広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

駅弁/煮玉子

2015-06-29 21:49:07 | 津軽のいろいろ
4月末の青森訪問記(前回の記事)としては、今回が最後になるはずです。弁当・惣菜から2つ。

最初は新青森駅で購入した駅弁。
青森駅と新青森駅の公式な駅弁としては「ウェルネス伯養軒」1社のみ。ウェルネス伯養軒は、仙台に本社がある駅弁や仕出し業者。
ちょっと昔の東北地方を知る人なら「伯養軒(はくようけん)」の名は知っていることだろう。仙台市内のホテル経営などのほか、東北地方一円で、駅弁、車内販売、さらには学食・社食も請け負っていた企業だった。
2005年に倒産し、一部事業を引き継いだのがウェルネス伯養軒。

駅弁屋としては、仙台のほか福島、岩手、青森の各県内の一部駅で展開している。伯養軒時代は秋田駅でも販売していたが、倒産後に従業員たちが起こした「泉秋軒」という企業に継承された。その泉秋軒も2014年春頃までに倒産してしまい、現在は秋田駅で旧・伯養軒系の駅弁は基本的になくなってしまった。

工場に当たる支店が青森市にあり、盛岡駅の駅弁や野辺地駅の名物でひし形容器の「とりめし」も、青森で製造しているようだ。
そのおかげで、新青森駅では盛岡駅弁であるはずのこれも売られていた。
みちのく味めぐり 税込み1100円
掛け紙には「北東北(岩手・青森・秋田)・宮城の味が一度に楽しめる欲張りなお弁当です。」とあり、福島を除く伯養軒の営業エリア各県+秋田県ということになる。

「天味無限」の箸袋は、旧・伯養軒時代から同じかな?
「實篤」とあるのに初めて気づいた。武者小路実篤の文字・絵なんだろうか?

4等分され、うち3区画がご飯。
掛け紙裏面のお品書きによれば、宮城の「鮭はらこめし」、青森の「帆立めし」、秋田の「比内地鶏鶏めし」の3つがご飯。
岩手はおかずで「三陸産秋刀魚の磯辺揚げ」「宮守地方名物 山葵菜のしょうゆ漬け/矢巾産赤かぶのスライス」と、書いてないけど厚焼き玉子。
宮守地方は遠野市でワサビが特産だそう。矢巾は盛岡の南。

はらこめしと帆立めしは、ウェルネス伯養軒で単品の駅弁としても売られている(「帆立釜めし」は青森駅のロングセラー)。それらと味付けが同一かは分からないし、量は少ないけれど、一度に楽しめる。
秋田名義の「鶏めし」は、そぼろの具合が野辺地のとりめしに似ているような気がしなくもなかった(鶏肉・そぼろ・錦糸玉子の組み合わせは野辺地と同一)。
個人的には、弁当1個丸々「○○めし」は飽きてしまうけれど、これなら飽きずに食べられる。これも駅弁ならではの楽しみ。



もう1つは、弘前市内。
今回、空いた時間で弘前大学南西側の稔町から城南1丁目付近をうろうろしたことを紹介した
その時、昔(20年前)から空き店舗が多めだった長屋風の「城南ストア」という建物に、新たな店があったのに気づいた。
※「城南ストア」の所在地は稔町。道路の向かい側が城南1丁目。

2010年11月に「レタス★キッチン」という惣菜屋としてオープン、直後に煮玉子を開発し「弘前の煮たまご屋 レタスキッチン」として営業している店。
青森県産の卵をオリジナルのタレで3日煮込んだ煮玉子がメイン商品だそう。


ただし、行った時は店は閉まっていて、「駅前のヒロロで売っています」という表示が出ていた。
ヒロロに行ってみたら、たしかに売っていた。※ヒロロ以外でも扱う店があるとのこと。
地階の食品スーパー「ルミエール」の惣菜コーナーと、同じく地階の小さな産直店「フレッシュファーム フォーレ」の両方で扱っていた。
煮玉子そのものも売っていたけれど、惣菜もあった。
3色おいなり 300円+税
津軽では、紅しょうがでご飯を赤く染めたいなりずし(この記事参照)が好まれるが、これはそうではなく、白いご飯を詰めてひっくり返して具を載せた“飾りいなり(?)”。
津軽では(秋田でも)、昔からあったわけではないタイプのいなりずしかな。

商品名の「3色おいなり」は、卵そぼろ、肉そぼろ(豚)、刻み菜っ葉(ダイコンとシソの実?)の3色。その組み合わせのいなりが2個と、中央の1個は煮玉子の半分だけが載る。
2012年頃は煮玉子がなく、3色×3個入りだったようだ。煮玉子屋さんの商品なんだから、煮玉子は入ったほうがうれしい。
汁が多くて周りと手が汚れるのが難だけど、見た目より味が濃くなくて、おいしかった。弘前での食べ物の選択肢が1つ増えた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美短入口のその後

2015-06-28 23:34:33 | 秋田市営バス
2013年春に秋田公立美術工芸短期大学を4年制化して、秋田公立美術大学が開学した。
それに伴って、最寄りバス停が「美術工芸短大入口」から「美術大学前」に名称変更されていた
※バス停の位置は変わらない。「前」から「入口」に変わった理由などはこちら

一般的にバス停の名称変更時には、従来の表示板の上に新名称を重ね貼りする場合や、表示板部分だけを交換(台座や脚はそのまま)することもある。
しかし、美短→美大の時は両側ともポールごと新しいものに交換され(ポールの支柱がピカピカだったので)、美短入口時代のバス停はそっくり撤去されていた。
2013年3月撮影上り側
交換前の美短入口のポールは、市営バス時代に設置されたもので、中央交通への移管時に社名部分だけを重ね貼りしたものが使われ続けていた。
2001年3月撮影上り側。支柱がきれいなので設置間もない頃?
なお、市営バス時代には秋田大橋の架け替えで取り付け道路の線形が変わった(2001年11月)のに伴い、バス停の位置が若干変動している。
上の写真は架け替え前の上り側で、現在より数十メートル南のガソリンスタンドの真向かいにあった。下り側は、逆に北側に数十メートル移動しており、かつては交差点の先(南側)にあった。
余談だけど、ガソリンスタンドは閉店・解体され、現在、ローソンが建設中。7月9日に「秋田新屋大川町店」としてオープン予定。この近辺は10年くらい前にサンクスが閉店してからコンビニ空白域だったのが解消され、美大関係者は便利になる。
ちなみに、この道路(秋田大橋を含む)は現在は県道56号線だが、2003年までは国道7号線だった。

それから、冒頭の改称直前の美短入口の写真で、下に中央交通の社名が浮き出ている理由。
ここが中央交通へ移管されたのが、2段階だったから。2001年春に新港線だけが移管、1年後の2002年春に新屋線が移管されている。
したがって、2001年度の1年間だけは、市営バスと中央交通で1本のバス停を共有していたため、下段に中央交通の社名を表示していた。2002年以降に、下段を消して(=赤を重ね貼りして隠して)、改めて上段の社名を書き換えたという経緯。
(再掲)同じ移管経緯だった2001年度の「ダイエー前(現・大町通り)」。美短入口と同じ書体だから、新屋線のポールは同じ時期に更新されていたのだろう。(ニューシティ前への変更時? に角型表示板に交換済み)


さて、ここから本題。撤去された美短入口の(ポールや表示板の)その後である。
2つのうち片方は、前にコメントで教えてもらっていた。
表示板が広告入りお城のデザインだった「城バス停」がわずかに設置されていたのが、今年春頃までに標準デザインのものに更新された。元美短入口が、その更新用の1つになっているという。

それは、秋田市中央部から離れた場所で唯一、城バス停だった、外旭川小学校前の「神田」停留所下り側。
ストリートビューより(背の低いほうは笹岡方面のマイタウンバス用だが、終点であるためか今は撤去された)
秋田市中央部の城バス停は角型2色(緑+黄)の表示板で更新されたのに、神田だけは円形3色(=元美短入口)で更新されたそうだ。
現地へ。
左が市営バスの初代接近表示付き(市営バス時代の見直しにより2代目に更新されず使用停止)だった上り側、右奥に城バス停だった下り側。

 
中通一丁目、二丁目と同じくローマ字表記が上、広告の位置もなんかきゅうくつ。もう少し上手にデザインできないもんでしょうか…

それはともかく、肉眼ではもっとはっきり分かるのですが、
 
「市営(秋田市章)バス」「美術工芸短大入口」「BIJUTSU KOGEI TANDAI IRIGUCHI」のカットシール文字がはっきりと透けていて、間違いなく元・美短入口だったものだ。
脚の少々雑な貼り方の反射材や若干下寄りの時刻表の枠は、ストリートビューの城時代と同一に見えるので、ポールごとではなく、表示板だけを交換したことになる。

(再掲)2005年下り神田
市営バス末期の2005年時点では、おそらく昔からの表示板にバス停名だけを透明シールに印字して貼り直したものだった。その後、城バス停に交換されたことになるから、城バス停は10年足らずだった。

今は神田線なのに神田を通らないバイパス経由が登場して、神田を通る便は毎時1本程度に減ってしまった。ゆくゆくはこちらを通らなくなってしまうのかもしれないけれど、もうしばらくは活躍することだろう。



そうなると気になるのが、美短入口の“片割れ”の行方。
全バス停を調査するほどのことでもないし…と思っていたら、偶然、発見してしまった!
これだ!
「楢山本町」の下に「美術工芸短大入口」が透けている。

カット文字の「神田」とは異なり、上の市営バス末期の神田と同じく、「楢山本町」の文字を透明シールにおそらくレーザープリンターで印字したものを貼った、少々お手軽版。
遠目に見れば違和感なし
こちらも脚以下はそのままで表示板だけの交換かもしれない。

