみの収集・集積所(ごみステーション)」と表記。まあ、通じないことはないでしょうね。

現在の秋田市には、秋田中央、秋田臨港、秋田東の3警察署がある。この表示板のような秋田と秋田臨港の2署体制だったのは2005年まで。
つまり、古い表示板で、その一部が色あせて残っているのがこれ。

確認できる限りで現存するものは、どれも穴埋め問題状態。
2013年に、当時としても珍しく穴埋めになっていない表示板を発見し、撮影していた。
薄れかけてはいるが、完全版
「“告ぐ”/この集積所から/ビン類のもち去り/を堅く禁ずる」

やはり赤印字は太陽光には弱いというか、黒こそ強いというか。県立明徳館高等学校駐車場の不思議な赤文字掲示がこうなったら、もっと謎になる。

つまりこの表示は、秋田市が回収して資源化するために、市民が出した空き瓶を、換金目当ての第三者が持っていくなという、警告。
この表示板のことは2013年の記事やコメント欄で、触れている。
秋田市(当時は雄和河辺合併前)では、1980年5月に一部地域で空き瓶の回収、1981年5月から全域で空き瓶と空き缶の回収を始めている。当初は「資源ごみ」の呼称で、瓶は若草色、缶はレンガ色のプラスチック容器(前日までに集積所に置かれる)に入れる方式。
1999年4月からは缶は箱でなく、ごみ袋で出す方式に変更。ほかにも、古紙や缶以外の金属なども回収するようになり、呼称が「資源化物」に変わるなど変遷があるが、空き瓶は今も若草色の箱で回収している。
(再掲)やけに大量に置かれた瓶回収箱

表示板がいつ作られたか。回収開始直後1980年代始めではなく、少し経ってからだと記憶していた。小学校中学年くらい=1980年代中頃辺り。
当時の僕の家は、集積所の真ん前だったから、ある日突然、これが出現したのを覚えている。堅苦しくて厳しい表現にビビったのと、「告ぐ」を「こくぐ」と読んでしまったり、どうして「“告ぐ”」と変なチョンチョン(ダブルクォーテーション)で囲っているのか不思議だったり、「堅く」が読めなかったりした。

今回、秋田県立図書館のサイトで、秋田魁新報の見出しを「集積所」で検索すると、1986(昭和61)年1月31日付夕刊に「持ち去らないで/回収箱に警告を掲示/「福祉妨害」と怒り」があった。これだ。
となると3年生の終わり頃。当時は「告」は4年生で習う漢字だったようだけど(2020年指導要領からは5年生に変更)。


大人になって見ても「“告ぐ”」はちょっとヘン。チョンチョンの意味が不明だし、ごみ置き場に「告ぐ」とあれば、ごみを出す善良な秋田市民が警告されているようにも感じてしまう。江戸時代の高札場の御触書のような威圧感かも。※実際の御触書は「定」というタイトルが多かったようだ。
現在、あるいは我々世代の感覚では、上から目線で過剰に厳しい言い回しだと思うが、昭和61年当時でも、広く一般人の目に触れる場所の掲示としては、時代遅れの内容だったのではないか。当時の秋田市職員には戦前生まれの人もいたわけで、そんな感覚が入った文面の気がする。あと、この用例の「堅く」は、普通は「固く」だ(固辞、断固のように)。「持ち去り」でなく「もち去り」としたのも独特。

それと、1986年当時でも、缶飲料は多かった(ペットボトルが少なかったので、今以上に多かったはず)のに、「缶のもち去りを禁ずる」は作らなかったのか。
また、1986年といえば、ナールが道路標識の標準書体に採用された時期。「告ぐ」にはナールではふさわしくないと判断したのか、まだナールには及び腰だったのか、石井太丸ゴシック体を採用したのだろうが、文面に比べて柔らかすぎる。角ゴシック体で良かったかも。


