広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

2014年を振り返って

2014-12-31 23:54:41 | その他もろもろ
2014年も間もなく終わり。
昨2013年末の記事では、2013年はいろいろな変化が「決まった」年で、翌年以降、それがどんな影響を及ぼすのか予想がつかないとしていた。
2014年が終わった時点では、大して変わっていない。昨年はあんなに盛り上がっていたTPPなんて、交渉がうまく行っていないとは報道されたことがあったけど、今はどうなっているんだろう。


漢検協会が募集し、清水寺貫主(住職)が揮毫する「今年の漢字」は「税」。16万7613通中、8679票で、次点以下は「熱」と「嘘」。
消費税率の8%への引き上げやその後の景気停滞、再引き上げの駆け引きに明け暮れた年だったということか。でも、そればかりでもなかったのでは?

なぜか今年の漢字もどきを発表するのが恒例になっているサタケ秋田県知事は、「突」を挙げた。全国的な自然災害、解散総選挙、円安など「虚を突かれた」からだそうだが、個人的にはこちらのほうに賛同する。

ニュースになるようなことは、(当事者以外にとっては)たいてい突然知らされるものだけど、それにしても突然、思いもよらない事態が多く起こった年だったと思う。
自分も訪れたことがある住宅街を襲った、広島の土砂災害
・地震と違って予兆があると思っていたが、そうではないという「水蒸気爆発」による御嶽山の噴火
・突然の衆議院解散・総選挙

・突然、画期的な再生医療技術が発表されたと思ったら、後に疑惑であふれかえった理研オボカタSTAP細胞騒動(騒動では済まないから“問題“?)
・突然、自分がゴーストライターだったと告白した(告白された)、サムラゴウチゴーストライター騒動
・突然、政務調査費の不正釈明の記者会見場で号泣した兵庫県議会議員騒動
・突然、日本で広まったデング熱
・突然、ブームになった(=広い世代に知れ渡った)「ダメよ~ダメダメ」「妖怪ウォッチ」
など。

知事の「虚を突かれた」を借りれば、「虚」もふさわしいかも。
虚を突かれたの「虚」は、「備えのないこと。油断。すき。」の意味。
「虚」は他に「事実でないこと。うそ。いつわり。」「中身・実体がないこと。むなしいこと。」といった意味も持つ。(デジタル大辞泉より)
・突然の解散総選挙のせいか国民の意識が高まらず、過去最低の投票率で、選挙前と大して変わらない結果に終わったむなしさ(政治資金問題がまだ片付いていないオブチ議員のあっさり当選も)
・STAP、ゴーストライター、号泣県議のウソ
・ゴーストライターは、一般人には結局は大した問題じゃなかったし、号泣県議も号泣しないで謝罪して弁済していれば、ここまで全国的な大騒動にはならなかった(兵庫県民の皆さんは複雑な心境だろうし、全国の他の議員だって…かもしれないけど)。あれは何だったんだというむなしさ。【2015年1月21日追記】号泣県議がきっかけで、全国各地で政務調査費の使い道についての注目が高まり、厳格化された。返還した・させられた者もいる。そういう意味では、号泣も無駄ではなかった。
・東日本大震災の被災地や被災者では、まだまだ復興途中なのに、置いてきぼりにされているむなしさ。(原発再稼働の駆け引きや某グルメ漫画騒動なんかもあった)
・忘れてはいけない「笑っていいとも!」が終わった、お昼のむなしさ。

全体的には、日本人の生活に直結するような大きな変化や悪いことがあまり起きず、穏やかな年だったと言えるのかもしれないけれど、中身が薄い年だったと言えなくもないようにも思える。
(秋田県内ではなく)秋田市では、暑からず寒からず、雨や雪もおおむね平均的で、過ごしやすい年だった。




個人的に印象に残ったいろいろ。
●地方の厳しさ
地方都市の消滅の可能性が指摘された。
多くの人が、前々から薄々感づいていたのだろうが、具体的に示されたことにより、これからの地方の厳しさが突きつけられたと思う。(これも「突」だ)


●ありませんでした
STAP細胞問題。
誰がやったか、意図的か故意かは分からないものの、混入した他の細胞がSTAP細胞に祭り上げられていたという結論に達したようだが、釈然としない点も残る。
STAP細胞そのものや研究・発表のやり方については、素人には知る由もないいろんな事情があるのだろうけど。

STAP細胞そのものと直接の関係はないが、素人でも不可解なのが、
・世紀の大発見になるであろう重要な研究やその論文に、ベテランの共著者がほとんど関わらず、若手のオボカタさん1人に任せきりというか放任していたかのように見える、天下の理化学研究所
・オボカタさんのコピー&ペーストや不完全な引用表記ばかりの論文に対して博士(はくし)号を授与した、天下の早稲田大学
この2つが、納得がいかない。本件のみならず、他でも同じようなことをしているのではないかと思わされる。

ちなみに、地方国立大学の学士論文でさえ、おかしな文章や図表であれば指導教官から指摘を受けたし、引用文献の記載に矛盾や間違いがないか、何度も確認をしたものだけど…(今回の騒動で、引用文献をチェックしたことを思い出した)


●CM
昨年は印象的なものが多かったテレビCMのその後。
・ブレンディその後
味の素ゼネラルフーヅのインスタントコーヒー「ブレンディ」のCMには、長らく原田知世さんが出演していた。
ところが2013年途中から佐々木健介・北斗晶夫婦が出演(人形と声)するバージョンも混ざって放映されるようになり、今後はどうなるのかと思っていた。

2014年は、佐々木・北斗バージョンは流れなかったような気がする。特に秋以降は、以前と同じ原田バージョンばかりが流れる。
原田版のバリエーションやCMの放映回数そのものが、2013年よりも減っているような気もする。

【2015年5月23日追記】2015年5月下旬頃からは、原田版の新作の夏バージョン(“浴衣”な香り)が放送されている。

・宝くじロト7の続き
柳葉敏郎と妻夫木聡が出演し、くだらないけれど続きが気になるドラマ仕立てのCM。
2013年は話が次々に展開したが、2014年は停滞気味。
今年は6・7・8話が作られたようだが、6と8はキャリーオーバー時のみの放映なので見る機会は少なかった。
展開としては、ロト7にのめり込んだため(?)に柳葉が部長職を解かれ、妻夫木が部長に昇進したのが昨年。その直後、外資系企業と合併することになり、妻夫木の昇進が白紙にされてしまうのが今年のお話。
来年はどうなる?

・龍角散の殿様
秋田県知事が殿様役で出演した、龍角散のCMは、今年(冬限定なのか)も放映。
知事が出ないバージョンは12月始めから流れたが、知事が出るほうは遅れた。現役政治家だけに、衆議院解散~選挙中は放映を控えていたのかもしれない。


●からくりテレビ
いいとも、はなまるマーケットのほか、もう1つ長寿番組が終わった。
9月7日で終了した、TBS「さんまのSUPERからくりTV」。
前身の30分番組の「さんまのからくりTV」は1992年開始、60分に拡大した「スーパー」は1996年開始。

秋田では放送がなく(ABSで不定期に放送していた頃があったらしいが…)、なじみがない人が多いけれど、青森にいた学生時代は「世界ウルルン滞在記」と並んで、日曜夜のお楽しみだった。
初期は、視聴者投稿ビデオやビデオレター、中村玉緒さんのお仕事体験「玉緒が行く」、「ご長寿早押しクイズ【下の追記参照】」が定番でとてもおもしろかった。
さんまがギャグとして使った「意味ないじゃん」は、ビデオレターコーナーに出た素人の「お前は野球はもうやめたと言っていたのに、ソフトボール部に入ったね。意味ないじゃん」という発言が元。

中期のセイン・カミュによる「KARAKURI FUNNIEST ENGLISH」「KARAKURI FUNNIEST JAPANESE」では、ボビー・オロゴンなど外国人を発掘。
お悩み相談コーナーの加藤淳さん(本業はデザイナー)、大工の棟梁、オネエ系教師下地先生など個性的な素人と、それをあしらう若き日の安住紳一郎アナウンサーなども活躍した。
【2015年5月16日追記】演歌歌手・大江裕さんを誕生させたのもこの番組だった。2007年に演歌好き高校生として登場し、北島三郎ファミリーとして2009年にデビュー。安住アナがレポーターを務めたこともあった。

晩年は、芸能人替え歌とか芸能人のお宅訪問ばかりの番組になってしまい、正直、つまらなくなってしまっていた。
替え歌で、狩人の2人が「あずさ2号」の替え歌で、2人の仲が悪いことを題材にし、秋田へ営業に来た帰りに手配したチケットである「♪6時2分の『こまち2号』は あなたが住んでる最寄り駅 通過します」と歌ったのは、ちょっとおもしろかった。
(きっぷを見て気づかないのかというツッコミは別にして歌詞を素直に解釈すれば、最寄り駅は上野駅ということになる【2017年3月22日追記】2009年春までは大宮も通過しており、その当時のことを歌った可能性もある)

【2015年3月9日追記】2014年末に、「会いたい」の作詞者が、歌唱者側に歌うことの差し止めを求める訴訟を起こした。これまでいくつかの点において双方の意思疎通が取れていなかったことが理由のようだが、その1つが、この番組で替え歌にされて歌われたことだった。

【2015年12月3日追記】替え歌の一環で、2011年頃にブームになっていた“ご当地アイドル”を発掘・紹介する企画もあり、青森県弘前の「りんご娘」が大きく取り上げられたこともあった。

【2017年5月24日追記】1990年代後半のはずだけど、ご長寿クイズが秋田県藤里町で開催(収録)されたことがあった。山間部ながら青森県境に近いので、青森テレビの電波が越境して視聴できるかもしれない。だから開催地に選ばれたのかな。
また、2016年12月29日には、同コーナーが14年ぶりに「爆笑!明石家さんまのご長寿グランプリ2016」として放送。往時の名珍場面のほか、スタジオとVTR(クイズ以外の内容も)の新規収録で、クイズは78歳になった鈴木史朗氏(TBSアナウンサー→フリー)が続投。ご長寿クイズは2002年まで放送されていたとのこと。


【2015年1月15日項目追加】
●名探偵ポワロ
アガサ・クリスティ原作、デヴィッド・スーシェ主演のイギリスのドラマ「名探偵ポワロ」の日本(NHKBSプレミアム)での放送が、10月6日をもって完結した。(イギリスでは2013年で完結)
1989年から70回に及ぶ放送で、日本では熊倉一雄さんの吹き替えも印象的だった。(デアゴスティーニから本として発売されているDVDもあるが、吹き替えは別人)
結末は衝撃的。

放送頻度はまちまちで、ひところは総合テレビで定期的に放送されたり、再放送で何度か見た作品、見逃して1度も見ていない作品もあったが、楽しみに見たものだった。
残念に思っていたところ、年明けには、フジテレビで日本版ポワロが放送された。(この記事後半)
(以上追記)


●徹子の部屋といいとも
年末の恒例だったのが、テレビ朝日「徹子の部屋」の年内最後の放送日に、タモリさんがゲストとして出演すること。
「密室芸」を披露することが多く、ひと昔前は、デタラメなベトナム語のサッカー実況とか、韓国と北朝鮮のデパートの迷子放送の違い(もちろんデタラメ)とか、おもしろかった。

当然、今年も出演し、笑っていいとも終了後のお話などを聞かせてもらえると期待していたのだが、今年はなかった。
タモリさんご自身は、NHKの特番や紅白歌合戦の審査員など精力的にテレビに出ているのに。

このことについて、ナイナイ岡村氏がラジオ番組において、タモリさんが「礼儀」として出演を断ったのではないかと、推測したという。
すなわち、徹子の部屋は、今春から放送時間が13時台から12時台に移動した。タモリさんにとってはかつて自分が出演していた枠の裏番組ということになる。フジテレビへの「礼儀」として遠慮したのでは、ということだそうだ。
なるほど。テレ朝が枠を移動していなければ、今年も見られたかもしれないのは、残念。
【2020年3月30日追記】その後、徹子の部屋にタモリさんが出演することはないまま2020年になった。2020年4月からは徹子の部屋が再び13時00分開始に移動。ということは…と期待。
【2021年12月28日追記】↑その期待がかなった。2021年最後の放送回、12月28日に実に8年ぶりに出演。密室芸の披露はなかった。
【2022年12月28日追記】2022年最後も出演。【2023年11月16日追記】2022年出演時のエンディングで、今の時代について問われ「新しい戦前」と表現したことが、年明け以降、話題となった。
2023年最後も出演。


●注目の温泉地
行ってみたい温泉地ランキングなどが発表されているが、2014年に注目された温泉地はなんとっても、この2つ。
城崎温泉と由布院温泉である。

前者は号泣県議が毎日のように政務調査費を使って通い(ただし虚偽だったので号泣)、後者は細貝さんが「僕のふるさとの由布院という所にとっても素敵な温泉宿があるんだけど」と熱心に勧めた(ただし朱美ちゃんに「ダメよ~ダメダメ」と断られる?)温泉地である。

