広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

Kokusai Kogyo Group

2011-08-31 23:56:16 | 秋田のいろいろ
冒頭の写真は、4年ほど前、十和田湖の駐車場で撮影したもの。
観光バスが3台仲良く並んで駐まっている。
3台とも同じ型で塗装も同じなので同じ会社の3台のツアーかと思いきや、それぞれ別のツアーで、しかも3台とも別会社のバス。
手前を向いてお客が降りているのが秋田県大館市の「秋北(しゅうほく)バス」、その後ろの背中合わせなのが最近当ブログによく出てくる青森県十和田市の「十和田観光電鉄」、その右隣が岩手県盛岡市の「岩手県交通」のバス。
いずれも国際興業系列の企業なので、いすゞ製の車両を導入しなければならないことになっている上、貸切車両の車体塗装が共通。(最近は路線用車両も別デザインの共通塗装になった)
各社の乗務員も顔なじみなのだろうか、互いにあいさつを交わしていた。秋田・青森県境で、岩手からも比較的近いため、このように十和田湖周辺は北東北の国際興業系列3社の“集結地”となっているようだ。

塗装が同じなので、どこの会社のバスか見分けるには、文字を見るしかない。
正面の行灯、側面後部には日本語の表示がされているのでそれを見るのが確実なのだが、ぱっと目に付く、側面と後部の大きな金文字の筆記体アルファベットの表記は紛らわしい。
秋北バスを拡大
昔は側面に「Shuhoku Bus」と表示があったのだが、現在はこのように側面には「Kokusai Kogyo Group」、つまり国際興業グループと表記されている車両が多いのだ。これでは秋北バスとは断定できない。
実は屋根上にも赤文字で表示されていて、それは「Kokusai Kogyo Bus」。親会社の「国際興業バス」と書いてある。ウソツキ
これはおそらく、国際興業本体から譲渡された中古車ではないだろうか。側面だけは「Bus」を「Group」に書き換えたが、目に触れる機会の少ない屋上はそのままにしたのかもしれない。

十和田観光電鉄と岩手県交通の後部を拡大
十和田観光電鉄は「Towada Kanko」。
岩手県交通は「Kokusai Kogyo」だけど、右側に妙な空白がある。これもおそらく、本体から譲り受けた車両で、秋北バスよりもお手軽に「Bus」を消しただけで使っているのだろう。

以上は、4年前の話でした。現在はどうかというと、
秋田駅前にて
秋北バスの秋田市と能代市を結ぶ高速バス(中央交通と共同運行)でよく見かける車両。おそらく貸切用だった車両を格下げしている。
「Shuhoku Bus」
これは昔ながらの「Shuhoku Bus」表示。


三沢駅前で見かけた、十和田観光電鉄の八戸と三沢空港を結ぶバス。これも貸切格下げっぽい。
「Towada Kanko」

竿燈まつりの時には、十和田観光電鉄の観光バスが秋田市に来ていた。

今まで紹介してきた車両より新しい「ガーラ(先代)」。ナンバーがキリのいい「500」だ。
まず、前面の行灯に注目。
「十和田観光」のフォントが独特

後部
新車で買ったのか、中古なのか分からないが、「Kokusai Kogyo Group」表記だった。

秋北バスの観光バスも来た。
新しいガーラ!
以前も書いたけど、個人的には、このガーラのデザインはいかつくて好きになれない。
しかも、各バス会社の塗装をした時、似合わないと感じるものが少なくないような気がして、“塗装を選ぶ”車体デザインだと個人的には思っていた。
でも、この国際興業グループの塗装は、ボディのデザインにとてもよく似合っていて、カッコイイと思う。他の塗装では、ジャマに見えた太い銀色の帯(アクセントピラー)さえ、違和感がない。
屋根のボコっと出っ張った部分は、弘南バスはオレンジ色にしていたが、これはもちろん青色。今まで以上に青が目立ち、いい感じ(昔のドラえもんみたいな色だな)。
側面
従来は側面窓下にしかなかった、赤(エンジ色)の細かいラインが、屋根上(というか窓上、側面上部)にも入っており、いいアクセントになっている。
また、従来は正面と側面の細い青線が一直線だったが、これはアクセントピラーのカーブに合わせて、曲線になっている。
それから、窓下の太い青線部分に、白文字で「秋北バス株式会社」と表示が入っている。十和田湖のバスではなかった(これも転入時の作業節約だろう)が、そういえばここにも表示するのが正式だった。
後部
後部もゴツゴツ・ゴチャゴチャしていて、好きになれないけれど。
リアガラスは左右2枚に分かれるのが、先代から受け継いだ本来のいすゞ仕様。(中央交通のリムジンバスでは1枚窓だったが、それは元々は共通車体である日野セレガ版の仕様で、行き先表示を設置するために変更している)

なお、今まで見た他社の車両正面の「GALA」の車種名の表示は銀色文字だったが、このバスは金色文字だった。
なんか豪華に見える
ただし、中央交通の車両などにはある、正面の大きな「ISUZU」エンブレムはなかった(1つ上の写真のとおり、後部にはある)。
※これとナンバーが1番違いの同型車もあった

ともかく、これも「Kokusai Kogyo Group」表示。
すなわち、新車、本体からの移籍車両ともに、今後は「Kokusai Kogyo Group」に統一されていくようだ。自社名をローマ字表示した車両は減っていく一方なのだろう。

※関連記事はこちら
※その後、国際興業との関係が少々変わったらしいこちらこちら参照
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青森の話題3つ

2011-08-30 23:47:43 | 津軽のいろいろ
最近耳にした、青森の話題を3つ。

●土手町に複合施設
8月23日の東奥日報、30日の陸奥新報によれば、弘前市の中心商店街・土手町に、新しい施設「土手町コミュニティパーク(仮称)」ができることになった。
弘前市中心市街地活性基本計画にあるもので、弘前市土手町の広告代理業「アップルコミュニケーションズ」が手がける。
場所は、下土手町の「したどてスカイパーク」の向かいというから、百貨店「中三」の並び【2012年10月23日訂正】はす向かいか。
今年10月着工で、来年10月に一部、12月に全面オープン。「にぎわいプラザ」と「コミュニケーションプラザ」の2棟からなり、飲食店やイベント開催、起業家支援や会議用の場所があるとのこと。

弘前では、駅前にある、旧ダイエー弘前店が入っていて、運営会社が経営破綻して閉鎖されている商業ビル「ジョッパル」の買い手がまだ付かなかったり、百貨店中三が経営再建中であるといった厳しい状況はあるものの、やっぱり中心市街地ががんばっていると思える。
秋田市では、中通一丁目の再開発は果たして成功するのか疑問だし、旧ダイエー秋田店の「秋田ニューシティ」跡地の活用も不透明。でも、イベントはいろいろやっている。イベント開催もいいけれど、イベントがない日でも、いつでも人が集まることのできる場所がないのが、秋田市中心市街地の課題だと思う。

※続きはこちら


●100円バスが大学病院に乗り入れ
8月11日に行われた「弘前市地域公共交通会議」において、弘南バスが弘前市内で運行している「土手町循環100円バス」が、10月から弘前大学医学部附属病院の構内に乗り入れることが決まった。
従来から、大学病院前にバス停があり、100円バスと一般路線バスが同じ路上の停留所に停車していた。
弘大はハコモノがお好きらしく、文京町の本部だけでなく、本町の医学部キャンパスでも駐車場や本体など次々にきれいな建物・施設が造られていた。今年の春に通ったら、でっかく「弘前大学医学部附属病院」と書かれた一部ミラー張りっぽい立派な建物ができていて驚いた。
それに関連して構内にバスが乗り入れできるようになったらしく、12日付陸奥新報では「外来診療棟入り口で乗降が可能になったため、来院者の利便性を考慮して変更するもの。」としている。一般路線バスは乗り入れない。

秋田市内では、秋田大学附属病院、秋田赤十字病院、秋田組合総合病院でだいぶ前から構内にバスが乗り入れている。
秋大附属病院と組合病院は、折り返しするバスの待機場を兼ねるバスターミナル的な存在で、病院の玄関までは若干距離があったと思ったが、屋根が付いていて雨や雪に当たらないようになっていたはず。日赤病院は途中の経由地としているバスが多いが、ほぼ玄関前にバスが乗りつけ、ちゃんとした待合室があるはず。
病院利用者としては、利便性が高まるのは言うまでもない。


弘大附属病院ではどうなるのか、10月に現地を見てみないと分からないが、病院前の道路は通行量が多く、渋滞気味の時もある。
病院(の駐車場)入口には、押しボタン式信号しかない。そのままだとすれば、歩行者もいるし、バスが出る時に危険だったり、時間がかかったりしそう。

土手町循環100円バス(今年春撮影)
今春、今まで見たことがなかったバスが土手町循環100円バスに使われていた。
三菱製中型車で平成9(1997)年式の車両だが塗装はきれいだったので、どこかから来たばかりの中古車かもしれない。(窓配置やバンパーの仕様からして、自社購入ではない)
代わりに以前から使われていた、専用車両の小型バスがいなくなったようだが、他路線に転用されたような話を聞いた。
従来は小型バスと中型バスが混ざって使われており、小型バス(しかも内装が妙に豪華な貸切仕様で路線バス向きではない)が来られると混雑して嫌だったが、収容力のある中型バスが増えたのなら歓迎。

何度も書いているが、土手町循環100円バスは、10分間隔で運行されていて、便利。(ただし片方向のみの運行)
弘前市程度の規模の都市で、こうしたバスが成り立っているのは、土手町の買い物客、市役所へ行く市民、弘前公園(弘前城址)へ行く観光客のいずれも利用できるルートなのが大きな理由だと思う。
でも、このバスで大学病院へ行くのは、ちょっと現実的でないようにも前から思っていた。そして、そのバスだけが病院内に乗り入れると、矛盾が生じてしまうようにも思える。

1.100円バスの始発が10時00分なので、午前中の診療には利用できず、一般路線バスを使うしかない(運賃190円)
 →朝に駅から、あるいは逆方向の郊外から、それぞれ一般路線バスで来る人は、結局路上のバス停で降ろされてしまう
2.駅から市役所前までは100円バスのもっとも混雑する区間であり、その手前の大学病院での乗降に支障がある場合がある
 →構内でバスを待っていても、混雑で座れなかったり満員で乗車できなかったりする恐れがある
3.逆周りの100円バスはないので、100円バスで弘前駅方向へ帰るには、若干遠回りになる
 →一般路線バスの駅行き側のバス停は、道路を横断しなければならず、屋根もベンチもないはず
4.大学病院の患者には、100円バスの路線外である、郊外の住民だっている
 →高いバス運賃を払って郊外から来る人には、何のメリットもない

こうした点を踏まえると、100円バスだけを構内に入れる意味があまりないように感じる。

むしろ、一般路線バスを構内に入れた方が理にかなうように思ってしまう。

※乗り入れ開始後の様子はこちら


●十和田観光電鉄線がピンチ!
最後は津軽ではなく南部の話ですが、先日、乗車記をアップした、三沢-十和田市間の「十和田観光電鉄」の鉄道路線が、存続の危機に立っている。
少子化や東北新幹線開業で利用者が激減し、このままでは存続ができないと、同社の社長が沿線の3市町に対し、今後10年間で約5億円の支援を要請したのだ。
しかし、各自治体では「廃止もやむなし」といった風潮のようだ。

よそ者がとやかく言うことではないが、先日乗った状況を見ても経営が厳しいのは分かるし、路線バスもやっている会社だから、バス転換してもいいのかもしれない。
新幹線開業とか高速道路無料などの影で、こんな問題が起きていることも忘れてはいけない。
※続きはこちら
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秋の臨時列車/発車標

2011-08-29 23:58:49 | 秋田のいろいろ
8月24日にJR各社から10月から11月に運転される臨時列車が発表された。
JR東日本本社は同日、秋田支社は翌25日(文書の日付は24日)に「秋の増発列車のお知らせ」として公式サイトに情報が掲載されたが、知る限りでは、秋田の新聞やテレビ等では毎日新聞以外はまだ報道していない。


それを基に、秋田県並びに秋田支社管内関係の臨時列車を見てみる。※ご利用の際は、時刻表や駅などでご確認ください。
まず、定期列車も同然の“準レギュラー”の快速「リゾートしらかみ」、大館発着の特急「つがる」は今季も運転。

盛岡支社管轄なので、秋田支社の資料には出ていないが、花輪線で珍しく臨時列車が運転される。
快速「花輪線全線開通80周年号」で、10月8~10日に、盛岡-鹿角花輪間で1往復運転。盛岡支社のジョイフルトレイン「Kenji」(以前秋田駅に来た時)が使われる。「全車指定席」とは書かれていない。
全線開通80周年を記念した列車なのだから、鹿角花輪-大館間も含めて全線で運転すればよさそうなのに。


10月には快速「森吉山麓紅葉号」が角館-弘前間で運転される。
角館-鷹巣間の第3セクター秋田内陸縦貫鉄道と鷹ノ巣-弘前間の奥羽本線の直通列車で、朝に弘前を発ち、夕方帰ってくるダイヤ。内陸線の車両2両編成を使い、全車自由席。
※たかのす駅は、JRが「鷹ノ巣」、内陸線が「鷹巣」。
花見シーズン恒例の列車の秋版ということになる(前もあったかな?)。


仙台支社が所有する「びゅうコースター風っこ」という列車がある。
普通列車用の気動車(ディーゼルカー)を改造した“トロッコ風”ジョイフルトレインで、風を感じながら旅ができる。JR東日本各支社に貸し出されて臨時列車として走っている。
それが、快速「鳥海風っこ号」として、10月8・9日に秋田-象潟間で1往復運転される。全車指定席。

羽越本線で風っこが運転されるのは、おそらく初めてだと思うし、運転距離も比較的長めではないだろうか。
68.3キロを1時間半前後で走るから、平均速度(表定速度)45km/hくらいでのんびりと走る列車になりそうだ。
風を浴びて、雄物川・子吉川や日本海、鳥海山を眺めるのは楽しそう。


夏の臨時列車では、男鹿ー酒田間の「リゾート鳥海」として走っている、「リゾートしらかみ」の先代「青池編成」を活用した秋田支社の「クルージングトレイン」は今回も活躍。
まず、10月1・2日に快速「男鹿なまはげ号」が運転される。横手-男鹿間で1往復の全席指定席。
「リゾート鳥海」は秋田を越えて男鹿線と羽越本線の直通運転だったが、今度は奥羽本線上り方面(通称・奥羽南線)へ乗り入れることになる。
もしかしたら、団体列車として同様の列車はあったかもしれないが、誰でも乗れる列車としてはこれも初だと思う。
秋田新幹線「こまち」の愛称を公募した際、上位にあったものの採用は見送られたという、「なまはげ」が列車名になるのも、初めてだろう。
9月26日に、横手駅の新しい駅舎がオープンするので、それにあわせての運転のようだ。この列車を利用した、横手発着の男鹿温泉などの日帰りツアーも発売されている。

青森でも、10月29・30日に快速「クルージングあっぷる」として運転される。
弘前-五所川原間(奥羽・五能線経由)で1往復運転で全車指定席。
ここ数年は、この区間でリンゴの開花時期と収穫時期に、リンゴ畑を眺めながら走る臨時列車が運転されている。風っこなどいろいろな車両が使われているが、クルージングトレインが使われるのは初めてのはず。
しかし、この車両にしてみれば、長年「リゾートしらかみ」として通い慣れた線路を、一部とはいえ再び走ることになる。

27.8キロを1時間前後もかけて走るが、過去の例に従えば、途中駅(林崎駅など)でリンゴ園を見学する時間などが設けられるはず。
個人的には、この距離で全席指定席っていうのは、ちょっと・・・という気がする。


そして、本社のリリースには掲載されず、秋田支社のリリースだけに出ている謎の臨時列車(クルージングトレイン使用)。
秋田支社のリリースより
10月22・23日に運転されるもので、快速「ぐるっと鳥海号」だそうだ。これは指定席・自由席1両ずつ。
片道だけの運転なのだが、なんと秋田発秋田着という、ダイヤ。最初見たとき、誤植かと思ってしまった。
秋田発7時44分、秋田着17時49分と、10時間も運転し続ける。