現在、この表示板は写真のように、ごみ集積所の構造物そのものの壁など、もしくは周りにある柱などに取り付けられている。固定されている。
しかし、当初は、緑色の箱側に取り付けられていた。上の魁の見出しが「回収箱に警告を掲示」なのがそれを示している。すべての集積所に箱とともにやって来て、箱・瓶とともに去るのを繰り返していた。
当時は瓶飲料が今より多く使われていたから、各集積所に箱が複数個置かれるのが普通だったが、おそらく各集積所につき1つの箱にだけ付けられていた。
昔のごみ集積所は、場所だけで、覆いなどない所も多かったから、その方式にするしかなかったのかもしれない。

その後、何らかのタイミング(警察署再編の2005年よりは前??)で、箱への設置をやめて、余剰になった表示板を各集積所に配ったのではないだろうか。新興住宅地のごみ置き場にあるかどうかを調べれば、ある程度時期が特定できるかも。
また、旧・雄和町、河辺町の合併も2005年。合併以前から、両町のごみ処理は秋田市が引き受けていたかと思うが、資源ごみはどうだったのだろう。この表示板の雄和町・河辺町版もあったりするかも??


近年、秋田市ではごみ集積所(の箱や覆い)を交換・新規設置する町内会に補助をしており、特に折りたたみ式のもの(秋田市内のメーカー製)を設置する町内が多い。
上から2枚目の写真のような折りたたみでない集積所なら、更新前の集積所から表示板を引き継いで設置する例もたまにあるが、折りたたみ式では(構造上固定できないので)困難。
2013年に見た赤文字が残る表示板があった集積所は、こういうもの↓
2013年撮影
木製で立派なものだったが、場所を取るためか、現在は折りたたみ式に交換されてしまい、表示板は見当たらない。


集積所リニューアルの際、町内の集積所を整理統合することもある。設置場所の問題、清掃当番の周期、高齢化・人口減など理由はいろいろありそう。
とある町内では、捨てるのも忍びないのか、
2枚重ねて置かれていた。手前の表示板は割れている
その手前の表示板をちょっと失礼して、
初公開! “告ぐ”の裏側!!
金属の外枠があって、上辺に飛び出した細い棒(表からも見える)、さらに見えない位置にも細い縦棒が2本。
なるほど。これら細い棒は、緑の箱に取り付けていた当時の名残だ。
縦の2本の棒で箱の縁に引っ掛け、その付け外しの時に指を引っ掛けるのが上の棒だと思われる。
そう言えば、表示板面はプラスチックの割には、上のひび割れぐらいで、金属枠から脱落したり、欠損したりしたものは見たことがないので、耐久性は悪くなさそうだ。


設置当時は、持ち去っても“窃盗罪になる場合がある”程度で、明確に禁止されていなかったらしいから、警告の掲示を出したのだろう。
秋田市では2014年に「秋田市ごみ集積所の設置および維持管理に関する要綱」を施行していて、持ち出し・持ち去りの禁止と、悪質なものは警察へ通報することを定めている。
もし、今、この手の表示を作ったら、「注意」とか「持ち去りは犯罪です」にして、ですます調で、持ち去りは禁止され通報する場合があることを明記した文面になるだろう(他都市の事例あり)。
あるいは資源化物持ち去りよりも、可燃ごみ等も含めた、分別不徹底や他町内住民が捨てていくことのほうが問題で、その注意のほうが必要とされるかもしれない。※2枚目写真の集積所では、正面にその旨の掲示が付いている。

文字が薄れ、警察署名も違ってしまい、そして瓶飲料も激減し、おそらく瓶を盗もうとする者も減った今、この表示板も消えていく運命。

秋田市のごみ集積所に関する記事は続く
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どうなる? アーバン原の町

2020-07-07 00:30:40 | 秋田のいろいろ
竹半スポーツの店舗と事務所が、閉店した文具店「のてや」跡に移転して、7月1日オープン。
オープン数日後
壁面のオブジェはそのまま残り、建物本体や自立式の看板は設置なし。のてや時代のままの固定ガラス窓に、「TAKE HAN」と表示されたが、上の写真では開店記念の生花が並んでいて隠れてしまっている。
花がないとしても、その前が駐車場だから、車での来店客がいたら隠れてしまう。
前の菊谷小路を徒歩でも車でも通る人からは、何も見えないわけで、もうちょっと看板が必要ではないでしょうか… 実際、車で来たものの、通り過ぎて方向転換して入ったお客さんがいたようだ。