この「楢山本町」バス停は、片道のみ、平日1本しか通らない。(反対側にはポールがない)
秋田駅→築地→楢山→旭南→大町→保戸野→手形→秋田駅と運行する「楢山回り大回り線」である。市営バスから移管された路線で、かつては逆方向の「手形回り」もあったが市営バス時代に廃止、楢山回りも減便された。
現在は平日の7時20分に通るだけ

かつては同じ名前で(ほぼ)向い合っていた2つのバス停(の表示板)が、名前を変えて離れ離れになって違う道を歩むとは、感慨深い。
となると、美短入口時代のどちら側に立っていたものがどちらかが気になってしまう(のは僕だけ?)が、冒頭とその次の写真にヒントがあった。
上り側の表示板は、平らではなく下部のボルトがある部分が凹んでいるというか、曲がっていた。

更新後の神田のほうは、この部分がきれいに平らなのに対し、楢山本町は、
曲がっている
したがって、美短入口上り側→楢山本町、美短入口下り側→神田下り側と転用されたようだ。


表示板の下に浮かび上がる文字のおかげで、今は亡き秋田市営バスの面影をたどることができるわけだが、中央交通さんはこれでいいのだろうか。「自費で購入したものじゃなく、秋田市から譲ってもらった物を使い回してますよ」と言っているも同然なのに。
転用する時に、以前の文字をこそげ落としてから貼り直すのって、そんなに手間かな。
5年、10年と使い続けるものなんだから、見映えへの配慮が必要じゃないだろうか。

と言っても、一方では、オリジナルのバス停も登場していた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杏梅/川口あんぱん

2015-06-25 23:08:20 | 津軽のいろいろ
前回の続きでちょっとした青森土産。
全国的にはメジャーではないと思われるが、青森には「杏のしそ巻き? しそ巻き杏?(正式名称は不明)」というモノがある。種を取ったアンズを赤シソで四角く包んだ甘酸っぱい漬物。ご飯の友よりも、食後の口直しやお茶うけにふさわしい。求肥・あんこ入りの菓子「水戸の梅」に外見は似ているが、こっちは漬物。
津軽では、梅と杏の区別があいまいで、杏のことを「梅(八助梅)」と称することがあり、しそ巻きを買う時は要確認。
秋田市近辺では見かけないが、鹿角など秋田県北部にも存在するようだ。

我が家では、昔からお土産としてたまにもらっていたのでなじみがあった。梅干しほど酸っぱくなくて、種がなくて好きだった。
4月末のイトーヨーカドー弘前店では、地元産商品フェアみたいなのをやっていて、その1つとしてしそ巻き杏を試食させながら売っていた。
その日は、nanaco決済で5%引きかつ、ヨーカドーで時々やる漬物類全品3割引も適用され、なんと35%引き!
僕は試食販売が苦手だけど、これは逃せないと近づくと、3つも試食させられさせてくれた。ナガイモなどと和えてサラダ風にしてもいいそうだ。
同じメーカーのものが3種類くらいあって、甘さと容量が違うようだが「いちばん普通」だというのを購入。
いした あんず梅(め) 甘酸っぱい味
「あんず梅」と書いて「あんずめ」と読むそうだ。「“あんず梅”とは“杏”のことです。」との注記あり。
半年ほど持つ真空パック200グラム入り(=20個入っていた)。699円の35%引き。杏は南アフリカ産、赤シソは中国産。
【28日画像追加】
メーカーは弘前市の岩木地区にある「カネシメいした」。大手で青森県内ではスーパーでよく売られているらしい。
津軽には石田姓は比較的多いみたいだけど、「いしだ」ではなく濁らない「いした」さんが主流かな。
ホームページによれば、別に「あんずのしそ巻き」という商品名のがあったり、青森県産原料を使った製品があったり、直営店に行けば豊富に選べるそうだ。



イトーヨーカドー弘前店では、イタトマ側出入口の吹き抜け部分で、観光シーズンに特設のお土産売り場が設置される。そこで売っていたもの。
※この売り場でもnanaco割引は適用。普段から地階で売っているラグノオのお菓子などは1階にはなかった。

津軽銘物 川口のあんぱん」というのがあった。
見るからに菓子パンのあんパンではなく、月餅みたいな平べったいお菓子だ。北海道の「月寒あんぱん」に似ている。
売り場には、どちらも5個入り750円ながら、パッケージデザインがまったく違う川口あんぱんが2種類陳列。見比べても、パッケージ以外の違いがさっぱり分からず、適当に片方を購入。

帰ってから調べると、あんこが白か黒かの違いのようだ。(だったら明記してほしい!)
川口あんぱんは元々は白あんで、偶然手に取ったほうが本来の白あんだった。
個包装の文字が白い。黒いあんこのほうは黒文字?
川口あんぱんは、北津軽郡板柳町にあるお菓子屋さんの製品。企業名は「川口あんぱん」だが、「信栄堂」というブランドもあるようだ。経営者が川口さん。
【27日補足】モーニング娘。のように、「信栄堂。」と「。(句点)」も入るのが正式らしく、個包装でもそうなっている。
「1880(明治13)年創始」「北海道産大手亡豆を使用した白餡きんつばの薄皮まんじゅう」としている。月寒あんぱんと比べると、こちらが少し先で、原材料はほぼ同じ。
 表面は月餅風ではなくしわしわ
月寒あんぱんよりもあっさりして食べやすかった。
津軽では有名だそうだけど、知らなかった。次回は黒あんをぜひ。
【2020年5月20日追記】その後、2020年4月いっぱいで「川口あんぱん」が閉店してしまった。
陸奥新報の報道によれば「同社は1713(正徳3)年創業とされ、当初は主に米や雑貨を取り扱っていたという。看板商品のあんぱんは1880(明治13)年から製造を始めた。」。
北海道産小豆の高騰、消費税10%化による材料費のかかり増し、そして新型コロナウイルス感染症による経済停滞が理由とのこと。(以上追記)



最後に、イトーヨーカドー地下食品売り場で売っていた、青森産の乳製品で初めて知ったブランド。
萩原乳業よりも高価格志向。
斗南丘(となみがおか)牧場ののむヨーグルト 150ml 173円
下北半島のむつ市田名部にある牧場。りんご果汁入りのむヨーグルトなども製造している。
※余談だけど、「飲むヨーグルト」って大手を含むほとんど(すべて?)のメーカーが「“のむ”ヨーグルト」と「飲む」をひらがな書きしている。何か理由があるのだろうか?

※次の津軽の記事はこちら
※イトーヨーカドーに関してはこちら
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バス忘備録

2015-06-24 23:58:36 | 秋田のいろいろ
大した話題じゃありません。秋田県のバスに関する備忘録。

●秋北バス社長
24日付秋田魁新報経済面によれば、大館市に本社がある「秋北(しゅうほく)バス」の社長が23日付で交代することが、23日の秋北バスグループの株主総会・取締役会で決まった。
太田吉信氏(65)が退任、常務だった小畑保彦氏(48)が昇格。

小畑氏は大館市出身で1989年に秋北バス入社、2014年から常務。
他のグループ各社すべてにも小畑氏の名前が出ていて、「秋北観光」と「秋北航空サービス」の社長、「秋北タクシー」の非常勤取締役を兼務。太田氏の名前は一切なく、潔く退いたということか。

大館市の前市長やかつての秋田県知事も小畑さん(この2人は親戚)だけど、関係がある方なのだろうか?


一方、中央交通では、70歳を過ぎた人がずっと社長をしていて、その子息が役員(兼・子会社の社長)をしているから、ゆくゆくは本体の社長に就くのだろう。
高齢の経営者や世襲が悪いとは限らないが、秋北バスのほうが風通しが良さそう。
※その後、2016年に行われた中央交通の社長交代はこのようになった。


秋北バスといえば、同社のほか、青森の十和田観光電鉄、岩手の岩手県交通の3社は国際興業グループに属していた。※以前の記事
それら(もしくはその一部)が国際興業グループを離脱したという話を聞いていたが、正確な情報が分からなかった。
調べてみても公式な情報はなかったが、やはりそのようだ。
2013年に3社揃って「国際興業東北株式会社」という地元資本の企業に属し、その時点で国際興業傘下ではなくなったらしい。
3社側に起因する事情ではなく、親である国際興業側の経営不振・経営再建の一環の事情によるもので、山梨交通なども離脱している。(花巻温泉やホテル鹿角、北海道いすゞなどは残留)
だから、ケンカ別れではなく、間接的な関係は良好に続いている(【25日追記】かつ北東北3社は引き続きグループ内)のだと思われる。そのため、各社の塗装が従来のままだったりして表向きには変化が見えないようだ。
ただし、いすゞ以外のメーカー製や国際興業以外の中古車の導入が増えたり、岩手県交通では車体の社名表記の書体が違った車両も見かけた。今後、少しずつ変わっていくのかもしれない。【29日追記】秋北バスでは、国際興業共通塗装ではなく、かつてのオリジナル塗装で導入される路線用中古車が増えているとか。



●女性運転士に密着
5月23日放送の秋田朝日放送「サタナビっ!」のコーナー「密着仕事人」で、「バスの運転士」が取り上げられた。
女性運転士に司会のZEN氏が密着ということで、中央交通かと思いきや、羽後交通本荘営業所。
秋田県内初のバスの女性運転士だった人が、現在も所属している。

この方は、約30年前にバスガイドとして入社、1995年に運転士に転身。
車の運転が好きで、バスガイド時代に同僚の運転士に「大型免許を取ろうと思っている」と話したところ、「どうせなら2種免許にしたら」と勧められ、さらに大型2種免許取得後「ドライバーに転職しようと思っている」と話したら、「だったらうちの会社で職種変更したら」と勧められて、現在に至るという。