リリースにはそれ以上の情報は何もないが、「ぐるっと鳥海」という列車名や所要時間を考慮すると、秋田(羽越本線)酒田・余目(陸羽西線)新庄(奥羽本線)秋田という、鳥海山を周回するルートをイメージした。それだと走行距離は310.1キロ!
(新庄って鳥海山から少し遠いようなイメージだったが、40キロ強しか離れていないんだ。)

JR東日本仙台支社の臨時列車のリリースを見ると、新たな情報が分かった。
仙台支社のリリースより
同じ運転日だけど、なぜか「ぐるり鳥海号」という列車名で、秋田発8時00分、秋田着18時00分着とのこと。
名前が違い、運転時刻が大雑把だが、同じ列車を指しているに違いない。(列車種別(快速かどうか)、使用車両は掲載なし)
そして、運転線区が「奥羽本線/陸羽西線/羽越本線」となっているから、310キロコースだ。奥羽本線から先に回る、反時計【30日訂正】時計回りコースのようだ。

なお、時刻表を見ると、奥羽本線下りには、秋田着17時49分着の定期普通列車があるので、時計【30日訂正】反時計回りコースだとそれと重なってしまうし、反時計【30日訂正】時計回りで確定だろう。
【30日訂正】時計回りと反時計回りを逆に記述してしまっていました。上記の通り、訂正します。

これだと、鳥海山を順光で眺められるはずだし、日本海の夕日も楽しめそう。
おそらく、クルージングトレインが新庄まで乗り入れるのも、陸羽西線を走るのも初めて。

※秋の臨時列車についての続報はこちら



臨時列車といえば、秋田駅中央改札口の上にある「発車標」。
イレギュラーで長い名称のものが多い、臨時列車では、ユニークな(?)表示がされることが多く、密かな楽しみ。夏の臨時列車のいくつかを紹介します。
湯沢市で8月5~7日に行われた「七夕絵どうろうまつり」に合わせて、「クルージングトレイン」による臨時列車が運転された。列車名は、快速「七夕絵どうろうまつり1号/2号」。
1往復しかなく運転区間も同じだから、普通は「○号」と番号は付かない(上記秋の臨時列車のように)のに、なぜか1号/2号と号数が付くのが珍しい。
列車名は、まつり自体の正式名称と同じ「七夕絵どうろうまつり」。発車標では、
「快速七夕 2号」
ずいぶん簡略化したなと思っていると、
「絵燈篭祭 2号」行き先は「Yuzawa」
うーん。
表示できる文字数が限られていて、正式名では収まらないのは分かるけど、「快速七夕2号」と「絵燈篭祭2号」と2つの名前を持つ列車みたいに見えてしまう。
「絵灯篭」や「絵燈籠」でなく、「絵燈篭」を選んだ理由はなんだろう?


秋田からの青森のねぶたや弘前のねぷた観光向けに、特急列車が運転されている。
ここ長らくは、青森から秋田への上りのみが運転されていた。(秋田駅に夜中に到着する)
以前は「ねぶた」号という列車名だったが、東北新幹線八戸開業後は弘前止まり定期列車「つがる」を秋田まで延長する形で運転されていた(つまり八戸発秋田行き)。

新幹線が新青森まで開業した今年は、再び独立した列車名になり、秋田発青森行きの下りも運転された。使用車両は旧かもしか用だった3両編成。
列車名は「ねぶたまつり1号/4号」。以前の「ねぶた」ではなく、「ねぶたまつり」になった。8月5日~7日運転。
また、「2号」は、青森発弘前行きの普通列車(2~7日運転)、「3号」は存在せず、同じ列車名なのに、種別と運転日が異なるのが、おもしろい。
表示は、
「特急ねぶた」
「2号」が無視されているし、これじゃあ昔の列車名と同じだ、と思っていると、
「まつり」
これも2つ名前を持つ列車。今季は、長い列車名を2画面に分けることにしたらしい。
「まつり」を見ると、サブちゃんが歌っているのを連想(1984年「まつり」)してしまった。

上の写真で2行目にも注目。
「特急ねぶた」では、15時07分発普通列車大館行きが表示されているが、「まつり」では空白。どういうことかというと・・・
  
なんと右から左へ流れる、スクロール表示!
停車駅案内やダイヤ変更・運休などの長文はこのようにスクロール表示しているが、列車の情報もスクロール表示できるんだ。
でも、スクロール表示する目的は何? する必要はあるの?


最後は、8月19・20日に鹿角市で行われた「花輪ばやし」。
これも例年、花輪線に乗り入れる臨時列車が秋田-鹿角花輪間で運転されている(秋田着はやはり深夜)。今年はクルージングトレイン(←大活躍)使用で、19・20日に1往復ずつの「快速花輪ばやし1号/2号」。これも1往復なのに号数がある。
この表示は、
「臨時花輪」。号数表示なし
本来なら、臨時だろうが定期だろうが「快速」とオレンジ色で表示するはずなのにそれがなく、代わりに「臨時」ですか。特急券が必要かどうかの判断や、各駅停車でないかどうかの判断につながる種別は必要だと思うが、なぜ「臨時」?
2行目は、スクロールでなく、本当に空白。これだと、奥羽本線の列車に乗りたい人はその列車時刻が分からない。
「花輪」ということは、残りは
やはり「ばやし」!
「ばやし」って・・・
昔、レトルトカレーのCMで「ハヤシもあるでよー」というのが流行語になったらしい(1969年「オリエンタルスナックカレー」)が、「ばやし」もありますか。
それから「Kazuno hanawa」がとても細かい文字。


秋田駅では、毎回、発車標の表示内容に頭を悩ませていて、かつ毎回違った内容になるようだ。
見ていて楽しいが、乗客への正確で確実な情報提供という意味では、心もとない。
思い切って発車標を新型に更新するか、長い列車名は表示をあきらめて「臨時快速」「臨時特急」にしてしまうかした方が、案内の意味では確実だろう。
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八橋の新しい道

2011-08-28 19:48:20 | 秋田の地理
昨年、秋田市八橋(やばせ)地区の草生津川(くそうづがわ)沿いに、新しい市道「都市計画道路外旭川新川線」(以下、「新しい道路」とします)が建設されていることを紹介していた。
2010年9月17日の記事2010年11月10日の記事では地名の由来も取り上げています。
その後、昨年度内には完成・供用されず、どうなったのかと思っていると、最近はだいぶ工事が進展していたので、この記事で紹介します。


八橋地区は、秋田市役所などのある官庁街・山王地区の北側の住宅地。西側を草生津川、東側を新国道(という名の秋田県道56号線)に挟まれている。
40年くらい前は田んぼ・農村だったであろう一帯を宅地化したので、新国道と最近できた南側を東西に走る「八橋大通り」以外は歩道のない細い道が多い。
新しい道路は、山王大通りの児童会館前・県立体育館裏~サンライフ秋田・秋田市保健所前~旧国道と交差する面影橋交差点~八橋大通りと交差するやばせ橋東たもと
と北進する道路が、やばせ橋東の丁字路交差点からさらに北へ延長される形。(開通すれば十字路になる)
略図 ※線形(道路の向きや曲がり方)はテキトーです。
ここをクリックすれば、上の略図の大きいものが新しいウインドウで開きますので、必要な方は見比べながら記事をご覧ください。

工事区間は、3つに分かれている。各工区とも、ほぼ350メートルずつの距離。
上の略図に記したとおり、ここでは便宜上、各工区を南側からA・B・Cとそれぞれを区分させてもらいます(当然、正式な名称ではありません)。
昨年秋の時点では、「A」工区だけが道路として形になっていて、それより北では用地買収は済んでいたものの、着工はしていないように見えていた。


それでは、南側の「A」工区、やばせ橋・八橋大通り側たもとから順に北へ向かって紹介します。
※悪天候の暗い時と、快晴時に撮影した画像が混ざっています。写りが悪いものもあります。
 また、快晴時の方が後から撮影したため、ライン引きなどの進捗状況が異なる画像が混在しています。

やばせ橋東の交差点から見た八橋大通り。奥が新国道「新川向」交差点方向
丁字路から十字路に変わる交差点に、新国道方向から八橋大通り来た車が、A工区へ右折するためのレーンができていた。
A工区入口には柵が立っているし、A工区側向きの信号機もまだ設置されていないが、警察管轄の横断歩道、道路管理者管轄の車線ともに白線が引かれていた。歩道には鮮やかな黄色の点字ブロックも敷設されていた。
A工区南端手前から南側を見る。右が草生津川
昨年の時点で既に道路はできていたから、その当時との差は白線が引かれたこと程度。
川に沿ってカーブのある道をそのまま北へ進む。(略図とはカーブの向きは異なります)
A工区北端手前
左に小児科医院、右にローソン秋田八橋田五郎店の裏が見えてくると、A工区北端。
草生津川の大道東橋と新国道の「八橋鯲沼町」交差点を結ぶ、狭い道(路線バス「泉山王環状線」のルート)と交わる。ここに新たに信号機が設置されていた。
既存の道の東側から。左右が新しい道路(左がA、右がB)、奥が草生津川の大道東橋
ローソンは、新しい交差点の「角地」に位置することになるが、店舗入口・駐車場入口とも、既存の道側にしかなく、新しい道側からは出入りできない。

設置された信号機は、同じ道の隣の交差点のようなぶら下げ式の信号機ではなく、1つずつ独立した通常タイプで、歩行者用信号機もすべての角に設置されている。
B工区南端からA工区側を見る

昨年は、A工区より北は空き地のようになっていたが、そこにA工区から続くまっすぐの道ができていた。ここで言う「B」工区。
A工区と同じ規格と思われ、ラインなども準備済み。
B工区は、南端東側(ローソンの向かい)に老人ホームがあるほかは、アパートや民家の中をまっすぐに抜ける道。途中で細い既存の道といくつか交わるが、うち1か所に、
押しボタン式信号機が設置された
このすぐそばに秋田市立八橋小学校があるため、登下校の安全に配慮したのだろう。
押しボタン信号北側から南方向を見る。まさに一直線の道
上の写真、右側のように、点字ブロックは途切れ途切れに敷かれていた。チョークで位置決めの線は引いてあるので、後から敷くつもりらしい。
ブロックが途切れている部分は、沿道の民家の車庫など車が出入りする部分のようだ。まだ公道との接続部分の工事が途中のお宅も多いから、何らかの理由で終わるまで敷設しないのだろう。だったら全部終わってから、全部まとめて点字ブロックを敷けばいいと素人は思ってしまうが・・・
A・B工区では、上記で紹介した以外には、信号機や横断歩道は設置されない模様。


さらに北へ進んで、B工区の北端。先にはC工区があるはずだが・・・
行き止まり!(白線を引く前の撮影)
イサノ橋と新国道「八橋大畑」交差点を結ぶ既存の道との交点の先には、真正面に会社の事務所と倉庫(?)が立ちはだかっており、丁字路になっている。
既存の道西側から。右がB工区北端、奥が新国道
A・Bの境の八橋鯲沼町への道にはセンターラインがなかったが、この八橋大畑への道にはセンターラインが引かれていて、若干道幅が広いようだ。でも、交通量はこちらの方が少ない印象。
東側から。左がB工区北端
この行き止まりになっている、会社。名前が名前だけに「トーセンぼ(通せんぼ)」ってこと?!
上の写真の通り、この交点には、信号機が設置されていない。(横断歩道の線も引かれていなかった)
前に通った際は、新しい道側(B工区北端)に、
「止まれ」の標識があった(発光式ではなく、ただの板タイプのようだ)
その後、白線が引かれると、
路面に「止まれ」標示
一般的な路面の「止まれ」と比べて、縦方向が短い寸詰まり。何か意味があるのだろうか。
それから、1つ上の写真では見えていた「止まれ」の標識が、上の写真(左の路肩)では紙で覆われている。
前は見えていたものを、その後わざわざ紙をかぶせたことになる。しかも、速度制限や自転車歩道通行可の標識はむき出しのまま。
まだ道路として供用開始していないのだから、見えても見えなくてもどっちでもいいように思うが、なんで改めて隠したのだろう?

上記の通り、ここは歩道が広く、自転車が歩道を通行できる「自転車歩道通行可」になる。その標識の一部がこれ。
おやっと思いませんか?
これ、昔からある「歩行者自転車専用」の左右が反転した鏡像デザイン(以前の記事に本来の標識の画像があります)。人と自転車の配置だけでなく、親子の位置や自転車の前後も左右逆になっている。
これは間違いとか正規のものでないわけではなく、正しい設置。
従来のデザインでは、自転車の絵が必ず向かって右側に位置する。しかし、自転車が通行できる歩道では、自転車は(左右かどうかではなく)歩道の車道側を通ることになっている。
従来の標識ではこの点で誤解を与える恐れがあるので、2008年から設置場所の状況に応じて、鏡像デザインの標識を設置できることになったらしい。
したがって、上の写真の裏面の標識は、従来のデザイン。

鏡像標識は県外では見たことがあったが、秋田では初めて見た。


C工区を見るため、近くの細道へ入り、通せんぼしている会社の裏側へ回ってみた。
C工区南端方向。奥に見えるのが、通せんぼしている会社の裏
裏側すぐのところまで、道路が造られていた。これがC工区南端。
ただし、道路の工事は、砂利が敷かれた程度で、舗装などして出来上がるのはまだ先になりそう。
おそらく、近いうちに、通せんぼしている会社が立ち退くのだろう。将来的にはB工区と接続し、丁字路が十字路になり、信号機が設置されるのかもしれない。


C工区付近では、既存の狭い道路が、南東から北西に向かって斜めに走っている。周りの他の道はほぼ東西・南北方向に沿っているのに、この道だけこんなに角度が違うのがおもしろいが、地図を見ると、実は新国道とほぼ平行。
もしかしたら、この道こそ、新国道と一緒に作られた、由緒ある道なのかもしれない。

この斜めの道と新しい道が、C工区の北側でX字型に交わることになる。
秋田市の広報紙「広報あきた」8月5日号の「市役所からのお知らせ」に「8月22日(月)から八橋イサノ二丁目の市道が通行止め」という告知が出ており、この斜めの道が「道路新設工事のため、8月22日(月)から9月下旬(予定)まで通行止めになります。」とのことだった。
しかし、昨日の時点では通行が可能であり、現場に告知の看板等もなかった。(交点部分で何か作業はされており、誘導員はいた)
斜めの道と新しい道の交点(左手前から右奥が新しい道)
上の写真左に見えているのは「県営イサノ団地」。その奥の緑の看板が健康ランド「ユーランドホテル八橋」。

その先で交わるのが、草生津川の三本橋(という橋だとは知らなかった!)と新国道「操車場入口」交差点へ通じる既存の道。これも狭い道だが、市立寺内小学校、スーパーのト一屋堂ノ沢店、ユーランドホテル、国土交通省秋田運輸支局などが沿道にあり、通行量は多め。
この道が「八橋」の北端で、北側は寺内や泉となる。
なお、以前の記事で触れた「イサノ」という地名がこの辺りで、この道の南側が「八橋イサノ二丁目(住居標示実施済み)」、北側が「寺内字イサノ(住居標示未実施)」で、八橋と寺内両方に「イサノ」が存在している。
ユーランド前付近から東側・新国道方向を見る
ガソリンスタンドと「ローソン秋田寺内イサノ店」の間に押しボタン信号機があり、そこに上の斜めの道が合流(上の写真右)する。

押しボタン信号を過ぎたローソンの先(新国道寄り)で、この道と新しい道路(C工区北端)が合流する。
右がC工区北端

「イサノ二丁目」バス停の向かいが新しい道
「イサノ二丁目」バス停を通るのは、平日に1日1本片道だけの路線バス「堂ノ沢線(昔は堂ノ沢県庁線と言っていたはず)」。この次の「自動車会館前」が終点のため、時刻表が掲示されていない。片道運行だから、向かいにはバス停はない。
北端の工事状況
9月30日まで「新しく道路を作っています」とのこと。(10月以降も舗装など別の工事が引き続き行われるはず)
ちなみに、A・B工区は9月2日まで「新し“い”道路を“造”っています」でした。
C工区も意外に早くできるのかもしれないが、そうすればここに信号機が設置(押しボタンを廃止して移設とか)されたりしそう。
草生津川の三本橋方向。左がC工区北端
ここより北側(上の写真右方向)には、道路を造る気配はまだない。
しかし、ここから北に680メートルほどで、新国道と外旭川アンパスを潜って秋田北インターへ通じる県道72号線の丁字路「野村」交差点につながる。最終的にはそこまで道ができるのだろう。

気になる点
1.開通するなら知らせて!
看板では、A・B工区は9月2日までの工事とのことだが、過去の例を踏まえると、それは9月3日から通行できるというわけではないと思う。
昨年の茨島・大住アンパスや愛宕下橋の道路でもそうだったが、秋田市では新しい道路ができても、ほとんど告知をしてくれない。広報紙に載るのは、開通日ギリギリだったり開通後になったこともあった。
サイトで工事中の告知はするけれど、一般向けとしては分かりづらく、工期(←開通日ではない)と施工業者程度の情報だけ。
(秋田市でも、建設部ではなく都市整備部が行っている区画整理事業の一環の道路建設については、サイトやマスコミでわりと情報発信をしてくれている印象がある)
したがって、開通日時、あるいは道路ができたこと自体を知らない人も多い。(そのおかげで、当ブログへ多数のアクセスをいただいたこともあった。)

秋田市の道路建設セクションにしてみれば、新しい道路が開通するのは日常のことで、業務を淡々とこなしているに過ぎないのだろう。
でも、近隣住民や利用者にしてみれば、身近な場所に道路が開通するのはそうそうあることではなく、利便性・安全性が向上するなど、一世一代(大げさか?)のイベントだ。
また、多くの人に存在を知ってもらい、利用してもらってこそ、道路の存在意義があるはず。
せめて、道路の場所、開通日、交通規制の変更点(←警察の仕事だなどと言わずに)などは、余裕を持って充分に確実に市民に知らせてほしい。
そしてマスコミも、役所のリリースを待つのではなく、自分の足で情報収集して記事にしたらどうなんでしょうかねぇ。

2.安全ですか?
新しい道路は、山王・国道7号線(旧臨海バイパス)方面から新国道・泉・外旭川への最短経路となると思われ、車両の通行は多くなりそうだ。開通区間には歩道がついており、そこを歩く人の安全は、従来よりも確保されそうだ。
しかし、全線開通ではないので、どっちみち、狭い既存の道路へ車が流入することになり、特に、各交点~新国道間の狭い道の通行量が増加しそう。
出会い頭の衝突、歩行者を無視した運転、スピード超過など、事故が起こらないか心配だ。
特に、B工区北端では寺内小学校の通学路になっているようだし、信号機がない上、横断歩道もなさそうなので不安。

3.路線バスがあれば・・・
この一帯は住宅地にも関わらず、通る路線バスは、上記の通り、本数の少ない2路線だけで、日常の足にはならない。
新国道や旧国道に出ないと本数の多いバス停はないが、場所によっては500メートル前後歩かないといけないお宅もあると思われる。新国道の運輸支局入口バス停で乗り降りする人は多く、降りた人がぞろぞろと住宅地へ歩いていく光景も見かける。

せっかく新しい道路ができたのだから、そこを通る路線バスを運行すればいいのではないだろうか。
例えば、秋田駅-県庁-新しい道路-新国道を越えて-泉ハイタウン-通町-秋田駅という環状路線などが考えられると思う。(仮に「泉・外旭川新駅」ができれば、そこを通ることも可能だろう)
新しい道路沿線の利便性が増すし、県庁・市役所方面と秋田駅前方面へのアクセスの両方の性格を持つ路線になるから、保戸野・泉地区の人も便利になると思う。いかがでしょう?

※その後、開通直前の記事はこちら
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北前船

2011-08-26 23:42:18 | 秋田の季節・風景
江戸時代から明治に、関西と北海道とを日本海側の港に立ち寄りながら行き来していたのが「北前船(きたまえぶね)」。
秋田の港も寄港地として栄えたというが、秋田の食・言葉などの文化の中には、北前船でもたらされて現在も残るものが少なくないようだし、秋田に比較的多い加賀屋/加賀谷さんはじめ、近江さん、越前・越後・越中(屋・谷が付く場合も)さんなどのご先祖は、北前船で秋田へやって来たのかもしれない。
(Wikipediaの北前船の項ではなぜか秋田の港について一切触れていない)


その北前船を復元した「みちのく丸」が、この夏、日本海側15港に48日間かけて立ち寄りながら航海をしており、現在、秋田市土崎港(つちざきみなと。地名)の秋田港(あきたこう。港の名前)に停泊している。

今回の復元航海は、「北前船・日本海文化交流事業」といい、主催する実行委員会は「公益財団法人みちのく北方漁船博物館財団」と寄港地の各地元新聞社9社(秋田魁新報も)によって組織されている。秋田魁新報では24日付の新聞に8面の別冊特集を折り込んだ。
みちのく北方漁船博物館財団は、青森市にある同名の博物館の運営などを行っており、青森の地方銀行「みちのく銀行」が深く関わっている組織。一時期、青森港の「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」を受託運営していたこともあった。みちのく丸は2005年に同財団が建造していた。
「みちのく丸」という船名も、「みちのく銀行」が由来なのかもしれない。「みちのく」といえば、東北全体を指す場合と、東北の太平洋側だけを指す(陸奥国)場合とがあるが、北前船の航路からすれば、前者の意味なのだろうか。

また、この事業の公式ホームページ(http://www.toonippo.co.jp/kitamae/index.html)が、青森の地方紙「東奥日報(とうおうにっぽう)」のサイト内に開設されていたり、東奥日報紙面に「みちのく丸が秋田港に入港」などと逐次掲載しているようなので、同社も強く関わっているようだ。


秋田港には、24日に山形県酒田港から来たものの、着岸は25日だったらしく、本格的なイベントは26・27日に行われる。
27日午後には秋田港を出向し、男鹿市の船川港へ向かう。船川港が今回最後の寄港地で、28日にイベントが行われた後、青森港へ帰る予定。
基本的には、他の船に曳かれて航海するが、各港の中でデモンストレーション的に帆を張って航海していて、秋田では、秋田港-船川港間の航海で帆を張ることになっている。
【27日追記】秋田港-船川港間の全区間で帆を張る「展帆航行」をしたわけではなかった。船川港沖5キロ地点でから約5キロ(というから接岸まで?)の約50分間、帆を張ったとのこと。

秋田港では、ポートタワー・セリオン前に着岸し、歓迎行事や船内見学、セリオン周辺で飲食・物販が行われる。割山の旧秋田空港跡地が臨時駐車場になり、無料シャトルバスが運行されるという。
ということで、行ってみた。
左にセリオンがある
数十人くらいだろうか、船の周りに人だかりができていた。
思ったほど混雑はしていない。
セリオンや向かいの商業施設・秋田ベイパラダイスの駐車場は、ほぼ埋まっていたが、今日は30分間隔で運行されている(明日は20分間隔)シャトルバスの利用者はほとんどいないようだった。シャトルバスは、貸切専業業者が運行していた。

帆は下ろして展示
写真やテレビで知ってはいたが、現代の感覚からすると小さな船。
全長32メートル、幅8.5メートル、帆柱までの高さ28メートル。幕末から明治初期の様式。

上の写真右奥で、横を向いている白い船は、いつもここにいる第二管区海上保安本部の巡視船「でわ」だけど、みちのく丸の方がずっと小さい。

江戸時代に木で作っていたと考えれば“大きい”が、それにしてもこれで長距離の航海をしていたとは、信じられない。
航海の時期が決まっており冬は運航していなかったそうだが、ちょっと海が荒れただけで大変だったことだろう。

船のすぐそばまで近づくことはできるが、人がたくさんいるので、じっくり撮影するのは難しい。
それに晴天で逆光、しかも船の色が暗いので、あまり写真撮影向きの条件ではありませんでした。(と言い訳)
船首側。銅の装飾や、黒くて長い紐がぶら下がっている
【28日追記】船首には旗ざお(上の写真で銅の飾りの上に見えている木の棒)があり、26日は何も付いていなかった(ただの棒に見えた)が、報道写真等によれば27日(土)には秋田市旗が掲げられていた。

船内見学もできるということだったが、人が多いだろうと、僕は最初からあきらめていた。
見学希望者には整理券を発行し、順番まで近くのテントで待機してもらい、順次船内に案内していた。
見学は16時までだが、15時前の時点で既に「整理券配布終了」となっていた。

見学している人は、あまり大きくない船だからすぐに見終わってしまうようだ。もうちょっと多くの人に見学する機会を提供してくれてもよかったようにも感じた。
船尾側。海中に入っているのが舵だろうか? 側面・船尾にも装飾がある

感心したのは帆柱(マスト)。
分かりづらいですが
もちろん木でできていて、とても太くて頑丈そう。
帆を張ったところを見てみたかった。

【27日追記】報道された船長の発言によれば、帆柱は「樹齢200年の一本杉」だそうだ。
要は、複数の材木を組み合わせて柱にした(集成材)のではなく、1本の木をそのまま柱にした(無垢材)ということなのだと思う。それはすごい。

でも、引っかかったのが、「一本杉」という言葉の使い方。
僕は建築や造船の専門家でないので、もしかしたらそういう用語もあるのかもしれないが、普通、「一本杉」といえば、「複数本でなく、1本だけぽつんと生えているスギの木」のことを指す(つまり加工された材木ではなく、植物としての生育環境を示している)のではないだろうか。「別れの一本杉(1955年春日八郎)」みたいに。


対岸の工場と北前船
あまり大きな期待を抱いて見に行かない方がいいとは思うが、珍しいものを見られて満足。
時間があれば、セリオンの上に上って見下ろすのもよかったかもしれない。(明日、土曜日は混雑が激しそう)


ところで、僕が北前船を知ったのは、小学生の頃。
魁の特集にも出ていたが、その当時にも、北前船が復元されて航海していたのだ。
兵庫県が復元した「辰悦丸」で、秋田には1986年6月に来て、多い日には1日5万人が見物に来たとのこと。
NHKの番組(おそらく「ぐるっと海道3万キロ」)で取り上げられたこともあって、今回よりも盛り上がったようだ。僕は見に行っていないが、それで印象に残っているのだろう。
なお、これ以前は「きたまえせん」と呼ぶのが普通だったらしいが、この時NHKが「きたまえぶね」としたので、それが定着しているらしい。(2007年8月6日付陸奥新報での青森県立郷土館 副参事 昆政明氏の文より)

【27日追記】秋田魁新報によれば、27日の秋田港には、約2万人が訪れたとのこと。


ここしばらく、大雨にはならなかったが、ずっとぐずついた天気で、気温も低めだった。
しかし、例年通り、小中学校の夏休みが明けた頃に、晴天と暑さが戻ってきた。
でも、風は心地よく、どことなく秋のよう。
秋空(?)にそびえるセリオン
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バスに番号表示!

2011-08-25 23:14:45 | 秋田のいろいろ
おそらく今日、更新されたのだと思うが、秋田中央交通の公式サイトを見て驚いた。
10月から、同社の路線バスの行き先表示に、系統番号を表示するという。
「平成23年10月1日(土)より、電光式(LED)方向幕に『系統番号』を付番します。」として、案内と路線と番号の対応表がPDFファイルでアップされている。

同社によればポイントは3点あり、抜粋・要約すると、
1.秋田市内の各系統(起終点・経由別)それぞれに系統番号を割り当て
2.系統番号は3ケタで、上り下りとも同じ
3.系統番号の百の位で、大まかな方面が分かる
としている。

昨年5月に秋田市が実施した社会実験を踏まえ、「秋田市公共交通政策ビジョン」を実現すべく、重い腰を上げた(?)のだろう。思ったより早く実現したものだ。
旧河辺町・雄和町の和田駅-国際教養大学間の路線、土日のみ運行の四ツ小屋駅-イオンモール間の路線をはじめ、秋田市内は走るものの秋田駅前へ乗り入れない路線や、秋田市内から潟上市や五城目町へ行く路線にも付番されるものの、五城目や男鹿など秋田市外完結の路線では実施されないようだ。
【26日追記】秋田市内西部地区のローカル路線「豊浜ふれあい号」各系統には付番されていないが、これは秋田市が運行主体で、同社の子会社・秋田中央トランスポートに運行を委託している路線だから。外見上は本体と同じ緑色のバスだから、知らない人にはなぜ番号がないのか、分からないかもしれない。
西部以外のローカル路線は他のタクシー会社などに委託しているが、当然付番されない。


補足や疑問点を挙げながら、細かく見てみる。
案内には、「全系統に付番します。※行き先表示が電光式(LED)の車両のみ『系統番号』が付番されています。」とある。
(上記の通り、秋田市内を走る路線だけが対象なので、厳密には「秋田市内の全系統に」とするべきだろう)
つまり、昔からある、幕式(フイルムに印字した)行き先表示では、番号を表示しないということのようだ(交換費用がかかるからね)。
全系統に付けると言っておきながら、その直後のコメ印でLED式だけに付ける(=全車両ではない)と言っていて、サービス面では矛盾というか筋が通ってないような気がしてしまう。

とはいえ、同社の路線バスは、現在は9割方LED式の行き先表示機が設置されている。
かなり古い大型バスの一群が、今年度初め頃に突如としてLED式に交換されたのは、これを見越してのことだったのだろう。

とすると、現在、LEDでなく幕式のままのバスはどうなるのだろう。
例えばこのバス
まずは、上記の古い大型バスの中でまだLEDに交換されていない、ごく一部の車両と秋田市外の五城目営業所所属で秋田市内に来る中型バスの一部。
これからLEDに交換するのか、あるいは系統表示を必要としない秋田市外の路線や何らかの他用途に転用するか、あるいは廃車するかのどれかだろうか。

あとは、小型バスの全車両。路線が限定されているため、幕式のままなのだと考えられる。
つまり、現状のままでは、小型バス限定の路線では、系統番号が表示されないとも考えられる。

これを踏まえて、系統名と系統番号の対応表を見てみる。※見間違い、見落としがあるかもしれません。
すると、小型バスしか走らない築地経由の路線や泉山王環状線にも番号が振られている。(全系統と言っているのだから、ある意味当然)
ということは、番号だけ付けておいて実際には当面は番号なしで運行するのか、10月までに小型車にもLEDを設置するか、どちらかなのだろう。



昨年の社会実験では、「11-1」などと、「路線2ケタ-系統1ケタ」の付番(系統が1つしかない場合は、2ケタの路線番号のみ)だったが、それとは変わって単純な3ケタとしたようだ。
例えば、五城目線は「100」、追分線天王グリーンランド発着(秋田西高校経由せず)は「101」、同秋田西高校経由は「102」…という感じ。

細かな付番についてはちょっと置いておいて、百の位で方面が分かるというのは、
100番台:土崎・追分・臨海方面
200番台:神田・添川・泉方面
300番台:手形・太平・仁別方面
400番台:駅東・桜ガ丘・御所野(秋田駅東口発着)方面
500~600番台:牛島・仁井田・御所野(秋田駅西口発着)方面
700番台:川尻・新屋方面
としている。
でも、この分け方って、大雑把であまり役に立たないと思う。
「100番台」には、秋田駅西口発着の新国道経由、県庁・寺内経由、通町経由などが含まれており、「同じ方面」といっても微妙に経由や行き先が異なり、乗り間違えたら某週刊紙記者さんのようなことになってしまう。
神田線、添川線、泉ハイタウン線(旧 泉秋操線)が同じ「200番台」というのも、ちと苦しい。
あまり細かく分けても、意味がないだろうけれど、百の位だけ見て適当に見当をつけてバスに乗ってしまうのは、止めたほうがいいだろう。


では、路線ごとにいくつか見てみる。
同じ路線内(もしくは同一視できる路線)では、十の位が統一されているようだ。
例えば、新屋線では、オーソドックスな大町経由西部市民サービスセンター発着が「710」、新屋高校まで行くのが「711」、大森山公園まで行くのが「712」、卸町(有楽町・柳原)経由が「713」、別路線扱いだが、センター-新屋高校の区間便が続き番号の「714」になっている。
715~719は欠番で、十の位が繰り上がった720番からは新屋西線系統に割り当てている。

県外他都市の系統番号の割り当てルールや利用者としての感覚を、僕は知らないので何ともいえないが、こんなものかという感想で、別に良いとも悪いとも思わない。
一部地域では、漢字やアルファベットを使って区分しているようだが、それだと、外国人や子ども・高齢者には分からない場合があり得る。その点では、数字だけにしたのは正しいと思う。
でも、間違えて覚えたり伝えてしまったら、怖いな。


また、牛島や大学病院方面などでよくある、「秋田駅西口発着」と「西口経由車庫発着」が両方存在する路線では、それぞれに別の番号が振られている。しかも県庁経由と長崎屋経由で別。細分化しすぎて、ちょっと分かりづらいかも。
ということは、見方を変えれば、秋田駅西口-大川反車庫(秋田営業所)間では、本来の路線名「中央交通線(という路線名)」としては、県庁経由「140」、南大通り・県庁経由「141」、長崎屋経由「142」と3つしか系統がないことになっているが、実際には300、310、330、340、370、371等々、他路線から乗り入れる膨大な番号が存在することになる。
秋田駅前から県庁へ行こうとする人などには、番号での説明がしづらくなりそうだ。(結局今までどおり「1番か2番乗り場で、『県庁』と表示のあるバス」と説明した方が分かってもらえそう)


路線の区分方法は、以前からのものをそのまま使っているようだ。そのため、多数の路線が運行されているエリアでは、番号が飛び飛びになってわかりづらいような気がする。
初めてのことなので苦労もあったのだろうが、もうほんの少し体系立てても良かったような気もしなくはない。
例えば、山王二丁目から自衛隊入口までは、新国道経由の全路線が利用できる。
秋田駅西口発着の場合、100~119、134の系統。134だけ飛んでいるのは、「将軍野線」の1つの新国道経由。
120番代や134以外の130番代は、県庁・寺内、通町、将軍野などを経由するので、微妙に新国道経由とは異なる。間違えないように注意が必要だ。

牛島(商店街の旧道)経由では、500~530、550~572が割り当たっているが、間の540、541は柳原・国道13号線経由南高校・御野場発着なので、通らない。旧道経由の間に混ざっているのでこれも旧道経由と思われてしまうかもしれない。



いろいろ重箱の隅をつついてしまったけれど、秋田の地理・バス路線網を知らない人には、親切なシステムだと思う。
そのためには、まずは、沿線の各施設・企業や市民に、このシステムのことをよく周知し、案内手段として戸惑うことなく利用できるようにしてほしい。
(具体的には、各施設のホームページやパンフレットなどに「秋田駅西口から999番○○経由××行き **バス停下車」などと掲載してもらえるように周知する)
当然、バス停や路線図には、「○○経由××行き:999番」などと表示されるのでしょうね?

そして、昨年の社会実験の時も書いたけれど、文字(地名)の情報のこと。
秋田では、「飲み会があるから」、「車が車検だから」といった時だけ、バスに乗るという人が多く、自宅や勤め先を通る路線名や行き先表示を知らない人も少なくない。

そんな人に、いきなり「422」と言っても分からないわけで、「明田・横森・桜・桜ガ丘経由 大平台三丁目行き」という情報も必要。
僕だって、市内の路線網はそれなりに把握しているが、すべての番号を覚えられるわけがない(し、必要もないと思う)。
川尻割山線であれば、「700」「701」というより、「船場町経由」「商業高校経由」という情報があればいい(秋田市の地理を把握し、日本語が分かる人なら)。
 
10月からどうなるのかは分からないが、数字が入る分、文字スペースが減ってしまうはずだが、経由地や行き先も的確に表示してほしい。
【27日追記】あと、以前も書いたけれど、秋田営業所(大川反車庫)を示す単なる「車庫」という表記(「県庁・八橋・車庫」等)もこの際改めてほしい。方面が同じ、臨海営業所と紛らわしいから(臨海営業所は「臨海(営)」と表示されている)。
※実施された様子はこちら
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ニューシティ駐車場/ビッグルーフ

2011-08-24 23:32:49 | 秋田のいろいろ
久しぶりに秋田市大町の、かつてダイエー秋田店などが入っていた商業施設「秋田ニューシティ」跡地の話題。
解体後、簡易舗装されて(7月27日の記事)竿燈まつり中にB級グルメの屋台イベント会場とその関係者駐車場として使われた(8月7日の記事)ことは紹介していた。
まずは、改めて舗装後の様子を。
北東角の交差点、かつてエレベーターのあった側から

東側大町通りから茶町通り方向を見渡す

北西角、かつてミスタードーナツのあった場所から大町通り方向
以前はもっと南側にあった「旧茶町菊ノ丁」の表示がここへ移設された。

北の一方通行路から南方向。右が茶町通り、右奥の大きいのが竿燈大通りの秋田銀行大町支店が入るビル

敷地の西半分が駐車場となり、白線で区画が引かれた。
おそらく「128」番まである【26日追記】もう少し多いというウワサも。機会があれば、確認・修正します【28日追記】やっぱり128番までみたいでした
100台以上収容できる、秋田市中心部では大規模な駐車場となったわけだが、将来的には建物を建てる方針のはずだから、イベント時だけ開放するのかな? などと思っていた。
竿燈まつり終了後は、再び誰もいない空き地となっていた。

しかし、いろいろ変化が生じている。
左が日本銀行秋田支店
大町通り沿いの日銀に接する敷地南東角、「大町通り」バス停の所に、自動販売機が2台設置された。
いろんなメーカーの製品が入っていて、お値段は100円から
考えてみれば、ここって自販が少ない一角だった。(100メートルも歩けば他の自販機やコンビニはありますが)
でも、人通りも少ないからね・・・

さらに気づいたのだが、舗装工事中まではロープで頑丈に囲われていたのに、今は自販機の周りにはロープがなく、ここから敷地内へ立ち入りできてしまう。特に立入禁止などの表示はない。
その一方、ニューシティやAD(現イーホテルショッピングモール)の地下へ直結していた、私設地下道の入口にはロープが張られていた(さらに下ではシャッターが下りている)。
私設地下道入口
これはすなわち、地下道には入ってはいけないけど、地上の敷地内には立ち入っても構わないよと言っているのではないだろうか?

見渡すと、このほぼ真向かいの茶町通り側には、ロープがなくなっていて出入りできる部分(駐車場に車が出入りできる)がある。さらに、冒頭の写真の北東角もロープが低くてまたぐことができる。(他は腰より高い位置にロープが2本ある)
ということは、この敷地内を縦断して近道できてしまうかも。

などと思っていて、お盆に通りかかると、敷地内で子ども数人がバドミントンか何かをして遊んでいた。
なるほど。近くには遊び場自体が少ないし、こんなに広大でかつ安全な遊び場って、ほかにない。
ケガは自己責任ということだろうが、辻兵さんが好意で開放、というか黙認してくれているのだろうか。とすれば、さすが懐が深い。

その数日後、
駐車場部分に宮城から来た貸切バスが駐まっていた
やっぱり駐車場として開放するのかと思っていたら、いつの間にか(たぶん先週末から今週初め頃)、
「月決め駐車場 空有り」
駐車場としての看板がやっと設置された。
茶町通り側に小さなものが1枚だけで、規模のわりにはあっさりしたもの。(車の出入り口がこちら側にしかないこともあるとはいえ、目立たない看板)
しかも、料金が書かれていない。
それに、辻兵発祥の地なんだだし、駐車場に名前ぐらい付けてやってもいいようにも思う。「辻兵パーキング」とか「ニューシティ駐車場」とかね。

ここを管理する辻兵系列の辻不動産のホームページでは、管理下にある駐車場の一覧を掲載しているが、ここについては掲載されていない。
今後の活用方法が決まるまでのつなぎとしての駐車場だから、大々的には宣伝したくないのだろうか。
この辺の月ぎめ駐車場は、月額1万円程度が相場だと思われる。128区画全部が埋まれば、辻兵さんもうれしいと思うけど・・・

今のところ、契約した車が駐まっている気配はなさそう。
来週末(9月3・4日)に、恒例の音楽イベント「ザ・パワーオブミュージック フロム アキタ」が開催されるが、今年はニューシティ跡地が会場になるそうだ。
その時、契約車がいたらどうなるんだろ?(駐車場側は使わず、東側だけでやるのかな)

【9月20日追記】音楽イベントは、やはり東側だけで行われた。西側は一部が関係者駐車場になった。
それと前後して月ぎめの契約者が出始めたようで、平日には10台前後が駐まっている。土日にはほとんど駐まっていないこと、各車に割り当てられた駐車区画が適度にバラけていること、車の雰囲気からして、営業車ではなく個人との契約だと思われる。
【10月27日追記】10月になって、さらに10台程度契約者が増えた模様。それでも空き区画の方が多いけれど。また、10月27日には、駐車場内日銀寄りの中央付近に、自販機が1台新たに設置されているのを確認。
※その後の状況はこの記事中ほど




そういえば、9月3・4日は、秋田市中心部でイベントが目白押しのようだ。
そのもう1つが、こちらも恒例の「あきたエコ&リサイクルフェスティバル」(あまり大々的な告知はまだされていない気がするけど、やるみたい)。主催は秋田県だろうか。

その告知で、気になるのが、会場の名称。
会場は、秋田駅前のアゴラ広場、ぽぽろーど、大屋根下一帯なのだが、
2008年のリーフレットより
買物広場大屋根「ビッグルーフ」とある。この名称、気になる!

ぽぽろーどに続く、フォンテAKITA前・公営駐車場入口・西武裏のアーケードは、「大屋根」と呼ばれる(ぽぽろーどと一体化して認識する人も多いが、別物)。これはこれで味気ない呼び名だが、イベント会場としては「大屋根下」とされるのが普通。
大屋根を直訳して「ビッグルーフ」なのだろうが、僕はこのイベントだけで聞く呼称。
「秋田 ビッグルーフ」などで検索すると、エコ&リサイクルフェスティバル以外にも、ここで開催されたいくつかのイベントにおいて会場名として「ビッグルーフ」を使っているようだ。
ただし、多くはなく、大屋根下で開催されたイベントのごく一部といった感じ。

秋田市民交流プラザ管理室(アルヴェの公共施設部分)のサイトに、「秋田駅周辺の施設の使用について」というページがあり、秋田駅周辺のイベント会場の名称や連絡先が掲載されていた。
反転部分
やはり、「秋田駅前買物広場大屋根(下)」となっていて、「ビッグルーフ」ではない。

大屋根を管理する会社は、シツコイですが、雨降りで節電が必要な人通りが多いまっ昼間に意味不明な屋根の開閉をしたり、震災のための節電と称しておかしな節電をしたりしているから、適当に「ビッグルーフ」と名前をつけて使わせてでもいるのだろうか。
広く浸透し、共通の認識が持たれてこそ、公共施設の名称だと思うのだが。


ちなみに、東京ドームは、1988年のオープン当初は「BIG EGG(ビッグエッグ)」という愛称がよく使われていたと記憶している。
今もそれが愛称のようだが、みんな「東京ドーム」と呼んで、「ビッグエッグ」と呼ぶ人はいないのではないだろうか。

【2015年7月20日追記】東京の六本木ヒルズには「大屋根プラザ」というイベントスペースがあるそうだ。完成したのは秋田の大屋根のほうが少し先のはず。

※その後、2015年のエコ&リサイクルフェスティバルからは、ビッグルーフの表記はなくなり「買物広場大屋根下」に改められた。これにより、秋田でビッグルーフの語が使われることは、ほぼ消滅した。
※そして完成後20年経った2020年12月になって、唐突に命名された。この記事中ほど。
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宍に見える央

2011-08-23 20:46:03 | 秋田のいろいろ

冒頭の文字、ある場所に書かれているものなのだが、何という字でしょう?
※モノクロに変換しています。

僕は以前から、この文字が宍戸錠・宍戸開の「  」に見えてしょうがない。



実はこれは「  」。
本来は「大」や「人」のようにつながっている、左右の“払い”が独立して、「六」状になっていて、それで「宍」と見えてしまうのだ。


書かれている場所は、

ここ
秋田中央交通の路線バスの車体側面の社名表記。
「秋田中宍交通」?
現在の同社の塗装では、後輪直後のすその方に白抜きで社名が表示されている。上の写真の通り、運転席側では右から左に向かって表記されている。
それに、「田」や「中」の「口」の部分の文字の幅が、上より下の方が狭くなっていて、一般的な活字体とは異なる(輪郭の縦線が垂直でない)。


僕は社名の書体までは意識しておらず、このことに気づいたのはここ数年のことだった。
ただし、よく見ると、中央交通の全車両がこの表記ではない。
このように普通の「央」の表示の車両もある
「田」はほぼ正方形だし、一般的な丸ゴシック体のようだ。


「宍」風の「央」になるには条件があることが分かった。
それは、「宍」風なのは、新製時のまま塗装が変更されていない、いすゞ製もしくは日産ディーゼル製のバスのみだということ。(冒頭の写真はいすゞ製)
日産ディーゼル製
つまり、新車で購入しても日野製と三菱製では普通の「央」であり(2つ上の写真は日野製)、いすゞや日産ディーゼルでも他のバス会社から譲渡されたり古くなって塗り直した車両では普通の「央」になっている。
※新車として最新であるはずの、2010年導入のいすゞ製ノンステップバスの表記は未確認。わずかにある富士重工ボディのいすゞ製の表記も未確認【2015年2月18日追記】富士重工ボディのいすゞの車両も「宍」らしい。
 日産ディーゼル製は、富士重工ボディ、西日本車体ボディどちらも「宍」風であることを確認済み。
 また、ラッピング広告バスでは、メーカー等に関わらず普通の「央」。


現在は同社路線バスの半分近くが中古車だと思われるが、一方で同社が新車で購入する車両はいすゞが圧倒的に多い。
それらを踏まえると、割合としては、4割弱くらいが「宍」風の「央」表示だと思う。※個人的な憶測です。


日産ディーゼル製といすゞ製では、文字の間隔は若干違うが、デザイン的には同一の文字のようだ。
いすゞ製
しかし、いすゞのバスの一部では、
2002年導入と思われるいすゞ製車両
微妙に違うのがお分かりでしょうか?
2002年の車両も「宍」風ではあるが、「田」や「中」は丸ゴシック体っぽい。「中」の箱が大きい。


それから、いすゞ製貸切バス仕様の「三平バス」は、メーカーのデモ用「サンプルカー」を譲り受けたものだが、
こちらも「宍」風
青い文字なのが変わっていて、車体の大きさと比べて小さめで若干細身のような感じもするが、書体は同じだった。

なお、路線バス仕様のいすゞ製三平バスは、なぜか普通の「央」だった。
先日導入された、空港リムジン・近距離高速バス用のいすゞ製車両も普通の「央」だったが、これは実質的には日野が製造したバスのブランドだけをいすゞにして売っているようなものだから、日野流なのだろう。


さらに、今ではとても少なくなった、淡い色が多用され、社章が側面に付いている一世代前の塗装。(写真はだいぶ前の撮影なので、廃車または新塗装への塗り直しにより、現在はなくなっているかもしれません)
 (再掲)個人的にはこの塗装が好きだけど
この塗装では、社名が黒い文字で表示される(位置的には現在の塗装より若干上)。
上の写真の日野製の車両は、普通の「央」だと思われる。
いすゞ製では、
やはり「宍」風

例えば、青森の「工藤パン」の旧ロゴは「ユ藤パン」に見えたというし、僕が子どもの頃は桃屋の海苔の佃煮「江戸むらさき」のロゴが「にやむらさき」に見えてしょうがなかったなど、企業ロゴはデザイン優先のところがあるのかもしれない。
ところが、中央交通の公式サイトを見ても、社名のロゴとして「宍」風の「央」を使っているわけではないようだ。
それに、中央交通は、いすゞと日野とは長いつきあいがあるが、日産ディーゼルや三菱と取り引きするようになったのは旧秋田市営バスの移管が始まった頃から(三菱とは大昔に取り引きがあったらしいが、途切れていた)。
なぜ、こういうユニークな文字になり、しかもそれがつきあいの長さと無関係に一部のメーカーの新車だけに記載されているのだろうか?


中古車・再塗装車も含めると、社名表記にはもっといろいろなバリエーションがあるのかもしれない。
たしか、運転席側なのに、左から右向きに書かれている車両があったようだ。ほかにもいくつかあって、

日野の小型バス「リエッセ」。
秋田市内では、秋田市交通局から譲渡された車両と、自社で購入した車両が混ざって使われているが、塗装の配色が若干異なり、社名の表示位置も違う。
 (再掲)左が元市営、右が自社購入
リエッセでは、運悪く本来の表示位置に網状の通気孔があり、文字を表示できない。
そのため、そこを避けて表示しているのだが、交通局譲渡車では通気孔の上部、自社購入車では下のすそギリギリの位置に表示している。(写真が再利用のため、分かりづらくてすみません)

こちらは、
新しい塗装だけど、文字だけが旧塗装式の黒色
※これは自社購入のいすゞ製だが、塗装し直されているらしく、普通の「央」


牛島方面などで見かけるバス
入口ドアが車体中央ではなく、後輪より後ろの最後部にある珍しい配置。(窓も少数派の横スライド式)
関西の南海バスの中古車のようだが、バス停で待っていてこのバスが来ると、いつもうろたえてしまう。
後輪の後ろにドアがあるということは、
ドアに社名が書いている!
これじゃあドアが開くと、社名が分からないよ。


いすゞと日産ディーゼルの新車でだけ見られる「秋田中宍交通」。
しかし、以前市営バスカテゴリーで取り上げたように、日産ディーゼル(UDトラックス)はもうバスを扱わないようだし、上記の通り中央交通自体が、路線バスは中古車メインで新車を買い控えている印象がある。
次に新しく「秋田中宍交通」表示の車両が導入されるのは、いつだろう?

※その後、2011年12月にいすゞ製の新車が導入されたが、「中宍交通」ではなかった
他のバス会社でも「宍」があった。

※塗装に関して関連記事


震災復興の需要などにより、秋田空港の利用が好調で、この冬のダイヤでは、羽田便と伊丹便が1日当たり2便ずつ増便され、両航路とも開港以来最多便数となるそうだ。
震災で秋田空港の利便性がよくなったのは皮肉だが、便数が増えるということは、リムジンバスも増便しないといけない。積雪期はダイヤに余裕を見ておくことも必要だから、中央交通さんはやり繰りが大変そう。
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三沢駅

2011-08-21 19:46:38 | 津軽のいろいろ
※この記事の内容は津軽地方のことではありませんが、便宜上「津軽のいろいろ」カテゴリーにします。
十和田観光電鉄で三沢駅に到着
行き止まり構造のホームで、その先端に改札口があった。
改札口からホームを見る
前回の記事の最後に大きく写った写真があるけれど、ホームの「みさわ MISAWA」の文字が独特。旧国鉄の書体ともまた微妙に違うような。
上の写真の改札口右側に台車が写っている。台車に載っているのは、バスやワンマン電車の車内にある運賃箱のようだ。
改札口には駅員が立つが、運賃収受や両替をスムーズに行うために置いてあるのだろう。(投入口にじょうごみたいなのを取り付けて、口を大きくして投入しやすくしている)
広島の路面電車のターミナルでも、同様のものがあったが、それはバッテリーを積んでいた。でも、三沢駅では、壁のコンセントにコードがつながっているように見える。この運賃箱って商用電源でも動くのか、変圧器でもあるのか。

十和田観光電鉄の三沢駅は、とても味わいのある雰囲気だった。
僕の記憶にある「旧国鉄の駅」とは違い、改札の先に微妙に角度を変えながらまっすぐに通路が伸びている構造で、初めて見る造り。でも、どことなく懐かしいような、「昭和30年代」っぽいような。
※駅は1922(大正11)年に開業した(その4年後に若干移転)そうだが、駅舎自体の建築年は不明。
改札口を背にして
改札口前は、窓口や待合スペースを兼ねていて少し広くなっている。10人強だろうか、折り返しの電車を待つ客が待っていた。我々、十和田市から乗ってきた客よりも多い印象だったが、日曜日の昼前に三沢から十和田へ移動する人がそれなりにいるわけだ。
古めかしい窓口周辺。右奥が改札口
床が、土間(たたき土間?)みたいな材質。
比較的新しい券売機が場違いな感じ
節電のため1台は停止。左側のタッチパネル式券売機だけ稼動していた。

通路の途中(券売機の隣)には、そば屋があった。
Wikipediaによれば、昭和時代は2階に喫茶店などがあったそうだが、今は2階は閉鎖されている。
さらに進んで改札口方向を振り返る
以前は売店もあったそうだが、写真左の部分だろうか。待合室風になっていた。売店機能はそば屋に統合されたとのこと。
こんなものも
ロッテのガムの自動販売機。まだ新しそうに見えた。

写真ではうまく伝わらないかと思うが、昔にタイムスリップしたかのような空間だった。
例えば、秋から冬の夕暮れの灯りがともった頃なんか、絶妙の郷愁を誘いそうだ。

通路の末端
出口の向こうには、青い森鉄道(旧JR)の方の三沢駅舎が見える。
こちらの古い駅舎と向こうに見える新しい駅舎の間には、何十年もの時代の差を感じ、まるでタイムトンネルの出口のよう。

タイムトンネルを出て“現代”へ戻って振り返る。
十和田観光電鉄三沢駅

実は、十和田観光電鉄の駅舎・ホームは、青森県道10号線に並行している。
窓口・待合スペース付近には、引き戸があり、駅舎側面から直接道路に出られる。そこが駅前のバス停。
ドアも古めかしい
十和田観光電鉄が運行する、三沢空港などへのバスが通るようだ。

道路はけっこう通行量が多く、若干カーブした坂の下に位置するので、歩行・横断には注意。
道路側から見たとうてつ駅舎。右奥がホーム
長い建物であることが分かる。

これらがあるのは、線路の西側。
西側にも街が広がっているが、市役所や米軍基地があるのは、反対の東側。駅前には東西ともスーパーなどはないが、東側を少し進めば、かつて「ダイエーとうてつ三沢店」だった「ビードルプラザ」など、店が集まるエリアのようだ。
東西とも、丘が駅に迫っていて、谷のような場所に線路が敷かれている感じに見えた。


三沢駅西側から
十和田観光電鉄の駅舎は右奥。

上記の通り、三沢駅には十和田観光電鉄線のほか、下り青森方面・上り八戸方面とつながる、第3セクター「青い森鉄道」が通っていて、駅舎は別に隣接している。
かつてのJR東北本線で、新幹線新青森開業に伴い、3セク化されたもの。
青い森鉄道三沢駅
橋上駅舎で東側への自由通路がある。駅施設としては、売店や「みどりの窓口」代替の窓口のほか、今年6月からは青い森鉄道経営の旅行代理店もできた。

JR時代は、1時間に1本特急が走っており、八戸・青森とのアクセスは整っていた。
しかし、新幹線開業後は、普通列車(一部快速)のみ。八戸方面はほぼ毎時1本だが、青森方面は2時間前後運転間隔が開く時間帯もある(10時41分の次は13時05分など)。運賃も値上がりした。※普通列車自体の本数としてはJR当時より若干増えたようだが、特急がなくなった分、当然全体の列車本数は減った。

青い森鉄道は八戸-三沢-青森と青森県南部地方の主要都市を結んでいる上、三沢など沿線の町は新幹線の経路から外れているので、県民や旅行客の移動手段として、一定の需要はあると思われる。秋田内陸縦貫鉄道のような本当の過疎地のローカル鉄道とは違うのだ。
それなのにこんなダイヤでは、意図的に利用させないように仕向けているようにも思えてしまう。
なお、同社の株の7割近くを青森県が保有している。

長野新幹線や九州新幹線でも、同様に新幹線開業後にJR路線が第3セクター化(または廃止)された、いわゆる「並行在来線問題」があるのだが、今回、三沢から青森まで青い森鉄道に乗ってみて、それを実感した。
後日、続編で紹介します
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緑のカーテン

2011-08-20 20:46:30 | 動物・植物
ここ数年のエコブームで、「緑のカーテン」という言葉が広まった。
広い意味ではビルなどの外壁全体を通年、植物で覆う「壁面緑化」も緑のカーテンと言えるはずだが、一般的には夏の間だけ窓部分を植物で覆って、屋内の温度を下げることを指すことが多い。
学校や公共施設で行われたり、自治体が一般家庭に勧めたりしている。
特に今年は、震災による原発事故・原発停止によって節電が求められるため、いっそう注目されている。

緑のカーテンに使われる植物として、「ゴーヤ、ヘチマ、アサガオ」が例として挙げられることが多く、実際に植えられることも多い。
ツルが伸びる植物の方が窓(建物)を覆うのに都合がいいし、あまり生育環境を選ばず、病気に強く育てやすいというような条件を満たしているからだろう。

僕が小学生の頃は、理科の時間に、1年生はアサガオ(昔は生活科がなく、1年生から理科だった)、3年生はヘチマを育てていた。
アサガオもヘチマも南方地域原産だが、文部省が選んだだけあって、北国・秋田でもしっかり育つ。
アサガオを育てている方は秋田でも多く、緑のカーテンブーム以前から緑のカーテンを作って、毎年、道行く人の目を楽しませているお宅もある。
ヘチマはあまり見かけないが、当時、学校からもらってきた苗2株を自宅の庭に植えたところ、ツルが屋根まで伸びて大きな実が2つ収穫できた。(採ったはいいけど、どうすればいいのか分からず、結局捨ててしまったはず・・・)


問題は、ゴーヤ。
今では、秋田のスーパーや八百屋でも容易に入手できるが、秋田で普及したのはここ10年くらいの間ではないだろうか?
ゴーヤ(ゴーヤー)というのは、沖縄の方言。標準和名は「ツルレイシ」、別名「ニガウリ」。ホッキョクグマとシロクマみたいなもので、呼び方はいろいろあるようだ。(この記事では、以下「ゴーヤ」表記を用います)

そういえば、ゴーヤという名を知る前から、ニガウリという名は聞いていたような記憶がある。その時は、九州や沖縄の「ご当地野菜」的な認識で、秋田では食べることも見ることもないであろう、縁遠いものと思っていた。

2001年に放送された、沖縄が舞台のNHKの朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で、主人公の兄が、ゴーヤをモチーフにしたキャラクター「ゴーヤーマン」を作って一儲けしようという設定があったのだが、もしかしたら、それが「ゴーヤ」の名を全国に知らしめるきっかけだったのかもしれない。

南の植物だから、秋田では育たないのかと思っていたが、一昨年、市内のとあるお宅の庭にゴーヤが植えられていた。(緑のカーテンではなく、棚仕立て)
農家ではなさそうなお宅で、東向きでそれほど日当たりがいい場所でもなかったが、若干小ぶりながら(小型品種だったのかもしれない)数個の果実を着けていて、秋田でもゴーヤが育つのかと、感心して見ていたものだ。


さて、今年の節電トレンドに乗って、複数の店舗を持つ某スーパーマーケットでも、「グリーンカーテン」と称して緑のカーテンを行っている。実施するのは全店舗ではなく、窓の方角や大きさで行うかどうかを決めているらしい。
そのうちの1つ、秋田市内の店舗に今週行ってみた。
店舗正面
駐車場に面した、店舗正面、自転車置き場前の南向きの窓にネットを張り、10数本のゴーヤが鉢植えであった。1鉢につき1株ずつ植えられている。地域の子どもたちが植えたらしく、名札がささっていた。

それにしても、夏真っ盛りの8月中旬。ゴーヤがツルを存分に伸ばして窓を覆っているかと思っていたが、
この生育状況
2株ほどは窓の上近くまで伸びているが、ほとんどは人の背丈以下。葉っぱも色が薄かったりして、健康ではなさそう。
10数株の中で、花はたった1つだけ咲いていた。
明らかに生育不良。

ゴーヤの生育適温は、20度~30度辺りで、同じウリ科のキュウリ、カボチャ、スイカなどと同じか若干高い程度。
秋田でももうしばらくは生育するだろうが、この状態で今から遅れを取り戻せるだろうか?

自転車と同じくらいの背丈か

中には、植木鉢の縁ほぼスレスレまで土を入れた鉢もあった。これでは、水をやっても外にあふれてしまい、土に充分に水がしみこまない恐れがある。
生育不良の原因は、屋根が深くて鉢に雨は当たらないと思われるので、水が足りないのか。または屋根が深すぎて日光が充分に届かないとか、あるいはまったく肥料を与えていないとかかもしれない。

というか、この栽培方法は、緑のカーテンとして決定的な間違いを犯している(はず)。「摘芯」を行っていないと思われるから。
放任して育てると、ツルが1本、まっすぐに上へ伸びる(←高校の生物で習った「頂芽優勢」というヤツ)。それだとあまりカーテンとしての役目を果たさないので、横方向にもツルを伸ばす必要がある。
そのために、「摘芯/摘心(てきしん)」と言って、ツルの先端を切り落とす作業が必要になる。それによって「脇芽」が出て、それを左右に伸ばすように誘引すれば、緑のカーテンとなるわけだ。

他の店舗は見ていないが、少なくともこの店舗では、園芸に関してかなりの素人が緑のカーテンを担当していると思われる。
実はこの店の隣には、ホームセンターがある。そこのガーデニング担当者に頼んで教えてもらった方がよかったのではないでしょうか・・・


そもそも、仮に充分に生い茂ったとしても、緑のカーテンとしての効果って極めて少ないと思われる。
ここはどこでも見かける、道路沿いにある平屋の食品スーパーだから、お近くの店舗の構造を思い浮かべていただきたい。
店舗面積に対する窓の大きさなど、たかが知れているはずで、無視できる程度。それを覆ったところで、店内の温度・消費電力には何の変化もないだろう。
土やネットの準備・撤去も手間だろうだし、果たして意味があるのだろうか。はっきり言って、どうしても何かやりたいのなら、スダレでも垂らしておいた方がいいような気がします。


身近なところで植物を育てて親しむことには、大賛成。
でも、植物はそれぞれに適した環境や条件があるから、そこは育てる人間がよく見て、それに合わせてやらないといけない。
ちゃんと面倒を見れば、植物はそれに応えてくれるはずです。(と自戒を込めて)

※緑のカーテンの関連記事
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イベントやって番組放送せず

2011-08-18 19:50:16 | 秋田のいろいろ
民放テレビ局が、入場料を徴収するイベントを開催することがある。
テレビ局も商売だし、有料でも見たくて行く人がいるわけだから、否定はしません。

最近、秋田テレビ(AKT。フジテレビ系列)のCMや番組中で、「ワンピースメモリアルログイン秋田」というイベントが、秋田駅東口の「アルヴェ」で開催されているという情報をよく見る。(僕はテレビはあまり見ていないつもりだが、それでも自然に頭に入ってしまっている)
どうも、「ワンピース」というアニメがあり、その世界を体験できるイベントらしい。

正しくは、「ONE PIECE メモリアルログ in 秋田」で、8月10日から今日18日までの開催。本来は今年3月開催予定だったが、震災の影響で延期されたようだ。
入場料は大人700円、子ども500円(前売券。当日券は200円増)もするそうだ。
アルヴェ2階からきらめき広場を見下ろす
1階のきらめき広場(吹き抜けのイベント会場)で作品の場面を再現した展示などが行われるほか、2階の多目的ホールで「カフェ」やグッズ販売がされたようだ。
テレビで見たところ、多目的ホール(種苗交換会で稲などの展示が行われた部屋)のだだっ広い空間に会議用のテーブルとイスみたいなのを並べたのが「カフェ」で、アニメにちなんだお値段の張るスイーツ(800円のワッフルとか)を出していた。うーん…
それでも、子どもたちで賑わい、行った方々のブログなどを拝見しても楽しまれているようだから、それも否定するつもりはない。
上を覆ってるけど暑くないかな?

多目的ホール前。なかなかにぎわっている
この主催者は「秋田テレビ株式会社」。
ちょうど今、愛知県蒲郡市でも「ワンピース メモリアルログ 頂上決戦完結編 in ラグナシア」という、同じようなイベントが開催されているが、こちらは「催事実行委員会」と会場の「ラグーナ 蒲郡」が主催者になっている。実行委員会のメンバーではあるのかもしれないが、放送局(不適切な表現でおなじみの東海テレビ)の名前は出ていないのが、秋田と対照的。
昨年夏は、東京台場のフジテレビや長崎のハウステンボスでも開催されたようだ。
アルヴェのお隣はNHK(棟続きの2階入口)
このイベントのおかげで、アルヴェや駅周辺がいつもより少し人通りが多い気もするから、繰り返すけど、ONE PIECE メモリアルログ in 秋田を開催したこと自体は、否定するつもりはありません。



ところで、僕は最近の新作アニメ事情には疎いので、「ONE PIECE」なる作品の名前は聞いたことがあったが、内容などは一切知らなかった。
調べると、原作者は尾田栄一郎。大航海時代の海賊を主人公にした「海洋冒険ロマン」だそうだ。
アニメは1999年から東映アニメーションが制作し、フジテレビが放送しており、最近ではかなりの長寿番組ということになる。映画化もされた。
アニメは全国的には、フジテレビ系列局をはじめとする多くの局で放送されている(数日~数か月遅れる局が多い)。フジ系列局のない青森でも、今春からTBS系列の青森テレビが放送している。


子どもたちに人気のアニメなわけで、さらにこうしてイベントを開催して、これだけ客が来るのだから、当然に秋田(秋田テレビ)でも放送されているのだろうと思ってはいた。
ところがどっこい。

なんと現在、秋田では「ONE PIECE」が放送されていないという!
しかも、フジテレビ系列局がある地域で、同番組が見られないのは秋田テレビだけ
※フジ系列28局のうち、秋田と大分を除く26局で放送。大分では他系列局が放送しているため。

Wikipediaによれば、秋田でも2006年9月までは放送されていたが、途中で打ち切ったらしい。
同じ時期に、フジ系列の長野と富山の局でも打ち切ったそうなのだが、ストーリーがまだ続くのに途中で打ち切られたことに対して、苦情や放送再開の要望が多く、この2局では今年から放送を再開しているそうだ。


見ようと思えばCS放送やBSフジ(1年~5年遅れらしいが…)でも見られるし、秋田では放送中断に際して苦情や要望がどうであったのかは知らない。
個人的には、青森放送が「ちびまる子ちゃん」、秋田朝日放送が「あたしンち」の放送を打ち切った時は、何で突然止めるんだと、腹立たしくなった記憶があるから、地方局ではままあることではあるのだろうが、秋田の「ONE PIECE」視聴者の気持ちは分かる。

ともかく、「ONE PIECE」を秋田で放送しないと判断したのは、当然、秋田テレビ自身の判断。(スポンサーや出資者の意向もなくはないかもしれないが)
放送しないことはいいとしても、秋田では放送していない番組の関連イベントを平然と開催(しかも単独で主催)してカネを取ろうという魂胆はいかがなものだろうか。
上記の通り、僕は「ONE PIECE」に何の思い入れもないが、それが気に食わないというか、AKTの神経を疑う。
番組あってのイベントであり、番組に関連したイベントを開催するのなら、その前にその番組の放送を再開するべきだ。AKTはイベント会社ではなく、テレビ局なのだから。

それにしても、原作漫画のほか、映画やゲームなど、秋田でもONE PIECEに触れる機会は皆無ではないとはいえ、いちばん気軽に見られるメディアはテレビアニメだろう。
そのアニメがない地域なのに、イベントにはけっこうな入場者がいるとは、恐るべし! ONE PIECE。
だったら、秋田テレビも放送すればいいのに…



これ以外にも、秋田テレビでは、最近特にイベントに力を入れている気がする。
年1回のプロ野球は昔からでよそでもやっているが、コンサートとか飲食のイベントなどもやっている。それをCMはまだいいとして、ニュースの中で扱うのにはなんだかなぁと思ってしまう。
「○○のチケットが今日から発売され、AKT本社には良い席を求めようとする人たちが早速訪れ、チケットを購入していました」と、前売り開始日にAKTの玄関に数人が並んで、座席表を見ながらチケットを買う光景が映るのは定番。
さらに、「開催を明日に控え、準備が行われています」「今日から始まりました」「今日が最終日です」と、1つのイベントに付き何度もニュースになってしまうのもざら。

「仏作って魂入れず」ということわざがあるけれど、これでは「イベントやって番組放送せず(←語呂が悪い)」ということか。
現代におけるテレビというメディアの位置づけ、地方のマスコミの経営状況等、厳しい立場にあるのだろうが、テレビ番組を放送するから「テレビ局」だと思うのですが。


※ONE PIECEと秋田には、こんな関係があるそうです。
※AKT主催のプロ野球についてはこちら

【2013年5月10日追記】秋田でのワンピースはその後、2013年5月5日から放送が始まった(中断を挟んで588話から再開した形)。フジテレビから42日遅れの日曜6時30分からの放送。
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十和田観光電鉄線

2011-08-17 22:35:20 | 津軽のいろいろ
※この記事の内容は津軽地方のことではありませんが、便宜上「津軽のいろいろ」カテゴリーにします。
十和田市からの帰り道。※前回の記事
今回は「東北ローカル線パス」という、東北6県のJR東日本全線と私鉄・第3セクター鉄道のほぼ全社・全路線の普通列車が、2日間3000円【9月14日訂正】3日間6000円で乗り放題のきっぷを使った。
これを使って十和田市と青森・秋田方面を行き来するには、私鉄「十和田観光電鉄(とうてつ)」の鉄道路線を使うしかない。(他には以前紹介した、新幹線+バスや直通バスがある)

行きもこの経路を使おうと思ったのだが、あまりに接続が悪くて新幹線経由にしたのだった。
帰りは待ち時間も多くないし、乗ったことのない路線だし、何よりも追加料金がかからないので利用してみることにした。

十和田観光電鉄は、三沢駅と十和田市駅を結ぶ14.7キロの路線。途中駅は9つで、26~27分かけて走る。三沢-十和田市間の運賃は570円。
電化されているので、気動車(ディーゼルカー)ではなく電車が走っている。もちろん2両編成でワンマン運転。
地方において、第3セクターでなく私鉄が存在し、それがディーゼルカーでなく電車が走るのは珍しいが(秋田には存在しない)、よく似ているのが、弘前の「弘南鉄道」。
弘南鉄道の弘南線(黒石方面)、大鰐線とも、距離や所要時間もほぼ同じで、電車が走っている。


とうてつの現在のダイヤは平日と土日祝日の2本立て。1時間~2時間に1本の割合。
おおむね6時台から21時頃にかけて、平日17往復、土日12往復が運転されているが、両ダイヤで時間がまったく違い、しかも等間隔でないので、とても分かりにくい。
等間隔でないのは、三沢駅での青森・八戸方面との接続に配慮しているのかと思ったが、そういうことでもなさそう。(後日、また取り上げるつもりです)
以前はもう少し本数が多く、乗客が減ってこのようなダイヤになったと聞いているが、これではますます客離れが進んでしまいそう。三沢での接続を重視するか、でなければ弘南鉄道のように「毎時00分発」などの、パターン化したダイヤにするべきだと思う。


というわけで、日曜日の9時40分十和田市発の電車に乗ることにした。
前回紹介したとおり、とうてつ駅ビル店の2階、バスターミナルの上に駅がある。
バスターミナルから改札への階段

バスターミナル内の階段の上り口。アイコンの電車の図柄が違う
階段を上ると、トイレ・券売機・窓口などがあるわりと広めでシンプルな駅施設(かつてはダイエー2階への出入り口もあったはず)。改札口に駅員が立っていた。
このような構造のため、「駅の正面入口」とか、「駅名の看板」などは存在しないはず。

実は、駅ビル・バスターミナルと線路・ホームとの間には、道路と川がある。
この川、幅数メートルなのだが、あふれそうな雰囲気で流れていた。
道路上から撮影。橋のすぐ下に水があり、流れが速い
でも水はきれいで、大雨で増水しているのとは雰囲気が違い、ヘンな川だと思っていたのだが、これは「稲生川(稲生川用水)」と呼ばれる人工河川だった。
今から150年ほど前、南部藩士・新渡戸傳(新渡戸稲造の祖父)らによって造られ、長さ約40キロ。

改札からまっすぐに伸びた通路(屋根・ガラス張りの壁つきの橋)で道路と川を越える。
通路から。左が駅ビル(駐車場)、右奥の電車が置いてある先で線路が途切れている

通路の突き当たりで階段を下りるとホーム。ホームは1本だけで、ホームのすぐ先に電車を置いておく線路(留置線=上の写真の電車がいる所)はあるが、線路はそこで行き止まり。
「川沿いに1本だけある行き止まりホーム」といえば、弘南鉄道大鰐線の土手町の「中央弘前駅」を思い出した。(古さや配置は異なる)
ホーム。右が稲生川と駅ビル(バスターミナル)

 駅名標と車体側面の行き先表示
行き先表示にある「2009」って何だろう?

ホームと電車。後方に改札とホームを結ぶ通路が見える

さて、この電車、見覚えがありませんか?
弘前の皆さんや当ブログをよくご覧いただいている方には「弘南鉄道の電車と同じ」と思われるかもしれないし、少し前の首都圏を知る方は「昔の東急の電車だ」と思われるだろう。

説明すると、
以前紹介したように、弘南鉄道で現在主に使用されている車両は「7000系」。
7000系は1965年頃に製造された東京急行電鉄(東急)の電車を、1988年頃に譲り受けたもの。

一方、十和田観光電鉄の電車も、東急の中古車なのだが、7000系ではなく「7700系」という形式。2002年に譲渡された。

それにしてもそっくり過ぎるが、実は7000系を改造したものが7700系。
1987年から1991年にかけて改造工事を受けた7000系が“改名”されて、7700系となった。
改造の主な内容は、モーターを制御する方式を最新の「インバーター方式」に変更し、冷房装置を設置したこと。車体(ボディ)自体ほとんど改造されず、7000系をほぼそのまま受け継いだので、そっくりな外観になった。

つまり、元は同じ型の車両だったのを、そのまま改造されていない状態で早い時期に譲り受けたのが弘南鉄道、改造して東急でしばらく使ってから譲り受けたのがとうてつということになる。


弘南鉄道7000系では、車内保温のため、乗客がボタンでドアを開閉できる半自動スイッチを後から設置したが、とうてつ7700系にはなく、駅に停車中は開いたまま。(途中駅は前のドアしか開かないので、不要と判断しているのだろう)
7700系車内
運賃箱、整理券発行機などのワンマン運転の設備が追加されている。
ドアの部分に緑色の玄関マットみたいなのが敷かれているのがおもしろい。
車内が濡れて転倒するのを防ぐためだろうが、JRの701系電車では見栄えがスマートなシート状のものを貼っている。弘南鉄道ではどうしてたっけ?

車内は、(パイプでなく)網状の網棚(荷棚)や扇風機(冷房の補助として7000系のものを残しているらしい)は古さを感じる。
でも、座席の生地は、弘南鉄道7000系みたいなエンジ色からオレンジ系に替わっており、途中にひじ掛けがあるなど、少し今風。

この日は、節電とそれほど気温が高くなかったため、冷房・扇風機とも停止し、開いた一部の窓からの風だけで、充分快適だった。(今頃、冷房のない弘南鉄道は暑いだろうな…)
車内の蛍光灯は約半分が点灯。

この電車の正面には、ピンク色の「織姫」というマークが付いていて、車内には七夕飾りがあった。
これは、7月1日から7日まで運行された「七夕電車」。もう1編成「彦星」号もあるのだが、十和田市駅の留置線にいた7700系がそれ(青いマークが付いていた)。
吹き流しや笹飾り・短冊が

さて、以前も紹介したように弘南鉄道7000系では、つり手(つり革)が東急当時のままで使われており、弘前なのに「東急食堂」「東横のれん街」といった広告(しかも古い)が揺れているのが特徴的だった。(現在は、リンゴをデザインしたものに交換された車両があるらしい)

とうてつ7700系では、
薄れて分かりにくいけど「TOKYU」、東急百貨店
7700系に改造される時にでも交換されたのか、弘南鉄道とは、つり革自体が違う(紐が短い?)が、広告のデザインも違って少し新しそう。弘南鉄道のは漢字で「東急百貨店」だった。さすが10年前はまだ東京を走っていた電車だ。
もう1種類は弘南鉄道では見なかったもの。
「心を満たす時がある 複合文化施設 Bunkamura」
Bunkamuraは、渋谷にある東急系列の複合文化施設。1989年オープンだから、7000系が弘南鉄道に譲渡された時点ではまだできていなかったようだ。
【20日追記】弘南鉄道7000系のうち、弘南線(黒石方面)用の車両には、Bunkamuraの広告のある車両があるらしい。1990年に譲渡された車両のようなので、広告設置後すぐに弘前へ来たのだろう。


電車の乗客は10人前後。9時40分発のこの電車の1本前は、8時05分だから、1時間半空白があったのに、この程度の乗車というのは寂しい。
発車する時に聞こえる機器の音は、インバーター制御独特の音で、都会的&現代的。(メーカーや設計が異なるので、JRの電車ともまた微妙に異なる)
線路は大部分の区間で稲生川と青森県道10号線に並走する。車窓風景としては田んぼが多い気がしたけれど、秋田や津軽のとはどことなく違う。牧場もあって、馬がいた。

途中駅はすべて無人駅。十和田市寄りでは、北里大学や高校の名を冠した駅が3つある。弘南鉄道でもそうだが、通学需要が重要なことを示している。
地名にちなんだ駅は、「高清水」と書いて「たかしず」、「古里(ふるさと)」、「七百(しちひゃく)」など、由来が知りたくなるような駅も。
【2013年1月22日補足】高清水には、秋田などにも流通している醤油メーカー「ワダカン」の本社がある。
三沢の1つ手前は
「大曲(おおまがり)」
大曲という名の駅は、日本中で秋田県大仙市とここ(六戸町)の2つだけ。(以前は北海道の仮乗降場にも存在したらしい)

高校生や親子連れが途中駅で降りた(計5人くらいか)ほかは、全員三沢まで乗車。途中から乗ってきた人も5人くらいだったろうか?
最後は「古牧温泉」の敷地をかすめて、三沢駅に到着。
三沢駅ホームも行き止まり式
それほど変化に富む車窓というわけでもないが、のんびりと楽しめた路線だった。


降りた三沢駅舎(十和田観光電鉄部分)はとても味のあるものだった。三沢で乗り換えた先のことなどと合わせて、また後日

※その後、この鉄道が存続の危機にあることが分かった。こちらの記事にて。
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古い信号機

2011-08-16 23:51:36 | 秋田のいろいろ
8月20日は「交通信号機の日」ということで、信号機ネタを。※昨年の記事
昨年は38年前の信号機を紹介したが、秋田市内にはほかも古めの信号機が若干残っている。
その多くは、交差店内の歩行者用信号機の一部だけが交換されずに生き残っているような状況なのだが、1か所だけ、交差点内の車両用信号機のすべてが古いまま残っている箇所があった。(←過去形です)

それが、新国道(という名の秋田県道56号線)の
「八橋大畑(やばせおおはた)」交差点
新国道と狭い市道が交わる交差点。
左が市道側信号機、右が新国道側
今の秋田では数を減らしている横型信号機であることはお分かりいただけると思う。
拡大してみると、
市道側
市道側は各方向に1台ずつ、計2台がこのタイプ。

新国道側
背中合わせの両面設置×2箇所、計4台。
2本のアームのうち、下のアームの角度が現在のものよりも大きく開いていて、全体として大きな二等辺三角形に見える。
当時は、道路上に大きくせり出すような長いアームの場合、このくらい広げないと技術的に支えられなかったのだろうか。

新国道側と市道側で信号機の雰囲気が少し違うが、それはレンズ(点灯する部分)のサイズが違うため。
新国道側が直径30センチ、市道側が直径25センチのようだ。(ボディサイズは同じで、レンズだけ大きさが異なる)
※秋田県警では、狭い道には25センチのタイプを設置することがあった。現在のLED式はすべて30センチ。
歩行者用信号機も、ほとんどが車両用と同時期製と思われる古いものだった。

銘板が見られないので、製造時期やメーカーは推測するしかない。(今にして思えば、歩行者用の方だったら確認できたかもしれないが、見ていなかった!)
メーカーはどちらも「日本信号」製のものだと思われる(当時の信号機は、メーカーによってデザインにかなり差があり、区別しやすい)
製造年については、昨年紹介した1972年製の歩行者用信号機(これも日本信号製)は、フード(庇)の内側が白かった。しかし、これは現在の信号機と同じく黒い。
したがって、1972年よりは後の製造ではないかと考えられる。


上の写真で分かるとおり、これらの信号機のボディはかなり錆びている。
秋田県警では、昭和50年代中頃まではこのような鉄製の信号機が採用されていたと思われる。(現在の信号機はアルミ製なので、錆びることはない。塗装がはがれることはあるみたいだけど)
鉄製信号機が主流だった僕が子どもの頃は、秋の気候のいい時期などに、赤いさび止め剤を塗ってから再塗装するメンテナンスが行われていたものだが、最近は手入れせずに使い倒して交換する方針らしく、このように長きに渡って痛々しい姿をさらしていた。
ほぼ同型(25センチの方)のものが、数年前まで大町地区の狭い道(ニューシティ裏など)に設置されていたが、腐食が進んで穴が開いたようなものもあり、不安を感じるものもあった。これもそれに近い状態。


新国道でも、八橋大畑交差点だけがこのような古い信号機で、両隣をはじめ他の交差点はこれよりは新しい信号機が設置されている。
秋田県警では、信号機を更新する箇所の選定をテキトーに決めてるんじゃないかと僕には見えてしまうほど、バラバラに更新される傾向があるので、単に運よく生き残っていたのだろう。

しかし、新国道では歩道の改良工事が行われており、八橋大畑交差点も工事にかかっていた。この工事がされた他の交差点では、信号機が更新されており、八橋大畑へもついにその手が忍び寄ってきた。
(ほとんど通らない箇所なので、いつ更新されたか分からないのですが…)
7月に通ったら、
更新されていた
車両用・歩行者用ともLED式に更新されていた。車両用はもちろん縦型で、見やすい「面拡散型」のLED。歩行者用は薄型。フードはいずれも長い従来タイプ。
信号が設置される柱(信号柱)も交換されたが、「八橋大畑」の表示は引き続き使用。
※以前から比較的新しい電球式の歩行者用信号機も一部設置されていたが、それは残った。
※これと同じ頃に製造された、京三製作所の信号機について


もう1つも古い信号機について。
仲小路
以前紹介した仲小路の明徳館ビル前の信号機。
1984年製(これも日本信号製)で、当時としては珍しい、デザイン化・カラー塗装された信号機だった。
ここ数年でほとんどが更新されたが、明徳館ビル前の交差点のうち、柱1本の歩行者用信号機2台だけが、まだ使われている。
車両用は再開発工事開始後に撤去されてしまった

秋田県の入札公告によれば、この交差点の信号機を更新する工事が発注されるようだ。
したがって、この信号機も間もなく撤去されてしまうことだろう。(再開発が終わってからやればよさそうなものだが)
おつかれさまでした

ところで、この信号機や八橋大畑にあったような信号機に関して、子どもの頃にとても気になっていたことがあった。
 (再掲)仲小路にあった車両用
上の写真の青灯のフード内側に、白っぽい細長いものが付いている。
信号が点灯すると、その光を反射して、光っているように見えることがある。
子どもの頃は、これがフードに穴が開いていたり、あるいは絆創膏を貼っているように見えたりして、ナニモノなのか、見るたびに不思議に思っていた。
ニューシティ裏など、日本信号製の車両用信号機にはよくあったようだが、最近の信号機では見かけない。
ここでは歩行者用にもあった
低い位置にあるので、何か文字が書かれているのが分かった。

日に焼けて薄れてはいるが、望遠レンズで撮影すると正体が分かった。
回転して画質補正しています
「注意 レンズ表面の清掃は中性洗剤を含ませた柔らかな布で拭き,その洗剤が残らないように水洗いを行なうこと。」

なんと、正体は「お手入れ方法」だった!

家庭用の家電製品などなら、お手入れの手順が表示されていてもおかしくないが、まさか信号機にこんなことを表示するとは! 長年の疑問が解決したのはよかったが、意外だった。
ボディのお手入れはどうすればいいのかは書いてないが、点灯面が見やすいように維持管理し、事故にならないようにしてほしいという、メーカーの願いが現れていたのかもしれない。

※撤去・更新後の様子はこちら
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ダイエーの面影残る十鉄駅ビル

2011-08-14 22:34:43 | 津軽のいろいろ
※この記事の内容は津軽地方のことではありませんが、便宜上「津軽のいろいろ」カテゴリーにします。
前回少し取り上げた、十和田市中心部にある、私鉄駅・バスターミナルを併設するショッピングセンターについてです。それにはまず、ダイエーの話から始めさせていただきます。

大手スーパー「ダイエー」。
かつては飛ぶ鳥を落とす勢いで一世を風靡し、全都道府県に店舗があった(んだよね?)が、10年ほど前に経済状況やダイエー自身の経営不振から、大きく衰退。多くの店舗が閉鎖され、東北地方で現在営業しているのは仙台店だけとなった。
※以下、Wikipediaを参照しました。

秋田県には、「ダイエー秋田店」1店舗しかなかった。
当ブログで何度も紹介している、解体された秋田市大町二丁目の「秋田ニューシティ」の核テナントとして、1981年6月4日から2002年8月31日まで営業していた。
土地や建物は辻兵(つじひょう)など他企業の所有だったが、ダイエーの店舗自体は、本社が直接経営する直営店だった。
※ダイエー秋田店撤退後に「秋田ニューシティ」という名称になったと誤解されている方がいらっしゃるようですが、ダイエーがあった当時から建物は秋田ニューシティという名称だった。


一方、青森県には、ダイエーがいろいろあった。
個人的には、弘前駅前の「ジョッパル」の核テナントだった「ダイエー弘前店」しか知らない。(1994年3月4日~2005年10月31日)
たしか当初は秋田店同様、本社の直営だったが、途中から「ショッパーズ弘前」という子会社ができて、その経営になった。
ダイエー弘前店についてはこの記事参照

Wikipediaによれば、青森県内には弘前店の他に8つもダイエーがあったそうだ。
三戸町、むつ市(2店舗)、三沢市、十和田市、五所川原市近隣の3店舗。人口が多い青森市や八戸市には店舗がなく、さらにいずれも弘前店よりもずっと前から営業していると思われ、大都市よりも小さな町に展開していた傾向があると言えそう。
その理由は、直営でない店舗が多かったからかもしれない。

2002年に閉店した「三戸ダイエー」はダイエー系列の子会社経営だったようだが、それ以外は、地元企業がダイエーとフランチャイズ契約を結んで経営していた。
五所川原周辺3店舗は、「野宮」という北津軽郡中泊町の企業が経営していたようだ。
僕は、たぶん金木町(現在は五所川原市に合併)にあった店の前を1度だけ通ってちらっと見たことがあるはずなのだが、(秋田店や弘前店と比べれば)これが同じダイエーかと疑ってしまうような、小さな“町のスーパー”のような店構えに見えた。秋田で言えば昔あった「マルナカ」みたいな。
2006年に契約を解消、現在は「スーパーストア」に社名を変え、引き続き同じ場所でスーパーを営業している店舗もあるようだ。

むつ市の2店舗は、「むつショッピングセンター」が経営していた「むつ中央店」と「田名部店」。
2005年に同社が破産し、突然閉店したとのこと。

そして、三沢市と十和田市の店舗は、鉄道・バス会社「十和田観光電鉄」が運営していた店舗。
店舗名は「とうてつ三沢店」「とうてつ駅ビル店」で、「十和田観光電鉄」の略「十鉄(とうてつ)」が入っているのが特徴。
三沢店は不明だが、十和田市駅併設の駅ビル店は1985年10月28日にオープンした。
両店とも2003年にフランチャイズ契約を解消(ダイエー本体の経営再建の一環と思われる)し、「商品供給契約」に変わった(店舗名はダイエーのままだった模様)。
2006年3月にはそれも解消され、ついに「ダイエー」ではなくなった。(東北地方でも、仙台店以外でいちばん遅くまで残ったダイエーではないだろうか)
2006年4月からは、「とうてつ」という名の独立したスーパーとなったが、同年12月に三沢店を閉店、2007年3月には駅ビル店も閉店し、十和田観光電鉄はスーパー事業から撤退することとなった。

秋田店があった当時、その折り込みチラシは、むつやとうてつの店舗や岩手の盛岡店と共通の内容であることが多かった。(なぜか弘前店と共通のことはあまりなかったように思う)
チラシの隅の方に適用店舗が記載されているが、そこに「秋田店」や「盛岡店」とともに、「とうてつ」という変わった名称や、「FCむつ中央店」といった「FC(フランチャイズ)」表示があって、珍しいなと思って眺めていたものだった。【上記弘前店についての関連記事に画像があります】


そんなわけで、我々東北地方在住者などには、縁遠い存在になってしまったダイエー。
旅先でたまにダイエーに入ってみるが、懐かしいというより初めての店に入ったような気持ちの方が強い。
イオンや丸紅の資本が入って商品構成が変わったこともあるだろうが、ロゴマークの変化によるところも大きいと思う。
(再掲)在りし日の秋田ニューシティとダイエー秋田店のマーク
秋田や青森に店舗があった当時のダイエーのマークは、オレンジや緑色の左下が欠けた円。
「Daiei」の「D」と上弦の月(これから満月に向かっていく)をモチーフにしたそうで、1975年から使われていたという。
経営再建の中で、2005年に新たなマークが作られた。文字も全部小文字で丸い「daiei」に変わった。マークがオレンジ色なのは同じだが、なんか不安定そうな形(ハートをイメージしたらしい)で、弱弱しそうで、以前のような力強さを感じない。

現在営業中の店舗はおそらくすべて新マークに替えられたと思われる。
1980年代の、街中が賑やかで活気にあふれていた時代を象徴するかのような、「D」マークはもう見られない。

と思っていたら、青森県十和田市で見ることができるのです!
それが、現在はショッピングセンター部分はほぼ閉鎖されている、とうてつ駅ビル店。以下に紹介します。
※以下、一部写真は悪天候や節電のため暗い場所で撮影したものがあります。
とうてつ駅ビル店正面
建物の正面には、それなりの台数を収容できる駐車場があり、今も開放されているようだ。
僕が訪れた、土曜の夕方・日曜の朝とも、けっこうな台数が駐まっていた。
ただし、ここは営業していないショッピングセンターだし、近隣にいくつかある店舗(スーパー、家電量販店、ホームセンターなど)は、いずれも自前の駐車場を持つ。だから、そんなに駐車場の需要はないはずなのに、なんでこんなに駐まっているのか、謎。

これをご覧ください。
屋上の看板(ルーフサイン)
なんというか…

ここがダイエーだった当時は、他店と同じ、上限の月の「D」マークだったはず。(下の文字の部分は、今と同じ「とうてつ」だったと思う)
ダイエーとの関係がなくなった際、このマークに変わったようだ。
旧ダイエーマークの書けた部分を足して円にしたというか、円の左下にスパッと切れ目を入れたマーク。色もオレンジと緑で同じ。
どういう意味なのか知らないが、ダイエーへの未練を感じてしまうのは、僕だけだろうか。

工法としては、欠けた部分だけを継ぎ足したわけではなく、全体を新たに張り替えたように見える。

道路上の駐車場入口看板
これは、上部のマーク部分全体を重ね貼りしていて、色は赤みが強い。(裏面も同色)
「とうてつ」の下の方の文字の左に、「FC」の文字を消した跡が見える。フランチャイズを解消した時点で消したのだろう。

【2020年9月8日追記】「とうてつ」のロゴの書体について。当ブログ「文字」カテゴリーを設けたように、書体の知識が少し増えたので…
昭和末頃によく見かけた書体だと思っていた。これは写研製「ファン蘭」という書体を、やや扁平にしたものだと思われる。現時点では写研の書体はパソコンでは扱えないため、使用機会は激減している。
1981年に発表された書体だそうで、できて間もない書体を採用したようだ。
株式会社写研のロゴが先にあり、それを元にした書体だそう。「任天堂」のロゴも同じ作者による似たデザイン。(以上追記)


建物は、白い外壁の2階建て。
正面入口。現在は特に表示類はないようだ
車だけでなく、歩く人も駐めてある自転車も、なぜか多い気がする。
正面入口右には、
みちのく銀行と郵便局
みちのく銀行は「十鉄駅ビル支店」という店名。銀行の公式サイトによれば、店舗名の読みは「トオテツエキビル」。
たしかに、「十」は「とお」と読むが、「とう」とは一般には読まないはずなので、電鉄側の「とうてつ」と読ませるのは、正しくないとも言える。
でも、振込みを行う際などに必要だろうし、ビルが「とうてつ」で、入居するテナントが「とおてつ」なのは紛らわしい。

郵便局は「十和田東一番町郵便局」。
JR駅にある郵便局なら、「○○駅内郵便局」とか周辺にあれば「駅前郵便局」という局名なものだが、私鉄だからか、駅名は無視されてしまっている。

なお、みち銀、郵便局ともATMは土日祝日も稼動。
青森銀行は少し離れたところに支店があるが、駅ビル内に共同ATMはある模様。

正面入口脇には、縁が錆び、印字が薄れた「店内ご案内」が残っていた。
見づらいのでトーンカーブ等の画質調整をしています
左上に旧ダイエーマークが残っている。
2階建てとはいえ、衣料品のプライベートブランド「愛着仕様」コーナーやフードコート、ファミレスなどもあり、一通りの店舗は揃っていたようだ。【2022年12月18日愛着仕様について追記・愛着仕様は1980年代中頃に登場したはず。ダイエー秋田店では、開店後何年かしてから、地階に専用売り場ができた。その頃は文房具や食品もあって、「無印良品」を意識していたと思われる。しかし、2000年代中頃までに、婦人向け衣料品のプライベートブランドに絞りこまれ、その時点で取り扱わない店舗もあったらしい。とうてつ駅ビル店では最後まで扱っていたのだろうか。】
1階が「食料品と暮らしのフロア」、2階が「衣料品と住まいのフロア」。2階に「レコード・テープ」売り場があるのが時代を感じさせる。
1階の一部
下中央が正面入口。左の青い部分がバスターミナル。
現在営業しているのは、金融機関、「ツーリストサロン」とある電鉄の旅行代理店や事務所、売店、立ち食いそば屋程度。
通路として開放されているのも、中央入口からバスターミナルに至る部分だけ。
入口の自動ドア
ここにも
旧ダイエーマーク
隠そうと思えばテープを貼って隠せるのに、堂々と目に付く場所に残しているということは、やっぱりダイエーへの未練がある?
秋田店では、ドアにはダイエーマークはなかったはず。
シャッターが降りた通路
シャッターの向こうは、ファストフードや食品売り場だったはずだが、降りたシャッターにはポスターが貼られて掲示板代わり。
通路にはベンチがあり、中学生くらいの女の子やおばさま方が談笑していた。

バスターミナル側は、前回の記事でも紹介したが、「北口」となっている。
1階にバス乗り場、2階には鉄道線の駅があり階段がある(店舗が営業していた当時は、2階売り場からも出入りできたようだ)。鉄道については後日別記事にて。

バスターミナルの一角
ゲーム機がいくつか置かれ、その後ろにショーケースみたいなのがあった。
国際興業グループ一覧
十和田観光電鉄が属する、国際興業グループ企業の一覧。(最新のものではなく、社名変更や脱退などで現状とは異なる)
秋北バス、岩手県交通、花巻温泉、山梨交通、北海道いすゞ(だから系列各社のバスは全部いすゞ製)などは知っていた。
箱根の富士屋ホテルやみちのくコカコーラ・ボトリング(2010年頃に系列でなくなった模様)も同グループだとは知らなかった。
「身近なくらしのパートナー 国際興業グループ」とスロットマシーン
上の写真、海沿いのリゾート地のようだが、どこだろう?

バスがターミナルに入る時、ぐるっとビルの裏手を回ったので見つけたのだが、
「ダイエー搬入口」
傷んでいるが、ダイエーマークははっきりと残っていた。


「ご案内」など各種表示が痛々しい姿をさらして残っているし、建物自体の傷みが激しいように感じた。駐車場の通路に草が生い茂っているのも目立った。
ゴミが散らばっているとか荒らされているとかではないが、5年前に閉店したとはいえ今も毎日人が出入りしているにも関わらず、手入れが行き届いていないような状態で、持て余し気味なのだろう。
それを思えば、先行き不透明のまま残しておくより、秋田ニューシティは、ひと思いに解体してしまって正解だったかなと思ってしまった。

とうてつ駅ビルの今後については、解体して新たな商業施設を作る計画が持ち上がったり立ち消えたりを繰り返しているようで、なんだかよく分からない。
十和田市には、中心部に大きなショッピングセンターはないようだが、郊外にイオンスーパーセンターがあるし、先日紹介した通り七戸十和田駅前にはイオンができる。そんな状況に太刀打ちできる商業施設ができるといいのだけど。


なお、「とうてつ三沢店」の方は、十和田観光電鉄線と青い森鉄道(旧JR東北本線)の三沢駅から1キロほどの場所にある。現在は経営者が代わって「ビードルプラザ」という名称になったものの、ショッピングセンターとして営業を続けている。

※続きはこちら
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十和田市いろいろ

2011-08-13 22:32:56 | 津軽のいろいろ
久々の青森訪問記。
前回の記事
※この記事の内容は津軽地方のことではありませんが、便宜上「津軽のいろいろ」カテゴリーにします。
七戸十和田駅から、バスに乗り換えて十和田市へ。
七戸十和田駅と十和田市を結ぶバスは、「十和田観光電鉄」が1日に12~13本運行している(土日はうち3本減)。
まかど温泉-野辺地駅-三本木営業所(または十和田市中央)間の一般路線バスのほか、新青森駅前-三本木営業所の中距離の路線の一部便も利用できるようだ。所要時間30分(一般路線バスで七戸十和田駅-十和田市駅)、630円。

バスはおおむね1時間に1本あり、東京・仙台方面の新幹線とは、30分程度の待ち時間で連絡があるものがほとんど。
しかし、新青森方面の新幹線との接続は悪く、1時間近く待たされるのがざらだし、夕方には1時間半待ちのものもある。
※七戸十和田駅と十和田市間のバス時刻は、十和田観光電鉄のサイトや十和田市のサイト(「交通アクセス」のページ)に掲載されています。
なお、早朝・深夜には1500円の「定額制乗合タクシー(夜ぷらす・朝ぷらす)」が運行されているようだ。

十和田市の公式サイトでは、このルートが青森市から十和田市への唯一のアクセス手段として紹介されているので、もう少しダイヤに配慮があってもいいと思う。(実際には、上記青森からの直通バスや後日紹介するつもりの三沢経由で青い森鉄道・十和田観光電鉄を使うルートもある)


(以下、あまり写真がないです)
七戸十和田駅前のバス乗り場で待っていたのは、僕ひとりだけ。定刻より3~4分送れて、バスがやって来た。
十和田観光電鉄のバスは、かつては赤と白のオリジナルの塗装(近隣の南部バスの塗装とも似ているかな)があったようだが、10年ほど前から、系列である国際興業グループ共通の塗装(秋田の秋北バスなどと同じ)に変わっているという。
今回見かけたのはすべてその国際興業の塗装だった。
国際興業の塗装には、色合いが違う新旧の2種類(新しいほうが明るい)があり、秋北バスでは最近は新しい方がだいぶ増えてきている。しかし、十和田観光電鉄バスを見た限りでは、全車がヨモギ色みたいな旧塗装だった。

そして国際興業グループ各社は、いすゞ製の車両が多く、今回乗ったのも1世代前のいすゞ製大型路線バス「LVキュービック」。
弘南バスや羽後交通のように、前のドアしか使用しない(前乗り前降り)にも関わらず、中央にもドアが付いていたので、よそのバス会社のお下がりらしい。(おそらく国際興業本体の中古)


七戸十和田駅前で降りた客もおらず、僕が乗ったらすぐに発車。整理券は「22」番。初乗り運賃は140円。
車内には若者や年配の人が5人乗っていた。

バスは七戸十和田駅前に寄るために国道(4号線バイパス)を外れて来た形で、(たぶん)来た道を戻ってバイパスへ復帰。そしてすぐにバイパスでない国道4号線に入り、七戸町の中心部を抜け、十和田市内へ。

七戸町の中心部は、車窓から見る限り、よくあるちょっと寂しい東北地方の小さな町の光景だったが、国道は違った。
緩やかなアップダウンのある道やまっすぐな道が繰り返され、信号待ちはほとんどなくてひたすら走る。かつて北海道の帯広周辺で牧場と林の中を延々と走る路線バスに乗ったことがあったが、それを小規模にしたような雰囲気だった。

七戸十和田駅より手前から乗っていた乗客5人のうち4人が七戸町中心部で降りてしまう。
残りの1人と、七戸高校前から乗った高校生2人は、七戸町と十和田市の境目辺りまでで降りた。
七戸町中心部から乗った年配の女性1人と僕だけが、十和田市駅まで乗った。
こういうぱらぱらと乗り降りがある利用形態も、北海道に似ている気がした。(東北では、市街地と住宅地の行き来が多く、途中から乗って途中で降りることはあまりない)

十和田市内に入ったバスは、市中心部を抜けて三本木営業所まで行く。今回降りた十和田市駅前は途中停留所だが、ターミナル的位置づけのバス停。
十和田市駅は、バスと同じ会社「十和田観光電鉄」の鉄道路線の終着駅。
1985年にできたショッピングセンターと駅とバスターミナルが一体化した構造の建物なのだが、肝心のショッピングセンター部分は4年前に閉鎖されてしまっている。
現在は、大きな建物にバス乗り場と小さな駅があるといった感じ。しかも4年前に閉鎖されたとは思えないほど建物が傷んでいるような気がした。一時、建て替える再開発計画もあったが頓挫してしまったらしい。なんとも寂しい町の玄関口という印象を受けてしまった。

ショッピングセンター跡については後日、別記事にするつもりなので、ここでは簡単に紹介します。
バス乗り場部分(右のドアの外にバスが横付けする)
よくあるショッピングセンター併設のバスターミナルとは構造が違っており、ショッピングセンターの通路から各乗り場に面したドアがそれぞれ付いている造り。ドアを開けるとすぐバスの「ホーム」があり、そこにバスが乗り付ける形でちょっと変わっている(うまく説明できませんが)。
ホームから見たバスが通る部分。歩行禁止ではないようだが、ここを歩くのは危なそう
バスが接近するのが分かりづらいが、悪天候時なども快適に待つことができるし安全ではある。

バスターミナルの時刻表
これで全路線全便。
特に休日はかなり本数が減るようだ。
バス会社の経営も厳しいのだろうが、広大な面積の十和田市における移動手段としては心もとない。

ショッピングセンター側
売店や電鉄の事務所などはあるが、かつて売り場だった場所のほとんどはシャッターが降りていて、単なる通路的としてしか使われていないようだ。
上の看板にある「とうてつ」とは十和田観光電鉄の略「十鉄」の読み。
かつてはダイエーと電鉄がフランチャイズ契約をした「ダイエーとうてつ駅ビル店」だったのだ。赤いマークのことなど詳しくは後日。(この記事末尾にリンクがあります)

駅(バスターミナル)の中にも街中にも、案内地図なども見当たらず、適当にウロウロしてホテルにたどり着いた。
十和田市中心部のアーケード。空き地もあったが、秋田の広小路よりはマシでは?
十和田市は人口6万5千人ほどの街。
知らない人には十和田湖がある町だと思ってしまいそうだが、平成の大合併以前はそうではなかった。
十和田市駅や市役所などがあり人口の半分以上が住む街の中心は、開拓地として成立した東寄りの三本木地区。そこから十和田湖までは直線でも30キロ近く離れている。

2005年に十和田湖町などと合併したため、晴れて十和田湖に面する都市となった。湖畔では秋田県の鹿角市、小坂町と接している。
最近は「十和田市現代美術館」が話題になり賑わっているし、馬産地であるためか北里大学獣医学部(十和田キャンパス)がある。



さて、青森県は、大きく2地域に区分される。
西側の青森市や弘前市がある「津軽地方」と、東側の八戸市や十和田市がある「南部地方(または県南、三八上北とも)」。
青森県といえば県外の人は、リンゴ、ねぶた(ねぷた)、雪国、吉幾三などを連想するかと思うが、いずれも津軽のもの。
南部なら、ナガイモ・ニンニク、八戸三社大祭、やませ、田中義剛といったところでしょうか。

津軽と南部は、気候、言葉、天気予報の内容、車のナンバー、テレビのチャンネルなどなど違いが多く、住民も互いにライバル視する傾向があると言われている。
秋田でも、そうした対抗意識がなくはないのだろうが、基本的にそれほど強いものではないと思う。天気予報だって無理やり沿岸/内陸に分けて発表しているような感すらある。

僕は津軽地方には長年親しんできたが、南部地方は訪れたことさえほとんどなかった。
今回もバタバタとしてしまい、ごくわずかしかいられなかったが、それでも同じ青森県でも津軽とは違うなと思う点が多かった。

まず、上記の通り、南部はどことなく北海道的。
この日、弘前や青森(秋田も)では蒸し暑かったが、七戸町や十和田市ではひんやりとした風が吹き心地よかった。
これが冷たい東風「やませ」なのだろう。八甲田山で遮られて津軽にはほとんど届かない。そうした事情から、南部では稲作よりも酪農やニンニクなどの畑作が盛ん。

次に信号機の向き。
何度も紹介してきたように、積雪地域では、信号機に雪が積もって見えなくなったり破損したりしないよう、車両用の信号機が縦向きに設置されている。(豪雪型設置と呼ぶようだ)
秋田県では、現在は新設・更新される信号機は基本的にすべて縦型。

青森県では、青森市や弘前など津軽ではやはりすべて縦型。南部の七戸十和田駅そばのも縦型だった。
しかし、十和田市内では、
十和田市中心部の新しい信号機
ちょっと分かりづらいが、上の写真の通り、最新型の信号機が横向きに設置されていた。
バスで通った国道4号線上では、たぶん七戸町から十和田市に入ったとたん、横型に変わったと思われる。

七戸や十和田市が具体的にどれくらい雪が積もるのかは分からないが、一般に、南部はそれほど積雪量が多くない。
だから、青森県警では、津軽と南部(少なくとも十和田市)では、積雪量に応じて、導入する信号機のタイプ(向き)を変えているのだろう。
あくまでも基本は横で、雪が多い地域だけ特別に縦にしているという考えなのだと思う。
同様に、岐阜県でも、高山地方だけ縦型で、それ以外では横型を設置している。


それからテレビ局。
地形の関係から、南部地方では岩手県の電波を越境受信できるという。(二戸からの電波のようだ)
青森県にはフジテレビ系列局がないが、そうした理由で南部では同局系列の岩手めんこいテレビを視聴できるので、別段不便はないと聞いていた。
ケーブルテレビもなく、山に囲まれて越境受信もできず、まったくフジ系列が視聴できない弘前に住んでいた者としては、同じ青森県内でそんな格差があるのかと、信じられない気がしていた。
以前、徳島に行った時、大阪圏のチャンネルを越境受信することは体験したが、青森で本当に可能なのか、特に地デジ化後はどうなのか、確かめてみた。

宿泊したホテルの地デジテレビで確認(ケーブルテレビなどではないようだ)。
まず、NHKは青森局のものしか見られなかった。(三重県では、ローカルニュースなどはサブチャンネルで名古屋局の番組が視聴できた)

地デジ化されて、秋田市ではNHK総合がアナログ9チャンネルからデジタル1チャンネル(リモコンキーID)に変わったように、全国的にNHK総合が「1」に統一されたかと思ったが、一部の県では、そうではない。
県庁所在地でアナログ1チャンネルが民放に割り当てられていた地域がそのようだが、青森もそうで、デジタル1は、青森放送(RAB。日本テレビ系列)。NHK総合は3チャンネルに追いやられている。
RABが1番

そうすると、本来日本テレビ系列局が割り当たっている4番は、青森では空きチャンネルのはずだが、
テレビ岩手(TVI。日本テレビ系列)が映った!

5番はテレビ朝日系。青森では青森朝日放送(ABA)
しかも、
9番は岩手朝日テレビ(IAT)!

6番のTBS系は青森テレビ(ATV)。
しかも、
7番は秋田ケーブルテレビの区域外再送信でもおなじみ、IBC岩手放送

以上のように、リモコン番号は青森県の局に本来の番号(1、5、6)を割り当て、岩手県のチャンネルを空いた番号(4、9、7)に割り当てているようだ。
法則性がなく、飛び飛びになっているように見える。
しかし、順送りボタン(チャンネル+/-)で選局すると、たしかRAB→IAT→ABA→IAT→ATV→IBCと、番号順ではなく系列ごとに青森の局→岩手の局と表示・受信したので、分かりやすい。

上の写真の画面を見ると、9チャンネルの岩手朝日テレビのチャンネルが「051-1」と表示されており、5チャンネル青森朝日放送「051-0」の続きの“枝番”扱いになっているのが分かる。TBS系も「061-0」と「061-1」。(日テレ系のRABとTVIは違う)
枝番というかサブチャンネルは、上記のNHKで名古屋と三重の番組を同時放送したり、ニュースの裏で楽天の野球中継をしたり(東北地方でたまにある)といった、同じ局が1つの電波で複数の番組を放送する際に使われる(ただし画質が低下する)。
青森と岩手の場合、キー局が同じだけで別会社だし、見た感じ画質は低下していないから、サブチャンネルとは違うのだろうが、地デジっていろんなことができるもんだ。(それが必ずしも便利とは限らないけれどね)
民放ではサブチャンネル編成をほとんど行っていないからこれいいのだろうけど、もし、サブチャンネルを実施したら、上記チャンネル番号はどうなるんだろう? 下にズレて「-2」とか「-3」になるんだろうか?
【2022年7月2日追記・サブチャンネルと枝番は別物とのこと。サブチャンネルは数字3桁目の違い、枝番は3桁の次の数字。枝番はあくまで「枝番」のようだ。】


そして、リモコン番号「8」が、
フジテレビ系列「岩手めんこいテレビ(mit)」
青森でも地デジでフジテレビ系列局を見られることを、たしかに確認した。

南部地方では、めんこいテレビは一定の視聴率があると思われる。
でも、他の岩手の局(TVI、IAT、IBC)はどれだけ見られているのだろうか。気象情報では、青森の予報も表示しているし、青森でネットされない一部の番組を視聴したいという需要もあるだろうけど、大部分は同じ番組なのだから。


ところで、地デジでは、画面右上に、薄く各局のロゴマークなどが表示される(ウォーターマーク)。
青森テレビでは、
これ
これは青森テレビのキャラクター「山田じん子」。名のじん子は、同局のコピー「ハートにジンジン、ATV。」にちなみ、姓の山田は、山田花子に何となく似ているからとのこと。
ウォーターマークが人の顔って、珍しい。

意気揚々と行ったわりにはこの程度で申し訳ないですが、十和田市の話題でした。後日、十和田市駅ビルや十和田観光電鉄の鉄道線の話題などをアップするつもりです。こちらです。
コメント (6)
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