上の写真で前に出ている花3つのうち、2つはスポーツ関連の企業から贈られたものだったが、あと1つは「株式会社のてや」から。のてやさんは、企業としては存続しているということだろうか。

さて、竹半の事務所は、この近くのマンションの3階の一室に入っていた。
路線バス 神田線・添川線の走行ルートでもある県道233号は、菊谷小路を北進すると、千秋トンネル通り~保戸野学園通りと交わり、そこを西へ左折、かつてはボトルネック区間だった保戸野郵便局を過ぎ、すぐに右折して北進・保戸野原の町通りを進む。
この原の町通りへ入っていく、Y字路交差点の角に、そのマンションがあった。4階建てで1階が駐車場のようだ。
2014年12月撮影。竹半はこの翌月に移転して来る。交差点の信号機は交換直後
千秋トンネル・鷹匠橋方向から来ると、正面にこの建物が立ちはだかるように見えていた。車の信号待ち中も正面。そのためか、広告看板が設置されていた。
建物は原の町通り側に長く続く一方、このすぐ裏側は、秋田大学教育文化学部附属学校の敷地(正門)なので、厚さはそれほどでもない。近くで落ち着いて見れば、細長い建物という感じ。
現在
コーンが置かれ、看板も、その後ろにあった植木も撤去されてしまった。
看板の後ろは、3階まで届く細長い木が目立っていたが、ハクモクレン。控えめながら白い花が春を告げていた。
ただ、現時点でも駐車場に車は入っているようだし、人も住んでいる気配も。
改修工事でここまでやるのか、やはり解体なのか…
いずれ、竹半が出ていったのも【7日補足・というか、店舗と事務所が再統合することになったきっかけが】、これが理由の1つかもしれない。
裏・附属学校側から
一部には足場がかかっている。こちら・西面が外廊下で、部屋は東向きだったことになる。

附属学校の門の隣に、茶色い平屋の箱状の建物があるが、それがこのマンションの玄関。そこに箱文字で書かれたマンション名は、
「アーバン原の町」
細めの明朝体というか、宋朝体っぽい雰囲気もする。建物全体も合わせて、昭和50年代っぽい感じもする。

ところが、アーバン原の町ができたのは、1985~1986(昭和60~61)年頃だったはず。
保戸野原の町通りが開通したのが、1985年春だったはずで、その後に新しいマンションができて、初めて「アーバン」という言葉を知った思い出がある。
ちょうどその頃、「アーバンライフ」などの言葉が使われ始めたのではないだろうか。JR高崎線の快速「アーバン」は1989年運行開始。
原の町でのアーバンライフはどうなる?

【7日追記】壁面の管理会社名と空室状況を知らせる小さな看板は残っていて、「只今 満室」となっている(入居者募集していないという意味かもしれない)。
写真の通り玄関の文字は小さいので、ここがこういう名前であること自体、保戸野地区でも少し離れた住民は知らないようで、例えば「アーバン原の町の交差点」と言っても、ほぼ通じないと思う。ただ個人的には、上記の通り新築時を知り、アーバンという言葉を知った建物として、忘れがたい存在。

【8月7日追記】その後、8月初め時点では、植え込み跡は平らにされて舗装され、駐車スペースの一部のようになっている。西面の工事は終わり、覆いの跡にはきれいにされた非常階段があった。
ということで、アーバン原の町そのものは、存続するようだ。殺風景でつまらない集合住宅になってしまった。
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河辺給食センターは今

2020-07-05 00:21:53 | 秋田のいろいろ
古い写真と話ですが、2018年4月、平日の11時前、秋田市中央部でこんなトラックを見かけ、珍しいと思って撮影していた。
中型トラックサイズのパネルバンってやつか。
箱は銀色で、太い楷書で黒々と書かれた文字に目を奪われた。「秋田市立河辺学校給食センター」。隅に小さく「NO.2」。
秋田市内で「新潟運輸」と書かれたトラックをたまに目にするが、文字の雰囲気はちょっと似ている(無関係ですが)。