サタナビっ!によれば、羽後交通本荘営業所には運転士52名、路線車両50台が所属しているという。なんか人員と車両のバランスがおかしいような…
また、現在、秋田県内には女性の路線バス運転士が7名いるという。(秋北バスに少なくとも1名、中央交通に複数名)

羽後交通の運転士さんは、「1度きりの客もいる。乗って良かったと思われる応対を心がけている」とおっしゃっていた。

【28日追記】羽後交通では25日に齋藤善一氏が代表取締役に再任された。

※中央交通の女性運転士についてはこの記事後半参照
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天ノ袋橋

2015-06-23 22:51:48 | 
先日の秋田市北部の新城川の流路付け替え工事の現地(飯島字天ノ袋地内)で、旧流路に架かる橋のことをちょっとだけ触れて終わっていた。
今回は久々に「橋」カテゴリーにして、その続き。

天ノ袋集落内の大きな木や家が並ぶ農村の道の1つが、新城川に突き当たると、前回の記事最後のような風景になる。
そこには橋が架かっている。

その先は無舗装の砂利道で建物はまったくない。畑があって、さらに先に田んぼや横山金足線の築堤が横たわる。

この橋こそが、小字名を名乗る「天ノ袋橋」である。
にしては、簡素というか貧相というか何というか…
路面は錆びた鉄板が敷き詰められ、その隙間からは草が生えている。高欄(欄干)は鉄パイプ。

集落側の橋のたもとに「2.0t」の重量制限の道路標識とともに、大きな「通行注意」の看板が設置されていた。
標識・看板とも線状の反射材が使われているから、比較的最近のものだろう。橋本体よりもずーっと立派。

秋田市建設部 道路維持課による看板の文面は衝撃的。

「橋が老朽化しているため大きな地震や台風・大雨などの直後は通行をひかえるようお願いします。」
なんともスリリングな看板。これを読んでしまったら、たいていの人は渡る意欲(?)が失せるだろう。
一休さんは「このはし渡るべからず」とある橋を「はし(端)じゃなく真ん中を渡れば大丈夫」と言って渡ったけれど、これを見せられたら、どうするだろう…
Googleのストリートビューもこの橋のたもとで終わっており、撮影車は引き返したようだ。
「“直後”は通行をひかえるよう」というのは、市が見回りして安全確認を済ませるまではという意味なんでしょう。

こんな橋だし、向こうは砂利道で、私有地かのようだが、看板からすれば市が管理する公道なんだ。
訪問時は「大きな地震や台風・大雨などの直後」ではないし、歩くなら大丈夫だろうと、恐る恐る(極力静かにかつ大股で)渡ってみた。別段グラグラするとか床が抜けそうとか、具体的な危険は感じなかった。
天ノ袋橋から下流側。右岸が集落、見えないが左岸すぐ奥が横金線

川面。この時点では、まだかろうじて川として機能していた

上流側
橋の上流側はすぐカーブしているが、そこは新旧流路の分岐点。新しく架けられた上飯島橋がちょっとだけ見えるが、上飯島橋側から天ノ袋橋は見えないでしょう。簡素すぎて。

左岸側から集落を振り返る
左岸側には標識や看板はない。
道路はこのままあぜ道と一体化してしまうか、横金線もしくは新流路に突き当たって終わるようで、こちら側から新規に渡る人はいないのだろう。(横金線ができる前は、その先の下新城笠岡方向の田んぼへ続いていたはず)

ということで、この橋を利用する人は、集落から田畑へ行き来する人だけだと考えられる。
飯島字天ノ袋は、集落がある旧流路の右岸(河口に向かって右)、川の西側だけ。
川の対岸は、田んぼを中心とした農地が広がり(今は横山金足線が貫く)、はるか先に下新城笠岡の集落があるわけだが、横金線の向こう側も飯島がしばらく続き、「彼岸田(ひがんでん)」という小字。大部分が農地と道路で、住人はゼロのはず。
田んぼの所在地が飯島であるからには、田んぼの所有者も飯島の人たちだろう。
彼岸田の由来は不明だが、おそらく、天ノ袋集落から見て「川の対岸にある田んぼ」→「彼の岸の田」→彼岸田となったのかもしれない(思いつきの推測です)。
天ノ袋集落南側の「蓬田橋」は、駅や学校や飯島地区中心部などの行き来に便利だが田んぼへは遠回り。そのために北側に天ノ袋橋があるのだろう。

横山金足線の道路からも、一瞬だけ天ノ袋橋が見える。
土崎方面から北進してきて、消防飯島出張所を右に見て彼岸田に入ると、横金線と旧流路がちょっとだけ並走する。
左が新城川旧流路(奥が上流)。道路は奥が金足方面
すぐに道路と川が離れた所で、
この通り


ところで、天ノ袋橋には、竣工年はおろかその名前を記した銘板すらない。
参考になった資料が、秋田市の2010年度の包括外部監査。その中で、橋の維持管理が取り上げられており、判明した。
※話がそれるけれど2010年7月10日の豪雨で、新城川の「中二号橋(1968年竣工。17メートル)」が崩落したという。知らなかった。(2008年の秋田市南部の本田橋の腐食による通行止めもあったな。現在は架け替え済み)

秋田市では、2009年度に「橋りょう点検」を行い、1970年以前にできた35の橋の所見をまとめていた。(秋田市管理の橋は730橋。うち180橋が長さ15メートル以上)
その中で、ダントツに古いのが太平八田にある「八田三号橋」で、なんと昭和10年の架橋。ただし、これは今は川でなくなった陸地に架かっている(川の跡は埋められており、道路の一部と化している)らしく、定期的な点検と補修で対応できるとしている。

その次に古いのが、この天ノ袋橋。
昭和30(1955)年にできたそうで、今年で還暦。1955年は南秋田郡飯島村が秋田市に編入された翌年に当たる。
「主桁にH型鋼、床版に覆工板が使用された仮橋である。下部工(橋脚)もH型鋼を組み合わせたラーメン構造体である。」
えっ? 「仮橋」!! たしかに見た目は仮橋同然。
「全体的に腐食の状態が著しく(略)腐食の進行状態によっては落橋する恐れもあり」

点検結果では8つの橋が「緊急対策が必要」と指摘されている。柵の取り換えとか部分的補修も含まれているが、天ノ袋橋ともう1つの橋で必要とされる対策は「橋りょう架け替え」。
天ノ袋橋はそんなに危険な橋なのか。


もう1つの架け替えが必要と指摘されている橋は、以前紹介した「下面影橋」。外部監査の資料では「しもおもかげ橋」とひらがな表記の箇所も混在している。(現地は漢字表記だったよ)
下面影橋には竣工年の銘板はなかったが、1970(昭和45)年の木橋であることが分かった。ちなみに重量制限は4.0トン。【2020年3月31日追記・台帳上はひらがな名になっているのだそう。その他詳細は、以前の記事の追記参照】

外部監査では「対策が必要なことが分かっているのに何もされていない。特に下面影橋は緊急な対策が求められる」といった意見が述べられているが、同じように緊急に対策が必要と思われる天ノ袋橋のことは、あんまり触れていない。それだけ利用者が限定されているということか。

ちなみに、下面影橋は架け替えではないものの、補修工事が今年度行われるそうだ。
事実上、「秋田市でいちばん古く、いちばん危険な橋」である天ノ袋橋。下の旧流路が埋められるのだとすれば、架け替えても無駄になる。このまままだ使うつもりなんだろうか。
冬に大雪が積もっても除雪はしないだろうし、雪の重さで崩落なんてことにならないといいけど。
国土地理院「地理院地図」に加筆。地図上では天ノ袋橋も立派な橋
【27日追記】天ノ袋橋周辺を含む旧流路の岸には「土がけ」を示す地図記号が引かれている。太平川の桜並木のところも同じ記号だが、旭川(川反~太平川合流点)では見られず、「擁壁」の記号。雄物川では堤防の通路に土がけと似た「土堤」の記号。

【24日追記】以前記事にした尾張大橋伊勢大橋のように、昭和1ケタに架橋した幹線道路の長大な橋が、今なお現役のケースもある。土地の気候(雪がない)と適切な管理の結果であろう。
秋田市でも、日頃の管理体制を改善して長持ちさせる方針に変わりつつあるようだが、このように既にボロくなってしまった橋が多数存在するのが事情である。

新城川付け替え工事の続き(下新城笠岡側)はこちら。【24日訂正・本記事中、「下新城笠岡」を「“上”新城笠岡」としていた箇所が複数あったので訂正しました】
※2017年5月時点で、天ノ袋橋には特に変化なし2019年春でも変わらず
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナット昆布

2015-06-22 23:19:49 | 津軽のいろいろ
※津軽の前回の記事
笑っていいともの思い出の中でも触れたように、青森に住んでいた頃に印象に残ったローカルテレビコマーシャルの1つが「おさきんのナット昆布」。
ローカルタレントで民謡歌手の黒石八郎さんが「湯っこでも水っこでも2~3分」「おさきんのナット昆布っ!」と言う(「うめどー」とも言っていたっけ?)程度だけど、なんとなくインパクトがあった。

CM内容と映像からすれば、水で戻すと納豆のように粘りが出る乾燥昆布であることは理解できたが、食べる機会は(おそらく)ないままに終わってしまった。※「ナット」は粘ることからの連想で、食品の納豆が使われているわけではない。

「おさきん」はたしか津軽地方沿岸部(日本海側のことを青森では「西海岸」と称する)の企業の製品だったはず。
調べると、ブランドでなく企業名が「株式会社おさきん」。つがる市木造町にあり、すじこ・たらこ、鮭、津軽漬「めでた漬」なども扱う。社長は小山内金弥さんという方で略すと「おさきん」だが、若くて社長就任は最近のよう。おそらく先代以前から名前に「金」を入れる“通し名”なんだろう。※小山内(おさない)姓は青森に多い。