【2015年1月5日追記】年明け早々の1月3日、城崎温泉街中心部の店舗や住宅19棟が焼け、地元の人2人が亡くなる火災が発生してしまった。付近に宿泊していた多くの観光客が避難した。
NHKのテレビでは「現場は、かつて作家の志賀直哉が湯治に訪れ、小説「城の崎にて」の舞台になったことでも知られる関西有数の温泉街、城崎温泉の中心部で、昭和初期に建てられた木造の旅館や土産物店などが密集した地域です。」と伝えるなど、多くのマスコミが現地と志賀直哉の関わりは伝えていた。一部民放ワイドショーでは、号泣県議との“関わり”も伝えたらしい。


●墓碑銘
30日の秋田魁新報では、8面と9面を使って、2014年に亡くなった各界の著名人を「墓碑銘」にまとめている。
8面は国内と海外(共同通信からの配信?)、9面が学校長歴任者や芸術、政財界などの県内関係者。

国内版をざっと見ると、土井たか子、まど・みちお、宇津井健、淡路恵子、蟹江敬三、林隆三、米倉斉加年、中島啓江、小林カツ代、周富徳、龍虎など(敬称略)、若くて元気で活躍していた頃を知っている人が多く亡くなった。
それだけ、自分が年を取ったということか…
【2015年1月2日追記】墓碑銘には載っていなかったが、「りえママ」こと宮沢りえの母・光子さんも65歳で亡くなった。ということは、いろいろ騒がれた20年少し前のりえママは、現在のりえさんとほぼ同じ年齢ということに気付き、驚いた。今のりえさんが若く見えるのか、当時からりえママが老けて見えたのか…

昨年末ギリギリに亡くなった大瀧詠一さんが載っていないのは、仕方ないというかタイミングの問題だが、永井一郎さんは出ているのに、同じ声優で多くの役を担当した加藤精三さんや納谷六朗さんが出ていないし、越部信義さん種村直樹さんが出ていないのも、不満。



●2015年
さて、来る年は2015年。
個人的に、今までの人生で思い出深い年が1985年と1995年だった。それからもう、30年と20年経つことになる。(思い出はおいおい)
終戦からは70年。
どんな年になるでしょうか。

今日現在の当ブログの累計アクセス数は、閲覧5,392,770PV、訪問者1,575,203IP。※gooブログのアクセス数表示の信ぴょう性には疑問がありますが…
1年間では、36万999人(昨年比約+1万3千IP。おそらく1日ごとの延べ数。自分でのアクセスを含む)にアクセスいただきました。
2014年もご覧いただき、ありがとうございました。2015年が良い年でありますように。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年の信号

2014-12-28 00:18:16 | 秋田のいろいろ
久しぶりに秋田県の信号機の話題。最近の変化をまとめて。

●今年のトレンド
2012年頃から、LED式車両用信号機の「積雪」対策に加えて吹雪などによる「着雪」への対策として、2つの方法による「無着雪型信号機」が本格的に導入されていた。
フード(庇)がないまっ平らな信号機をうつむかせて設置する「フラット型」と、従来の信号機のフードの代わりにカプセル状のカバーを取り付ける「球面型」である。1台の価格はどちらも、通常品+1万円の17万円だとか。
※「フラット型」はメーカーによる正式な呼称。「無着雪型信号機」、「球面型」、価格は秋田県警の取り組みを伝えた秋田魁新報の記事での表記。球面型のことは当ブログでは「カプセル型」と表記しています。
※フラット型には強風対策の意味もあり、積雪地以外でも横向きで設置されている。

秋田市中央部(秋田中央警察署管内?)に限れば、昨2013年に設置(更新)された信号機は、カプセル型が圧倒的に多かった。
フラット型と比べて、設置工事が従来と同じ(専用取付具が不要)、鋭角交差点や連続交差点で必要な視角制限に対応できるというメリットがありそう。ただ、昨冬気になったのは、吹雪いた直後は、カプセルの球面に雪が張り付きやすいこと。特に矢印信号が不安。
従来型よりは明らかに着雪が少なく、落ちるのも早いから、効果はあるにはある。主に北西向きの信号機に限定して起きるようで、限定的ではあるが、ある種の欠点だと感じた。

さて、2014年の“トレンド”は?
おそらく1週間ほど前に更新されたばかりの信号機
今年はフラット型が圧倒的。
方針としてカプセル型と毎年交互に採用しているのか、それとも何らかの理由で気が変わったのか?

また、上の写真では電線がゴチャゴチャしていて分かりにくいけれど、柱に取り付ける「アーム」も特徴的。
数年前の一時期、1本だけの太い鉄パイプ状のアームが採用されたことがあった以外は、おおむね昨年までは従来と同じ、平行ではない間が開いた(=一部がカーブした)2本の細いパイプ状のアームで設置されていた。【29日追記】信号機本体は横から縦、電球から薄型LEDと変化しても、アームは30年以上前から同じスタイル(取付金具を除く)だったことになる。
(再掲)以前の設置方法。上の棒が水平で、下がカーブしている

それが今年は、一直線の細いパイプが2本並行するタイプに変わった。従来と同じく、斜めの針金みたいなの(「弓」と呼ぶのかな?)で吊り上げて(?)いる。
スタイリッシュに見えるが、並行にするんだったら1本でも良さそうな気もするけど、バランス的にこうじゃないといけないのでしょうね。
なお、資料ではこのアームを指して「豪雪型」と呼んでいるようなので、積雪時に負荷がかかることは想定されているのでしょう。
今年のトレンドは、「フラット型を2本アームで設置」でした。

2009年に愛知県で撮影した、古い信号機(現在は更新済み)。おそらくフラット型と同じ小糸製
昔の信号機は、ボディは分厚い箱型でアームと一体化。アームは、上の写真のようにメーカーによっては下側が大きなアーチを描いていた。秋田でも、平成初期頃まではこういうのがぼちぼち見られたものだ。
昔の信号機もどことなくオシャレで嫌いではないが、今のコンパクトな信号機を見ると、隔世の感を禁じ得ない。


●着雪対策が進めば…
着雪対策の信号機に更新されるのは、従来電球式の信号機だった箇所ばかりではない。通常型のLED式から着雪対策のLEDへの更新も進んでいる。
それによって取り外された既存のLED信号機は、多くが他の地点へ転用されている。
電球式のままだった小さな交差点への移設が多く、「ボディを塗装し直して、(上記の)2本並行アームに交換の上、移設」というものもあり、見た目は悪くない。
こうした流れにより、秋田市内では「横型電球式の信号機はだいぶ少なくなり(といっても散在しているので数はそれなりにある)、縦型電球式も減りつつあり、LED式がおそらく過半数を越え、幹線道路を中心に着雪対策化が進んでいる」という状況。

明暗差が激しいですが山王大通り
山王大通りの秋田県庁・秋田市役所付近でも、1か月ほど前に従来型LED式(一部は電球式)からフラット型へ更新された。デザイン化された信号柱への設置なので、アームは既存のものを継続。
従来の信号機や柱の色に合わせて、上の写真手前の「県庁西」交差点では茶色、奥の市役所~県庁間の横断歩道用は緑色のボディカラー。

奥の市役所と県庁の間の車両用信号機は、以前は特徴的なLED式信号機だった。
LEDの粒が見えず、消灯時は白く見える「プロジェクター方式」と呼ばれる、LED信号機登場直後に見られたタイプだった。コストの問題なのか主流とはならず、少数派に終わった。【2015年1月5日訂正】コメントでご指摘いただいたように、県庁前のは「ユニットレンズ」方式とのこと。
(再掲)右の自転車用もプロジェクター式のはず
プロジェクター式は転用されず廃棄されたようだ。
LED信号機登場から10年近く経つわけで、しぶとく残る電球式もある一方、役目を終えるLED式が出てくる頃になった。


●試験終了?
コイト製のフラット型と同コンセプトだと思われる、「信号電材」製のフラット型っぽい信号機が、秋田市内の2か所に1台ずつ設置されていた。※この記事後半
(再掲)
山王大通り「運動公園前」では↓
従来型に戻された
フラット型っぽい信号は取り外され、通常タイプのLED式が設置されていた。(おそらくもう1か所でも同様)
塗装が剥がれたりしているので、以前ここにあったものが復活したのだろうか。上の県庁西交差点の隣なので、その更新といっしょに工事したのだろうか。(運動公園前交差点の他の信号機は変化なし)

交差点内の1台だけという設置方法からして、試験的な設置だったのだろう。試験結果はどうだったのでしょうか。
※試験結果が反映されたのかは分からないけれど、その後2018年の信号電材の信号機について。


●減る信号機
交差点の車両用信号機は、同じ方向に1台か2台付いていることが多い。
広かったり、車線や交通量が多かったりする道には2台以上設置される傾向があるが、これは、見落としを防止したり、万一1台が故障した時の予備(冗長化)の目的があるのだろう。
結局は各県警や個々の場所ごとの判断なんだろうけど。

これも今年のトレンドに入れてもいいかと思うが、秋田市内では、一方向当たりの信号機が2台から1台に減らされる箇所が出ている。
横型が正面と右手前の計2台の丁字路突き当り
フラット型への更新工事後は↓(微妙にアングルがズレてすみません。以下同)
正面に1台だけ(アームが短くなった)
更新工事に際し、2台あった信号機が撤去され、1台だけ新設された。

そればかりか、
十字路の細いほうの道。両面設置×2
これが↓
両方向とも、右手前となる信号機が取り外された
更新工事とは関係なしに、単に取り外して1台だけにする工事も行われている。
このような箇所では、アームの取付金具が両面用のまま残っている。取り外された信号機は、上記のように他の交差点に転用されたり、同じ交差点内の違う向きの古い信号機の更新に転用されるものもある。

このように、ある程度の規模以下の道路や交差点において、主に「補助灯器」と呼ばれるメインでないほうの信号機を取り外し、1方向につき1台の信号機に減らす、“信号機減らし”が進んでいる。


信号機減らしは、秋田県警が独自にやっているわけではなさそう。
昨2013年末、警察庁から各都道府県警など宛てに出された「「信号機設置の指針」の試行について(通達)」に基づくものだと思われる。

この通達では、「財政状況が厳しい中、信号機を始めとする交通安全施設は大量更新期を迎えていることなどから、交通の安全と円滑を確保するため、より効果の高いものに予算を効果的かつ効率的に措置することなどにより、持続可能な交通安全施設の整備を推進し、これについての国民の理解を確保する必要がある。」としていて、要は必要な場所には信号機を設置し、必要でない(必要でなくなった)場所からは撤去するよう、柔軟にやりなさいということ。

交差点ごとでは、「1流入路につき1つの車両用灯器の設置を原則とする。また、道路の形状、車道の幅員等を勘案し、特に車両用灯器の視認性を確保する必要がある場合は、2つ以上の車両用灯器を設置するものとするが、車両用灯器のLED化や道路改良等で視認性が向上した場合は、現場の状況に応じて車両用灯器の撤去を検討するものとする。」としている。
つまり、形式上は「1方向につき信号機1台」が原則で、1方向2台は特例なのだ。

LED化により電球のような球切れは起きないし、各種機器の信頼性が向上したことも、こうした変化の原因だろう。設置や電気代の節約にもなる。
ただ、気になるのは、上記のような着雪で見えなくなった時のこと。2台あれば、もう1台で確認できる場合もあるけれど、1台だとどうしようもない。(最近は歩車分離式で、歩行者信号を見ても、車は判断できない所もある)
まあ、これもフラット型のような形状や設置方法の対策でなんとかできるか。

通達は「平成27年3月末まで試行」するそうだが、その後、どうなるでしょう。


●詳しく表示
以前から、気になる交差点の信号があった。
車両用信号機に「時差式」と表示があるのだが、どう見ても時差式の動作をしていない。

信号機ボックスへ申し出てみたら、「時間を限定して時差式になってるんだよ」とのこと。
なるほど。と思っていたら、
こんな表示板に替わった
「時差式信号7.30-9.00(日曜・休日を除く)」と、通学路の道路標識の補助標識ような、詳しい表示が設置された。
これなら納得できるが、ちょっと仰々しい。(信号機ボックスに言ったばっかりに、お手間を取らせてしまって、ちょっと申し訳なくもある)【28日追記】過去には、神奈川県警が時差式の表示をしていなかったから交通事故になったと裁判になって、県が負けたことがあった。時差式動作時の交通事故では、過失割合の按分でもめることもあるらしい。そうしたことを踏まえて、より正確な表示に踏み切ったのだとも思う。