通り過ぎるのを見送った数分後、この近くにある市立小学校につながる小路から出てきて、どこかへ向かって行ったところまで確認。その前も、その後も、ほかの場所でも、このトラックを見る機会はない。
車体の文字と曜日・時間を踏まえると、学校給食に関わる何かを運んできた可能性が高そう。でも、この車がここでそれをするというのも、かなり引っかかった。ここは「河辺学校給食センター」の管轄外のはずだから。

以前も取り上げたように、平成の合併以前からの秋田市エリアにある市立小中学校の給食は、各校でそれぞれ調理する「自校調理」か、近隣の数校分をその中の1校でまとめて調理して配送する「(狭義の)給食共同調理場」方式。たくさんの学校分をまとめて、学校から独立した施設で調理する「給食センター(広義では共同調理場に含む)」方式は行われていなかった。
一方、2005年に秋田市と合併した、旧雄和町・河辺町では、それぞれが給食センターを持っていた。合併後は、秋田市立の2つの給食センターになり、引き続き、それぞれの地域内分を調理しているものと思っていた。

トラックの車体には、「秋田市立」が取ってつけたように上にあって、「河辺」の前に3文字分の余白がある。
河辺町時代の表記を、合併時に書き換えたのだと思われるが、それにしては元の字と追加分の筆跡がそっくり。フォントではないだろうから、同じ人が揮毫したのか。
ただ、消した部分に「市」と書かれていたような感じもする。ひょっとしたら「市立」ではなく、合併直後に「秋田市河辺~」という名称だった時代があったのかもしれない。

トラックが出入りしていた小学校は、自校調理のはず。仮に河辺で調理したものを運ぶにしては、けっこうな輸送距離になる。条例の定めがないとできなさそうな気もするし。
憶測だけど、下ごしらえを給食センターで行ったとか、一括で納品された食材を各調理校へ輸送する業務も行っているとか、そんなところかも。いつもやっているのか、この時だけ突発的だったのかも分からない。
と思ったのが2年前。


今回、Googleストリートビューで、河辺学校給食センターを見てみた。和田駅や旧町役場である河辺市民サービスセンターなどの近く、河辺の中心部にある。
2012年10月撮影ストリートビュー
上の画像では、今まさにトラックが出発しようとしている。そのトラックには「NO.2」とあり、冒頭の写真と同一車両だ。古めのトヨタ製であることが分かり、5代目「ダイナ」か5代目「トヨエース」、ライトやドアガラスから1987~1995年の中~後期型のようだ。
奥の車庫内にもう1台トラックが写っているが、別車種で箱は白っぽい車。これがNO.1?

同じ場所の2018年7月のストリートビューでは、
更地になっている!!

河辺学校給食センターがなくなった?!
調べると、河辺のセンターは2017年3月で廃止され、雄和学校給食センターへ統合されていた。早々に解体されていたのだった。

広大な秋田市の中では、雄和と河辺は隣接していて遠くはない。しかも、児童生徒数の減少が著しく、学校の統廃合が進んでいた。
雄和地区では、2016年度に小学校を1校に集約し、既に集約されていた雄和中学校と同一敷地内に校舎を建設。つまり、雄和学校給食センターは、実質的に1つの学校分の給食しか作っていなかった。


「平成27(2015)年度 教育要覧(秋田市教育委員会)」によれば、
河辺学校給食センターは、敷地面積1862平方メートル、建物は調理室169平方メートル、事務室他239平方メートルで、3小学校・2中学校分600食を調理。
雄和学校給食センターは、1529、183、289平方メートルで4小1中分400食。

両給食センターはどちらも昭和44(1969)年設立らしい。※雄和は1969年当時はまだ雄和村。
そして、雄和は2001年に建て替えられたようで、ストリートビューで見ると建物は新しい。トラックもいくぶん新しく、車体の文字は似ているが、「秋田市立」も一行に収まり、活字の楷書体。

建物は河辺が老朽化し、雄和はまだ新しいこともあって、雄和を存続させたのか。
「秋田市立学校給食共同調理場等管理運営規則」では、秋田市立雄和学校給食センターの対象校は「雄和小学校および雄和中学校ならびに岩見三内小学校、河辺小学校、戸島小学校、岩見三内中学校および河辺中学校」。
河辺のトラックは、2年前見かけた時点で既にその所属先を失って丸1年、車齢も20年を越えているはず。1年以上書き直さずに使い続けていたのがすごいけど、所属はどこなのだろう。雄和以外に秋田市に給食センターはないから、雄和? 今はどうなっているだろう。


