秋田市のJR東日本秋田総合車両センター(旧・土崎工場)では、廃車になった鉄道車両の解体も行っている。秋田以外を走っていた車両が運びこまれ、解体を待つ間、奥羽本線の列車から見える位置に置かれることがある。
秋田駅(将軍野踏切)寄りから
↑奥羽本線上下線、試運転線があって、緑のフェンスの向こうが工場内。フェンスの根本の斜面には、ブタナとハマヒルガオが咲く。
現在、本線寄りには、キハ100形気動車×4両。
その右は、房総半島方面の特急だった255系電車。以前はこれが本線際に置かれていて、順次、内側へ移動して解体されている。さらに右は、寝台座席兼用の583系電車の先頭車。クハネ583-17で、廃車されずに車籍がある唯一の583系だそうだが、雨ざらしで色あせが進んでいる。保存するのかどうなるのか【現役時の写真が2025年8月13日の記事に少々】。
土崎駅寄りから
製造番号は、青森側から、6、2、43、44。2と43は連結されずすき間がわずかにあり、他は連結されている。
盛岡支社の盛岡車両センター一ノ関派出所(旧・一ノ関運輸区)配置で、大船渡線と北上線などで使われていた車両。この4両以外にも廃車があり、郡山総合車両センターに行ったものと、ひたちなか海浜鉄道へ譲渡されたものがあるとのこと。
キハ100 44
↑側面JRマーク下は、「ドラゴンレール大船渡線」のキャラクター入りステッカー。キャラクターに特に名はないようだし、北上線も走るのに、北上線については何もないのが、なんだか不公平。
大船渡線では今春から、キハ100に代わって、キハ110系気動車が走るようになったので、余剰による廃車か。キハ100もキハ110系も、製造は同時期。共通する点が多い両形式の最大の違いは、車体の長さ。110は一般的な20メートル級で、100は3.5メートルほど短い。
キハ100が最初に投入されたのが一ノ関で、たぶん全車が、異動することなく最後まで一ノ関配置だった。
中でも、いちばん最初の4両は試作車【15日補足・今で言う「量産先行車/量産先行試作車」相当かと思う】扱いで、その1両がキハ100 2(1990年2月23日落成)。他の3両は、4は郡山へ行き、1と3はポケモン「POKÉMON with YOU トレイン」に改造されている。なお、キハ100の中で、1と3だけがアメリカ・カミンズ製エンジンを搭載しているようだ(他はコマツもしくは新潟鐵工所製)。
6は1991年3月12日、43、44は1991年10月30日落成。
キハ100・キハ110系の外観は、角張ったものの面取りされた車体形状と、JR東日本のイメージカラーを意識したのか、淡い緑色にアクセントの濃い緑が入る塗装が特徴的。走行性能は良く、車内には冷房が付いた。
国鉄型&国鉄色の気動車ばかりだったローカル線には、斬新で画期的な車両だった。
一部にバス用の部品が使われるなどコストダウンも図られてはいるが、少し後に現れる“走ルンです【701系電車について2023年6月20日の記事】”シリーズとは違い、適切なレベルだと思う。キハ100・キハ110系を悪く言う鉄道愛好家は、あまりいないと思う。
北上線以外の秋田県内では、キハ110系が、秋田新幹線工事中の1996年から1年限定運行の特急「秋田リレー号」や、2008年になって花輪線に投入されただけで、あまり縁がない車両。
だから、僕も初めて乗ったのは、たしか2001年だった。
1990年の登場からしばらくは、インターネットもなく、鉄道趣味の書籍をひんぱんに買うこともなかったが、角張った薄緑の新車両のことは知っていた(いつかは男鹿線も走ると期待したのだが…)。
2000年前後だったか、秋田市立中央図書館で借りた本に、北上線のキハ100のカラー写真が載っていた。それを見て衝撃を受けた。
「顔が真っ黒」だった。後述の通り、正確には全体が黒いわけではないのだけど、感覚としては真っ黒。
その本には「ブラックフェイス」と表記されていたかと記憶するが、現在のネット上でもそう呼ばれることが多いようだ。
キハ110系の試作車もブラックフェイスで、どちらも後に量産車に合わせて、薄い緑色の塗装になった。ネットで探しても、当時の写真は少なかった。
しかし、2024年に(北上線開業100周年記念で?)、キハ100 2に、復刻ラッピングが施されたとのことで、ネットの画像が増えた。ラッピングなので、本物とは多少違うのかもしれないが、やはり、衝撃的。それが廃車になり、ブラックフェイスのまま土崎へ来た。
キハ100 2とキハ100 43
上記の通り、土崎に置かれたキハ100 2は両隣に車両があるものの、連結されていない43との間に数メートルのすき間があるので、そこからブラックフェイスを見ることができる。通過する列車内からは一瞬であるが、ブラックフェイスを見られる。歩いて線路際に行っても、見られるポイントは限られているし、今回は逆光に近い光線状態でイマイチだった。でも、実物を見られて良かった。
正面下の「スカート(排障器)」がパイプなのも試作車の特徴
左上の「100-2」は白文字。この位置に車番を記すのも斬新だった。
落成当時はなかった「転落防止幌」は濃い緑だが、ここも黒にすれば良かったかも。
ピアノや蒸気機関車のような、光沢のある黒。貫通扉は濃い緑で、配色のバランスが良くないと思う(むしろ全部黒のほうがいいかも)。どういう意図で、正面の左右だけ黒くしたのだろう。視認性も悪そう。
結果的に、黒をやめて全体的にとてもいいデザインになったけれど。
【15日補足・2000年代以降は、黒系統の暗い色の塗装の鉄道車両もちらほらあるが、平成初期の、しかも普通列車用車両で真っ黒なのは、他に例がないはず。】
キハ100 6と2の側面
側面にも、若干の違い。
JRマーク部分
窓がないトイレ部分の壁も、連続窓風にして、黒く塗りつぶされていた。【15日追記・側面は復刻塗装の一環ではなく、製造時から変更されず、ずっと黒いままだったとのこと。試作車と量産車の識別ポイントだったことになる。】
ちなみに、ガングロがブームになるのは、1990年代後半。
1999年登場のJR東海の313系電車の白い顔は、当時の美白ブームにちなんで「(鈴木)その子」とあだ名された【2023年2月15日の記事】。
土崎に来た4両は、車体の傷みもあまりなさそうで、廃車されるのは惜しい気もしてしまうが、時の流れを見せつけられる。
【19日追記】その後6月19日までに、本線から見える位置には、車両がなくなった。

↑奥羽本線上下線、試運転線があって、緑のフェンスの向こうが工場内。フェンスの根本の斜面には、ブタナとハマヒルガオが咲く。
現在、本線寄りには、キハ100形気動車×4両。
その右は、房総半島方面の特急だった255系電車。以前はこれが本線際に置かれていて、順次、内側へ移動して解体されている。さらに右は、寝台座席兼用の583系電車の先頭車。クハネ583-17で、廃車されずに車籍がある唯一の583系だそうだが、雨ざらしで色あせが進んでいる。保存するのかどうなるのか【現役時の写真が2025年8月13日の記事に少々】。

製造番号は、青森側から、6、2、43、44。2と43は連結されずすき間がわずかにあり、他は連結されている。
盛岡支社の盛岡車両センター一ノ関派出所(旧・一ノ関運輸区)配置で、大船渡線と北上線などで使われていた車両。この4両以外にも廃車があり、郡山総合車両センターに行ったものと、ひたちなか海浜鉄道へ譲渡されたものがあるとのこと。

↑側面JRマーク下は、「ドラゴンレール大船渡線」のキャラクター入りステッカー。キャラクターに特に名はないようだし、北上線も走るのに、北上線については何もないのが、なんだか不公平。
大船渡線では今春から、キハ100に代わって、キハ110系気動車が走るようになったので、余剰による廃車か。キハ100もキハ110系も、製造は同時期。共通する点が多い両形式の最大の違いは、車体の長さ。110は一般的な20メートル級で、100は3.5メートルほど短い。
キハ100が最初に投入されたのが一ノ関で、たぶん全車が、異動することなく最後まで一ノ関配置だった。
中でも、いちばん最初の4両は試作車【15日補足・今で言う「量産先行車/量産先行試作車」相当かと思う】扱いで、その1両がキハ100 2(1990年2月23日落成)。他の3両は、4は郡山へ行き、1と3はポケモン「POKÉMON with YOU トレイン」に改造されている。なお、キハ100の中で、1と3だけがアメリカ・カミンズ製エンジンを搭載しているようだ(他はコマツもしくは新潟鐵工所製)。
6は1991年3月12日、43、44は1991年10月30日落成。
キハ100・キハ110系の外観は、角張ったものの面取りされた車体形状と、JR東日本のイメージカラーを意識したのか、淡い緑色にアクセントの濃い緑が入る塗装が特徴的。走行性能は良く、車内には冷房が付いた。
国鉄型&国鉄色の気動車ばかりだったローカル線には、斬新で画期的な車両だった。
一部にバス用の部品が使われるなどコストダウンも図られてはいるが、少し後に現れる“走ルンです【701系電車について2023年6月20日の記事】”シリーズとは違い、適切なレベルだと思う。キハ100・キハ110系を悪く言う鉄道愛好家は、あまりいないと思う。
北上線以外の秋田県内では、キハ110系が、秋田新幹線工事中の1996年から1年限定運行の特急「秋田リレー号」や、2008年になって花輪線に投入されただけで、あまり縁がない車両。
だから、僕も初めて乗ったのは、たしか2001年だった。
1990年の登場からしばらくは、インターネットもなく、鉄道趣味の書籍をひんぱんに買うこともなかったが、角張った薄緑の新車両のことは知っていた(いつかは男鹿線も走ると期待したのだが…)。
2000年前後だったか、秋田市立中央図書館で借りた本に、北上線のキハ100のカラー写真が載っていた。それを見て衝撃を受けた。
「顔が真っ黒」だった。後述の通り、正確には全体が黒いわけではないのだけど、感覚としては真っ黒。
その本には「ブラックフェイス」と表記されていたかと記憶するが、現在のネット上でもそう呼ばれることが多いようだ。
キハ110系の試作車もブラックフェイスで、どちらも後に量産車に合わせて、薄い緑色の塗装になった。ネットで探しても、当時の写真は少なかった。
しかし、2024年に(北上線開業100周年記念で?)、キハ100 2に、復刻ラッピングが施されたとのことで、ネットの画像が増えた。ラッピングなので、本物とは多少違うのかもしれないが、やはり、衝撃的。それが廃車になり、ブラックフェイスのまま土崎へ来た。

上記の通り、土崎に置かれたキハ100 2は両隣に車両があるものの、連結されていない43との間に数メートルのすき間があるので、そこからブラックフェイスを見ることができる。通過する列車内からは一瞬であるが、ブラックフェイスを見られる。歩いて線路際に行っても、見られるポイントは限られているし、今回は逆光に近い光線状態でイマイチだった。でも、実物を見られて良かった。

左上の「100-2」は白文字。この位置に車番を記すのも斬新だった。
落成当時はなかった「転落防止幌」は濃い緑だが、ここも黒にすれば良かったかも。
ピアノや蒸気機関車のような、光沢のある黒。貫通扉は濃い緑で、配色のバランスが良くないと思う(むしろ全部黒のほうがいいかも)。どういう意図で、正面の左右だけ黒くしたのだろう。視認性も悪そう。
結果的に、黒をやめて全体的にとてもいいデザインになったけれど。
【15日補足・2000年代以降は、黒系統の暗い色の塗装の鉄道車両もちらほらあるが、平成初期の、しかも普通列車用車両で真っ黒なのは、他に例がないはず。】

側面にも、若干の違い。

窓がないトイレ部分の壁も、連続窓風にして、黒く塗りつぶされていた。【15日追記・側面は復刻塗装の一環ではなく、製造時から変更されず、ずっと黒いままだったとのこと。試作車と量産車の識別ポイントだったことになる。】
ちなみに、ガングロがブームになるのは、1990年代後半。
1999年登場のJR東海の313系電車の白い顔は、当時の美白ブームにちなんで「(鈴木)その子」とあだ名された【2023年2月15日の記事】。
土崎に来た4両は、車体の傷みもあまりなさそうで、廃車されるのは惜しい気もしてしまうが、時の流れを見せつけられる。
【19日追記】その後6月19日までに、本線から見える位置には、車両がなくなった。