矢印信号や歩車分離において同様の時間の限定が行われる場合、2011年頃の秋田県警では「深夜等矢印運用なし」「歩車分離時間別運用」という、分かりづらくてぼやかした言い回しの表示だった。
 (再掲)
しかし、警察庁の通達(2002年「歩車分離式信号に関する指針の制定について」)では、実際の作動時間を明示するものを例示(強制ではないらしい)しており、今回の時差式の表示は、それに従っている。
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国道2題

2014-12-23 23:29:29 | 秋田の季節・風景
秋田市の新国道(という名の県道)沿いから、小さな話題2つ。

●残るほっくん
この記事後半のように、八橋鯲沼町の「日産ラ・カージュ」(正確には「秋田日産コンプレックス」)内にあった、2つのテナントが今年移転した。
出て行ったのは、秋田ケーブルテレビ本社と北都銀行新国道支店。
その後、
現在の姿
外見上は、新国道を通る車から見える「北都銀行」の看板と窓のケーブルテレビの宣伝はなくなった以外は、転出前と変わらず。
ケーブルテレビの道路情報カメラが設置されたまま【2月8日追記・裏手のパラボラアンテナ群も残っている】だし、さらに、
北都銀行のキャラクター「ほっくん」
壁面には「北都銀行 新国道支店」の表示も残る。【2015年1月5日追記】写っていないこの右側のドアには、帯状の北都銀行のマークが残っている。

大きな看板は撤去されたものの、これでは今もここに銀行があるかのよう。勘違いして入ってしまう人がいるかもしれない。
これがあるということは、後継テナントも未定ということだ。
※その後、2016年10月2日現在変化なし。2017年末頃に変化が


●閉店
新国道沿いの高陽幸町に、ファミリーマートがあった。
秋田中央郵便局の真向かい(信号がないので行き来は遠回り)にあり、その名も「秋田中央郵便局前店」。
それが、
閉店していた!
少なくとも11月末の時点で既に閉店していたとのこと。

秋田市にファミマが進出したのは、2005年末。
ここは最初期の開店ではなかったものの、わりと早い段階のオープンだったような気がする。
レシート

Googleストリートビューより営業していた頃
ここは道路拡張工事の境界部分である関係で、緩くカーブしている上、歩道と車道の間にスペースが広く取られている。さらに店の駐車場も広めなので、店はかなり奥まった位置にあった。
駐車場は隣のラーメン屋(上のストリートビュー手前側)とつながっていた。閉店後も駐車場が除雪されていたのは、そのためか。

実質的に片側車線からしか出入りできないものの幹線道路沿いだし、官庁街に近い住宅地で、近くに他のコンビニがないので、わりと賑わっているように思っていたけれど、コンビニはいつ閉店してしまうか分からないものだ。

※その後、2015年11月初めに建物はそのまま「北海道レストラン」とかいうのが入ってオープン。飲食店になるようだ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くらた跡に竹半

2014-12-21 19:57:31 | 秋田のいろいろ
20日の秋田魁新報・社会面に秋田市のスポーツ用品店「竹半(たけはん)スポーツ」の広告が出ていた。
※盛岡市に本社があり、北東北と山形で店舗展開する「タケダスポーツ」ではありません。

「仲小路へ移転します。」「閉店セール」と大きく出ており、「店舗移転のご挨拶」が掲載されている。
現在、大町一丁目のショッピングモール(でいいのかな?【下記27日付追記参照】)「サン・パティオ大町」内にある店舗(とオフィス)を来年1月15日に移転するという。
移転先は、店舗が中通二丁目の「くらたビル」、外商・総務部門が入る事務所は保戸野原の町。
今日の竹半スポーツの店舗。閉店セールのPOPが控え目に出ていた
僕はスポーツ用品店とはまったくと言っていいほど縁がないけれど、秋田市で「竹半」といえばかなり名の通ったスポーツ用品店だろう。「スポーツ」を付けない「たけはん」だけで通じる。
学校の体育着や上履きの指定業者としてもよく使われるはず。(僕たちの頃は、学校での出張販売だったので店には行かなくて済んだはず。最近は、春休み中は店の上のフロアに特設会場を設けているらしい)

挨拶文には「昭和24年創業」とある。
それ以来ずっと、場所は少し動いたものの、いわゆる通町周辺に店を構えていたはず。
サンパティオは1997年オープンなので、その直前は、現在、セブン-イレブン通町店がある場所(セブン開店前は駐車場)に竹半があった。
一時期は、そのはす向かいの保戸野通町側にも店があったそうだ。(現在上りの通町バス停前の駐車場の所で、竹半のさらに前はスーパーだった時期もあったという)

現在の店は「サンパティオ本店」と呼んでいる(呼んでいた?)ようだが、今はそれ以外に店舗はないはず。【27日追記】昔は、駅前の中央通り沿い・買物広場バス停向かい、今は魚民グループの居酒屋ビルにも店があったそうだ。
臨海へ移転した秋田魁新報社の跡にできたサンパティオは、9者からなる協同組合が運営している。組合には企業としての竹半スポーツ(組合のホームページでは「株式会社竹半」と表記【下記27日付追記参照】)が主体的に関わっているようで、竹半スポーツはサンパティオの“核テナント”ととらえてもいいかもしれない。
再掲)サンパティオの北側の建物1階が竹半


移転先である仲小路の「くらたビル」。正式名称なのかは不明。(ネット上では「お菓子のくらた秋田ビル」という記述も見られる)
秋田県湯沢市に本社がある和洋菓子店「くらた」の店があった建物。
仲小路沿いの明徳館ビル(県立明徳館高校)とエリアなかいち東側の交差点の角にある。

くらたは秋田市内に複数(現在は4店?)の店舗があるが、ここは秋田市最初の店だったのでズバリ「秋田店」という名称だった。
「二〇世紀ひみつ基地(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-490.html)」によれば、1970年オープン。1階が店舗、2階が喫茶部門。外観からすれば5階建て。
なかいちは、かつて秋田赤十字病院がだったわけだが、その移転でお得意様だった日赤関係者(見舞い客など)が来なくなり、もちろん市街地の衰退も進む中で、店舗部門だけは営業を続けていたものの、たしか今年始め?(遅くとも3月)に完全に閉店していた。
【2015年1月16日追記】2015年1月16日付秋田魁新報によれば、くらた秋田店の閉店は2014年「2月」。現在もビルはくらたが所有している。
再掲)営業していた頃のくらた秋田店店頭
空き屋となったビルでは、市民も参加するアートイベントが行われ、その作品が窓を飾っていた。
そこに、竹半が入ることになる。
今日現在も「くらた」の表示は残っていた。窓は作品で彩られている

通町(大町)から旭川を渡って、仲小路へ直線で550メートルほど。秋田市中心市街地の範囲内での移動である。
このことは、どうとらえればいいのだろう。

竹半が、創業地(の近く)であり、設立以来関わって来たサンパティオを“見捨てる”ようにも感じる。
当然、サンパティオの跡は空きテナントになるだろう。この周辺では、ニューシティ跡地、所有者は代わったらしいがそのまま単なる通路と化している「イーホテルショッピングモール(旧・ファッションアベニューAD)」、サンパティオの裏にできる計画はどうなったのか不明な新たな商業施設と、あまり明るい話題はない。
そんな中でがんばっていたサンパティオは、今後どうなるのだろう。
サンパティオ前。突き当りが通町
移転先が、再開発エリア「なかいち」のすぐそばというのも、「通町を捨てて、なかいちへ」ということなのかと、複雑な気分にさせられる。
竹半の狙いは何なのか、今後どうなるのか、知る由もないけれど、個人的には少々気になる。
なかいちのにぎわい交流館と商業施設の間の通路の正面がくらたビル


外商部門が移転するというのは、加賀谷書店を連想した(本店閉店時の記事)。
加賀谷書店の外商部は、前から店と別にあった。両者とも、店舗での販売よりも学校などへの外商に力を入れていそうだから今回の竹半もそれと同じようなものじゃないだろうか。

移転先は広告では住所しか記載されていないが、その所在地と「-306」という番号からすれば、神田線が曲がる秋大附属中学校の角にあるマンション「アーバン原の町」だと思われる。
ストリートビューより
最近は、住宅地の中に、地元ではけっこう名の知れた会社がオフィスを構えることがある。南中そばのKAMADAスマイルコーポレーション(旧・鎌田会館)とか。
それで用が足りるからそうしているのだろうけど、竹半の場合も通町にいるよりも安く上がるんだろうか。

【27日追記】27日付秋田魁新報 経済面でわりと大きく報道された。「店舗縮小、専門性高める」「サン・パティオ大町集客への影響を懸念」といった見出し。リード文によれば「量販店との競合や少子化などで売り上げが落ち込んだことから、店舗面積を縮小して専門性を高め、大手量販店との差別化を図る。」。
店舗移転についてだけで、事務所移転には触れず。店舗移転先のことは「くらたビル」と表記。くらたの店舗跡だったことには触れず。

企業としての「竹半」は「竹半スポーツ」の経営母体という関係だそう。両社の社長は同じ。
「2013年7月期の売上高は約1億6200万円で、ピークだった約20年前に比べて4分の1程度」「約6600平方メートルある現在の売り場面積では在庫管理が難しくなった。」
「移転先のくらたビルでは1、2階に店舗を開設。売り場面積は現在の半分程度になる。」
現店舗は1月4日で営業終了。

「竹半スポーツは1949年3月に秋田市保戸野で創業」
→「保戸野」というのは今の「保戸野通町」という意味なのか、あるいは当時は住居表示実施前だから今とは境界が異なる時の「保戸野」を指しているのか?(住居表示前の地名としての「通町」は「保戸野」が付かない「中通町」と「上通町」だった)

現在の竹半の「主な客層はスポーツ少年団や部活動に所属する小中学生の親子連れ、クラブチームの社会人、高齢者など。」
「竹半スポーツは「移転後はにぎわいのある立地を生かし、(略)高校生など新たな若い客層を取り込みたい」」
→通町でも街中だから高校生の客は多いと思っていたが、そうでもなかったのか。

サンパティオは「ミニショッピングタウン」
現在は12店舗。「竹半スポーツは店舗面積、集客ともにパティオ内で最大規模」
協同組合の理事長は「新たな借り手が長期間見つからない場合、他の店の営業活動にも影響が出かねないと懸念。「(略)テナント募集や自主事業の開催なども含めて早急に対応を検討したい」」
(以上追記)

※続きはこの記事中ほど
【2018年5月26日追記】くらた跡の竹半は、移転名目で2018年5月に閉店した。詳細は上記続きの記事に追記。




ところで、わずか1年半でテナントが撤退してしまった、なかいちの商業施設。
明日22日に、新たなテナントを入れてリニューアルオープンする。

と言っても、今現在、公式ホームページには何の記述もなし。
新規テナントの1つが、東北初という「タニタ食堂」。直営ではなくフランチャイズで、秋田県産食材も使うとか。店名は「あきたタニタ食堂」。
なお、タニタと秋田には、大仙市にタニタの工場があるというつながりがある。

そのタニタ食堂のチラシが折り込まれたのだけど、「12.27土 営業開始」とある。
22日じゃないの? と思ったら、たしかに小さく「12.22OPEN!」ともあり、22日から26日は「内覧&試食会。一般のお客様はご利用いただけません。」とのこと。
そういうのって、「27日オープン」とするのが普通じゃないでしょうか?※「内覧&試食会」というのは誰向けなんでしょう?
【21日22時50分文章がおかしかったので書き直し】22なのか27なのか分かりづらいし、他のテナントと足並みが揃わないのも分かりづらい。
常識的に「営業開始」と「OPEN」は同義なのにそれが別々の日なのは戸惑うし、一般客が利用できない期間を指して「OPEN」というのは拡大解釈ではないか(せいぜい「プレオープン」だ)。
だから「12.22OPEN!」の表記は不適切だし、準備の都合もあるだろうけれど、がんばって22日から一般客が食べられるようにするべきだったのではないだろうか。メニュー限定とかでいいから。
【27日追記】27日付秋田魁新報では、27日のことを「開店」と表現し、それ以前は「内覧会」「試食会」としていた。これが妥当でしょう。(以上追記)

こういう宣伝下手で、客の立場になれないのが、いかにも秋田。もうちょっとだけ気を配って、一手間加えれば済むのに。
26日までの間に、勘違いしてタニタ食堂で食事をしようと訪れる人がいないことを祈ります。なお、12月30日~1月4日は休業。


【23日追記】23日には、ホームページは更新されていた(22日は見ていないので不明)。
新規テナント9店舗を加え、全部で17店舗(うち2店舗は後日オープン)となった。
リニューアルに当たって、商業施設の名称を「@4の3(アットヨンノサン)」に改称。

ホームページによれば、「商業施設のある「中通1丁目の4-3番地」に場所や位置を示す@を加えて愛称としました。」
23日付秋田魁新報地域面によれば「「農」「食」「健」「美」をコンセプトに店舗の再編成」をし、「@4の3」には所在地のほか「「4」で四つのコンセプトを、「3」で「産地直結」の意味を表現し、親しみやすさや覚えやすさを図った。」