先日やっと初めて購入。
おさきんのナット昆布
イトーヨーカドーで4グラム×5包入りで200円ほど。賞味期限はおそらく1年間。
見づらいけれど、パッケージには「だしもよくでる」「よくねばる」、そして「南極越冬食品」と「親子ペンギン(の絵)」。
唐突に南極が出てきて理解しづらいかもしれないが(そういえばこの点もCMで触れていたかも)、裏面に解説があり、
裏面の一部
「きびしいテストに合格し南極越冬隊食品として採用されております」。

裏面の大部分を割いて、「美味しい召上り方」が独特の言い回しで記載されている。
基本は、
「少量を小皿にとり同量の温水(又は水)を加えて下さい。2~3分置きますと水を吸収してふっくりとしたナット昆布が出来上ります。」
八郎さんがCMで言っていた通り。

食べ方は3項目あり、
「素晴らしいお汁の実です。箸でつまんでおわんの中へ。」
「ふくらんだナット昆布に生醤油を加えかきまわして下さい。ご飯にのせてやれば子供さんは大喜び。」
醤油を加えて茹で野菜・山菜にかけると、「ワラビ、ゼンマイ、ホウレン草ナット昆布は皆んなと握手。皆んな つるつる うゝん うまい」
昔から変わらないパッケージなのでしょう。
【2020年5月20日追記】裏面の文言のフォントは、平成角ゴシック体が使われている。ということは、平成に入ってから作られた(作り直された)ことになる。

中身
個包装は、薬包紙で包まれた粉薬のよう。こちらにも親子ペンギン。

原材料名欄は「昆布(青森・北海道産)」のみ。
乾燥状態 水で戻した後
数ミリ程度に砕いた乾燥昆布だ。「たたき昆布」っていう感じか。

食感は予想通りだったけど、形状は予想とはちょっと違った。細長い線状(棒状)の昆布だと思っていたが、粒状だった。
だからこそコンパクトで、越冬隊にも採用されたのかな?

青森の家庭では、ナメコや菊の花と和えるほか、津軽漬に入る昆布は棒状のものが多いかと思うが、ナット昆布を使う場合もあるらしい。

秋田でも昆布は好まれ、なぜか内陸部の横手近辺でとろろ昆布・おぼろ昆布の加工が盛んだが、こういうタイプはないと思う。
秋田では海藻のアカモクを「ギバサ」と呼んで好んで食べる。(青森では食べない?)それとちょっと似ているから、昆布はそうやっては食べないのかも。粘りはギバサのほうが強いと思う。
秋田ではネバネバ食品(納豆、ナメコ、オクラ、ナガイモ、ギバサなど)も好まれるから、ナット昆布も売れば売れそう。保存も効くし。


念願のナット昆布を食べられたけど、あのCMは今も流れているのだろうか。
イトーヨーカドーでは、八戸方面の乾燥ふのりなども売られていた。ちょっとしたお土産に良さそう。※続きはこちら
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2つの昼顔

2015-06-21 23:03:02 | 動物・植物
東北地方北部は平年日の6月14日を1週間過ぎても、まだ梅雨入りしない。たまに雨は降るもののおおむね晴天の暑い日が続いている。
そんな中、植物は季節を追って花を咲かせていて、秋田市ではタチアオイやアジサイなどとともにヒルガオが咲いてきた。

今回は、そのヒルガオのお話。※前回の記事と同じくドラマのタイトル(昨年の「昼顔」)じゃありません。
まず、一般の人のヒルガオという植物の認知度はどの程度なんだろうか?
雑草として目にする機会は少なくないはずだが、特に花はアサガオ(同科別属)とよく似ているため、混同している人もいそうだ。
大雑把に言うと、花色はピンクだけで、昼になっても花が咲いているのがヒルガオ。(ただし、西洋アサガオのピンク系の可能性もなくはない)
ちなみに、ユウガオはカンピョウの原料になるウリ科植物。アサガオ、ヒルガオ、ヨルガオはヒルガオ科。

実は、日本で広く見られるヒルガオには「ヒルガオ」と「ハマヒルガオ」の2種が存在する。
砂浜など海辺の環境に適応した植物には、「ハマ(浜)~」という標準和名が与えられ、分類学的にも近縁であることがある。ハマナデシコ、ハマヨモギなどは、ハマが付かないナデシコやヨモギが海辺の環境(乾燥や塩)に適応した種と考えることができよう。ハマヒルガオとヒルガオも同様。


さて、秋田市内で咲くヒルガオ。※以前の記事
浜辺では、ハマヒルガオオンリーであろう。砂地で塩分が多い厳しい環境では、ヒルガオは生育できないはずだし、だからこそ、ハマヒルガオが分化したはずだから。

では、秋田市中央部。テニスコートのネットにからまるヒルガオ。
 
アサガオとよく似ていて見間違うけれど、これが「ヒルガオ」。葉がアサガオよりも細長い(厚さはやや薄いか?)。
一年草であるアサガオと異なり冬を越して生長し続ける多年草(宿根草)。種よりも地下茎で増え、畑の雑草として嫌われる。
別名は「畑アサガオ」「雨降り花」などだそうだけど、「雨降り花」の由来はなんだろう?


そして、
道端の街路樹の根元に広がって咲く
上のヒルガオより花色が濃く、咲き始める時期がやや早い。
生育条件が良いだけかもしれないが、上のヒルガオより心持ち花が大きい
何よりも葉が違う。丸くて、緑色が濃くて、テカテカしている。
そう。これが「ハマヒルガオ」。こちらも多年草で、世界中の海辺で見られる。
図鑑によってはハマヒルガオが浜辺だけに分布するとしているものもあるが、実際には少なくとも日本では内陸部の湖畔・河畔などにも生育するそうだ。

アサガオやヒルガオと同じく、ハマヒルガオも物にツルを巻きつけることはできるが、それよりも地面をはうことのほうが得意そう。
浜辺の環境では巻きつく物がないのは当然だけど、街中でも、
フェンスがあるのにあまり巻き付かず、こちら側にはって来ている
この性質のおかげで、巻きつく物がない空き地などではかえって有利なのかもしれない。さらに、地面一面に濃い緑の葉と濃いピンクの花が広がっていることがあり、見る分にはきれい。

秋田市中央部では、ヒルガオよりハマヒルガオのほうが多く分布している印象がある。おそらく過半数を占めている。
僕は街中でハマヒルガオを見ても違和感がないので、昔からハマヒルガオを見慣れている=昔から生育していたのだと思う。


街中に咲くハマヒルガオ
往年のヒットドラマ「君の名は」の主題歌(作詞:菊田一夫。1991年版では歌:石川さゆり)で「♪今日砂山にただひとり来て 浜昼顔にきいてみる」とあるように、それなりに認知されている種名だとは思うけれど、まさか街中にハマヒルガオがあるもんかと思われるのか、これがそのハマヒルガオだとは思いもしない人が多いことだろう。
ハマヒルガオは、本来の生育地である海辺では、外来種のコマツヨイグサと競合して押され気味だという。ハマヒルガオの新たな居場所が、空き地が増えた街中なのかもしれない。

秋田市内でも山間部や農村部では、ヒルガオのほうが優勢なのかもしれないし、他の町ではどうなっているでしょうか。

※アサガオは日が短くなるとつぼみ(花芽)ができる短日植物(仕組みとしては暗い時間に反応するのでほんとうは“長夜植物”)。一方、ヒルガオやハマヒルガオは今、既に咲いているということは、明暗の感受性が鈍感なのか、関係ないのか、アサガオとは花芽形成のメカニズムが多少違うのだろう。

【2015年7月31日追記】その後、梅雨末期になるとハマヒルガオの花は見なくなり(葉は引き続き茂っている)、ヒルガオの花を6月よりもよく見るようになった。両種で花の時期がずれているようだ。(それでも、分布としてはハマヒルガオのほうが多い)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まれ と マレ

2015-06-18 23:15:10 | 秋田のいろいろ
「まれ」の話ですが、NHKの連続テレビ小説ではありません。
秋田市内の住宅街にある、細い道が交わる十字路。
「止まれ」
赤い三角形の道路標識と、白線による路面標示(正しくは「道路標示」かな)で「止まれ」とある。
この反対側というか向かい側は、
 
「止まれ」じゃなく「止マレ」。
向かい合う標示の送り仮名が、ひらがなの「まれ」とカタカナの「マレ」で異なるとは、これいかに?