秋田市内の給食共同調理場方式をとる学校間での輸送は、民間業者に委託しているはず。今は知らないけど、昔は日本通運などが受託し、これと同じようなトラックで運んでいた。

フジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」の「はたらくくるま(関連記事)」(詞 伊藤アキラ、曲 越部信義)では、第2作2番の3つ目に「おひるのおべんとう きゅうしょくうんぱんしゃ」が出ている。
映像では、今回のものより小さい、ダイハツのトラックが写る。白い箱には「祝一給食センター」。江戸川区に本社がある「株式会社祝一(しゅくいち)」で、今は宅配弁当、社員食堂(中央官庁や大手企業も)、学校給食、高齢者施設食堂運営をやっている。
コメント (2)
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のてや跡に竹半 他

2020-06-24 00:00:48 | 秋田のいろいろ
秋田市中央地区から3題。

昨2019年7月で、菊谷小路の保戸野小学校入口にある文具店「のてや」が閉店した
閉店後も2020年3月まで学校向けなど外商はやっていたようで、今春から空いたことになる。
4月下旬
営業当時と同じ姿で残っていた店の外観が、足場で覆われた。
5月上旬
壁の「のてや」が取り外された。
そして、
6月中旬
「のてや」がなくなった以外は、雰囲気としてはさほど変わっていない。2階に黒いラインが2本入り、銀色の凹凸のある壁になった。
玄関上の分度器と三角定規を組み合わせたみたいな、とさかみたいなものは、残された。上の写真では、その右側に「NOTEYA」の文字が残っているが、さっき見たらなくなっていた。

ここに「竹半(たけはん)スポーツ」が入るという。
公式ホームページに、事務所と店舗を7月1日から移転する旨が掲載されている。現在の店舗は6月8日から休業中。

当ブログで伝えてきたように、竹半は近年、秋田市中央部でウロウロしている印象。
1949年の創業から長く通町にあり、1997年(?)にすぐそばのサンパティオへ移転。
2015年1月に通町を離れ、店舗を仲小路の「くらたビル」へ、事務所を保戸野原の町のマンション「アーバン原の町306号室」へそれぞれ移転した。
2018年5月には、仲小路の店舗を閉店。8月に近くのアトリオンの地下へ移転していた。
そして、2020年7月に、再び店舗移転、かつ事務所と再び一体化する。
のてや跡は、通町時代の店の場所からも、現事務所からも徒歩圏内。やはり駅前方面よりも、保戸野側のほうが良かったのか。一元化したほうがやりやすそうだし、家賃(?)などコスト面、駐車場もあるから店としてもいいのでしょう。

【7月2日追記】予定通りオープン。祝いの花がたくさん贈られて飾られたが、その中に「株式会社のてや」からの花があった。店はやめても企業はまだ存続しているのか。アーバン原の町のその後などと合わせて、この記事にて



竿燈大通りの大町西交差点(という名があったのだけど、今や死語?)の南西角。
空き地ができた
ここに何があったでしょう?

(再掲)2013年。建物がメインの写真ではないですが、向かい右側
横手市のバス会社系列の旅行会社「羽後交通観光 秋田営業所」があった。
2019年6月3日から、川尻の国道13号沿い、羽後交通本体の秋田営業所と同じ場所に移転して、空き家になっていた。古そうな建物だったが、更地を見るととても小さかったようだ。
地下横断歩道の階段もあって、車では出入りしづらい場所。どうなるか。




八橋のエフエム秋田本社壁面の社名が、部分的に消えて(はげ落ちて)「フエ秋田」になっていたのをアップしたのは、2015年のこと
以降、通るたびに気になっていたが、さらに消えるわけでもなく、直すわけでもなかった。今年5月29日までは。
現在は、
足場が組まれた!
ついに「エフエム秋田」復活か?※続きはこちら
コメント (5)
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