広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

2001年 堀のアヒル/雪印ハ 

2021-01-30 23:12:22 | 昔のこと
20年前=2001年1月に撮影した写真から2題。
雄物川が凍ったのを初めて見た(この記事後半に写真あり)のがこの月で、寒くて雪も多かった。

ところで、広小路沿い、千秋公園の外堀にアヒルがいたことがあるのはご存知だろうか。白鳥でなくアヒル。
※外堀は、中土橋をはさんで秋田駅側がハスが生える「大手門の堀」、旭川側がL字型で昔は貸しボートやスケートリンクになった「穴門の堀」。

ついでなので白鳥のこと。
記憶では昭和末頃~平成初期頃には、穴門の堀に数羽の白鳥がいた。野生ではなく、通年住み着いていた。
冬にシベリアから来るオオハクチョウ、コハクチョウとは異なる種でヨーロッパなどに棲息する「コブハクチョウ」。
コブハクチョウは、くちばしが黄色でなくオレンジ色で、その上に黒いコブがある。泳ぐ時に羽を持ち上げるような形になるので、ハクチョウの中でも特に優雅に見える。羽がややクリーム色がかっている気もしたのは、気のせいか汚れ?
戦後、日本各地に移入されて飼育されており、逃げ出して野生化したものもある。苫小牧のウトナイ湖にいるものは、茨城の霞ヶ浦まで渡って越冬するらしい。
僕が初めて見た白鳥が、ここのコブハクチョウだった。後でオオハクチョウ、コハクチョウを知った時は、コブがないあっさりした顔で物足りなく感じた。

「二〇世紀ひみつ基地」の2006年6月20日「お堀から消えた貸ボート(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-191.html)」によれば、コブハクチョウは「昭和四十四年(1969)、市内の会社経営者が市に購入費八十万円を寄贈し、動物商から十羽買い入れたのが始まり」で、当初は大手門の堀にいた。
後にハスが繁茂したため、穴門の堀へ移すことが検討されたが、貸しボートとの競合が問題に。その結果、1980年4月でボートが廃止されたとのこと。

また、1980年11月14日の秋田魁新報には「千秋公園のハクチョウ/お堀で越冬へ」という見出しの記事があるし、同時期に秋田市大森山動物園にもコブハクチョウがいた記事がある。おそらく、冬の間だけ大森山動物園へ移していた時期があったのかもしれない。

今、海が荒れると、ウミネコが旭川沿いに上ってきて、そこから中土橋まで来てたむろしていることがある。1992年3月12日の記事では「えさ求めウミネコ民俗移動?/旭川ごみ清掃で残飯減ったから/ハクチョウの飼料お堀にはいっぱい」とあり、コブハクチョウがその一因としている。=1992(平成4)年時点ではまだコブハクチョウがいたのだろう。
その後、いつの間にか、コブハクチョウはいなくなってしまった。

ちなみに弘前公園(中濠)でも、昭和50年代からコブハクチョウが飼育されていたが、近年は1羽だけに減っていた。2020年始にそれが死亡(20~30年は生きていたという話あり)。弘前市は告知をし、惜しむ市民がいたとのこと。
以上コブハクチョウは、「千秋公園のお堀の白鳥」として記憶する市民は少なくないようだ。


2001年1月13日。中土橋から穴門の堀
今シーズンも同様だったが、穴門の堀は、まだらに凍結していく傾向があるらしく、まだ凍っていない部分が点在。この時は噴水は作動しているので、その影響もある。
で、その未凍結の水面に、
白いアヒルが3羽!

 ぐるぐる

マガモが家畜化されたのがアヒル。日本ではこの真っ白の「シロアヒル」が一般的だが、マガモのような雌雄で違う色をしたものなど品種は多い。
僕が実物のアヒルを見たのは、小学校で飼われていたのと、ここぐらい。【2月1日訂正】10年ちょっと前に、別の場所のアヒルを記事にしていたのを、すっかり忘れていた。当時の猿田川には、白いアヒルが、黒っぽいアヒルらしき鳥といっしょに泳いでいた。ほかにもどこかで見てはいるでしょう。

どこかから飛んで来る/飛んで行くほど飛翔力はないはずだし、いつもいたので、ここに住み着いていたことになる。コブハクチョウのように誰かが正式に寄贈したものなのか、何者かが放した=捨てた“野良アヒル”なのか。

コブハクチョウいた当時は、広小路の岸に沿って草が茂った部分があったようだ。しかし、2000年前後より後~現在までは、水位が上がったのか、穴門の堀に陸地は少なくなった。そこにいるアヒルも、たまには陸に上がる必要があるはず。
広小路沿いの西寄り、今は美容室、昔は大判焼き&かき氷屋が建っていた土地の脇に、わずかな陸があり、夜にそこで休んでいたのを見たことがある。広小路沿いだと、車、人、明かりと住環境は良くなさそう。
それ以外の場所では、数メートル飛んで道路や県民会館・和洋高校(いずれも当時)の土手に上がらないといけない。アヒルでもその程度は飛べそうだけど、あえて飛ばないでいたのか。
その後、
2001年1月31日撮影。たぶん中土橋から
凍結した部分に上がって、座ったり立ったりして休んでいた。2羽しかいない。

記憶では、いつの間にか1羽いなくなってしまったのは確実。この時だったのか??
その後、しばらく2羽でいるのを見かけたが、いつの間にかみんないなくなってしまった。

今は、ウミネコのほかは、カルガモがたまに来る程度。サギ類は大手門の堀のほうを好み、穴門の堀では見たことがない。


話変わって。
2001年1月2日撮影
「雪印ハ」の看板。下のトラックにちゃんと書いてあるように「ム」が取れているから「雪印ハム」。

雪の結晶マークが共通し、今は「雪印メグミルク」として存在する企業と関係があるのだが、この時はメグミルクは付いていないし、今はハムは扱っていないようだ。
たしかこの直前に荒れた天候があって、それで「ム」が飛んでしまったのか、あるいはこの会社の状況から手が回らず直せないのかと思いつつ、撮影した記憶がある。
ご記憶の方もおられるように、当時の「雪印」は大変だった。

当時は、乳製品は「雪印乳業」、ハムは「雪印食品」と、グループ内で別企業だった。
雪印乳業は1999年3月まで秋田工場が臨海にあり、秋田市の学校給食にも採用されていた。※雪印牛乳についてこの記事後半。
2000年には近畿地方を中心に集団食中毒を起こしており、対応のまずさと合わせて、批判を浴びた。
ここは雪印食品のほうだから、この時点では直接的な批判の対象ではなかったことになるが、冷たい目で見て(撮って)しまっていた。

そしてこの翌年、2002年1月、今度は雪印食品の牛肉偽装事件が発覚。これら2つの事件で、雪印グループが再編される。
乳業は最終的に雪印メグミルクとして存続、食品のほうは廃業・解散。
看板の「ム」がなくなったどころか、翌年にはそのブランド自体がなくなるなんて、当時は知るよしもなかった。

今まで知らなかったが、雪印食品の子会社「東北雪印食品」は、この件で2002年に独立して「銀河フーズ株式会社(本社・岩手県花巻市)」になっていたのだった。ここの製品は、今の秋田ではよく売っている。
では、写真の「雪印ハ」は、東北雪印食品の秋田営業所か何かだったのだろうか。Googleにはここに「雪印食品東北販売部秋田営業所」という記述も残っている。
銀河フーズ秋田営業所は発足当時は知らないが、その後は別の場所。以前は北インター方面の外旭川字一本木、その後移転したようで今は御所野湯元にある。

雪印ハの場所の現在は、
建物は現存する
外壁の色が少し変わったが、建物は同じ。

少なくとも2012年から2019年12月までは、タイヤホイールメーカー「weds(ウェッズ)秋田営業所」が入っていた(臨海バイパスの寺内へ移転)。現在は目立った看板はなさそうだが、電気工事会社の名入り車両が置かれている。
で、その場所、お分かりでしょうか。
右の黒い建物はパチンコ屋(2001年でも存在したようだ)、その奥になんとなく見えているのがマックスバリュ泉店。ということで、県道126号沿いの泉北二丁目。


久々に見て、第一印象はもう20年も経つのかと思ったが、考えてみればそんなもんだし、まだ20年しか経っていない気もしなくない。
21世紀が始まったばかりの風景だと思えば、そのわりには古臭いような、今がそれだけ未来にいるのか。不思議な感じ。昔の風景はいずれまた。
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公営交通バス停上屋

2021-01-28 20:30:24 | 秋田市営バス
通町下りバス停の続き。今回は過去へさかのぼって。
現在
上の写真の通り、上屋の梁というか、屋根の下の道路と平行な部分には、秋田市章のほか、「財団法人日本宝くじ協会 協賛」「社団法人 公営交通事業協会」と表示されている。

市章や「公営交通」は、今となっては場違いだが、ご記憶の方も多いように、2000年度までは、通町を通る全路線を秋田市交通局(秋田市営バス)が運行していた。2001年度から段階的に中央交通に移管され、2006年度から全路線中央交通。
市営バス時代に設置された上屋ということになる。
それに通町は、1990年代後半に道路拡幅・再開発が行われ、現在の街並みになった。それ以降に設置されたことになる。
ちなみに、拡幅前には、小さめで(たしか内部に椅子や接近表示器も備えた)壁付きの上屋というか待合所があったが、おそらく民地内に設置。歩道はとても狭かった。

県立体育館前下りのソーラー照明付きポールの記事で触れているが、この上屋は公営交通事業協会の「モデルバス停留所施設 設置事業」で設置されたらしい。
全国の加盟事業者にも設置されていて、ほぼ同じ上屋が全国的にあるようだ。近年も継続していて、仙台市交通局には2015年度に設置されていた。通町のと色も形もよく似ているが、屋根は平らで、全体にやや細身な印象。同局ホームページには「宝くじの収益金により社団法人公営交通事業協会を通じ寄贈されたものです。」とある。


公営交通事業協会ホームページによれば、秋田市交通局にこの上屋が設置されたのは1992、1996、1999年度。通町はそのどれかになるけれど、拡幅の時期からして、通町は1999年度設置だろう。
各年度に複数設置された可能性もなくはないが、知っている限りでこの上屋があるのは通町とあと2か所。それぞれ細部が異なるので、違う年に設置された可能性が高く、各年度1つずつではないだろうか。

残りの2か所は、市立病院西口上りと新屋西線側の豊町上り。そちらを見ておく。
2018年撮影。市立病院西口
市立病院裏の通りは、道路改良工事が行われた。写真はほぼ完了した頃。
微妙な距離を置いて、交通局末期に設置された、埋込式・赤色LED点滅のポールが立つ。

2019年撮影。豊町
こちらはダルマ型で、移管直後に交換された、JTCウインRの表示板。

3つの上屋は梁に表示された内容が、それぞれ多少違う。書体はいずれも写研「ゴナ」かな。
冒頭の写真の通町の内側(歩道向き)では、市章が緑(公式な市章のカラーである若草色)、やや小さめで「通町」のみ。右に宝くじと公営交通協会名。そして梁中央部が、幅は同じで少し凹んでいる。
裏の外側(前回記事に写真あり)では、左が宝くじ・協会。右に内側と同じくらいの「通町」。中央には大きな文字で「ここは大町一丁目2番」と所在地表示。
なお、通町と他の2つでは、屋根の支えや透明板の色が違うが、後述。

市立病院西口
内側は市章が白。右に宝くじ・協会。
中央のくぼみがなく、幅いっぱいに通町より大きな文字で「次は/市町村会館前」「ここは市立病院西口」。
外側は通町と同じだが、所在地は「ここは川尻総社町6番地先」と微妙に異なる書き方。

豊町は、内側は市章白、文字は通町程度の小さい文字で上下に「豊町」「次は新川橋」。中央には枠の下に飛び出た「枠」というか「額」みたいなのがある。
外側はやはり所在地のみ異なり、わずかに小さい文字で「ここは新屋豊町地内」番地なし。
2012年12月撮影ストリートビュー。縦に圧縮されて写っている。「地内」右下に何か書いてあるように見えるのは、Googleの著作権表示
上のストリートビューでは、外から見て右側(バス進行方向先方)の屋根の上に、何かが飛び出ている。2015年8月のストリートビューではなくなっているが。
これは記憶にあった。
記憶になかったが、昔の通町でも…
2002年3月撮影
豊町と同じ進行方向先方側に、丸いアナログ時計が飛び出ている。
豊町、通町とも同じ時計のようで、両面、蛍光色の文字盤と針で、ソーラー駆動。

僕はこの頃、下り通町バス停をとてもよく利用していたのに、時計の記憶がない。バスを待つ客の視点では、見えにくい位置ではある。
そして、おそらく通町のほうが先に撤去されてしまった。

市立病院西口に時計が付いていた記憶はないが、実際は不明。
ちなみに全国的には、時計のあるものもあるが、近年のものは元からなさそう。
以上そこそこ違いはあるわけだが、市立病院西口と豊町、どちらが1992年、1996年なのかは特定できなかった。
また、バス接近表示(バスロケーションシステム)が設置されても良さそうなものだが、3か所とも設置されたことはなかったかと思う。でも豊町の額みたいな部分には、取り付けられなくもなさそうだけど…


2001年3月の夜の通町。左上に時計がちょっと写っている
設置から2年くらいのはずだけど、もうサビが出ている。屋根のアーチ状の支えは、他の2つと同じ構造で今と異なり、後年に交換されたことになる(後述)。

この頃のポールは、1986年度に50基設置された「二面体」と呼んでいたタイプ。面積が大きく軽くて風に弱くすぐ倒れる上、プラスチックだから壊れやすい。(過去の記事)改めて上屋と比べると、とても背が高い。
写真の通町のものは、枠は目立った破損はなさそうだが、表示板にはナールらしき活字で「通町」だけなので、オリジナルとは異なる。オリジナルは「市営バス」や「次は~」があり、バス停名は手書きだった。
移管後、ポールごとダルマ型・JTCウインRに交換されたことになる。


移管後の屋根の変化。
2013年6月頃(この記事後半)に、屋根にソーラーパネル4枚と、先方の柱に「秋田県EVバス技術力向上事業 スマートバスストップ(太陽光発電式 自立型バス停) 株式会社アイセス」と表示されたベージュ色の箱、さらに梁中央に小さなLED灯具が設置された。この時までに、屋根が変わっている。
これは秋田県が主導したコンソーシアムが作って、中央交通に委託して走らせた蓄電池式のEVバスに付随した事業。近年はEVバスは行方不明、ここの照明も光ってはいないと思う。
(再掲)設置直後。光ってもこの程度ですが


この上屋は全国共通仕様らしく、風よけの壁がなく、積雪や潮風にも弱そうで、構造と材質が寒冷地・積雪地には向いていないように見える。そのほかにも、各地の実情やバス待ちの風習(?)の違いもあるだろう。
そして、秋田では上屋のあるバス停は減少傾向。老朽化で撤去されたり、道路改良や経路変更があると、新設されないことが多いため。
宝くじさんには、公営交通に限らず、民営交通に対しても同様の支援をしてもらってもいいかもしれない。
※前後する時期に、交通局が独自に設置していたと思われる、壁付き上屋について
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微動するバス停

2021-01-25 23:41:16 | 秋田のいろいろ
秋田市の「通町」下り(秋田駅発側)バス停のごくごく小さい変化。
※通町とその周辺のバス停配置についての過去の記事
(再掲)2006年。左が下り側

2018年7月撮影
バス進行方向=上写真右手前から、秋田市中心市街地循環バスのポール、一般路線バスのポール、上屋の順番。
歩道の点字ブロックは、上屋の中央部にバス停を示す「点状警告ブロック」が設置されているが、4枚しかなく、一般的な設置と比べて少ない。やや中途半端な誘導。

上屋の外側に、2本がややすき間を開けて並んでいるポール(バス停標識)は、2012年7月の循環バス運行開始時点から変わらない。Googleストリートビューでさかのぼることができる2012年10月時点と比べても、位置も向きもおそらくまったく変わっていない。※2013年に循環バスが「ぐるる」と命名されたので、表示板は変わっている。
2本のポールの部分には縁石があって、その付近での乗降は基本的にはできない。

それが現在は、
昨2020年12月
一般路線用は屋根の下、先方へ移動。循環バス用も手前側のギリギリ屋根下に動いた。

ポールの位置が変わったのに気付いたのは、2020年10月下旬。
10月下旬、向かい側から
当初は、一般路線用はさらに先方の屋根の端に置かれていた。11月下旬までの間に数十センチだけ戻っている。
※上の写真手前の上り側表示板は、この直後に交換された

冗談なのかホントなのか「バス停ポールを長い時間をかけて、勝手に少しずつ動かし、自分の家の前までバス停を移動させた」という話がある。点字ブロックや電柱などとの関係もあり、そんなにうまくできないと思うけど。
でも、バス停のポールがほんのちょっとだけ動くことは、なくはないと思う。埋め込みでないポールの宿命として、風で倒れたり、工事や掃除や除雪のために動かして、以前とは少し違う置き方になってしまうことはある。勝手な移動ではあるが、秋田ではバス会社も気付かないのか面倒なのかそのままのことが多い。厳密には、反射材や時刻表の向きが変わると、困る場合もあるのだけど。

今回の場合は、上屋の範囲内ではあるが、1メートル以上移動している。1人で動かすのは難しい距離だし、部外者が勝手にそんなに動かすだろうか。
もしかしたら、10月1日のダイヤ改正の時刻表を張り替える時に、バス会社側が動かしたのかもしれない。
だとしても、動かした意味はあまりないと思う。
移動前から、バスは屋根・点字ブロックのある場所に合わせて停車するのが原則。乗る客がポールに合わせて整列するわけでもない。
屋根の下で時刻表が見られて雨の日に便利なことと、一般路線と循環バスのポールが離れたことで、客の乗車意思表示や運転士の乗車客識別が、若干しやすくなったくらいか。

11月下旬

下り通町バス停は、減便が進んだ今でも、2~3台のバスが同時に到着することがある。また、すぐ先が信号機付き交差点であることもあり、赤信号などで車が連なると、バス停の出入りが少し滞ることもある。場合によっては、上屋から外れた場所でドアを開けることもある。「足もと(の縁石)に気をつけてください」と案内してくれる運転士もいるけれど、しない人もいるだろうから注意。

2台が同着
↑前の車は中ドアが上屋付近、前ドアは縁石ギリギリ。後ろの車は屋根の手前(写真が乗降扱い中かは不明だが、この状態で乗降させることもある)。
上の写真は前(14-28)が東武中古の中型ロングレインボーHRの新屋線、後ろ(13-82)がホテル自家用中古のエルガミオ【26日訂正】レインボー2の神田線。通町を通る“二大主要路線(個人の見解です)”であり、特徴的な中古車両2台でもある。

わずかな変化でした。市営バス時代にさかのぼると、また変化している
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NHKの鎖樋

2021-01-24 23:43:44 | 秋田の季節・風景
NHK秋田の平日夕方のローカル番組「ニュースこまち」。
終わり近くのの気象情報の中で、主に出演者、たまにスタッフや視聴者が撮影した、その日(たまに前日以前も)の気象に関係した写真が紹介される。風景とか雲とか。
中盤にある「季節の写真」コーナーと似ているが違う。全国版気象情報も秋田から伝えるようになって、全国版と秋田版の境の仕切り直しのような意味合いがありそう。

先週の水曜日、キャスターが撮影したという写真が出た。
↓以下の写真は、放送の翌日に、同じ場所を、違う方向から撮影したもの。放送されたのはこの左側から右方向を撮影。
だいたいこんな感じ
一見、太くて大きいつらら。軒先のような所から垂れ下がったのを、建物側から撮影している。
だけど、このつららには、芯のようなものが通っている。
テレビで見ていて、どこかでこういう(凍っていない状態)のものは見たことがあるような、とまず思った。

撮った若いキャスターは「NHK秋田放送局の玄関のひさしから下がる鎖のようなもの(に付いた氷)」とか説明した。
それを受けて若い気象予報士は「屋根の雨水を伝わらせて、下へ逃がすための鎖ですね」(←かなりうろ覚えです)みたいな補足を入れた。それで思い出した。そうそう。
日本家屋にはありそうだけど、NHKみたいなビルにもあるのか。そしてその名称は??

「鎖 屋根から水」で検索したらすぐ分かった。
「鎖樋(くさりとい、くさりどい)」。なるほどね。言われれば聞いたことがあったような…
Wikipediaには「日本家屋の軒先につるして利用する鎖状の雨樋」とある一方、「鎖樋は西洋でも使用されている。」とある。
見覚えがあるのは、和風の飾りが連なった鎖で、子どもの頃見て五重塔を連想した。NHK秋田のはリングがつながったシンプルな鎖。

今回のように鎖樋が氷で覆われるのは、珍しくはないようだ。
寒冷地・積雪地では、普通のパイプの雨樋は、たまった水が凍結して割れたり、落雪で壊れることがある。
鎖樋では、そのようにそれ自身が壊れることはあまりないらしい。ただ、凍結すれば重くなるわけで、上で接続する水平方向の軒樋などの補強が必要という情報もあった。あと、風が強い雨の時なんかは、鎖の途中で水が飛び散ることもあると思う。

「鎖樋」は専門用語に近いから、出演者が知らなくてもいい。だけど調べればすぐ分かること。もう少し分かりやすく説明できたと思う。昔のNHKは「アドリブやフリートークも台本がある」みたいに言われたけれど、ここはないのか。
それと写真。もう少し引いて撮ると、全体像が分かって、見てすぐ分かったかと思う。
あれでは「何かが凍っている」ことしか伝わらなかった視聴者もいたと思う。NHKとしてはその「何かが凍った画」だけ欲しくて、それでよかったのかもしれないが、それなら一般人のネット投稿と変わらない。報道番組なのだから、些細なことでも正確に詳しく分かりやすく伝えてほしい。
奥の黒いビルが秋田拠点センター アルヴェ、その右が秋田駅東口

土曜日に再び行くと、氷はすっかりなくなっていた。
場所は、建物北面の東端。
植え込みの右端から、その上のひさしに鎖樋が1本ある
ひさしには建物としての正式名称である「NHK秋田放送会館」が、目立たない文字で2面に。
いちおうここが秋田局の正面玄関のようだ。部外者が屋外から直接出入りできるのはここだけ。でも、西側でアルヴェの1階、2階に抜けられるので、その1階のほうがメインかもしれない。
ひさしの角っこではなく、少し後退した位置から下がる
よく見ないでしまったが、鎖樋は植え込みの中の地面につながっている。凍っていた時はその植え込みの上部にも氷ができていた。寒さの最盛期にはもっとすごい氷になっていたのかも。

先週末から秋田の冬とは思えない晴天が続く。朝はマイナス5度前後まで冷えこみ、昼はプラス。それでも寒いけれど、晴天だと体感も気分も違うもの。今週後半はまた雪。
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強風後の信号機

2021-01-21 23:38:21 | 秋田の季節・風景
秋田市楢山登町、県道28号・愛称(秋田市命名、ほとんど浸透していない)「南有楽町通り」。
国道13号、イオン秋田中央店側から来て、有楽町、秋田市中心部方向。
当ブログで何度か出てきた「刈穂橋東」交差点。丁字路が互い違いに2つくっついたような、交差点の中で赤信号で停められる場合もあるような、変形交差点。
左奥が刈穂橋、白い軽自動車がいる右から牛島旧道経由駅行き路線バスが出てくる
刈穂橋対岸は歴史がある馬口労町だし、城下町特有の鉤型の道路構造かと思っていた。ところが、明治の地形図を見ると、バスが出てくる(上写真手前右)道はまだできていない。1971年の地形図にもなく、1985年でやっと描かれていた。航空写真でも1960年代には細い道もなさそうで、新しい道なのだった。

県道は交通量が多く、カーブしていることもあって、信号機が3台設置されている。
左の信号機の周辺!

「時差式信号」の左は?

裏側から見ると、
「刈穂橋東」
いわゆる“交差点名の看板”、正式には「主要地点」の案内標識が、ひっくり返ってしまっている。130度くらいか。
9日の大雪の直前、7日夜の強風によるものと思われる。

英字なしの縦長・短冊形の表示板。信号機のアームに取り付けられた位置は、その長辺の中央ではなくやや下寄り。中央だと下を通る車に接触するため、上げているのだろう。
そんなわけで上部が飛び出た形になり、そこに風が当たって、てこの原理で回転しやすかったのかもしれない。
Googleストリートビューを見ると、2012年10月では普通だったものの、2015年8月以降は、わずかに(10度弱?)上を向いていた。同じ交差点の他の表示板は目立った変化がないことからしても、これだけわずかにネジが緩んでいたこともあるのかも。

冬は北~西から風が吹くわけで、7日に観測した最大瞬間風速も西の風36.9m/s。
この標識は南南西向きくらい。北や西から風が吹いたのなら、逆方向に回転するはず。また、この場所の北や西側には、ある程度建物があって風は弱まりそう。
停電が多発したように、いろんな方向から風が吹き荒れたり、建物で風の強さと向きが変わったりしたのだろう。
※刈穂橋東はこの後、2月26日までに、正しい向きに戻された。


年間を通して、強風は珍しくない秋田市。観測史上の最大瞬間風速では10位が37.8m/sなので、今回はわずかにランク外。1位は1991年の台風19号(りんご台風というのどかな命名がされた)の51.4m/s、2位は42.7m/s。千秋公園などで木がたくさん倒れた2012年4月の40.8m/sは5位。
今回のように信号機の表示板類が動いてしまったのは、前にも見たことがあった。
ほかにも、2012年には信号機のフード(ひさし)が外れてしまったものが散見された【23日追記・今回の強風ではフード外れは見ていない。風の吹き方などの違いか、近年はフードなしやカプセルフードなど信号機自体が変わったためか】。もう1つの強風の影響が、今回も発生していた。
手形陸橋の通り・手形側。野崎バス停付近から西方向
昨年取り上げた、手形陸橋の東へ続く通称がない通り
押しボタン式信号が6つ連続する通りでもあり、その時に付けた番号(西から順)で言うと、上の写真手前が3番で、奥が2番。ここにおそらく強風による変化が。
上と同じ向きで少し位置を変えて
上の2つの写真で、手前の右側と、奥の左側の車両用信号機。
西へ進んで手前が2番。奥の1番は影響なし
一直線の道路だから、正面を向いて道路と直角になっているはずの信号機が、そっぽを向いてしまっている。
上と同じ向きでズーム。左の信号機が向かって左(道路外側)を向いている

逆の東向き、3番の信号。左の信号機が向かって右(内側)を向く
↑この左の信号を真横から見ると↓
右・東側にずれている
柱とアームが一体化しているのではなく、円柱の柱に、高さと向きを調整できる可動式アームをボルトで固定しているようだ。【22日補足・加熱する時などに使う理科の実験器具「鉄製スタンド」のような構造。】
2番の南側の信号機は時計回り、3番北側は反時計回りに動いている。ボルトの締め付け具合などによって、信号機に風が当ったことで、柱を軸にアームごと動いてしまったようだ。
明らかに向きが違っているのは、通りの中でこの2つだけ。東西方向の道路だから、西から風が吹き抜け、締付けか周りの建物の影響などなのだろう。
また、主に東寄りでは、アームの形状や信号機のタイプも異なるので、同じ条件の風でも動きやすさは異なりそう。※冒頭の刈穂橋東は、円柱でもアームの固定方法が違うようで、回転はしなそう。

1991年の台風19号の時には、多くの信号機がこのように動いていたはず。当時初めて見て驚いた。
大きな交差点や視角制限された信号機で向きが変わってしまうと危ない。ここは誤認の恐れがないので、直ちには修正されないかもしれない。でも、すぐ近くに2階建ての建物があるから、もしかしたらその窓の中に直射してしまって、迷惑がられているかも。
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大雪から10日

2021-01-19 23:50:22 | 秋田の季節・風景
10日前に積雪60センチになった秋田市。その後、徐々に減って、18日には22センチ。
19日には再び寒くなって、吹雪き、36センチに達した。最高気温は早朝3時に1.3度、朝以降下がって、最低気温は18時台の-5.8度。
目立った被害はなかったものの、朝はひどく、高校などは休校、鉄道ばかりでなく路線バスも一時運休した(バスは午後までに再開)。
常緑広葉樹も針葉樹も、壁も窓も網戸も真っ白
【20日補足】上の写真手前左はもみの木みたいなの、左奥はツバキ、右はアオキ。アオキは葉が垂れているのに着雪した。その後ツバキでは積もったままで、アオキは滑り落ちた。
全方向から雪が吹き付けた感じで、どの向きもほぼ着雪。それが低温なので落ちない。信号機も同じ。
旭川・二丁目橋たもと「那波家の水汲み場」跡
岸側の水面は凍結している。【翌20日には融けていた。】
あさって・木曜以降はまたプラスの気温。


ここからは19日の降雪前、60センチの後の続き。
雪が収まって、道路の除雪、というより排雪(路肩などの雪をよそへ運び出すこと)は進んでいたが、まだ状態が良くない箇所もあった。
路線バスの運休や迂回運行も、徐々に解除。週明け18日には太平線だけになったと思いきや、19日の追加積雪などで、再度迂回したり、手形山など新たな迂回も発生している。
商業高校グラウンド前経由割山線の朝日町への迂回が続いていて(船場町経由は再開)、秋田商業高校の通学需要に応えられていないことになる(高校止まりの便もあって通常運行されているが、便数が少なく、割山線の補完が欠かせないはず)。迂回経路から遠くなり、代替交通機関がない、勝平小学校~松美ガ丘周辺の住民の足としても。
※平常時から、歩いて勝平新橋を渡って、対岸の秋田営業所(大川反車庫)発着のバスを利用する生徒もそれなりにいる。本数が多く、安く、混まないし、歩くのが大変でなければ賢い選択だ。

もう1つ主要路線で迂回が長く続く(一瞬、解除された)のが、神田線・添川線の桜町~天徳寺地下道~天徳寺前の市道。
泉踏切を渡る県道へ迂回している。迂回により神田線は若干距離が伸びるが、添川線は三嶽根をショートカットしてしまう。
【20日画像追加】(再掲)雪がない時の桜町、下の写真とは逆方向

先週後半の桜町付近
車道中央は路面が見え、乾きつつあるが、端は雪。
左・泉側は歩道で、歩くことはできる。白い棒(デリネーター)が立っているのが、車歩道の境だから、寄せられた雪で50センチほど車線が狭くなっている。
右の保戸野桜町側は歩道なしで雪がたまっているから、狭いだけでなく歩行者は車道に出ないといけない(雪がなくてもそれに近いけど)。
秋田東中学校前なども同じような道路、雪の状態だが、この時点で路線バスは通っていた。
こっちのほうが距離が長く、車の通行量も多いから、バスを走らせるのは危険という判断なのは分かる。
下り桜町バス停の迂回の告知
添川線の言及がないのが不親切。発生直後ならばやむを得ないが、この時点でないのは。
「悪路により交差が困難なため安全運行ができません」「除排雪作業が終了し、安全運行が確保でき次第通常運行」とある。
迂回区間では乗降を取り扱わない、つまり臨時停留所を設けるなどせず、走り抜けるだけ。これは秋田の他の場合でも、弘南バスでも、近年は同様の対応を取ることが多い。事故防止のためとか、警察や運輸局からの指導とか、理由付けされるのだと思う。
でも、ここの場合、期間も歩かされる距離も長く、困る人は少なくないと思う。

写真の状況では、普通自動車の通行にはほぼ支障がない。だから、秋田市役所も急いで路肩の雪山を崩す排雪をしていないのだろう。住民の多くも、自家用車で通ることできれば、それで満足なのだろう。
でも、歩行者や路線バスのことをもう少し考えてくれても。
最近は「雪に強い街づくり」を行政も住民も理想としがちだが、それを「普通乗用車が通れる状態に除雪する」で済ませてしまっているのではないだろうか。
バス会社は必要に応じて、道路管理者に対して除雪の要望はしているらしいが、それはどういう形なのだろう。まさか担当者が(市道の場合)コールセンターへ電話して、と市民と同じ形じゃないでしょうね。市民の足を担う公共交通機関なのだから、社長とか営業部長の名前で、市長や建設部長に対して申し入れをして、しっかりとやってもらうべきだと思う。

ところで、上の桜町の掲示。黒マジックで消されている箇所がある。悪路区間として「菊谷小路~すわ町」、迂回先として「通町~聖園短大前~附属校園前」。
つまり、先日、2006年の大雪の例で示した県道233号線が通れない場合の対応だ。
やはり中央交通としても、大雪当初は、桜町とともに、菊谷小路も通れなくなると想定して、掲示を作っていたようだ。今回は思いのほか早く、菊谷小路が除雪されたのだった(にしても早くはないと思う)。


片方向の車道半分近くをふさぐ形で雪山が放置されていた、市道・大町通りの秋田ニューシティ跡地前は。
削られた【20日補足・撮影位置は日銀前。先方の跡地まで同一直線に削られている】
路肩には雪山が残るが、車の通行には支障がなくなった。

【バス迂回のその後】
週後半には太平線などの迂回は終わり、神田線添川線の桜町と、商業経由(本数が少ない県庁経由も)割山線の松美ガ丘だけになった。24日・日曜には桜町の迂回がやっと解除、割山線はまだ続くようだ。
割山線の迂回は26日・火曜日昼前についに解除。やっと全路線が通常運行に戻った。

※その後2月に入ってからの雪の状況
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写研書体ついにデジタル化

2021-01-18 23:59:21 | 文字・書体
素人の知ったかぶり記事ですので、ご承知おきを。
今日、当ブログのアクセス解析を見たら、アニメ「クレヨンしんちゃん」のサブタイトルの書体「ファニー」と、「石井丸ゴシック体」の記事へのアクセスが、急に増えていた。
写真植字機(写植)メーカー「写研」の書体の記事である。
それらで触れたように、パソコンを使ったDTPが普及し、他社がパソコンで使えるデジタルフォントを発売していく中、写研はそれを拒んできた。1990年代までは写植が印刷の主流であり、写研の写植機・書体が印刷物やテレビの字幕などで、とてもよく使われていた。そんなトップメーカーであった写研も、今はごく一部でしか使われない。

そんな中、2011年には、写研が自社書体をパソコン用書体、つまりデジタルフォントとしての発売に向けて、準備中であることを公表。だけど、いつまで経っても続報なし。
2018年には、創業者の娘で(かつワンマンで?)あった社長が、92歳で逝去。
2020年には、埼玉県にあった写研の工場が解体。
写研の写植機は、ISDN回線がつながっていて、使った文字数分の料金を取られる仕組みなのだそうだが、そのISDNサービスは2024年で終了予定(「INSネットディジタル通信モード」2018年にNTT東西が発表)。
今も企業としては存続しているものの、この分ではデジタル書体発売はおろか、会社自体が…と思っていた。

アクセス解析を見た後、ネットをさまよっていると、情報を見つけた。驚いた。
「モリサワ OpenTypeフォントの共同開発で株式会社写研と合意」
元は写植の2番手メーカーであり、今はデジタルフォントのトップメーカーである「モリサワ」のプレスリリース。
写研の書体を、モリサワと共同開発という形で、デジタルフォント化することに合意したという。2024年から順次リリース予定。
※2社での「共同開発」であって、会社合併とか提携とか、譲渡とかでない。

モリサワは、写研から独立してできた企業。
1990年代にはモリサワ「新ゴシック(現・新ゴ)」が写研「ゴナ」に似ている(ゴナのほうが先)と、写研が訴えたこともあって、ただのライバルではない関係と思っていた。
それが手を組むというのもすごい。
※2024年は、独立前に写植機の特許を申請して100周年とのこと。

実現しないかもと思っていたことが、あり得ないと思っていた組み合わせで実現しそうという、二重の驚き。
まだ3年以上あることになるが、大手モリサワが関わるのなら、よほどのことがない限り、実現しそう。
でも、写研でも電算写植というのがあって、書体のデジタル化自体はしているようだ。それをパソコン用にするのに、3年もかかるもんだろうか。ISDN終了まで引っ張って、写植業界の“既得権”を守るとかかも。そしてその後、写植はすっかり過去のものになるのだろうか。


このニュース、一般的にはそう話題にはならないだろう。
ツイッターでは、写植、写研、書体の愛好家を中心に多くの声があり、総じて歓迎する声。
ただし手放しで喜んで使いたいというものよりも、実現は「今さら/やっと/遅かった」とした上で「写研の『書体が消滅せずに残ること』」を歓迎するというのも多かった。

以前の繰り返しで、多くの方々もおっしゃっているが、デザイナーや印刷業界人でも、写植を知らない、写研書体を使ったことがない人は増えている。玉石混淆ではあるが、高品質なデジタルフォントも増えた。鉄道の駅名標や案内、テレビの字幕、高速道路の案内標識、写研書体でなくても成り立っている。一般人の多くは写研書体を求めているわけでもない。
写研書体は美しいけれど、ユニバーサルデザイン・視認性も求められる今では、どうだろう。
およそ20年のブランクの後、写研フォントが使えるようになっても、かつてのようにあちこちで写研書体を目にする世の中になるとは思えない。選択肢は増えることになるが、選ばれるとは限らない。
モリサワが、現行の各フォントとは違う売り方を工夫するとかなら、また違うかもしれないが。

昔の官製はがきの「郵便はがき」は、おそらく写研の教科書体(石井中教科書体?)。
写研の教科書体は、昭和末時点では実際に文部科学省検定済教科書にも使われ、秋田市で採択されていた教育芸術社の小学校音楽などがそうだった。光村図書の教科書体(イワタ教科書体と同一?)と比べて「き」の3角目がスッと長く、全体には柔らかい雰囲気。
写真の切手部分がトキの世代が最後。次のスズメ世代からは平成角ゴシック体になった。2007年10月の日本郵政発足時が切り替えらしく、郵政民営化を機に書体を変えた=写研をやめたことになる。
※厳密には官製はがきは郵政省時代の呼称。郵政公社時代は公社はがき、今は郵政はがきなどと呼ぶ。

モリサワ以外の各フォントメーカーとしては、どう見ているだろう。戦々恐々か余裕か。
モリサワとしては、どう転んでも損はしないのかな。仮にゴナがデジタル化されれば、モリサワの新ゴと併売されることになるのだろうか。ややこしくなりそう。
例えば、いすゞ自動車と日野自動車のバスの製造部門が経営統合した時(これも驚いた)は、両社で競合していた車種は実質統合(片方の車種を製造しなくなり、相手方の車種の名前だけ変えて販売)されたことがあった。フォントではそれはないかな。


現在、モリサワ公式サイトでフォントを購入すると、1書体買い切りだと約2万円(他の方法もあり)。
写研フォントもその値段だとすれば、高くはないかな。でも、自分だったら、うーん。
僕はモリサワフォントでフォントの美しさを知ったので、買うなら元々のモリサワ製品で充分。「ナール」なら、欲しくなくはない。

今なお写研書体を使い続けている、シンエイ動画(クレヨンしんちゃん)と一般道の管理者(ナール案内標識)には、使いやすく、そしておそらく安くなるだろうから、朗報でしょう。

再掲)あと3年ずれていれば「大学入学共通テスト」がデジタルナールにできていたかも

今年いちばんびっくりしたニュースでした。まだ1月18日だから18日間でだけど。

【19日追記】関係ないけれど、フォント業界の話。
以前、羽後交通のバス停の表示板の書体を調べた。そのうち一時期は「織田特太楷書」もしくは「楷書体マール」だと思われる書体が使われていた。どちら作者が同じで類似しており、前者は写研の写植書体、後者はデジタル書体でキヤノンから発売されていたものの撤退。どちらも今は、使うにはハードルが高い書体。
先日、コメントで、羽後交通バス停は楷書体マールをベースにしたものではないかとの指摘をいただいた。その際、同書体が2020年12月からダウンロード販売されているとの情報もいただいた。元々の発売元である出版社「マール社」のサイトで、1万2千円。
再発売っていうこともあるのかと少し驚いた後、それ以上の今回の話。
織田特太楷書もデジタル化される可能性があるわけで、一時はレアだった2書体が別の形ながらそろって、よみがえることになるかも。
そして、このように写研以外でも、フォント業界に新たな動きが出てきているということになるのだろうか。

【3月10日追記】3月8日には、写研の公式ホームページが公開!!
ドメインは以前から取得してあったとのことだが、中身がついにできた。いくつかの書体の見本も掲載され、パソコン画面でクリアな写研書体を見られる。そのほか、写植機の保守などに関する情報があるが、今後の充実に期待。

【2022年11月26日追記】2022年11月24日付で、モリサワホームページに「モリサワ 写研書体を字游工房と共同開発 2024年に「石井明朝」「石井ゴシック」の改刻フォントをリリース」が掲載。
2024年に発売される写研フォントは、石井明朝2書体と石井ゴシックとなることが発表された。モリサワ傘下で、写研出身者が創業した字游工房も関わる。
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最初の共通テスト 秋大会場

2021-01-17 23:00:02 | その他もろもろ
大学入試センター試験に代わる、初めての「大学入学共通テスト」のうち、受験者がいちばん多い最初の試験が16・17日に行われた。
以下、試験内容の話ではなく、会場の看板の話がメインですので、検索等で期待してアクセスいただいた方はごめんなさい。

両日とも全国的には大きな支障はなかったものの、16日の稚内市の会場では暴風雪で全日程を中止。共通一次~センター時代も含めて、初めての事例。
そのほか、日程に影響なくても、大雪が融けずに残っていて、行き来に苦労した会場もあることだろう。
今ごろは、北日本・日本海側では、いちばん天候が荒れやすく、交通機関や道路に影響が出やすい時期。その住人からすれば、これだけでハンデキャップ。
以前も指摘したように、実施時期を少しずらしてもらえれば、そのおそれは激減する。秋入学などでなく4月入学のままでも可能だと思うから、該当地域の県知事あるいは大学学長が連携して提言するとかしてもらいたい。
昨年、秋田でも特に雪深い地域出身の総理大臣が誕生したわけで、その苦労はご存知のはずだけど……

それに加えて、昨春から新型コロナウイルス流行が続き、これまでにない生活や勉強スタイルを求められ、さらに第3波、一部地域で緊急事態宣言下での試験実施。
さらにさらに忘れそうだけど、共通テストの新機軸として、民間の英語試験活用や記述式問題導入も予定されていたものの、不安の声が出て、約1年前になって見送りが発表され、国の詰めの甘さに振り回された。
共通テスト1期受験生は、いろいろと大変な環境下での受験でしたね。


とは言うものの、外から見ていれば、試験内容以外はセンター試験時代とさほど変わらないような。主催者も日程も主な会場も同じだし。
例えば、以前取り上げた「格言鉛筆」の使用の注記や扱いは、センター試験時代と変わっていない。

今年はコロナ対策で昨年までと違う点もある。
試験が1回増えて3回。1月16・17日の本試験第1回の後、コロナで学業が遅れたと認められた者の本試験(=本試験としては第2回)兼、今回の第1回本試験の追試験(=追試験としては第1回)として30・31日、さらにその追試験としての特例追試験を2月13・14日。
30・31日の試験場(試験会場)がややこしい。1回目の「追試験場」としては全都道府県に1つ以上(北東北では弘前大、岩手県立大、秋田大)設けられるが、2回目の本試験の会場としては全県にはなく、北東北3県にはなし(南東北は3県ともある)。これは学業が遅れた事例がなく、希望者がいなかったことによるものなんだろうか。2月13・14日は東京と神戸の2つだけ。


最後のセンター試験での秋田大学試験場を紹介した。
大学入試センターが名付けた「試験場名」の命名が統一されていないことを指摘した。「秋田県立大学秋田キャンパス試験場」があるのだから、「秋田大学手形キャンパス試験場」「弘前大学文京町地区試験場」になるかと思いきや、「秋田大学試験場」「弘前大学試験場」。共通テストになっても変わっていない。

センター試験時代、各試験場の門に設置される立て看板は、それぞれで作るらしく、サイズも書体も文面すらまちまちだった。
試験室で監督者が発言する“台本”まで用意するのに、こういう点はいい加減。
(再掲)センター試験秋田大学試験場の看板
秋田大学では、やや小さめながら、金属の縁があるしっかりした看板。書体は写研「ナール」なので新しいものではないと思われるが、まだ充分使えそうだった。名前が変わってしまうのだから、これも処分されるのかと予想した。
共通テストになって、新しい看板は、大学入試センターから一括して支給されるのかも、と思ったが…
今回の看板。雪のためかいつもより右側に設置され、門の「秋田大学」にかぶってしまった
枠付きで、おそらくサイズや「秋田大学試験場」の文字は同じ。つまり試験の名称部分だけ、きれいにはがして貼り直したらしい。
アップで映ったテレビの映像を見ても、上張りではないし以前の痕跡はなさそうで、丁寧な仕事。もう30年は使えるかも?!

報道を見ると、共通テストになっても、看板は各会場まちまち。
弘前大学ではモリサワ「新ゴ」で「大学入学共通テスト」を小さく、「弘前大学試験場」を大きく表示し、やはりセンター試験時代を踏襲している。
昨年の福井大学では「令和2年度大学入学者選抜(改行)大学入試センター試験(改行)福井大学試験場(改行)(文京キャンパス)」と正式名称を表示していた。年部分は上貼り。※福井大は2つのキャンパスが試験場で、ここは正確には「福井大学文京キャンパス試験場」。
それが今回は、「令和3」のほか「大学入学共通テスト」も貼っていた。お手軽。
福井放送より福井大学準備風景
これらを見ると、例えば看板製作の実費をセンターに請求できるとか、それなりの額の製作費が一律支給される、というわけではないのでしょう。


秋田大学に戻って。
試験前日にだけ設置される「試験室棟の下見時間は、(改行)午後 時までです。」も、以前(2020年は未確認)と同じく、試験場看板と同サイズ・ナール(句読点の位置がヘン)のものを継続(今年は左端に設置)。

さらにもう1つ、上の新旧写真にも写っている、関係者以外の入構規制期間を示した看板があった。これはサイズは同じながら枠がないもので、平成角ゴシック体と、やや違う仕様。
ナールは写植書体、平成書体はデジタル書体であり、センター試験初期には誕生していたが看板には使わなかったと思うから、後で作ったのだろうか。

共通テストでも、規制期間は同じようだから、使い回すかと思いきや、全面刷新。
試験名称以外は同じ文面、改行位置も同じ、「秋田大学」は本文と同サイズで小さくなった。フォントは新ゴ。
平成じゃなくなったから平成書体をやめた、わけではないでしょうけど。なお、新ゴは1990年発売(当初は写真植字機用「新ゴシック体」として)。平成角ゴシック体は1989(平成元)年にデザインコンペで選ばれて、命名・細部を調整後、1991年から機器に搭載(NECのワープロ「文豪」など)されたらしい。

「大学入学共通テスト」の書体。
丸ゴシック体だけど、「秋田大学試験場」と比べて分かるように、ナールではない。
「学」の7画目(「子」の2画目)が上に飛び出して「予」みたいで、変わったデザイン。

これを手がかりに調べると、ニィスフォント「JTCウインR」らしい。モリサワ「じゅん」と似ているが「共」の下の2点から判断。【20日コメントで指摘いただき訂正、以下の該当箇所を削除】やっぱりモリサワ「じゅん」とのこと。JTCウインRと作者が同じで、よく似ていると思う。
デジタルフォントで、2000年代にはテレビのテロップなどで多用されたが、近年はちょっと影が薄いかも。
今、ナールの代用としてはフォントワークス「スーラ」が圧倒的多数、ここは隣の看板がモリサワフォントだから、同社の丸ゴシック体「じゅん」等でもいいのに。業者側なのか秋大側なのか、珍しい選択。
何が何でもナールというお役所仕事でなく、かつ古い板を大切に使ったのは評価すべきだし、JTCウインRも場違いではないとは思うけれど。

【上記訂正により以下は関係ない話になってしまいます。】
JTCウインRといえば、秋田市営バスから移管直後に、秋田中央交通が設置していたバス停表示板の文字。
「通町」バス停

再掲)今はなき「吉学寺入口」バス停
バス停の「学」は7画目が出ていない。
ということは、JTCウインRは、途中で一部のデザインが変わったということ???

【2021年2月26日追記・秋田大学の二次試験の看板について】
昨年の二次試験時の看板は、センター試験とおそろいのナールの「秋田大学入学試験場」だった。これは問題なく今年度以降も使い続けられると思っていたが…
実際には、金属枠なし、角ゴシック体の別の内容に変わってしまった! テレビで見ただけなので、本格的な看板か紙印刷かは不明。
「秋田大学入学試験会場」と大きく、小さく「(国際資源学部・教育文化学部・理工学部)/※医学部の試験場は本道キャンパスです。」と、学部による場所の違いが明示された。また「試験場」から「試験会場」に変わった。

【2022年1月16日追記・翌2022年1月の共通テスト 秋田大学試験場の看板について】
大学名の表札にかぶらず、以前のようにその左隣に、左・入構規制ご理解願います、右・試験場の2枚の看板(看板は2021年と同じ)を設置。(以上追記)


最後に試験室内。
秋田県内で試験室内が報道公開されたのは、今回も秋田大学の、おそらくいつもの講義室。
秋田朝日放送より
東京大学の試験場では、コロナ対策で、着席する席は列ごとに互い違いというか、いつもより複雑な配置。着席してはいけない席の机上に、大きな赤い「×」を貼っていた。養生テープのようなものをカットして作っているのかもしれないが、それだけで作業が大変そう。
秋田大学では、1列おきに使っているものの、各列とも両端の席を使い、着席不可席の表示もなさそうで、一見、いつもの風景。列当たりの席数(偶数奇数とか)や全体の収容人数の都合もあるのでしょう。

その講義室の風景。
よくある、傾斜が緩い階段講義室なのだけど、横が黒板だらけじゃありません?
左右の側壁に2枚ずつ確認できた。立派なというか、それ単体で小さい部屋の正面の黒板として使えそうな黒板。
秋田テレビより。後方の高い部分にもある
「背面黒板」というのはWikipediaにも項目があるほど一般的。教室後ろの壁に設置された黒板。
自分の経験では、小学校にはなくて掲示板だったが、中学校では行事予定などを書くのに使っていた。高校にもあって用途はあいまいだった気がするが、数学の先生で好む人がいて、解法が長くなった時など「せば、続きは背面!」と、後ろにすらすら書いていた。落書きにも使いやすい?
だけど「側面黒板」など始めた見たかも(全国的にはなくはない)。

大学では、正面以外に黒板などあったっけ。講義室の側面は、壁か窓かドアしかなかったと思う。
理数系の学部の部屋で、それこそ数式などをびっしり板書することがあるのだろうか。座席固定で、柱が飛び出た部屋で、階段の低い部分から後方などでは、死角が生じて授業中には使いづらそうだけど。
移動式のホワイトボードもある。NHKでちらりと映ったが、黒板ふきは前方に4個。
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津軽弁当 ひとくちだらけ

2021-01-15 00:01:16 | 各地お土産・食べ物
昨2020年11月に弘前駅で買った弁当。
方言でなく弁当の「津軽弁」の1つ。複数の業者が、それぞれ独自の津軽らしい弁当を開発・製造し、弘前駅の自由通路でまとめて販売するもの。※他の場所で売られることもあり、後述。
厳密には「駅弁」ではないが、後述の通り駅弁として扱う場合もある。
これまで、2011年に「たか丸くん弁当」、2012年に「太宰治生誕記念弁当」を紹介済み。

津軽弁は、2010年の開始時点で36種類あった。その後、入れ替わりがあり、種類は減っていると思われる。公式な告知サイトやパンフレットなどはなさそうだし、毎日全種類売られるわけでもないので、一期一会というか運。駅弁はそんなもの。
新型コロナウイルスでどうなっているか分からなかったが、これまでと同様、改札口と相対する通路中央に出店があった。
おそらく5種類ほど入荷し、昼過ぎ時点でうち2~3種ほど売り切れ。津軽弁以外の惣菜みたいなのも少しあっったかな。決済は現金のみ【17日補足・当時実施中であったGo to トラベルキャンペーンでもらえる「地域共通クーポン」の紙版が使えた。店名は「津軽振興会」らしい。リンゴも売っていた。】。

事前にネットで存在を知っていたものが2種ほどあって、その1つを購入。
津軽めんこい懐石弁当 ひとくちだらけ 税込み1350円、955kcal、食塩相当量11.3g(多い! 推定値だけどホント?)
太宰治生誕記念弁当と同じ、五所川原市の「つがる惣菜」製。仕出し弁当などのお店のようだが、津軽弁シリーズを複数作っていて、熱心。

木目模様が入った黒い紙箱に入った地味な外観だけど、中は、
色とりどり(つまようじ、濡れおてふき付き)


中のトレイが4×6=24マスに区切られ、そこに全部違うものが入っている。商品名の通り、一口ずつ楽しめる。
おしながき
買う時に、中味の写真を示して「ごはんモノはこれだけですがよろしいですか?」と念押しされた。ごはんモノは左側1列4マスだけ。上からほたて飯、イナリ寿司(津軽独特の赤いごはん)、しじみ御飯、若生おにぎり(昆布で巻く)。米は青森県産。
あと、右端上から2番目は黒石焼そば。
肉類は、くわ焼(鶏)、牛バラ焼(十和田バラ焼)、豚みそ漬(ガーリック豚使用)、牛源タレ焼、鶏肉塩焼(桜姫鶏と源タレ塩味使用)。
ホタテは、煮、唐揚げ、酢と3区画。イガメンチもある。

漬物は、左から3列目最上段の赤紫の米の漬物「すしこ」、その下の飯寿司「紅鮭寿司」が特徴的。
右上は津軽伝統だという「カボチャ餅」。この辺は、この業者の得意なのか、太宰治生誕記念弁当にも入っていた。
もうちょっと食べられたらと思うものもあったけれど、楽しくておいしかった。旅先で1度しか食べられない時、ダイジェスト的に地元の食事を知られるのは悪くないと思う。

ネット上の情報より。
・2016年から発売されていた。
・2019年にJR東日本の「駅弁味の陣 2019」にエントリーし、「盛付賞」と「Ekiben Ichiban 賞(多言語サイトからの投票集計)」をダブル受賞。JR東日本としてはこれを駅弁と認めていることになる。
・かなり評判がいい。酒のつまみとして好まれる。ただ、購入後食べるまでの扱いが悪いと、中がメチャクチャになっていることがある。
・新青森駅のほか、東京駅の「駅弁屋祭」でも2020年末の時点でも発売。入荷時刻が遅く、数も限られているため「幻の駅弁」と言われる。
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雪道さまざま2020

2021-01-14 00:00:00 | 秋田の季節・風景
【実際には13日22時59分初回アップですが、1日に複数本の記事をアップすると分かりづらいため14日0時00分付とします。】
大雪が落ち着いて、暖かくなった秋田市。12日は3.3度、13日は5.9度まで上がり、晴れたり、少々雨が降ったりした。
道路は最悪の状態になるかと予想したが、実際にはおそれたほどではなかった。生活道路はシャーベット状のところもあるが、幹線道路は支障がないレベル。
現状では直ちにどうしろと文句を言うほどではないと思う。前回述べたバス運行状況の提供や、県道の除雪など、今後のために後で検討すべきことはあるけれど。
2006年と比べるととてもスムーズに雪が少なくなりつつあると感じる。それだけ2006年のほうがひどかったらしく、男鹿線や五能線が4日間運休したり、秋田市では、スーパーに商品が納品されなかったり、ごみ収集ができなくなったりしたそうだ。すっかり忘れていた。

前回に続き、12・13日の秋田市中央地区の状況。
前回危惧した、県道233号の菊谷小路。
12日

(再掲)未除雪の11日
路面の雪が寄せられ、路肩の雪山も削られた。13日には、路面が露出しはじめ、雪山も少し小さくなった。
この調子なら、融けてもさほど路面状態は悪化しないと思う。バス運行も継続できそう。

13日付 秋田魁新報 秋田市地域面が、県道の除雪状況を報道した。
今回の大雪による除雪を、12日までに「対象としている車道計282キロを3巡した」とのこと。菊谷小路は最後の最後に1巡だけだったのでしょうかね…
「昨年12月1日から1月12日までに34件の苦情や要望が寄せられた。」秋田市のコールセンターへの件数と比べるまでもない少なさ。(秋田市などから取り次がれたものはカウントしているのだろうか?)
34件の少なさは県の除雪がしっかりしているからではなく、「秋田県では秋田市のような手厚い受付態勢がない」「しかも秋田県が受付窓口の周知をほぼしていない」「そのため、県道への苦情も秋田市のコールセンターへ行ってしまう」「そもそも県道と市道を区別できない住民が多い」といったことが理由だろう。


以下、しばらく秋田市道の状況。
2013年の大雪では、めちゃくちゃな凸凹だった、大町通り・赤れんが館通り。
12日。大町五丁目
歩道がない路肩に雪山ができてしまっているが、車両通行には問題ない路面。中型バスとごみ収集車がすれ違い可能。
その1本東、川反通り。
13日。左の空き地が旧大町交番
たいして車が通らないし、通学路でもない(住人は極めて少ないだろうし、学区の端)のに、とてもきれいに除雪されていた。

旭川を渡って、少し南。池永小路。
13日。土手長町通り・四丁目橋側から。奥が中通・市民市場方向
わだちによって路面が出ている。川反の除雪をこちらへ少し振り分けても良かったのでは。

また対岸・北へ戻って、大町二丁目側の大町通り。秋田ニューシティ跡地前。
路肩に雪山が!
2017年もこの状態でしばらく放置されて、バス通りなのに実質1.5車線対面通行になってしまっていた。シーズン後に、道路管理者の秋田市へ指摘したところ、連携がうまくいかず云々の説明があったのだけど、まただ。
4年前同様、ニューシティ跡地の敷地内には雪が行かないように配慮して積み上げているから、“確信犯”【14日補足・というか、これで差し支えないと判断して意図的にやっている】だろう。
通町方向へ北進する車も困るが、こちら側を歩きたい歩行者のことは何も考えていない。ここを歩きたがる歩行者など、よほどの物好きだから問題ないけど。
自動販売機へはたどり着けない?
【14日追記】寄せた雪によって自販機が使いづらい状態になっているのは、行政による民間に対する“営業妨害”とも考えられる。
バス停部分は道ができていて、日銀の敷地へ抜けられる。

大型バスと軽自動車はかろうじて交差
川反の除雪をこちらへ(以下同文)。

ニューシティ跡地の大町通り側は、イベント広場という名目で、普段は空き地(いつまでこのままなの?)。
現在は、出入口周辺の一部だけが路面が出るまで除雪され、車が何台か停まっている。辻兵関連の従業員か何かの臨時駐車場にでもなっているのだろうか。
結局使っていないスペースもあるのだから、道路の雪をそこへ置いていいですよ、と辻さんに心の広いところを見せてもらえたらな…

通町を越えて、保戸野中町通り。
13日。ざらざらざふざふ
これは今後が心配。幼稚園の前で、保戸野小、附属学校とも近く、車もそこそこ通るのに。
ところで、この通りは古くからのお屋敷町。辻さんもお住まい。
除雪に関してホントかウソか「議員や役所幹部の家の前の道路は、除雪が優先的または丁寧に行われる」という雪国あるある話がある。秋田経済界を代表する人物の家の前にも、同様の“忖度”があっても良さそうなもの。でも、この状況を見れば、少なくとも秋田市と辻さんの間には、それはないようだ。
この付近は、13日夜になって除雪作業が行われている模様。


最後はまた南下して、再び県道へ。28号「南有楽町通り」。
12日。奥の橋は下新橋
車道は雪なし、歩道との境に雪山。歩道もロードヒーティング(融雪装置)で歩きやすいのだが、100メートルほど融雪が機能していない。
おそらく先に歩いた人たちが踏み固めてくれたであろう、少々不安定な道ができていた。
冒頭の魁の記事では、県道の秋田市内の「歩道102キロ」は「13日早朝までに1巡する見込み」とのこと。
ここは融雪があるから、そもそも102キロに含まれないのかもしれないが、この状況は把握しているのだろうか。直ちにはやらなくてもなんとかなっているけれど、いずれはやってもらったほうが。

そのほか、横断歩道の車道と歩道の境目だけ、同じような所もある。近隣の人達が寄せてくれることも多いが、できない場所もある。前も指摘したけれど、県外で事例があるように、スコップを設置して、通行人が信号待ちの間に寄せられる態勢を作ってほしい。その程度の自助・共助ならば、喜んでやりますよ。

【14日追記】翌14日の泉地区は、道路状況が悪い道が多かった。ぐしゃぐしゃだったり、寄せただけで雪山が点在したり。
続きはこちら
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昔の弘前を覗く

2021-01-13 00:09:50 | 津軽のいろいろ
秋田市の次によく知る街である、弘前市。でも、自分が直接知っているのは1995年以降。それ以前のことはほとんど知らない。
最近、インターネットの2つのサイトなどのおかげで、知らなかった昔の弘前を少し知ることができた。

1つは「弘前市立中央公民館(@hirosakikoumin)」のツイッター。
弘前公園そばの弘前文化センターの中にある施設で、弘前の地理や歴史に関するツイートもしている。
秋田市では(町内会館的なものでなく、市役所の施設としての)公民館はなくなり、今は市民サービスセンターの一部になっているが、その往時のような体育館と文化施設がある地域の拠点みたいなものを連想してしまう。
弘前には市立博物館もあるから、歴史や地理ならそちらの業務な気もするが、担当職員の意欲の現れなんだろうか。
あと、どうせなら、投稿が次々に流れ去るツイッターではなく、自前のHTMLサイトとして残したほうがいいと思うのだが…

中央公民館が昨年秋頃にやっていた(11月の180回でいったん休止)シリーズ物のツイートが「ひろさき写真遺産」。※ツイッターでそう検索すると見られます。
※今は公式インスタグラムで続編が始まった。しかし、インスタはログインしない状態だと、見られる場合とログイン画面に飛ばされる場合が、気まぐれであるようだ。アカウントを持たない人のことを考えれば、不特定多数に見てもらいたい情報は、そのようなサイトに乗せるべきではないと考える。

市などが保存する昔の写真を紹介してくれる。よく知らない場所も多かったが、なるほどと見た。
興味深かったのが、休止前最後の「大町シリーズ(全74回)」。【追記・好評だったようで、2022年に同ツイッターで再掲載されている。】
駅正面の南側、大町地区の町内会が記録していた昭和末と平成初期の風景を、許可を得た上で、現在の写真とともに掲載していくもの。

大町のメインストリートは、今はヒロロ(旧・ジョッパル)の通り。
(再掲)2013年撮影。突き当りが駅
僕が弘前に行った前年にジョッパルがオープンしていて、周りの道路や建物はすでにほぼ今の形になっていた。
いかにも新しそうで、その分画一的でおもしろみがない街と道だと、今でも思ってしまうのだが、それ以前がどうだったかなど、考えたこともなかった。

ひろさき写真遺産では、ジョッパルと同時進行で行われた区画整理事業の、着手前の街並みと、変わりゆく街並みを見ることができた。
そこには、想像も付かないけれど、初めてなのに懐かしくも思える風景があった。

まず道路。今は片側2車線中央分離帯・歩道付きで、駅前ながら郊外のよう。沿道には全国資本の飲食店も複数あるが、駐車場や店でない建物もある。
以前は、歩道のない対面通行1車線。追い越し禁止の黄色いセンターラインで、40キロ制限。今の広い道は、土手町と交わった先、大成小学校方向は狭くなる(追い越し禁止はなし)が、そこと同じ程度(昔、突然道が狭くなるので、いずれ先も拡幅されるのかなと思った気がするが、そうならずに今に至る)。
沿道には、古い造り、もしくは失礼ながら簡素な造りの建物が多く、それらが密集していた。※区画整理を控えていて、古いまま手を付けなかったのもあるでしょう。
店の数は今よりずっと多く、ほとんどが地元のお店だった。ここも昔ながらの商店街(名前や通称はあったのかな)だったのだった。土手町とここを合わせれば、弘前駅周辺はかなりの店舗数になったことだろう。さすが弘前だ。また、イトーヨーカドー正面側の通りよりも、店が多そう【2月1日追記・←よく知らないで書いてしまった。かつてはイトーヨーカドー正面側も今とは違う景色だった。若干道が狭く、アーケードのある商店街。駅側からは今ほどヨーカドーの全体が見えない。だから昔はヨーカドー側も今以上ににぎわっていたのだろう。】。

雑然としながらも、活気があるように見えた。
道路すれすれが全面ガラス戸【2022年8月27日補足・閉店時はそこにカーテンを引く】で、そこに商品を並べたような、懐かしいお店もいくつか。
弘前市内の他の商店街も、昔は似たようなものだったとは思うし、秋田市の通町商店街の拡幅・再開発(1990年代後半)以前の街並みとも似た(飲食店は少ないが)雰囲気が漂う。

印象に残ったもの。
・駅前という場所柄のためだろう、喫茶店と駅前食堂的な飲食店が多かった。「世界のコーヒー」なる店も。
・酒店、不動産店、時計店が複数。※不動産屋は、今も残ったり、他へ移転したりして存続。
・弘前らしくリンゴ店のほか、ポンプ屋、刀剣店、ケース店、鋳造所、表具店と、変わった業種も。
・今も他の場所にある、こがねちゃん弁当やラグノオ(大町店)が、ここの駅寄りにもあった。

・駅寄りでは、車道の上にUFOのようなものがワイヤーで吊り下げられていた。街路灯らしい。
・アートホテル弘前シティとヒロロの間の、今は小さい十字路交差点が、五叉路だった。交わる道路そのものが、区画整理でなくなったらしい。
・駅を出てすぐのシティ弘前の場所に、大きなりんご屋があった。今はシティ内の弘前駅前郵便局も、その並びに単独であった。
・ヒロロの大きな交差点も、交わる並木通り自体が以前はなかった。今、ヒロロ隣接の並木通りになっている場所には、立派な商家らしい造りの「葛西ポンプ商会」。信号はあったが押しボタン式。【2022年6月28日補足・1985年にはポンプ商会現存、押しボタン。1990年にはポンプ商会とその周囲は更地になり、今の並木通りの幅の道路ができていて、押しボタンでない交差点に変わっている。】
(再掲)右奥が駅。左が並木通りだから、そこにポンプ商会があった
【2022年8月27日追記】・区間の西寄り・南側の大町二丁目バス停付近に「佐藤もち店」があった。現在、茂森新町に同名の店があり、看板のデザインが似ている。移転したのだろうか。

ありそうでなかったもの。
・区画整理で1990年に現在の建物になったというホテル新宿(現・弘前駅前ホテル)の旅館時代の姿はなかった。通りには面していなかったのか。【下の追記参照】
・区画整理後は、ジョッパルの駅寄りの隣のビルの1階に「今泉本店(2000年に倒産した地元書店)」の支店があったが、区画整理前にもあったわけではなかった。他にも書店は1つもなかったかな。
【2022年6月14日追記・その今泉本店が入っていたビルの位置(=五差路の角)に、「ライブハウス山唄」があったとのこと。区画整理ではす向かいへ移転し、2016年に閉店。】

貴重な記録である。町内会だけ、ツイッター上だけで残すのはもったいない。
弘前でさえこんな状況だから、秋田市など他の土地ではどうだろう。最近の秋田市では、市民が保管している古い写真や映像を収集する活動を、複数の団体等が実施してはいる。もっと体系的に、誰もが容易に見られるように残すことも大事だと思う。

【2022年6月9日追記】陸奥新報の連載「津軽の街と風景」において、2021~2022年に再開発前後の弘前駅前のことを取り上げていた(10月25日162回、12月6日164回、1月31日167回)。
貴重な情報が多く載っている(再開発前は「弘前第一ホテル」というのがあって、弘前随一のシティホテルだったなど)が、167回で旅館新宿に触れていた。
「駅の南側に位置する大町1丁目には、一軒家に旅館の看板を付けたような小さな旅館が、狭く入り込んだ通りに多数点在していた」「当時の駅前周辺には大きなホテルが少なく、小さな旅館が多数あったのである。」
それらは立ち退き時に旅館を辞めたものの「旅館新宿と旅館晃荘は、代替地を得て弘前駅前ホテルとビジネス旅館晃荘として今も営業を続けている。」


もう1つは、秋田市のことで何度か取り上げている「今昔マップ」。ソフト版もあるそうだが、オンライン版は「時系列地形図閲覧サイト」。
埼玉大学教育学部の谷謙二氏が運営するもので、国土地理院の地形図などを現在と過去を並べて表示・閲覧できる無料サービス。

県庁所在地を優先して公開していて、これまで青森県は青森市だけだった。弘前も歴史ある街だから、見られたらおもしろいと思っていたところ、1月7日、ついに公開!
福島県会津も同時公開で、東北地方の県庁所在地以外では、これらが初。
弘前市だけでなく、黒石市、五所川原市、大鰐町まで公開。【13日補足・前記周辺3市町は全域ではないが、それぞれの中心地は見られる。もちろん、弘前市とそれらとの間にある各地域も。また、つがる市木造や青森市浪岡地区も見られる。浪岡は青森市本体の今昔マップとは別扱いになっていて、浪岡から北へ移動して連続的に見ることはできない。】(いずれも現時点での自治体、地区名)

秋田市では1912年、1970年代、1980年代、2000年代の4つの地形図を閲覧可能。明治末の次は60年後で、その間も、できれば見たいのだけど。
弘前市ではその4つ(ただし、2000年代がなくて1990年代)に加えて、1939年も見られる。

ズームアウトした状態で年代を切り替えると、街の拡大していくさまが分かる。1990年代と今では変わらないが。
秋田市は、土崎と新屋という両隣の町も巻きこみつつ、しかも広範囲でだらだらと拡大したのに対し、弘前はお城から四方へ徐々に広がっている。

細かく見ると、弘前大学周辺はもちろん、松原地区の辺りまでは1970年代で今に近い宅地化がされていた。僕が住んでいた辺りも、大昔は果樹園(=リンゴ畑)で1970年代にはもう今と同じ。
安原地区は、1980年代でもリンゴ畑、1990年代にやっと宅地化が始まっていた。
【13日追記】弘前公園の北西・岩木川対岸の藤代、浜の町は、1939年の図までは藤代村で、浜の町(浜ノ町表記)は弘前市飛地となっていた。

1つ目で触れた、ヒロロ付近は、 ※以下、画像は今昔マップより。
左が1981年、右が今
「駅前町」の下に注目、右側では赤茶の○の位置、たしかに五差路だった。「大町三丁目」の下付近には並木通りもない。
今も遊歩道など入り組んでいて、方向感覚を失いがちな場所だけど、以前も今とは違いながら複雑な道路だったようだ。

あと、左で「駅前三丁目」の「丁目」の辺りはイトーヨーカドー弘前店の場所。当時すでにあったはず。
その下にあるフォークの先を2つ合わせたような地図記号は「営林署」。今だと並木通り~ヨーカドーの敷地の一角・セブン-イレブン辺りになりそう。かつてはここに弘前営林署があったのだろうか。現在は「津軽森林管理署」となり、弘前市豊田にある。

1939年の地図で、弘前駅から奥羽本線を北にたどると、
「わつとく」駅?
「わとく」でなく「わっとく」と呼ばれることが多い(過去の記事)、駅すぐ北の和徳地区(当時は和徳村)に駅が?!

さらに北へ進み、撫牛子駅を過ぎて平川を渡ったところに「とよまき(豊巻)」駅、弘前駅の南方、取上地区の今の跨線橋のところに「おほしみづ(大清水)」駅、さらに南の大和沢川付近に「かどげ?(門外、かどけ)」駅、石川駅を過ぎて大鰐町に入って、弘南鉄道(当時は未開業)鯖石駅の真西に「むつもりやま(陸奥森山)」と、5つも今はない駅があった。
大鰐(現・大鰐温泉)-陸奥森山-石川-門外-大清水-弘前-和徳-撫牛子-豊巻-川部
知らなかったが、Wikipediaを見ると、1935年に大鰐~川部間で「ガソリンカー」が運転され、その時にこの5駅と撫牛子駅が開業していた。その後、1940年には撫牛子以外の4駅が廃止されて、短命に終わった。
おそらく、戦時体制でガソリンカーが廃止されたのだろう。
当時の鉄道省が、地方でこんな短距離輸送をしていたとは。その80年後、秋田市に泉外旭川駅が開業するまで、何十年かかったのを思えば…
黒石方面の弘南鉄道を意識(直接の競合関係ではないが)していたのかもしれないし、逆に戦後に開業する弘前電気鉄道(後の弘南鉄道大鰐線、こちらはやや区間が重なる)へのきっかけになった、ということもなくはないのかも。


弘前大学文京町地区の東側、桝形~富田町~取上・松森町の道を以前取り上げた。
ブックマックスがあった一直線の広い道と、その裏通りのような狭くてくねくねした道がほぼ並行しているが、どちらも古い道のようだった。
(再掲)赤と青の道路のこと
1912年の地形図では、
たしかに両方すでにある
ただ、広いほうは、今は取上交差点から東へ続き、奥羽本線の踏切まで一直線だが、この時点では交差点に突き当たって終わっている。

1912年の地図のこの辺は、軍関係の施設が多い。
今の弘前大学「文京町3番地地区」こと、理工学部と農学生命科学部などがある場所には★マーク。師団司令部(第8師団)など。今の第二体育館付近には、池がある。

その西に縦書きで「号砲台」、付近の道はカーブしている。
80年近く後の弘大生に「バカヤローカーブ」と呼ばれることになる場所。
現在、現地にある標柱は「午砲台跡」。時報として大砲が撃たれ、カーブした軍用通路が市道になって今に至るとされている。

南の今の市立第四中学校の場所は「砲兵営」。向かいの今の市立文京小学校の場所の「M」のような記号は「陸軍所轄」らしい【15日補足・文京小の位置の「T」をT型の枠で囲ったものは凡例には出ていないが、「倉庫」の地図記号ではないかと思う】。その下(今は住宅地)の「×」の先が枝分かれしたのは「監獄」!
※各時代の地図記号は、今昔マップで表示させた状態で、左の「凡例表示」クリックで小さいウインドウに表示されます。
上画像の外側では、今の県立弘前実業高校の敷地や桔梗野小学校一帯には「歩兵営」、最近まで建物が残っていた(上の和徳のリンク参照)松原東には「騎兵営」など、こんなに軍事施設があったとは。軍都弘前を実証している。

1939年の同じ辺り
約30年で、富田町側は宅地化が進んだようで、斜線(現在の「総描建物(大)」)で示されるように。
取上交差点から東側へも道ができた。弘南鉄道が開業して「南弘前」駅(現・弘前東高前)へのアクセス路だったのかも。
今の弘前大学の正門がある「文京町1番地地区」には「高等学校」ができた。弘大の前身である旧制弘前高校。

その西側、斜線が途切れた所に「発電所」の地図記号。現在は「発電所等」として、変電所も同じ記号で示されるが、当時も同じだったようだ。
酒造会社が作った変電所で、廃止後も土地はそのままだったのが、昨年更地にされてしまった、あの場所だ。次の1970年代の地形図では、もう印はない。

高等学校の南隣、3番地地区の第8師団は…ない!
そのほか周囲の軍事施設は、何もないことになっている。

小さいが、画面の右下縮尺の上の地形図の出典を示した枠に注目。下段に「戦時改描の可能性」と出ている。
戦時改描とは、敵の攻撃を避けるため、地図上から重要な施設を消したり、ほかのものに描き換えたりすること。
太平洋戦争末期になると、地図の発行そのものがなくなったが、それ以前は、そのような形で流通していたそうだ。対象の地図には、枠外の価格欄にカッコが付くなど識別できるようになっていて、おそらくそれを元に「~可能性」表示を出している。具体的にどこが改描されたのかは分からないが、弘前のこれらは違いないだろう。

改描された第8師団はいくつかの建物があるように描かれているが、桔梗野や松原のものは、斜線の総描建物があることになっている。集落に偽装したのか。
左は薄い1912年に、1939年を重ねたもの
文京小の監獄だったところ、四中の砲兵営の建物があった場所には斜線。実業高の歩兵営のところには、1912年とは無関係に道ができて、行き止まり付近に斜線。やはり集落か。
秋田市でも、油田や製油所では改描されたのかもしれないが、終戦前夜に空襲を受けた。お見通しだったのか。

知らない昔のことは想像するしかないけれど、その手助けになる貴重な資料を見ることができた。
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大雪から2日

2021-01-11 19:58:48 | 秋田の季節・風景
突然の60センチの大雪から2日。
11日の秋田市は、これまでよりは気温が上がってギリギリ真冬日(最高気温-0.4度)、たまに強めに雪が降ったものの晴れ間もあって、積雪は43センチまで減った。それでもまだまだ「多い」積雪だけど。
大町・旧下米町の通り
小さい道は路面が白く、路肩に雪の山。
段階的に除排雪がされてはいるものの、まだのところも多く、わだちや凹凸になっている箇所も。
上の写真の道は雪山があるから排雪はまだだけど、そんなに凹凸はなさそうで、除雪はしたのだろうか。比較的状態はいいほう。
通町橋から旭川下流方向。目立って凍結はしていない

通町橋の東詰から南方向。右が橋
今回以前で、直近の秋田市での大雪といえば2006年1月5日の74センチ。その4日後の同じ場所。
(再掲)
2006年は元の積雪量が多い上、6日以降も少しずつ新たに積もったようで、たしかに現在よりも多く見える。でも、今も多い。

今のここは排雪はされていなそう。車道側の雪山を削ってくれれば、道路幅が確保できて、スムーズになる。
路線バスも一部運行再開
9日、10日と全面運休となった、秋田市内の路線バスは、11日朝から一部路線で運行再開。
11日は、中心市街地循環バスのほか、両車庫方面(長崎屋経由もテレビに写っていた)、県立プール線、新国道経由(朝はセリオンのみで、後から五城目、追分も含めて再開)、泉ハイタウン線、赤沼線、手形山経由大学病院線、通町経由将軍野線、赤沼線、広面御所野線。
循環バスは定刻、泉ハイタウンの戻り(上り)もわずかな遅れで運行されていたが、遠距離路線は遅延がありそう。

新屋や牛島方面は運行再開されず。
意外なのは、手形山と将軍野線。手形山の坂は融雪が入っているものの、狭くカーブが多い。将軍野線は旧国道~寺内、土崎港北(先日の交差点の記事)と、雪がなくても大変そうな狭い道ばかりなのに、よく再開に踏み切ったものだ。しかも、途中まで同経路のサンパーク線や寺内土崎線は未再開なのに。
泉ハイタウン線も最後の最後、泉北二丁目前後だけ不安な区間。除雪がしっかりされたのだろうけど。

異例の大雪の中で、除雪の進捗、融け方や事故など、状況は刻々と変化するので、運行状況の告知が直前にならないと分からないのは仕方がない。
ただ、秋田中央交通による告知は、自社公式ホームページか電話で問い合わせるしかないようだ。駅前以外のバス停に掲示などはなさそう。
秋田市役所や一部マスコミのホームページで「バス運行状況」を告知していることになっているが、それもバス会社のホームページへのリンクが張ってあるだけで、同じこと。

そのため、日曜や振替休日であっても、朝などはホームページにアクセスが集中して見られなかったり、知らずにバス停で待つ人がいたりしたとのこと。
せめて上りの乗る客が多いバス停にだけでも告知を出すとか、運行状況の公式ツイッターを開設する【12日補足・要は自社サーバーとは別の場所での情報提供】とか、したほうがいい。
以前の秋田市公共交通政策ビジョンで、そんな告知方法に関する項目があったので、「突発的、計画的(行事や工事)どちらも含めて、バス運行状況がネットの1か所で分かる仕組みを作って欲しい」と要望したのだが、実現できていない。

明日以降は運行再開路線が増えると思うが、過去の例を見れば、雪が融けて路面状況が悪化する可能性も高い。区間短縮、経路変更、再度運休があり得る。もちろん遅延も。
バスの話はまた後で少々。いったん通町へ戻ります。
通町バス停付近
ここも過去と比較。
(再掲)2005年12月25日、羽越本線いなほ脱線事故の日だ
2006年はドカ雪の前から、こんなに積もっていたのか。
広い歩道にごつごつした氷の塊の山ができたのに驚いて撮影したのを思い出した。
(再掲)2013年1月。この時点では50センチ弱
通町の雪山は、沿道のお店に出入りする車のため、車道と歩道の境目付近の間口を除雪することでできるようだ。歩道自体にはロードヒーティングが入っているので。広い歩道だからジャマではないが、見通しが悪いので注意。

ちょっと場所を変えて。
千秋トンネル通り。奥が鷹匠橋・トンネル、右が菊谷小路・通町方向
ここは車の通行が多かった。除雪はよく分からないが、凹凸もなく、路面が露出しかけている所もあるほど。

雪が舞う保戸野みその通り。奥左が通町
泉ハイタウン線のルート。対面1車線ながら、元から広めなので支障ないが、赤白のスノーポールが車道端なので、ここも狭まっている。いずれ削らないと。

通町へ戻って。
地元スーパーというか食料品店「せきや」
今日は駐車場の車も少なく、客も少なそうだった。せきやは日曜は休むが、祝日・振替休日は営業するので、元から休業日だと思って来ないのかもしれないけど。
通町の道路は車は少なめで、歩いて買い物する人はいつもよりほんのちょっとだけ多く感じられた。

ところで、これまで紹介した各所のうち、通町橋~せきやの区間だけが秋田県道233号。そのほかは秋田市道。
ここまでの各所の現状では、極端に道路状態が悪くはない。※千秋トンネル通りのわずかな区間も県道ではあるが、そこの除雪は市がやっている?

上の写真奥、せきやの西の交差点では、通町通りは直進して続く(旧・大工町)ものの、道路管理者が代わって市道になるので、除雪態勢が異なる。昔はここを境に市道側がガタガタの悪路になることもあったが、今は問題なし。歩道のロードヒーティングは(工事があったためか)止まっていたが、お店のみなさんが除雪してくれている。
県道としては、右折して北、菊谷小路へ続く。
その南端。かつて菊谷という酒屋があったので「菊谷小路」、勝平得之の版画に描かれる

千秋トンネル通り側の北端
写真では分かりづらいかもしれないが、菊谷小路の路面状態が悪い。同じ県道でも、通町商店街の区間とは違う。
中ほどの車道。粉状の雪でざふざふ
おそらく一度も除雪車が来ておらず、柔らかいわだちができている。車高の低い車は、わだちの間の高い部分にバンパーをこすりながら走っていた。
このままでは、凍結しても、融けても、さらにひどい状態になること間違いなし。隅に寄せるだけだと一時的にはいいが、幅が狭いのでそれが融けてまた悪化する。排雪しないと。

菊谷小路はそこそこ車は通る。しかもバス通りで、それも(泉外旭川駅開業前の現時点では)秋田市街地と外旭川地区を結ぶ唯一の交通機関であり、乗客も本数も多い、神田線の。
それなのに、今回に限らず、菊谷小路はいつも除雪が後回しにされる(あるいは「市道よりも着手が遅い」と表現すべきか)気がしている。2006年の大雪の時も同じで、神田線は運行再開後しばらくは、みその通りへ迂回していた。
現在の神田線は、外旭川地区では全便が旧道経由からバイパス経由に変わったので、そこでの雪による障害は激減したはず。となると、この菊谷小路の区間が、神田線の運行再開を阻止する大きな(唯一の?)要因になってしまっているのかもしれない。

秋田市道では除雪の方針の1つに「バス路線を優先的に除雪する」としていて、まあそこそこできている。だから一部路線が再開されたのだろう。
一方、秋田県道ではどうなのだろう。バス通り優先の方針はないのか、こんな菊谷小路など、後回しでいいと思っているのか。たしかに、(県が管轄する)3ケタ番号の国道や新国道などと比べれば、重要ではないのだろうが。
※繰り返しになるが、マスコミがよく報道するコールセンターは秋田市役所のもので、秋田市道の除雪だけを受け付けるのが原則(国・県道も取り次いではくれるだろうが、本来の業務ではなく、国や県へ直接言うべき)。GPSで出動状況が分かるのも、市道分だけのはず。秋田市内にそれなりの距離がある、県道の除雪は県(の出先の地域振興局)が行っているのだが、県自身もマスコミもあまり取り上げていない。

異例の大雪であり、今は待つしかないが、春以降の長期的な課題として、県道の除雪体制、大雪でも影響を受けにくいバスルートの確立、運休や変更の周知方法などは検討してもらわないと。雪は融けても、次のために。

明日からはついに平日。小中学校も冬休み明け。加えてさらに気温が上がって、雨が降るかも。路面の悪化が怖い。
あと、屋根等からの落雪、巨大つららの落下(道路の真上の建物の高い位置に、見事かつ可能ならば落としてあげたいつららをいくつも見かけた)にも、ご注意を!

【翌12日以降の状況】
12日には菊谷小路では、車道と歩道の除雪とともに、車道側の雪山が削られて、路面状況は改善した。
幹線道路では、雪が融けて水たまりができた所もあり、水はねと横断時の足もとに要注意。

路線バスは多くが運行再開。運休は本数が少ない9路線(大野、二ツ屋福島、南大通り日赤、添川、大住・みなみ野等)だけだが、再開した路線で迂回運行が多かった。バス停にある程度は掲示が出された。
主な迂回は、神田線が天徳寺地下道→泉踏切、割山線がすべて朝日町経由、新屋西線栗田神社前経由→栗田町(分かりづらい表記。県営住宅経由のこと)、牛島旧道→13号線、横森→城東消防署など。

13日もあまり変わらず。割山線は朝日町のほか、大悲寺~市立病院前→御休通り~市立病院西口の迂回も発生。
14日でまだ運休なのは、大野、二ツ屋福島、南大通り日赤、大住・みなみ野、大回り、茨島環状、秋田高校~御所野。迂回は解消されたもの(割山線の市立病院前など)もあるが、まだ多く、四ツ谷~サンパークなど新たな迂回も発生。
15日でまだ運休は、大野、二ツ屋福島、茨島環状となった。迂回もだいぶ減ったが、天徳寺地下道、割山など継続。
3路線はもともと運休する土日をはさんで18日には運休路線はなくなった。迂回運行は天徳寺地下道、新屋高校方面(田尻沢)は昼で解除。割山も昼でいったん解除されたものの17時前から再度迂回。太平線の本町下丁~下野のバイパスへの迂回は継続。
19日には新たな積雪があり、天徳寺地下道、商業経由など再び迂回。手形山など新たな迂回も。続きはこちら

12~13日の道路の状況
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秋田市も大雪

2021-01-09 19:56:06 | 秋田の季節・風景
豪雪で自衛隊が出動している秋田県内陸南部も、「顕著な大雪」に見舞われている北陸・新潟、青森市も、あと新型コロナウイルスで2度目の緊急事態宣言に入った首都圏も、どこか、ひとごとだった秋田市もついに。
年末から続く例年よりは多い積雪と低温の中、強風が吹いた後、さらに大雪に見舞われた。
9日午後。西武秋田店前のポスト

これまでの経過。
7日(木曜)の早朝にあられのようなつぶつぶの雪がいくらか積もって、朝は晴天。
午後以降は暴風。秋田市では秋から初冬にかけてたまにある天候だが、今シーズンはまだなかったし、1月としては異例。
暴風で停電が多発。県内沿岸部で散発的に電線が切れてしまったそうだ。秋田市内でも8日夜以降まで停電が続いた所もあった。例えばイオン土崎港店やグランマート泉店は、金曜は終日営業できなかった。
【14日追記】その後、給湯器が壊れた家庭が多かったことが判明。ガスや灯油の給湯器も電気を使っていて、低温時に内部で水が凍結するのを防ぐのも電気の力。今回は低温時の停電だったので、凍結してしまって故障する給湯器が多発。修理や交換も追いつかず、長期間お湯が使えなくなってしまった家庭が多いとのこと。その影響で、秋田市内の入浴施設の客が増え、回数券がよく売れているという、皮肉な状況。
風による信号機への影響

風で屋根が飛ぶような被害は、台風の時と比べると思ったよりなかったような気もする。
8日は秋田市内の私立高校3校(明桜は前日に実施済み)の入学試験があって、予定通り実施されたが、急きょホテルに前泊した受験生もいたとのこと。
秋田県内で販売される朝日新聞は、青森県の東奥日報の工場に印刷を委託しているのだが、その輸送ができず、8日付新聞は、県内ほぼ全域で配達できなかった。ネットで紙面を公開(おかげでいつもより遅い版や夕刊も見られる)し、9日付といっしょに配達(9日も配達は大変だったでしょう)。
8日夜は風が収まり、積雪もあまり増えず、停電も解消しつつあるようだし、秋田市はあとは寒さだけかとひと安心したら、9日・土曜朝にドカ雪。

8日は朝から夜まで26~28センチで推移。※今期から機械観測になったそうで、気象台も停電したらしく、早朝の積雪期は欠測になっていた。他の要素は観測できている。
9日になると雪が降り続け、5時に43センチ、8時に52センチ、11時には60センチに達した。最低気温は-6.2度と寒いので、乾いた雪。午後は少しずつわずかに減って、19時で53センチ。

秋田県五城目町は40センチ前後、青森県弘前市は60センチ弱などと、秋田市より少なく、秋田市周辺がピンポイントで降って積もったのだろう。天気予報でもこんなに積もるとは聞いておらず、予想以上の雪だったようだ。
秋田市の12時間積雪量としては、観測史上最大。
50センチ以上積もるのは、この20年では2000、2006、2012、2013、2017年(いずれも1~2月)にもあった。当時秋田にいた人は記憶に残っているであろう、2006年1月は74センチ。

県南に比べれば3分の1の積雪量だけど、秋田市にしては雪が多すぎて、道路の除雪はまったく追いついていない。秋田市内の路線バスは全路線運休。3連休ということもあり、静かな雪の街。
午後の秋田駅前から大町周辺の光景。
仲小路・アトリオン裏。右は天面が平らな植え込みで、その上に積雪

広小路。車道との間に雪の壁。奥が秋田駅
歩道のロードヒーティング(融雪装置)は、年越しの記事同様、平年以下の寒さと劣化で追いつかないが、思ったよりずっと融けていた。融雪が入っていない横断歩道の車道との境目は、普段の積雪量でも雪が放ったらかしにされていることも多いが、今日はなぜか、どこも道がつけられていて、ほぼ苦労しなかった。市街地に限れば、長靴でなくてもなんとかなる。そのほか、来るはずのないバス停でも、人の幅分だけ除雪された箇所もあった。おそらく、近隣のお店や家の人たちがやってくれたのだろう。感謝。
日本銀行秋田支店前。左右が竿燈大通り
明らかに車を動かしたくない状況ながら、大通りはけっこう車が走っていた。いつもの土日並みか。車庫や家から車を出すだけでも大変なことだったでしょう。
車道は、大きな道でも路面が見えず、ざふざふ(粉雪で圧雪にならない?)だったり、凹凸やわだちができかけたり。

前後方向の大町通りは歩道がないので、歩行者は車道に出るしかないが、車の通行はほとんどなくて、問題なし。
生活道路も、午前中のうちに通った車や歩行者が道を作ってくれたおかげで、歩くのにはさほど苦労しなかった。
ただし、今回積もった雪の下に、以前からの雪が凍ってツルツルになっていた。今シーズン初転倒したけど、周りが柔らかい新雪で痛くなかった。
車も徒歩も充分気をつけて。

大雪前、8日の日銀前の西向き信号機
上の写真では、西に向かった信号機も、柱も、表示板も白くなっている。強風で雪が吹き付けられ、低温で融けていない。その後、今日は、
そこにプラスして積雪

信号機といえば、秋田駅西口交差点。
電光ニュースではバス運休を伝える
この大雪の中、オーパ前で工事中。
リボン会館跡の拡幅・対面通行化される道路開通を控え(といってもまだけっこうかかりそう)、交差点の信号機を対応させる工事が行われている。
昨年11月頃から断続的に行われ、年明け後は連日、柱を立てて歩行者用信号機を新しくする準備をしていて、今日も。
何もこんな日にやらなくてもと思ってしまったけれど、人員と機材をやり繰りできれば、車や人が少なくてジャマにならずにやりやすいのかも。おつかれさまです。

バスは運休の中、JRはがんばっていた。羽越本線は運休で、それ以外各方面は大幅な遅れながらも新幹線も在来線も運行。それだけ秋田市周辺がピンポイントで積もったということか。
そのほか、我々歩いて来た人もけっこういたし、車で来た人もいたようで、駅周辺を歩く人は思ったより多かった。店の商品が売り切れる・入荷しないということは、なさそうだった。
秋田駅自由通路
秋田犬バルーンはしぼんでいた。
こういう場合、みどりの窓口には払い戻しや振替の客の列ができるものだが、今回はなし。新型コロナで予約が激減しているからか。【11日追記・後続列車への振り替え乗車の案内放送も聞こえてきたが、現在の予約率ではそれも問題なく済みそう。】

この時点では、路線バス運休を知らない人はいないようで、バス乗り場は無人。でも、大きな表示を出せばより分かりやすいだろうし(案内表示装置を常設してもいいのでは)、いつもと同じように照明を灯す必要もないのではないだろうか。
西口の大雪原?
タクシー乗り場・待機場所には、1台だけ。待機場所は除雪されていないようだ。5人ほどが列を作って待っていたけれど、いつ乗れたでしょうか。

各地とも豪雪の中、秋田市街地程度ならば、雪国としては仕方がない量でしょう。
もし、新型コロナがなければ、秋田市では「新成人のつどい」、曜日配列によっては大学入学共通テストが実施されていた時期。この雪を思えば、ずれてよかった。
ただ、来週から学校の冬休みが明けるし、週末は共通テスト。気温はプラスになる予報で、道路はさらに大変なことになりそう。

【10日昼追記】翌10日朝にかけて、目立った積雪の増減はなし。道路の除雪作業が始まったが、引き続き市内の路線バスは全面運休(空港リムジンバスのみ運行再開)。
・11日(成人の日)に予定されていた「市民一斉除雪デー」は中止になった。これは学校の冬休み明け直前に、市民ぞれぞれの地域や家の周りで除雪をする催し(?)。近年はこの時期に雪が消えてしまって寄せる雪がなくて中止になることは多かったが、今回は雪が多くて危険という、皮肉な理由。

・9日午後には、秋田市が「市長から市民のみなさんへ報告とお願い」を出した。除雪をスムーズにするため、不要不急の外出を避けるなどの協力を市民に求めた。でも、その市長のメッセージは、市長がしゃべり続ける2分29秒の動画を、You Tubeで公開(市サイトトップにリンクを掲載)するのみ。映像では市長がカメラに向かってしゃべるだけで、字幕類は一切出ない。
急いで撮影・アップしたのは分かるが、これでは耳の不自由な人や音が出ない機器を使う人、動画を見るのがまどろっこしい人には伝わらない。
もちろん、ネットを使えない人には伝わらない。マスコミは土日でローカル番組が少ない(NHKは県域ニュースにも切り替えず、仙台発のみ=それだけ大したことではないのだろうけど)ので伝わりづらい。魁のサイトや10日付紙面には軽く載ったものの、どれだけの市民が市長のメッセージを知ることができただろうか。
せめて、動画内で市長が読み上げている手元の原稿をそのままコピペして、市サイトに上げてくれればいいのに。

・以前から何度か触れているが、除雪作業は市のコールセンターで受け付けるのは基本的には市道。国道や県道はそれぞれへ伝えるべきなのだが、その連絡先は? 休日対応は? 国や県のせいで、秋田市やコールセンターが余計な業務をさせられているのもまた事実。
今回でなくこれまでの経験で個人的には、県道の除雪体制が悪いと思っている。ネットなどで除雪状況の批判をする時は「道路管理者が誰(市、県、国)か」を確認してからにしましょう。

その後の状況
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オムロン ロボと小4理科コスモ

2021-01-07 23:09:46 | 昔のこと
イオン東北運営の秋田市のスーパー、マックスバリュ泉店に、昨年秋頃から珍しいモノがいる(ある)。
2020年11月1日、青果売り場で初めて遭遇した時は、一瞬びっくり。
箱型のロボットが、店内をひとりで動き回っている!
「遠隔警備中」みたいなシールが貼ってあったので、すぐ納得。

でも、この店にそんなものがいるとは。今のところ同社運営の秋田市内の他店(総合スーパーのイオン含む)では、見ていない。
ネットを見ても、全国的にイオン系スーパーにいるということでもなさそう。なぜイオン東北の、なぜマックスバリュ泉店に配置されたのか分からない。
なお、東北以外の一部マックスバリュには、棚を巡回して商品管理をするロボットがいるらしい。


ロボットに「OMRON」のロゴがあったので、ネット検索するとすぐに判明。

2020年5月から提供を始めた「複合型サービスロボット」。充電式で「清掃・警備・案内」する。
泉店にいるのは、AEONロゴなどもなく、オムロン公式サイトの画像そのままの姿だと思われる。ただ、ボディの色合いは上の画像よりも、若干青っぽく見える気がする【10日追記・改めて見たらそうでもなく、写真と同じく見えたかも…】。
幅500mm×奥行790mm×高さ871mm、約85kg。前面に縦長の液晶ディスプレイがあって、店の宣伝みたいなのを映している。音声が流れることもあり、「ごばばばーい」の歌など流す。ポイント5倍デーでない日に「ごばばばーい」が聞こえてきて、しかも音が動くので、おかしいなと思ったら、コイツだった。

液晶がなく自走していなければ、手押し床磨きの機械か、小さめのコピー機か何かにも見えそう。【10日追記・後部には排気口などもあって、よりOA機器っぽい】
後部側には手で押せそうな棒状のハンドルと、十字など数個のボタン。巡回ルートは手押しして教えるそうで、その時に使うのか。
店にいるロボットといえばソフトバンク「Pepper」だが、それより背が低く、顔や手などもない。実務型ロボットだ。

泉店では、店内の売り場通路をくまなく動き回る。レジの間や会計後袋詰めスペースでは見たことがないけど。やや小型の店舗なこともあり、外周でない中の売り場の通路は狭めなのだが、そこにも入る。
たいていは、広告の音声以外ほぼ無音で動くのだが、掃除機みたいな音をさせて移動(速度はほぼ同じ)することも。その時は掃除しているわけだが、これまで1度しか遭遇していない。【2021年5月28日追記・巡回の途中で、突然掃除機が作動し始めたこともあった。タイマーじかけなのかもしれないし、床面の状況を感知して掃除モードに入るのかもしれない。】
専門のロボット掃除機のように隅々まではできなそう。真ん中をすーっと吸う程度だから。店内は少しでも清潔であるべきだろうから、やらないよりはいいのでしょうけど。水や雪は吸っても大丈夫なのか、紙幣や手袋のような落とし物も吸ってしまうのかなど、気になる。

移動速度は人と同じかやや遅いくらいか。営業中なのでお客がいるが、基本的にはうまく避ける。
通常は通路の中央を動き、面と向かって歩いてくる人がいた場合は、かなり手前で察知し、斜め前へ進路を変えて、通路の隅を進んですれ違う。
近くの曲がり角から人が出てきた場合などでも、機敏に隅へ避けられる。客とぶつかるということは、あまり考えられないと思う。たまにいる走り回る子どもよりのほうが危ないでしょう。

ただ、買い物かごは苦手な模様。この店は赤いカゴだけど、それをロボットの真正面になるようにして、腕にかけたり手に持って歩いている(体は通路隅)と、かなり近くまで気づかず、あわてて避ける。
狭くてすれ違えないなど避けられない場合は、止まる。棚の商品を熱心に吟味する客がいる時なども止まって待つ。フリーズしたかのようで、ジャマなのだけど、それでしばらく待っても状況が変わらなければ、あきらめたかのように方向転換して、別の通路へ進む。

【10日改めて見て追記】広い通路で人がいなければ、感覚としては“かなり”速く動く。急ぎ足の人くらいの速度。雪や水で転倒しないよう、ひざ丈くらいのコーン状のものが2つ置かれていたが、それを丁寧によけて走行。もしかしたら、先方の床近くの低い位置に主に照準を合わせて障害物を検知しているのかもと思った。だから、腕から下げているカゴには反応しづらいのかも。


店内の一角に充電器がある。自分でそこまで移動(位置的にバックもしないと収まらないが見たことない)し、充電中もディスプレイと音声は作動。
イオン銀行ATMの隣なので、ATMの順番待ちをする人などがいると、やはり止まって待つ。この場合は方向転換せず待ち続けるのかもしれないが、出入り口付近でもあるので、やはりジャマ。
【2021年5月28日追記】2021年春に、その出入り口は封鎖された。これにより充電箇所は「隅っこ」となり、人と重なる機会は減ったようだ。
【2021年7月30日追記】2021年6月下旬に、封鎖されていた出入口が復活。同時に、充電場所が移設。外から見て左でなく、正面のメインのドアを入ってすぐの左、パン売り場手前のお盆など季節商品が台売りされる左隣という、目立つ位置になった。今までよりは通行の支障にはならなそうで、充電中に広告画面がよく見えるメリットはある。充電場所の設定をやり直したことになるのだろう。

そもそも、この店の狭い通路では、カートや車椅子、足の悪い客の移動を妨げてしまう場合もあるようにも思うし、どの程度店の業務の手助けになっているのか、とも考えてしまう。
総合スーパーイオンの上の階(衣料品売り場など)などは、客も店員も少なく広いから、適任で重宝されるのではないでしょうか。


客の反応は、大人でも興味深そうにじっと見る人もいる【11日追記・動いてきたロボットと鉢合わせして、ものすごくびっくりしてまじまじと見ていたおじさんもいた】。「遠隔警備」とか書かれると、見られているかもと思う人もいるだろう。常連客は当然のように気に留めない。「触るな」などとは書いてないはずだけど、触ったらどうなるのだろう。
そして子ども。熱心なファンが複数いる。
「お掃除ロボット!」と後ろから行動を共にする子(お掃除はしていないモードだったけど)、充電場所に不在で「ロボットいなーい」と残念がる子(店内のどこかにはいるのだけど)、ロボットにまとわりつき、母親に「しつこくしてると通報されるよ」と諭される子など。
しかも小学校入学前後くらいの女の子にも人気。ロボットに興味を持つのに男女は関係ない。でも、そのくらいの年代だと、まだ女の子はお人形さんみたいなのを好みそうなのに。こんな機能重視の機械に興味を持つのか。

子どもたちが親しみを抱く感情は、理解できる。
人と同じくらいの速度で、人に道を譲ったり待ったりしながら動くのには親近感がわく。あきらめて方向転換する時や、充電したくてけなげに待ち続ける姿には、同情したくなる。
顔も手もなく、人を避けるか待つだけしかしないロボットだけど。
ペッパーなどのように会話したり積極的にコミュニケーションする必要がないのが、かえって安心できるという面もあるだろう。


せっかくなら、飾りでいいから顔を付けたら、もっと親しんでもらえるのではと考えていると、思い出したロボットがいた。正確にはロボットもどきだけど。
かつてNHK教育テレビ(現・Eテレ)の小学校4年生の理科の学校放送番組に出ていた「コスモ」である。以下、その思い出。長い思い出話ですので、読み飛ばしてください。



学校放送は、すべての学年向けに番組があるわけではない。
その中で小学校の理科は、1960年前後から(低学年が生活科になる)1991年度までは、6学年すべてで番組があった。番組名も「理科教室小学校○年生」で統一されていた。※1・2年生は「なんなんなあに」「はてなはてな」のサブタイトルあり。

僕が小学校低学年だった1980年代前半は、4年生以上は堅い内容に思えた。キャラクターもお兄さんお姉さんもいなく、ナレーションと「先生(理科教育専門の小学校教諭など)」で進行するような。
ところが、自分たちがその学年に達する1985年頃になると、いくぶん軟化した。
特に4年生。
まず、お兄さんが登場。1985~1986年度は「ムロさん」、1987~1989年度は「ロングさん」。※したがって、リアルタイム(放送時期と学年が一致する)で見ていたのは1975年度から1978【8日訂正】1979年度生まれの人。

その“相方”が「コスモ」。
ロボットという設定で、お兄さんと流暢に会話し、多少動く。
「わたしは充電するから、ムロさん調べておいてね。♪じゅうでんじゅうでん」と歌いながら引っ込んでいくシーンがあって、教室で見ていてみんな笑った思い出がある。※一人称がわたしということ【8日追記・およびそのほかの言動から】は性別は女だったのだろう。
ネット上には当時の映像や画像は見当たらない(と指摘して懐かしむ声もちらほら)が、薄い青~水色のボディで、脚がない自走可能な胴体から、頭と両腕・両手が出ていた(これらも多少動くはず)と記憶する。しゃがんだ人間と目が合うほどの高さ、人よりやや広い横幅程度。
オムロンのロボットは、色合い、大まかなサイズ感、動き、充電式であることがどことなくコスモに通じ、頭と手を付ければ、ちょっとスリムなコスモになりそう。


コスモの名は、Wikipediaによれば、1985年に開催されたつくば万博のマスコットキャラクター「コスモ星丸」らしい。姿はまったく別。ちょっと短絡的な命名。
コスモの実態は、電動の操り人形(ほんとは充電式ではなかったかも?)。最後には「コスモ 声:白石冬美」とともに「操演」の人の名前も出ていたはず。
当時の小4の理科では、ジャガイモ栽培、太陽と月の動き、川の流れの単元もあって屋外ロケが必須だが、地面が安定した屋外ならロケにも出ていたかな。

コスモ(とムロさん・ロングさん)の出演が4【8日訂正】5年間だったとは、意外に短い。
しかし、コスモの後任ロボがいる。
「マッキー」。忘れていたがWikipediaなどを見たら、そうそうと思い出した。

1990~1995年度に放送された「はてなをさがそう~小学校4年・理科~」。
番組のスタイルはほぼ変わらなかったが、生活科実施を見据えて、理科教室シリーズ全般の見直しがされたそうだ。
そのロボットがマッキー。ボディは黄色(まさか真っ黄色だからマッキー??)で、頭は丸みを帯びて(コスモは角張っていたはず)赤いリボンがある。声は松島みのり。
マッキーのサイズ感はコスモとそっくり。
ネットには、コスモを改造・塗装変更してマッキーにしたのではないかとの説があるが、そうかも(昔の僕もそう思ったような気もする)。

また、コスモは途中でマイナーチェンジされたかもという投稿もあった。そう言われればそんな気もするし、そうであればタイミングとしては、ロングさんに交代して僕が5年生になった時の可能性がある(というかそこしかないだろう。お兄さんが同じなら前年の再放送もあるはずなので)。

とすると、コスモ~マッキーで11年間活躍したことになる。
さらにこれは知らなかったが、マッキーの後任もいるそうで「コロンブス」という、緑系で、全体の雰囲気は共通するロボット。

もし、コスモがほんとうにロボットならば、店内巡回ぐらいできるし、子どもやお客さんに愛想良くしてくれそう(かえってうるさい?)。



上記の通り、ネット上にはコスモの画像はおそらく皆無。検索すると、2014年にツイッターに鉛筆がきのイラストとともに「すいません、質問なんですが 20数年まえにNHKの教室テレビでこんな 女の子のロボットが出てくるの番組ありましたよね!?」との投稿があった。

詳しく見ると、最初の投稿は個人ユーザーから「NHK広報局(@nhk_pr)」のアカウントに対して行われ、それを受けたNHKは「誰か!」と引用リツイート。いちばん知っていて、情報も多い、というか当事者なのに、他人に頼るって…
奇特な他ユーザーから47件の返信があり、(見当違いもあったが)コスモかマッキーだとの指摘が多数あった。放送期間が長かったためか、マッキーとの回答が多かったが、質問者の年齢も分からないし、いちばんの差異である色の記憶の言及がないので、この画像では断定できないと思う。頭が角張っていることからすれば、コスモかもしれない。
中には、「コスモの妹がマッキー」というのもあったが、それはどうだろう?


ちなみに理科教室小学校4年生は、ムロさん&コスモ登場時から、オープニングも大きく変わった。
音楽は、それまではクラシックみたいな落ち着いたものだったが、電子楽器のアップテンポの音楽。たしかエレクトーン奏者でもある小寺久美子という方が音楽担当だった。
画面は、実写映像に重ねて、数字の「4」の三角形の部分が重なるように動いてから、「理科教室小学校 4 年生」みたいなちょっと飾り気のある文字になったはず。CGではなく、テロップをアニメーションのように動かしていたのだと思う。同じ手法と思われる映像は、当時のニュース番組のオープニングでもよくあった。

理科教室は自分の学年とずれた年度も含めて、他学年でもインパクトのあるものが多かった(小3のギザギザCGとか、後の小2の「ひとみ博士」とか、小1のキートン山田氏&やったくん&めるちゃんとか)が、リアルタイムで自分の対象学年だったものでは、コスモがひときわ個性的だったかもしれない。
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旧大島商会 移築

2021-01-06 00:27:32 | 秋田の季節・風景
1901(明治34)年に秋田初の百貨店として造られ、秋田県内最古のレンガ造の建物である「旧大島商会」が、道路拡張のため、大町六丁目から大町一丁目へ移築されることになった。
昨2020年9月時点では、新たな鉄筋コンクリート造の建物の形はできて、レンガはまだ貼られていなかった。
その後、12月には、
姿を現した(逆光ですみません)
移築前と比べると…
(再掲)移築前
以前より若干大きく見える気がするが、これは周辺環境や後述の色合いによる錯覚のはず。
移築前は錆びていたのか赤っぽかった屋根が、黒くなった。
アーチ状の1階の窓周りや、角のレンガでなく石の部分は、黒くなった。
そしてレンガの色合いが変わった。
正面。工事看板が撤去され、説明板らしきものがある
レンガの違いは2点。
まず目地の色。移築前の目地は白かった。レンガ造りにしては珍しい感じがしていたが、移築後は白くはない。
明治から白だったのか、途中で白くなったのか知らないが、誤差の範囲かもしれない。

もう1つ。
向かって右の角。左が正面側

工事途中の左角。右が正面
正面と側面とで、レンガが違う。
移築前はそんなことはなかった。そして側面のレンガは、なんか新しそうで現代のレンガではないだろうか。あと、正面のレンガは以前よりも1枚1枚の色の違いが激しいような気もする。

裏面は未確認だが、おそらく、移築前のレンガが再使用されたのは正面側だけ。その正面も以前とは違う配置で、ランダムに貼ったのではないだろうか。
となると、移築前のレンガが余ったことになる。余ったレンガの行方が気になる。状態が悪くて再利用できないものもあったのだと思うが。
そしてこの状態で、引き続き国登録有形文化財でいいのだろうか。

弘前城の石垣のように、以前と完全に同じ配置にするのは実質不可能にしても、古いレンガを使い回すのは可能なはず。でも、それなりの手間や費用がかかるのだろう。どのくらいか知らないが。
これじゃあ「移築」ではない(復元? レプリカ?)という考えもできるだろう。でも、古くて貴重だからと言って、税金を際限なく使うわけにはいかない。
特に秋田では、貴重なのにあっけなく壊された建物も多い。今残る武家屋敷なんかでも、現代の建材が使われていることも多い。
一時は解体の危機にあった大島商会が、こんな形ででも残ったことを喜び、大事に有意義に使っていくべきだと思う。

欲を言えば、側面もよく見える北面には、あるいはその正面寄りだけでも、以前のレンガを使ってくれても…
裏手の民間の駐車場との間には高低差があるが、そこに小さな数段の階段が見えたので、行き来できるようになるのか。また、上写真の後ろに写っているが、黒い小屋風の建物もできた。
北(通町・星辻神社)側から。雪が積もって屋根が白くなった
通町から来ると、存在はよく分かる。
南(一丁目橋・あくら)側から
引っこんだ位置にあるのと、手前の建物のため、秋田駅方向から来ると分かりにくい。ねぶり流し館に行くのに迷う人もいる場所なので、ここに道案内を設置してほしい。

2022年には、通町側に案内看板が設置された
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