三角の標識では「止まれ」とひらがな表示であるのと同じく、路面標示も「止まれ」が正当なようだ。
その文字は、標準的な書体(書き方)が定められているが、都道府県によって異なる場合もある。秋田県では標準タイプを採用しているようだ。
3文字の中央の縦棒が一直線に揃う
例えば愛知県などでは「ま」の丸い部分が丸っこかったり、「れ」の縦棒が左に寄っていたりといった差異があるらしい。和歌山県では「とまれ」とオールひらがなだそうだ。

「止まれ」であるべきの秋田県内の道路において、「止マレ」表記なのは、次のような理由が考えられる。
・公道ではなく、私道・私有地である
→狭い道ではあるが、れっきとした秋田市道であるはずだから、これは違う。
・物理的な理由で「まれ」を施工できないが「マレ」ならできる
→文字がギリギリ収まるくらいのとても狭い道幅ではあるのだが、できなくはないでしょう。
・「止まれ」が原則になる以前の大昔の標示が残っている
→昔は「止マレ」が標準だったかどうかは知らないけれど。でも、昔のものにしては鮮やかすぎる。よく見ると、
「止マレ」にチョークが引かれている
【19日追記】「止まれ」と「止マレ」で「止」の文字のバランス(縦画の位置)が違っている。
線を引く時に下書きしたチョークの線が残っているのだ。極めて最近に書かれたばかりの「止マレ」ということになる。

さらに、「止マレ」だけでなく「止まれ」側にもチョークが残っているし、どちらも舗装のアスファルトもまだ新しそう。
つまり、「止まれ」も「止マレ」もおそらくいっしょに、最近書かれたものだと考えられる。

アスファルトが新しいということは、単に標示が古くなった(薄れた)から警察の発注で書き直したのではなく、上下水道やガス、もしくは道路そのものの工事によって舗装をはがしたため標示も消えてしまい、原状復帰のために書き直された「止まれ」と「止マレ」であろう。

Googleストリートビューより。かなり薄れた「止マレ」
再舗装前に撮影されたストリートビューでこの場所を見てみると、現在と同じく「止まれ」と「止マレ」であった。

ということで、ひっそりと残っていた「止マレ」が、再舗装時にくっきりと復活してしまったのだと思われる。
たしかにこれで原状復帰なんだろうし標示の意味は通じるけれど、現行の決まりとは異なるものでもある。施工業者は気にならなかったのだろうか。「路面標示施工技能士」という国家資格があるそうだけど、標準ではない「マレ」をデザインして書くのは、難しかったかもしれない(直線だから「まれ」よりは楽?)。
道路工事の手続きで警察署に出向くだろうから、「止まれ」に変えることを提案することもできただろうに。余計なことをしたくないのか、それとも貴重な「止マレ」を生き残らせたかったのか。
【19日追記】「止」の文字のバランス(縦画の位置)が違うのも、従前の文字を忠実に再現したということだろうか。

それにしても「止マレ」側は狭い道だ
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

工藤パン2015.4

2015-06-17 23:12:10 | ランチパック
4月末の工藤パン製品から。
最初は花見向け和菓子。※秋田のたけやのはこの記事後半
今年の工藤パンでは「柏だんご」なるものや「笹餅」も出ていたようだけど店頭では見かけず、イトーヨーカドーにあったのがこれ。
三色だんご・よもぎ大福詰合わせ 税込み203円
「春らんまん」シールを貼った2種×2個のセット。

だんごは標準的な花見団子。3色とも味は同じであんこなし。ぷるん&つるんとしておいしい。

もう1種は裏面の表示では「よもぎ大福」となっているけれど、大福とは少々違う。形が平べったくないし、粉をまぶしてないし、原料はうるち米から作る上新粉(大福はもち米でしょ?)だし。「草餅」と呼ぶべきじゃないだろうか。
草餅
中はつぶあん。
ちゃんとヨモギの味もして、かなり本格的。
秋田市の菓子店「勝月」によく似た商品があるのだけど、それに引けをとらないかも。


工藤パンでは、昨年辺りに定番商品のリニューアルを実施したようで、フレッシュランチツナサラダなどのパッケージと中身(栄養成分表示に変動あり)が変わった。
昨年10月に変わったことを発見した、クリームパンを食べた。
 再掲)以前の工藤パンクリームパン

 今回のクリームパン
パッケージ、中身の形状、さらに1個当たりの熱量も331kcalから338kcalに変わった。
味は以前のは忘れたけれど、今回のはクリームが滑らかで、ヤマザキブランドのものにより似ておいしくなった気がした。(以前のはヤマザキとは明らかに違う味だったはず?)


定番化した「イギリスフレンチトースト」の4月発売商品。
イギリスフレンチトースト たまご 289kcal
中身はランチパック(フレッシュランチ)でおなじみのたまごフィリング(「卵サラダ」と表示)。

中も外も卵づくしの商品だけど、おいしかった。このシリーズは外れがないのかも。


同じく4月発売。
 2色パン ツナ&タマゴ 327kcal
これもランチパックのフィリングを流用したのか? たけやでも同コンセプトの商品が出ていたはず。


昨年辺り、パン生地に工夫をして日持ちするパンがちょっとしたブームになった。たけや製パンでは未発売だが、工藤パンでは昨年10月から「ロングライフ(LL)製品」として数種類を発売。
しかし、スーパーではまったく置いていない店や、あっても一部だけの店が多い。
さすがにデイリーヤマザキでは何種類も売っていて、いちばん工藤パンらしいものを購入。
アップルスティックパイ 税込み162円
賞味期限までは10日くらい。
洋菓子扱いで、原材料欄では小麦粉より「りんごシラップ漬け」が先に記載されている。リンゴは「ふじ」で、もちろん青森県産。
 
紅玉でなくふじだからか酸っぱくなくてシナモンも入っておらず、万人受けしそうな味。手軽な青森土産にできそう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

訂正・花時計からのたより

2015-06-16 23:45:46 | 秋田のいろいろ
過去の記事の訂正です。
2012年の記事において、秋田市役所が作って秋田テレビで放映していた市制広報テレビ番組「花時計からのたより」のことを取り上げた。
そのオープニング曲を、「愛のオルゴール」としていたがそれは誤りだった。

ACB秋田コミュニティー放送の「さにさたの、ぶろぐ」の6月9日付の記事で触れられていて、その事実を知った。
正しくは「ほほえみのバネッサ」という曲だそうで、聴いてみると、間違いなくそれだ。
2分半ほどの曲で、冒頭から20秒経過した付近から15秒間ほどが、「花時計からのたより」のオープニングで使用されていたと思われる。


たしかに、「愛のオルゴール」を聴いても、花時計からのたよりとまったく同一のフレーズは確認できず、テンポや音の高さなど雰囲気が少し違う気はしていた。
でも、それはアレンジや演奏者や楽器の違いにより生じるものであると思い込んでしまっていて、別の曲だとは思いもしなかった。
たまたま「愛のオルゴール」の曲と曲名を先に知り、「花時計からのたよりの曲はこれだったのか!」と決めつけてしまっていた。

自分の音楽の知識とセンスがないことを棚に上げて申し訳ないけれど、この2つの曲は共通点が多いと思う。使われている楽器、全体的な雰囲気、何よりもメロディが。
聴き比べてみれば、「ほほえみのバネッサ」のほうがややテンポが速く、少しだけより軽快な印象を受ける。
歌詞が付いているとか、譜面で見る(それを読解できる能力があれば)と、違いが分かるのだろうけど。

2つの曲のデータ。
邦題:愛のオルゴール
原題:Music Box Dancer
作曲者:フランク・ミルズ(Frank Mills) カナダのピアニスト
発表年:1974年(1979年に世界的ヒットし、日本語の歌詞が付いた歌も存在)

邦題:ほほえみのバネッサ
原題:Les Premiers Sourires De Vanessa
作曲者:リチャード・クレイダーマン(Richard Clayderman) フランスのピアニスト
発表年:1981年

リチャード・クレイダーマンも日本でも著名なピアニストであり、1981年には「愛のコンチェルト」という曲がCMで使われて流行ったという。
それと比べても、また「愛のオルゴール」と比べても、「ほほえみのバネッサ」はマイナーなようだけど、どうして「花時計からのたより」の主題歌として選ばれたのだろうか。

それにしても、世の中には知らないこと、紛らわしいことがたくさんあるものだと、痛感させられた。【17日追記】そして、偶然にも取り上げてくれた「さにさたの、ぶろぐ」さんと、それを見つけた運に感謝。
ここに訂正してお詫びします。



と言っておきながら、再び申し訳ないですが、よく似た曲ってけっこうある。
部分的だったり、専門的見地ではさほど似ていなかったりするのだろうけど。
思いつくものを挙げてみると… ※基本的に先に掲載したほうが先に作られた曲
○部分的にそっくり
・「早春賦」と「知床旅情」の冒頭
・「見よ勇者は帰る」(賞状贈呈の曲)と「ふじの山」(♪頭を雲の上に出し)の最後
・NHK「ひるのプレゼント(昼プレ)」のテーマと「瀬戸の花嫁」の冒頭
→昼プレを作曲した宮川泰が同番組に出演し「こっちが先だよ!」と冗談めかして言っていたのを見た記憶がある。
【2024年3月16日追記】2024年3月15日放送のBSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」で宮川泰が特集され、昼プレのテーマも紹介され、ゲストの宮川彬良と武田鉄矢が瀬戸の花嫁と似ていることに言及(海援隊のメンバー間で話題になったとか言っていた)。瀬戸の花嫁の作曲者の平尾昌晃が「番組(昼プレ)見てた可能性がある」「(昼プレの曲が) 頭に残ってた。そういうことはある」とのこと。
・「早稲田大学校歌」(♪都の西北)とNHK「連想ゲーム」のテーマの冒頭
【2020年5月2日追記】「連想ゲーム」の作曲は小森昭宏。「げんこつやまのたぬきさん」「おべんとうばこのうた」なども作曲したそうだが、医師でもあったそう。出身大学は慶應大学医学部。早稲田を意識したものではないのか?
【2023年10月6日追記】アニメ主題歌「キャンディ キャンディ」の歌い出しも、この2曲に似ている。連想ゲームは1969年放送開始(テーマ曲はいつから使われたは不明)、瀬戸の花嫁1972年、キャンディキャンディ1976年の順ではある。
・「ヤマトナデシコ七変化」と「忍たま乱太郎」エンディング「四方八方肘鉄砲」、それぞれの冒頭のコーラス(♪純情愛情過剰に異常… と♪四方六方八方手裏剣…)
作曲者はどちらも馬飼野康二。【2020年5月19日訂正】ヤマトナデシコ七変化は作曲 筒美京平、編曲 若草 恵だった。ちなみに、小泉今日子の曲で馬飼野康二が作曲・編曲したものは多く、複数回シングル化されているヤマトナデシコ七変化の一部では、カップリング曲にもなっている。

○全体的にどことなく似ている
・「愛のオルゴール」と「ほほえみのバネッサ」もここに入りそう
・「ピンクパンサーのテーマ」と「開運!なんでも鑑定団」鑑定中の曲(元はアニメのBGM)
・「君は天然色」と「ちびまる子ちゃん」オープニング「うれしい予感
→作曲者はどちらも大瀧詠一。「君は天然色」の別バージョンとして作られた曲が、14年ほど経ってから日の目を見たということらしい。
【2022年6月13日追記】同じく大瀧作品で、松田聖子の1981年のアルバムに収録されている「冬の妖精」という曲も、「君は天然色」と似ていることを知った。でも、「うれしい予感」のほうがより似ていると思う。

○そっくり
・「どこまでも行こう」と「あっぱれさんま大先生」のエンディング「記念樹
→17年ほど前にワイドショーを賑わせた事件。素人には真相は分からないけれど、昨年のゴーストライター事件よりはタチが悪いような…
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新城川・飯島側

2015-06-14 23:59:19 | 秋田の地理
先日さわりをアップしていた、秋田市北部を流れる「新城川(しんじょうがわ)」の付け替え工事の現地レポート。
※2015年4月末~5月初めの状況です。

最初に新城川について。一部、過去の記事と重複します。
流路延長19.1キロ、流域面積69.9平方キロメートル。ちなみに秋田市中央部を流れる旭川は21.8・223.0、太平川26.3・148.1。

河口側から、飯島、下新城(しもしんじょう)、上新城(かみしんじょう)の各地域を流れる。
今まで意識していなかったけれど、下新城/上新城という地名は「新城川の上流/下流」という意味のようだ。下流側では飯島地区のほぼ北端をなぞるように流れる、国道7号線付近では下新城中野を流れているかと思っていたが、そこも飯島。

新城川と交わる道路や合流する河川を、大雑把にまとめると以下の通り。
河口・県道56号~[河口から2キロ]島合川合流・国道7号・JR奥羽本線~[河口から3キロ]横金線【←飯島・下新城→】~[河口から4キロ]県道112号~[河口から6キロ]~秋田道【←下新城・上新城→】~道川合流~湯ノ里川合流~源流(白山川・小又川合流)
国土地理院の地形図によれば「白山川」と「小又川」が合流する地点で「新城川」の表記が消えている。新城川の源は山から湧いているわけではなく、2つの河川の合流点が始まりということなんだろうか。


新城川は川幅が狭かったり蛇行したりするため、氾濫しやすい。
印象としては、毎年、夏から秋にかけて、避難勧告が出たとか実際にあふれたとかニュースを見聞きする。

(国から委託されて)新城川を管理する秋田県では、氾濫させないような改修計画をかなり長期計画で進めている。
河口から島合川合流点(国道7号線)まで約2キロは1990年までに改修済み。(だけど洪水は発生していたから、効果は限定的だったことになる)
そこから上流側の改修が進められ、このほど、下新城笠岡まで約2.35キロが完成した。この後、さらに上流へ2.3キロほど進んだ秋田道付近、下新城岩城字槻ノ木までの改修が計画されているが、完成は未定。



ここからは、今回完成した区間について。
この区間は、横山金足線を境に飯島地区と下新城(笠岡)地区にほぼ区分されるが、付け替え工事もそれに対応するかのように2工区に分かれていた。全区間でまったく新しい所に付け替わったのではなく、一部は既存の川を拡幅している。
横金線の橋の架け替え工事をやりたくなかったのか、あるいはそれぞれの集落を避けて川を通した結果なのか、ほかの理由なのか。
当ブログでは、飯島側から紹介することにします。

飯島地区の国道や線路からはよく見える新城川ではあるが、その上流側はよそ者には分かりにくくて行きづらい。
国道や上飯島駅から、県道112号線の狭い道を北へ進み、今はすっかり住宅街となった飯島鼠田(いいじまねずみだ)を抜けると田んぼが見えてくる。県道から離れると左手には畑と木の奥に、
古いほうの新城川が見えた。奥が上流方向
ここは付け替えで新しい流路に移行した部分だが、この時点では古いほうにも水が流れていた。狭くてカーブが多い。
進むと家はまばらになるが途切れることはなく、
橋があった
橋の先は古くからの家が多い、農村の集落に入る。
「よもぎだはし」
漢字表記は確認しなかったが「蓬田橋」だろうか。【15日追記】1970年に架けられたもので「蓬田橋」表記で合っているようだ。
ただし、ここに「よもぎだ」という地名は現存しない。蓬田といえば添川を連想してしまう。
上流方向

カーブしながら250メートルほど集落を進むと、
また橋
これが付け替え後の新しい新城川に架かる、新しい橋である。その名は、
 「上飯島橋」
「上飯島」という地名も存在しない。
【2019年9月12日訂正】上飯島という地名は現在はないが、かつては存在していたので、以下を削除・訂正します。少なくとも橋や公民館は、かつての地名由来ということになります。またコメント欄の通り、今も地元では通用する呼称とのこと。
1912年(明治最後の年)の地形図にこの一帯が上飯島との表記がある。さらに「下飯島」の記載もあるが、現在の飯島小学校の丘のふもと~横金線の間(地名としては飯島水尻辺り)で、今のように家並みが続いてはいないので、上下でけっこう離れていた。上飯島の駅は、むしろ下飯島のほうが近いかもしれない。駅名は、昭和初めに信号場ができた時の命名かと思われるが、当時は線路付近も地名が上飯島だったのか、もしくは昔の鉄道にありがちなあまり考慮せずに命名してしまったかのどちらかだろう。
その由来は駅名だろう。対になる「下飯島」駅などはない。おそらく、当時の国鉄が勝手に命名したのではないかと思われる。国鉄では、けっこう適当な命名が見られる。
ただし、よもぎだ橋のたもとにあった集会所は「上飯島公民館」だったように、地元ではある程度受け入れられているのだろう。

それにしても、飯島地区の北端であるここは「上」より「下」(東京、秋田市中心部、もしくは飯島地区中心部に向かって)という気もしなくはない。
上流側
橋の銘板は、「上飯島橋」は達筆な行書、「かみいいじまはし」は「よもぎだはし」に似た楷書風。「新城川」と「平成17年3月竣功」は活字の楷書体(HG正楷書体?)。銘板の規格は同じなのに、書体が揃っていないのがおもしろい。

上飯島橋から下流方向。右奥が秋田火力発電所
写真では小さくて分かりにくいが、300メートルほど下流に奥羽本線と国道7号。

上飯島橋の上流方向は、
左が上流・横金線方向
橋のすぐ上流側に、新旧流路の分岐点がある。
上飯島橋の下流側は川でなかった場所にまったく新しく川を造り、上流側は既存の川を広げたことになる。

新しい新城川を見てしまうと、古い新城川は、
この狭さではあふれて当然

銘板によれば上飯島橋は2005年竣工。正式には10年経って、やっと下に川ができた。
2012年10月撮影のGoogleストリートビューでは、
田んぼの中に橋が“架かって”いる。右に少し見える水が拡幅前の新城川上流方向


上流側から見た上飯島橋。橋の手前左が旧流路
上飯島橋の上流200メートルほどのところに、横山金足線の橋が架かる。


このように、以前の流路では「ひ」の字のような形状で1.5キロほどかかっていた区間が、新流路では500メートルほどに短縮された。
よもぎだ橋と上飯島橋の間の集落は、旧流路と新流路で挟まれて島状になった。
この集落(正確には上飯島橋の先にも少々続く)の名は「飯島字天ノ袋(てんのふくろ)」。
東京の池袋なども同じそうだが、地名の「袋」は湿地や水に囲まれた土地を意味するそうだ。
天ノ袋など、旧流路の形状からして「袋」状で、きっとこれが由来なんだろう。
【2019年9月12日追記】いただいたコメントによれば、かつては天ノ袋が土崎港まつりの山車の出発地だったとのこと。


天ノ袋集落に架かる橋は、よもぎだ橋、上飯島橋のほかに、もう1つあった。
その名も「天ノ袋橋」。
この先なのですが…
なんて言うか、ものすごく個性的というか特徴的というか、そういう橋なのでした。
「橋」カテゴリーで続きます

飯島地区新旧流路が共存しているGoogleマップより。赤が新流路

【11月5日追記】2015年11月初め現在、天ノ袋周辺の新城川は、この時とほとんど変わっていない。旧流路にも水が流れている。
また、横山金足線に架かる橋は「飯島大橋」という名称だった。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩原牛乳・甘口赤飯

2015-06-11 21:28:44 | 津軽のいろいろ
4月末の青森の話題(前回の記事)は、食べ物関係に移ります。今回は青森ではメジャーだと思われる2つ。

日本各地には、地元産の生乳を使って地元で販売する「ご当地牛乳」がいろいろある。
秋田の地元メーカーは、高級価格帯の商品を少量流通させるところが多く、良いのか悪いのか県外大手メーカーと棲み分けがなされている。
一方、三重の大内山牛乳など、場所によっては大手メーカーと競合する庶民的な価格の製品を大量に流通させ、地域内では大手と肩を並べるシェアを誇るものもある。

青森県では、後者のメーカーが存在する。
その名前は…、おぎ?、はぎ? わら…??
弘前にいた頃から、存在は知っていて、たまに買って飲んだこともあったが、失礼なことに名前がうろ覚えだった。