高齢者には「@」は難しそうだし、単なる数字の「4の3」は覚えづらい。
でも、奇妙な横文字もどき造語よりはマシだし、個人的には嫌いじゃないネーミングかも。

2012年7月のオープンから2014年3月まで「サンマルシェ」、サンマルシェ撤退後の2014年4月から施設所有者直営の「なかいちプラザ」となるも、短期間で「@4の3」に変わってしまったことになる。
この記事後半に続きが少々

【2018年5月26日追記】タニタ食堂は2018年3月で閉店した。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国文祭ラッピングバス

2014-12-18 23:47:47 | 秋田の季節・風景
10月4日から11月3日まで秋田県内各地で開催された「国民文化祭(国文祭・関連記事)」関連で、紹介しそびれていた話。
秋田市役所内の「国民文化祭秋田市実行委員会」がスポンサーとなった、ラッピング広告バスのこと。

デザインは秋田市民および市内通学・通勤者から公募され、美短卒業生の女性のものが採用された。
当初の計画では2点選ばれるらしかったが、実際に選ばれたのは1点で、2台のバスに同じデザインがラッピングされた。

ラッピングバスされた車は、2012年秋頃に小田急から中央交通に来た、三菱製高速バスタイプの車両「か951」と「か954」。
元から秋田空港リムジンバスを中心に、県内の高速バスなどにも充当される車両だが、(他の広告主の場合でも)ラッピング広告が施された車両はリムジン専用として扱われるようだ。

2013年9月14日の国文祭プレイベントにおいて、お披露目と表彰(賞金5万円)が行われ、その後、営業運行に入った。
2014年10月の国文祭期間中には、リムジンのほか、秋田市が中央交通に委託して、土日に秋田駅-文化会館間で運行された無料シャトルバスにも使われた(他の車両も使用)。

ドア側のデザイン
「もうひとつの秋田」というのは、国文祭の(県全体の)キャッチコピー。正しくは、頭に「発見×創造」が入るようだけど、なくてもいいのかな?(小さく描かれたロゴマークには書かれている)

実行委員会ホームページには「山吹色の田が広がる大地と青空をイメージした背景に、秋田市主催12事業に関連する図柄を取り入れ、秋田市出身の歌手・東海林太郎や竿燈まつりなども描かれています。」とある。
東海林太郎さんの右にある赤い門は、高清水の「秋田城跡外郭東門」。シンポジウム「古代秋田に集った人々」が開かれた。
その右の扇、琴、ピアノの鍵盤などは、音楽、邦楽、舞踊関連のイベントを示すのだろう。

後部はドア側から続くデザイン
山吹色よりも青空の水色が目立つ感じがして、全体的に淡い色合い。後部がやや寂しいデザイン。
でも、秋田らしいデザインであることは分かるし、国文祭の名称や日程も表記されていて、周知には役立ったはず。


このラッピングバスについて、気になったことが2つ。
まずは、反対側・運転席側のデザインである。こちら側のデザインは公募されなかった。

「第29回 国民文化祭秋田市実行委員会 AKITA CITY」だけ。
両端のオレンジ色の矢羽根のようなものは、秋田市実行委員会のマークのようだが、意味がよく分からない。(やっぱり秋田市章のモチーフでもある、矢留の矢なのかな?)
あとは潔いほどに真っ白。

まるでバスまつりで落書きされる前の落書きバスか、でなければ秋田市の自家用バスかのよう。せめて秋田市章と国民文化祭のロゴマークくらい入れても良かったんじゃ…それに実行委員会の名をこんなにデカデカと書く必要があるだろうか。
これでは費用対効果というか広告費がもったいない。いっそこちら側にラッピングをせず、ドア側だけのラッピングに留めておけば、広告料が安く済んで良かったのではないか。

ちなみに、リムジンの両側面と後部にラッピングした場合の広告料は、年間1台150万円(製作・復元費別途)。一般路線の中型だと120万。


もう1つは、広告掲出期間。
国文祭の広告である以上、11月3日の国文祭閉幕後、すみやかにラッピングが剥がされると思っていた。
しかし、その後もそのまま運行され続けた。終わったのに「国文祭~11月3日」と書かれたまま。

僕が確認した限り、951は11月29日、954は12月7日の段階でもなお、上の写真と同じ姿だった。
しかし、12月9日にすれ違った951の運転席側だけを一瞬見た限りでは、ラッピングが剥がされていた。掲出期間は1年と2か月ってところか。
【20日追記】遅ればせながら12月20日に、954のドア側のラッピングがなくなっているのを確認。【26日追記】951のドア側も剥がされており、完全にこのラッピングが消えたことが確認できた。

広告費の精算上、もしくはバス会社側の車両運用上の都合などもあり、直ちに剥離作業に入れなかったのかもしれないが、年が明けてもクリスマスツリーを飾っていたのと同じく、のんびりとした秋田らしいなと思ってしまった。
でなければ、開催期間の部分を、国文祭が無事終わって、今後も文化を継承して行く意気込みのようなフレーズに貼り替えて、もうしばらく掲出するようなことをしても良かったかもしれない。(税金から広告費が出されるわけではあるけど)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

押ボタンカバー

2014-12-17 23:39:13 | 秋田のいろいろ
今年の夏、秋田駅近くの押しボタン式信号の「押ボタン箱」がボロっちくなっていたのが、新品に交換された。

それから2か月弱、
こうなっていた

(再掲)設置直後の様子
以前の記事でも触れたが、設置時には、本体にある本来のボタンそのものの上にラバー状のキャップというかカバーが被せられていた。横断者は、ボタンを直接ではなく、カバーを介してボタンを押す形。
2か月後には、そのカバーの円形の押す部分が引きちぎれたように取れてなくなっていた。カバーの外周の縁だけが残っている。

このカバーは、本体のボタンより2回りくらい大きく、縁も赤いので、目立ちやすいようにすることや、ボタン本体の可動部分を覆うことにより、着雪や凍結時に固まって押せなくなることを防止する目的なのだと思う。
押しやすさ(押す時に必要な力)については、一概に何とも言えない。カバーの厚みの分、かえって押しこむ力が必要な気がしなくもない。中央部ではなく縁寄りの隅のほうを押してしまうと、構造上ボタンに届かないし。

こういう物体が全国的にどの程度普及しているのかネット上で見てみると、見当たらない。(一見似たものがあるが、それはタッチ式ボタン)
秋田県警オリジナル品なんだろうか? というわけで呼称が分からないので、ここでは「カバー」とします。

秋田市内では、カバーがないボタン箱も少なくないが、わりと最近(ここ数年?)、秋田市中心部各所の押しボタン箱(交通弱者用を含む)に後付けで被せられた。この場所の先代ボタンにもあったのだが、いつの間にかなくなってしまっていた。
近隣の交通弱者ボタンでは、前のカバーがそのまま残っているようだし、ここの押しボタン信号の横断歩行者の多さからすれば、イタズラなどでなく、あまりに押されすぎて劣化して取れてしまったと考えられる。先代のカバーも、同様に短期間で壊れたのだろう。
残ったカバーをよく見ると、斜め右上から力が加わったように見える。設置位置からしてその方向から押す人が多いはず
昼間はほぼ常に横断者がいるから、1日に100回以上は押されるだろう。
でも、たった2か月で壊れて取れてしまうとは、屋外用公共物としては耐久性が低すぎるんじゃないだろうか。

最近は、押しボタンではなくタッチ式のボタン箱もあるが、秋田市内では見かけない。低温や凍結時の信頼性は、メカニカルな押しボタンには及ばないのかもしれない。
だからこそ、押しボタンをより使いやすくしようとカバーを付けたのだろうが、この状況では残念。秋田県警内部だけでなく、他県警や警察庁、メーカーとも連携して、より使いやすくて長持ちする押しボタンを作り上げていただきたい。
【2016年1月6日追記】記事アップ時点でも、秋田市郊外にはタッチ式ボタンが設置されていた。その後、秋田市街地にも設置され始めた。

【22日追記】たかが消耗品のことなので、このことを警察に伝えようか迷っていた。
でも、あまりに短期間で損耗するのは考えものだと思い直し、記事アップ前に県警に伝えておいた。
すると、22日にカバーが新しいものに交換されていたのを確認(19日では未更新)。以前と同一のカバーに見えるが、どれくらい持つだろうか。
※2015年1月17日および2月18日現在、中央部に少し傷がついて黒ずんできているが、破損はなし。→3月9日ついに破れたのを確認。上の写真と同じ状況。
※2015年6月20日には、片側のボタンは残っていた周囲というか側面の部分も取れてなくなっていた。交換の気配はなし。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結局はたけや製

2014-12-15 23:51:37 | ランチパック
以前、アイスクリームを紹介した、イオンのプライベートブランド「トップバリュ」。
いろんな考えや意見はあるけれど、個人的には各人の好みや価値観に合致するかどうかの話だと思う。昨今のカップ焼きそばの件のようにナショナルブランドでも、問題がある(異物混入自体はともかく、メーカー側の対応がまずい)ものだってあるのだし。


トップバリュの中に「ベストプライス」という、よりいっそうリーズナブルさを追求したブランドがある。昔のダイエーで言えば、キャプテンクックに対するセービングみたいな関係か。
※レシートなどでは、本家トップバリュは「TV」、トップバリュベストプライスは「BP」と略されることがある。
トップバリュベストプライスの中でも、家庭用品から食品までいろいろ揃っていて、本家トップバリュと重複する商品もある。
個人的には、安い分、品質は相応と感じるものもある(一部食品など)けれど、例えばティッシュペーパーは、やや紙が硬めでサイズが小さいけれど、使う分にはほとんど支障がない。150組×5個がいつも188円で買えるのならば、特売を狙う必要もなく、精神衛生上よろしい。
【2015年1月18日追記】160組×5個 198円で取り出し口のビニールのない紙箱というのもいつの間にか出ていて、そっちのほうがより安い。【2015年11月20日追記】その紙箱も8月頃までにリニューアル。150組199円と枚数が減って値上がりしてしまい、再びビニール入りの150組188円のほうが安くなった。


さて、以前から折に触れて述べているように、僕が苦手な食べ物の1つが「食パン」。食べられないわけではないのだが、学校給食に出たアベックトーストで水分が足りなくて苦しんだことがトラウマになっていると考えられる。
しかし、これからの経済状況や自分の年齢と健康を考えれば、惣菜パンや菓子パンばかり食べているわけにもいかない。最近は、朝食に残りごはんやヤキイモを食べたりもしているのだけど、思い切って食パンはどうかと挑戦してみた。

これがおいしく食べられた。
薄い8枚切りの食パンをトーストすれば、バターやジャムなど塗らなくてもサクサクと食べられ(飲み物は必要)、今まであんなに嫌っていたのは何だったのか、自分でも分からない。


となると、どんな食パンを選ぶか。
街のパン屋さんの焼きたてや、最近流行っている(?)高級な食パンもいいけれど、安さを追求すれば、トップバリュベストプライスに行き着く。
5枚切り、6枚切り、8枚切りともなんと78円(8%税込み)。※後述の通り、価格が異なる店舗や地域あり
イオンネットスーパーより
包装で「くせのない飽きのこない味」と謳っているが、その通りの味だと思う。
人によっては「味がない(薄い)」とか感じる人もいるのだろうが、元々のパンの味ってこんなものじゃないだろうか。主食になるものなんだし。
パンに限らず、最近の食品は「味が濃ければおいしい」という風潮がはびこっているように感じる。(この食パンは、その流れには逆らっているのでしょうけど…)

個人的には、トーストしたかどうかの有無はあるにせよ、20数年前の学校給食に出ていたたけやの食パンに比べれば、ずっとマシなような気がしなくもない。(アベックトーストと比べても??)
※以上、味については個人の感想です。食べてみたけどマズイじゃないかという苦情は受け付けません。


さて、少し前までのトップバリュ商品では、原則として製造を委託したメーカー名は記載せず、製造所固有記号だけが記されていた。(問い合わせれば製造メーカーは教えなければいけないことになっている)
昨年の冷凍食品の毒物混入事件を受け、今は「○○県の工場で作っています」と製造所の所在都道府県は表示されるようになった。
さらに、公式ホームページに「製造所固有記号検索システム(https://www.topvalu.net/seizosyo-kensaku/)」なるものもあって、それで製造所名と所在地が分かるようになった。(だったら最初から商品に製造者を表示すれば良さそうな気もしますが…)

トップバリュベストプライス食パンでは、袋に製造所固有記号とその所在都道府県の対応表が出ていた。
 
青森、秋田、新潟、東京、宮城、茨城、愛知の7都県で製造されている。日本の東側に偏っているが、西側では別の包装が使われている可能性がある。

秋田市内の店で売られていたのは、製造所固有記号はキリが良い「J400」、対応するのはもちろん「秋田県(の工場)」。
検索するまでもなく予想が付く。秋田県内で、規格化されたパンを大量に製造できる工場といえば、あそこしかない。
たけや製パンである。

検索すると、案の定、たけやだった。
青森は工藤パン、他の5か所は山崎製パンの工場だった。要はヤマザキグループが請け負っているのね。


トップバリュベストプライスでも、結局は、“たけやのパン”を食べていたのだった。秋田県民はたけやから逃れることはできないようです。
それにしてもたけやは自社製品、ヤマザキからの受託製品、ローソンからの受託製品(ヤマザキを通した“孫請け”も含む)、さらにイオンからの受託と、いろんなものを、1か所しかない秋田市川尻大川反の工場で作っていることになる。【16日追記】コメント欄の通り、他に地元スーパー向けのオリジナル商品なども製造している。
製造ラインを上手にやり繰りしているんでしょう。
【16日追記】このことは「どれを買っても、結局はたけやか」というあきらめ(?)の感情だけでなく、ある種の安心感もある。仮にどれか1つの製品で製造工程に起因する問題が発生すれば、これらすべての製造がストップしてしまいかねないのだから、そうならないように万全の体制を敷いているだろうし。


なお、秋田県内で売られている、ベストプライスでないトップバリュの食パン「やわらか仕込み」(118円)はたしか宮城県で作られていた。
セブンプレミアムの食パンは、秋田ではヤマザキ仙台工場製のものが売られているはず。仙台工場ではイオン向けもセブン&アイ向けも作っていることになる。


最後に、ベストプライスの食パンは店(地域?)によっては77円で売っている所がある模様。
また、今はプライベートブランドがイオンと共通化されたダイエーでは、同名ながらパッケージが異なり98円で売っているようだ。(地域によっては、イオンと同じものを78円で扱っているようだ)
ダイエーネットスーパーより
20円も高い分、どこが違うのだろう?
近い将来、ダイエーの店舗名はなくなるそうだけど、その時はこれも統合されるのだろうか。

【16日追記】トップバリュのホームページには、78円のと98円のが両方掲載されていた。
トップバリュホームページより合成
98円のは「ダイエー限定商品」という扱いで、包装に「AEON」ロゴがない。
原材料が異なり、
78円のは「小麦粉、砂糖混合ぶどう糖果糖液糖、マーガリン(大豆を含む)、イースト、食塩、砂糖、脱脂粉乳、(以下略)」
98円のは「小麦粉、ぶどう糖果糖液糖、ショートニング、イースト、砂糖、食塩、脱脂粉乳、(以下略)」
アレルギー物質としては、78円は同工程で「卵」を含む食品を扱っているが、98円では「大豆」を含む食品。(大豆は78円ではマーガリンに含まれるが、98円には含まれない)
栄養成分も若干異なるが、熱量はどちらも同じ。
別物であることは分かったが、味がどれくらい違うのだろうか。

ダイエー限定では、イオン側にはないベストプライスの4枚切りやベストプライス「山型食パン」(5枚切りと6枚切り)なんてのもあった。

【2015年9月7日追記】2015年9月初め頃から、ベストプライス食パンが78円から81円に値上げされた。ダイエー用は98円のままの模様。
【2015年11月13日追記】2015年11月初めから、イオンリテール運営イオン秋田中央店では、ベストプライス食パンを扱わなくなってしまった。代替としてヤマザキブランドの95円くらいのものを置いている(実質的には値上げ同然)。なお、マックスバリュ東北各店では引き続き販売。
【2016年4月22日追記】
2016年4月20日頃にこの商品(トップバリュベストプライス 毎日の食卓に食パン)が廃止された。
代替として「トップバリュベストプライス 毎日の食卓」という中途半端な名称の商品が発売。「飽きのこない味に仕上げました。」との説明。価格は、イオン秋田中央店で92円(ヤマザキの安いのをやめて復活)、マックスバリュ東北泉店で95円と10円以上の値上げ。
引き続き、秋田ではたけや製パン製が発売。製造所固有記号一覧には、従来と同じ7つに加え「京都府」が追加。
原材料の順番は変わっていない。
1枚(平均46g)当たり栄養成分は、エネルギー115kcal、食塩相当量0.6gは変化なし。それ以外はわずかに違っていて、
たんぱく質4.0g→3.8g、脂質1.4g→1.6g、糖質21.1g→20.9g、食物繊維1.1g→1.0g、ナトリウム229mg→221mg。
遺伝子組み換えの表示は、従来から「遺伝子組換え不分別」だった「マーガリン(大豆)」に加え、「イーストフード(とうもろこし)」も組み換えでなかったのが「不分別」に変更。
全体的に、コストダウンを強化した感じがする。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらば送風機

2014-12-14 22:37:08 | 秋田の季節・風景
秋田駅からほど近い千秋公園の山の北側を貫く、秋田市道「秋田環状2号線」の千秋トンネル。(1979【2016年11月16日訂正】1978年開通、長さ189メートル)
※秋田駅や千秋公園外堀の地下を通る自動車専用道「秋田中央道路」とは別物です。

今年度、千秋トンネル周辺では、いくつかの工事が行われ、いくつかの変化が生じ、さらに生じようとしている。
直接関係ない交わる県道側の拡張や地下道撤去も行われ、それと相まって、車両・歩行者とも規制を受ける期間や時間帯もあるので注意。

先週末の千秋トンネル内
以前と違っていることにお気づきでしょうか?

(再掲)以前のトンネル内(上と同じ場所ではありませんが、似たような位置)

記事のタイトルで分かってしまいますが、天井の壁際に設置されていた、「送風機(ジェットファン)」が撤去された。
千秋トンネルは1978年12月4日14時から供用された。ジェットファンはその時から設置されているようなので、36年と1週間の活躍だったことになる。

送風機は「鉄製で直径80センチ、長さ3.4メートル、重さ535キロ」で、両側の歩道上の、両出入口から40メートル地点に1台ずつ、計4台設置されていた。
内部の空気の状態によって作動し、作動時は「ゴォー」&「ぶーん」という音が鈍く響き、位置によっては顔に風を感じた(はず)。
在りし日の送風機
子どもの頃から千秋トンネルを時折歩いている者としては、天井に巨大なエンジンのようなものがぶら下がっていることに興味を持ったものの、その大きさや動いている時のさまには恐怖さえ感じた。
オレンジ色のナトリウムに照らされたジェットファンは、千秋トンネルを象徴するアイテムの1つだった。


秋田市建設部道路維持課のホームページでの告知によれば、今回の「送風設備撤去工事」は、12月10日・水曜日から12日・金曜日の21時から翌朝5時にかけて実施され、歩道を含むトンネル内で片側交互通行の規制が敷かれた。
12日の昼にはすべて完了していたようなので、多くとも2晩で終わったことになる。※12日昼にも工事は行われていたが、それは下記の別工事。

撤去した理由を推測すれば、吊り天井のトンネルが吊り天井構造でなくても良くなった(以前の記事参照)のと同じく、車の排気ガスがきれいになって、この程度のトンネルならば排気を送風で排出しなくても問題なくなったことが大きいだろう。それに加えて、送風機のメンテナンスの手間と費用を省略する意図もあるだろう。

ただ、撤去直前でも、まれに送風機が動いていることもあるにはあった。ということは、その時は内部の空気があまりきれいではなかったのだろう。
余裕を持たせて念のための作動であり問題がないレベルだったのだとは思うけれど、送風できないこれからは多少は“空気が悪く”なってしまうのだろうか。ここは通学路になっているし、(自分を含めて)歩行者・自転車の通行も少なくないから、ちょっと気になる。

送風機跡
送風機が撤去された跡には、取付金具が残っていた。
天井や壁の色が変わって跡が分かるようなことはない。送風機が器具を介して吊り下げて取り付けられ、直接接していなかったためだろうか。
送風機の陰になっていた所にも、ナトリウムランプが1つあり、撤去によってそれが姿を現した。
手前から2つ目の消灯したランプの所に送風機があった
縁の下の力持ちならぬ、天井の力持ち的役割のわりには、存在感があった送風機。今となっては、取付金具だけが、千秋トンネルに送風機があったことを物語っている。


上記の通り、他の工事も随時行われている。
先月頃からトンネルの手形側出入口付近(外)の歩道の再舗装が行われている。
片側ずつの施工で、工事中の側の歩道はトンネル内から工事区間にかけて随時、完全通行止め。横断歩道の位置関係の都合上、だいぶ手前に誘導員が配置され、歩行者を反対側へ案内している。
工事が終わった箇所は、落ち葉がなくなってきれいにはなったけれど、大きな変化はなし。

「照明灯改修工事」※少し前の撮影
「照明灯」というのは、トンネルの外(手形側?)の街路灯のようだ。施工業者は送風機撤去と同じ。
トンネルの照明をLED化すると聞いていたので、内部のナトリウムランプを更新するのかと思っていたが、今のところ手付かず。
外だけだったのか、これから中(工期は3月までだし)もやるのか。
柱や壁のチョークの印もそのままだけど、そのままってわけにも行かないだろうから、今後、さらに変化が出てくるのかもしれません。

【19日追記】この後、19日の時点では、北側(保戸野から手形方向の車線)のナトリウムランプがすべて撤去され、仮の照明が設置されている。やはり、内部の照明も更新するようだ。→この記事にて
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方伝説?

2014-12-12 00:07:04 | 秋田のいろいろ
ホントのようでウソのような、おもしろおかしい、誰かから聞いたうわさ話。それが「都市伝説」(ということにします)。
心霊スポットやカレーの作り方の試験問題のように、同じストーリーが、舞台を各地に置き換わって広まっていることもある。
身近な舞台における話にすることで、学校や地域といった狭い社会の中である種の真実味を持たせて、広まりやすくする効果があるのだろう。

個人的に今まで知った、秋田ならではの都市伝説っぽいもの、いわば“地方伝説”をいくつか紹介しておきます。
異説や他地域で同じような話があれば、教えてください。
※ひょっとしたら、都市伝説などではなく、話を教えてくれた人の1人だけが言いふらしていた可能性もあります。

●「へ」の付く部分は?
昔、「クイズタイムショック」に秋田の男性が出場した。
「体で『へ』の付く部分は?」という問題が出た。
(正解は「へそ」【18日追記】「扁桃腺」でも正解か) ※厳密には「『へ』で始まる部分は?」か。
「へなが」「へじゃかぶ」と答えて、不正解に終わった。
この人は他の問題もすべて不正解だったので、全問不正解となり、ペナルティで椅子が回転した。

「クイズタイムショック」は、1969~1990年にテレビ朝日で放送されていた番組。秋田では、時期によってABSとAKTがネットしていた。
音声で問題が次々に出題され、制限時間内に答える方式。
21世紀になって何度か放送された(2008年が最後)リメイク版では芸能人が回答者だったが、当時は一般視聴者が回答。
「へなが」「へじゃかぶ」は訛りで、それぞれ「背中」、膝株(ひざかぶ)→「膝」のこと。【13日追記】「ひざかぶ」は厳密には「膝頭」の意味。

この話は、1980年代後半に秋田大学を卒業したばかりの学校の先生から授業中に聞いた。

ネットで調べると、この手の話はいくつか見受けられたが、次のような差異があるバージョンが存在した。
・回答者は秋田ではなく青森の人。(青森のほうが多い印象)【18日追記】岩手、宮城、新潟などにも存在する。
・「へじゃかぶ」はなく、「へなが」もしくは「へなか」のみを回答。
・タイムショックではなく「アップダウンクイズ(1963~1985年。TBS系)」が舞台。
・他の問題はすべて正解していて、最後に出されたこれを間違えたので全問正解を逃してしまった。

タイムショックは秋田でも青森でも放送されていたが、アップダウンクイズは秋田では放送されなかったらしい。
タイムショックは時間制限があるから、へなが・へじゃかぶ両方を答えることは難しい(ルール上、不可能?)。
もしかしたら、「元はアップダウンクイズでの話で、TBSが見られない秋田においてタイムショックに舞台がすり替わった」のかもしれない。
また、全問不正解よりも、全問正解を逃したほうが、オチとしてはおもしろい。

ネット上では、クイズマニアの出場者の誤答が下地になった話だとか、あたかも自分がアップダウンクイズで視聴したかのように書いている人もいるが、信憑性は不明。
素人が出た番組だけにいろんな珍回答はあったはずだから、それをベースにした地方伝説とみていいだろう。

【2017年2月3日追記】田中義剛氏がこの話をしていたような気がした。調べると、2000年代末頃に「秘密のケンミンSHOW」内でアップダウンクイズでの話として発言しているらしいが、自分では見ていない。おぼろげな記憶では1990年代前半のまだ牧場を経営する前、ラジオで言っていたような気がする。
発生源かは別として、近年では彼がこの伝説の流布に一役買っていそう。

【2020年1月8日追記】「高校生クイズ(全国高等学校クイズ選手権)に母校の先輩が出場して…」というバージョンが、ネット上にごくわずか確認できる。年代や地域は多くが不明だが、うち1つは2006年に秋田県の人が、「ずっと前に」(母校ではないようだが)秋田代表の出来事として言及していた。
視聴者参加型クイズ番組が少なくなった現状、そしてより身近な話として「母校の先輩」ということで、今後はこれが主流になっていくのかも。


●科学的伝説?
これは都市伝説というより、科学的かつ秋田ならではの話。クイズ形式。
日本で一番深い湖である、秋田県の田沢湖。
その水深423.4メートルの湖底の水温は何度でしょう?

とんち問題ではないし、計算などは不要。
科学の知識があれば、即答できる。

答えは、摂氏4度。
理由は、水は、4度の時に密度が最大で比重がいちばん重くなるから。

実際には、各種条件(湧いたり、流れたり、不純物があったり)で異なる可能性もあるが、理論上は十和田湖も八郎潟も琵琶湖も、湖底は4度。


これは、タイムショックの先生と同年代の秋田大学を出た理科の先生に聞いて、感銘を受けた。
たしか先生が「大学時代に聞いた話」と言っていたはず。
秋田大学理科教育課程で語り継がれている話なのだろうか? あるいは地域によって琵琶湖の…霞ヶ浦の…山中湖の…などバリエーションがあるのだろうか?


●50人集まれば…
女子高である県立秋田北高校。
男子が50人以上出願すれば、共学化される。

これも田沢湖の水温の先生から聞いたのだが、これは聞いた時からマユツバものに感じた。
募集要項でどう記載されていたか不明だが、県立高校がそんなあいまいなやり方をするとか考えにくい。男子は出願できないことが明確に分かる表記だったのではないだろうか。(私立女子大などでは、理屈では男子の出願~受験まではできるが、入学ができないような所もあるとか聞く)
中学校の先生が、受け付けてもらえるかどうか分からないのに、男子生徒の書類を作成して、取りまとめて出願に行くとも考えにくい。
しかも、出願から入学までの短期間で、共学化に向けた準備(トイレの整備など)が間に合うとも思えない。
そもそも、出願者が49人に終わったら、その49人はどうなってしまったのか。

当時共学化されなかったのは、同窓会の意向が強かったとも聞くが、その後、20年しないうちに、2008年から共学化されてしまった。
【12日追記】しかし、その決定や準備は、年単位の時間をかけて入念に行われた。



●くうこうに行きたいのに
飛行機に乗るために秋田空港に行こうと、おばあさんがタクシーに乗った。
タクシーのドライバーは、秋田空港を「秋田高校」と聞き間違え、おばあさんを秋高で降ろしてしまった。
おばあさんは、高校のグラウンドに立ち、来るはずのない飛行機を待ち続けた。

少々切ない話。
高校の先生から聞いた話で、「他人の立場を察し、他人を思いやる気持ちを持て」という教訓的な例え話だったかと記憶している。

聞き間違いとしては充分あり得るし、もしかしたら秋高に連れて行かれてしまった人がいたのかもしれないけれど、グラウンドで待つまではないでしょう。


全部学校の先生から聞いた話だった。
こうして、世代を越えて話が受け継がれていくのかもしれない。
※秋田が舞台のほんとうの(昔からの)伝説についての関連記事
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

利用者ゼロのバス停

2014-12-10 23:53:04 | 秋田の地理
11月20日放送「ナニコレ珍百景」で、【珍百景No.2051】「田舎のバス停に衝撃の事実が!!」が放送されて認定された。
鹿児島県薩摩川内市にあるJR九州バスの「行奈木(ぎょうなぎ)」というバス停(1日8往復通るようだ)が、35年間、誰にも利用されていない(乗降客がいない)という話。

現役運転士と昔を知る元運転士の話と、「近隣住民によると、かつてバス停付近には3軒の民家があり、60年ほど前にバス停を設置したのだが、50年ほど前に全員が引っ越したため、使われなくなった」ことから導いた結論。

放送のテロップでは「35年利用されていない?バス停」「番組調査では35年利用なし」と、そうではないかもしれない余地を含んだ表現。
運転士全員に聞き取ったわけではないだろうし、運転士が乗降を完璧に記憶しているわけではないから、実際には、35年の間にどこかの誰かが乗り降りしたことがあったかもしれない。
そして、行奈木だけが特異ではなく、全国各地を見れば、似たようなバス停はけっこうあるのではないだろうか。
※利用者がいないのにバス停が存在する意義としては、運賃の境界を示すための場合もあり得る。


利用者がきわめて少ないバス停は、街中にもあるかもしれない。
例えば、通学利用に特化した路線だけが通り、目的となる学校のすぐ近くにあるバス停など。
秋田市では、楢山大回り線の「大町西交差点」、秋田高校-御野場・御所野の路線(この記事参照)「通町橋」、その両路線がだけが通る「原の町(神田線用とは別の位置)」などは該当するかもしれない。
これらは、本数が極端に少なく(平日のみ1本とか)て通学以外にはまず使えないし、近くに本数が多い路線のバス停が別にあるから。
通学とは関係ないが、AAB向かいの臨海経由新屋西線用「臨海十字路」も利用者はいないことだろう。


ところで、秋田市内には、若干ただし書きが付くけれど「絶対に乗り降りする人がいないバス停」が存在する。
秋田市卸町の国道13号線
茨島交差点の東側、卸町と茨島の境目辺りに「茨島(ばらじま)」というバス停がある。そのうち、仁井田方向から茨島交差点方向に向かう車線側のバス停。

2本のポールが置かれる
向かい側も同様だが、羽後交通のバス停と、秋田市営バスから移管された中央交通のバス停が並んでいる。

ポールを見れば、羽後交通のには時刻表が掲出されているが、中央交通のは時刻表がちぎれたように見える。
相変わらず中央交通は時刻表の管理もできなくてけしからんと思ったが、それは間違いだったことが後に分かる。

先に羽後交通に注目。
表示板に「(高速)秋田駅前、八橋市民広場前方面行」とある。羽後交通と中央交通が共同運行している、秋田-横手・湯沢の高速バスのバス停である。
時刻表には5便が掲載されているが、そのすべてが、
「左記降車専用です 乗車できません」
ということで、羽後交通のほうは、乗ることはできないものの、降りることは可能なバス停。
だったら、時刻表を入れないで「降車専用」と表示しておけば済むような気もしますが…
※向かい側は横手・湯沢方面行きの乗車専用。

羽後交通のバス停は、2010年春に廃止された羽後交通単独路線である急行角館線も通っていた。その時はここでは乗降ともできた(はず)。



では、中央交通のほう。
市営バス時代からの記憶に基づけば、ここを通る路線は2つ。
1つは「茨島経由御野場団地線」。
秋田駅から県庁市役所前を経て山王大通りを進み、臨海バイパス~13号線へ入り御野場まで。少々遠回りの経路。
1990年代には朝と夕方に少数が運行され、「山王新町経由秋田駅行き」という系統もあった。移管と前後して、徐々に本数は減っていた。

もう1つが「新港線(しんこうせん)」の一部。
本来の新港線は、飯島北-西部市民サービスセンター(新屋案内所)を新国道経由で結ぶ系統。
派生系統として、西部市民サービスセンターの先の新屋高校まで足を伸ばすものと、新屋へ行かずに茨島交差点で13号線に入って、秋田南高校へ行くものがあった。かなり昔から平日に1日1往復(朝に飯島発、16時00分南高発)。
「茨島」は本系統の経路と分岐して最初/合流する直前の停留所に当たる。

したがって、こちら方向側の中央交通の「茨島」バス停は県庁経由秋田駅行きと新国道経由飯島行きが通っているはず。
現地の時刻表がないので分からないから、ホームページの時刻表検索や路線図を調べると、現在は、この方向は1本も走っていなかった!

茨島経由御野場団地線は、2010年で路線自体が廃止。
南高校発飯島北行きも、時期は不明だがいつの間にか廃止されていた。(飯島北発南高校行きの片方向だけの運行になった)
だから、時刻表を剥がした(引きちぎった?)のか。もうちょっと丁寧に剥がせないものでしょうか…

というわけで、中央交通一般路線用のバス停に限れば、通るバス路線がないのにポールだけが立っているため、絶対に乗り降りできない、つまり絶対に利用者がいないバス停ということになる。(高速バスのほうも、降車客はとても少なそう)


片方向だけだとしても、バス停にバスが通らなくなったら、その側のポールは撤去するのが筋だろう。一時期の南大通りの各バス停はそうだった(循環バス運行開始により再設置)。
「茨島」が残っているのは、いつか運行再開される時に備えているのかもしれないが、昨今の情勢からしてその可能性は少ないだろう。あるいはスクールバスなど一般向けではないバスの停留所として使っていることも考えられなくもないが、それもなさそう。
ポールを片付けるのが面倒なのか、忘れているのか…ってとこでしょうか?

ちなみに、茨島交差点を越えた、茨島経由御野場団地線単独(新港線は通らない)のバス停だった「茨島体育館前」「新川町」などは撤去されている。
それを踏まえると、茨島経由御野場団地線のほうが先に廃止され、同線単独だった各バス停ではポールを撤去。「茨島」は南高校発新港線が通っていたため残され、後の新港線の片道廃止後もそのままにされたと考えられる。※南高校発新港線が単独で使用していたバス停は「茨島」だけ。前後のバス停は他路線も共用しているので、片道廃止時に不要になったのは「茨島」だけ。

高速バスの運行に中央交通も参加しているのだから、かつての市営バスと中央交通のような、共用のポールを設置すればいいようにも思いますが…


路線バスが路線バスであるためには、乗り場に明確な表示がなければならないと、法令で定められているはず。(必ずしもポールでなくても、電柱に巻きつけても、弘南バスに多いように片側にまとめて設置してもいい)
でも、路線がなくなったからと言って、ポールを残しておくことは、別に構わないのだろう。

また、公道上にバス停を設置する時は、道路管理者(ここの場合、国交省秋田河川国道事務所)に道路占有許可をもらわないといけないはず。
公共交通機関だから厳しい審査があるわけではないだろうが、20年くらい前の国道では、占有許可のシールがポールに貼付されていた(この記事後半参照)。現在は省略されたのか見かけない。
道路管理者にしてみれば、不要になったものは撤去してほしいのがホンネだろうけれど、不要になったことに気づいていないのでしょう…


さて、こことは別の場所にも「茨島」バス停が存在するのをご存知でしょうか。
そっちの茨島も、いわくがあるバス停なので、後日。こちらの記事
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホテルの変遷

2014-12-08 23:54:08 | 秋田の季節・風景
旅先でその土地の人に道を尋ねようと思った場合、地元の人が知らないことがけっこうあるのが、ホテル(特にテナントや飲食・宴会部門を持たない、ビジネスホテルなど)。
地元の人が地元のホテルに泊まることは少ないから、ホテルの名前や位置を知らなくてもいいし、ホテルの名前(経営者)が変わることもあって、把握しきれないからだ。
それに加えて、同じ街に同系列のホテルが複数ある場合は、ややこしいことになる。

秋田市でややこしいのが、「ホテルパールシティ」。
大町の二丁目と三丁目の竿燈大通り周辺、すなわち直線距離で200~300メートルの範囲内に「ホテルパールシティ」を冠するホテルが3軒も存在するのだ。

3つは、「ホテルパールシティ秋田川反」「ホテルパールシティ秋田竿燈大通り」「ホテルパールシティ秋田大町」という名称。
既存のホテルを買収して運営する「ホテルマネージメントインターナショナル(HMI)」という企業が運営し、3ホテルを合わせて「ホテルパールシティ秋田チェーン」と呼んでいる。
3ホテルがHMI傘下となったのは1998年(うち1つはそれ以前から?)のようだが、名称変更は2009年4月。

この3ホテル、地元の者でも(だからこそ?)場所と名前が一致しないというか、3つともどのホテルがどの名前でも通用しそうな、微妙な命名。特に3つのうち2つは、改称前の名称が秋田市民に比較的浸透していると思われ、それが「ホテルパールシティ」だとはピンと来ない人が多いはず。
僕は、仮に旅行客から場所を尋ねられても、とっさに正しくお答えできる自信がない。


1つずつ見てみる。
大町三丁目にある「ホテルパールシティ秋田川反」は、2009年以前は「ホテルパールシティ秋田」という名称だったので、元々ホテルパールシティとしてオープンしたのだろうか? 「るるぶトラベル」によれば1980年築。

大町二丁目の西側、竿燈大通りから1本北に入った、旧・三井アーバンホテルの裏にあるのが、「ホテルパールシティ秋田大町」。かつては「アキタシティホテル」だった。「るるぶトラベル」によれば1977年築。「シティホテル」と言っても、宿泊特化であまり大きくはない。
昔、時々我が家に来ていた親戚が好んで宿泊していたので、子どもの頃から「シティホテル」の名前と建物は印象が強かった。しかも、パールシティ改称後は「大町」という、3つどれにも該当し得る抽象的な名前になってしまい、どうもなじめない。

そしてもう1つが、大町二丁目の東側、竿燈大通り沿いの日銀秋田支店前交差点角の「ホテルパールシティ秋田竿燈大通り」である。
地階や1階にはテナントが入る。官報販売所である「石川書店」があるホテルと言えば古くからの秋田の人は分かるだろうし、「ライブハウス 秋田クラブスウィンドル」があるホテルと言えば音楽好きな人は分かることだろう。
このホテルは、2009年以前は「アキタスカイホテル」だった。
そして、そのもっと前は、別の名のホテルだったことは覚えているが、その名前が思い出せなかった。
聞いたり調べたりして、判明。
※以下、「日本観光史:会社編(http://web2.nazca.co.jp/zz1564/page347.html)」を参考にしました。間違いがありましたら、ご指摘願います。

ホテルリッチ秋田」。そういえばこういう名前だった。

「リッカーミシン」というミシンメーカーがかつて存在し、ホテルチェーンも展開していた。その1つが、ホテルリッチ秋田で、1977年3月29日に開業。
1989年3月に撤退し、同年12月23日アキタスカイホテルとして開業している。(アキタがカタカナ書きのところからして、シティホテルと同経営だったのかもしれない)
その後、1998年にHMIグループに入りスカイホテルのまま営業を続け、2009年4月に現名称になったことになる。
ちなみに、現在、ホテルリッチチェーンは経営者が変わって、語順が入れ替わって「リッチホテル」となり、仙台などに店舗がある。
※「リッチモンドホテル」チェーンとは無関係です。
【2015年8月5日追記】秋田で「スカイ」と言えば、秋田市雄和の県立中央公園内にある屋内グラウンド「あきたスカイドーム」。これは1990年2月に完成している。当時「スカイ」という言葉が流行っていたわけではないと思うので、完成直前のドームの名前に影響を受けたホテル名なのかもしれない。

ホテルパールシティ秋田竿燈大通りが入るビルの名称は「スカイビル」らしい(今もそうなの?)が、ホテルとともに改称したのか、以前からそうでホテル名が追随したのかは不明。
ホテルリッチとしては12年、スカイホテルとしては20年ほど営業したことになるが、個人的には「ホテルリッチ」のほうがなじみがある気がする(と言いつつ、その名を忘れていたけど)。


現在のホテルパールシティ秋田竿燈大通りの建物(スカイビル?)の外壁は、濃淡の水色。
日銀前交差点から
昔はもっと落ち着いた色で、10年ほど前に塗り替えられた。(2001年9月から2005年10月の間のどこか)
おそらく、「“スカイ”ホテル」のイメージに合わせたのだろうが、周りから浮いているようにも感じる。

色は変わったけれど、建物自体はリッチホテル時代から35年以上続いているわけだ。
ホテルの屋上には看板が出ていて、
西面と南面
「パールシティホテルチェーン」、「ホテルパールシティ秋田竿燈大通り」と表示されている。
「パールシティ」であることは分かるが、「秋田竿燈大通り」の表示が少ない。周りに別のパールシティもあるのに、少々不親切。
そして、「パールシティ」の下に何やら文字がうっすらと見える。

裏側のニューシティ跡方向から、北面を見ると、
真っ白だけど、うっすらと「健康と歩む テルモ」
ああ。そう言えば、昔はこれはテルモの広告看板だったような…

駅側・二丁目橋方向から見ると、
もう1つ看板があって「ホテルパールシティ」
東面が見えるくだんの看板には、
テルモと「スカイホテル」の文字も!
テルモ→スカイホテル→パールシティが残る看板だ。
「ホテルリッチ」が見えたらおもしろいけれど、そこまでうまくできた話でなかったか。

過去の画像で確認。
2011年10月撮影の二丁目橋側
3年前の段階では、かすかに「スカイホテル」は見えるが、テルモは判読できないほど、ほぼ真っ白。(光線条件の違いもあるとは思われる)
この3年間で、過去の文字が“再浮上”したようだ。

さらにさかのぼって、
2005年撮影の西面。外壁はすでにスカイ色
HMI傘下入り後のスカイホテル時代は、「パールシティホテルチェーン スカイホテル」という表示だった。
改称後に、「スカイホテル」を消し、そのうち一部だけに「ホテルパールシティ秋田竿燈大通り」を入れたので、不親切な看板になってしまったようだ。

さらに古い写真の片隅に、現役だった頃の「テルモ」を発見!
2001年撮影の東面。外壁は白系統
なるほど。緑色地で、ロゴマークと「テルモ」は白色。キャッチフレーズは黄色。夜は点灯したようだ。
キャッチフレーズは、写真の東側は「医薬品・医(以下隠れて読めず)」。北は「健康と歩む」らしかったので、向きによってフレーズが異なったようだ。【21日追記】いただいたコメントによれば、キャッチコピーは2パターンあり、2方面ずつ同じものが表示されていたとのこと。
1992年のネオン点灯時の映像が少々


旧シティホテルのホテルパールシティ秋田大町では、以前は屋上にあった看板が、今はなくなってしまったようだ。大通りから離れた場所にあることもあって、訪れる人に分かりづらそう。
自分の経験からして、初めて訪れた見知らぬ街を歩いて来て、予約した宿の看板を見つけた時はほっとするもの。反対に近くには来ているはずなのに、目指すホテルが分からなければ心細いし、実はそれが近くにあったらガックリ来てしまう。
そもそも、以前の看板が透けていては、見栄えが良いとは言えない。テルモさんにとっては、いい宣伝になるかな?
看板のメンテナンスにはお金がかかるのでしょうけど。
2015年秋にちょっとした変化
2002年の写真(リンク先最後)では、別の「スカイホテル」の看板が写っている。



ところで、ホテルの名称が変わった(リブランドとか言うらしい)場合、宿泊予約サイトにおいては、旧名称を一定期間併記するところが多い。リピーターなどが検索する場合に、ヒットするようにということだろう。
今日現在、楽天トラベルでは、パールシティ秋田グループの3ホテルとも、「ホテルパールシティ秋田 ○○(旧 ○○ホテル)」とカッコ書きで旧名称を掲載している。
さすがに「旧旧 ホテルリッチ秋田」とはなっていない。5年経っても旧名称が出ているけれど、いつまで掲載されるだろうか。

一方、昨春に「ホテルはくと」から改称された「アパホテル秋田千秋公園」では、既に旧名称は出ておらず、「はくと」で検索しても引っかからなくなっている。

2021年には秋田ビューホテルが名前が2度変わることになった。
※秋田ワシントンホテルだったイーホテル秋田も、2020年代初めに2度の改称
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初積雪

2014-12-07 19:15:40 | 秋田の季節・風景
今日は二十四節気で冬至の1つ前の「大雪(たいせつ)」。
先週末から日本各地で大雪(おおゆき)になっている。四国では多数の車が立ち往生したり、孤立する集落が出たりしているし、北陸も多めの積雪。
東北地方でも弘前で40センチ前後など、目立った被害はないものの、この時期にしては多いほう。【9日追記】弘前公園内では、樹齢300年のマツなど、16本の樹木が倒れた。

秋田市はそれほどひどくなく、いつもの冬が始まった状態。先週(12月1日以降)は風が強い日が多く、寒くなって、3日頃から雪が積もり始め、5日夜からは5センチ程度積もった状態が続き、秋田市街地ではこの冬初の本格的な積雪となった。
今日7日は、昼から夕方にかけて湿った雪が降り続き、15時には10センチに達した。風は弱く、雪がしんしんと積もった感じ。今は降雪は収まって(11センチ)、わずかな夕焼けやきれいな丸い月が見えた。

今年は冬の訪れが遅いような気がしなくもなかったけれど、本格的な初積雪は昨2013年は12月12日(翌日に30センチ超のドカ雪)、2012年は12月9日だったので、今年も近年並みか。

千秋公園二の丸の裏側。木の枝に着雪して真っ白

この程度の雪ならば、散歩する人(と犬)もけっこういる

千秋矢留町の「鷹の松」。除雪車は未出動らしいが、とりあえず支障なし

二丁目橋「那波家の水汲み場」のケヤキも真っ白。歩道は融雪装置が快調
そういえば、この天候の中で衆議院選挙期間中だった。選挙カーの音は、雪に吸収されるのか、閉めきった建物の中にいるからなのか、あまり聞こえない。立候補者とその関係者はご苦労なことです。(それに振り回されて付き合わされている行政や各業者の皆様、おつかれさまです)

いよいよ冬本番。
1か月予報では、東北地方日本海側の降雪量は平年並みか多い(ともに確率40%)そうで、どうなりますか…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温泉まんぢう

2014-12-04 23:47:13 | 各地お土産・食べ物
日本人には、温泉旅行のおみやげといえば「温泉まんじゅう」という固定観念みたいなのがある。
草津とか伊香保とか伊豆長岡とか関東近辺では定番らしいけれど、考えてみれば、秋田とか青森とか東北地方での温泉地で、まんじゅうが名物の所って、あまりないのではないだろうか。
地元のお菓子屋さんの商品の1つとしてまんじゅうがあったり、よそで作って真空パックになったのを売っていたりというのは、あるけれど、まんじゅう専業の店があって店先でふかしているようなお店は、東北ではかなり少ないかも。
大鰐温泉にも、宮城県の鳴子温泉や秋保温泉にも、なかったと思う。


東北で数少ないであろう「温泉まんじゅう」に該当するものがあるのは、山形県尾花沢市の銀山温泉。
川の両岸に趣ある宿の建物が建ち並ぶ、どちらかと言えば山奥(少なくとも街ではない)の温泉。

その中に、まんじゅうをほぼ専門に製造販売するお店がある。
昔行った時に買って食べておいしかったので、最近行った人にリクエスト。
その名は、
銘菓 亀まんぢう
「まんじゅう」ではなく「まんぢう」。
製造販売は「亀屋菓子舗」。旅館のはざまにあり、漬物などのおみやげ品も少々売る店だったと思う。

一般的なまんじゅうと比べると、やや平べったく、それが「亀」のゆえんなのだろう。
 
皮は濃い茶色、中はこしあん。


まんじゅうにもいろいろあって、皮がしょっぱかったり、皮がもっちりしていたり、あんこの味もさまざまだけど、この亀まんぢうは、総じて僕の好み。
皮は薄すぎず厚すぎず、ふわふわ。あんこは滑らかで軽く、くどくない。
全体にさらりと食べられる、おまんじゅうだ。多くの人に受け入れられる味だと思う。

午前中に売り切れてしまうことも多いそうで、前日のうちに予約できる。
おそらく、店舗以外(温泉街以外)では売られていないと思われるし、まんじゅうを買うためだけにわざわざ銀山温泉へ行くのはアクセスが良くはない。
銀山温泉へ泊まった人だけが買える、正統派の温泉まんじゅう、いや温泉まんぢうではないだろうか。次はいつ食べられるかな…


ちなみに、静岡県御前崎市の「かめや本店」でも「亀まんじゅう」という商品がある。これは甲羅の模様や手足や首があり、明確にカメ(場所的にウミガメ?)を模した形状。店舗名・商品名は偶然の一致だろう。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤンヤンヤヤ

2014-12-03 23:54:00 | その他もろもろ
11月21日、作曲家の越部信義氏が81歳で亡くなった。(訃報が公になったのは27日頃)
一般の人の多くは越部さんのお名前を知らないと思われるが、今の日本人で、越部さんが作った曲を聞いたことがない人は、ほとんどいないはず。

新聞の死亡記事では、「おもちゃのチャチャチャ」、「パーマン」や「マッハGoGoGO」主題歌、「サザエさん」のBGMなどが代表作とされていた。(各紙とも同じようなラインナップなので、事務所か何かがリストを示したのだろうか)
※「パーマン」については紛らわしい。1967年にTBSでモノクロで放送された、初代シリーズのこと。「♪真っ赤なマントをひるがえし」のオープニング曲の作曲。1980年代にテレビ朝日で放送された、第2作は無関係。

越部さんの代表曲はその程度で済むものではない。
「あさいちばんはやいのは(元はみんなのうた)」「はたらくくるま(ポンキッキ)」などの童謡、「おかあさんといっしょ」の番組全体の音楽も担当し、特に、今40歳台中盤~20歳台辺りの人は、子どもの頃に越部さんの曲をたくさん聞いて歌って育ったはずだ。


コマーシャルソングも手がけた。
一部新聞には出ていたが、東芝日曜劇場のテーマ曲(1956~1986年。近年は一部CMで使用)「光る東芝の歌」が有名。
あとは、横浜の崎陽軒の「シウマイ旅情」。元は1968年に映画用として作られ、今も首都圏ではCMに使われているらしいが、東北では崎陽軒のCMは流れないから聞いたことがない。

一方、東北地方ではけっこう知られているCMソングも、越部さんの作品だった。
仙台市太白区にある「八木山ベニーランド」のCMソングである。

前身の遊園地(?)は1930年からあったようだが、1968年に東北初の総合遊園地として開園。その時に作られた曲。
東北各県でこの曲を使ったテレビCMが放送された。僕が小学生だった昭和末期の秋田では、夕方のアニメ(当時は平日17時台の民放はほぼすべてアニメ枠)の合間によく流れていた。今はどうなんだろう?
小学校6年生の修学旅行では、ベニーランドが目的地の1つだった。
【2017年7月30日追記】2017年7月には、ベニーランドの夏休みイベント告知のテレビCMが秋田で放映されており、バックにこの歌が流れていた。昔のCM(イベントではなくベニーランド自体のCM)のほうが歌・歌詞をはっきり聞き取ることができたが、今なお使われていたとは感慨深い。


歌詞は5番まで(音源化されたのは3番まで)あり、テレビCMで流れたのは1番の後半(サビ)部分で、
「やぎやま」につながる掛け声(?=後述)に続いて「♪八木山のベニーランドで でっかい夢が はずむよ はねるよ ころがるよ
というもの。(前半も流れていたかもしれないが、ナレーションと重なって印象が薄かったのかもしれない)
僕はこの部分しか知らなかった。

作詞は真崎冬彦、歌は天地総子。
天地総子(あまちふさこ)さんは童謡歌手で、1985年からテレビ朝日系で放送されたアニメ「オバケのQ太郎」3作目で、Q太郎の声優と主題歌を歌った。(こちらの音楽は、宇崎竜童と菊池俊輔)
秋田では、ABSで水曜の17時辺りに放送していた気がするが、その中でもベニーランドのCMも流れていたかもしれない。


Wikipediaによれば、このCM曲は高校野球(仙台二高)や東北楽天ゴールデンイーグルスの応援団によってチャンステーマなどとしても使われているそうで、地元で親しまれている曲。
「宮城県民だけが知る歌」と認識する人もいるようだが、それにとどまらず上記のようにCMが放送されていた東北地方一円(6県全部?)でも認知されている。



越部さんの逝去は、八木山ベニーランドの(社長兼)園長によるgooブログ「べに~らんどの園長ブログ」で、11月28日に「作曲家の越部信義さん、ご逝去(http://blog.goo.ne.jp/benyland/e/4e853854825f8a411667a759a384b8e6)」として紹介している。
※八木山ベニーランドの社長は「八木」さんという方。今まで、「八木山」というのは所在する山の名前(昔からの地名)で、だから隣にある仙台市営の動物園も「八木山動物園」なのだと思っていた。
ところが、明治時代に八木久兵衛という人が土地を取得して開発した経緯があった。ということは、「八木さん所有の山」だから「八木山」で、その子孫が今のベニーランドの経営者なのでしょう。動物園の土地は市が八木さんから買ったのか?


その園長のブログとベニーランドの公式ホームページ、それにWikipediaに、こんな話が出ている。
ベニーランドのCMソングの歌手・作詞者・作曲者は、2006年まで誰なのか分からなかったという。(制作当時の資料が散逸したということか)
「せんだいCM特捜隊」という団体(仙台放送が関与している?)が、3者を突き止めた。
作曲者については、越部さんではないかと目星を付けて「(越部さんに)音源を送って聞いていただき、覚えてはいないが、これは自分の曲に違いないと認定していただきました。(園長ブログより)」という。
それを経て著作権申請し、CDを園内で販売するようになり、天地さんのCDにも収録された。

僕は音楽はずぶの素人だけど、作曲家個々の特徴的な楽器の使い方とか曲の雰囲気はあると思う。
ベニーランドの曲では、フルートのような木管楽器が使われ(越部作品では頻出)、エレキギターがメロディをなぞっている(昭和40年代頃の曲に多い?)ような所が、いかにも越部さんの曲っぽい。と素人なりに思う。
ちなみに天地さんは、声も歌い方も特徴があり、歌声を聞けばすぐに天地さんだと分かる。と素人なりに思う。(僕は小学生の頃から、ベニーランドの歌はオバQの声の人だと認識していたかもしれない)


ベニーランド公式ホームページでは、3番までの歌詞が出ている。そこで、発見というか自分の勘違いに気づいた。
上のほうで「掛け声?」とぼやかしておいた箇所の歌詞。
ここは、「やぎやま」と掛けた「ヤンヤンヤヤー」が入り、「ヤンヤンヤヤー 八木山の」なのだが、僕はずっと「ヤンヤンヤヤー“ン” 八木山の」だと思っていた。

天地さんの歌を聞くと、「ン」が入っているようにも、入っていないようにも聞こえる。
Googleで検索すると「"ヤンヤンヤヤー"」が4320件、「"ヤンヤンヤヤーン"」が1710件、ひらがな表記だと検索結果はあいまいになるものの「ん」入りが多そうで、僕と同様に誤解している人は多いようだ。
以前も記事にしたけれど、聞き違い・思い込みの歌詞ってまだまだあるのかも。

あと、歌詞ではない扱いだが、1番と3番の歌い出し(=前奏と間奏?)で「リュリュリュ リュリュリュー」とか聞こえるフレーズもある。



社長・園長は「越部さんが亡くなられた後も、ぜひ皆さんに愛され親しまれるよう、PRしていきたいと思います。」としているので、これからも「♪ヤンヤンヤヤー八木山の」は歌い継がれていくことだろう。

【5日追記】上記の通り、「八木さんの山」が八木山の由来らしい。
仮に、八木さんじゃない姓の人が買ってベニーランドを経営していたら、「ヤンヤンヤヤー」とはならなかっただろうし、文字数によっては越部先生の作曲は違ったメロディになっていたことだろう。
山本さんだったら、「ヤンヤンヤヤー」はいいけれど、音符と合わなくなるし、お茶&海苔屋か力士のようだ。

2020年には、日清食品がこのパロディーCMを作った
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミニバンク跡

2014-12-02 23:58:59 | 津軽のいろいろ
弘前駅・土手町方向から富田大通りを進むと、右が弘前大学文京町キャンパス。
※当記事では、自分で撮影した写真もあるのですが、ド逆光だったのでGoogleストリートビューの画像も使わせてもらいます。
国立病院前を過ぎると、右は弘大の敷地。まもなく正門前
左側に緑色で縦長の「みちのく銀行」の看板が目に入る。
みちのく銀行の各店舗にあるのと同じ(年明けで閉店する秋田支店にもある)看板。
じゃあ、ここにみち銀の支店でもあるのかと思えば、何もない。
看板の付いた柱が立つだけ

反対方向からは、隣の不動産屋に隠れてあまり見えない。

よく見れば、「みちのく銀行」の下に小さな看板がある。
「自動サービスコーナー」
近くの弘大構内と国立病院内にあるATMを案内している。
ATMの案内のためだけに、こんな立派な看板が設置されている形になるが、無意味というか無駄なようには思えないでしょうか?


これには事情がある。
僕のような少し昔(2000年以前?)のこの場所を知る人なら、この看板が本来は違う意味で立っていたことをご記憶のはず。

実は、以前は、ここにみちのく銀行のATMコーナーがあった。
地井武男さんが「♪便利なみちのくミニバンク(ヘイ!)」とCMをしていた。
元々は、そのATMコーナーの存在を示す看板だったのだ。

その後、いつの間にか、ATMコーナーが廃止され建物も解体されたが、看板だけは残され、近隣のATMを紹介する役目を担っていることになる。

僕は、年に1回はこの場所を通っているが、気が付いたら、ATMがなくなって更地になっていた。
看板が残っていたので、それにつられてATMも存在し続けていると思い込んでいたのかもしれない。

ATMコーナー跡
ATMコーナー跡には、富田大通り(大学正門)に面してコンタクトレンズ屋の野立て看板が設置されている。
誰が所有する土地なのか知らないけれど、みちのく銀行の看板が立っているということは、みちのく銀行側で現在も何らかの費用負担(借地料や屋外広告物手数料)はしているのだろう。そうまでして必要な看板かな…

ATM跡前は、富田大通りから大富町方向に伸びる小さな道が斜めに分岐する、Y字路。
その分岐点の三角形の土地の有効活用としてATMが置かれていたのかもしれないが、なくなってみればとても狭い土地だった。
駐車場はなく、車で来た人は路上駐車していたと思う。
裏側から。ちょうどATM1台は置けたのでしょう

そんなわけで、このATMの廃止によって、車で来てATMを利用する人は少々不便になったかもしれない。
しかし、ここのメインターゲットであろう弘大生にとっては、看板の通り学内にATMがあるので、支障はないだろう。(今現在、ここにATMがあったのを知る弘大生は皆無でしょうけど)

現在の学内のATMは、大学会館正面前(旧教養部棟や人文学部側)の広場内、図書館寄りに、青森銀行、ゆうちょ銀行とともに、3行のATMが並んで設置されている。
これは1998年度末(1999年の2月とか3月?)頃に3行揃って新設されたと記憶している。
みちのく銀行については、学内のATM設置と引き換えに、正門向かいが廃止されたのかもしれない。


また、かつては文京町キャンパス周辺の別の位置にも、みちのくミニバンクが存在した。
正門と反対側の第一体育館裏、“寒沢スキー場”のほうにある大学生協の「組合員センター店」である。
現在は、文京町キャンパスの大学生協の店は大学会館内に集約されているが、かつては家電などは組合員センター店で扱っていた。
センター店は1997年に廃止され、現在は同じ建物(一部改装)のまま、大学生協の本部や駐車場になっている。

2013年9月発行「弘前大学生活協同組合創立50周年記念誌」によれば、1984年度に組合員センター店1階に青森銀行とみちのく銀行のCDが設置されたという。
後にATMに更新され、センター店閉店後もしばらくは稼働していたはず。(後述の通り、1999年には、まだ稼働していた模様)
※CDはキャッシュディスペンサー、現金自動支払機。カードでの引き出ししかできず、ATMのような入金(もちろん振込も)や記帳はできない。1990年代後半には、ATMに更新されて、ほとんど見かけなくなった。

センター店は厳密には大学の敷地外だし、学内からわざわざ行くには、少々面倒な位置。
正門向かいにしても大通りの横断が必要だし、かつては2か所あったのが1か所に集約されたと言っても、利便性は今のほうが向上していると言えよう。
【3日追記】一方、ゆうちょ銀行は、富田大通り沿いの弘前富田郵便局にATMがあり、立地的に農学生命科学部や理工学部の利用者が多いようだ。青森銀行は、富田大通りのミニストップに(イオン銀行でなく)イーネットのATMが設置されており、平日昼の引き出しは手数料なし(イーネットは昔はみち銀と提携していたが解消したそうだ)。ATMの位置や数としては、やっぱりみち銀の分が悪いかも。
【11日訂正】いただいたコメントによれば、ミニストップのATMはイオン銀行に更新されたとのこと。青森銀行は引き出し手数料がかかるようだ。


こんなモノを保管していた。
「現金自動サービスコーナー一覧」
1995年1月20日現在のATM・CDコーナーの一覧表。
当時はCDもまだ散見され、現在では一般的な振込などができるATMを「多機能ATM」と呼んでいた。

その一部
正門向かいは「弘前大学前」、組合員センター店は「弘前大学生協」という名称だった。
赤い■は多機能ATM、黒い■はATM、緑の●はCDを示す。センター店はCDで平日のみの稼働で、朝は10時からと遅かった。
※他のATMコーナーの稼働時間を見ると「朝8時45分から夜は8時まで」が標準の模様。おそらくこの直後に、標準稼働時間が拡大され、地井さんが「♪朝7時から夜は9時まで」と歌うようになるのだろう。

さらに、みちのく銀行の通帳には、「適用」欄に取り扱い店舗やATMコーナーの名称が半角カタカナで印字される。「旅行貯金」のように、この印字を集める趣味もあるのだとか。
秋田銀行と同じ沖電気製ATMなので、通帳の書体も同じ(現在の秋銀は一部異なる)。
1999年の「セイキヨウ」

「ヒロタ゛イマエ」
「カ゛クイン」とあるのは、弘前学院大学正門前のATMコーナー。おそらく1997年頃に新設されたはず。
現在はみちのく銀行のATMリストには掲載されていない。
2013年5月のGoogleストリートビューでは、青森銀行とみち銀の共同ATMが1台あるのが確認できた。以前はみち銀の単独(あるいは2行別々)だったと思うけど。
しかし、現在、青森銀行のホームページのATMリストにも、ここと思しきATMコーナーは載ってない。廃止されたのだろうか。→廃止されていた

【2018年3月19日追記】Googleストリートビューで確認すると、正門向かいのATMコーナー跡の看板が撤去されていた。2015年8月にはまだ存在し、2017年8月にはなくなっていた。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする