広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

昭和末2・3月のみんなのうた

2018-02-27 00:00:07 | 昔のこと
1961年から続くNHKの長寿ミニ歌番組「みんなのうた」。それについての、子どもだった昭和末期頃の思い出。(敬称略。知ったかぶり多数)
過去には既存曲を紹介したり、現在は枠いっぱいの1曲5分の作品もあるが、当時は番組のために書き下ろされた作品を、5分で2曲ずつ放送していた。2か月ごと(偶数月から)に新作が4曲放送され、別枠の過去の再放送曲も入れ替わる。
みんなのうたで放送される歌は、子ども向けばかりではないし、明るくない曲もある。よく考えれば、切なかったり奇妙だったりするものもあるし、テレビではアニメーションなど映像が曲にイメージを植え付けてしまうこともある(「雪まつり」の郵便屋さんとか)。
1980年代前半は「オランガタン」「メトロポリタン美術館」「まっくら森の歌」「キャベツUFO」といった、ちょっと不思議な歌が人気。

1980年代後半では、前半ほど大ヒットした曲はなかったと言えよう。そのせいか、後年の再放送の頻度は少ない気がしなくもない。
世の中はバブルに突入したその頃、僕は小学校上学年になり、語彙や文章(歌詞)の理解力も増え、これまでよりも曲の中身を意識するようになった。
それでも、子ども(小学生)向けではない曲は、おもしろくない・意味がよく分からないと感じながらも、2か月間見聞きするうちに、なんとなく記憶に刻まれた曲もあったけれど、時が経って大人になってから思い出して、いい曲だと思い直すものもある。

インターネットとは便利なもので、NHKの公式ホームページで、これまで放送された曲の情報が分かる。(初期は音源が保存されていない作品も多く、信憑性はやや劣るが、1980年代なら大きな間違いはないだろう。)
ただ、以前はズバリ「1986年放送」と放送時期で検索できていたのに、現在はできなくなってしまった。作者や歌手での検索は可能。
完全にできなくなったわけでもなく、「聴く・リクエスト」というところで、年代を指定すれば、10年刻みで放送順に曲が一覧表示される(聴くとあるわりには聴けない曲が多い)。
それはそれで思い出深く、そういえばこんな歌があったなと記憶がよみがえる歌もあるが、視聴していたはずなのにまったく記憶にない歌もある。

そこを見ていたら、1980年代後半の2~3月に放送された歌に、(個人的には)印象深いものがいくつもあることに気がついた。
1985年には上記「ラジャ・マハラジャー」。内容としてはおとぎ話だけど、戸川純の明るい歌声、ちょっと不思議な歌詞と伴奏とアニメーションが独特の世界を作る。


1986年「タニシちゃん」。
ドジョウがピンク色のタニシと結婚するというストーリー。子どもの頃から、そんなことあり得ないだろと不満だったけど…
歌手は森田健作。当時この曲で、森田健作という人を初めて知ったけれど、後に千葉県知事になるとは。


1987年「風のオルガン」。作詞・作曲・歌は「キャベツUFO」と同じ工藤順子。
「ストリート・オルガン」と呼ばれる、街頭で演奏される手回しオルガンを歌った【27日補足・演奏する様子を「風を集める」ことに見立てて】もの。
当時、ストリートオルガンの存在を、この歌で初めて知った(この少し後だろうか、秋田市内で実際にストリートオルガンを演奏する男性がいた)。また、アルト、ソプラノ、フォルテ、ピアノ(楽器名じゃなく弱くという演奏指示)という音楽用語も出てきて、ここで覚えた。

アニメーションは、黒いマントの長いヒゲのおじさんが街角で演奏するという歌詞に従ったものであったが、アニメでは、最後にそのおじさん自身がオルガンの箱の中に入ってしまうという、ちょっと怖い終わりかた【3月17日補足・歌詞では集めた風をオルガンの箱に入れて「どこかへ帰っていった」】。子ども心には、印象には残ったが、別段好きでも嫌いでもなかった。

ここからは大人になって改めて聞いてからの感想。
工藤順子のささやくような【3月1日追記・感情をあまりこめず、どこかミステリアスでもある】歌声、オルガン風の伴奏、ヨーロッパっぽいアニメーションがきれい。
伴奏はオルガン”風”であって、風の音や他の音色も含めて、おそらくヤマハDX-7のような、当時普及し始めた16ビットFM音源のデジタルシンセサイザーで演奏している。※現在のシンセサイザーはPCM音源が主流。
アニメーションは、ドラえもん、忍たま乱太郎などの監督なども務めた芝山努。
それらによる間奏部分は、音楽はなんか駅の発車メロディーみたいで、アニメはこの3年後に同氏が監督を務めることになる「ちびまる子ちゃん」のオープニングにどこか似ている。

ちなみに、この後1987年4月には「神父さんのパイプオルガン」という曲が放送。アグネス・チャンが、壊れてネズミが中にいる教会のオルガンのさまを「ボワボワチュッチュボワチュッチュ」と歌う。みんなのうたの歴史の中で、タイトルに「オルガン」が入るのはこの1987年の2曲だけ。
【3月17日】同じくシンガーソングライターであり、みんなのうたで「メトロポリタン美術館」など4曲に関わった(工藤順子は3曲)大貫妙子の歌に、同名の「風のオルガン」という曲があった。もちろん歌詞はまったく違う。1978年のアルバム「ミニヨン」に収録されているそうで、大貫版が先ということになる。工藤版の作・放送時点では、ご本人たちやNHKは知っていたのか(大貫さんのほうが先輩だし、知っていたのならやりにくそう)ちょっと気になる。


次の2曲は、子どもの頃はなぜか印象に残るも意味が分からず、大人になってからちょっと分かってきたけど、僕の人生経験ではまだよく分からない歌。
1986年「ポケットの中で」。
歌手は2017年に何かと話題になった斉藤由貴。当時はデビュー2年目、4月から連続テレビ小説「はね駒」のヒロインを控えていた。当時、同じクラスの女の子といっしょにテレビで見たことがあり、彼女が「あ、由貴ちゃんだ!」と言っていた。
アニメーションというか、ズーミング以外は動きがない絵のような青っぽい映像で、やなせたかしによるもの。アンパンマンとはまったく違う趣き。
絵とあいまって斉藤由貴らしいぽわーんとした雰囲気の曲。

内容は、ポケットの中で星が揺れたり騒いだりするから、恋をあきらめることにしたというもの。
全体によく理解できないけれど、中でも「ひと冬ごとに真夜中はそれぞれの約束を確かめあえている」という、擬人化というか比喩は、今も昔もまったく分からない。
【4月8日追記】当時のみんなのうたでは、歌詞を角ゴシック体で表示していたが、一部の文字が独特のデザインだった(時期によって違うかも)。この歌詞では、「冬」のいちばん下の点というか線の向きが右上がりになっており、2つの点が「>」のような配置になっていた。また「そ」は1筆書きでない、2画で書くもの。【2020年11月22日補足】モリサワの写真植字書体で、漢字と仮名で違うものだったようだ。いつかまた。 2023年に再放送され、「冬」の謎も解決した。(以上追記)
作詞は銀色夏生。「ぎんいろなつを」と読む。当時ラジオでの曲紹介のナレーションで読みを聞いて男だと思いこんだが、当時25歳くらいの女性詩人。みんなのうたには他にもいくつか作品があり、1985年の「ああ おかしいね」など分かりやすい詞もあれば、こんな難解な詞も作る。


1987年「ゆらん ゆろん」。
これも失恋の歌だろうか。
「東京放送児童合唱団シニア」というユニットが歌っている。女性3人くらいの合唱。【27日補足・名称からして、NHK東京放送児童合唱団の年長団員または元団員から選抜されたメンバーか】
伴奏は、おそらくエレクトーンではないだろうか。この頃にアレンジが変わった、教育テレビ「理科教室小学校6年生」のテーマ(関連記事)に音色が似ている。理科教室6年は、エレクトーン奏者である加曽利康之の編曲だが、ゆらんゆろんには特に名前は出ていない。【27日補足・作曲は、みんなのうたの他の曲や音楽の教科書の曲も手がけた若松正司】

「ため息ついたら雪になる」「ひっそりと春を待ち」といった、この時期らしいフレーズがある。
映像は実写で、雪が積もって、日が差してせせらぎが流れるような、春が近そうな雪国の映像。「撮影地 新潟県塩沢町」という字幕が出ていたと思う(現・南魚沼市)。この辺りが印象に残った。雪国に住む者として、共感するところがあったのだと思う。
こんな感じの映像だったかな?(写真は秋田市広面と下北手松崎の境の太平川で2018年撮影)


1989年「あしたは元気 (More Music!)」。
この曲名は、最近分かった。
「ペダルをこげば春が近づいてくる 日曜日の昼下がり」という歌い出しのフレーズが、時折頭をかすめることがあったが、続きもタイトルも記憶になかった。
内容からして春、時期は昭和末期だと推測して、検索してみたがなかなか分からなかった。それもそのはず、思っていたより少し遅い平成に入ってすぐの作品だった。
歌手は芳本美代子。
この曲については、タイトルや続きを知っても別に感慨はないけれど、分かってスッキリ。


1990年「一円玉の旅がらす」。
消費税導入で使う頻度が増えた1円玉を、股旅物の主人公に見立てた演歌調の歌。それなりに流行って、今でも「のど自慢」などでたまに歌われる。
消費税導入は1989年4月。放送されたのはその前後だと思っていたが、実際には導入から1年経とうとする頃だった。


以上、1988年を除いて、1985年から1990年まで、2・3月のみんなのうたは、いろんな意味で心に残る歌が毎年放送されていたのだった。
上記の曲は、みんなのうた大全集的な市販CDに収録されているものもあるが、放送とは歌手が替わっていたり、編曲・演奏も違っていたりして、放送とはイメージが変わってしまう曲も少なくない。
ゆらんゆろんの歌詞のように春を待ちながら【2020年11月22日補足・気だるい気持ちで】、ストーブをつけた部屋でモノラル音声【28日追記・当時は録音と放送は既にステレオ化されていたが、一般家庭にステレオ音声のテレビはそれほど普及していなかったと思う。】のブラウン管テレビを見ていた昔の思い出。
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どうなる? 交通公社前

2018-02-24 20:02:20 | 秋田の季節・風景
以前から触れているように、秋田市中央部・大町の竿燈大通りに「交通公社前」というバス停がある。
交通公社とは、旅行会社JTBのかつての名称。その店舗の前(※)にあるバス停で、一般路線バスの路線数も乗降客数も多く、空港リムジンバスも乗降を扱い(こちらはさほど利用者はいない)、運賃の境界でもあり、秋田市内の主要バス停。
※正確な位置は、秋田駅から来る下り側はバス停の1件隣がJTB。上りや中心市街地循環バス(片方向運行)は向かいのダイワロイネットホテル秋田の前。
市営バス時代に設置された接近表示付き大型標識(※)。今は単なる巨大な時刻表掲示場
※この自立式大型バスロケは、秋田市全体で交通公社前下りと次の大町二丁目の下りの2基しか設置されなかった【26日補足】(他のバス停では小型自立式が多数で、壁掛けや吊り下げが少し)。向かいの交通公社前上り側は、小型バスロケに似せた市営バス設置の電照式(接近表示は元から非対応)に加え、ポールが3本(循環バス・リムジン用も含む)も林立しており、見映えと分かりやすさの点から評判はイマイチ(この記事下方の「秋田魁新報に寄稿」のリンク先に画像あり)。

この「交通公社」という名前。市外・県外から来た人や若い人には、戸惑いつつも懐かしく感じるか、さっぱり分からないか、どちらかだろう。
企業名としては2001年に株式会社日本交通公社から株式会社ジェイティービーに変更されている(後に持ち株会社化されてさらに再編)。
ブランド名・愛称としての「JTB」は、それ以前から使われていたようで、現在のくねっとしたロゴマークに変わった1988年頃から徐々に浸透していったと思われる。

それ以前は、一般人は「交通公社」と呼ぶのが普通だったはずで、それがバス停名になったのはごく当たり前のことだったはず。
秋田市のこのバス停が「交通公社前」になったのは、1974年10月だったようだ。(それまでは「産業会館前(現・二丁目橋)」の分散設置されたバス停という位置づけだったらしい)

企業名としても完全に「交通公社」の名が消えてから17年、JTBが広まってからは30年になろうとしているのに、秋田市ではいまだに「交通公社前」というバス停が残っている。
2012年に、新入社員の時以来25年ぶりにJTB東北秋田支店長として赴任した人は、「(建物が当時と変わらないばかりか)「交通公社前」というバス停が残っていることにも驚かされた。私の入社したころの社名が「日本交通公社」であったことをあらためて実感した。」と秋田魁新報に寄稿していた。社員ですら、交通公社は過去のものなのだ。

秋田のバス会社や利用者としては「交通公社前」にさほどの違和感はないと思う(無意識にバス停と企業・店舗を区別しているのかもしれない)。
かつては秋田市交通局もあったし、(運賃境界かつ主要バス停なので)運賃表示器や各種表示や印刷物にも交通公社前の名が出るため、変更するとすれば調整や修正の手間や費用が大きいこと、名前が変わったといってもJTB自体は同じ場所にあるのだから、まあいいやという考えがあるのかもしれない。
しかし、それはよそから見れば“ゆでガエル”のごとく、改称するタイミングを逸してしまっているに過ぎないのかもしれない。


現在は、持ち株会社が「株式会社JTB」、秋田など東北地方で営業する企業が「株式会社JTB東北」。
交通公社前にあるのは、その「法人営業秋田支店」と「秋田店」というものらしい。
吹雪の中のJTB。左端が下りバス停
1階のパンフレットが並んで個人客が旅行相談するのが秋田店、法人営業秋田支店は2階にあって、修学旅行・団体旅行とか学会や会議の手配をやるようだ。(上記、支店長がどうこうというのは、法人営業のほうってことだろうか。)
個人客向けの店は、秋田市内ではほかに楢山のイオン秋田中央店と御所野のイオンモール秋田にもある(これらはかつては「JTBトラベランド」という、系列会社のブランドだったようだ)。


さて、現在、JTB秋田店のホームページに「閉店のお知らせ」が掲載されている。秋田店が3月12日で閉店するという。
形としては、イオン秋田中央店(「イオン秋田中央店」内の「JTBイオン秋田中央店」という意味)へ統合して、そちらを3月16日にリニューアルオープン。

イオン秋田中央店には、秋田サティとしてオープンした当初からJTBがあった。
今は、1階正面寄り、レストラン街と薬売り場の奥にある。
2月に入ってから、レストラン街の外寄り、正面玄関に向かって宝くじ小屋をはさんで左の狭い手動ドアを封鎖して、ディッパーダンのベンチを減らして囲って、改装工事が行われている。そこが新しいJTBになるらしい。

ネットで誰でもいつでも旅行の手配ができ、JR東日本の駅のびゅうプラザさえ廃止される店(駅)がある時代。最大手JTBの県庁所在地中心市街地の店舗も、必ずしも必要ではないということなのだろう。あと、恒例の疑問だけど跡はどうなるのか。
法人営業秋田支店のほうには、閉店の告知は掲載されていない。こちらは大町にあったほうが都合がいいだろうから、残るのかもしれない。【末尾の追記参照】

ということで、法人営業は残るのかもしれないが、個人が利用できるJTBは大町からなくなってしまうことになる。
じゃあ、「交通公社前」はどうしますか?
法人営業がまだあるのだから交通公社前を使い続けるという口実(?)もあり得るけれど、いい加減、潮時じゃないでしょうか。

【25日追記】青森市本町一丁目(駅から遠くなく、市街地・県庁・市役所近く)にあるJTB青森店も、2月26日で閉店(秋田と同じく、同居する法人営業部門は言及なし)し、イトーヨーカドー青森店内の「青森イトーヨーカドー店」に統合される。【28日追記】その他、全国各地でいくつかの店舗が2月から3月にかけて閉店する。

【3月2日追記】五能線・能代駅のびゅうプラザが3月末で閉店することになった。これにより、秋田県内のびゅうプラザは秋田駅と大曲駅だけになる(JR東日本秋田支社管内に広げてみても他には弘前駅だけ)。どこも旅行会社の窓口業務は縮小傾向にあるようだ。

【3月10日追記】3月10日付朝日新聞秋田版で報道された。
バス停は「川反入口」に改称されるという! 羽後交通は4月1日、中央交通は10月1日のそれぞれのダイヤ改正に合わせて変更。
半年間は事業者によって名称が異なることになるが、現在は市営バス時代の名残で(?)事業者共同のポールの扱いになっていて、羽後交通のポールは立っていないので、どうなるか。それに羽後交通と中央交通が共同運行する横手・湯沢方面の高速バスは運行会社で違うことになるのか。

また、JTBの建物は自社ビルながら、今後、法人営業秋田支店も「近くへの移転が決まっている」そうで、空いてしまう建物の利用は「未定」。
日本交通公社秋田支店として1969年7月オープン、1989年(ロゴ・ブランド変更から1年遅れってこと?)にJTB秋田支店になったとのこと。

【3月16日追記】公式サイトを見たら、いつの間にか法人営業秋田支店も移転していた。
旧店舗から竿燈大通りを2ブロック西へ進んだ、大町西交差点の角のオフィスビル「マニュライフプレイス秋田」の8階。(ビルについての以前の記事=リンク先末尾)
8階はおそらく最上階。客の来店がほとんど(?)ない支店だろうから、それでいいのだろう。

※閉店後は、シャッターが下ろされた状態。看板は早期に撤去されたが、シャッターのJTBロゴはしばらく残っていて、(遅くとも)竿燈まつりの時点ではロゴが塗りつぶされて白一色のシャッターになり、JTBの面影はなくなった。
さらに、竿燈終了後には足場が組まれ、建物解体が始まる模様。続きはこちら
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ラ・カージュ解体?

2018-02-21 21:02:35 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部と北部の境目辺り八橋鯲沼町(やばせどじょうぬまちょう)、新国道(という通称の県道)沿いに「日産ラ・カージュ」がある。
1990年にできた独特の外観の建物で、カーディーラー「秋田日産ラ・カージュ店」(これだけ別棟)のほか、秋田日産自動車の本社【22日訂正・秋田日産本社は寺内に移転したらしい】や他業種の店舗なども入居する。正式には「秋田日産コンプレックス」らしい。

2014年には、入居していた北都銀行新国道支店と秋田ケーブルテレビ(CNA)本社が相次いで移転。跡は空いていた。
Googleマップの3D画像に加筆
カーディーラーのほか、秋田新国道郵便局や裏手の「オフィス」と記した部分(秋田日産とアキタシステムマネジメント)は営業を続けていた。【22日訂正・秋田日産は移転していた。システムマネジメントは不明。両者ともガラスに表示はあった。】

昨2017年12月初め。
2017年12月中旬。交差点向かい側から撮影
ラ・カージュの建物が少なくなっている!
上の写真のアングルでは、かつては水色の建物が道路に面した両辺つながっていたのに、間の北都銀行だった部分がなくなって途切れている。
「NISSAN」の看板下=銀行跡から郵便局方向
CNA本社だった部分もなくなっている。
反対側CNA跡から振り返って郵便局方向

歩道橋の上から。手前がカーディーラー
ラ・カージュもなくなってしまうのかと思ったものの、(別棟のディーラーは別としても)郵便局やオフィス部分は、まだ営業中。
北都銀行跡の狭い道側から。奥が郵便局・右が新国道
残った建物の、解体された建物との接続部分が痛々しくかつごちゃごちゃ。
郵便局など、両隣が解体されてしまったのに“平然と”営業している。郵便局は、新国道側が正面玄関で、奥にも裏口的玄関があり、狭い道側から建物内の廊下みたいなところを抜けて出入りできた。ATMはその奥側にあり、おそらく窓口が閉まっている時間帯は裏口からしか出入りできなかったはず。
ところが、解体によって裏口が(窓口営業時間中も含めて)使えなくなった。
上と同じ場所の現在
2か月経っても、郵便局などはまだ営業中。そして、ブサブサだった境目部分がきれいになりつつあるようだ。
郵便局には「工事が遅れているので、土曜日はもうしばらくATMが使えません」的な掲示があった。
つまり、空き家だった部分だけを解体し、解体されなかった部分は、独立した建物となって今後も残ることになりそう。

狭い道側から。奥の建物はディーラー
オフィス部分の銀行跡寄りにあるカーブした廊下のような部分(昔はここから郵便局ATMへ抜けられたはず)は、建物が残りながらも入れない状態にされていた。ここはどうなるのか?

そして、今回解体された建物の跡地は、どうなるのだろうか。
新国道向かい側から
1つの建物としてデザインされたものが、切り刻まれて残るとは… 元は中庭にプール(水庭的なもの?)があったそうだが、それもだいぶ前になくなったそうだし。できて30年近く経つわけで、時の流れだろうか。

それから、裏には
ケーブルテレビのアンテナ群が残る
このアンテナたちは、CNA本社から離れたここに残り続けるのだろうか。

【28日追記】忘れていたことがあった、かつてはこの建物にCNAのコミュニティチャンネルで放映される道路情報カメラが設置されていた。本社移転後は「八橋鯲沼町交差点」として。カメラがあった部分は解体されたと思われる。
代替として、新国道を少し南へ行ったところに「羽後日産モーター秋田店前」として、新たにカメラが設置された。公式サイトによれば、2月8日10時頃から放映。
カメラは北・土崎方向を向いており、「高陽幸町」交差点越しに新国道モール(いとく)が映る。鯲沼と反対向きながら、情報としてはほぼ変わらないことになる。

続きはこの記事末尾。
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工団パン

2018-02-18 22:30:10 | ランチパック
コンビニ業界で、最大手各社に差をつけられて影が薄くなってしまったデイリーヤマザキ。
秋田県内では、パン類と同じく、山崎製パンと契約した地元のたけや製パンによって展開されている。昭和末期に秋田で初めて本格的に展開したコンビニチェーンであった(関連記事)が、やはり近年、店舗数は減っている。

秋田市川尻町字大川反、国道7号線(臨海バイパス)から秋田運河側に入ったところに「デイリーヤマザキ秋田工業団地店」がある。勝平新橋や秋田中央交通秋田営業所の近く、そしてたけや製パンの本社・工場の向かい。
このデイリーは特長があって、知る人にはけっこう知られている。デイリーヤマザキの一部店舗では、店内でパンを製造しており(ホームページで「焼き立てパン」「HBP」と表示される)、この店もその1つ。菓子/惣菜パンだけでなくハンバーガー類もある。

秋田県内ではほかにもいくつかハンバーガーを作るデイリーヤマザキがあるが、バーガーの種類(具やソース)は店で違うそうだ。工業団地店では、エビカツバーガーがいつもあって、期間限定で他のバーガーもあるらしい。
そして、そのパン(バンズってやつ)の表面には「工団」の焼き印が押される。(他店舗でもその店舗や地名の焼き印)
※紹介する公式ホームページなどはないようで、ラインナップなど全貌は不明。
※秋田工業団地店周辺には工場は多いが、このエリアを指して「工業団地」呼ぶのは秋田市民でも一般的ではないと思う(西部工業団地など別の場所を連想させるかもしれない)。したがって、「工団」という略称もこの焼き印以外で用いることはまずないはず。

僕はエビカツは苦手だからわざわざ行く気にならず、そちら方面に行く機会もほとんどなく、店に行ったことがなかったのだが、このほどついでがあって、やっと初めて行ってみた。
一般的コンビニにおいておにぎりなどが並んでいるレジ付近の一角がベーカリースペース。バーガーのほかピザトースト、チョコトースト、カレーパン、必勝バーガー(?カツ入り?)など、カゴに並べられた菓子パン・惣菜パンが10種類以上はあった。
一方、向かいの本社工場で製造されてパッケージに入った、いわゆるたけや(またはヤマザキ)のパンは、あまり多くない(青森のデイリーでは、工藤パン製品がもっと多種あった)。デイリーヤマザキオリジナル(全国共通袋入り)のパンもほとんどなかった。

