広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

満開だけどスカスカ

2013-04-30 23:47:25 | 秋田の季節・風景
気温が低めの日が多かった今年の春も、やっと桜の季節。
秋田地方気象台では、4月23日に開花(平年より+5日、昨年より-1日)、29日に満開(同+7日、+3日)を観測。
昨年は開花後に暖かくて2日で満開に達してしまったが、今年は1週間近くかかっているけれど、これが普通か。

昨年も紹介した、秋田市南西部の新屋地区の「大川端帯状近隣公園」。
こんな感じ(東端から)
昨年のここは、
(再掲)これはズームレンズで撮ったので距離感が圧縮されていますが

秋田西中前の歩道橋(美大開学の幕はなくなっていた)から東
同じく昨年は、
(再掲)

うーん。
多くの花は開いていてほぼ満開なのだけど、物足りない。

よく見ると、
枝の先端にしか花がない

花が少なくてスカスカ
2009年2011年の千秋公園と同じ状態で、花つきがとても悪い木が多かった。
今年の千秋公園でも、同じような木が目立つとのこと。(週末の人出はすごかったそうですが)千秋公園以外の小さな公園などでも、今年は花が少ない傾向の気がする。

前にも指摘したけれど、1年おきにこういう状態になっているように感じる。
果樹(果物のなる木。ミカンが顕著でリンゴなど多くで起こる)では、「隔年結果(この結果とは実を付けること)」といって、果実が多くなる年と少ない年、いわゆる表年と裏年を交互に繰り返す現象がある。それと同じく、いわば「隔年開花」が発生しているのではないだろうか。
寿命が長くないと言われるソメイヨシノだから、木が歳を取って、毎年たくさん花を付けるだけの力がなくなってきているのかもしれない。弘前や角館とは違い、剪定など専門的な管理もされていないし。
いちおう今日までさくらまつり
大川端帯状近隣公園は、桜並木に沿って道路があり、交通規制が行われないため、複数の老人施設のお年寄りが車で来て花見を楽しんでいた。散歩する人も多い。
でも、こんな状態では…

NHK秋田放送局では、今年もリモコンカメラを設置している。
だけど、昨年設置された老人施設の屋上にはカメラがなかった。昨年とよく似たアングルで「秋田市 新屋」とテロップが出るのだけど、どこだろう。【5月3日追記】帯状公園の北端(=水路が雄物川に注ぐ地点の堤防沿い)の下水道ポンプ場の屋上に設置されていた。
※2013年の桜や新屋のカメラについての続きはこちら

【5月1日追記】1日付秋田魁新報社会面で、千秋公園でもさくらまつりが満開目前にして4月30日で終わったことを伝えていた。
その中で、秋田観光コンベンション協会が「会期延長を検討したが、今年は野鳥の食害や低温の影響などで花の開花状況が芳しくない。延長しても開花状況は変わりそうにない。(後略)」と話している。
「野鳥の食害や低温の影響」というより、上記隔年開花のような、木自体の異常かと思うけど…
それと「花の開花状況が」って「頭痛が痛い」になってますよ。魁さん。


場所が変わって、太平川の桜は、今年もよく咲いたものが多いようだ。
太平川の県道28号線・太平大橋(イオン秋田中央店・古川添交差点そば)付近

木々の芽も吹いてきた。
二丁目橋・那波家の水汲み場跡のケヤキ

保戸野小学校のハルニレ
いよいよ春本番。
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またエルガ/三沢バス

2013-04-28 21:01:08 | 秋田のいろいろ
1か月ほど前、中央交通に小田急バスの中古の大型ノンステップバス「いすゞエルガ」が導入された。「977」のナンバーで秋田営業所に配置され、赤沼線や日赤病院経由御所野方面の路線を中心に、イオンモールのシャトルバス(せっかくのノンステップをそんな用途に使ってほしくないのだが)に使われていたのも見かけた。
そして、
秋田駅西口に向かう2台のバス
手前は新車で購入したノンステップの中型エルガミオ。「ノンステップ」と書いていないのが特徴。
その後ろに続くバスって、幅が広くて「ノンステップバス」と表示があるから、エルガか?
ナンバーが「989」で新屋西線!
977に続いて、またエルガが導入された!
ドアなどの仕様は977と同じようなので、やはり小田急バスの中古だろう。
新屋西線で運用されるということは、臨海営業所の所属だ。
この角度で見ると、長く感じるのは、大型ノンステップの特徴だろうか
【2014年6月1日追記】この車は2001年式で生田営業所所属だった「01-E9013」号車。2012年10月に小田急で除籍されたとのこと。

これで、中央交通のノンステップバスは20台(うち17台が小田急中古)。大型ノンステップは3台(いずれも小田急中古)となった。
【5月1日追記】ツイッターに「tukisimajin」さんが投稿された情報・画像によれば、同型の「か982」も臨海営業所に配置されていた。したがって、ノンステップバスは21台(うち18台が小田急中古)。大型ノンステップは4台(いずれも小田急中古)となる。【2015年1月18日追記】982は小田急時代は生田営業所所属2001年式「01-E9011」号車だったとのこと。
【5月2日追記】小田急中古と思われる中型バスエルガミオの「976」も導入されていた。秋田営業所所属で旧東営業所担当路線の運用。これでノンステップバスは22台(うち19台が小田急中古)。大型ノンステップは4台(いずれも小田急中古)

※989の車内の様子はこちら


この調子では、今後もエルガが増加するかもしれない。市営バスから譲渡された大型バスも車齢20年に達しているので、いくらなんでも寿命だろうし。残念だけど。
それに「秋田200 か」ナンバーもいよいよ4ケタになる。

【7月7日追記】その後、6月18日に「10-07」というナンバーの空港リムジン(おそらく小田急中古)を確認し、4ケタに突入した。
7月7日には、またまた小田急中古と思しきエルガの「10-04」が出現。イオンモールシャトルに使われていた(写真はこの記事末尾)。所属営業所は不明。
これでノンステップバスは23台(うち20台が小田急中古)。大型ノンステップは5台(いずれも小田急中古)

【2014年3月6日追記】その後の状況はこの記事にて




以前も取り上げたように、秋田市大町の秋田市立赤れんが郷土館や秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)には、観光バスで訪れるお客さんも多いけれど、駐車スペースが限られている。
今日のねぶり流し館も
1台が駐車スペースに入り、もう1台は路上に駐車。別々の団体のようだ。
色合いも同じでそっくりだけど、写真左の路上のバスは「いすゞガーラ」、右は「日野セレガ」。セレガのほうは、側面の「アクセントピラー(銀色の太い帯)」が窓にかかっていないオプション仕様(いすゞではこれが標準仕様)。

で、2台はどこから来た、どこのバス会社のものか。
路上のガーラ
青森ナンバーの「中里交通」。
北津軽郡中泊町、津軽鉄道の終点・津軽中里の辺りにある、観光バスと一部では路線バスもやっている会社。
「中里“観光”」という別会社もあってよく分からないが、秋田ではたまに見かける気がする。

そしてもう1台。(実はこのバスが、以前に赤れんが館前に来ていたのを見ており、正体は知っていたのですが)
 側面に「三沢」とある
ロゴマークは、リンゴと五重の塔? これも青森から来たのか。バス会社は?
というかナンバープレート!(よく分からないので、一部消しています)
緑色地に白文字だけど、営業用ナンバーの緑色とは若干違う(少し明るい)。
「MISAWA AIR BASE OV-数字3つ」
アメリカ空軍三沢基地のバスなのです。
このナンバープレートは(軍人の自家用ではなく)軍の公用車両に付けられるものらしく、アメリカ国内の書式に従っているようだが、形式や書き方が完全に統一されているわけではないようだ。
このバスに付いているのは、サイズや取り付け方法は、日本のものとほぼ同じようだ。
このナンバーの車両は日本の道交法などの適用外なので、灯火類がアメリカ仕様になっていることがあるらしいが、このバスは見た限り日本国内仕様そのもの(アメリカ仕様のセレガなんてないか)。

以前、赤れんが館で見た時と同じく、ねぶり流し館の見学を終えた欧米人の家族連れがバスに乗り込んでいた。
ゴールデンウイークの慰安旅行みたいな制度が米軍にはあるんだろうか? そうだとしても、弘前の桜でも見に行けばいいのに(今年はまだ早いけど)。
わざわざ秋田までおいでいただくとは、ありがたいことです。楽しんでいただけたでしょうか。
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ここにもE6系/NEWDAYS

2013-04-27 23:47:45 | 秋田の季節・風景
秋田新幹線にE6系電車が「スーパーこまち」とデビューして1か月が過ぎた。連休中からは従来の「こまち」の中にもE6系で運転(スーパーを名乗らずに)されるものも出てくる。車両トラブルもなさそうだし、きっぷもよく売れているとのことで、滑り出しは順調そう。

E6系が増えた分、E3系は余剰が発生しているわけで、徐々に廃車されることになる。ネット上の情報では、既にR6、R5編成が運用を離脱したらしい。
しかし、同じく開業時から走っていて、わずかながらより古いはずのR2編成は6月30日まで行われる「劇団四季(ライオンキング)ラッピング」となっているため、6月末までは確実に運行される。また、いちばん古い量産先行車のR1編成も、今日の臨時列車で走ったそうだ。
検査期限などが関係しているのだと思うが、番号順に廃車になるわけではないのか。

E6系登場に伴う変化は、いろいろなところで起きている。
「秋田新幹線「こまち」/人を結ぶ。心をつなぐ。」
このE3系こまちのイラスト、どこにある何か、ご存知でしょうか?

これは、秋田駅みどりの窓口に置かれている足ふきマット。
左側下です
外から見て左側の出入口(点字ブロックの関係か右側にはなし)、各券売カウンター(これも3つ全部にはなかったはず)、記念スタンプコーナー、駐車場予約センター(旧お客さま相談室)に、置かれていた。
サイズは大小2種類、背景の色は黒、青緑、水色、白(クリーム色)がある。文字の書体は、大きいのが明朝体(「こまち」だけゴシック)、小さいのはゴシック体のようだ。
スタンプコーナーにあった小さくて白いマット
マットにデザインされている車両のイラストは、E3系の中でも1本だけ形状が異なる(ややふっくらしていて、ライトの配置が違う)量産先行車の「R1編成」。

記憶では、秋田新幹線が開業=現在の秋田駅舎ができた時(1997年)から、このマットが使われている。量産車でなくR1編成がデザインされているということは、それよりだいぶ前に発注していたのだろうか。

3月16日にE6系がデビューし、今後1年間ですべてがE6系に交代するわけだから、このマットもいずれ“交代”することになるだろうと予測していた。
3月20日のみどりの窓口前
今までずっと、入口のマットは冒頭の写真の黒いマットだったのに、青緑のに替わっていた。そして奥のスタンプコーナーが、白から黒に替わったようだ。これは何を意味するのか。
そして4月1日。
E6系になった!(スタンプは水色に替わっている)
夜の東京駅に停車するE6系の写真(をCG処理したもの)と「想いをのせて/秋田新幹線『こまち』」という文字のマットに替わってしまった。
カウンターのマットも、1枚は同じデザインになったようだ。
一方で、従来のE3系のマットもまだ残っている。車両と同じく、段階的に更新していくのだろうか。


在来線側の改札口の中へ。
若干複雑な構造の秋田駅在来線ホームには、線路と並行の跨線橋というか渡り廊下がある。中央改札と7・8番線やメトロポリタン改札を結ぶもの。

そこは、ちょっとした展示スペースになっていて、以前は「駅の花道」という名前だったが、今は「あきたえきDCロード」となっていた。デスティネーションキャンペーンを意識した改名か。
【2014年10月17日補足】DC終了後は「駅のはなみち」に戻ったらしい。由来は、8番線と7番線にちなんで「駅の8・7道」だそうで、「駅のはなみち」とひらがな表記が正しいようだ。

以前は中央改札改札側の通路にあったD51の模型や同じくらいのサイズのE6系の模型が並んで置かれている。
というか、手前にでっかくてカクカクした赤いものがありますが、
 「ダイヤブロック」で作ったE6系(レゴブロックじゃないのね)
これも前は中央改札そばに置かれていた。中に乗っても大丈夫なのでしょう。

さらに、
下の文字「ー(長音)」と「こ」がずいぶんでかいですね

ペットボトルキャップのE6系
「秋田運輸区 エコ推進委員会」のみなさんが作ったようだ。
コカ・コーラと真っ白い無地のキャップが活躍した模様。運転席のところに1つだけ、何かの顔の絵が描かれたキャップが収まっていた。


再び改札外。
ぽぽろーどの真下、「ヴィ・ド・フランス」と駅前交番の間にあるコインロッカー。
ここにもE6系。斜めで平衡感覚が狂いそう
右半分にE6系が描かれた。Suica対応キーレスロッカーである左側は無地。

まだE3系が残っているものとしては、秋田支社の乗車券袋(→その後の変化)やびゅうプラザの封筒などがあるが、いずれE6系に変わっていくのだろう。




秋田駅の中央改札口の外にはJR東日本のコンビニ「NEWDAYS」が2店舗近接して存在する。
通常のコンビニ並みで秋田支社の子会社・ジェイアールアトリスが運営する「NEWDAYSぽぽろーど店」と改札のすぐ脇にある「NEWDAYSミニ秋田1号店」。
今回話題にするのは、小さいミニ秋田1号のほう。こちらは「JR東日本リテールネット(旧・東日本キヨスク)」の直接運営。

駅弁が豊富に置いてあり、何より新幹線改札のすぐそばということで、小さい店ながらお客はけっこう多い。その分、店内は狭くて、荷物を持った人は通るのがきつかった。
(再掲)
4月12日付でJR東日本秋田支社から「秋田駅ニューデイズミニ秋田1号店が新たな店に生まれ変わります!」というリリースが出て、リニューアルされることが分かった。
4月16日から25日まで休業して改装工事を行い、26日から「ニューデイズ秋田中央口店」としてオープン。

「ディスティネーションキャンペーンに向け、県外からの多くのお客さまをお迎えするため「駅弁」に主軸を置いた小回りのきく魅力ある店舗として生まれ変わります。」そうで、変更点は、「店内什器、販売スペースのレイアウト変更」「駅弁販売箇所の増床(サイン看板取付)(D1,000mm×W3,200mm=3.2平方メートル)」「駅弁販売什器の変更」の3つ。

なお、「平成9年の秋田新幹線開業時からコンビニエンスストアの縮小タイプとして営業してまいりました。」とあるが、「秋田新幹線開業時」とはすなわち「秋田駅舎完成時」。当時は「NEWDAYS」の店舗ブランドは存在しなかった。
(再掲)「miniコンビ」という店名だった


工事中は向かいのぽぽろーど店に駅弁什器を移して販売

【28日追加】工事中

リニューアル後
従来の棚状の駅弁販売什器は撤去され、スーパーの冷凍食品売り場のような平らで広いものになった。他の大きな駅のコンビニの駅弁販売箇所でも主流の方式。
その什器が置かれた部分に屋根状のものが付いて、それが「増床」分なのだろう。「秋田のごっつお弁」と書かれている。
その分、店内は外から今まで以上に見えにくくなった。レジカウンターの位置は、従来はぽぽろーど(南側)を店員が背にしていたが、東口側を背にするように変わった。これにより、「縦に長い」店舗から「横に長い」店舗に変わったので、客の動線は改善されたと思われる。
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営業運行の試験運行

2013-04-25 21:02:20 | 秋田のいろいろ
今日25日付の秋田魁新報経済面に、「電動バス「エレモ-アキタ」号 路線初、秋田市内を運行 きょうあす 今夏本格営業へ調整」という見出しの記事が出た。(ネット版では「県の電動バス、路線を初めて運行へ 本格営業に向け調整」)
(再掲)希望ナンバーの「11-84」ってどういう意味なんだろう?
秋田県の呼びかけに賛同した企業がコンソーシアムを組織し、いすゞエルガミオを改造して電動にしたEVバス「ELEMO-AKITA」は、昨年夏に完成して秋田市内で試験運転(直近の記事)を行なっていた。今年度中には、秋田市中心部でお客を乗せた営業運転を始める計画だったはずだが、具体的なルートや時期は明らかになっていなかった。
なお、今年1月には、東京ビッグサイトで行われた自動車技術の展示会「オートモーティブワールド2013」で展示されている(自走して東京まで往復したのか?)のだが、秋田では報道されただろうか。
※秋田中央交通はコンソーシアムの一員として運行業務を担っているのであって、中央交通が主体的に進めている事業ではありません。


新聞記事をぱっと見て、その営業運転が唐突に今日から始まるのかと早とちりしそうになったが、そうではなかった。(魁の見出しがとっ散らかって上手にまとまっていないと思う)
「今回の営業運行では、道路状況や乗降客数によって1回の充電による走行距離がどう変化するなどのデータを集め、今夏からの本格運行に向けた調整作業に生かす。」そうで、要は本格的な運行に先立つ、2日間だけの試験的な営業運行。「営業運行の試験運行」ということか。

「EVバスの営業運行は県内で初めてで、東北では3例目」とのこと、1つは青森県七戸町のはずだけど、あと1つはどこだろう?(調べていません)
「営業運行は県内で初めて」だが、一般人が乗車する機会は初めてではない。お披露目の際などに一般対象の試乗会(無料、当日受付)が行われている。


今回走るルートだけど、新聞記事では妙に複雑に記述して地図まで乗せているけど、要は「145系統 臨海営業所線」。(かつての市営バス山王経由交通局線)秋田駅西口と臨海営業所の間を山王十字路、県庁市役所、県立体育館、市立体育館を経由して結ぶ路線で、臨海営業所所属車両の車庫への出入りを兼ねて高頻度で運行されている。
その臨海営業所線のうち「1日3~4便程度」をEVバスが担当するらしい。(したがって、新聞には何も書かれていないけど、一般路線バスと同額の運賃で、回数券や定期券が使えるんでしょうね)

EVバスは秋田営業所(大川反車庫)のほうで担当していると思い込んでいたが、臨海だったのだろうか。考えてみれば、臨海営業所の隣には秋田いすゞが移転してきているから、整備などは臨海のほうがしやすいでしょうね。

臨海営業所線は本数が多い中での「1日3~4便程度」だし、複数台が続行して運転されることも多い(市営バスの交通局線当時からそうだった)から、EVバスを狙って乗車することはかなり難しそう。
逆に、運良く、知らないで乗る機会に恵まれる人はいるだろうが、そういう人にしてみれば、突如グレーのバスが現れて、これに乗車していいものか戸惑うかもしれない。

行き先表示器や運賃箱などの搭載機器は、中央交通の一般路線バスと同じ(もしくは互換性のある)仕様のものが搭載されているようなので、特に問題はないと思われる。
ノンステップ(しかも他に3台しかない基準適合のノンステップ)だからバリアフリーには貢献できる。

「道路状況や乗降客数によって」充電の状態がどうなるかを調べるのが今回の目的とのこと。
でも、臨海営業所線は全区間が平坦で幅の広い道路状態がいい幹線道路。しかも普段の試験走行でも、広小路や竿燈大通りは走っている。
それに、回送的な意味合いを兼ねた路線だから、下手をすれば(直前に先行車があれば)、始発から終点までひとりも乗らないケースもある。もちろん、朝や夕方の通勤・帰宅時間帯は道路が渋滞し、車内は立ち客がいるけれど、「1日3~4便程度」がその時間にうまく該当するのだろうか。

どうせなら、カーブや坂のある道や、信号待ちや途中バス停での乗降が頻繁(=停車・発車が頻繁)な路線を走らせたほうがデータ収集の意味はありそうだけど、まだそこまでは怖いのかな。
臨海営業所担当なら、長距離の五城目線や山道の仁別リゾート公園線は無理だとしても、新屋線とか神田線を走らせてみたらおもしろいのに。

【26日追記】26日の15時前後、買物広場の急速充電器の前に長時間停車していた。充電はしておらず、行き先は「回送」表示。
車内の客席には、5~6人くらいの人物(おそらく全員がスーツ姿の男性、年齢は様々)が座っていた。
※続きはこの記事中ほど
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3月末の青森市中心部

2013-04-24 23:40:04 | 津軽のいろいろ
3月末の青森訪問記の続き、青森市中心部・青森駅前周辺について。一昨年秋に初めて見て、今の地方都市としてはなかなかにぎわっているように感じた。

この頃の青森市内は、路肩などに秋田市よりも弘前市よりも多くの雪が残っていて、積雪の多さを感じさせた。
青森市役所そば・新町通りの東端を経て海へ向かう「柳町通り」。車道も歩道もとても広いのだけど、
大量の雪山
車道は片側3車線だけど、
内側1車線の半分弱を雪が占領
柳町通りではないですが、青森駅そばでは、
歩道が完全に雪で埋もれていた


秋田市より1週遅れで、青森市でも市長選挙が行われようとしていた。(結果は秋田市と同じく、現職が2度目の当選)
そのポスター掲示場(掲示板)
秋田市と同じく無塗装の板だけど、左右が逆。※秋田市の掲示場
注意書きには選管の電話番号が記載され、赤文字で投票日が印字されている。そして小さい文字ながら、
 「この掲示板は、青森市産の間伐材を使用しています。」
なるほど。青森県内でなく、青森市内産の間伐材なのか。こういう風に表示してくれると関心を呼べる。

秋田市では「掲示板面には、選挙と無関係の文言は表示できない」という理由で、間伐材使用については表示していない(裏面にシールが貼ってあることはあるが、裏面を見る人などまずいない)。しかし、青森市ではこの通りだし、松江市ではエコマークを表示していたし、この程度の内容なら表示しても構わない(法律や決まり的に許容される)のではないだろうか。


青森市中心部でよく見かけた消火栓
秋田市の消火栓より、縦に長くスリムに見えるものが多かった。新町通りでは、これに絵を描いたものがあった(後で撮ろうと思っていて、撮れませんでした…)。※後で撮影しました
(再掲)秋田市で一般的な消火栓
雪に埋もれにくいよう、高くしているのかもしれない。


メインストリートの新町通り。
駅から2つ目のアウガ前の交差点(中央古川通りとの交点)は、歩行者が斜め横断できない「(狭義の)歩車分離式」。
 その歩行者用信号機
以前はなかった斜め方向にも歩行者用が付いていて、カバーがかかって、表示板も設置されていた。
おそらく斜め横断できる「スクランブル式」に変更されるのだろう。そのために斜め横断用の信号機と表示板を増設したと思われる。
信号機をカバーのすき間から見た限り、先に付いていたのと同型のようだ。※以前の関連記事

スクランブル横断ができるようになれば、歩行者は歩きやすくなるので、条件が整えばスクランブル化を推進するべきだと思う。
ちなみに秋田県でも何箇所かはスクランブル化されたけど、信号機や表示板の増設まではやっていない。


そこから1ブロック進んだ、昭和通りとの交差点。ここは既にスクランブル式。右に曲がると中三、直進するとさくら野と2つの百貨店がある。
その角にこんな店が
これは「工藤パン新町店」跡。
青森市に本社のあるパンメーカー工藤パンの直営店。焼きたてのパン(スーパーなどで売っているのとは別モノ)や、塗りたての「イギリストースト」が購入でき、2階がイートインスペース。コーヒーショップ(以前はレストラン?)もあったようだ。
いつか行ってみたいと思っていたのだが、今年3月15日で閉店し、60年の歴史(1952年開店)に幕を下ろしてしまった。
2011年8月撮影のGoogleストリートビューより
現在の建物は1970年築だそうで、3月末の時点ではロールカーテンを下ろした状態で、看板は残っていた。
 


跡には、今年夏にデイリーヤマザキができるとのこと。※この記事後半参照


さらに進んで、さくら野や成田本店の前を過ぎると、「アスパム通り」~「八甲通り」との交差点。(青森市はほとんどの通りに名前が付いているのが素晴らしい)
角にレストランや靴店の入るビルがある。
ストリートビューより。4階建てで古そう
このビルのてっぺんに、紺色と赤の線が入っている。20年くらい前までの秋田を知る人なら、これでピンと来るかも。
靴屋というのもヒントになります
そう!
「青森KYODOSHAビル」
「青森協働社ビル」だそうだ。
「協働社」といえば秋田市に本社があって、昭和時代には秋田県内や青森県内に店舗が多数あったデパートというかスーパー。「靴と傘なら協働社」のコピーから、靴店の印象が強い。
企業自体は15年ほど前に倒産し直営の店はなくなった。関連していた「ホテルはくと」も先日アパホテルになってしまった。今は秋田市大町に飲食店などが入る「協働大町ビル」があるのと、秋田市土崎に「協働サンシューズ土崎店」という靴店が残るくらいか。
土崎の靴屋はフランチャイズみたいなので、倒産後も名前が残っているのかと思う。青森もそれと同じような事情で残っているのではないだろうか。
ウサギのロゴマークは使われていないようだが、秋田では廃れた協働社の名が、青森で元気で残っているのが感慨深い。


次の県庁通りとの交差点までのブロックは、みちのく銀行青森支店と青森銀行新町支店と、地元銀行が並ぶ。
その青銀前(自転車レーンに雪が残っていて歩道を通らざるを得ない)
懐かしく感じたものがあった。
温度計付きデジタル時計
デジタル時計といってもLEDなどの自発光するものではなく、丸いコマが反転して黒と黄色に変わって表示するもの。【26日追記】「磁気反転式」と呼ばれる方式だそう。
昔はたまに見かけたが、最近はほとんど見なくなった気がする。(秋田銀行本店にも昔はあって、今は別のものになったっけ?【29日追記】現在はアナログ電気時計が設置されている)

設置位置がやや低いのも珍しく、観察しやすい。
時計は12時間制。温度計は3ケタ分表示できそう。マイナス10度以下は表示する可能性があるが、100度以上も表示できるのだろうか?(どこかいじれば小数点以下も表示できるのかも)
【2014年10月7日追記】こうした街頭の温度計であっても、気象庁への届け出が必要だそうだ。その手間が嫌われて、減っているのかもしれない。


秋田市と比べてしまうのが失礼かもしれないけれど、今回も、人通りが多く、活気があると感じた青森市中心部だった。
コメント (6)
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特上鶏めし

2013-04-23 22:55:15 | 各地お土産・食べ物
当ブログで何度かちらほらと書いてきたきれど、秋田県北部のJR奥羽本線・大館駅の名物駅弁が、花善の「鶏めし弁当」。
全国にとりめし(かしわ飯)の駅弁は数あれど、「東の大館、西の折尾(北九州市)」と言われるほど。(他にも野辺地や高崎とかもおいしいけど)

花善の鶏めしは、大館駅・大館市内でなくても購入できる。
例えば、秋田駅の駅弁売り場では、秋田駅の業者の駅弁と一緒に大量に陳列され、あたかも秋田駅の駅弁のように見える。
※大館から運搬するため時間帯や個数には制限あり。他の業者による「とりめし」もあるので注意。
また、秋田駅前の西武やザ・ガーデン自由が丘でも、ほぼ日常的に販売されている。

花善の鶏めしといえば、赤っぽい掛け紙で850円が定番。駅弁としては量もあって、コストパフォーマンスは悪くない。
実は、これ以外にも鶏めしにはラインナップがある。
「特上鶏めし弁当(1100円)」「特製鶏めし弁当(1600円)」「スペシャル鶏めし弁当(2100円)」の3つ。
ホームページでは、いずれも「要予約」で、特製は5個以上、スペシャルは10個以上からとなっている。
※大館駅前の花善「お食事処」では、御膳形式の特上と特製を予約なし・同価格で食べられる。【24日追記】ネット上では、大館駅前の花善の販売所で、その場で頼んで特上の弁当を作ってもらったという情報もある。(皿に盛るか/折に詰めるかの違いだからね。状況によっては、柔軟に対応してくれているのかもしれない)


ところが、実は、「特上鶏めし弁当」を予約なしで秋田市内で購入できるのです!
秋田駅中央改札横のNEWDAYS(今週は改装工事で休業中)では、数は少ないが通常版と一緒に並んでいることがある。
さらに、フォンテAKITA(旧・イトーヨーカドー秋田店)地階の食品スーパー「ザ・ガーデン自由が丘西武 秋田店」の弁当・惣菜売り場でも、通常版と特上が数個ずつ売られている。
【2015年12月5日追記】2015年11月時点では、青森県のイトーヨーカドー弘前店地下食品売り場でも、通常版・特上とも10個以上は入荷している。

しかも、ザ・ガーデンでは、夕方になって売れ残っていると、値引きされる。そんなわけで、
特上鶏めし弁当を2割引きの880円(nanacoポイント付き)でゲット!

特上鶏めしを食べるのは、5年ぶり3回目くらいだろうか。
掛け紙は昔から黒系統だけど、以前とはデザインが若干変わった。掛け紙に「創業明治32年11月15日」、秋田杉間伐材を使った割り箸の袋には「大館名物駅弁」という文字が入るようになった。

これが特上だ!
通常版とそれ以外の違いというのは、おかずの品数。(当然、高級品ほど多い)
中でも特上は通常版と同じ容器を使っているので、おかずが増えた分、メインの鶏めしは量が少ないのだ。(それでも茶碗1杯くらいはあるか)
ご飯は少ないけど、鶏肉は通常版と同じ量かな?
鶏めしの上には、鶏肉の甘辛煮のほか、そぼろ玉子、花型の飾り、豆のさや、栗の甘露煮が載る。(写真では、栗がおかずの区画へ遊びに出かけていた。)
以前は、花型のは麸(飾り麩)、豆は絹さやだったが、今回は蒲鉾とインゲンに替わっていた。※下の再掲写真参照【24日追記】飾り麸だった当時は、モミジの葉の形だったこともあった。
散りばめられた卵のそぼろは、今回は黄色いものだけで白いところがなかった。なお、夏場は錦糸卵に替わる。

おかずは、長年ほぼ固定されているが、たまに若干の入れ替えがある。
特上のおかず
がんもどき煮、しいたけの甘露煮、花型のすり身(?)、つくね(トンブリが入っているらしい)などは通常版でもおなじみ。特上ならではのものは、ナスのしぎ焼き(田楽味噌)と香辛料が混ざったハム(リオナハムと表示)と鮭のフリッター程度だろうか。
(再掲)2009年2月の通常版鶏めし。蕗の煮物が入っているが、今は椎茸に替わった?
考えてみれば、この程度のおかずの差でプラス250円だったら、鶏めしをたっぷり楽しめる通常版のほうがいいようにも思える。
2009年冬に、大館駅キオスク(現在は廃止)のおばさんの売り込みにつられて買ってしまった、できたての温かい鶏めしはとてもおいしかった。通常版だったけれど、あれこそ「特上」だったかもしれない。

まあ、そんなのは些細なことで、今回も鶏めしもおかずも、どれもおいしかったのは変わりありませんでした。

【2018年6月12日追記】この後、「特上鶏めし」は2016年10月から販売休止、12月以降は終売となった。
代わりに「比内地鶏の鶏めし」を新発売。掛け紙やおかずは「特上」と変わらないようだが、ご飯の上の鶏肉が茶色くなく白い。なお、本社の御食事処では「特上鶏めし御膳」が2018年時点でもあるようだ。→比内地鶏の鶏めしについて
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書体とアニメ

2013-04-22 23:59:59 | その他もろもろ
テレビを見ていて気付いた、どうでもいいことの記事です。アニメの内容についての話ではありませんので、あしからずご了承ください。
●書体
まず、前置きです。
平成初期の中学校(1年生かな)の「美術」の時間では、「活字の書体」を学習したものだ。「レタリング」というやつ。
明朝体とゴシック体しか習わなかった気がするが、鉛筆で紙に何文字か書いてみるだけでも、けっこう時間がかかって大変だった(宿題になった)思い出がある。

その作業自体は嫌いではなかったけど、僕にはとても無意味なことに思えた。
当時はワープロ専用機が全盛だったわけだが、文字を構成するドット数の増加と「アウトラインフォント」による文字サイズの自由な拡大、明朝体に加えてゴシック体や毛筆体も搭載されるようになりつつあった。
だから、「今に家庭や個人でも簡単にいろんな活字を使える時代が来る。ちまちまと手書きで活字体を書くなんて無意味なこと」と予想していたからだ。

その予想は当たって、今は(ワープロ専用機は廃れたが)パソコンを用いて、低価格で豊富な書体(フォント)が使えるようになった。(本格的なプロ用書体となるとけっこう高価だけど、それにしても20年前よりはずっと手軽で身近になっただろう)
テレビ番組ではテロップが多用されるようになり、街中の表示なども看板屋さんの手書きより印刷文字が増えて、書体に触れる機会は増えた。

ただ、使う側の書体への意識は、あまり洗練されていないようで、書体が適材適所で使われていないケースもけっこう見かける。こういう例もあったし、POP書体を使った「お詫び」掲示なんか見るとバカにしているのかと思ってしまう。


日本語書体の定番である明朝体やゴシック体のデザインは、この数十年で少し変わっている。特にゴシック体。
僕は美術の時間で、「ゴシック体は直線的な線であるが、線の中央部より両端のほうがわずかに太い」と習った。だから、単純に定規で線を引けばいいわけではなかった。
ところが、今、印刷物やパソコンで使われているゴシック体は、ほどんどが均一の太さの線。
「ゴナ」や「新ゴ」といった新しいゴシック体のほか、昔からのゴシック体の流れを汲んでいる書体(パソコンのMSゴシックとか)でも、その傾向がある。


話が変わって、数年前まで知らなかったのだが「学参書体」という書体のグループの存在。これは、明朝体とかゴシック体というのとは、また違ったくくり。
美術の時間で「活字書体は、とめやはねなどのデザインが、手書き文字とは違う」と教わった。「しんにょう」とか「改」「令」「北」のように。
美術の時間では触れなかったと思うが、当時から「教科書体」という書体はあった(毛筆体や楷書体とは違う)。教科書体は、活字体ながらも手書き文字の書き方に忠実なデザインで、小学校の各教科の教科書の本文に使われていた。
小学校の教科書でも見出しや重要語句の太字(ゴシック体)、中学校の教科書の多くでは、一般の活字体が使われていたかと思う。

ここ何年かで広まっているらしいのが「学参書体」で、明朝体やゴシック体のような活字体でも、とめやはねを手書きと同じデザインにして、子どもを混乱させないようにした書体。「学習参考書」用の書体ということか。光村図書の中学校の国語の教科書では、昔からそれと同じような明朝体が使われていたはず。
メーカーの「モリサワ」のホームページでは、「文部科学省の学習指導要領の「代表的な字形」に準拠したデザインに統一しています。通常書体では、画数や「はね」「押さえ」「とめ」など書体によって字体の表現の異なる文字を、共通の学習しやすい字形に統一しています。」としていて、明朝やゴシックでは複数の種類、さらに丸ゴシック体などまで、豊富に学参書体がラインナップされている。
教科書体も、学参教科書体と普通のと両方が販売されているけど、教科書体って特に言わなくても元から「学参」の要素を持つ書体のはず。違いがあるのだろうか。【5月20日追記】教科書体の学参でない書体と学参の違いは、「き」「た」「も」といった一部のひらがなのわずかな違い(線の位置や角度など)だけらしい。※この記事後半で少々取り上げています。

我々の世代などは、大人になって初めて学参書体を目にしたわけで、そのせいか、学参書体を見ると何か違和感を感じる。特にしんにょうや「言」の1画目など。
教科書体ではトータルで手書き文字を意識したデザインで統一されているのに対し、学参書体では手書きと異なる箇所だけを部分的に手書き文字っぽくしていて、アンバランスな印象を受けるのかもしれない。
最初見た時は、中国語の書体を間違って使っているのかと思ってしまった。(中国語はそういうデザインのフォントが一般的らしい)

モリサワでは学参書体は「教科書、学習参考書、副読本はもちろん、絵本、子ども向け出版物や玩具などの作成にも適しています。」としており、大人向けではないようだ。
でも、中には、大手企業(ユニクロなど)が広告で使ったり、僕は某新報社の広告特集で見かけた。ネット上では、「違和感を感じる」「狙って使ったの? それとも…」といった声が多く、学参書体を大人向けに使うのには否定的な声が多そう。

以上、長くなりましたが、これを踏まえて。
●ちびまる子ちゃんの次回予告の書体
まずは、フジテレビ系日曜18時の「ちびまる子ちゃん」の次回予告。
最近は熱心に見ていないので、いつからなのかは知らないが、先日の放送で発見。
丸ゴシック系
「言」と「違」に違和感が。
そう、これが学参書体だ。

小学生など子どもが見る番組だから、配慮したのだろうか。

オープニングやエンディングの歌詞やキャスト・スタッフのテロップも、よく似た書体だけど、
こちらは学参ではない書体


●サザエさんの次回予告の書体
もう1つは、ちびまる子ちゃんの後18時半からの「サザエさん」。こちらも次回予告から。
次回の3題が並んで表示されるのはおなじみだが、3月3日放送分から書体が変わった。
 2月24日放送と3月3日放送
どちらもゴシック系の書体だが、だいぶ印象が違う。
2月までは線の太さが均一で、ひらがなは角張っていて「さ」「き」「な」などが特徴的なデザイン。最近流行りの「新ゴ」とか「ゴナ」のような新しいゴシック体の系統の書体だ。(新ゴ、ゴナそのものとは、また違う【5月19日追記】「キヤノンCaゴシック体」というフォントらしい。)
【11月9日追記】「キヤノンCaゴシック体」がずっと使われていたわけでもないらしく、別の書体(あるいは太さが違う)が使われていた時期もある模様。

3月からの書体は、横棒の両端が中央部より太く、ひらがなは丸みを帯びた、中学校の美術で習った原則に忠実な“正統派”ゴシック体だ。モリサワの「太ゴB101」とかかな?
文字の間隔は広くなったようにも見える。
「美」の下の「大」の横棒がだいぶ短く見える

2月まで
3月から。「マ」「ス」の折り返す部分が外側に膨らんでいるのも特徴
実は、サザエさんの次回予告では、昔(具体的には分からないが、少なくとも最後がじゃんけんでなく「んがくっく」だった当時)もこのような書体が使われていたので、復活したことになる。【23日追記】コメント欄で教えていただいたように、昔(んがくっく当時)の書体と、この度変更された書体は、同一ではないそうです。しかし、両者の雰囲気としてはよく似ている(と思う)ので、「復活した」という表現を残すことにします。


現在は、各所で新しいゴシック体が幅を利かせているので、正統派のゴシック体に久々にお目にかかって懐かしい。個人的には2月までの書体は、あまり好きじゃなかったし、サザエさんのイメージにも合っていない気がしていた。
でも、なんでまた、今になって書体を変更したのだろう。
【23日追記】書体変更の直接の理由は、デジタル化に伴うシステムの変更と、今まで使っていた書体メーカーの方針により新しいシステムでは使えない(うまく説明できませんが)ためのようだ。それは分かったけど、新しいシステムでは(メーカーが違うけれど)2月までのと似た新しいゴシック体も使えるだろうに、あえて昔に戻るような書体を選択したのはおもしろい。


サザエさんでは、オープニングやエンディングのキャスト・スタッフの表示、オープニングアニメの観光地名、各話のスタッフ(脚本や演出など)表示でも、活字が使われている。
今までは、次回予告と同じ書体(扁平になっていることはある)が使われていたが、3月3日の放送では、次回予告のみが変更され、他は従来の書体だった。

その後、4月7日に1時間の「放送2200回&放送開始45周年前祝いスペシャル」が放送された。この回からオープニングが福島県を舞台にしたアニメに変わったが、その地名の表示は、新しい(復活した)書体に変わっていた。同時に表示されるスタッフ名は従来通り。
特番だったのでエンディングは通常とは違う形式だったが、そのフォントは新しいほうの書体。

そして、その翌週、4月14日の放送からは、エンディングのキャスト・スタッフ表示も書体が変わり、若干文字サイズが大きくなった。
オープニングや各話のスタッフ表示は、従来のまま。
2月まで 3月から


●声の出演の表示の変化
エンディングの書体変更と同時に、ある意味画期的な変化もあった。

それは、脇役キャストの表示方法。
エンディングでは、磯野家・フグ田家が1人ずつ表示された後、脇役キャラクターが3人ずつ表示される。従来は、毎回、同じ内容が表示されていた。
そのため、その回に出演しなかった役や声優が表示されることがあった。それに、サザエさんでは脇役の声優が役を掛け持ちしていることが多いのだが、常に特定の役名でしか表示されなかった。
例えば、若本規夫さんは穴子、花沢花子の父、商店街の店の主人、湯水金蔵などを担当しているが、常に「穴子」役として表示され、まったく出番がなかった日にも表示されていた。
2月まで
それが、新しい書体になった4月14日からは、穴子さんの出番がなくて花沢父の出番があった時は「花子の父」と表示されている。
 2週連続で父娘が並ぶ
その回の配役や出演の有無に応じて、表示内容が変わることになったようだ!
ところで、カツオくんの担任は「先生(五年三組)」で、ワカメちゃんのほうは「ワカメの担任」なんだね。(竹村さんは従来は「じん六」役で固定表示。前から「ワカメの担任」役も掛け持ちしていたが、配役が表示されるのは初)
1回限りのゲストキャラもしっかり表示
同じ放送回の中で、役を掛け持ちしている場合は、代表的な1つの役が表示されるようだ。


新しくなった4月14日のキャスト表示で、気になったことがあった。それは、波野タイコさん。
以前は、ノリスケ・タイコ・イクラが仲良く表示されていた。
4月14日は、ノリスケさんの出番はあったが、タイコさんとイクラちゃんはなかった。新しい表示法では、ノリスケさんだけが表示されるはず。
ノリスケ・タイコ・じん六
なぜかタイコさんが出たことになっている。さらに、タイコの声優が別の人になっている。従来は塚田恵美子さんが担当していたのだが…

近年は、声優の高齢化などで、いくつかの役で交代があったサザエさんだけど、ついにタイコさんも?!
翌週21日の放送でもタイコさんは出なかったが、
ワカメの同級生・堀川役で塚田さんが出演(他に無名の女性役もやっていた)
降板したわけではなかったようで安心した。単なる間違いだったのだろうか。
っていうか、ホリカワくんの声ってタイコさんだったのか!

これからは毎回、キャスト表示が変わることになるから、作成する時は気をつけないといけませんね。

【29日追記】4月28日の放送では、若本さんが花子の父と穴子両方の出番があり、エンディングでは「花子の父」で表示(花子と連名で)された。この日はストーリー的には穴子さんより花沢父娘のほうが重要だったからだろうか。
また、伊佐坂婦人のオカルさんは従来は「おカル」だったが、「お軽」で表示された。表示変更後未登場の伊佐坂先生(従来は「なん物」)はどう表示されるだろうか。
【5月5日追記】5月5日も、花子の父と穴子両方の出番があった。割合としては穴子さんのほうがやや多かったか?
表示は新方式になってから初の「穴子」。「花子」とは別の画面で表示された。
【5月12日追記】5月12日は波平さんの同僚「岡島」役(伊井篤史)が初めて表示された。
【5月19日追記】5月19日の放送では、3話のうち最初と2話目の冒頭の脚本や演出などスタッフ表示も新しい書体になった。(3話目は従来の書体)
6946遠足のかがやく星、6951姉さんの器用な足、6945もうひとりのボクという順番で放送されたので、作品ナンバー6945までが旧書体、6946から新書体に変わったと考えられる(ずいぶん飛び飛びに放送されるもんだ)。
先代(たしか先々代も)の書体はやや扁平な文字だったが、新しいのは正方形。
エンディングでは、「橋本」「リカ」の配役が表示された。
【5月26日追記】5月26日の放送では、2話目の「6953玄関は家の顔」のスタッフ表示が特異的。脚本、演出が表示される最初の画面は旧書体、次の作画監督、仕上、美術は新書体で表示された。1話目と3話目は、すべて新書体。
ちなみに、2話目の最後の場面(サザエがスカーフをほっかむりして、それをよその奥さんが真似する)は、原作4コマを元にしたものだったが、それは前日25日付の朝日新聞土曜版「be on Saturday」の連載「サザエさんをさがして」でも取り上げられ、偶然(?)のコラボレーションとなった。(原作は1957年6月1日付掲載とのこと)
【6月2日追記】6月2日の放送では、スタッフ表示が3話6画面とも新書体で揃った。
声の出演では裏のおばあちゃんが初表示されたが、「裏の老婆」。今回は裏のおじいちゃんが出なかったが、どういう風に表示されるのだろう。「裏の老人」? 「裏の老翁」?→6月16日追記参照
【6月9日追記】6月9日の放送では、作品ナンバー6971、6450、6956の順で放送された。
6450は「珍しい出来事(城山昇脚本)」ずいぶん前の作品ナンバーだが、新書体での表示。脚本がストックされていて、作られたのが最近なのだろうか。
6971と6956は雪室俊一脚本。6971は新書体だったが、6956「タイクツしない人」は5月26日の6953と同様、スタッフ表示の最初の画面が旧書体、次が新書体だった。
【6月16日追記】裏のおじいちゃんとおばあちゃんが揃って表示された。「裏の老人 裏の老婆」と…
ちなみに、「うる星やつら」のラム役だった平野文さんがゲストキャラ役でゲスト出演(以前もあったかな)。
【6月23日追記】1本目6952「シリシカレ物語」のスタッフ表示は最初が旧書体、次が新書体。
三河屋のサブちゃんは、上の画像の通り、新書体になった当初は「三郎」と表示されたが、23日は「サブロー」になった。
【7月15日追記】7月14日の放送では、「甚六(4月14日は「じん六」)」、「担任(4月14日は「先生(五年三組)」)」と表示。
「担任」は、カツオくんの先生しか出番がなかったから、ワカメちゃんの担任と区別する必要がないためかもしれない。
また、4月28日と同様、伊佐坂夫人は「お軽」。伊佐坂先生はまだ表示されたことがないが、どうなるだろう?
【9月8日追記】9月8日にやっと伊佐坂先生が表示されたけれど、単に「伊佐坂」。伊佐坂家の他のメンバーの出番がなかったからかもしれない。
【9月15日追記】9月15日は、フネさんの兄・石田鯛造が登場。声は若本さん。
エンディングでは、磯野一家に続く画面で上から「花子、鯛造、ワカメ担任」と表示。次の画面では「カツオ担任」。担任の先生の表記は安定しない。
さらに次の画面では、無名の脇役で「女性マル1、女性マル2(実際には○で囲んだ数字)」という表記が初めて使われた。
ついでに1話目の「かわいそうな秋(No.6998。雪室脚本)」から2つ。
・「ワカメ担任」は、以前は「ワカメちゃん」と名前+ちゃん付けで呼んでいたように記憶しているが、冒頭の授業中に指名するシーンでは「いその」、「ほりかわ」と呼び捨て。
・静岡の鯛造は、「農協の会合」で東京へ来た設定。スポンサーであるJAバンクへの配慮かな?
【9月30日追記】9月29日放送では「お軽」「甚六」。初めて商店街の魚屋の主人が「魚徳」として表示(声はいつもはカツオの担任役の沢木郁也さん)。
【10月20日追記】10月20日放送では伊佐坂夫妻が「伊佐坂」「お軽」。脇役では「」と「女性」がいた。
それから、10月6日放送分から本編もすべてセル画をやめてCG制作に以降した。その翌週13日から、またキャストや予告の書体が変わった。直前までの“正統派”ゴシック体に似てはいるものの、ひらがななどは今のパソコン書体に比較的近いデザインになっている。詳細は後日
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校歌補足

2013-04-20 23:58:41 | 秋田のいろいろ
先日、校歌の作詞者や作曲者の記事をアップして、次は歌の内容についてとしていましたが、その前に作者などについて補足。

●津雲 優(つぐもゆう)
直接的には校歌とは関係ないようだけど、まずはこの方。
今日の秋田魁新報社会面に訃報が出ていた。通常の訃報記事より大きく扱われ、3段で顔写真付きの一般記事として掲載された。

津雲氏のお名前と秋田出身の作曲をする人だとは存じ上げていたが、詳しくは知らなかった。
紙面によれば本名は高橋正。シンガーソングライターで、秋田市東通在住。
旧大内町出身、秋田大卒、1977年にヤマハのポピュラーソングコンテストにおいて自作曲で最優秀歌唱賞受賞。同年にレコードデビューし、以後、秋田市を拠点にCD制作やライブ活動を展開。
昨年4月に体調を崩し療養していて、19日に亡くなった。

魁の紙面には、津雲氏が「(秋田)市内の小中学校の校歌や創立記念のテーマソングなどを数多く制作。」とあった。
「創立記念のテーマソングなど」は、知っていた。市立旭北小学校の創立120周年記念ソング「君の夢は僕の夢」、市立旭川小学校がヤートセ祭で使う「旭川タント節」などを、いずれも作曲している。

紙面からは津雲氏が「秋田市内の学校の校歌」も作っていたように受け取れる。これは初耳。
ちょうど最近、校歌に興味を持ってブログのネタにするため、秋田市立学校の校歌の作者を調べていたところ。雄和・河辺地区を除く秋田市立小中学校57校のうち、48校の作詞作曲者が判明しているが、その中に津雲氏のお名前はない。(残りの学校も、歴史からすれば津雲氏が作ったとは考えにくい学校が多い)
一方で、2003年に開校した、潟上市にある「県立養護学校天王みどり学園(という校名)」の校歌は津雲氏が作曲した。それに、美郷町の町民歌も作曲しているが、記事では触れていない。
記事の「市内の小中学校の校歌や創立記念のテーマソングなどを数多く制作。」という表現は、適切ではいように思われるのだが。

また、紙面の見出しは「大曲の花火のイメージソング手掛ける 津雲優氏(秋田市)死去 60歳」、ネット版では「歌手・津雲優氏死去 「いざないの街」など制作、60歳」と、だいぶ違っている(魁ではわりとあること)。
「いざないの街」=大曲の花火のイメージソングなのでいいけれど、津雲氏が「歌手」であるとしているのは、ネット版の見出しだけで記事本文には書いていない。シンガーソングライターと歌手は「=」ではないと思うのですが。


●小田島樹人
もう1つ今日の魁から。社会面の連載「シリーズ時代を語る」は、画家で秋大名誉教授の佐々木良三氏。
本荘高校を中退して、秋田高校(当時は秋田南高校=今の南高とは無関係)に再入学したところまで話が進んでいて、今日は音楽の小田島樹人(じゅひと)先生の音楽の授業が好きだったという内容があった。
「小田島氏は、戦前に童謡作曲家として活躍し、「おもちゃのマーチ(♪やっとこやっとこくりだした)」が代表作」という趣旨の補足も掲載された。これは知らなかった。

Wikipediaに小田島樹人の項があり、1885-1959年、鹿角市花輪出身、「樹人」は本名でなく俳号。
盛岡や東京に出て、1936年には秋田に帰ってきて、1941年から定年まで秋田中学(~秋田高校)の定時制で定年まで勤めたとある。
ただ、佐々木氏は1935年生まれなので秋高入学は1950年頃。その頃、小田島先生は65歳になっていたはずで、定年(当時は55歳とか?)はとうにすぎている。定年後も非常勤とか再任用で在籍していたのかもしれないけど。また、秋田高校に定時制過程ができたのは1948年だそうで、1941年から定時制過程に勤務していたのもちょっと疑問。
ともかく、秋田出身で秋田とゆかりの強い作曲家で教育者ということになる。

小田島樹人は、秋田市立学校の校歌も作曲している。(小田“嶋”表記のものもある)
確認できている中では、築山小学校と外旭川小学校の校歌を作曲している。


●時を越えた校歌
前回の記事の通り、秋田市立飯島中学校の校歌は、大館出身で合唱曲の作・編曲で有名な橋本祥路氏。作詞:加藤 裕、補作:土井輝雄 ※追記参照
飯島中は1991(平成3)年開校なので、当然、その頃に作られたものだと思っていた。

ところが、飯島中学校校歌の「詞」だけは、それより30年は前に作詞されていたらしい。(橋本氏の年齢からすればその当時に作曲できたわけはなく、作曲はそれよりだいぶ後=1991年と考えられる)

実は、それ以前にも「飯島中学校」があった。
終戦後から1964年まで存在し、秋田北中に統合されて閉校した。おそらく、最初は飯島村立で1954年から秋田市立、所在地は今とは別だったはず。
時が経ち、飯島地区の宅地化で人口が増え、1991年に秋田北中から再び独立して、今の飯島中が誕生した。

学校が“復活”したことにはなるが、形式的には初代と二代目の飯島中に直接の関係はないことになるようだ。
でも、校歌の歌詞は以前のものを(言葉が適切ではないが)“再利用”して、時を越えて同じ地域に存在する同じ名前の学校としてのつながりを保とうとしたのだろう。

だったら、曲も初代のものをそのまま持ってくれば良さそうにも思えるが、どうして橋本氏に再度の作曲を依頼したのだろう。
「補作」とあるのも、初代から二代目に変わる(曲が変わる)際に手を加えたということだろうか?
【21日追記】「歴史作家 土居輝雄」というホームページ(http://www.cna.ne.jp/~doi/kayou.html)を見つけた。連絡先に「本名」が記されているので、土居輝雄というのは筆名で、ご本人によるホームページなんだろうか?
※中学校のホームページでは「土“井”輝雄」となっているが、正しくは「居」のようだ。
それによれば、飯島中学校校歌は「旧飯島中学校歌を土居が補作し橋本祥路氏が作曲」とあるので、現在の飯島中開校時に補作されたようだ。

言われてみれば、歌詞は平成に開校した学校の校歌としては古くさいような重いような印象。でも、2番の「海荒らび 砂はふぶけど 里守る松 そばだてり」など、いかにも飯島らしい。
曲のほうは、かなり明るく感じた。だけど歌詞とも合っていて、橋本氏の力で昭和の歌詞と平成の曲が時を越えて融合したようだ。
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奥津軽いまべつ

2013-04-18 23:17:08 | 津軽のいろいろ
この続きで、津軽半島の青森県東津軽郡今別町にある、2つの鉄道駅と道の駅があり、新幹線の駅も造られている場所の訪問記。
雪が残っているのと、工事が行われているのとで、本来の駅周辺の姿ははっきりと分からないが、「何もない」「誰もいない」のはたしか。

駅の西側、家がわずかにある県道14号線へ行ってみる。
駅(道の駅正面)からは200メートルほど。緩い上り坂で、途中に今別川に架かる「きくのさとはし」という橋がある。【19日訂正】川を底とした谷状の地形のようで、駅から橋へ向かうと下り坂でした。
橋付近から線路・駅のほうを見る。雪しかない…
県道は車はほんの時たましか通らないが、歩行者スペースはないに等しく、緩くカーブしていて見通しも利かないので、うろうろしたくない。
県道の案内板
案内標識は、全国共通の道の駅のものと、古め(開業時に設置されたか)の「津軽海峡線 津軽今別駅」があった。
1日上下2本ずつしか停まらない津軽今別駅の案内はあるのに、津軽今別駅よりも道の駅よりも古く(1958年)から存在する「津軽線 津軽二股駅」の案内はないのか。

道端にごみ置き場があった。住宅用サッシをはめ込んだ手作りっぽい小屋なのだが、そこにびっくりする表示があった。
「猿が来ているから戸締めて下さい」
カラスとかネコじゃなくて、サルが出没するとは!
でも、サルだったらこんな窓、簡単に開けられそう。

「きくのさとはし」の下流(北)側にも、2本の橋が架かっている。1本は現地では気付かず地図で知った。車が通れない小さな橋で、雪に埋もれていたのか。
もう1本は、県道から駅北側の踏切で津軽線を越えて、東側へつながる道の橋で、「だいにうまながればし」とあった。こういう表示は「はし」と濁らないのが一般的なのに「ばし」表記が珍しい。「だいいち~」もあるのだろうか。

さっきから、海峡線の工事現場から「上り通過10分前」みたいな放送が流れているのが聞こえていた。運行中の鉄道の近くで行う工事では、通過列車には充分注意しないといけない。
やがて、けたたましい電子音が鳴り響き、
新青森行き「スーパー白鳥」が通過

「奥津軽農村公園」
道の駅の裏側は公園で、遊具や栗園があるようだが、ここも雪の中。

では、道の駅の中へ入ってみる。
実は、あまりに人気(ひとけ)がなくて、入るのを躊躇していたのです。
しあわせ駅長はカモメ?
道の駅、2つの鉄道駅、そして新幹線の駅と、4つの駅があることにちなんで「四あわせ駅長」。
建設中の新幹線の駅は「(仮称)奥津軽」という駅名になることで計画が進んでいた(この時点では)。

上の写真左側に紙が張ってあるが、冬期(11月~3月)の開館時間は9時から16時まで(夏期は9時から18時のようだ)。食堂は11時から15時で、土日はお休み。
この交通量と人の少なさからすれば、そういう営業時間になってしまうのも納得。逆に言えば、平日の昼間はお客が多いってことだろうか。失礼ながらちょっと信じられない。
それにしてもこの道の駅は小さい。小さいというのは、見慣れた青森や秋田の交通量が多い道路(1ケタ番号国道など)の道の駅と比較して。でも、トイレの数や情報提供の基準を満たせば道の駅になるため、全国的には小さい道の駅も珍しくはない。

道の駅の玄関のドアとドアの間(いわゆる風除室)が、自販機スペースと鉄道の駅の待合室代わりになっているようだ。(ということは道の駅の営業時間外もここまでは立ち入れるのかな?)
しっかりした造りで風雪は防げるだろうし、道の駅営業時間内は道の駅の中に入って待てばいいのだから、この手の無人駅の待合室としては、立派なもの。
 2つの時刻表と運賃表
時刻表と運賃表は2駅分が掲示されている。当然といえば当然だが、奇妙な光景。
津軽二股駅は、五能線の無人駅にもあるような、JR東日本共通デザイン(?)のもの。津軽今別駅のは、いかにもワープロソフトで作りましたという感じ。
運賃は、蟹田までは津軽二股から320円、津軽今別からは350円。青森まではそれぞれ950円と850円。蟹田までなら津軽二股のほうが安く、青森までは津軽今別のほうが安く、逆になっているのがおもしろい。運賃体系が異なるJR北海道と東日本をまたがって利用するかしないかが原因だろう。
※ただし、津軽今別駅に停車するのは特急列車のみ。津軽今別-蟹田間だけの乗車なら特急料金がいらない特例が適用されるが、そのまま青森まで乗れば特急料金が発生する。(蟹田で降りて普通列車に乗り換えないといけない)

道の駅の中。大漁旗が並ぶ
それなりに土産物や展示物、パンフレット類はあるものの、節電のため消灯されていて営業していないかのよう。(閉館時刻まであと1時間を切ってはいたが)
店というか案内の人は、奥に引っ込んでいるらしくいない。営業していない食堂スペースでテレビが点いていて、それを見ている人(何者?)と、同じ列車で降りた人がいるだけ。

写真と模型
青函トンネルを抜けた特急「はつかり」の写真と、今別町周辺をモチーフにした鉄道模型があった。
津軽線で2つ先で海沿いの「今別」駅辺りが町の中心のようだ。

トイレを拝借すると、洗面台にこんな掲示が、
ずいぶん派手なデザインだけど、「レバーはゆっくり」の下の行
3行目「「いきもき」に回せば「はちけ」ますよ?」の意味が分からなかった。津軽弁のようだが…

「いきもき」は「一気に」とか「せっかち」、「はちけ(る)」は「弾ける」といったところか。つまり「(蛇口を)勢いよく回せば、(水が)飛び散りますよ」ということのようだ。

奥津軽(仮称)駅イメージ図
新幹線の駅の完成予想図があった。北西側から見たもの。
今の道の駅らしきものは残っていて、そこに高い建物がつながって、さらに津軽線の上を渡って新幹線(現・海峡線)に至る渡り廊下状の通路ができるらしい。そして、道の駅に接して(今、公園がある所?)、平べったくて大きな建物ができるのか。
何もなくサルが出没するような今の姿からすれば、想像もつかない。
何もない所に新幹線の駅ができた例はいくつもあるし、同じ青森県の七戸十和田駅のように、できてしまえばなんとかなるのだとは思うけれど。
「2015年開業予定」の旗がちぎれてはためいていた
上記の通り、ここにできる新幹線駅は「奥津軽(仮称)」ということになっていた。
訪れた次の週(4月2日)、今別町長が青森県知事を訪ねて駅名案を報告したことが報道された。住民アンケートを踏まえ、周辺自治体の了解を得て、今後JR北海道に要望するという。
その駅名は、「奥津軽いまべつ」だそうです。
長ったらしいというか道の駅みたいな駅名だ。【19日追記】「奥津軽」という地域の呼び名もさほど一般的ではないように思われ、やや違和感を感じる。イメージとしては分からなくもないけど。

考えてみれば、海峡線の在来線と北海道新幹線は同じ線路を走る。新幹線開業後は、ここに「奥津軽いまべつ」と「津軽今別」が両方同じ場所に存在することになるのだろうか。そして津軽線の「津軽二股」はそのまま残るのだろうか。
この駅(区間)の場合、津軽線は並行在来線とは見なされないようで、新幹線開業後もJR東日本が運行を続けることになるらしい。となると、「津軽二股」駅はそのままで蟹田方面とを結ぶ列車の本数が増えるのだろうか。

それから、ここは青森県や津軽地方の中における位置としては、観光拠点になり得る可能性を秘めているかもしれない。
道の駅の掲示によれば、ここから車で金木の斜陽館まで40キロ1時間、竜飛崎まで30キロ45分(ちなみに青森市まで46キロ1時間15分)とのこと。アクセスとしては悪くない。竜飛岬や十三湖など、今まで公共交通でのアクセスが良くなったエリアが、ここからはそう遠くない。新幹線と接続する二次交通があれば、集客が見込めそう。

わずか53分間の滞在だったが、異空間へ迷い込んだような、時間を持て余したようなひとときだった。
【19日追記】本来の定義とは違うだろうけど、「秘境駅」の一種にさえ思えた。谷間に位置し他と隔離された立地なので。
津軽二股駅ホームから、海峡線の工事現場を望む。これが駅になるの?

行きと同じ車両・乗務員で上り列車が到着
いっしょに降りたもう1人の人も同じ列車に乗った。
駅を発車してすぐ、
海峡線津軽今別駅に下り特急「白鳥」が停車。1日2本のうちの1本
時刻表では、白鳥が15時36分着・発、乗っている津軽線上り普通が15時36分着・37分発なので、特急が遅れていた。

海峡線と合流する新中小国信号場では、巨大な「エコパワー金太郎」ことEH500形電気機関車がひく下り貨物列車とすれ違い。
青函トンネルを目指す

車内の乗客は、行きよりもまばら。
この列車は、蟹田が終点ではない。1日1本ある、青森まで直通する列車。乗り換えがないのは楽だが、1両で蟹田から青森までを進むことになる。

蟹田駅からは、ぞろぞろと乗り込んできて、ボックスがおおむね埋まった。北海道から来た、青春18きっぷや北海道&東日本パスの利用者のようだ。
蟹田から先は架線下を進む単行ディーゼルカーとなる。速度はそれなりだが、途中の郷沢駅で7分、中沢駅で12分も停まる。
青森の1つ手前、油川駅からは高校生などが乗ってきてデッキ付近に立つ人も出て、青森に到着した。
この日は土曜だったから良かったが、高校の下校時間帯と重なる平日は、1両編成ではきついような気がしたが、大丈夫だろうか。こういう列車こそ、収容力のある701系を!
あと、ボックスシートといっても、ほぼ垂直で固いキハ40系に1時間以上乗るのは、さほど楽じゃない。個人的にはロングシートでも701系のほうが座りやすいと思った。
津軽二股-秋田間の運賃は3890円。今回は6000円で乗り放題の「東北ローカル線パス」を使った(さらに浅虫温泉などにも行った)ので、だいぶ得した。

青森県にも、様々な地形や風土の土地があるものだと実感した4時間の旅だった。
せっかくなら三厩まで乗り通してみたいし、反対の下北半島を進む大湊線なんかもいつか乗ってみたい。


【19日追記】鉄道と道路の両方を走行できる「DMV(デュアル・モード・ビークル)」を使って、津軽鉄道沿線と奥津軽いまべつ駅を結ぶ(津軽鉄道の終点・津軽中里駅から奥津軽いまべつまで道路を走行)構想があるそうだ。実現できればおもしろいけど…
【2014年6月27日追記】2014年6月に、津軽鉄道がDMV運行を断念したことが、東奥日報による同社社長への取材で分かった。既存車両と共存することは踏切などのシステム上不可能で、DMV単独で運行するには採算が取れないため。
【2014年11月13日追記】2014年11月13日付朝日新聞秋田版の東北6県共通記事「みちのく経済」の「地方鉄道の新幹線対策」より。岩手や青森の私鉄・3セク鉄道の、北海道新幹線・新函館北斗開業に向けた対応の中で、DMV導入について津軽鉄道社長の話が出ていた。
「JR北が実用化を見送り、開業時の導入は断念した。だが、澤田社長は「「導入そのものは諦めていない」と話す。」
そうで、東奥日報とは少し違った話になっている。


【10月5日追記】2013年10月3日の東奥日報サイトから、その後の動き。
10月から現在のホームを廃止し、その外側に新たに線路を引いて作った仮設ホームを使うことになった。現ホームは長さ120メートル、仮設は135メートル。使用開始は上りが18日、下りが25日から。
新幹線開業後は、仮設ホームのレール部分はそのまま貨物列車用として使う。
また、新幹線開業時に津軽今別駅を廃止する計画とのこと。代わりに同じ場所に「奥津軽(仮称)」を新設するということなんだろう。※東奥日報のこの記事では駅名を「奥津軽いまべつ」とはしていない。
コメント (5)
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トゲビル・農林ビル・牧野ビル

2013-04-17 23:33:36 | 秋田のいろいろ
以前アップしていた、秋田市内のいくつかのビルの工事の続きと新たな話。
●トゲトゲビル ※前回の記事
「秋田法務総合庁舎(11)建築その他改修工事」として、山王の検察庁関係の機関が入る建物の耐震改修工事が行われていた。
既存建物の外側に構造物を取り付ける工法のようで、昨年末の段階では、その接続部がトゲトゲの状態で壁面2面を覆っていた。
その後、
 1月19日

1月25日
トゲはそのままに、壁からやや離れた位置に鉄骨が組み上げられた。その一部には、耐震補強でおなじみの筋交い状の白い物体が取り付けられている。
窓を撤去して壁に穴が開いていた箇所も
その後、外から見た限りでは、あまり進捗がなかった。役所の工事だから年度末で終わるのかと思っていたが、そうではないようだ。
3月23日
今度は、組み上がった鉄骨を覆うように、足場と囲いが設置された。ゆっくりと上まで伸び、現在はてっぺんまで覆われているかな。いよいよ、建物本体と鉄骨をつなぐ最終段階に入ったのだろう。
進捗としては、北(山王大通り)側のほうがやや進んでいるが、ほぼ同時進行か。

【6月21日追記】6月21日現在、東側(けやき通りに面した正面)はだいぶ前から足場がなくなって壁面が見えているが、トゲトゲがあった南北面はまだ足場とシートに覆われていて見えない。
※続きはこちら


●農林ビル解体 ※前回の記事(リンク先中ほど)
中通一丁目にある、中央通りの西端でみずほ銀行隣の「秋田農林ビル」が、昨年10月頃から解体されていた。
1月17日
今年初めには、1階の壁を除いてほとんど解体されて、がれきの大きな山ができていた。
3月17日
大雪の影響もあったのか、完全に片付けて更地にするのには少し時間がかかった。3月下旬には仮囲いも撤去されて、簡易な柵で仕切られるだけになった。現在は、みずほ銀行寄りに砂利の山みたいなのが置かれている。

歩道橋の上から見た変遷。
(再掲)解体直前

昨年12月15日

1月17日

3月28日

角地の5階建てのビルがなくなったことで、風景がだいぶ変わった。
西側・旭川を背に

北西角・みずほ銀行側から。中央通りが見通せる

北東角・歩道橋や北都銀行本店が見えるようになった

南東角・中央通りから。二丁目橋たもとのケヤキとその奥に協働大町ビル、右に水色のホテルパールシティが見える
(再掲)上と同じアングルで解体途中

歩道橋の下・敷地の南西角には、こういうものがあった。
「奉行所跡地」
元は佐竹藩の町奉行所があり、明治8年に警察の建物ができ、昭和42年に「農林中央金庫秋田支所(現支店)となる。」と書かれていた。
この表示は、建物解体後は、
シートで覆われて、転がっていた
秋田ニューシティの解体では、工事中は「旧茶町菊ノ丁」の表示が一時撤去されて、現在は少しずれた位置に再設置されている。

更地になった土地は既に売却され、今年夏頃の着工を目指して活用方法を検討中とのこと。(前回の記事の追記参照)
ここの土地はどう使われて、奉行所跡地の表示はどうなるのだろう。
【2015年4月9日追記】その後、着工の気配はなく更地のまま。2015年3月頃から、整地をして未舗装のままで駐車場として使われるようになり、普通乗用車が数十台程度駐車している。工事で駐車場が使えないマンションの代替駐車場として使われていると思われる。この記事末尾参照。


●新たな解体
農林ビルや長門第一ビルなど、古めのビルの解体が目立つ最近の秋田市で、また解体が始まったようだ。
山王十字路近くの山王大通り沿い、山王二丁目に「牧野ビル」というのがある。三井住友海上秋田ビルと朝日新聞秋田総局の間。
山王大通りの向かい側から。左から朝日新聞、牧野ビル、三井住友海上、田口ビルの順

3階建て
2階には「山王公証人役場」が入っていたようだ。窓に桐のマークが残る。
壁面は青系統で微妙に色合いが違うタイル張りで、在りし日の農林ビルにそっくり。隣の三井住友海上秋田ビルは新しそう(1985年築)だが、青緑系統のタイル張りで、どことなく共通する。
やや奥まった位置にある


この並びのすぐ裏(北)側には細い道があるので、この辺りのビルは南北両側に出入口があるものが多い。牧野ビルもそのようだ。
牧野ビルの北側
北側はタイル張りではない。

ここの跡地はどうなっていくだろうか。
※続きはこちら(上のトゲビルの続きと同じ記事)
コメント (4)
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津軽二股へ

2013-04-16 23:14:42 | 津軽のいろいろ
青森県津軽半島の蟹田に到着した続き。
目的地は道の駅と鉄道の2つの駅が同じ場所にあり、さらにもう1つ新幹線の駅ができようとしている場所(だから何て表記すればいいか迷う)。しかもその2つの駅は管理する鉄道会社が異なる。海峡線のJR北海道「津軽今別」駅と津軽線のJR東日本「津軽二股」駅。※「今別」駅も存在するがそれは津軽線の別の駅。

津軽今別駅には1日上下各2本の列車しか停まらないし、蟹田での青森方面の普通列車との接続も良くない。それに今回使った「東北ローカル線パス」のエリア外なので別に運賃を支払わないといけない。
そのため、三厩(みんまや)へ向かう津軽線に乗って、途中の津軽二股駅へ向かうことにした。


蟹田から津軽二股・三厩方面も列車本数は多くなく、1日5本。
長時間滞在するような場所でもないので、青森市から行ってすぐ戻ることになるが、それが可能なダイヤとなると、1日2パターンしかない。いずれも現地滞在1時間と往復の乗車時間を合わせて、約4時間コース。

再び蟹田駅の改札を通り、三厩行きの列車に乗る。
青森から乗ってきて2番線に着いた701系電車は、7分の折り返しで青森に戻っていった後だった。
さらに北へ向かう列車
3番線に停まっていたのは、白地に赤いラインの盛岡支社塗装の気動車(ディーゼルカー)。八戸運輸区所属の「キハ40 558」の1両編成(いわゆる「単行」)。ワンマン運転ではなく、車掌が乗務(津軽線ではワンマンを実施しておらず、車両にも設備がなかった)。
個人的にはキハ40系は、その性能や設計から「国鉄末期の負の遺産」というイメージが強くて好きになれないけれど、ローカルムードは高まる。
男鹿線や五能線を走る秋田支社のキハ40系は冷房設置・扇風機撤去やエンジンの換装が行われているが、この車は冷房なしでエンジンもオリジナルかもしれない。車内は4人掛けボックスシート主体の本来の配置で、荷棚もオリジナルの網の荷棚(=本来の“網棚”。秋田のは別の網に換えられているのもある)。
座席の布地は、盛岡支社の車両でよく見る、鮮やかな紫色に換えられている。
1列だけ窓が狭くて2人掛けの座席がある
【28日追記】JR東日本では節電対策の一貫として、なぜか気動車の車内の照明も間引いている。
電車の701系では間引く蛍光灯そのものを取り外しているが、秋田支社のキハ40系では、蛍光灯を取り付けたまま消灯していて、国鉄型車両だけにそういう機能がある(夜行運用に備えて「滅灯スイッチ」でもあるのか?)ようだが、盛岡支社所属の津軽線のキハ40では蛍光灯を取り外していた。

車内では、荷棚にハシゴ(をたたんで入れた袋)が置かれ、「津波警報が発令された場合のお願い」という大きな掲示があった。八戸線も走る車両なので、その津波対策。

お客は1ボックスに1人程度。青森からの電車から乗り継いだ人が多そう。地元の人もいるが、青春18きっぷや北海道&東日本パスの利用期間中の週末だけに、津軽半島の先っぽを目指すであろう旅行客もわりといる。
蟹田駅を発車した列車は、意外にも西に進路を取り、海から離れていく。人家はまばらで、道路を走る車はとても少ない。
次の「中小国(なかおぐに)」駅で旅客制度上は海峡線と分岐するが、実際にはその先の新中小国信号場で、海峡線が右へ分かれていく。以降の海峡線は、複線の高規格の線路で青函トンネルをくぐって北海道へ向かう。
星印が目指す場所 
津軽線のほうは、いよいよ非電化の末端区間に入っていく。すぐに「大平(おおだい)」駅。いちおう、十三湖にいちばん近い駅になるみたいだけど、歩いて行かれる距離ではなく、駅にはバスもタクシーもいない。【19日訂正】十三湖にいちばん近い駅は、津軽鉄道の津軽中里駅でした。津軽中里からは、乗り換えが必要なもののバスの便があるとのこと(五所川原駅からは直通バスあり)。

大平駅付近からは、分かれた海峡線が高架で山(大平トンネル)に向かうのが見えるが、そこで大きな工事が行われていた。
手前の高架は海峡線。奥が工事現場

新たな高架や橋を造っている
北海道新幹線は、青函トンネル部分は既存の海峡線を使って(在来線と共用で)新幹線が走るが、新青森から海峡線につながる部分までは新たに建設される(青森から蟹田へ向かう時に遠くに高架が見えた)。その両者の接続地点が、ここになるそうだ。

大平の次の駅は、もう津軽二股なのだけど、所要時間は13分もかかる。途中で信号待ちなどがあるわけでもない。距離にして11.6キロを走り続けるのだ。
北海道の大地を駆け抜ける路線や、県境の山間部などならともかく、海が近い津軽半島の路線に、こんなに駅間距離が長い区間があったとは驚いた。
※秋田・岩手県境の田沢湖線の田沢湖-赤渕は18.1キロで、北海道以外の在来線でいちばん駅間距離が長いそうだが、途中に信号場が2つある。
窓の外は雪が残る山あい
線路はカーブが多く、山の中へ分け入っていく感じ。木々はまだ雪に埋もれている。せせらぎや木の周りの雪が消えて、やっと春の兆しが見えてきた状態。ここが海に近い津軽半島ということを忘れてしまう。予想していたのとは違う“最果て感”。
トンネル(品川トンネル)を過ぎて開けた所に出て、右から海峡線が寄り添ってくる。海峡線は、この区間をまっすぐなトンネルで抜けている。(青函トンネルに入る前に短いトンネルが連続していてフェイントをかけられるが、その最初のほうに当たる。)
ついに津軽二股到着
乗る人はおらず、降りたのは僕のほかにもう1人。やはり旅行客というか駅目当ての人のようだ。
津軽線共通デザインの駅名標。両隣の駅が「大平(おおだい)」と「大川平(おおかわだい)」で似ている

ここで、駅などの位置関係を整理。
縮尺や線形は不正確です
山と山に挟まれた平地に位置し、西から県道14号線、今別川、そして道の駅と線路や駅。
南(上の略図で下)から見た、道の駅と線路
道の駅と単線の津軽線・津軽二股駅はくっついている。そこから一段高い所を複線で海峡線が走っていて、そこに津軽今別駅がある。北側では、新幹線関連と思われる工事が行われていた。

ネットで写真は見ていたし、自分でも真っ暗な時に来ているわけだが、はっきり言って何にもないし誰もいない。県道沿いに家が少々見え、たまに工事関係者が通るだけ。
川越しに県道を見る
駅付近からは、山(丘)に隠れて見えないが、南=駅から見て左側にまとまった集落があり、そこが「大川平二股」というようだ。

路面の雪はないが、それ以外は固くなった雪が30センチほど残っている。
秋田よりも北でまだ3月末だから、寒いのは当然のこととそれなりの装備で来たけれど、それでも寒い。マフラーがほしくなった。

4年前、荒れた天気の中で約4時間停車して不安なひとときを過ごした、津軽今別駅へ。
津軽今別駅へは、道の駅側から津軽二股駅南側の踏切(遮断機なし)を渡って、屋根付きの階段を上って行くしか、ルートがないはず。
津軽線を越えて階段の上が津軽今別駅

上の写真から右を向いたアングル
県道と津軽線側を向いた「津軽今別駅」という表示板はあるが、それ以外には案内板は見当たらない。

階段を上ってから津軽今別駅のホームまではやや距離があって、通路がある。
その通路付近では、工事の準備なのか除雪作業が行われていた。邪魔をして手を止めさせては申し訳ないし、通過列車が来るかもしれないから、階段の出口付近だけで引き返した。
奥がホーム

上下線ともログハウス風の待合室がある
向かい側の上り線側へは、遮断機付きの踏切を渡るようだ。
線路の東側が海なわけだが、間にはそれなりの高さの山がある。4年前は、それを越えて、停まっている列車がふわふわと揺れるほどの強い風が吹いていたのか。
階段を下へ戻る
そうそう。4年前は4時間待って代行バスが到着し、この階段を下りて道の駅前に来ていたバスに乗り込んだんだ。
津軽二股駅ホームと道の駅。4年前はこの前にバスが来ていたはず
道の駅は「道の駅いまべつ・半島ぷらざアスクル」という。文房具などが翌日に配達されるアスクルとは関係ない。

中途半端で恐縮ですが、長く・画像が多くなってしまったので、続きは後日別記事にて
コメント (2)
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MV東北/CNA

2013-04-15 23:47:07 | 秋田のいろいろ
マックスバリュ東北と秋田ケーブルテレビ(CNA)のこまごまとした話題。

●マックスバリュ泉店はどうなった?
マックスバリュ東北が秋田市泉にスーパー「マックスバリュ泉店(仮称)」を開店するという話があったが、いっこうに進展しない。
昨年9月の決算説明会の報道では、「「社内の調整などで今期は出店しない」とし、来期(13年3月~14年2月)以降とする方針を示した。」ということになっていた。

その後は特に新たな情報がなかったが、4月10日の秋田魁新報経済面に同社の決算発表の記事があり、その最後に、
「秋田市泉の日本通運倉庫跡地に計画している新店舗について、宮地社長は「経済状況などをにらみながら、来期(14年3月~15年2月)以降に出店したい」と述べた。」
とあった。

また先延ばしじゃないか!
マックスバリュ東北は、3年連続増収、3年ぶりの黒字だったそうで、他には新店舗を作っているし、経営状態が悪いというわけではないのだろう。北隣の土崎方面では、地元スーパーのナイスやいとくが新店舗を作る動きが出ているから、うかうかしていられないはず。
そんな状況の中、土地はあるのに着工や開店を先送りしているのは、やはり、外旭川のイオンタウン計画の今後の動向次第(=イオンタウンができるなら、そこにマックスバリュが出店するから、泉店は不要)ということではないだろうか。(憶測です)

※2014年になって、やっと着工することになった。

●遠くのチラシ
もう1つ、マックスバリュ東北の話。
今年初めに同社サイトが10日間もメンテナンスを行ったため、そこにアップされるはずの各店舗のチラシが見られなくなった。

その後、4月1日からチラシの掲載方法が変わった。凸版印刷が運営する「Shufoo!(シュフー)」というサイト上に掲載されたものにリンクするようになった。
これなら、自社サーバーが止まっていても、チラシを見られる(はず)。

Shufoo!のサイト側から、自宅近くのいろんな店のチラシをまとめて見ることもでき、チラシを見る人が増える効果もあるだろう。
他地域のマックスバリュやイオンリテール、さらにイトーヨーカドー、ザ・ガーデン自由が丘など多くのスーパーなどがShufoo!を利用している。(ドン・キホーテは最近、Shufoo!の利用をやめたらしいけれど)


前も書いたようにネットでチラシを見ていた理由は、我が家にはマックスバリュのチラシが折り込まれないから。
マックスバリュの各店舗とも、我が家とは微妙に距離があるためだろう。でも、中心部にスーパーが少なく車社会の秋田市であり、仕事や用事で出かけたついでに買い物する人だっているし、折り込んでもいい・折り込んでほしいと思っていた。(だからサイト掲載を重宝していた)

ところが、今年3月8日から、マックスバリュ東北のチラシが折り込まれた!
といっても、それは同日に潟上市飯田川に開店した同社経営のディスカウント店「ザ・ビッグ潟上店」のチラシ。

以後、毎回ではないようだが、時々折り込まれる。
ザ・ビッグは安いようだが、秋田市中央部からは直線で20キロは離れた所にある。わざわざそんな遠くまで買いに行く人って、そうそういるだろうか。
運営会社が同じでも、マックスバリュとザ・ビッグではコンセプトも価格設定も違うから、まったく役に立たないチラシ。そんな広告費があったら、マックスバリュのチラシの折り込み地域を広げるか、折り込みなど止めて浮いた分でマックスバリュの商品の販売価格を値下げしてほしいものです。

●うふふな生活
さらにもう1つ。マックスバリュ東北のテレビCMでは、最後に早口で「マクスバリュぅーっ」と聞こえる、女声のジングルが流れる。
実はこれ、「うふふな生活 マックスバリュ!」という歌の最後の部分なんだそうだ。
昔のジャスコで言えば「ジャスコで逢いましょう(作詞:横内理和、作曲:中村泰士)」みたいな、店舗ブランドのイメージソングのようだ。

運営企業によって(=地域によって)は店内で流れていることもあるらしく、なぜか動画投稿サイトにもちゃんとした音質のものがフルでアップされている。
マックスバリュ東北の店舗の店内では聞いたことはないが、その曲のお尻の部分だけCM用に使っていることになる。
なお、昔、マックスバリュが「ウエルマート」だった頃は、「ハロー ウェルカム ウェルマート」というジングルがCMで流れていた。


【16日追記】16日のチラシによれば、土崎のマックスバリュ港北店がリニューアルされる。
17日は18時で閉店、18・19日は休んで、20日7時オープン。オープン後は24時間営業(現在は7時から22時まで)になる。
これで河辺店を除く秋田市3店が24時間営業となる。セルフレジは設置されないのかな?【5月5日追記】港北店に行ってみたところ、セルフレジはなかった。店内全体として、リニューアル前とそんなに違わない気がした。
【2015年5月9日追記】その後、かなり久しぶりに港北店に行ったところ、セルフレジが設置されていた。他店同様4台1組。(2014年5月時点では未設置。その後1年間で設置されたことになる)
【2018年7月9日追記】その後、2018年6月4日から28日までの間のどこかで、港北店のセルフレジの電子マネー読み取り部分とレシートのプリンターが新しくなった(その他の部分は従来のまま?)。
読み取り部は、JR東日本メカトロニクス製の黒いものから、Panasonic製の白い選択ボタン一体型に。選択ボタンは押せないようにされ、引き続きタッチパネル側で選択する。
Panasonic製のものは、通常レジでは、泉店は開店時から、イオンリテールなども含めて黒いものから順次交換されている店もあるが、秋田のマックスバリュのセルフレジでは初採用。茨島店や広面店はまだ黒いのなのに、港北店が先に更新されたことになる。
取り付け方法は、結束バンドで縛り付けたような感じで、タッチ部分の前面に微妙に浮き上がった透明な薄い板があり、どこかぎこちない。
レシートは、数字の書体が代わり(文字は同じ)、店の電話番号の記載位置が変わったが、なぜか従来の位置にもあり、二重に表示される。【その後、8月に行ったら、タッチ部分にパネルが取り付けられてちゃんとした見栄えになっていた。二重表示は変わらず。店名も二重。その後、9月初めには二重表示が解消】


●CNAライブカメラ
秋田ケーブルテレビが市内に設置して放送している「道路LIVE情報」用のカメラのうち、今年2月に2か所のアングルが変わっていた
以前のアングルのほうが、得られる情報量が多く、アングルを変えた意図が分からないでいた。

ところが、3月29日頃から、2か所とも以前のアングルに戻った。
再び茨島交差点が見られるようになった

以前より若干下に移動したか(以前は画面上部に千秋公園が見えていたはず)
わずか1か月ちょっとのアングルだったことになるが、やっぱり評判が悪かったのだろうか。

※この後、2013年11月初め頃に、手形・広面の映像が広角寄りに変更された。詳細はこの記事
※さらに2014年1月7日には、また以前と同じアングルに戻った

●CNAの筆頭株主
もう1つCNA。
3月30日付秋田魁新報経済面によれば、3月29日に秋田ケーブルテレビが、写真現像機大手「ノーリツ鋼機(和歌山市)」の子会社となった。
CNAの株式の50%を保有していたオリンパスの子会社「オリンパスビジネスクリエイツ」からノーリツ鋼機が譲り受けて、筆頭株主になったもの。
「オリンパスは内視鏡分野などの中核事業に経営資源を集中させており、今回の株式譲渡はその一環。」だそうで、CNAの社長は「(略)事業は従来通り進めていく。今後はノーリツのノウハウを生かした事業展開を図り、多様な顧客ニーズに応えていきたい」としている。

ノーリツ鋼機のホームページによれば、同時にいずれもオリンパスの子会社だった医療関係の企業3社も子会社化している。
つまり、オリンパスのごたごたの一環ということで、特にCNAだけがどうこうということではないのだろう。それにしても、CNAの筆頭株主がオリンパス系だったとは知らなかった。
他の株主と持株比率は、秋田ゼロックス5%、秋田県4%、東北新社4%、秋田市3%、その他61名34%とのこと。

【2014年10月1日追記・その後の動き】2014年9月27日付 秋田魁新報 経済面より。
この後、ノーリツ鋼機(の子会社)が所有していたCNAの1万2千株を、CNA自身が買い取ることになった。9月26日に両社が発表し10月上旬までに行う。
購入額は17億9800万円。
ノーリツ鋼機は「テレビ通信販売事業への参入を目指し」ていたそうだが、「保有メリットが低い」と判断した。
1997年12月の開局(会社設立はずっと前なんだけど)以来、筆頭株主は4度変わり、秋田県内企業が筆頭株主になるのは初。
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秋美と呼んで

2013-04-13 19:33:53 | 秋田のいろいろ
秋田公立美術工芸短期大学を4年制化した、秋田公立美術大学がついに開学した。
開学式典は後(5月17日)で行われるらしく、実質的な大学最初の行事は9日に行われた入学式。新入生106名、短大から3年次への編入生10名の計116名が入学した。
大学のある新屋地区が地元で、4年制化を公約の1つにしていた穂積秋田市長も、7日の選挙で再選され、めでたく入学式に出席できた。【14日追記】入学式で市長が「開学宣言」を行った。

最寄りのバス停「美術工芸短大入口」は中央交通(新屋線と新港線)分は「美術大学前」に改称されることが分かっていた。同じ場所にある羽後交通の急行本荘線のバス停はどうなるか分からなかった。(新屋支所前→日吉神社前の時は、羽後交通が遅れたので)
現地に行ってみると、
両社とも「美術大学前」になっていた
今回は足並みを揃えて改称できたようだ。
中央交通は、上り下りともポール自体を新品に交換した模様。従来のポールは、市営バス時代からのものだったので、それが撤去されたことになる。※撤去された表示板のその後
羽後交通のほうはポール自体は従来のもののようだが、表示板部分は部分的な貼り直しでなく、全面を貼り替えた(もしくは交換した)ようだ。
 
中央交通は「BIJUTSU DAIGAKU MAE」で、羽後交通は「Akita University of Art」と併記されている。
Hiyoshi shrine」と同様、中央交通はバス停名の「読みのローマ字」で、羽後交通は「名称の英訳」をしていることになる。
羽後交通は従来はなかった、行き先も英訳されている。中央交通は日本語ですら行き先は示していない(時刻表を見れば分かることだけど)。「~行き」を「for~」だけでなく、「Bound for~」から表示しているのは新幹線のアナウンスみたいだ。

ちなみに、「(羽後交通)本荘営業所」は「Ugokotsu Honjo office」か。
なんかカッコイイ

※その後、バス停に上屋が設置された(リンク先末尾)


以前は「祝 設置認可」という横断幕があった、秋田西中学校前の県道56号線の横断歩道橋は、
「祝 開学」に

そのほかに、県道56号線から大学に入っていく交差点(バス停の所)には、
両側に立て看板が
近くの2つの町内会による開学祝いの看板が立っていた。
「祝・秋美」
「秋美」って?

美術工芸短大は、正式には「秋田美工短大」が略称だったらしい。しかし、ほとんど使われずに「美短(びたん)」が定着していた。
秋田魁新報は、昔は見出しで「美工短大」を使っていたのを見たが、最近は見かけない。秋田経済新聞などはたまに使っていた。
運営していた秋田市役所でさえ、昨年度の大学設置準備室のホームページで「市民からは「美短」の通称で親しまれています。」との記述はあるが、そのページでは「美工短大」とは出ていない。
ちなみに、美短の前身の「秋田市立美術工芸専門学校」は「美工専(びこうせん)」と呼ばれていた。

「美短」にならって、新しい美術大学は「美大」と呼ばれるのかと思っていた。
入学式のあった9日の秋田魁新報の秋田市地域面の下に、美大開学記念の広告が出た。

全国的にはどうか知らないが、秋田では、公共施設が新しくオープンしたり、学校の創立周年記念でこういう広告が出る。設置する自治体の長(今回は秋田市長)や施設の長(学長)のあいさつ文と、協賛企業(施工業者や地元の企業や店)の広告からなる。
その広告の学長(大学法人の理事長も兼ねるとのこと)による「ごあいさつ」の中に、
ここでも「美短」とある
これからは「秋美(アキビ)」と呼んでください。」とあった。
公式な略称は「秋美」か! 町内会の立て看板も、これに従ったのだろう。

大学のホームページのアドレスも、美短時代は英語名「Akita Municipal Junior College of Arts and Crafts」の頭文字を取った「http://www.amcac.ac.jp/」だったのが、「http://www.akibi.ac.jp/」と「アキビ」に変わった。

首都圏にある私立美術大学は、「ムサビ」「タマビ」「ジョシビ」といった略称がかなり定着していて、この3大学では公式サイトのURLにも略称が使われている。全国に「○○美術大学」というのは複数あるから、区別は必要。全国から受験生・学生が集まる大学であるし、それらにならって「アキビ」にしたのだろう。
秋田県立大学は「県立大」「県大」が公式にも略称とされているようだが、全国にいくつもある他の県立大と区別できない。「美大」でなく「秋美」と「秋」を付けたのは正しいかもしれない。

でも、秋田の一般人の中では、定着しないだろうな…
ちなみに、男鹿市の「秋田石油備蓄基地」を運営する企業「秋田石油備蓄株式会社」のアドレスは、「http://www.akibi.co.jp/」。お間違いのないように。

【19日追記】秋田市の広報紙「広報あきた」4月19日付1791号で、美大開学がトピックスで出ていた。(入学式の様子は次号掲載とのこと)
その中では、「“美短”の愛称で親しまれて18年になる美術工芸短期大学が、」とあったが、「秋美」については触れていない。(以上追記)


学校名の略称については、何度か取り上げてきた。
大学自らが「あきだい」「しゅうだい」を混用していたり、「きりたん」なんて妙にかわいらしい略称を使っていたところもあった。
県立秋田工業高校の「秋工(あきこう)」、秋田市立秋田商業高校の「秋商(あきしょう)」など、所在地名(秋田とか)を取った略称もあり、部活動の全国大会で活躍する時などは使われるが、地元住民には「秋」は当然の事実であって、「工業」「商業」と呼ばれてしまうケースも多い。「秋美」もこれに当たるだろう。

また、県立秋田南高校は校歌に「我ら秋南(しゅうなん)の若人」と歌われていて、開校時はそう略したかったようだが、今はまったく定着しておらず、「南高(なんこう)」。
その理屈なら、秋田北高校が「秋北」、秋田中央高校が「秋中」となってしまうが、そういう略し方は存在しないようだし、秋北バスと中央交通を連想してしまう。

【5月10日追記】秋田市中通(南大通りの明田地下道側の裏通り)にある美容師養成専門学校「秋田ヘアビューティカレッジ」では、「秋ビ」の略称をホームページやテレビCMで使っている。
コメント (11)
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校歌の作者

2013-04-11 22:37:09 | 秋田のいろいろ
ほとんどの学校で入学式はおおむね終わっただろうか。
(大学や専門学校以上は別として)入学して最初にやることの1つに「校歌を覚える」ことがある。ちょうど今、担任や音楽の先生から、あるいは応援団から指導を受けている頃かもしれない。

卒業してみれば、校歌も懐かしい思い出の1つ。
2月17日にテレビ朝日系で放送された「題名のない音楽会(2302回)」で校歌が取り上げられたこともあり、調べてみた。
※僕は音楽的な知識はなく、作詞についても同様なので、素人の見解です。また、作者や内容について批評するつもりはありません。


この記事では、作者について。みなさんの母校の校歌を作ったのは誰か、それがどんな人だったのか、ご存知ですか?
校歌の作詞作曲者の立場(その学校との関係)は、次のように分類されるようだ。
1.内輪
私立学校では経営者(理事長など)が作ることがあるが、公立学校でも時の学校長や音楽教諭が作ったり、「校歌制定委員会」を組織したりして作ることがある。【13日追記】最近は少ないようだが、昔は「開校時に校歌がまだできていない」ということが少なくなったようで、その場合に行われたようだ。
2.地元の人
市内や県内在住のその分野に明るい人に依頼するケース。地元の大学教授、地元の歌人、学校の先生を退職した人だったりといろいろ。【13日追記】他校の現役の先生ということもある。
地域内で同じ人が校歌を手がけた学校がいくつも存在することもある。
3.地元以外のプロ
著名な作詞家や作曲家が作ることもある。地元出身で全国区で活躍する人に依頼するケースもあるが、まったくゆかりのない人が作ることも多い。
題名のない音楽会では、加山雄三(弾厚作名義)、谷川俊太郎、井上ひさし、宇野誠一郎、宮川彬良などが紹介されていた。
東北地方の伝統のある高校では、土井晩翠や山田耕筰の名がよく見受けられる。
こういう人の中には、全国的に多くの学校の校歌を手がけていることもある。いわば「校歌制作のプロ」ということなのだろう。その場合、現地を訪問したり関係者に取材したりして作っているようだ。(学校の創立周年記念誌などで、その時のエピソードが記されていることがある)
4.公募
全国的には分からないが、最近の秋田県立の統合高校が好んでいる気がする。
作詞だけを公募し、補作や作曲はプロが行うこともある。


ここでは、上記「3」を中心に取り上げる。秋田県立と秋田市立の学校を中心に、著名な作者の校歌を拾ってみた。(敬称略)
※すべての学校を調べたわけではありません。作者が有名だからよくて、そうでないから…という意図ではありません。また、同姓同名の別人ということも、なくはないかもしれません。

まずは秋田出身の作者。
・成田為三
米内沢(現・北秋田市)出身で「浜辺の歌」や「秋田県民歌(県民なのに僕は歌えませんが…)」などで知られる。1893-1945。
秋田市立秋田商業高校、秋田市の私立聖霊女子短期大学付属中学校・高等学校、昨年度末で統合された県立能代北高校の校歌を作曲。

・深井史郎
知らなかったが、秋田市新屋元町生まれの作曲家。1907-1959。
クラシックが専門のようだが、1975年まで使われた「FNNニュース」のテーマ曲も作曲したという。
母校の市立日新小学校の校歌を作曲している。(母校の校歌を作曲するとは、ちょっと変な話にも思えるが、戦後に校歌を新たに作る流行があったらしい)
【2015年10月19日追記】2015年10月13日付秋田魁新報「歌い継ぐ校歌42」より。
日新小では、かつては秋田市へ合併する前の「新屋町の歌」を校歌として歌っていたとのこと。
作詞の中川正男(1903~1990)と深井史郎は「中学時代に一緒に郷土文芸誌を発行するなど古くから交流があった。」。

・小野崎孝輔
名前はあまり知られていないが、多くの歌謡曲やテレビ番組、映画音楽を手がけた作・編曲家。1931年生まれだから、今年82歳。
秋田市出身で、生家を存じ上げている。平成初期にはNHKのテレビ番組でオーケストラの指揮をしていて、うちのばあさんが「あれ、小野崎さんだ!」と喜んでいた。

1999年開校の秋田市立桜中学校の校歌を作曲し、ご本人が学校に来て歌唱指導をしたそうだ。
1981年開校の秋田市泉中学校、1992年に開校(船川中と椿中が統合)した男鹿市立男鹿南中学校、他にも横手市や由利本荘市の小中学校の校歌を作曲している。
※小野崎孝輔氏は2017年に亡くなった

ところで、秋田市の学校の校歌を調べたら、「小野崎晋三」という作曲者が散見された。(旭南小、旭川小、外旭川中)
小野崎晋三は秋田大学教授だった人で、孝輔氏の父だそうだ。(秋田県広報誌「あきた」31号、64号より)別の情報によれば、戦前には本荘高等女学校(現・由利高校)の先生だったらしい。【2015年6月16日追記】1903年生まれ、1969年没。

・天野正道
こちらも秋田市出身の作曲家。1957年生まれで活躍中。
学生時代には「秋田市記念市民歌」の作曲公募で佳作に選ばれているようだ。
2004年に(船川水産高校→)海洋技術高校と男鹿高校が統合して開校した、県立男鹿海洋高校の校歌を作曲。

・加曽利(かそり)康之
秋田市生まれ(1964年)のエレクトーン奏者であり作曲家で、教育テレビの「理科教室小学校6年生」の音楽を担当していたこともあった。
2004年開校の中高一貫校、県立横手清陵学院(横手工業高校を再編)の校歌を作曲。
【2024年2月7日追記】2023年11月20日発行 県立秋田高等学校同窓会だより第114号・「あの頃の思い出」に加曽利氏が文章を寄せていた。
それによれば1964年秋田市生まれ、父(営林局職員だったようだ)の転勤に伴って各地を転々とし、中学校2年生から再び秋田市に。1983年3月秋田高校卒業後、上京。秋高入学時は、千秋北の丸にあった官舎に住んでいたが、途中から父の実家があった楢山に転居。
楢山大回り線でのバス通学や、和声学レッスンのためにYS11や昼の特急、寝台特急「あけぼの」で、週末に東京都行き来していたことが言及されていて、記憶の正確さとともに、交通機関がお好きなのかもと感じさせられる文章であった。(以上追記)

・橋本祥路(しょうじ)
音楽の教科書で見覚えのある名前だったが、大館の人だというのを最近知った。1948年生まれ。
中学校の合唱でおなじみの「夢の世界を(♪ほほえみ交わして語り合い)」「遠い日の歌(パッヘルベルの「カノン」による)(♪人はただ風の中を)」の作曲、「あの素晴しい愛をもう一度」の合唱用編曲などをしていて、出版社「教育芸術社」専属の作曲家であり、同社役員だそう。
【5月3日追記】「明日という大空(♪ぼくたちの行く手には明日という大空)」も橋本氏作曲だった。我々の世代にはなじみのある曲をほんとうに多く作曲している。

校歌の作曲は、1991年開校の秋田市立飯島中学校、県外だけど2006~2007年に静岡市中心部にできた市立小学校2校(番町小、葵小)を手がけている。
※飯島中の校歌については、この記事末尾にリンクがある補足記事も参照願います。
【2014年7月21日追記】大館商業高校を再編・一貫校化して2006年に開校した、県立大館国際情報学院中学校・高等学校の校歌も橋本祥路作曲。
【2016年4月12日追記】2016年4月、秋田市雄和地区(旧・雄和町)の4小学校を統合した、市立雄和小学校が開校。校歌が新しく作られた。歌詞は4小学校の児童からキーワードを募集し、選考委員会が選定。それを元に橋本祥路氏に作詞作曲を依頼した。
できた校歌は、作曲者は橋本祥路だが、作詞者は「花岡 恵」。
花岡恵とは、橋本氏が作詞する時の名義だそうで、3月18日付秋田市広報でも「作詞の「花岡 恵」は橋本さんのペンネームです。」との注記が掲載されていた。大館市に花岡という地名があるけれど、それと関係するのだろうか。→大館市花岡町出身ではあるようだ。


以下は、秋田出身ではない人。【島田雅彦氏は、秋田にゆかりがあった、下記参照】
・岡本敏明
1907-1977。秋田にはゆかりがある。
玉川学園の先生で作曲家だった人で、彼の有名な「かえるの合唱(ドイツ民謡)」の作詞、「どじょっこふなっこ」の作曲で知られる。
その「どじょっこふなっこ」は、1936年に秋田市北部の金足西(かなあしにし)小学校(当時は村立か。現在は秋田市立)を訪れた岡本が、同校の教員(豊口清志)が歌った田植え歌のようなものを聞いて、譜面にしたもの。
【2017年3月27日追記】岡本氏は、上記、秋田県北秋田市出身の作曲家・成田為三の弟子だったそうだ。そのゆかりもあって、秋田を訪れ、校歌を作ったのかもしれない。

それがきっかけなのかは分からないけれど、戦後に作られた秋田市立保戸野小学校の校歌を作曲している。保戸野小の近くの聖園(みその)幼稚園(現・聖園学園短大附属聖園幼稚園)の園歌、国立秋田工業高等専門学校の校歌も作曲している。
なお、金足西小の校歌は別の人の作。
【12月24日追記】由利本荘市立亀田小学校の校歌も作詞していた。(明治6年開校、校歌制定は昭和30年2月)【2014年4月12日追記】亀田小は2013年度末で閉校・統合して岩城小学校となり、新たな校歌が作られた。この記事末尾の次の記事参照。

・井上武士
1894-1974、東京音大教授。
こちらは彼の有名な「チューリップ」「うみ(♪海は広いな大きいな)」「虫のこえ(♪あれ松虫が鳴いている)」の作曲者。

全国的に校歌を手がけていたようで、秋田市立山王中学校、県立秋田中央高校の校歌を作曲している。作詞者はどちらも山田千之という人。(校歌は作詞者・作曲者が同じ“コンビ”で作られることも多い)
中央高校の校歌は、1961年制定とのこと。同校は当時は秋田市立高校で、1982年に県に移管して中央高校になっているから、市立高校の校歌として作られたことになる。校名が歌い込まれていない歌詞だったので、スムーズに移行できたようだ。

・西條八十・古関裕而
西条八十は作詞家。「肩たたき」「東京音頭」「青い山脈」「王将」など。
福島出身の作曲家、古関裕而はいわゆる「六甲おろし」や「とんがり帽子」「栄冠は君に輝く」。
このコンビで1964年に秋田市立秋田北中学校の校歌を作っている。
【2015年12月11日追記】2015年12月頃の秋田魁新報「歌い継ぐ校歌」によれば、古関裕而作曲の校歌は、秋田県内では秋田北中が唯一とのこと。

・島田雅彦・佐佐木幸綱・三枝成彰
島田雅彦は法政大学教授の小説家。作曲以外の分野でもおなじみの三枝成彰とのコンビで、1997年開校の中高一貫校、秋田市立御所野学院の校歌を作った。
さらに、早稲田大学名誉教授で歌人の佐佐木幸綱作詞、三枝成彰作曲のコンビでは、秋田公立美術工芸短期大学の校歌(1999年)が作られている。(これはそのまま美大の校歌に移行したのかな?)
【2020年12月5日追記】2020年12月5日付秋田魁新報「新あきた紀行」によれば、「島田さんの母方の祖母は八郎潟町真坂出身。」。また、母は戦争中に飯田川と五城目へ疎開していた。今は祖母の生家の親類もなくなって、島田氏本人は訪れたことがなかったとのこと。

・三善 晃(みよしあきら)
フジテレビ系で日曜19時半から放送されていたアニメ「世界名作劇場」。内容だけでなく主題歌も印象的なものが多い。
その1つが1979年放送(以後何度も再放送されている)の「赤毛のアン」。オープニングの「きこえるかしら」、エンディングの「さめない夢」は、作品の世界を表現しながらも、他のアニメの曲にはない壮大というか前衛的な曲だった。

その作曲者・三善晃が、秋田市の2つの学校の校歌を作曲していた。
それは、県立新屋高校(1984年開校)と私立秋田和洋女子高校。和洋のほうは美短と同じ佐佐木幸綱作詞。
新屋高校の校歌は、高音質の校歌をネット上で聞くことができる。(同窓会ホームページまたはYoutubeから)歌詞に折り込まれた地名などがいかにも新屋らしいが、メロディはたしかに赤毛のアンに似た雰囲気。オーソドックスな校歌とは少し違うが、いい校歌だと思った。
【10月4日追記】三善氏は2013年10月に亡くなった。下記、続きの記事にて。
【2020年8月12日追記】秋田和洋女子高等学校は、2020年春に共学化し「秋田令和高等学校」となった。校歌は和洋時代の歌の校名部分を「令和」に差し替えて、引き続き使っているようだ。


他にも、県立横手城南高校の作詞者・幸田露伴、県立角館高校の作詞者・島木赤彦、補作・斎藤茂吉(島木の遺作に近いものらしく、同校ホームページに経緯が掲載されている)、秋田市立秋田南中学校の作詞者・江口榛一(詩人)、秋田市立城東中学校の作詞者・栗原一登(劇作家で栗原小巻の父)、作曲者・石井歓など、けっこうある。
【2016年4月12日追記】羽後町の町立中学校から2つ。
羽後中学校は、井上 靖作詞、芥川也寸志作曲(1976年制定)。
高瀬中学校は、大岡 信作詞、一柳 慧作曲(1992年開校)。歌詞には、学校付近で化石が発見された絶滅哺乳類「デスモスチルス」が歌われている。
【2017年4月6日追記】高瀬中学校は2016年春で閉校(羽後町内の中学校を1つに統合)されていた。大岡氏が亡くなったことを伝える2017年4月6日付秋田魁新報社会面によれば、高瀬中の校歌は「詞の一部を変え、高瀬小校歌として現在も歌われている。」とのことだが、詳細は不明。


各学校では、歌唱指導は行なっても、曲が作られた経緯については教えていないところが多いのではないだろうか。先人の学校にかける思いが伝わり、母校への愛着が深まると思うから、単に歌うだけでなく、作品としての校歌にもっと注目するべきだと思う。
校歌の詞の中身については、いずれまた。※その前に、作者についての補足の記事があります。
※続きはこちら

※秋田県とは関係ないが、弘前出身で多くのテレビ音楽を手掛けた菊池俊輔作曲の校歌について。
コメント (3)
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大館駅周辺

2013-04-10 22:42:31 | 秋田の季節・風景
3月末に青森へ行く途中で途中下車した、大館駅周辺の光景。※以前の大館駅の記事
大館駅は、いかにも「国鉄の地方駅」らしい構造。横に長い2階建てで、旅客が立ち入れるのは1階の一部だけ。
2階は正面側がガラス張りの廊下のようになっていて、前からそこにJRの宣伝の紙が貼られていたが、今は、はやぶさとスーパーこまちの宣伝をしていたのだけど。
「さ」「日」「最」が大きいような

「ス」と「こ」が大きい
文字のサイズがちぐはぐで、ヘン!
もうちょっと美的感覚というか、配慮を…

駅舎1階に、こんな表示がある。
 「駅長 STATIONMASTER」
「駅長室」ではなく「駅長」とだけ書かれている。
一部私鉄や公営地下鉄では「駅長事務室(これは駅の事務室ということか)」などという表示が出ていることがあるし、JR東日本の東京駅には立派な駅長室があるみたいだが、地方のJRの新しい駅では、駅長室や駅長事務室って明示されていないような気がする。
秋田駅も、先代駅舎の国鉄時代はあった(小学校2年生の社会科見学で中には入れなかったが、説明を受けた)が、今はどうなんだろう。駅の事務室みたいなのは、みどりの窓口と精算所の裏にあるようだけど。

大館の「駅長」の部屋には、ドアに「ご用の方は改札口の案内所まで」という紙が貼ってあった。
昔より配置人員は減っているだろうから、もしかしたらあまり意味のない部屋になっているのかもしれない。


駅を後にして、ちょっとだけ駅前を歩く。
大館駅は商店街から若干外れた位置にある。
300メートルほど進むと、御成町の商店街が始まる。さらに500メートルほど進めば、かつてのジャスコ跡地(2006年閉店。今は空き地?)や、斜め向かいのいとく大館ショッピングセンター、そして長木川を渡って花輪線の東大館駅や市役所がある中心部に至る。
御成町二丁目のアーケード
アーケードは1973年にできたとのこと。今となっては古びた商店街で、空き店舗も多いみたいだけど、秋田市中心市街地に比べれば、まだ活気があるようにも見える。(この手の商店街を見る度に、同じことを書いていますが)
【2021年10月22日補足・御成町二丁目商店街振興組合ホームページによれば、アーケードは1970年着工、1973年完成。2015年8~10月に撤去。(一部サイトで1970年設置としているのは誤りということになる。)】※2003年撮影の御成町の風景

さて、そのアーケードの始まる部分。
こうなっている

線路?
踏切のようなものがある。

ここは、2009年に廃止された私鉄「小坂鉄道小坂線」の踏切の跡。(1994年までは旅客営業もしていて、以降は貨物のみ)
「前方鉄道廃止 段差注意 徐行」
一時停止は免除されている。
路面には鉄板や溝が残っているし、信号機のない交差点が近いこともあって、通行には注意。【追記・2023年度に信号機が設置されたようだ。】

踏切端に小屋が残る
この踏切が現役だった頃に何度か通っていて、その頃の様子はなんとなく記憶にある。
この踏切は、手動式というか踏切番(踏切警手)がいたはず。今も残る黒いやぐらみたいなのから、遮断機代わりの紐状のものが下りてきて、車や人を止めていたはず。
小屋は、その踏切手の詰所ではないだろうか。

JRの大館駅の隣接地に小坂鉄道の大館駅があり、今は道路になっているそうだが、この踏切周辺の線路跡は、廃止当時のままのようだ。
雪の中にレールや信号機類が残っている

ところで、ネットの各地図サイトでは、小坂鉄道小坂線がまだ存在している。
Googleマップより
更新が妙に遅いことがあるGoogleマップはもちろん、マピオンやgooの地図でも残っている。
小坂鉄道小坂線は、小坂町側では跡を観光鉄道として利用する動きがあるが、大館市側ではないと思う。残念ながら復活する可能性もなく、地図から消すのが本来の扱いだと思うけど。まあ、「廃線跡探索」には役立ちそうですが。
なお、国土地理院の「ウォッちず」では消えていて、線路があったことは分からない。

列車の時刻が迫っていたので、ここで駅に引き返しました。
※その後、2016年2月の同じ一帯の状況
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