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日産ディーゼルのバス

2011-06-10 22:50:42 | 秋田市営バス
バスに詳しくない人に「国内にあるバス(マイクロバスでなく大きいバスの)メーカーを挙げてみて」と聞けば、日野、いすゞ、三菱(現在は三菱ふそう)まではすんなりと出てくる方も多いと思う。

でも、あと1社あり、それが「日産ディーゼル」。
と思っていたら、2010年2月に「UDトラックス」に名称変更し、さらに最近、バスの取り扱いをやめてしまったという。(ホームページの製品一覧にバスが出ていない)
日本のバスのブランドが4つから3つに減ったことになる。

UDトラックスは、日産自動車との資本関係はなく(業務提携はしている)、ボルボの子会社だそうだ。
「UD」とは、日産ディーゼルかつて開発した「ユニフロー掃気ディーゼルエンジン(Uniflow scavenging Diesel engine)」の略で、後にそのエンジンが製造されなくなってからは「究極の信頼(Ultimate Dependability)」の略ということになっていたようだ。
日産ディーゼル当時から、赤い丸に白抜きで「UD」と書かれたロゴが同社製の車に付けられていた。
※以下、記事中では旧社名の「日産ディーゼル」を用います。


日産ディーゼルは、旧秋田市交通局(秋田市営バス)の最後の20年ほどにおいて、重要な役割を果たしたメーカーだと思う。
この記事では、秋田市営バスと日産ディーゼルのつながりについて取り上げます。
※以下、車両の導入に関する情報は、個人的な記録・記憶に基づくものです。誤りがあるかもしれません。

4番手のメーカーであったこともあり、全国的には日産ディーゼル製のバスを導入しないバス会社も少なくないようだ。
青森県の青森市営バスや弘南バスは日野、いすゞ、三菱の3社とは取引があるが、日産ディーゼル製のバスは1台もないはず。

秋田市交通局でも、大昔は分からないが、昭和50年代頃には、日産ディーゼルを除く3社から購入していたようだ。
ところが、昭和60年代に入ると日産ディーゼル製のバスも導入するようになった。
どういう事情だったのかは分からないが、ある程度の規模の公営交通事業者では、全メーカーと取引している事例が多いから、公平性の観点だろうか。
ちなみに、日産ディーゼルの秋田の販売会社は、交通局庁舎(現・臨海営業所)のお隣りにある。

おそらく最初の日産ディーゼル製の秋田市営バスは、1985(昭和60)年度の貸切車両。
この年は、貸切バスが全部で9両(三菱製二階建てバス「みはらし号」を含む)も導入され、公募により1台ごとに愛称が付けられた。全貌は不明だが、少なくともうち1台の164号車「おばこ号」は日産ディーゼル製だった。
【8月11日訂正】これより前の1981年導入の空港リムジンバス用車両(貸切タイプ)が日産ディーゼル製でした。
(再掲)空港リムジンバス。ドア右に「UD」マークがある
(以上、8月11日追記)

さらに翌1986年度導入の“中二階建てバス”(スーパーハイデッカー)の199号車「わかくさ号」も日産ディーゼル製で、後部にでっかい「UD」マークが付いていた。
「みはらし号」とともに秋田市営観光の看板車両として、1998年度末の貸切事業廃止まで活躍したはず。


この1985~1986年度には、路線バスも盛んに新車が投入されており、1986年度からは新しい塗装・内装に変更された。
しかし、その車両は今までに路線バス導入実績のある3社製ばかりで、日産ディーゼル製の路線バスはまだ導入されなかった。
また、1987年度は1台も新車を購入しなかったようだ。

昭和最後の年である1988年度からは、中型バスを中心に続々と路線バスへの新車導入が始まり、同年に初めて日産ディーゼル製の路線バスが導入された。
以後、大量の新車が導入された1993(平成5)年度までの5年間は、日産ディーゼルも含めた4メーカーが揃って導入されて続けた。

年度別に日産ディーゼル製の路線バスを数えてみると、
1988年度3台、1989年度3台、1990年度4台、1991年度1台、1992年度3台、1993年度5台。
大量導入が一段落した1994年度以降は導入車両数が少なくなり、年ごとに特定のメーカーだけから購入していた。日産ディーゼル製は1996年度に5台導入された。
以上、日産ディーゼル製の路線バスは計24台。
※貸切車両では、1991年度の少なくとも2台(もしかしたら3台)、ひょっとしたら1992年にも? が日産ディーゼル製で導入されているはず。

秋田市営バスの日産ディーゼル製車両は中型バスが多く、大型バスは1988年度のうち2台と1993年度の5台(※後述)の7台。※大型バスと中型バスの違いはこちらの記事
新塗装になった1986年度以降の導入車両では、大型車(3433台)の20.621.2%、中型車(7879台)の21.821.5%、小型車を含めた全119台中でも20.2%が日産ディーゼル製となる。思ったほど多くはないんだな…
(ちなみに、全119台中、日野4039台(小型7含む)、いすゞ2627台、三菱29台と、日野自動車製が多い)
【2012年1月12日訂正】大型車・中型車および日野・いすゞの台数を、1台間違えて集計していたようなので、上記の通り訂正します。個人的データですので、まだ間違っているかもしれませんのでご了承願います。


ところで、日本のバスというのは、車体の組み立て(架装)を別の企業(車体メーカー、コーチビルダー)が行うことが多い。
日産ディーゼルは系列の車体メーカーがないため、スバルでおなじみの富士重工で組み立てられるのが基本だった(例外も多いけれど)。秋田市交通局の日産ディーゼル製車両はすべて富士重工で組み立てられた。
側面に「FHI富士重工」のロゴがある
しかし、いすゞなど他メーカーのバスでも富士重工が組み立てるケースもあって、「外見はそっくりなのに、実際は別メーカー」という場合もある。(秋田市交通局の末期ではそうした例はない)


秋田市交通局の日産ディーゼル製の車両は、特徴的なものが多かったと思う。総数は少ないが存在感があるメーカーだったと言えるかもしれない。
1.4台だけ
24台のうち、20台は外観のデザインがほぼ統一されている。
しかし、最初に導入された中型バス4台は違うボディデザインだった。
2002年3月撮影
1988年度の225号車、1989年度の233~235号車がこのタイプ。
丸っこいボディなのに、ヘッドライトは四角くてアンバランスな感じがしたし、同時期の他メーカーに比べて古臭いデザインだと感じてしまった。
【11日追記】1台は中央交通へ譲渡されしばらく使われたが、現在は廃車済み。

富士重工では1994年まで製造していたボディらしく、現在も中央交通に同じ外観の車両が数台あるが、それは日産ディーゼルではなくいすゞブランド。

2.モデルチェンジ
大型バスは1988年度の最初の車両から、中型バスは1990年度導入分から、新しいデザインになった。
2001年10月撮影
全体的に角張っていながら、前面は柔らかくカーブしていて、初めて見た時にカッコイイと思った。
バンパーとヘッドライト周りが一体化したデザインが今までになかったが、その分前面の塗装できるスペースが減り、赤いラインや市章の配置が若干変わっている。
2004年2月撮影
秋田市交通局では1990年度から窓枠の色をシルバーから茶色に変更したこともあり、引き締まってぐっと都会的なバスに見えた。

3.オートマチック
新車が大量に入っていた1992年度には、大型・中型合わせて全メーカーで計18台が導入された。うち、日産ディーゼル製の中型バス3台(276~278号車)は、画期的なものだった。(上の2001年10月撮影の写真が277号車)

秋田市交通局初のオートマチックトランスミッションが採用されたのだ。
バスのオートマ車では、機械式というヘンな方式のものもある(横浜市営バスで乗ったが乗り心地が悪かった)のだが、秋田市営バスのは普通乗用車でも一般的なトルクコンバータ式だった。
後部に「オートマチック車」と表示(翌年以降の導入車両には表示なし)
同年には三菱製の中型バスも導入されたのだが、それは従来通りのマニュアルトランスミッション車だったので、日産ディーゼル分だけがオートマだった。試験的な意味合いだったのだろうか。
翌年以降は、メーカーに関わらず導入される中型バスはすべてオートマチック車となった。(大型・小型はマニュアル)
プロが操る大きい車両なので、普通乗用車と違い、オートマだからといって必ずしも運転しやすいわけではないらしいし、燃費やメンテナンスの面ではむしろ不利なのかもしれないが、秋田市交通局を特徴付ける車両となった。

エンジン音が同型のマニュアル車とは違い(途切れずに「ずーーーっ」という連続した加速音)、音を聞くだけでこの車両が通るのが分かった。

左がオートマ277号車、右奥が前年に1台だけ導入されたマニュアルの268号車
マニュアル車とは外観上の違いはない。
ただ、塗装の色合いが微妙に違っており、肌色部分はマニュアル車の方がピンクがかっている。(他メーカーと比べても277号車の方が“正確な”色だと思う)

一部は現在も中央交通で活躍中のはず。

4.普通型JPシリーズ
現在は標準仕様となっている「ワンステップバス」。
床が低く、車内との段が1段少なくて乗り降りがしやすい。高齢化社会・バリアフリーに欠かせない仕様だ。

1990年代初め当時は、大都市圏でワンステップバスが出始めても、高価なことと積雪時に底をこすることを恐れて、雪国では採用が遅れていた。
そんな中、秋田市交通局が1993年12月にワンステップバス5台を導入した。高齢化が進んだことやスタッドレスタイヤ対策で除雪体制が整ったことを勘案して導入に踏み切ったもので、秋田県内では初、東北以北の公営バスの中でも初導入だったという。
それが日産ディーゼル製(116~120号車)。
2002年1月撮影。窓ガラスには「新政」のシール広告
当時は「超低床(ちょうていしょう)式バス」と呼ばれ、1台約2400万円で従来の大型バスより300万円ほど高価とのことだった。(1993年12月1日広報あきた1300号より)

交通局では、このバスを大型バスとして扱い、路線を限定して運用していた。しかし、このバスは長さは大型バス並み(上の写真で分かるでしょうか)なのだが、幅は狭くて中型バス並み。
実はこのバスは、厳密には大型バスとは言えないのだった。
中型バスをベースにその車体を延長したもので、日産ディーゼルでは「大型」でも「中型」でもなく「普通型」と区分し、「JPシリーズ」と名付けられていた。
【2017年7月2日追記】後に他社も同じコンセプトのバスを発売するようになり、愛好家などは「中型ロング」と通称するようになった。バス会社によっては、中型ロングをまとまって導入するところも出たが、秋田県内ではこのJPに続く導入は長らくなかった。
しかし、2016年~2017年にかけて、羽後交通が西武バスの日産ディーゼルJP(本荘営業所=たまに秋田市内にも来る)、秋田中央交通が都営バスの日野レインボーHR(秋田営業所・国際教養大学周辺路線専属=秋田市街では原則非営業)をそれぞれ中古で導入した。その後も増備され、秋田市街も走るようになった。
秋田市オリジナル? の低床バスのマーク
秋田市交通局が導入したのは、JPシリーズの初代モデルであり、さらにその中でも極めて最初期(富士重工による架装では初めて?)に製造・納入された車両らしい。

現在のワンステップバス(ノンステップバスも)は、車内の前方には段差がないが、このバスは座席の部分が1段高くなっていたし、車体を上下させて車高を調節する機能(ニーリング)がないなど、技術的にはまだ未熟だったものの、バリアフリーの先駆けといえる車両だった。
座席部分に段差があることの注意書き
JPシリーズはこの後、首都圏などでも普及していくのだが、秋田市交通局には先見の明があったというか、新しもの好きだったというか…

エンジンも特別なもの(中型バス用のものにターボを付けた?)で、「ふーん ひょんっ」と一風変わった音を立てて走っていた。
また、これも現在では主流だが、「フィンガーシフト」などと呼ばれる軽い力でギアチェンジができるシステムが秋田市営バス(の路線車両)では初めて採用された。
昔のバスは床から長いシフトレバーが伸びていて、それがギアにつながっていたが、このタイプでは普通乗用車みたいな小型のレバーがちょこんとある。そのレバーは単なるスイッチで、そこから電気信号がギアに送られ、圧縮空気や油圧でギアチェンジをする仕組み。
指1本でもレバーを操作できるほど軽い(だから“フィンガー”シフト)ので労力軽減にもなるが、床が低いバスでは床下スペースが狭くて技術的にこのタイプしか採用できなかったという事情もあったようだ。
変速時には、機械やエアの音がするのが特徴で、メーカーや車種で異なるが、この車では「カシュッ」という鋭い音がした。
つまり、「ふーん ひょんっ カシュッ ふーーん ひょんっ カシュッ」という音を響かせながら走っていたので、このバスも音を聞くだけで通るのが分かった。

窓ガラスが日産ディーゼル製としては初(であり最後)の下部固定・上部引き違いの大きなもの(市営バスの大型バス標準タイプ)になったり、座席の布地の柄が変わって、2人掛けの座席が前後にずれて設置されて肩が触れ合わないようになるなど、設備の面でも特徴があった。

翌年はいすゞ製の(本当の)大型バスのワンステップ車が導入され、それを最後に秋田市交通局では大型バスもワンステップ車もフィンガーシフト付きの車も増備されなかった。そのため、先進的だったJPシリーズも、1度限りの導入に終わった。
一部は現在も中央交通で活躍中。

【18日追記】久しぶりに新屋線でこのバスに乗った。
市営バス当時よりも、ギアチェンジ時の「カシュッ」という音がしなくなった気がする。部品交換でもしたのだろうか。エンジン音は相変わらず。
中央交通ではこの春から、これより1~2年古い日野製やいすゞ製の大型バス(交通局や県外からの中古車)の行き先表示の幕式からLED式への交換を進めている。しかし、このJPではLED化されたものは1台も見ていない。どういう意図があるのか。
【2014年8月18日追記】上記追記からまもなく、JPを見なくなった。廃車されたようだ。
また、余談だが翌1994年導入のいすゞ製大型ワンステップ車も、当時としては珍しい車両だったようだ。WikipediaのいすゞLVキュービックの中で「前中ワンステップバス(LV2/3系)」として項目が立てられている。従来のツーステップバスをベースに、車内前方だけをワンステップ化してコスト削減を目指したもので、1993年に改造扱いで発売。川崎市交通局、東武鉄道(当時)、そして秋田市交通局などに導入された後、1997年から正式なカタログモデルになったそうだ。
【2017年7月2日追記】上記の通り、その後2016年頃、羽後交通に西武バス中古のJPが導入され、本荘営業所に配属。秋田市内へやって来ることもあり、秋田市にJPが復活。ただし、車体は西日本車体工業製なのでデザインは異なり、エンジンも違うので走行音も違う。

5.最後の秋田市営バス
秋田市交通局の新車導入は、1996年度が最後。
以後は車両が増えることはなく、段階的路線移管が始まった2000年以後は、譲渡されたり廃車になって、年々在籍車両が減っていった。

1996年度導入車は7台。2台は日野製の小型バス(65、66号車)で、2003年春の移管時に中央交通へ譲渡された。

残り5台が日産ディーゼル製の中型バス(134~138号車)で、前例にならってオートマチック車。
上記の1992年度導入の初代オートマ車との相違点は座席の布地と一部の配置、中ドアの開閉ブザー音の変更、後部ランプの大型化、コーナリングランプの設置程度。(もしかしたらエンジンなど型式は違うかもしれないが、詳しくないし外見では分からないのでここでは触れません)

写真がないのが残念だが、導入当初はもう1つ特徴があった。それは行き先表示(前・後ろ・側面とも)が幕式ではなく液晶式だったこと。
今はLED式が主流だが、そうでなく、バックライト付きのモノクロ液晶。
当時はLED式もほとんど出回っていなかったから、次世代の行き先表示として試験的に導入したのではないだろうか。(小型バスにも設置された)
こんな感じだったはず
液晶のドットがとても大きくて文字が粗く、しかも筋が入ったり、そもそもとても見づらかった記憶がある。
バックライトの色は緑がかった黄色(モノクロだった頃の携帯電話の液晶をイメージしていただけるといい)だったような気がするが、どうも色を変えられるらしくもっと緑がかっていたり、赤かったのを見た記憶もある(あいまいです)。
その後、なぜか134~138号車からは液晶が外されて従来通りの方向幕に交換された。外された液晶は、なぜか古めのいすゞ製中型車(1989年度導入の236~240号車?)に転用されたが、それも2000年夏頃には幕式に戻されて、液晶装置は姿を消した。
※液晶行き先表示についてはこの記事末尾参照
【2017年5月19日追記】秋田のバスでは行われていないが、大都市などバス会社によっては、最終バスや割増料金の深夜バス等であることを示すため、行き先表示の照明の色を変えているところがある(LED化後は外枠を点灯)。バックライトの色を変えられたのは、それに対応するのが本来の目的だったのかもしれない。


この5台は、導入当初は、秋田商工会議所が秋田市中心市街地で試験運行した「無料買い物バス」(1997年)に使われたこともあったが、基本的には地道に市営バスの路線を走り続けた。【2017年5月19日追記】無料買物バスでは、液晶幕は使われず、上にシール(ワープロ打ちなどでない本格的なもの)を貼って対応。運行は短期間で終わったが、市営バスと中央交通の両者が担当し、おそらく市営バスは期間の最初のほうで、他のタイプの車両は使われなかった。【2017年6月5日訂正】市営バスでは、他に上記の最初期の4台だけの旧車体の日産ディーゼル製中型車も使われたようだ。当時放映された商工会議所による告知テレビCMでは、そのうち235号車の写真が使われていた。(以上追記)
秋田市交通局最後の年となった2005年度には11台の中型バスだけが残ったが、その中にこの5台が含まれていた。(他は1994年度日野製の121、123号車、1995年度三菱製の130~133号車。)
最後の年は半分近くが日産ディーゼルだったことになり、記録写真(当ブログも含めて)や秋田市民の記憶にその姿を留めたことだろう。

秋田市営バス最終便となった、2006年3月31日の秋田駅前20時28分発の県庁市役所経由交通局行きは、記念乗車に対応して5台体制で運行された。(200人集まったとか)
その中で、マスコミから盛んに「“赤バス”最後のバス」として脚光を浴びたのが、日産ディーゼル製の138号車だった。
当日の運用からすれば、131号車が本当の最後のバスであり、138号車は増便の1台に過ぎないと個人的には思ったのだが、交通局側でも138号車を最後のバスとして扱い、乗客に138号車が写った乗車証明のしおりを配ったようだ。
交通局が最後に購入した車両の中でも、いちばん最後の車両番号であった138号車を最終ランナーとしたのだろう。
2004年5月撮影
この5台も譲渡されて現在も活躍している。
なお、日産ディーゼルと取引がなかった秋田中央交通も、交通局移管と同時期に取引を開始し中型バスの新車を何台か購入している。

秋田市営バスに先進的な車両を提供し、最後を飾る車両ともなった日産ディーゼルのバスだったが、2003年には富士重工がバス架装から撤退。
その後は前から一部製品の架装実績があった福岡の「西日本車体工業」に製造を集約するも2010年で同社は解散、一時製品を相互供給し合っていた三菱との業務提携・合弁会社設立も立ち消え、バスの製造・販売をやめることに至ったのだろう。(←この辺の経緯はあいまいです)
日野といすゞは既に製造部門を統合しているので、今後の日本のバスは実質的には「日野・いすゞ」と「三菱」の2つになってしまう。

※関連記事(2012年のバスまつり)はこちら

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4 コメント

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長文 (mugi-shochu)
2011-06-12 10:33:19
秋田市営バスの車両導入の歴史が面白いですね。
同じバスでも微妙に違いがあるもんだ。
日産がバス製造から撤退したとは、経営的に厳しいものがあったんでしょうけど、エコの時代、世の中全体がマイカーからバスなどの大量輸送手段にシフトしていくといいけど・・・
返信する
長々と (taic02)
2011-06-12 18:36:21
自分で忘れてしまわないよう、好き勝手に長々と書かせてもらいました。
ぱっと見同じですが、個性的な車両が多いのが日産ディーゼルでした。新車導入直後に乗った経験あるだけに思い出深くて。今は全部同じ緑のバスに見えてしまって、おもしろくありません…
地方では中古車ばかりだし、小型バスも増えているし、バス製造は儲からない事業なんでしょうね。
返信する
なさそうである話です… (匿名)
2015-09-06 17:05:01
弘南バスのことを色々探っていたところ今はどうなったかわかりませんが大鰐車庫に日産ディーゼルの丸目4灯のバスがいる記事を見ました。どうやら大鰐スキー場~大鰐中心部で運用しているようです…青森市営バスでは貸切事業から撤退する前はUDの貸切バスが2台東部営業所に在籍していたようですがUDの路線車は1台も見たことがありません。でも首都圏から中古車を導入した時期もあったようで明日やあさってでないにしても青森市営バスでもUDの路線車を見れる時期が来ると思います…
返信する
弘南バスのUD (taic02)
2015-09-06 22:52:56
なるほど。検索したらそういう記載がありますね。塗装や運用場所からすれば、かつては子会社「弘南サービス」所属でしょうか。
おそらく今は路線自体が廃止になり、大鰐車庫も廃止されました。1985年式だそうですから、現存はしないでしょう。
弘南バスならどんな車がいても不思議ではありませんが、意外です。

青森市営バスは、最近はまた新車を大量に入れているようですが、どうなるでしょうかね。
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