パン屋さんのようにトングでトレイに取る方式ではなく、あらかじめ透明な袋に入っているものがほとんどで、一部は自分で袋に入れる。
休日の朝遅くだったが、4人が訪れ、みんなとりあえずパンを一通り見ていた。Suicaなど電子マネー決済対応。

2種を購入。バーガー以外にも焼き印入りのパンがあったのだった。
「工団」155円/「工団くり~む」168円
消費期限は製造後24時間。
裏面のシールでは、「工団」は「贅沢な小倉あんぱん(ホイップ入」、「工団くり~む」は「工団くりーむ」という商品名。

ネット上で調べたところ、デイリーヤマザキの焼き印入りパンは全国で(例えば青森、岩手、大阪など)で見られるが、その多くの実態は「贅沢な小倉あんぱん(ホイップ入)」のようだ。
バーガーは秋田のほか青森では確認できたが、全国的にはそう多くはなさそうで、珍しいのかもしれない。
「工団くり~む」は裏面表示も「工団くりーむ」だから、工業団地店の独自性がありそう。

昨年秋に、工藤パン運営の青森駅前のデイリーヤマザキ青森新町店(この記事中ほど)でも、焼き印入り「贅沢な小倉あんぱん」を買っていた。(製造は近くの青森古川店)
(再掲)「新町」 ※色の違いは撮影条件の影響もあります。
裏面のシールは、書体は違うものの、原材料欄の順番まで同一。ヤマザキ側で共通のレシピがあり、実質的に焼き印だけ変えていることになろう。
 
違いがないわけでもなく、価格は青森のほうが154円で1円安い。
あと焼き印の書体は秋田が丸ゴシックで青森が隷書系で、焼き印の円は秋田がやや大きそう。ヤマザキ直轄地域でも書体は明朝体や江戸文字など統一されていない。
「工団」はただでさえ直線的な文字のところ、さらに直線的なフォントを使って、しかも枠いっぱいに配置しているため、独特の雰囲気。

それから、たしか青森のものは、ハンバーガー式にパンを上下に分割して間にサンドしていたのに対し、秋田のは穴から注入している。
工団パンの穴
味は青森と秋田で違わないと感じた。ホイップクリームたっぷり。
 
クリームパンのほうは、カスタードとホイップが両方入っており(これも穴から注入)、原材料欄では「カスタードフラワーペースト、小麦粉、ホイップクリーム」の順なのに、食べたものはホイップのほうが多い感じ。それはそれでおいしかった(というか好き)けれど、一般的なクリームパンほどカスタード感はないとも言える。
どちらもパン部分も柔らかくておいしかった。

たまには足を伸ばして買いに行ってもいいかな。
秋田駅前(横?)のデイリーヤマザキ中通七丁目店にはベーカリーはない。ここで作ったものを運んで売ったらどうだろうか。
パンメーカーのコンビニだからこそできることであり、それがデイリーヤマザキの生きる道かもしれない。
【2019年9月4日追記】2019年9月時点では、工業団地店で作ったと思われるパンごくわずか(2種くらい)や曜日限定で仁井田のベーカリー・カフェで作ったパンを中通七丁目店で売っている。

※中央交通秋田営業所の近くなので、秋田駅西口からの路線バスも利用しやすい。
県庁経由または長崎屋経由の大川反車庫行き(臨海営業所行きはダメ)で、たけやパン前または終点・大川反車庫下車。
たけやパン前は両経由でバス停の位置が違うので、帰りに乗る時は車庫前から乗るほうが、両方に乗れて便利。
なお、勝平新橋を渡れば、商業高校経由川尻割山線の通りなので、物好きなかたはそちらも。

【2019年5月5日追記】2019年4月27日アップの河北新報のサイトに「個性で勝負「工団」あんパン 焼き印の効力で販売促進」として、秋田のあんパンが紹介された。(中身は他店と同じで焼き印が違うということは記事中に書いていて、別段取り上げるほどじゃないと思うけど…)
「デイリーヤマザキの本部が全国で始めたのを受け」「3年ほど前から販売する」そうなので、2016年頃からか。思ったより最近。
「秋田県内5店舗でそれぞれのお店ゆかりの個性的な焼き印を付けている。」
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駅西北区画整理2017

2018-02-15 00:30:31 | 秋田の季節・風景
2017年度末の秋田駅西北区画整理事業の状況。結論としては大きな変化はないのですが。
昨年4月25日の記事(リンク先後半)で取り上げ、そのコメント欄でも話題になっていた、エリアの北側。
線路をくぐるアンダーパスが新たに造られる計画で、そこと既存道路の間が更地にされた。
昨年11月。西側から東の線路方向
更地の向こう側に細い道路(車両は行き止まり、歩行者は跨線橋へつながる)と線路が左右方向に並走しているのだが、その間に建物が残っていた。
近くへ。
左が更地、奥が歩行者跨線橋、背後が秋田駅

反対側から。紅葉したツタが少々
木造の建物はレール関係の企業「峰製作所 秋田工事所」。
この時点で空き家になっており、同工事所は、秋田駅をはさんで反対かつ線路を渡った(駅南東側・通称こまち公園の南)、明田地下道の上に移転していた。
線路の反対側から

歩行者跨線橋の上から
この後すぐ、工事所の解体が始まり、そこも更地になった。
現在。上の跨線橋からの写真と同じ方向
上の写真で青い風よけが設置された辺りが、工事所跡。
今年3月23日までの工期で「新しく道路をつくる工事を行っています」の看板。
工事所跡を背に、更地の西方向を見ると、
雪で真っ白で分かりにくいけれど更地の中で工事中(奥の高い建物が脳研)
更地の中を、東西方向に貫く道路らしきものが造られていた。新しい電柱が立っている。
反対側=冒頭の写真とほぼ同じアングル。奥左右が線路
↑真っ白で分からないけれど、更地の右が結婚式場との間の既存の道路。写真左端に建設中の道路もできる。

区画整理の図面を見ると、更地南側(上の写真右)の既存の道路がアンダーパスにつながり、今新しく造られている道路は、小さな生活道路的なものらしい。いずれ、更地部分に移転してきた家屋ができるのだろう。
【3月3日追記】↑と思っていたら、建設中の道路が3月5日に供用開始。代わりに既存の教会脇のアンダーパスにつながるであろう道路が通行止めされて工事に入る。これにより、西・千秋公園側の坂を下った道との交差点の位置も変更される。歩行者もある程度の影響はありそうだが、通行止め区間内でも歩けそうな感じもする。後日また。
【3月5日補足】5日午後に通ったところ、従来よりも見通しが悪い箇所がある上、工事車両がいたり、戸惑う車(歩行者もそうですが)がいたりして、なかなか混沌としていた(工事関係者もいたものの、なんかぼーっとしてるし…)。歩行者が道路横断できる箇所は、白線がなかったり柵があったりして分かりづらい。夜はなおさらだろう。歩行者・車両とも現地通行時は、充分に注意しましょう


最後にエリア南側、秋田駅西口で広小路と接続する部分。
パチンコリボン会館が解体され、秋田駅前ビルが新しくなって、道路が拡張される部分で行われていた下水道工事は完了
広小路から
道路予定地は木の柵で囲われていたのだが、なかなか着工しない。
そうしているうち、柵が部分的に破損しだした。拡張される側の道は、今は道が狭く路上駐車もされるし、雪もあり、歩行者が板の角や釘に手や衣服をひっかけてしまうかもしれない。秋田市役所へ伝えたところ、迅速に補修してくれた。
【15日補足】区画整理エリア内と秋田駅西口を徒歩で行き来する場合、秋田オーパの営業時間内なら、裏口と正面口から出入りして店内を通り抜けさせてもらうのが快適で安全かも。

ついでに、駅前に空き地がずっとあるのは、事情を知らない人には街の印象が悪くなってしまいかねないので、道路予定地であることを分かるようにしてはどうかと提案させてもらった。
「道路建設用地 工事予定期間H30~H32」
小さいながら3枚設置してくれた(某県庁などよりずっとフットワークが軽い)。地元の人のようだけど、通りがかりに立ち止まって見ていた人がいたから、設置した意義はあると思う。

H30というのは年度だろうから、春から着工ということだろうか。この奥の道路予定地にあるお好み焼き屋などはまだ営業しているけれど、いよいよか。※続きはこちら
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ワンマン漫画

2018-02-13 00:26:53 | 秋田のいろいろ
JR東日本のワンマン運転の普通列車のうち、電車を使った列車では、無人駅では1両目の後ろのドアから乗って整理券を取り、車内で運賃を支払って前のドアから降りるのが一般的。【14日補足】ワンマン列車の存在自体は知っていても、その駅が無人駅かどうか(時間帯によって違う駅もある)によって対応が違うわけで、戸惑う人も多いのは無理もない。
※気動車(ディーゼルカー)や他の鉄道会社では、乗降ともいちばん前のドアであるなど、違うこともある。

秋田車両センター所属で奥羽本線・羽越本線などで運用される701系電車の車内。
ドアの上に注目
文字情報装置などはないし、広告を出す企業もあまりいないこともあるのだろうけど、ドアの上には路線図やワンマン運転時の乗降方法の説明が掲出されている。(一部空白だったり、企画きっぷの広告だったりすることも)
上の写真とは別の車両。天井にかけて秋田支社管内の巨大な路線図英語版
現在の701系の基本の説明書きは「ワンマンカー乗り方&降り方」というタイトルで、小さく秋田支社の名も記載されたもの。ワンマン運転をしない3両編成にも設置されているようだ。
上の写真では、色あせていて、長期間掲出されているのがうかがえる。
 
現在の掲示は、イラストが使われている。
20年以上前、701系が導入された時の掲示はほぼ同じ構成ながらこれとは別で、乗降方法の説明が(おそらく実車で撮影した)写真だった。後にその写真を元にイラストを作画して、差し替えたのだと思われる。
ただ、降りる時の車内の絵が、よく分からないアングルで、運転士がこっそりのぞいているような絵。実際には、運転席を離れて運賃箱の前まで出てきて応対してくれる。
したがって、描かれるドアボタンや運賃箱は更新前のもの。
しかも、乗る時の車外の絵には「ワンマン出入口」という表示がある。前述のように電車では乗降でドアが分離されているから、出入口がいっしょの表示は間違い。また、701系では、LEDで大きく「出口」「入口」と表示する装置が昔から設置されており、実際と異なる。
もしかしたら、ごく初期には、そのLEDがなく、前乗り前降り方式が検討されていて、そのまま撮影(さらに後にそのままイラスト化)してしまったのかもしれない。
【2021年8月31日追記・2021年春~夏頃に、新しいものに差し替えられた。基本的には以前と同じだが、2021年春から実施された、秋田~追分間でワンマンでも全駅・全ドア開放する旨が書き加えられている。】

1年前に導入された男鹿線のEV-E801系電車では、
701系と同じ掲示。絵の出入口表示や車体外観も701系と変わらず。女性の服は黄緑色
EV-E801系のほうが、枠(=紙のサイズ)が若干小さい感じもするが、原画のデータは保存しており、新たに印刷できるようだ。【8月1日補足】701系でも、新たに印刷された色あせがない同じ内容の紙もあった。

【2018年8月25日追記】2018年夏に秋田県立博物館で「特別展 あきた大鉄道展」が開催された(博物館とJR東日本秋田支社主催)。
その展示の1つに、701系導入時のワンマン運転についてのポスターがあった。「新型ワンマンカー電車の JR社員がいない駅での 乗り方&降り方」というタイトルで、かつて車内ドア上に貼ってあった説明書きと配置は異なるが、同時に作成されたものと考えていいだろう。
乗降方法説明は、イラストの元になったであろう例の写真。
女性の服はカラシ色。イラストと比べると若干引いた(広角な)アングルで下は膝上丈のスカートであることが分かり、髪が少し長くて肩にかかる程度、肩に下げたカバンはやや小さい。
乗車時のドアには、やはり現在LEDがある位置が銀色の板を差しこんだような構造で、イラストと同じく赤文字で上に「ワンマン」、下に青文字「出入口」と書かれている。
運転士がすき間から覗いているようなイラスト部分は、運転士が着席したまま振り返って応対している写真(実際には席から立って応対する)。撮影用に分かりやすくするためか、運賃箱を通常よりも客席側に開いた状態にしている。この遠近感をイラスト化するのが難しかったのだろう。
とりあえず、初期の写真が保存されていることが分かって何より。

ちなみにこのタイトルが「~JR社員がいない駅での~」となっている。
現在はJR社員がいない駅でも、簡易委託駅を含めた委託駅では、有人駅と同じ扱いになっている【9月3日補足・ただし、簡易委託の碇ケ関は、ある時期から無人駅扱いに戻るなど例外もあり、一律でもない】ので、現時点では適切でない表現。しかし、当初は、ほんとうにJR社員がいる駅(子会社委託駅は含む)しか有人駅として扱わず、委託駅も無人駅と同じ扱いだった。1995年頃では、例えば大久保や大鰐温泉も、前のドアからしか降りられなかった。それが、乗降に手間取る、乗車前にきっぷを購入済みの客が多いといった理由で、後に変更されたのだろう。
ポスターの中にはほかに「奥羽線・羽越線の通勤スタイル 新型ワンマンカー電車」「シティ感覚で始まる一日」といったフレーズもあり、時代を感じさせる。(以上追記)


ところで、冒頭の写真では、ドア上の掲示が違うのにお気づきだろうか。N104編成で撮影したもの。
同じ車両の別のドアで拡大
「駅員のいない駅でのワンマンカー 乗り降りのごあんない」という別デザインのもの。
ドアの隅に「ゆびにご注意ください」というシールが貼ってあるのも特徴的。

秋田の701系(田沢湖線用を除く)は、2両編成24本【13日訂正】28本(運用離脱による組み換え分1本も含む)、3両編成14本。うち、2両編成の4本(N102~105編成)【13日訂正】3本(N102~104編成)は、秋田に新製配置後、後にいったん仙台へ転属し、さらに後に再び秋田へ戻って使われている経歴を持つ。【13日補足】続番のN105・106編成は、秋田と仙台をさらに行ったり来たりあるいは仙台へ行ったきりで、現在は仙台で使われている。
説明書きが違うのは、その仙台にいた経歴を持つ編成で、仙台時代に設置された掲示がそのまま残って使われているため。だから、描かれている車両の帯色は仙台の赤・白・緑。
仙台の説明書きには「仙台支社」の名はないし、内容は秋田と変わらず間違ってもいない(帯色は別として)から、そのままにしているのだろう。
【13日補足】仙台へ転属したのは、1999年の山形新幹線新庄延伸に伴う運用区間縮小によるもの。秋田へ戻ったのは、N102編成が2008年の花輪線直通気動車快速(元急行よねしろ)の電車化に伴う補充、N103・104編成が2010年の東北新幹線新青森延伸時の輸送力増強対応。仙台から秋田へは2度に分けて戻っているので、3編成すべてにこの説明が掲出されているわけではないかもしれない。

仙台版は、イラストというよりマンガ。特に右側。
これも運転席の配置がヘン
先入観か1990年代後半チックな趣きの女子学生2人が、「あれっ! ワンマンカーはどこから乗るの?」「ほらほら整理券取るの忘れてるってば!」「そうそうバスと同じよね!」など、3コマで乗降方法を説明してくれる。


701系はエリアごとに集中的に導入され、大規模な転属や改造はされていないこともあって、例えばキハ40系などと比べると個体間の差異は小さい。でも、よく見ると、このような違いがある。いずれまた。

※2018年時点の仙台支社と盛岡支社のワンマン説明の比較はこちら
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美大附属高と呼ぶNHK

2018-02-08 23:49:52 | 秋田のいろいろ
先日のセリオンタワーみたいな話になってしまいます。些細なことと言う人もいるかもしれないけれど、間違っていて誤解を与えかねないこと。
毎年この時期恒例の、秋田市にある秋田公立美術大学附属高等学院の生徒作品展が開催されていることを、マスコミが報道している。

NHK秋田放送局の報道

NHK秋田放送局がテレビで伝えた中に、間違いがある。
それは、画面に表示されるタイトル「美術学ぶ高校生の作品展」や原稿中の「美術やデザインを学ぶ高校生が制作した」の部分。
「高校生」は誤り。

一般的には、高校生は「高等学校(高校)の生徒」を意味する。NHKはこの学校を高等学校だととらえていると受け取れるが、美大附属高等学院は高校ではない。
ニュースサイトのタイトル「公立美大附属高」は、「高等学院」の略だと言い張るかもしれないが、知らない人は「~高校」の略ととらえるかもしれないから、まぎらわしい。

美大附属高等学院は「専修学校高等課程」という位置づけ。学校教育法では、高等学校と専修学校は別の学校としている。
美大附属高等学院は中卒者が入学し、制服を着て通学して3年で卒業し、卒業すれば大学受験資格を得られるものの、「高卒」とはならない。

となると、高校との違いが分かりづらいけれど、要は高校と比べて一般科目(国語数学など)の履修が少ない分、専門的分野(美術工芸)にカリキュラムの多くを割いていることになる。
また、公式ホームページに以前はなかった「Q&A」が掲載されており、「 「高校卒業資格はないが、大学受験資格はある」ことで不利益はありますか?」との問いに、基本的には高卒と違いはないが、国公立大学等の推薦の要件では高校に限定しているところが多く「本学院は対象になっていない場合があるのが現状です。」としている。
卒業後の資格取得や給与面で、制約を受けることも考えられるが、現在は上位の大学等へ進学する卒業生が多いそうなので、あまり問題ではないのかもしれない。


学校教育法では高等学校以外の学校が「高等学校」の名称を用いてはならないこととされており、仮に美大附属高等学院が「高等学校」と名乗ったら、大問題になってしまう。
さらに、高等学校と専修学校では、教員の要件も違うから、その点でもおかしくなる。

ところが、NHKは…
NHKでは、「附属高等学院の生徒」「専修学校高等課程の生徒」も高校生と呼んでいるのだと言い訳するかもしれないけれど、それは常識的でなくムリがある。
秋田市民でも、このことは知らない人が多いと思われるが、だからこそ、間違った表現を使うことで余計に誤解を広めてしまうことになる。マスコミ、しかも受信料を取る公共放送がこれでいいのだろうか。


と、ここまで書いておいてなんですが、NHKが美大附属高等学院を高校としたのは、これが初めてではない。
美大が4年制化される前、秋田公立美術工芸短期大学附属高等学院だった当時に、同じ報道をした(この時は学校名まで「~附属高校」としてしまっていた)ので、誤っている旨をNHK秋田放送局に指摘したことがあった。その時は、(直接的な訂正をしたかは不明だけど)後の時間帯の報道では「高校」の表現は使わなくなった。
それが生かされた(他からも指摘があったのかもしれない)のか、2015年や2016年では「専修学校の秋田公立美術大学附属高等学院では…」と、極めて正確な表現に変わって、安心していた(だから2017年はどうだったか意識していなかった)のだけど、2018年に元に戻ってしまった。
記者が引き継ぎをせずに異動してしまったのだろうか。

そうだとしても、取材者や原稿作成者、それを確認する立場の人(デスク?)などが、何の疑問もなく「高校」でスルーしてしまったのだとすれば、プロ意識が低いのではないか。
たいていのNHK職員は高等学校を出ているだろう。中卒、高卒認定試験(大検)、海外の学校を卒業しているのかもしれないけれど。高校を出ていれば、高校には普通科とか商業科とか「課程」があることは知っているだろう。
だったら、こんな本格的な作品を作るのが高校生だとすれば、この美大附属高等学院というのは、何課程・何科なんだろう? と疑問を持って調べようとはしないのだろうか。調べていれば、その段階で、ここは高校ではないのだと分かるはず。
しかも、少し前に、視聴者から指摘を受けていることなんだし。

NHKが要らないとは言わないが、NHKに対して過度に期待したり全面的に無条件に信用したりするべきではない【9日・「全面的に無条件に」を追加】と、最近特に思っている。でも、受信料を取っているだから、相応の仕事はしていただきたい。


もう、こうなったら、美大附属高等学院を高等学校化しちゃうのも手かも?!
4年制化された時、美大本体は公立大学法人の運営となった。法律では、公立大学法人が高等学校を運営することはできるが、専修学校は運営できないことになっていて、現在は附属高等学院部分は秋田市直営となっている。それも解消されるし。
でも、秋田県全体での高等学校の定員の割り振りとか、教職員の配置とか、やっぱりカリキュラムの編成とかクリアすべき課題もあるのでしょうね。
【2022年2月10日追記・秋田魁新報「シリーズ時代を語る・青木隆吉18」より附属高等学院が高校にならなかった事情など】「秋田市立工芸学校」だった1960年頃の段階で、当時の校長が「この学校はいずれ高校に変わる」と言っていた。しかしその気配は一向になく、先に短大ができた(この記事参照)。「市立高校にするのは、市の財政負担が大きく、高校教員の資格を持たない教員の雇用を維持する必要があったこと、さらに従来の校風を守りたいという思いもあり、見送られたようです。それで短大付属高等学院になりました。」とのこと。1999年(高校は2000年)に御所野学院中学高校は作っているから、そっちにも費用を振り向けたということもありそう。


あと、NHKが勘違いしてしまう一因に、「秋田市立御所野学院高等学校」の存在があるかもしれない。
こちらは、附属高等学院より歴史が浅い、中高一貫校の高校部分の名称。
これは正真正銘の「高等学校」なのだが、「御所野学院高等学校」に「学院」と「高等」が含まれていて、新人だったり異動して間もないNHK記者なら美大附属高等学院と混同しかねない。でも、そこを正しく理解して伝えるのが、プロのマスコミでしょう。


秋田テレビでもこれを伝えていたが、「高校」のフレーズはなかった(附属を「付属」と表記していたのは、常用漢字にしたということかな)。
あと、明日以降の秋田魁新報、大丈夫ですよね?【9日追記】9日付秋田魁新報は問題なかった。AKTや魁では、「高校」という言い回しを用いていないだけであって、美大附属が専修学校であることは触れていない。それだと、見た人自身で、美大附属が高校だと誤解してしまう可能性はあるが、それはその人個人の問題。一方、NHKは高校だと解釈させるようミスリードしているのがいただけない。

【2018年2月15日追記】本件をNHKの本部のメールフォームから指摘した。(本来は秋田局へ指摘するべきなのだろうが、以前に指摘済みであり、NHK全体のこととしてもとらえてほしかったため)
期待していたわけではないが返信はなく、ニュースサイトの1週間の掲載期限まで「高校」のままであった。


【7月9日追記】2018年3月20日に秋田県教育庁が発表した、同年度の教職員異動に誤りが3件あったとして、3月22日に訂正された。
1件は西明寺中学校事務職員の新職名の誤り。残る2件は、美大附属高等学院に関わる誤りだった。
市立岩見三内小学校の校長へ異動(昇任)した附属高等学院の副校長の現職名の誤り。「秋田公立美術大学付属高等学院副校長」と略さずに表記するのが正当らしいのを、「秋田公立美術大学付属高副校長」と、NHKと同じく高等学校扱いにしてしまった。
市立城東中学校へ異動する教諭の現職名も間違って、「秋田公立美術大学付属高等学院教諭」とすべきところを、「秋田市教委主査」と、なぜか教育委員会事務局勤務にしてしまった。
特に前者の誤りは、教育関係者(普段直接関わらない県教委だとしても)なのに基本的認識を間違えるという、なんだかな…というミス。


【8月30日追記・画像追加】
毎年恒例ではないと思われる、美大附属高等学院のニュースが、8月29日に報道された。ドイツから合唱団が来て、生徒と交流したという話題。そこでは、
「専修学校生 独の合唱団と交流」
原稿では「秋田市内の専修学校を訪れ」「秋田市の専修学校、秋田公立美術大学附属高等学院」、字幕でも「秋田の生徒と歌で交流」と、「高校」はひとことも使わっておらず、これなら問題なし。
2月の指摘を受けて、配慮した言い回しをしたのだろう。これで安心、というわけにはいかない。以前も、指摘してから何年か経つと、また「高校」に戻っていたのだから。

※案の定、安心できなかった。2018年12月には…
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バス時刻検索の決定版?

2018-02-07 23:19:25 | 秋田のいろいろ
昨年、Googleマップで秋田中央交通の路線バスのルートや時刻が検索できるようになった。
便利になったのは間違いないが、運賃が表示されなかったり(JR利用分は表示される)、地図上でバス停の位置が分かりづらかったり、循環バスや郊外の子会社路線は表示されなかったり等々、改善の余地があるとも感じていた。

最近、「NAVITIME(ナビタイム)」というナビゲーションサービスの存在を知った。これがなかなか使いやすいのでご紹介。
※以下の使用方法や表示画面は、会員登録せずにパソコンでサイトにアクセスしたものです。会員登録した場合やスマホのアプリでは、別の内容になる可能性があります。

先にNAVITIMEの欠点を挙げてしまおう。
広告が多くて重かったり、地図上(あるいはGPS)で地点を指定できなかったり、会員登録しないと鉄道とバスを組み合わせての検索ができないといった点。これらはGoogleマップのほうが優位。【9日訂正】地図上で場所を指定して検索することはNAVITIMEでもできた。ゼンリンの地図なので、バス停名称が最初から地図に表示されたり、日本的な見やすいデザインだったりして、Googleよりいいかも。

しかし、総合的に考えて「バスだけ」を調べたいのなら、NAVITIMEはとても優れている。
真っ先に挙げるべき点は、(秋田に限らず)地方のバス会社の多くに対応している点。自治体が運行主体であるコミュニティーバスにもけっこう対応している。
秋田県内では、秋田中央交通が2016年、羽後交通が2017年、秋北バスが今年初めと、主要バス事業者すべてに対応。秋田中央交通の子会社が受託運行する、秋田市と周辺のコミュニティーバス(「秋田県マイタウンバス」と称しているが公式な呼称ではない)も対応。
※秋田市中心市街地循環バス「ぐるる」も対応。秋田市内で中央交通系以外が受託するエリアのコミュニティーバスは非対応。
青森の弘南バスも昨年から対応。

NAVITIMEトップページ(部分)
トップページの最初の状態では、鉄道を検索する画面なので、まずは赤丸で囲んだ「バス乗換」をクリックして切り替える。
出発地と到着地の箱に乗降するバス停の名称を入力する。これは正確な(=システムに登録されている)バス停名称でないとエラーになるが、入力するに従って、候補のリストが表示される。でも、「県庁前」みたいな全国各地にあるバス停では、目的のバス停がリストに含まれないこともあり、複雑。
「外旭川」まで入力したところ
停留所名は先頭一致でないとならないので、例えば「秋田県庁前」なのか「県庁前」なのか分からないと、たどり着けない。「秋田市西部市民サービスセンター」でも「新屋案内所」でもエラーになり、あくまでもバス停名の「西部サービスセンター」でないといけない。
茶色い線を境に上下2画面を合成
秋田県庁から県立秋田中央高校へ行く場合、上段のような入力ではエラーになる。

特に難関だったのが「長崎屋バスターミナル」。
「秋田長崎屋バスターミナル」
同じページで検索する高速バス対応なんだろうけど、頭に秋田が付くとは。
ただし、近くに別路線のバス停がある場合、そこから歩くように検索結果で指示される(後述)ので、長崎屋も「旭北錦町」で検索して発見できた。

エラーまたは検索結果が出た後の画面(上の長崎屋の画像)では、都道府県を指定してバス停名を検索することもできるものの、その結果には指定した県以外のものも表示されるので、あまり意味はなさそう。

Googleの時もやってみた、基本的に最低1度は乗り換えが必要な、外旭川市営住宅前から西部(市民)サービスセンターまでを検索。
検索結果一覧(この下に詳しいバス停名や時間・運賃が表示される)
上記の通り、Googleと違ってJRと組み合わせたものは表示されないが、バスどうしの乗り換えであれば、Googleとほぼ同じ結果になる模様。神田線から新屋線に通町で乗り換えるのと、歩いて新国道へ出て高野二区、山王十字路で新屋西線に乗り換えるものが表示された。
なんといっても、運賃が分かり、比較できるのが便利。運賃は新国道~新屋西線のほうが安いことが分かる。


個人的に画期的だと思うのが、羽後交通の運賃が分かること。
羽後交通ではホームページでは限られた主要区間の運賃しか分からないばかりか、車内にもデジタルや液晶の運賃表示器がいまだに設置されておらず、運転席の後ろに掲出された紙の運賃表(三角表)を見なければならない車が多く、乗り慣れない者にとっては敷居が高い。(小銭の準備が心配。仮にICカードが使えれば、軽減されるけど)

秋田駅と茨島~新屋の間では、中央交通の新屋線と羽後交通の急行本荘線が競合している。共同運行などではなく、あくまで競合している形のようだから、運賃設定も別。
近年は新屋線の減便も著しく少し不便になり、毎回中央交通に乗ってやる義理もない。たまには羽後交通にも…と頭をよぎっても、運賃が分かりにくいことがネックで、羽後交通のバスをやり過ごすこともあった。
NAVITIMEで、秋田駅西口から美術大学前までを検索。
結果一覧。所要時間と運賃が違う2つが出た
1番が中央交通新屋線、2番が羽後交通。この区間では羽後交通が30円安い。
中央交通と羽後交通で運賃が違うのは、値上げしたタイミングが羽後交通のほうが先で、秋田市内区間は中央交通を意識(?)して初乗り150円の低廉にしたものの、後で中央交通も値上げしてそれを上回ってしまい、羽後交通はそのまますえ置いている結果のはず。

この沿線で、場所は同じながら、中央交通では「ハローワーク秋田前」、羽後交通では「茨島」と名称が異なるバス停がある。
秋田駅西口からハローワーク秋田前で検索すると、
羽後交通も表示された。これが一覧の下に表示される詳細
羽後交通「茨島」から「徒歩0分」で「ハローワーク秋田前」という結果になった。なお、運賃は羽後交通は270円、新屋線では290円。
ということで、NAVITIMEがあれば、秋田市内の羽後交通も乗りやすくなる、かな。


ちなみに、前述の通りバス停名は正確でないといけない。似たようなバス停が全国各地にあるものでは、強引にルートが提示されてしまうことがある。
弘前市の市立第三中学校前と弘前大学農学生命科学部前にそれぞれ、弘南バスのバス停がある。
弘南バスでは「○○中学校前」をバス停にする時、全国的に見れば変わった略し方をしていて「三中校前」となる。また、後者は「弘大農学生命科学部前」なのだが、かつては農学部だったし、頭に「弘大」が付くのか付かないのか、「弘前大学」が付くのではないかなど、知らないと正式なバス停名は見当をつけにくい。
三中校前から弘大農学生命科学部前(1区間なので、実際にバスに乗る人はいないだろうけど)
もしも、正式名称を間違えて「第三中」から「農学部前」と入れて検索したら…
大阪の第三中学校前から、香川の農学部前まで!
途中に高速バスも含まれるのだけど、「路線バス乗り継ぎ旅」並み。
もう少し融通を利かせた、あいまい(部分一致)検索ができればいいのに。


NAVITIMEには、上記2バス停間のルート検索以外の機能もある。
Googleマップに印と線を付けただけながら、路線図も見られるし、最初の検索画面の「バス時刻表を見る」からは、各バス停ごとの時刻表を表示できる。
ハローワーク秋田前の秋田駅方面時刻表(一部)
中央交通では、公式サイトでもバス停の掲示でも見られない、1時間ごとに何本あるかが直感的に分かりやすいスタイルの時刻表が見られるのは便利。
上記のハローワーク前では、中央交通の駅方面行きであれば、新屋線も茨島環状線も1枚で生成される(文字色が違うのは系統番号の違い)。ほかにも神田線と添川線など、別路線ながら同じルートの秋田駅行きは、基本的にはまとめて表示される。
しかし、イオン秋田中央店前などでは、御野場団地線と大住団地線は1枚にまとまっているのに、同じルートの卸町経由新屋線は別の表になってしまう(新屋線では上下方向が逆に設定されている?)。
データを提供する中央交通側の事情なのか、データ化するNAVITIME側の事情なのか分からないけれど。


バス会社のホームページでは、紙の時刻表と同じものだけを掲載し(それはそれでいいのだけど)ているところもあれば、自前で時刻検索システムを提供しているところも少なくないが、使い勝手に難があったり、維持費もかかるだろう。自治体などがわざわざ税金を使って検索システムを提供する場合もある。いずれにしても、それぞれで操作方法やデザインが統一されておらず、戸惑うこともある。
いっそ、NAVITIMEに丸投げ(いい意味で)してしまって、各バス会社のサイトからリンクするというのも、手ではないでしょうか。

なんでもかんでもGoogle一辺倒は好ましくはないし、NAVITIMEに期待したい。
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たばこ会館

2018-02-05 23:49:11 | 秋田の季節・風景
「秋田たばこ会館」という建物がある。
秋田駅の南西にある、日本たばこ産業(JT)秋田支店(昔は秋田“営業所”だったような?)とは別。

左の2階建てが秋田たばこ会館

所在地は、秋田市保戸野中町7番地。
菊谷小路と千秋トンネル通りが交わる交差点の北東角から1件隣。

現在、この秋田たばこ会館が解体されようとしている。写真は1月末の撮影。
シャッターの上のひさしが撤去された
民家と変わらないような大きくはない建物だけど、現在、解体が少し進んだところを見たら、木造ではなく鉄骨造のようだ。

そもそも、たばこ会館って何?
写真でまだ看板が残っているが「秋田たばこ販売協同組合/秋田県たばこ販売協同組合連合会」とある。
前者はホームページを開設しており、それによれば、秋田市と周辺の町のたばこの小売事業者の組合ということのようだ。その秋田県内各地をまとめるのが後者の連合会なのでしょう。
【7日大事な一文を忘れていたので追記】そういった、タバコ販売業界の団体の事務所がまとまって(ここの場合2つっぽいけれど)入居する建物が、たばこ会館だったのだと思われる。ちなみに、5年近く前に解体されてしまったが、ここからそう遠くないところには、別業界の同じようなもっと大きな「秋田県環衛会館」もあった。

2012年10月撮影のGoogleストリートビューより(2015年8月も同じ状況)
建物が現役だった頃は、前にタバコと飲み物の自動販売機があった。飲み物のほうは「何が出るか分からないボタン」があって、ちょっと話題になったことがあったはず。
また、建物中央に「たばこ販売中」「宝くじ販売店」と書かれた風除室があり、その中にカウンターがあって、対面での販売も行っていたようだ。

いつからたばこ会館がここにあったのか。協同組合のホームページには、1967年に「たばこ会館に事務所移転」とある。しかし、会館自体が後に別の場所から保戸野へ移転した可能性もあり、断定できない。建物の外壁はきれいそうだけど、後から貼り直した感じもするし。
壁面に残る「秋田たばこ会館」は独特の書体
昨年秋頃だったか、たばこ会館の中から物を搬出しているのを目撃し、建物が使われていないような雰囲気がしていたが、なかなか変化がなく、年明けにやっと解体が始まった次第。
協同組合のホームページは永らく更新されていないようだし、現地の張り紙も見当たらないので、現在の組合事務所またはたばこ会館がどこにあるのかは不明。

解体後、同じ場所に新築される可能性もあるが、ここから秋田たばこ会館がなくなるのだとすれば、ちょっと困るのが秋田県警。
信号機交換の入札資料などでここの交差点を示す時、目安として「たばこ会館前」と表記されるから。昔は南東角に秋田相互銀行保戸野支店があったけど、今は駐車場だし、これからはどうするでしょうか。

【3月12日追記】ところがその後、解体はされず外観が覆われてしまった。解体ではなく改修なのかもしれない。
【4月22日追記】と思っていたら、やっぱり解体中。一時的な中断を含めて、ゆっくりと解体が進んでいることになる。
【9月18日追記】解体が終わって更地になって、夏以降、跡地に新しい建物を建て始めた。
【10月21日追記】その後、理容室? 美容室? がオープン。近くから移転して来た模様。結局たばこ会館はなくなってしまった。
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アトムからみみよりへ

2018-02-02 00:44:57 | 秋田のいろいろ
2月1日。秋田銀行の通帳の記帳欄がいっぱいになったので、通帳繰越機能付きATMで繰り越し。
2014年当時と変化はなく(ATMの画面デザインは昨年辺りに変更)、ガチャガチャと3分ほどかかって、新しい通帳が出てきた。
下が旧通帳、上が新通帳
そうだった!
秋田銀行の通帳とキャッシュカードのキャラクターおよびデザインが変わったのだった。少し前の秋田銀行【2日訂正】秋田魁新報の経済面に小さく記事が出ていたのを思い出した。
漠然と新聞を見た記憶では、4月頃にでも変わるのかと思っていたが、変更は2月1日から。絶妙のタイミングでの繰り越しとなった。

これまでは「鉄腕アトム」。
新しいキャラクターは、秋田銀行オリジナルの「みみより一家」という3匹のウサギらしい。今回新規に登場したわけではなく、通帳以外の広告などでは何年か前から見かけた。
調べると、秋田県大仙市中仙で飼育される「ジャンボウサギ」がモチーフだそうで、遅くとも2016年には使われていた。

今回、通帳4種とキャッシュカードに、それぞれ違うデザインの一家が描かれた。写真は総合貯蓄口座通帳で、秋田県内の観光名所の四季が背景。
右が裏表紙
通帳の中身は、基本的に変わらないが、従来は地の柄に桜の枝が描かれていた(さらに旧デザインではアトムのキャラクター)のが何もなくなって地紋だけになったのと、一部ページの地紋の色が変わった(定期預金が緑から青など)。
旧通帳裏表紙
アトムの通帳では、裏表紙の秋田銀行のロゴの上に「あなたの10万馬力」とのキャッチコピーが添えられていたのが、新通帳ではなくなっている。10万馬力といえばアトムだから当然だけど、代替のコピーもない。

鉄腕アトムは、「ウッディ・ウッドペッカー」の後を継いで1999年4月から秋田銀行のキャラクターだったようだ。
秋田と鉄腕アトムに特別な縁があるわけではないはずだし、近年はアトムのアニメ化【2日補足・日本ではアトムの生誕年である2003年制作が最後】もなく、アトムというキャラクターを知らない顧客も増えて(「10万馬力」の意味も伝らず)アトムをキャラクターにする価値が低下し、手塚プロダクションに使用料を支払うのも負担なのかもしれない。

個人的には、アトムにさほど思い入れもないし、新キャラクターも、というか通帳にキャラクターが描かれること自体、どうでもいい。【2日補足】通帳キャラクターに関心を持ち、その金融機関と無関係な遠隔地に住んでいても、そのキャラクターの通帳がほしいから口座を開設したという人も、全国的にそれなりに存在するのもまた事実。
【2日追記】通帳デザイン変更の報道を受けた反応がネット上に少数だけあり、「アトムのほうがよかった」「新キャラクター(あるいは新通帳のデザイン)がかわいい」と、賛否が拮抗(って数件ずつですが)している。
ともかく、アトムさんおつかれさまと言っておこう、と思ったけど、ずっと持ち続けているキャッシュカードは、引き続きアトムのデザインだった。(従来の顧客は、再発行手数料を支払わないと新キャラクターのカードはもらえないのでしょうね)

それに、店頭にも、
まだアトムがいた(手前の納税標語は、市制120周年とあるから10年ほど前のもの)
「これからも ずっといっしょに。」と言っているけれど、こういうのは残るのだろうか。おそらく順次撤去されるのだろう。【この後、4月中旬に見てみると、なくなっていた。納税標語はそのまま】
鉄腕の腕がテープで補修されていた

北都銀行では、だいぶ前からオリジナルの秋田犬「ほっくん」をキャラクターとしているし、秋田の銀行からはオリジナルでない漫画やアニメのキャラクターがいなくなったということになろう。
青森では、少し前は青森銀行がスヌーピー、みちのく銀行がトムとジェリーを起用していたが、今はどうなっているだろうか。【6日追記】コメント欄の通り、トムとジェリーは現役とのこと。
コメント (47)
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