広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

日新小学校 校舎建て替え

2024-04-28 23:04:55 | 秋田の季節・風景
秋田市南西部、狭義の新屋(あらや)地区(=勝平地区を含まない、雄物川放水路南側)を通学区とする、秋田市立日新小学校(にっしん~)。
学区が広いことも一因かと思うが、秋田市で児童数が多いほうの小学校。2023年5月1日現在の児童数(令和5年度教育要覧)は、桜小(870)の次に多い767名。3位は港北小(598)。なお、2024年4月の新入生(広報あきた4月19日号)は、桜114、港北110、日新97。
秋田市内でいちばん古い小学校の1つで、今年度で創立150周年を迎える(1874年開校は複数校ある)。

そんな日新小の校舎は、以前記事にした通り、坂に面した広くはない土地にきゅうくつそうに建っている。秋田市の小学校では珍しい4階建てなのも、土地の制約と収容力確保のためだろう。そして、秋田市立学校としては現存する最古の部類に入る、1974年築。

その校舎の改築(全面建て替え)工事が、2023年3月から2024年11月の工期で進められている。
ここ20年ほどは、古い校舎の耐震改修が多く、新しい校舎ができたのは2019年に上北手小学校が増築された程度。まっさらの新校舎はかなり久々。雄和・河辺地区を除いた旧秋田市内では、2008年の秋田北中学校以来、小学校では2002年の勝平小学校以来かと思われる。

日新小新校舎には、大きな特徴があるのだが、そこは後回しにして現地へ。
2024年2月下旬
坂の下・東側。敷地全体としては北東角。敷地の西~南側にL字型に建つピンク色の現校舎は、以前と変わっていないかのように見えるが、写真手前・仮囲いで隠れている、いちばん東側にあった2階建ての一角が解体され、工事スペースになった。おそらく2005年に増築された部分。
新校舎は、グラウンドの東寄りに建てられ、すでに骨組みは形になっていた。3階建て。
新旧が並ぶ

2024年4月下旬
現時点では外壁ができつつある。少し離れて見ると、
木材!
日新小の新校舎は、木造で造られている。
正確には木造一部鉄筋コンクリート(RC)造。また、体育館は鉄骨造・RC造で別棟の模様。

建築基準法の改正や木材の利用促進もあって、耐震・耐火を満たした大規模な木造校舎が、全国的に建てられている。昔のような木造校舎ということではない。
とはいえ、秋田市立学校の木造校舎は、1988年の高清水小学校、1989年の下北手中学校、1991年の上新城中学校が最後だったから、35年ほどの空白を経て、新たな木造校舎ができる。
その是非とか費用対効果については、どうなのだろう。
気になったのは、屋根があること。雪国としてはどうかのか。3階建ての高い位置から、子どもがいる狭い敷地に落ちるのだから、命に関わる落雪の危険がある。対策がされているのかもしれないけれど。

敷地の南西側にはプールがあり、南辺は車は通れない細い坂道があったのだが、この工事に先立ってどちらも廃止された。坂道周辺の畑などが買収され、少し敷地が広くなった。
そんな南西角が、メインの工事車両出入口になっていて、そこからも新校舎が見られる。
南西角から
手前左の切妻屋根が現体育館、このさらに左が現校舎。見えている建設中のものが新校舎で、この右に体育館ができそう。つまり新校舎がL字型、その横に体育館ができて、全体ではT字型になるはず。

続きはまたいつか。
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サーモンハラス蒲焼重

2024-04-25 20:15:08 | 各地お土産・食べ物
秋田駅の駅弁紹介。純粋な秋田駅弁(=輸送駅弁ではない)としては唯一の製造者である、関根屋の商品。当ブログでは2020年以来で、買って食べるのもその時以来。それだけ、大館から来る花善の鶏めしを選んでしまっているということ。

ここ1年くらいだろうか、通りがかりに改札口前のNewDays秋田中央口店をのぞく度に、気になる駅弁があった。公式ホームページには掲載がないが、いつもそれなりの数売られ、売れている。
ちなみに、現在、NewDaysでよく見かける、ほかの関根屋商品は、特製 牛めし、あきたこまち弁当、サキホコレ弁当、秋田まるごと一枚あわびめし、(秋田牛と岩手黒豚とあきたこまちのお弁当?)辺り。
ホームページでは、あきたこまち弁当が【お休み中】、あわびめしが【予約制】とされる一方、【新発売】として紹介される紅鮭あきたこまち弁当や秋田比内地鶏弁当は、なさそうで、あまり実情と一致していない【5月4日追記・ゴールデンウィークに入ると、比内地鶏弁当を見かけるようになった】。

サーモンハラス蒲焼重 844kcal、食塩相当量1.9g 税込み1250円
掛け紙は、秋田出身の矢口高雄氏による「釣りキチ三平」。
関根屋では、内容や掛け紙が異なる「釣りキチ三平弁当」を何度か作ってきた。2009年の映画化に合わせて初めて売り出し、2011年の観光キャンペーン時に「釣りキチ三平弁当 きのこ編和牛入り」、2012年には「キングサーモン弁当」が発売。アテにならないホームページには、現時点ではきのこ編和牛入りのみが【お休み中】として掲載。ホームページ「駅弁資料館(https://ekibenmuseum.org/ekiben/)」によれば、キングサーモン弁当は、2013年には三平でない掛け紙に変更。
本品も、三平弁当シリーズとしていいのだろうか。駅弁資料館によれば、2022年始の京王百貨店の駅弁大会のデビューではないかとのこと。

ハラスは、脂の乗った腹の部分のこと。サーモンや米など、産地の記載はなし。
僕が気になったのは、鮭も、蒲焼味も好きだし、その両者の組み合わせが目新しかったから。
シンプルな構成
以前の関根屋の駅弁には、爪楊枝と濡れお手拭きが別添されていたが、割り箸のみになっていた。掛け紙も、少し前は主流だった厚紙のスリーブではなく、紙をセロハンテープで留める方式。コスト削減か。
若干上げ底
ほぼ一面茶色で地味な見た目。炊き込みごはんの上に載っているのは手羽先に見えてしまいそうだけど、蒲焼きした鮭の切り身。上にイクラ醤油漬けも少々散らばる。
おかずは、玉子焼きといぶりがっこ(いぶり大根漬け)のみ。いぶりがっこは2~3枚だが、ふたを開けたとたん香りが漂い、食べ終わるまで続いた。

味はおいしいと思った。
蒲焼きの風味は思ったより弱く、脂の乗った鮭の味も負けていない。イクラが味に変化を付ける。玉子焼きは量産品と思われるが、まずくはない。
ただ、玉子焼きとがっこだけで、脂の多い魚を食べ続けるのは、少々単調。駅弁はこういう魚介メインのものが受けるのではあるが、個人的にはごはん・鮭を少し減らして、おかずを増やした商品がほしいところ。


そういえば、宮城県辺りの郷土料理で「はらこ飯」というのがあり、それを駅弁化したものが、東北地方でちらほら存在した【5月23日補足・仙台駅のウェルネス伯養軒「鮭はらこめし」は現在も発売中で、亘理町がルーツとしている】。秋田駅でも、伯養軒(ウェルネス伯養軒)→泉秋軒が売っていた。その蒲焼き版が本品とも言えよう。
関根屋さんも考えたなと思いつつ、調べてみたら…
そっくりなものが存在した。運営会社が名古屋にあり、デパ地下や駅ナカに出店する洋風惣菜店「eashion(イーション)」では、松坂屋名古屋店で「本わさびで食べる!炙りノルウェー産サーモンのハラス蒲焼重」、エキュート上野で「炙りノルウェー産 サーモンのハラス蒲焼重」を1000円程度で売っている。玉子焼きもあり【25日追記・現在は玉子焼きがなくなったようら】、違いは、切り身のサイズが大きく、いぶりがっこが甘酢生姜であることと、三つ葉とおろしわさびが添付されること程度。
そうか、わさびや甘酢生姜なら、脂分が緩和されて良さそう。


関根屋の駅弁も、ネットの評価は悪くない。
その1つに、2022年1月15日の「矢口高雄公式ホームページ(https://www.yaguchitakao.com/)」があった!
矢口プロダクションのスタッフが2022年1月の京王百貨店の駅弁大会で買って食べ、読者にも勧めている。

気になったのは、掛け紙の絵について「しかし、なんでこの絵を使ったんだろ。」としていたこと。
漫画の1コマを借用しているのだろうが、たしかに、サーモンとはあんまり関係なさそう。
さらに、どの商品の掛け紙に、どのシーンを使うかは、関根屋側に一任され、矢口氏サイドと綿密な打ち合わせがされているわけではないことになりそう。「こういうコンセプトの商品なのですが」「じゃあ、この絵はいかがですか」みたいにして決めているわけではないようだ。
三平バスなど、著作権表示もなく、ついにはなし崩し的に消滅(座席のみほそぼそと存続)してしまったように、矢口氏側が鷹揚なのかもしれないけれど。
【25日追記】そして、駅弁でもバスでも、矢口氏と秋田の関係を示さないと、知らない人にはどうしてここに三平がいるの? ということになってしまうよ。
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太平川の桜2024

2024-04-22 22:50:50 | 秋田の季節・風景
千秋公園のソメイヨシノさえ散りかけの今(22日)、時間ができたので牛島・楢山地区の太平川へ行ってみた。※直近では2021年に記事にしています
愛宕下橋から上流方向
意外にも、全体的に千秋公園よりも遅い感じ。かなり散りつつある木が多いが、まだ満開と言えそうな木もちらほら。土手のところどころにあるスイセンは、ほぼ花が終わっていた。
川面には、散った花びらが浮かんで花筏(はないかだ)となっている。※2015年の記事

太平川橋上流
旧道・商店街の太平川橋付近には、恒例の屋形舟もどき。
太平川橋から上流方向
のぼり旗やちょうちんは下がっていて、観桜会の雰囲気ではあるが、愛宕下橋付近の出店はなし。
例年、平日昼間はあちこちの高齢者施設の人たちが花を見に訪れて(連れてこられて)いた。今日は、晴天で暑すぎず寒すぎずなのに、まったくいなかった。花見がてら散策する人もまばら。この段階では遅いわけではあるが、もう少し来ていると思ったのに。

さらに下ってイオン秋田中央店・県道28号太平大橋方向へ。
猿田川合流点の手前
川のカーブしたところに、
花筏が集結
太平川橋の下流にもたまっていた。

24日夕方まで天気は持ちそう。それまではもうちょっと花見ができるかな。
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千秋公園の桜2024散りかけ

2024-04-21 23:04:34 | 秋田の季節・風景
2024年の秋田市のソメイヨシノは、4月10日開花(平年-7日、昨年+6日)、4月14日満開(平年-8日、昨年+7日)。15日の最高気温が28.3℃など、高温が続き、一気に咲き進んだ感じ。
この間、病院関係などいろいろあって、花見をできないでしまっていた。20日・土曜日になって、やっと千秋公園に行くことができた。※2023年の千秋公園
千秋公園桜まつりは4月12日~23日開催。市内各所ではおおむね散ってしまった木が多い中、例年遅い傾向の千秋公園では…
本丸。やはり散っていた
まだ散らずに木に残っている花もそれなりにあり、かろうじてまだ咲いているように見えなくもない状態。したがって、今年は咲きかたの評価はしません。
ケヤキなどの葉が芽吹き始めている。

千秋公園では桜の更新が段階的に行われており、昨年紹介した通り、本丸の桜のトンネルの片側が、幼木(ジンダイアケボノ?)になってしまって、トンネルではなくなっていた。当然今年も変わらず。
右が新しい木、既存の左も貧弱

桜のトンネルを慎重に進んできたのが、
佐川急便!
八幡秋田神社辺りに配達に来たらしい。

昨年は、新型コロナ流行後、初の平常開催であったが、来た時は平日かつ黄砂襲来時で、ほとんど人がいなかった。
今回は、昼から天気が回復した、気温12℃ほどの土曜日の午後だけに、多くの人が花見に訪れていた。少なくはないが、そんなに多くもないか。
宴会をする人たちは、本丸では、佐川急便の後方に大規模×2団体。意外に少ない。

今回も、裏側である西側から登ったので、下の二の丸は後回し。本丸から見下ろすと、
恒例アングル。屋台も並び、人も多くにぎやか
露店は約60店。

久保田城 表門を抜けて、御物頭御番所横から二の丸広場を見下ろす。
花より人が目に付く
下を見るより前に、どわっという喧騒のような音が耳に飛びこんだ。
芝生では中小規模の宴会が多数開催中だったが、すき間のほうが多い。コロナ前は、花の盛りが過ぎても、休日ならばもっとびっしりと埋まっていたはず。ベンチや階段に腰掛けて飲食する、家族や若者は多い。
喧騒が聞こえたのは、今回、イベントステージはないようで、スピーカーからの音楽や声が流れていないこともあるだろうが、とにかくここ数年の中では、滞留する人が多いことを示している。
ここは花も遠いし、風や日が当たりやすくて、花より団子だとしても本丸のほうが花見に良さそうな気もするが。

そんなわけで、人ごみを避けるべく、ここで退散。

翌々日の太平川の桜
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入学式は二枚看板

2024-04-14 19:09:07 | 秋田の季節・風景
4月も間もなく折り返し。
13日(土曜日)の秋田市立泉中学校正面。

泉中は、新国道側の西が正面。面する道路はやや広いが、通行量は少ない。南面(校舎の記事で触れた)の道路は新国道と直結するため車が多く通るが、道幅はやや狭く歩道もなく、歩きにくい。宅地開発と道路建設計画のタイミングがずれた、スプロール現象に近い状況かもしれない。体育館は敷地南東にある。

門を入ってすぐに広い階段があり、上がった2階が生徒玄関(昇降口)。昭和末建設の校舎では、わりと見られたスタイルだろうか。

そこに、看板が2つ立っている。
「祝 入学式々場」が2枚
入学式や卒業式で、校門や玄関に立てられる看板は、全国どこでもだいたいこんなものだろう。「祝」、年度、学校名の有無、「入学式」のみか「~式場」まで記すかの違いはあれど。
文字は、昔ながらの看板屋さん独特のタッチの手書き、達筆な毛筆、活字、パソコン印字など。試験会場の看板同様、年に1回の出番なので、長年使い続けることもありそう。
報道された、今年の秋田市立寺内小学校の入学式では、玄関に「祝秋田市立寺内小学校入学式」と、全部同じ大きさの文字(祝は赤文字)をびっちり詰めた、看板屋さん手書き文字の看板が立っていた。1990年の開校時からの看板かもしれない。

泉中の看板は、左側は「祝」は細く、それ以外は太い明朝体。遠目に見る限り、「祝」はワープロ文字っぽく、太いのは素人っぽい手書き見える。右側はナールらしき活字の丸ゴシック体。金属の枠もあり、秋田大学入試会場と同じような、業者に発注したものだろう。


この“二枚看板”を撮影したのは、2点引っかかったから。
まず、玄関の左右に、同一の看板を立てるのが珍しい。ほかには千秋公園の門の表示くらいでは。2枚あるのなら、門と玄関に1枚ずつ設置したほうが…
看板の前でこぞって記念撮影するだろうから、それをスムーズに行うため、2か所で分散させるということかな。

そして、どうしてこの時点で看板が立っているのか。
秋田市立中学校では、4月9日(火曜日)に一斉に入学式が挙行されたはず。4日も経って、しかも週末になっても残っているのはなぜ? 汚れたりいたずらされたりしかねない。
入学式後もしばらく、登下校する新入生を歓迎するという意図なのか。


秋田市立20中学校のうち、2023年5月1日時点で生徒数がいちばん多いのが泉中(575人。以下、500人台は城東、山王、城南)。
泉中の入学式は、今年が第44回とのことだから、今春の入学は46期生ということだろうか。
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入院でお世話になる人たち

2024-04-11 23:17:20 | 入院
入院シリーズ。前回の持ち物に続いて、今回は人について。※素人の観察によるものなので、間違いが少なくないと思われることを了解の上、ご覧ください。
約600床を有する秋田大学医学部附属病院。1日当たり平均としては、入院患者470名前後、外来患者1000名前後。
その職員数は1200人ほど。年度・資料によるバラツキや、非常勤・非正規、医学部本体所属者(病院を兼務)の関係もあるようで、正確な数はよく分からない。
ちなみに、弘前大学医学部附属病院も、病床数・職員数ともほぼ同じ。

1200人には、違う病棟や外来担当の職員、総務など患者と接しない事務職員もいるから、入院しても全員と顔を合わせるわけではない。一方で、職員数には含まれない委託先企業の人と関わることもある。ともかく、いろいろな人たちと関わって、お世話になるのが入院生活。
その人たちの顔や名前を覚えなくても、その都度、はいはいどうもと従っておけば済むことが多い。でも、少なくともどういう立場でどういう業務をしてくれる人かは、余裕があれば把握しておいたほうがスムーズに事が運ぶと思う。

●看護師
医師より先に挙げておく。秋大病院には600人以上いる。

話がそれるが、診療科や診療内容にもよるが、外来に通院する限りでは、看護師と接する場面は意外に少ない。呼び出しは「呼出受信機」という無線機器で行われるし、診察室の数(=その日診察を担当する医師の人数)よりも看護師の人数のほうが少ない。
そのほか、患者に接することはあるが治療行為はしないと思われる「地域患者支援センター」や資材を管理する「中央材料部」などバックアップ的部門にも看護師がいる。

入院患者がいちばん世話になるのは、もちろん、その病棟の看護師。
これまでクリニックの外来や健診施設の看護師、あとは身内に来る訪問看護師くらいしか働く姿を見たことがなかった。それらも、人の命に関わり、知識も技術も必要で大変なお仕事だとは思っていた。
だけど、入院病棟の看護師を見たら、さらに大変だと思った。年末年始にかかった入院だったが、当然、ほぼ通常体制だったし、残業する人も見かけた。業務内容が幅広くかつ多く、看護師資格と無関係な業務で時間を取られているようにも見受けられた。

僕は2つの病棟にいたが、体制はどちらもほぼ同じ。各病棟に看護師長以下数十人の看護師が配置され、2つの「チーム」に分かれている。
看護師長は、入院・転棟時に渡される案内に名前は記されているが、接する機会はなかった。知らずにすれ違ったことはあったかもしれないが。スタッフステーション(ナースステーション)とは別に部屋があるようだ。
なお、副看護師長が病棟に複数人いるが、患者に対しては明示されず、チーム内で他の看護師と同じように業務に当たっている。
看護師たちのノリというか、雰囲気みたいなのは、病棟ごとで少し違うようにも感じた。小児科とかなら分かるが、そうでないのに。社風ならぬ“病棟風”だろうか。

各患者は、いずれかのチームに割り当てられ、基本的にそのチーム所属の看護師のみから看護を受ける。さらに、そのチームの1人が「受け持ち看護師」として割り当てられ、主治医ととともにベッドサイドに名前が記される。

病棟の看護師は、日勤と夜勤の2交代制。そのそれぞれで、看護師ひとりひとりが、どの患者を担当するかが割り当てられる。患者の視点では、常に誰か1人の看護師に担当されている。受け持ち看護師は「入院中通しての担当」で、こちらは「今日の担当」ということ。【13日補足・今日の担当者が、休憩や他業務に当たっている時は、同じチームの他の看護師、場合よっては違うチームの看護師が対応。】
男性看護師も少なくないが、女性看護師よりは少ない。そんな事情があるのか、男性患者は男性看護師が担当すると決まっているわけではない。女性患者の場合は分からない。

受け持ち看護師制度は、病院側にはメリットがあるのかもしれないが、患者としてはあまり意味がないようにも感じた。
まず、勤務シフトの都合もあるだろうが、入院時の説明を受け持ち看護師がするとは限らない。どちらの病棟でも「私が受け持ちです」とあいさつを受ける機会もなかった。
また、受け持ち看護師が出勤している時でも、その人がその日の担当になるとは限らない。毎日の担当の割り当ては、患者の病状や介助の必要度合いなどを考慮して、業務内容を平準化していると思われるので仕方ないだろうし、誰が担当してくれても問題はなかったけれど。

そんなわけで、ある程度入院していると、担当チームの全看護師に1度は担当されることになり、(マスクをした)顔と名前はだいたい覚える。朝夕の勤務交代時には「今日の日勤/夜勤を担当します○○です。よろしくお願いします」とわざわざあいさつに来てくれるし。
対して、担当でないチームの看護師は、廊下ですれ違ったり、食事の配膳を受ける程度なので、ほぼ覚えられなかった【23日追記・チーム内で回せないのか、他チームの看護師がその日の担当になることも、まれにあったが】。それでも、ナースコールして、担当チームの看護師が誰も対応できない場合は駆けつけてくれ、丁寧に対応してくれた。
さらに、病棟内で人繰りがつかないのか、病棟所属でない看護師が応援として来ることもあり、その人が担当してくれたこともあったが、同様に問題なかった。


そんな看護師の制服。外来も含めて男女問わず、白の上下。
上着は真っ白なものもあるが、同じ形で脇腹の部分に色が入っているものを着る人が多い感じ。色は青(紺)、赤紫(えんじ)、ピンクがあるようだ。色が入るのは両脇だったり片方(左?)だったりという違いもある。色で階級が違うとかではなく、好みで選べるのかも。

夜勤では、上着だけ紺色になる。
働き方改革の一環で、夜勤勤務者の制服の色を変える病院があると聞いていたが秋大病院もそうだった。日勤者と夜勤者を明確化し、本人も周りも意識して、残業を減らす効果がある。
しかし、夜勤用制服は義務でもないようで、夜勤なのに日勤用を来ている人も見かけ、病棟によって着用率が違う感じ。
さらに、夜勤用の制服は、後述の医師の服と色形が似ており、患者としては区別しづらかった。


●医師
300人以上いるようだ。
総合病院はどこもそんな感じなのだろうが、それぞれの診療科には何人もの医師が所属する。だから、主治医のほかにも、上司だったり、同じ診療科のほかの医師と接することは多い(一方で一度も接しない医師も少なくない)。夜間、休日など主治医が出勤していない時は、当番のほかの医師が対応することになるので、顔を覚えておくといい。
ほかに、検査や手術では放射線診断科や麻酔科など、対面や会話しないものも含めて、多くの医師に診てもらうことになる。
僕を直接診てくれた先生がたは、みなさん礼儀正しく丁寧だった。同室の父さんは、別の科の医師とケンカ寸前のやり取りをしていた場面もあったけれど…

大学病院ならではの特徴としては、若手の医師が多いことと、大学教員を兼ねる医師がいるということだろう。
若手医師は、かつてはタダ働き同然で過酷な労働環境だったと聞く。今の秋大がどうなのか知らないが。一般に「医局員」と呼ばれるようだが、秋大病院では「医員」という肩書き。

中堅以上の医師は、助教、講師、准教授、教授と、大学教員としての肩書きを持つ。
一般に大学教員は、学部本体所属の人と、附属施設所属の人がいて、さらに兼務する人もいるものだが、秋大病院の場合、教授は全員が医学部本体(医学系研究科)所属で病院を兼務するようだ。准教授以下は、兼務者と病院所属者がいるようだ。
僕がよくお世話になった(なっている)と思っている【12日補足・複数回診察するなどして、カルテの記載内容以上に、それなりに把握してくれているであろう】先生は、都合6人。内訳は教授1、准教授1、講師1、助教1、医員2。ちなみに男性4、女性2。
といっても、普通に入院・通院している分には、教員なのか医員なのかを意識することはないし、自分の主治医がどちらかを知らない患者も多いことだろう。病院や学部のホームページを見ない限り。ただし、教授の場合は「教授回診」があるので、入院患者には分かることになる。いずれまた。


医者の服といえば白衣だけど、秋大病院ではそうでもない。
Vネック前開き半袖(医療業界? 衣料業界? で「スクラブ」と呼ぶようだ)の、濃い青の服を来ている人が多い。これが看護師の夜勤の服と似ているのだ。
科によっても違いそうだが、医師全員が青い服ではない。冬場だったこともあるのか、その上に前開きの白衣をはおる人もいた。さらに、青いのを着ないで、かぶるタイプの白衣だったり、手術着っぽいのを着る人もいた。女性では、えんじ色のスクラブをいつも着ている人もわりといる【22日追記・男性でもいた】。各人の好みで選べるのか。【22日追記・ほかにグレーのスクラブや、ワコールのロゴの入ったのを着た医師も、少数ながら見かけた】

そんな中、大学病院のロゴマーク(?)が入った白衣を着ている人たちを時々見かける。その人たちが集団でいることも多い。
一見、いちばん医者らしい姿だが、その人たちは、まだ医師ではない実習中の医学部医学科の学生【12日追記・外来も含めて、患者同意の上、診察などに同席する場合がある。入院中は5年生の各診療科での実習時期だったようだ】。研修医もいるはずだが、どういう衣装なのかは不明。


●~師、~士など
今回の入院では、X線撮影で放射線技師、心電図で臨床検査技師にお世話になった程度。ちなみに、臨床検査技師は採血を行うこともできるそうで、外来の中央検査部では、看護師のほか臨床検査技師から採血される場合もある(入院患者は病棟の看護師が行う)。
あとは、助産師とかリハビリとか、さらに薬剤師、栄養士などもいる。
その人たちの服装もよく分からない。紺色とか茶色っぽいのとか赤紫色とか、やはりいろいろあるようで、服装では職種を判別できないのかもしれない。
【5月8日追記】入院患者には、医師、看護師のほか、薬剤師と栄養士も1人ずつ担当者が付くのだが、僕の場合はどちらも接することがないまま退院し、書類でお名前を見ただけに終わった。


●看護補助者(看護助手)
2024年1~3月に日テレで「となりのナースエイド」というドラマが放送されたそうだが、それ。
看護師資格が不要な、看護の補助的業務を行う人たちといえばいいだろうか。准看護師ではない。
秋大病院では、入院病棟(フロア)ごとに5人前後だろうか、配属されている。見た限りでは男性はおらず【22日追記・わずかながら男性もいるかも】、平均年齢は病棟の看護師よりも高い。職員間では「助手さん」と呼ぶようだ(かつて大学教員の職名で助手があった当時は、少々まぎらわしかったのでは)。
朝から夜まで出勤(2交代?)していて、消灯時間帯はいないようだ【22日追記・平日が主で、土日はごくわずかしか出勤していないかも】。身分としては非常勤が多いと思われる。

具体的には、自力で移動が難しい患者が、検査や外来病棟、売店へ行く時の付き添い、食事の配膳、採血などの検体や資材の運搬、ベッド周りの清掃(床などの掃除ではない)やごみ回収、スタッフステーションに看護師不在時のナースコール対応等々。
看護師も忙しいが、助手さんも忙しそうだった。人数としては看護師より少ないが、入院病棟内だけでなく、外来病棟近辺を行き来する姿もよく見かける。
患者としては、看護師とのような詳しい会話をする機会はなく、あいさつ程度の関わりだが、それでも年の功といえばいいのか、若手看護師ではできない気遣いをしていただいたことがあった。

服装は看護師と異なり、上がピンク色(下は白)、と入院時に説明を受けた。【22日追記・男性の看護補助者らしき人は、水色の上着】
しかし実際には、薄い緑色の上下を来た人たちもいて、一見、看護補助者と同じような業務をしている。この違いが分からない。

【5月23日追記】求人情報紙によれば「株式会社ルフト・メディカルケア」が採用を行っているようで、7時~18時の間の7.75時間勤務と、15時15分~20時の勤務で採用が分かれていて、どちらも土日祝休みが基本とされている。


●病棟クラーク
実際には「事務」と呼ばれることが多い。各病棟に1人ずつ配置され、平日昼間にスタッフステーションで勤務。
外来の各診療科にいるクラークや、正面玄関の受付・会計窓口や受付にいる職員と同じ制服【5月8日追記・同一ではなく柄が違う、少なくとも2種類があるようだ】を着ていて、全員女性。
外来だと1回の通院で何人もの事務職員と関わるが、入院では多くない。高額療養費制度の説明、月をまたいで入院した時の翌月10日の請求書配布、診断書作成の手続きくらいか。
【5月8日追記】全員かどうかは分からないが、「ニチイ学館」と表示がある名札を付けたクラークがいた。ということは、医療事務を同社に委託しているのだろう。


●掃除の人
大学や病院が雇っているのか、委託した企業所属なのか分からない。制服はあるようでないような。
入院病棟の病室内(トイレと床)や廊下は、おそらく日曜日を除く週6日、掃除をする。
フロアごとに1人が専任で配置されるが、週5日の出勤と思われ、1日はほかの病棟を担当している人が代わりで来るようだ。
ベッドの下や周りの床の掃除も行うので、カーテンの中へ入ってくる。余裕があれば、掃除しやすいように履物や荷物を片付けたり持ってたりするといいかも。

●寝具交換の人
週1回、病棟ごとに決まった曜日(の午前中?)に行う。ワタキューセイモア株式会社の従業員が、3人組くらいで来て、部屋ごとに作業する。
交換中は、ベッドから離れないといけない。部屋にいてもいいのかもしれないが、ホコリが舞いそうだから、僕はデイルームなどへ避難していた。

●レンタル用品補充の人
前回取り上げたように、病衣やタオルのレンタル契約をすれば、夏は週3回・冬は週2回、補充に来る。
こちらもワタキューセイモアの従業員だが、寝具交換とは別動で、制服も異なる【22日追記・レンタル補充スタッフは、水色ポロシャツ】。
ベッドの足元にぶら下げたバッグの中の残りを見て補充して行くので、カーテン内に入ってくる。

●食事運搬の人
病院食は、日清医療食品株式会社に委託。ワタキューセイモアの子会社で、日清食品など、ほかの日清○○とは一切関係がないとのこと。
厨房棟で調理されたものがワゴンで各病棟廊下へ運ばれ、各病室の各患者へ配膳されるわけだが、配膳は看護師や看護補助者が行うのが原則。廊下でワゴンを動かすのが、日清医療食品の従業員なので、患者は直接接しない【23日追記・病棟看護師がワゴンを動かすこともある】。
ただ、人によっては、ワゴンを動かす人が配膳まですることもあった。看護師・看護補助者が足りなくて、見るに見かねてやってあげたということなのだろうか。
食事の内容についてはいずれまた。

そのほかにも、土日に入退院する時などは警備員とか、ローソンやスターバックスや理容室の店員と接することもある。

次は1日の流れ
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旭川護岸復旧工事2

2024-04-04 23:00:17 | 秋田の季節・風景
2023年7月の大雨で崩落した、秋田市の旭川の護岸復旧工事。前回の2024年2月までの推移の続き。
まずは広角で四丁目橋の対岸寄りから現場全体を見た推移。
3月初め

3月半ば

3月末
新しい護岸ブロックが積み上げられ、川幅中央の盛土が撤去された。

3月18日
1週間見ないでいたら、
3月25日
盛土がほぼなくなってしまった。上流側から、道路に出入りする下流側に向かって作業が進んだ。
盛土は、現場に水が入らないようにする堤防と、作業用重機が入る通路・作業場所を兼ねたものだが、思ったより早期に、かつ簡単に撤去された。
3月25日

3月30日

今度はブロック周辺に注目。
3月1日

3月5日
ここまでは、床というか水中で川底となる部分は土だったようだ。
3月18日
護岸と接続する床の一部もコンクリートになった。
3月25日
水が入って、大きな土のう=フレコンバッグが置かれた。
4月初め。川底になった新しいコンクリートが見える。

崩落しなかった、既存の護岸とのつながり。
3月28日
新旧はあれど、遠目に見ればあまり違わない。

川の中での工事はおおむね終わったのだろう。
(再掲)被災直後

4月初め
増水の影響で工事が遅れて、車道の交通規制解除は新年度にずれこむとのことだった(歩道は当初から、当面規制継続)。新聞報道やバスの迂回告知では、4月上旬にも、車道規制が解除されるとあった。
上の写真の通り、現時点では新しいブロックの上部と、道路のレベルとの間には空間が残っている。
3月18日。四丁目橋たもとの歩道から

3月25日
看板の工期は「5月30日まで」に書き換えられた。
工期=交通規制期間ではないが、4月上旬=あと1週間での規制解除は無理だと思う。だったら、ちゃんと知らせてほしい。道路管理者=発注者の秋田県には。
【9日追記】9日に中央交通のサイトが更新され、4月12日(金)13時に規制解除・対面通行化されるとのこと。9日時点で県のサイトには未掲載。

いずれまた続く。
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聖霊高校 校名変更

2024-04-01 00:09:02 | 秋田のいろいろ
秋田県内に5校(うち4校が秋田市内)しかない私立高等学校の1つで、秋田県内唯一の宗教系高校(カトリック系)であり、秋田県内唯一の女子高(他校は共学化や統廃合済み)のお話。

高校は、聖霊女子短期大学(せいれい~)と同じ、学校法人聖霊学園が運営する。
まれに「聖隷」と誤記されることがあるが、宗教的には同音異義なので、直接的関係はない。
また、所在地が「南通みその町」なので、聖園学園短期大学(みその~)と混同されることもある。南通みその町は、高校所在地であることにちなむ命名だそうだが、もうちょっと考えて町名を付けたほうが良かったのでは。ちなみに、聖園は保戸野すわ町に所在し、それは諏訪愛宕神社が由来する町名なのが、日本らしくておもしろい。

この高校は、秋田市民には一般に「聖霊高校」もしくは単に「聖霊」と呼ばれている(短大のほうも「聖霊」と呼ぶことがある)。
かつては中学校も、高校と同じ場所にあったが、2013年から募集停止。往時でも、市民には中学校の存在感は薄かったと思う。

聖霊高校の正式な名称は少し長い。そしてその名称が、2024年度から変わる。
3月31日時点で、校門の表示は新しくされていた。
隠しておいて4月1日に除幕式でもするかと思っていたのに。県立秋田南高等学校の中等部開校時のように、みっともなく隠すよりはいいか。
「聖霊学園高等学校」
以前の学校名は、
「聖霊女子短期大学付属高等学校」

ところで、門をはさんで左側の表示は「学校法人聖霊学園」で、御影石のようなものに活字体で彫りこんでいる。それに比べて、新校名だけでなく旧校名も板に印刷したようなもので趣が異なる。
考えてみたら、かつては「中学校・高等学校」の表示があって、中学校の募集停止時に今の表示を上貼りしているのだ。いちばん古い2012年10月のGoogleマップストリートビューに、以前のものがかろうじて写っていた。
法人名と同じく御影石に彫っている

短大付属の名を外して、学校法人名そのままの校名になった。同時に新コースを開設し、生徒寮を再開するとのこと。昨年7月の大雨で大きな被害を受けたが、その影響ではないだろう。
聖霊高校の歴史は古く、明治初めまでさかのぼる。高校のホームページによれば、戦後の学制改革時は「聖霊中学校・高等学校」で、1954年に聖霊女子短期大学ができた時から「付属」が付いたようだ。69年間ぶりの改称。

「付属」のフレーズがあると、言葉は悪いが短大の“付属品”とか、付属校卒業後の進学先が限定されているようなイメージを与えてしまうかもしれない。高校としての独立したブランドを確立したい意図があったのだろうか。
選抜高校野球大会で優勝した健大高崎は「高崎健康福祉大学高崎高等学校」、高校野球常連の愛工大名電は「愛知工業大学名電高等学校」が正式。附属校の位置付けのはずなのに、大学名のみを冠し「附属」がないケースもある。
秋田市の別の私立高校は、当初「(秋田短期大学、秋田経済大学を経て)秋田経済法科大学附属高等学校」で、2007年に大学名がノースアジア大学に変わった際に大学名もない「明桜高等学校」になった。知らなかったが2020年からは「ノースアジア大学明桜高等学校」と変遷している。
余談だが、少なくとも1990年代前半、秋田市内の高校生世代では、秋田経済法科大学附属高校のことは「附高(ふこう)」と呼ぶのが一般的だった。会話の流れ上、「附属」や「経法大」と呼ぶこともなくはなかったか。聖霊高校だって「付高」だがそうは呼ばなかった。


ここまであえて触れずに使い分けてきたのが「付属」と「附属」。文字の意味としては、「付」と「附」は本来は微妙に違うのだが、今はだいたい同じ扱い。
ただし、役所の用語としては、今でも「附属」を使うのが原則なので、国公立大学の附属施設(学校以外にも図書館、病院、農場等々)は「附属」表記。
軽く調べたところ、倉敷市立短期大学では「付属図書館」と、公立なのに「付属」が正式。どういう理屈か知らないが、国立大学法人化された国立大学でも「付属」に変えるところがあったりするのかもしれない。※ネットでは、公式サイトで変換ミスで付にしてしまったり、無頓着な民間サイトがあったりして、調べづらい。
一方、「附」を用いないことにしている新聞社がある。秋田魁新報もそうで、本来は「附属」であっても、「秋田大学医学部付属病院」「秋田公立美術大学付属高等学院」などと表記している。

私立大学では「附属」とするところも多いが、縛りはないので正式に「付属」とするところもわりとあるようだ。
東海大学は、学校も病院も「付属」表記。日本大学は、学校は「付属」で、病院は「附属」と表記が異なる。なお、両大学とも別法人運営の高校は、大学名のみ冠し「付属」が付かない。日大では「日本大学病院」というのもある。
聖霊学園は“付属派”だったことになるが、短大の図書館は単に「図書館(聖霊女子短期大学図書館)」と呼ぶようだ。ほかの付属機関として認定こども園もあるのだが、後述。

聖霊高校の敷地の角にある、案内表示。
付属高校当時
一般人と同じように「聖霊高等学校」と表記している。これならば付属でなくなっても、このまま使えそうと思ったら…
「聖霊学園高等学校」に変更
それだけでなく「聖霊体育館」も「聖霊学園体育館」に換えている。
上に「聖霊幼稚園・保育園」とあるように、高校の隣接地にはそれがある。かつては幼稚園だけだったのが、認定こども園化などで保育園併設となったようだ(詳細不明)。
その門(壁)の表示は高校と同様のスタイル。ストリートビューで確認すると、2012年10月では御影石に「聖霊女子短期大学付属幼稚園」、2015年8月には「聖霊幼稚園・保育園」に換えられていて、現在も同じ。
しかし、公式ホームページでは「認定こども園 聖霊女子短期大学付属幼稚園・保育園(通称 聖霊幼稚園・保育園)」としている。名称変更のような話は出ていないので、幼稚園・保育園は正式には「付属」のままなのだろうか。

高校の門周辺のフェンスには、生徒を迎えに来た保護者向けの注意書き。
付属当時
中学校の名前もあったであろう上に、「聖霊高等学校」を貼っていた。現在は、
色を付けて「聖霊学園」をさらに上貼り
学校法人名での注意書きとも受け取れる。

表示の変更を踏まえると、学校側としては「付属」を取っただけでなく、「学園」を付けたことも重視しているのかもしれない。「聖霊高校」ではなく「聖霊学園高校」と呼んでほしそう。
それでも、多くの人々は「聖霊高校」と呼び続けることでしょう。
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