正しくは、「萩原乳業」。
「はぎわら」です。「荻原乳業」じゃないし、企業名としては「萩原“牛乳”」でもありません。

青森県内で酪農が盛んなのは十和田とか県の東側というイメージがあるから、萩原乳業は八戸とかせいぜい青森市とか、そっちのほうのメーカーだと思い込んでいた。
しかし、本社はなんと弘前市内。大久保西田という、撫牛子駅と国道7号線の間辺りにあり、土手町にはカフェ形式のアンテナショップもある。
まったく思い込みは恐ろしい。

【7月21日追記】7月21日の東奥日報サイトより。
2015年2月1日現在の農林水産省「畜産統計」によれば、青森県の「乳用牛の飼養頭数は1万1600頭、飼養戸数(酪農家戸数)は219戸で、それぞれ前年に比べ900頭、7戸ずつ減」。「20年前の1995年に比べると、頭数は半減、戸数は6割減った」。
ちなみに2013年の数値では、青森県が12900頭(都道府県別で19位)、秋田県は5810頭(31位)。秋田は酪農そのものが小規模で、乳業メーカーも小さいということもありそうだ。(以上追記)


弘前では、イトーヨーカドー弘前店をはじめ、多くのスーパーで売られているし、かつては弘前大学の学内に自動販売機が設置されていた(今は撤去?)。
学校給食でも出され、ホームページによれば「青森県内の小中学校約400校(2015年3月末現在)」で採用されているとのこと。

そんなわけで、萩原乳業は弘前・津軽の地元企業であり、県外資本の大手メーカーの工場が青森県内から撤退した現在では県内最大手の乳業メーカーだそうだ。


同社でいちばん一般的な「普通の牛乳」が「青森県産 萩原牛乳」。
200、500、1000ml入り紙パックで、給食やスーパーでもよく見かけるタイプ。
そのパッケージが、今年4月から変わったそうだ。
青森県産 萩原牛乳 200ml・イトーヨーカドーで95円
※イトーヨーカドーでは、セブンプレミアムと明治・森永(両おいしい牛乳)の中間くらいの価格帯。ヨーカドーでは、北海道の「よつ葉乳業」製品もよく扱っているのは、地理的なもの?

なるほど。たしかに昔から見慣れた萩原牛乳とは、ちょっと違うような…
3月26日付プレスリリースでは「今回のパッケージリニューアルでは、おなじみの緑と黒の基本色はそのままに、「青森県産萩原牛乳」のロゴを変更しました。また、緑の「雲」のイラストを追加し、牧場と乳牛の新鮮なイメージを広げました。 」とある。
そうそう、昔は全体に白っぽくて、緑はちょっとだけだったな。ロゴはどんなだったっけ?

我ながら物持ちが良く、旧パッケージを奇跡的に保存していた。2008年2月のもの。
これが旧・萩原牛乳!
そうか。昔は筆文字だった。
新しいロゴはちょっぴりレトロな書体で悪くないと思う。【12日追記・これが社名(萩原“乳業”)の本来の書体なんだろう。大学にあった自販機の横書きロゴが、赤文字のこれだったと思う】
旧パッケージではあった青森の地図がなくなったのは、少々惜しい気もする。


新パッケージ側面には、
「ミルキング」
萩原乳業のイメージキャラクターで、ミルキングパッケージの200ml紙パックもあるそうだ。

新旧パッケージで、バーコードや品質表示類は同一。唯一、栄養成分表示のエネルギーだけが、旧パッケージで129kcal、新で128kcalとわずかに異なる。

萩原乳業製品は、青森県内と秋田県北だけで流通しているとのこと。常温保存できるロングライフパック製品などもなさそうで、現地でないと買えないし飲めない。

その後、秋田で入手することができた
さらに意外な場所でも提供されていた



もう1つは、甘い赤飯。
秋田も含めて全国に散発的に赤飯が甘い地域が存在するが、青森は甘い「甘口赤飯」がメジャーな存在で、スーパーの惣菜もそうだった。
そして、全国展開するコンビニのローソンの「おにぎり屋」でさえ、青森向けには甘い赤飯を別に製造販売していた。

ちょうど訪れた時も、ローソンで「十勝小豆使用 赤飯おこわ」が発売されていた。
ホームページには「旭川、函館、青森は仕様が異なります。」と注記があった。(以前は旭川は入っていなかった)
ローソンホームページより。税込み129円

弘前のローソンで買ってみたら、
赤飯おこわ(甘口) 234kcal
パッケージは共通だが、商品名が異なり「甘口」の文字も入る。「十勝小豆使用」とは書いていない。価格はちょっと安くて123円。
レシート
レシートでは「トカチアズキシヨウセキハン(アマクチ)」と、十勝小豆と甘口が両方記載されている。

原材料名は「小豆入り赤飯 黒ごま pH調整剤…」で砂糖っぽいものははっきりとは掲載されていない。
青森市三内丸山の「フレッシュダイナー青森工場」製。フレッシュダイナーは、千葉県船橋、山形県天童、秋田県潟上市と青森に工場がある。

味は、以前食べたスーパー「ユニバース」の惣菜と同じような、ほんのりとした甘さ。
甘さ控えめのぼたもち・おはぎのような感じがして、好き。
ネット上の情報によれば、甘い赤飯を扱っているという理由でローソンを選んで訪れるおばあさんがいたそうで、地元のニーズに応えていることになる。
製造・輸送上の問題はあるだろうけど、秋田県や信州の一部地域で扱っても、売れると思う。


そう言えば、明日はいよいよセブン-イレブン青森県初開店。
生姜味噌おでんとか、南蛮味噌おにぎりなどが記念商品として売られるそうだけど、甘口赤飯もいつか出るでしょうか。

※2015年9月22日から再発売。商品名は「赤飯おこわ」のまま税込130円。「北海道の一部、青森県は商品仕様が異なります。」。
津軽版ではどうか知らないけれど、全国版は「従来使用の上白糖から氷砂糖を使用した製法へ変更し、よりすっきりとした甘さとすることで、小豆本来の香り・風味を引き出して」いる。

※津軽の次の記事はこちら
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六魂祭を見下ろす人?

2015-06-10 21:24:56 | 秋田の季節・風景
話題が尽きたとしていましたが、東北六魂祭関連の新たなネタ。
5月31日の秋田魁新報は、本体の外側に別の「特別紙面」1枚を挟んだ構成。【2018年8月25日補足】「ラッピング紙面」と呼ばれる手法。
特別紙面は面数(ページ)を示す箇所に数字ではなくA~Dのアルファベットが振られていた。内側であるB面とC面は見開きで、参加した各祭りの写真が並ぶ。
外側のA面とD面は、
ぶち抜きで1つの写真
会場を俯瞰した大きな写真が1枚だけという、大胆な紙面。
写真のほかは、魁の題字、六魂祭のロゴ、「復興へ 共に歩む」の見出し、写真の解説文があるだけ。

この写真について。
説明文には「30日午後4時38分、秋田市の山王大通り」などとある。
アングルは、パレード会場である山王大通りのうち、会場中央部から東方向。
撮影場所は、秋田市文化会館の上階もしくは屋上だと思われる。
かなりの望遠レンズを使って撮影しているのは確実で、望遠レンズの特性で距離感が圧縮されて遠近感が薄れてしまっているが、手前は県庁西交差点の信号機、いちばん奥に山王十字路を越えたホテルアルファイン秋田の看板の範囲が写っている。

見物客はびっしりと写り、手前の市役所付近にいる(有料観客席?)人は、なんとなく顔も判別できる(断定はできない)。よーく見れば、知っている人が1人か2人いるかも?!


さて、ツイッター上の一部において、この写真にとあるモノが写っていると話題になっていた。その場所にそれが写っているのは、常識的に考えておかしいという趣旨。
言われるまで気づかなかったが、たしかに不思議。
この範囲内なのですが、分かりますか?

見出しの「共」の右上に注目。
?!

高い所から会場を見下ろす、女性と思われる人間が1人いる。
そこには手すりなどはなく、ビルの屋上の縁のような場所にいるように見える。
いくら六魂祭を見る絶好の場所だと言っても、危険じゃないの? でなければ人間じゃない…??
ツイッターでは「すごい所に立っている」という驚きの声が多く、「心霊ではないか」という声がわずかにある。

心霊でないとして(霊にしてははっきり写りすぎている)、ほんとうに危険な場所に立っているのだろうか?
光やレンズの特性、もしくは写真の奥のほうなのでピントや圧縮効果のいたずらで、そのように見えている(例えば手すりが消えて写ったとか)だけという可能性もある。


現地で検証。
文化会館前から撮影したけれど…
地上からでは街路樹や標識類に隠れるし、そもそも300ミリ程度のレンズでは、確認できない。

そこで、謎の人物がいたと思しき付近へ。
その場所は、新聞の写真手前(=西)側から奥に向かって、
 3階建て医療機関 - 2階建て雑居ビル(政治家事務所や薬局が入る) - 3階建て報道機関
という配置。
※Googleストリートビューでは、2階建てビルが改装工事中で足場に隠れて、よく見えない状態。

くだんの人物は、3階建て医療機関よりは奥に位置する、2階くらいの高さの黒い「T」型の場所に立っているように見えた。
現場?

反対側から。左ずっと奥が撮影したと思われる文化会館
2階建てビルの正面上部は、縁取りされたように黒くなっている。
報道機関の建物は、道路側に2階建ての黒い部分がせり出した構造。
望遠レンズの圧縮効果により、2つの建物の同じ高さの黒い部分がつながってT形に見えたようだ。
それを踏まえて新聞の写真を見ると、報道機関ではなく、手前の2階建てビルの奥のほうの、道路からやや引っ込んだ位置に立っている可能性が高い。
なお、どちらの建物にも手すりはなく、常日頃人が出入りする場所ではない。

現場を見た限りでは、2つの建物がつながって見えていたという点以外は、新聞の写真で見えた通りの状況であり、写っていた人物は、ほんとうにその状態でそこに立っていた可能性が高い。何らかのトリック(?)は認められなかった。

さらに驚くべきは、この2階建てビルは、上が平らな「屋上」ではなく傾斜した「屋根」になっている。正面側とその少し後ろのわずかな部分だけが平らになっているのだ。
後ろ側(写真右)には傾斜した屋根が

上から見るとこんな感じ。星印の部分に立っていると考えられる

【11日画像追加】新聞の写真に各建物の輪郭を加筆
仮に広い屋上があれば、そこを伝って道路際まで行くのは比較的容易。だけど屋根では、道路際にたどり着くことすら容易ではなさそう。なかなかのツワモノだ。
おそらくここに立っていた

大通り向かい側から

街路樹が茂っていない時に撮影
地上よりは見晴らしは効きそうだけど、怖くてそれどころじゃなさそう。

窓や屋上からゆっくりと見物できるのは、沿道の敷地や建物の関係者ならではの特権であり、他人はうらやましく思うことしかできない。でも、その下の公道上の一般人に影響を及ぼす可能性があるのは、危険で迷惑である。
昨今の事情から、公の場で無人小型航空機「ドローン」を飛ばすことが危険だとして問題視され、六魂祭でも禁止された。それは当然だけど、こんな場所に立っていることも、同じくらい危険かもしれない。
下にいた観客、付近にいた実行委員会・警備関係者は気づいていたのだろうか。気づいたとしても、私有地にただ立っているだけでは、何も言えないだろうけど。
まあ、写真では写っていないけれど、命綱とか足場とか何らかの安全対策をしていた可能性もなくはない。


ところで、同じ写真を小さくして縦位置にしたものが、6月7日付7面「週刊NIE」に再掲載された。
小さくても、同じビルの上の人は確認できる。
さらに、縦位置にしたことで、特別紙面では写っていなかった、手前の3階建て医療機関の屋上も見えた。
ん?
隣には「黒い影」がいるような…

※現地の別の写真はこちら
最終的にはこんなことになった。

※2018年1月1日付の秋田魁新報17・18面の平成時代を振り返る年表式の記事「歓喜、涙 紡いだ日々 あきた平成の30年」でも、出来事の1つとしてこの写真が掲載。横長にトリミングしたもので、上は第二庁舎向かいの電光表示のところで切れており、怪しい部分は写っていない。たまたまなのか、意識してカットしたのか。そのため、奥のねぶたはカットされ、ほぼ竿燈と観客だけの写真。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青森市いろいろ

2015-06-09 22:40:03 | 津軽のいろいろ
4月末の津軽。前回に続き、青森市のいろいろ。
以前訪れた時、青森市の消火栓は、秋田市のものより細長いことを紹介した。
さらに、駅前の新町通りでは、赤でなくクリーム色(アーケードの柱と同色)に塗装して、ねぶた絵を描いたものもあったが、写真は撮り忘れていた。
 やっと撮影しました
赤でない消火栓はたまにあるが、目立たない色で絵がかいてあるのは、珍しいと思う。消火栓を使うのは消防関係者だけで、日頃から場所は知っているだろうから、困ることはないかもしれない。気付かずに前に駐車されてしまうかもしれないけど。
出っ張った青森市章や「消火栓」の文字はあるので、元々は赤かったものを後から塗って・描いたのか。

【16日追記】コメントで教えていただいた。
1997年に画家・沢田としき氏によって始まったもので、4~5年ごとに描き換えている。
作者も代替わりし、画家・木部一樹氏を経て、上で紹介したものは3代目のねぶた師・竹浪比呂央氏によるもの。2012年夏頃に描かれたようだ。


新町通りのすぐそばが海やアスパムで、そこが「青い海公園」。※青い“森”公園とは別。
海沿いの遊歩道的機能も持つ長い公園。荷物を持って急ぎ足で通り抜けた中での発見を少々。説明板などは未確認です。
海に向かって、すり鉢状の野外劇場のような空間があり、
石像があった
像は鰭脚類の動物であることは確実。
形態からして、セイウチやアザラシではなくアシカ類(アシカ科)だろう。アシカかオットセイかトドか?
大きさや場所(日本海にいる)からして、トド?


もう少し東側、公園の東端付近。
立派な石碑
「海の記念日発祥の地」「運輸大臣 大野明 書」とある。
大野明氏が運輸大臣だったのは、1990年2月から12月の第2次海部内閣。

現在はハッピーマンデーになったが、7月20日が「海の日」。祝日化されたのは1996年からで、それ以前は「海の記念日」と称していた。その発祥地がここらしい。
調べてみると、海の記念日は、1876年に明治天皇が軍艦ではない汽船に乗って航海し、横浜港に到着したのが7月20日だったことにちなむ。その時乗船した場所が、ここ青森港だった。
「ここから乗らなければ、7月20日に横浜に着いていない」ということで「発祥の地」ということか。
近くに「明治天皇御渡海記念碑」もある。


再び新町通り。
商店街に工藤パンの直営店があり親しまれてきたが、2013年春に閉店していた。
(再掲)閉店直後
跡にデイリーヤマザキ(青森新町店)ができたと聞いていたが、
やっぱりそうだった
新しい建物は、一般的なコンビニの構造なので、アーケードの屋根よりも低い。

青森駅から青森市役所にかけて、デイリーヤマザキが4店あることになる。
そのうちの1つ、ホテルセレクトイン1階の「青森古川店」は焼きたてパン「デイリーホット」を扱っているし、ホテル外壁に2フロア以上を使った「KUDOPAN」の看板が付いている。
一方、新町店にはどちらもなく、ただのデイリー。工藤パンの面影はほぼなくなった。

※このデイリーにはオリジナル商品があった。この記事中ほど。
【2021年1月26日追記】コメントの通り、新町店は2019年に閉店。


最後にバス。※2013年の記事
青森市営バスの行き先表示。
「回送 Out of Service」
営業運行時には日本語表示だけなのに、回送だけは英字が併記されるのだった。
営業運行では、経由地や行き先を示す記号・番号があるから、それを見ろということか。


青森とむつを結ぶ下北交通。
以前は大型車だったが、今回は
中型のエアロミディ
バンパーが白(エアロミディは塗装できるようで、秋田市営バスはグレーだった)、ドア上の屋根付近の赤が細い線。
(再掲)以前見た富士重工ボディ


弘南バスだけど「市民バス」と大きく書いてある
中央部に非常口が付いた、やや短尺のエアロミディ。※この車は2017年に弘前へ転属した。
「市民バス」のほか、「浪岡線(大釈迦経由)」「どなたでもご乗車できます」「市営バスカードは使えません」ともある。

旧・浪岡町は2005年に青森市と合併した時から、青森市営バス「浪岡線」が走るようになった。市営バスがある都市ならではの合併のメリット。
市営バス浪岡線は運行業務を弘南バスに委託していて「市営バスの車両を弘南バスの乗務員が運転する」形だった。
それがいつの間にか、このような形に変わっていた。

多くの地方都市で行われているような、郊外部の不採算路線の廃止・コミュニティバス化が青森市でも「市民バス」として行われ、大釈迦経由浪岡線は2014年10月から実施。
写真の通り、乗務員だけでなく車両も弘南バスのものを使うようになり、浪岡に市営バスが乗り入れることがなくなった。
※市営バスの一部の弘南バスへの委託は、別の路線で引き続き行われている。

秋田市でも、新屋発着ローカル路線などで、市営バス→中央交通移管(民営化)→コミュニティバス化・民間委託(再市営化)とわずかな期間でめまぐるしく変化したことがあった。
青森市ではせっかく自前の交通事業があるのに、こんな形では回りくどい気もするし、利用者は振り回されているようなもの。市営バスのバスカードが使えなくなり、別の回数券を持たないといけないのも、不便そう。以前のままでは将来的に成り立たなくなるのを見据えたものであり、地域の公共交通が存続するだけでも、喜ぶべきなのだろうけど。

※青森の話題の続きはこちら
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

県警表示板と中央道路

2015-06-08 23:50:36 | 秋田のいろいろ
秋田県警の道路情報板は、「自作」と思われる奇妙なデザインの文字が表示される場合があることを、これまで紹介してきた。※この記事など参照
そのうち、秋田市山王の県庁第二庁舎向かいに設置されている新しいタイプの表示板で、新たな表示に遭遇した。
※いつもと違うカメラで撮影したので、特に緑色LEDが見づらく写っています。
バス停に停まるのはエアロスター

ブサイクではない、ちゃんとしたフォントで見慣れない表示が!
「中央道路/通行止!/進入禁止」
この先、山王十字路を越えた所に入口がある、秋田中央道路の地下トンネルが通行止めになっているようだ。
切り替わった画面は、
「中央道路内/事故」
車がぶつかって星が2つ飛ぶイラスト入り。
右の車は派手につぶれており、タイヤもパンクしていそう。

山王十字路以降の入口直前には、道路管理者である県が設置した専用表示板が大小複数ある。(平常時は消灯、作業・凍結・渋滞時は注意表示)
再掲)以前の事故発生時
【9日追記】↑この「事故発生」の文字が、県警のブサイク文字にそっくりなような… 県と県警でデータを共有しているのか、ひょっとしたらこういうフォントが存在する?!

手前の第二庁舎前で通行止めを知らせてもらえれば、余裕を持って迂回や車線変更できて、親切だ。
こちらは県警管轄であるわけだが、入口前の道路本体の表示板と連動しているのだろうか? 別々に制御しているのであれば、情報の反映(事故発生・規制解除)にタイムラグが発生するかもしれない。

「事故」じゃない理由で通行止めになる時は、それ相応の表示やイラストが出るのだろうか?
いろいろ気になる表示板だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする