広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

集合煙突

2012-04-30 23:46:57 | 秋田のいろいろ
冒頭の写真のように、秋田市新屋の市立秋田西中前の歩道橋の上から、直線で500メートルほど離れた市立日新小学校の校舎が見えた。(校舎左に見えるとがったものは、風力発電の風車)

日新小は、雄物川対岸の秋田大橋北詰からも見える。
1.3キロほど離れている
以前紹介したように、新屋地区は海の近くが丘陵になっていて、その東側(海と反対側)斜面に日新小が建っている感じ。
坂の下に校舎が建っているような気がして、その時の記事では「4階といっても高さとしては3階建て並みだろうから、眺めはさほどよくなさそう」としていた。
でも、このように平地(低地)から見ると結構目立っているので、やはりこの辺りでは「頭ひとつ」高い建物で、海と反対側の眺めはそれなりに良さそう。

さて、その日新小の校舎。
歩道橋からの写真を拡大
屋上に「柱」のようなものが1列に並んでいる。
(再掲)下から見ると、正面の校舎に3本見える

もう1つ、
旧山王中校舎(2003年6月撮影)
上の写真は、市立山王中の先代校舎の解体途中の姿。東側の一部だけを先に解体し、残りの部分を使用しながら、現校舎の建設が行われた。
1967年にできた先代校舎は、秋田市立の学校では初めての4階建て校舎だったそうだ。日新小より5年くらい古いことになるが、写真のようにグラウンドから校舎南・東側を見ると、よく似ている。
山王中の屋上にも、やはり柱状のものが並んでいて、日新小より本数が多い。


屋上の柱は、日新小や山王中に限らず、秋田市立の学校の古い校舎にはほぼ必ずあった。それだけでなく、特に同年代の寒冷地の大きな建物(学校や集合住宅)では、よく見られたらしい。これの正体をご存知でしょうか?
僕はすっかり存在を忘れていたが、写真を見ていたら、突然その名前を思い出し、子どもの時は漠然としか認識していなかったその構造も理解できた(ような気がした。間違っていたら教えてください。)

この記事のタイトルから分かってしまったかと思いますが、その正体は「集合煙突」。(正確には「集合煙突の先端部分」)
集合煙突とは「複数の煙突をまとめた煙突」のこと。ここで取り上げる校舎の集合煙突は、教室などに設置された煙突式ストーブの排気のためのもの。かつての校舎では、煙突から排気を外に出すタイプのストーブが使われていた。

校舎の壁の中に縦方向に空間を設け、そこへ各室のストーブの煙突を接続し、まとめた排気を屋上に飛び出した先端部から放出するという仕組み。「ナントカと煙は高いところが好き」ということだ。「校舎自体を煙突として使う」とも言えそう。
屋上に突き出た集合煙突が見られるのは、校舎の教室のある側(南向きや東向き)であることが多い。
各室ごとに窓から煙突を出すのと比べて、教室や学校周辺への煙の害を軽減したり、教室のすき間風防止、シーズンごとの設置・撤去作業の省力化、見栄えの良さなどのメリットがあると考えられる。


山王中では、各教室正面、黒板と窓の間の柱のような部分の天井近くにストーブの煙突を差しこんでいた。

一部解体された山王中の“断面”の写真から、その接続部と、そこからまっすぐ、屋上の集合煙突の先端へつながっていることが確認できる。
4階の天井近くの小さな丸い穴がそれ。真上が集合煙突の先端(つまりこの集合煙突は、接続される教室が解体されてなくなっているので、既に役目を果たしていないことになる)
山王中では、1フロア当たりの教室の数だけ、屋上に集合煙突が出ていた。つまり、単純に1階から4階までの縦方向に重なる教室の分をまとめて排出していたようだ。

一方、日新小では、教室数に比べて、屋上の集合煙突が少なく見える。
1フロアの2教室につき1本くらい?
隣り合った教室の分もまとめて排出していたのかもしれない。
そういえば、集合煙突があった保戸野小の先代校舎では、2つの教室だけ、煙突式ではなくFF(強制給排気)式ストーブが設置されていた。どうしてなのか不思議だった。
考えてみれば、その2教室の上下階は教室ではなく、トイレや給食室などだった。つまり、構造上、集合煙突がないための対応だったのではないだろうか。


かつての木造校舎では、材質上この形式の集合煙突は有り得なさそう。秋田市立学校で初の鉄筋コンクリート造の校舎となった1961年築の土崎中(先代校舎ということかな?)の写真を見ると、ここで紹介しているのと同じような集合煙突が付いている。

時が経ち、寒冷地の校舎の暖房の主流は、煙突式からFF式へ変わったようだ。
FF式は排気と新鮮な空気の取り入れを、1本の「給排気筒」で行うので集合煙突に接続できないし、部屋ごとに給排気筒が出ていても小型で目立たない。そうした理由からか、秋田市ではおそらく昭和50年に入って建設された校舎では、最初から集合煙突がないようだ。(先日紹介した、南中の校舎では集合煙突がなく、各室から給排気筒が出ている)
したがって、秋田市の場合、1961年から1975年頃までの間に建てられた校舎だけ、屋上に集合煙突が突き出ていたと考えられる。

しかし、日新小など集合煙突がある現役の校舎でも、今は壁から給排気筒が出ているので、FF式ストーブに更新されているようだ。集合煙突があっても、その役目を果たしていないことになる。(だったら撤去すればよさそうだが、そうもいかないのでしょう)
なお、他地域では「ペレットストーブ」を校舎の暖房に採用しているところもあり、その場合は、集合煙突が今も活躍しているらしい。


先代の山王中と日新小の間に当たる1969年頃に建てられ、秋田市の現存する古い校舎の中でもかなり古い、旭南小の校舎にも、集合煙突がある。(上記の通りFF化され、現在は使われていないようだ)
旭南小校舎。外壁は数年前の大規模改修で塗り直されたのできれい
日新小や山王中では、それぞれの集合煙突は同じサイズ・形だったが、旭南小は2タイプが混在する。
太いのと細いの(矢印はFF式の給排気筒)
集合煙突というものは、それぞれに接続された煙突の断面積の合計以上でなければならないらしい。太さが違うということは、接続されていた煙突の本数が異なるのかもしれない。


ここまで、集合煙突につながれていたのは「煙突式」のストーブとしてきたが、それは当然、石油(灯油)を燃やすストーブのつもりだった。
かつての学校(に限らず寒冷地のある程度の広さのある場所)では、石油ストーブの中でも「ポット式」というものが設置されていた。
サンポットのカタログよりポット式ストーブの現行機種。昔のとあまり変わらない。タンク付きで1台10万円前後
しかし…
1969(昭和44)年2月10日の「広報あきた」406号に「二月一日から新校舎で勉強」として、同年2月1日から市立土崎小の新校舎が使われていることが紹介されている。現在も使われている校舎。
その中で「市内で初の石油ストーブ暖房」として、「(秋田市の)各小中の冬期間の暖房は、これまで石炭ストーブを使用していましたが、今回市内で初の石油ストーブを採用しました。」「今後新築、改築される学校には、この石油ストーブ暖房を採用していく計画です。」とある。ポット式ストーブが設置された教室の写真も出ている。

ということは、土崎小より前に建っていた集合煙突のある校舎、すなわち土崎中、秋田北中、保戸野小、旭北小、牛島小、山王中などでは、当初は石炭ストーブが集合煙突に接続されており、1969年以降にポット式石油ストーブに更新されたことになる。現存する旭南小も、もしかしたらそうだったかもしれない。(秋田南中の円形校舎はどうだったんだろう? 写真では集合煙突らしきものは確認できない)
団塊世代の方々から「昔の学校は石炭ストーブで、石炭を運ぶ当番があって、寒くて重くて汚れて…」という話は聞いたことがあったが、それは木造校舎だけの話だと思っていた。
昭和30年代後半に建てられた秋田県立高校では重油ボイラーが採用されているから、同時期の市立学校では当然、石油ストーブだと思い込んでいた。(ボイラーにしなかったのは、ボイラー技士の確保や全館を一斉に暖房する必要がないためだろうか)

鉄筋コンクリートの校舎と石炭ストーブという組み合わせたあったとは、知らなかった。

【2015年12月27日追記】集合煙突の内部にアスベストが使用(吹き付けもしくはプレスした断熱材・保温材として)されたものもあり、解体時や破損時の飛散対策が取られているとのこと。
【2017年7月18日追記】2016年10月に文部科学省が全国の学校の校舎のアスベストの状況を調査した結果が発表された。秋田県内では51の学校の煙突(集合煙突のことだと思われる)の断熱材にアスベストが含まれており、うち、湯沢市と横手市の4つの小中学校では、劣化などによってアスベストが飛散するおそれがある状態で使われているとのこと。秋田市立の校舎では、飛散の危険はないということになる。

■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校旭南学区は広い近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎、集合煙突(この記事)
※次の記事はこちら
※弘前市立学校の集合煙突はこの記事後半
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桜満開

2012-04-28 19:56:13 | 秋田の季節・風景
桜が満開になった秋田市。昨日は曇り時々雨で少し寒かったが、今日は晴天で20度を越えた。
雲ひとつない青空(若干くすんだ青空の気がしたけれど黄砂?)で、花見日和。
旭南と楢山の間に架かる刈穂橋から旭川と太平山を見る
だいぶ減ったけれど太平山に雪が残り、草の緑は濃くなってきた。
「雪いだく太平の山仰ぎみて大地にもえる若草よ」
という、「秋田市記念市民歌」3番の歌詞そのもの。
そして手前は2番の「水きよき旭の流れ」だけど、まだ「ケヤキ茂り」ではない。

1番の「花かおる千秋の園」(千秋公園)は賑わっていたそうだけど、そこには行かずに他の場所の桜を紹介します。


2009年2010年にも紹介した、牛島から楢山にかけての太平川沿いの桜並木。
バス通りの太平川橋から下流方向
愛宕下橋の道路開通後初めて見に行ったが、以前は道路予定地部分にあった地元の出店コーナーは、橋のたもとに移動していて、相変わらずなかなかの賑わい。
所々にスイセンが咲く

うまくいけば、桜の向こうに太平山が見えるはずだけど、川が蛇行していてうまくいかない。
東端の百石橋からなら見えるが、歩道の位置とガス管かなんかがジャマで、絵にならない。
トリミングでごまかしてます。奥の山(一つ森公園?)の桜もうっすらピンク色
羽越本線を貨物列車が通ったけど、
写真はこの程度

桜並木そのものは、やっぱり見事。
愛宕下橋から下流方向
おいでの際は、車に気をつけて。


先日取り上げた、市立秋田南中学校
1978年までは、現在地から800メートルほど離れた場所にあった。
その場所は、南中より前は、市立秋田商業高校の初代校地であったり、さらに以前は海岸部に防風林を作った栗田定之丞の生誕地であったりもしたようで、表示や記念碑がある。
現在は、秋田市楢山地区コミュニティセンターや緑地になっている。
町名は、南中にちなんで「楢山南中町(ならやまみなみなかちょう)」。(1967年にできた町名だから、命名当時は、ここに南中が「かつてあったこと」ではなく「現にあること」にちなんだことになる)
その1番地
南側は「楢山街区公園」(いわゆる児童公園)で、敷地内に数本の桜がきれいに咲いていた。
1956(昭和31)年から供用されている公園のようなので、南中があった当時から公園だったようだ。

秋田市の都市公園共通の、擬木の一面を平らにして毛筆で公園の名称を記した表札。
その上に何かある

瓶に桜の小枝
折れてしまった枝か何かを、近所の人がいけたのだろうか。なんとなく風流。



以下、桜以外の話題。
4月上旬の強風によると思われる被害。楢山コミセンのテニスコートのフェンスが、
倒れていた(後ろの建物がコミセン)


風によるものかどうかは分からないけれど、近くの道路の「方面及び方向」の案内標識。
判読不可能
以前から柱がサビサビであり、文字も剥がれかけてはいたが、かろうじて判読はできていた。
それがいつの間にか、文字がさらに剥がれてしまっていた。
なお、書かれていた文字は、左折側が下向き三角(国道のマーク)に「13」、右折の上の文字が「楢山」、下が「登町」。
【5月25日追記】5月24日現在、変化なし。【7月11日追記】7月10日現在、変化なしの模様。【2013年12月10日追記】2013年12月上旬でも変化なし。その後、ついに新しくされた


もう1つ、近くのとある医療機関の駐車場の看板。
「満車の時は第2へ/隣家のとなり」
分かりにくい。
上段は「(この駐車場が)満車の時は、第2(駐車場)へ」という意味。
下段は「その第2駐車場は、この駐車場の隣の隣にあります」と言いたいらしい。

「“隣”家の“となり”」と、漢字とかなで「トナリ」を示しているのが複雑だが、さらに複雑なことに、実はここのお隣さんは「家(一般住宅)」ではなく、お寺。
だから正しくは「お寺を挟んで反対側」、「隣のお寺のとなり」でなければならない。
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新屋の桜と天カメ

2012-04-26 22:38:19 | 秋田の季節・風景
今年は春の訪れが遅いと思っていたら、やはり時期が来れば暖かくなるもの。
秋田地方気象台では、秋田市で4月10日にウグイスの初鳴き、12日にツバメの初見、20日にイチョウの発芽を観測。平年より5日前後遅いものが多いが、ツバメだけはなぜか6日早い。

ソメイヨシノは平年より6日遅く、昨年より1日遅い24日に開花。
通常なら満開まで1週間ほどかかるが、今年はわずか2日後に満開(平年より4日遅く、昨年より1日早い)になった。過去にこんなに早く満開になった記憶はない。連日、平年より5度ほど高い20度前後まで気温が上がったためだろうか。


さて、秋田市内の桜の名所といえば、千秋公園は別格として、楢山~牛島の太平川、高清水公園そして新屋の水路沿いが有名で、いずれも小規模ながらさくらまつりが開催される。
千秋公園より若い木が多かったり、人出がそれほど多くなかったりして、桜を楽しむだけなら、これらの会場のほうがいいかもしれない。

この記事では、意外にも当ブログでは初登場となる、新屋の桜をご紹介します。
「あらやさくら公園観桜会」というイベント名だが、そのような名称の公園はなく、正式には「大川端帯状近隣公園」という。
「帯状公園」というだけに細長い公園で、「延長約1kmにわたり、400本近くのソメイヨシノが咲き誇る」という。

実はこの公園、以前は製紙工場の排水路だった。
現在の西部工業団地の場所には、かつて「十條パルプ」の工場があった。(1940年頃の操業開始で、運営企業は「十條製紙」、さらに古くは「東北パルプ」だった期間が長く、古い秋田市民は旧称のほうが通じるはず)
その排水路は、工場から羽越本線をくぐり、ほぼ真北へ住宅地を流れ、秋田西中脇で県道56号線(旧国道7号線)をくぐり、秋田大橋と雄物新橋の間から雄物川へ流れていた。線路から雄物川までは約1.2キロ。
1986年の工場閉鎖後、1989年から整備に着手し、1997年に公園として指定されたようだ。

排水路当時から、両岸にソメイヨシノの並木はあったが、水はきれいではなかったし、狭い道路から眺めることしかできなかった。
公園としての整備後は、従来水路だった部分にも人が下りられるようになり、散策や遊んだりできるようになり、下から桜を見上げることもできるので、花見スポットとして賑わっている。
当ブログでおなじみの冬の雪まつり会場である羽越本線新屋駅と美術工芸短大を結ぶ遊歩道は、帯状公園と「T」字型の位置関係になり、今はここにもソメイヨシノが植えられている。


この記事冒頭の写真は、羽越本線を背に下流側を見たもの。
かつて水路だった部分の全幅が芝生(水路は暗渠化?)になっていて、散策のほか、子どもが遊んだり、お弁当を広げるグループには特に人気の一角。

下流側へ進んで、
秋田西中前の歩道橋から上流側。右端奥が大森山
西中付近では、かつて排水路だった部分の中央に細くて浅い水路があり、その周辺にブロック敷きの通路やベンチがある。水路は水が枯れていたり汚かったりして、水遊びは難しいかもしれない。
さらに下流
西中付近より下流では、水路が幅広く深くなり、遊歩道とは柵で隔てられている。


写真でお分かりの通り、満開の一歩手前だった。
駐車場はないものの、両岸が交通量の多くない車道であるため、複数の老人施設もしくは親孝行の方々が、車でお年寄りを連れてきて、車に乗ったまま、あるいは車から降りて花見を楽しんでいた。

先日の強風で折れたのか?
大部分の幹が折れてしまった桜が1本あったが、残った細い枝は花を咲かせていた。


ところで、最近、NHKで「秋田市新屋の桜」としてここのライブ映像が流れている。全国放送でも使われたそうだ。
人が出て中継しているのではなく、遠隔操作で動く、いわゆるお天気カメラ、リモコンカメラ、ロボットカメラのようだ。
NHKでは、期間限定で観光地などにリモコンカメラを設置することがあるから、その一環だと思われるが、角館とかじゃなく新屋とは、ずいぶんと思い切った場所を選んだものです。

どこに設置されているのか探してみた。
カメラの位置は、目の前が桜の花といった感じで、樹冠と同じ位の高さ。
ほとんど桜しか映らず、場所の特定はしにくいが、ちらりと見えた水路は下流側の深いタイプだったので、それがヒントになった。
発見!
大きなカメラなので、わりと見つけやすかった。
2階建ての某老人福祉施設の屋上に設置されていた。
反対側から



 
カメラはキヤノン製の「U-4SP」という機種。「汎用ロボカメ(No.1)」「NHK秋田」というシールが貼ってある。
向かって右にある筒状のものはマイクか。レンズの前にワイパーらしきものも見える(左側の黒い縦長のもの)。

「U-4SP」は2002年に発売された「リモートコントロールパン・チルトシステム」の機種で、価格は640万円(当時・税抜)とのこと。現在は後継機種が出ている。
 カメラの下の道路からはこのような光景
このカメラは、360度パン(回転)が可能なようだが、設置位置からして桜並木側しか絵になる映像にならないと思われる。西向きなので、午前中が順光か。夜は明るさが確保できるだろうか。

カメラがある建物の下の道路あるいは公園内の水路沿いの遊歩道にいる人は、カメラに映ってしまう可能性がある。
カメラの前の道路などには、カメラがあることの告知はない。カメラが目に入ったとしても、カメラ本体のNHKのシールは小さく、NHKのものであると気づく人は少ないはず。
まさかこんな地元の人しか来ないような桜並木を歩いていて、その姿が全国放送されてしまう可能性があるとは、思いもしないだろう。

ここで、以前のアルヴェに設置されたNHKのカメラの一件の時と同じことを考えた。
公道や公共の公園を写しているのだから、そもそも、問題はないのだろう。
NHKでは渋谷のスクランブル交差点や仙台駅前の交差点など、人の顔が判別できるような低い位置に、高画質・高倍率ズームのリモコンカメラを設置しているケースもある。
しかし、新屋のここは人通りの少ない住宅地の中なのだし、防犯カメラでさえ「設置・録画していること」を明示するケースもあるご時世。
この設置方法だと、隠し撮りされているようで、あまりいい気がしない。
例えばNHKから近隣の町内会などへの説明などはあったのだろうか。

ついでに、秋田ケーブルテレビが市内数か所に設置して、「道路LIVE情報」を撮影しているカメラも紹介しておきます。
こちらは4:3サイズで画質も悪く(しかもレンズが汚れているし)、広角側でほぼ固定アングル(実は時々、ちょっとだけ動くことがある)なので、人が映っても顔までは判別できない。
秋田大橋茨島側
NHKのよりかなり小さい。
やはりCanon



以前の補足。
雄物新橋の堆雪場(雪捨て場)の雪の減り具合。※3月下旬はこの程度
現在は、
上流側の秋田大橋から。川の水が増えている
橋の下の黒いのが雪。
かなり減って、橋の路面よりは低い位置だけど、まだけっこう残っている。


先日、秋田市内の消火栓の位置を示す旗が、今年は4月になったのに撤去されていないことを取り上げたが、その翌週くらいには、撤去されたような気がしていた。
新屋地区は秋田消防署新屋分署の管轄だと思うが、住宅地の中の消火栓の旗はなくなっていた。
しかし、大きな通りの少なくとも2か所では、まだ旗が残っていた。
風が強くて勢い良くはためく
火災警報機の啓発入りの旗は、まだ1シーズンしか使っていないわけだが、端がほつれている。樹脂系の素材で、耐久性はイマイチのようです。
【5月3日追記】牛島・仁井田など秋田南消防署管内でも、5月1日現在で相当数の旗が残っていた。
【5月25日追記】5月24日現在、変化なし。秋田消防署管内でも残っている。


昨晩から風が強く、今日は午後から雨。
明日以降は晴れる予報なので、散る前に早く桜を楽しみたいものです。

※翌2013年の新屋の桜やカメラについてはこちら
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You never get something for nothing

2012-04-25 23:18:08 | 地震
当ブログでは東北観光博のサイトの誤訳に関して複数の記事をアップしています。
以下の各記事ですので、余裕のある方は順番にご覧いただくことをおすすめします。
 4月7日 → 4月8日 → 4月12日 → 4月13日 → 4月25日(この記事)



国土交通省観光庁などが行なっている「東北観光博」の外国語ホームページに、低レベルの誤訳が大量にあった件。
4月下旬まで外国語ホームページを閉鎖して、修正作業中であるというところまでを、今までお伝えしていた。

その後の動き。
24日付で観光庁や東北観光博のホームページに新たな告知が出た。
「東北観光博ポータルサイト多言語版の再開延期について」というもので、「より精度の高いものとなるよう東北の各地域の関係者による確認や各言語についてボランティアによる確認を行う」ことや「情報の随時追加・更新に伴い発生する不適切な翻訳を防止するため、関係者による事前確認を可能とするシステム上の改良を加えること」にしたため、「多言語サイトの再開を一旦見送り、5月下旬に延期することと致しました」という。
25日には、ボランティア募集が始まった。

ほーら言わんこっちゃない。
どう考えたって2週間であれだけの修正ができるわけない。
観光、翻訳、コンピュータやホームページいずれについても素人である私めでも想像がついたことなのに、今回の発覚後の対応の二転三転(公開を続けながら修正→4月下旬まで閉鎖→5月下旬までに延長 等々)は何なんだろう?

観光庁長官や国土交通大臣は、黙っているようだけど、謝罪とかコメントはしないのだろうか。
(マエダ国交大臣は問責決議でそれどころじゃないかな)

九州の西日本新聞のコラム「春秋」では、恒例の漢検協会の変換ミスコンテストといっしょに、東北観光博の誤訳を取り上げていた。例として「あきた千秋公園桜まつり」が挙げられていて、千秋公園が九州の紙面に登場したことになる。
河北新報では宮城県観光課の「誤訳が話題となり、東北観光博が脚光を浴びた面もあるが、今度こそ誤りのない表現にしてほしい」というコメントが出ており、たしかにその“効果”はあったのだろうけれど。



ご紹介していなかった誤訳の実例がもう少しあるので、紹介します。
「It is joke festival Shizukuishi」
「雫石冗談祭り」? そんな冗談みたいな行事があるわけない。

「雫石よ/洒落/祭り」で「雫石よしゃれ祭」。
なお、説明文中にある民謡の一節の「よしゃれ」は「yoshare」と訳している。


「Fair in omonogawa which is boiled which is boiled」
雄物川が煮えたぎっているようなイベント。
「わくわくフェアinおものがわ」だそうです。

ちなみに中国語版(繁体・簡体とも同じ)は、
「沸騰的沸騰的公平的in omonogawa」
まんべんなく、とても熱そう。
「フェア(fair)」を誤訳し、よく分からないけど「わくわく」も明らかに間違っていそう…


「Horseback riding experience to be heated that spring is boiled」
馬の背に乗る体験が、加熱して、温泉もしくはバネが煮えて??
「春のわくわく乗馬体験」。同じ「わくわく」でも、雄物川とは違う間違い方。


「肘折温泉郷なめこ・こけし祭り」のイベント内容詳細にいろいろと。

「Behavior of the nameko stew」、「nameko knob competition」、「Lick; an art or a green meeting」が強烈。
「なめこシチューの行動」、「なめこノブ競争」、「舐める、芸術または緑の会合」?

正解は「なめこ汁の振る舞い」、「なめこ箸つまみ競争」、「なめこつかみどり大会」。

なめこ汁は「振る舞い」の意味の取り違い、箸つまみは「つまみ」の動詞と名詞の取り違いによるものか。
つかみどりは、以前、ヤマメのつかみどりで「緑(green)」と区切って誤訳していたのもあったが、なんで芸術(art)?
artには、芸術のほか、「技術, こつ, 要領(プログレッシブ英和中辞典より)」という意味もあった。この「こつ」は漢字では「骨」と書くそうだが、その「こつ」。
つまり、「舐め/こつ/か/緑/大会」か…


他の項目では、「so orchids」と「good point has dark」。
「とっても蘭」と「良い点は暗い」?
「ソー/蘭」と「良さ/濃い」で「ソーラン」と「よさこい」だそうです。

「fault stew」は「責任・過失のシチュー」?
「fault」は「あら(荒/粗)」(←「あら探し」とかいう時の「あら」)で「あら汁」だそうです。



今回、翻訳システムを無償提供したという企業のシステムは、国内の多くのポータルサイトの翻訳サービスにも採用されている。
サイトによって若干の差があるが、その中には、現時点でも東北観光博のサイトとほぼ同じく誤英訳するサイトもある。

今回の一件で思い浮かんだことわざがある。
「ただほど高いものはない」。
実際には、この一件でどの程度の損失もしくは新規費用がかかったのかは知らないけれど。

ふと思って、某ポータルサイトで英訳してみると…
「ただほど~」と「ただより~」2つの言い方があるが、(個人的には「ほど」のほうがしっくりくる)
「ただより~」では、
「You never get something for nothing」
単語単位の直訳ではなく、文章一括でこのことわざに相当する「たたでは何も得られない」という英語のことわざに訳された。
ヘンなところで正確ですね。

でも、「ただほど~」で訳すと、「There is not a thing of ただほど high potato」。
「ただほど高“芋”のはない」ね…



最近のスマートフォンは、知りたいことを話しかければその答えを音声で返してくれるそうだ。この分では100年後にはほんとうにドラえもんがいるかもしれない。
その一方、他言語への翻訳はまだこの程度。ドラえもんの道具の1つ「ほんやくコンニャク」の実現は遅くなるかもしれません。

【6月1日追記】5月31日夜から、外国語版ホームページの公開が再開された。(中国語の一部ページを除く)
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祝! 90周年?

2012-04-23 23:45:19 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部にある秋田キャッスルホテルの前に、こんな看板が出ていた。
「秋田中央交通株式会社 開業90周年記念祝賀会」
1日おきに3回も行う、盛大な祝賀会!

最初、てっきり「創業」とか「創立」90周年かと思っていたが、今年はたしか創業91周年のはずであり、計算が合わない。
よく見ると「開業」90周年となっている。

現在はバス会社である秋田中央交通は、もともとは鉄道会社が起源。
南秋田郡五城目町で1921(大正10)年1月15日に「五城目軌道」という会社を創業し(=創立日)、翌1922年4月21日に鉄道が開業している。最終的には、五城目町と現在の八郎潟町のJR八郎潟駅の間を結んでいた。
その後、1943年に「秋田中央交通」に改称、1953年に本社を秋田市へ移転し、1969年に鉄道を廃止している。


中央交通にとって「創業日」ではなく「開業日」とは、3回もパーティーをするほど重要な記念日なのだろうか?
「三平バス」は11年前の「“創業”80周年」を記念して導入されたことになっているし、今はやっていない鉄道事業の開業日なのに…
まあ、列車かバスかを問わず、中央交通が最初の一歩を記した日ではあるわけだから、その日を大事にしているのだということにしておきましょう。

それにしても、1日おきに3回も祝賀会をやるというのがすごい。
キャッスルホテルの「放光の間」は着席で1000人を収容できるが、まさか計3000人も来るのだろうか。取引先を招くにしてもそんなにはいないだろう。
交代で勤務している社員を対象にした祝賀会ということだろうか。中央交通の従業員数は400人ほどとのこと。


お祝いごとだし、民間企業が祝賀会を何回やっても構わないが、お客には何もしてくれないのだろうか。
例えば、回数券を買った人にポケットティッシュの1つでも配るとか、車内やバス停に「おかげさまで90周年」というシールでも貼るとか、そのくらいのことはしてもいいんじゃないでしょうか。そうすれば、親しみがわくってものです。


10年後は100周年。
その時の中央交通はどうなっていて(三平バスはボロボロになってまだ走っていそう…)、秋田の公共交通はどうなっているのだろうか。



では、中央交通さんの開業90周年を勝手に記念して、「蔵出し画像」などを紹介します。
先日もちょっと紹介した、側面に社紋が付いた先代の塗装の路線バス。Wikipediaには、1990年から1993年に採用された塗色だそうで、意外に短い期間だったことになる。
秋田市内の営業所にも、まだ3台くらいは残っているようだ。
※以前のコメントへの返信で臨海営業所に「300」というナンバーの車両があるとしていましたが、300は以前から秋田営業所所属のようです。臨海にいる(いた?)のは別のナンバーでした。
ほとんどが日野製の車両だが、少なくとも1台はいすゞ製がある。
行き先表示がLEDに交換されている
新国道方面を走っているのをよく見る。
新旧
旧塗装のほうが品がある感じがして好き。
※その後の旧塗装についてはこの記事

旧塗装の記事でも触れたように、新国道経由五城目線では、五城目営業所所属の行き先表示が幕式の車両が走ることがある。
 (再掲)
多くは上の写真のように、横一列に「新国道・土崎 五城目」という表示なのだが、たまに、
上下に分けた表示の車両も
上段に小さく経由地、下段に行き先を表示し、どちらも文字が扁平。
そういえば中央交通の車両って、昔はみんなこんな配置じゃなかったっけ?
経由地も行き先も、文字が小さくなってしまい、見づらい。(LEDはもっと経由地が小さいけど)

上の写真はだいぶ前の撮影で、フロントガラス右下に黄色い紙に「新国道経由」というのが掲出されている。なんだかよく分からないが、親切といえば親切。
つい先日も、おそらくこれと同じ車両を見たが、扁平の行き先表示や黄色い紙は健在。さらに「系統番号100」の紙も出していた。

※上の写真の車両294などについてはこちらの記事後半でも紹介しています


東北観光博のホームページの記事でちょっとだけ触れたけれど、昔の一部の車両の新国道経由天王グリーンランド行きの表示は、
2008年撮影。表示を声に出して読んでみてください
「天王グリーンランド」なのに。
現在は、LED化と担当営業所の変更に伴い、解消されています。


中央交通にはバスの「特急かもしか」が2009年9月まで存在した。
その1年前までは、「急行」バスも存在した。
「急行男鹿温泉線」で、秋田駅西口-新国道-追分-羽立(はだち)-男鹿温泉-入道崎(にゅうどうざき)という経路を2時間で結んでいた。
末期は、平日1往復(土日運休)だけで、上りが秋田駅着が9時過ぎ、下りは秋田駅発15時半だった。
 
「急行 羽立・男鹿温泉 入道崎」「急行 羽立 秋田駅前」
ちなみに、
 (再掲)特急かもしかの表示
急行バスも新国道を通るのにひとこともないし、特急かもしかの表示と統一感がないのが、いかにも…
記憶にないが、以前は特急かもしか同様、元貸切車両が使われていたようだ。末期は、写真の通り、上りは小田急の中古の大型車、下りは中型車(いずれも男鹿営業所所属)がよく使われており、片道は普通便の新国道経由船川線で男鹿営業所と行き来していたはず。
通しで乗る客はきわめて少なかったと思われるが、この車両で2時間はつらそう。


そして、このバス。
竿燈大通りを疾走する貸切塗装の車両(2006年撮影)
「秋田200」ナンバーで、新しい塗装だけど、正面に大きな旧ロゴの「ISUZU」エンブレムが付いているし、妙に古臭い。
このバス、元は秋田大学の自家用バスだったらしい。秋大ではどういう目的で使っていたのか知らないが、弘前大学では農学生命科学部の農場実習用の学生輸送バスとして、やはりかなり年代物のバスを所有している(たぶん現在も現役であり、イベントで展示されたりもしているらしい)。→この記事参照

おそらく2000年代に入ってから中央交通へ譲渡されたようだ。
撮影時は、子会社の秋田中央トランスポート所属で、たしか五城目に常駐していて、秋田駅と男鹿市船越の場外車券売場「サテライト男鹿」の間の無料送迎バスとして使われていた。
撮影後まもなく、廃車になったと記憶している。

【24日追記】上の写真を見ると車体側面は「AKITA CHUO」表記で、その後に不自然な空白がある。
これはおそらく、当初は「AKITA CHUO KOTSU」表記だったのを、子会社への転属時に「KOTSU」を消したためだろう。
なお、現在の子会社所属の貸切車両は「AKITA CHUO KANKO」表記。※新車の写真はこちら

また、ドア横に「一般乗合」と表示があるので、横手・湯沢方面の高速バスに使われたことがあったかもしれない。

【2014年8月20日追記】型式は「CJA500」だったようだ。
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南中と東中の校舎

2012-04-21 19:37:43 | 秋田のいろいろ
秋田市立学校の校舎シリーズです。(過去の記事等へのリンクは記事末尾にあります)
秋田市だけや学校だけに限ったことではないだろうが、建築界のトレンドや社会状況などもあり、秋田市立学校の校舎は、設計・建設された年代によってデザインに特徴があることは今まで紹介した通り。

昭和50年代には、昭和30年代後半頃から建設されていた「屋上に庇状の構造物が出っ張っている校舎」から、新興住宅地の新設校に多く見られる「箱型の校舎」へ移行したわけだが、その境はおそらく1977年。旧タイプ最後の学校が広面小、新タイプ最初の学校は隣の東小ではないかと思う。

しかし、その移行時期前後に建設された校舎では、そのどちらでもないタイプがごくわずかに存在する。それが、秋田南中と秋田東中の校舎の一部。

まずは秋田南中。
北西側から
北側~通りに面した西側は、よくある秋田市立学校の校舎。
壁の部分は暗いサーモンピンクみたいな色合いで地味だけど、東小以降の箱状の校舎だ。

しかし、正門・正面玄関を挟んでグラウンドに面した南側は違う。
南西側から
北側と色使いは似ているけれど、壁面のデザインや質感が異なる。
縦横に白っぽいの格子状のラインが走っている。縦方向のラインは柱でない窓枠の延長線上にもある。
目がチラチラしそう
壁面の地の部分はコンクリートではなく、パネルをはめ込んでいるように見え、部分的に色の濃淡が異なる場所もある。
「カーテンウォール」とかそんなモノだろうか?
接続部。右手前が南側校舎
南側と北側では、建設年代が異なるのだろうか。

秋田南中は、以前は楢山南中町(だから「南中町」。現在の楢山コミセンの場所)にあったが、校地が手狭だったことなどにより、1976年度から1978年度にかけて段階的に南通宮田の現在地へ移転したそうだ。
広報あきたによれば、1976年度に「改築第一期工事として四階建て十六教室を建築」し、最終的には「普通教室三十一、特別教室十四」となったそうだ。

それを踏まえて南側の校舎を見ると、ちょうど各階に4教室×4フロアで16教室ありそうだ。

したがって、1976年度に最初に建設されたのが格子状外壁の南側の校舎、その後1978年度までに建てられたのが北側の校舎と考えられる。わずか2年差で、デザインが異なってしまったことになる。



もう1つが、南中とは秋田駅をはさんで反対側の秋田東中。
旭川の堤防から見る校舎北西側
上の写真で左側の北側の校舎は、南中とほぼ同じ箱型&地味な色。
そして、右側の線路と平行に建ち、JR奥羽本線の車窓からも見える(線路際ではない)西側の校舎は、違う。
手前がその西側の校舎
グレー基調の色についてはちょっと置いておいて、やはり格子状の構造物があり、パネルをはめたような壁面。
東中の西側校舎と南中の南側校舎はよく似ている!


東中の校舎の変遷をたどってみる。
秋田東中は、1953年の開校時から現在地にあるようだ。1968年に一部が焼失し、1969年に特別教室棟を木造で建設。

1970年代に入ると、秋田東中の生徒数は激増した。1977年度には生徒数1801名・43学級と秋田市最大の中学校だったそうだ。
この対応として、1975(昭和50)年度に「普通教室十六を建築」、1977年度に「普通教室十教室と管理諸室を建築」、1978年度に「特別教室五を建て」と次々に増改築が進められた。
1979年には、仮称「東第二中学校」だった城東中が開校して、東中の過大規模が解消されることになる。
この頃に建てられた校舎のどれかが、西側の校舎だと考えられる(おそらく1975年度?)。

この段階ではまだ木造校舎が残っており、それを解消するため1984年度に改築が行われ、10年がかりの東中の改築工事が完結したようだ。その時できたのが、北側の校舎(広報に写真が出ていたので断定できる)。
1984年度といえば、ベランダ付きの明徳小や川尻小の校舎ができた後で、当時としては斬新なデザインだった土崎南小が建設されていた年だから、箱型校舎はもう建設されていないと思っていた。
しかし、中学校の、ごく一部分ではあるが、まだ箱型が建設されていたことになる。ということは、新しい耐震基準に適合しているのだろうか。
秋田工業高校グラウンド付近から奥羽本線の橋越しに東中西側を見る
以前、コメントをいただいていたが、東中の西側校舎の外壁の色がグレーになったのは、最近のこと。
2006年度に大規模改修工事が行われてこの色になったはずだが、それより前は、独特の色だった。

旭川を渡る列車の写真の背景などに、その姿が写っていた。
夕日を浴びる以前の東中西側校舎
以前は、紺色というか濃い青色だった。
現在は省略されている、窓と窓の間(フロアの境)の横方向にもラインがあり、南中と同じ配置。
ブルートレインよりもブルー?
よく見ると、非常階段を境に、青の色合いが異なっていたようだ。
左(北側)が紺色、右が瑠璃色?
列車の車窓から見える青い校舎は印象にあったし、2つ上の写真は夕日を浴びて、何かのうわぐすりを塗った焼き物のような瑠璃色に輝く校舎が美しくて撮影した。
おそらく秋田市立の他の学校の校舎にはない配色であり、秋田東中の特徴の1つだったと言えるかもしれない。
現在のグレーも、他にはあまりない配色ではあると思うし、格子状のデザインもおそらく南中と東中だけではあるが、以前の青い校舎がなくなったのは、今にして思えば残念。

新旧どっちにしても、北側など他の校舎との色の統一感はないけれど。
接続部
建設時期が違うとはいえ、もう少し配慮をお願いしたいものです。


どういう意図や経緯があるのか不明だが、1975年度と1976年度に2つの中学校でだけ採用された、独特のデザインの校舎の話でした。

【21日23時40分追記】2011年5月現在の生徒数・学級数は、秋田南中が433名・16学級、秋田東中が539名・17学級。


■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校旭南学区は広い近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎(この記事)
※次の記事はこちら

※2015年度に南中の校舎が解体されることになった。また、この校舎は鉄筋コンクリート造ではなく鉄骨造であることが分かった。
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赤いポスト

2012-04-19 22:41:17 | 秋田のいろいろ
久しぶりに郵便ポストの話題。狙ってアップするわけではないですが、4月20日は「逓信記念日」、4月14日から20日は「ポスト愛護週間」です。※以前の記事はこちらなど

秋田中央郵便局からも近い秋田市高陽幸町、秋田市役所裏の旧国道沿いの酒屋さんの前にポストがある。

光の当たり方やカメラの状態もあって分かりづらいかもしれませんが、このポスト、赤いのです!

いや、ポストは赤いものですが、この型のポストの本来の色よりも、より赤いのです。
このポストは、1996年より前に設置されていて、今は交換されて数が少なくなっている古いタイプ。その中で比較的大型の「7号」という型。
7号のような昔のポストは、赤といっても実際には「朱色」だった。
 (再掲)熊本中央郵便局

1996年に登場した現行タイプ(10号以降)から、ほんとうの「赤」に変わった。
 (再掲)秋田中央郵便局の12号
朱色のポストは本体全部に色が塗られていたのに対し、新しいポストは前面の投函口周辺は銀色で脚は黒く、全体が赤いわけではない。

でも、高陽幸町のポストは、古いタイプなのに、色は新しいポストと同じ赤。(ただし、脚は本来の朱色)
「POST」の「O」が取れている

銘板を見ると、
「郵便差出箱(七号) 納入平成8年3月」
1996年だから、このタイプ最末期の製品ということになる。

銘板の上が赤くなっていることからも分かるように、新しいポストと同じ赤色を使って塗り直されたようだ。
いつからこうなのかは知らないが、昨年7月頃に発見した。

ポストが再塗装されるケースはあるが、同じ色(その型の本来の色)で塗られるのが普通。ここのように、違う色で塗り直されたものは他には知らない。

全面が赤であるためか、本来の色よりも、そして新しいポストよりも、目立つ気がする。
コカ・コーラの自販機よりも赤く、ネスカフェと同じくらい?

※その後、2018年春までに(2016年に秋田市中央部でポスト更新がまとまって実施されたので、その一環かもしれない)、このポストも新しいものへ更新されてしまった。
新しいポストでも塗り替えられる場合もある。
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三島市中心部

2012-04-18 23:22:29 | 旅行記
だいぶ間が空きましたが、2月初めの静岡旅行記。※旅行記カテゴリーではありませんが前回の記事
今回は三島市の話。三島市は静岡県東部・伊豆半島の付け根にある、人口11万の三嶋大社の門前町。
富士山と三嶋大社をモチーフにしたという、JR三島駅南口(在来線側)駅舎
三嶋大社のある三島市中心部は、新幹線・東海道本線のJR三島駅から南へ1キロ弱の一帯。道路が一直線や格子状でないこともあり、慣れないと迷いがち。
三島駅からはいちおう徒歩圏内だが、途中で迷ったり複数の目的地がある場合は、ちょっと大変かもしれない。
Googleマップより三島市中心部
上の地図を見ると、JR三島駅から南方向へ私鉄が延びている。これは「伊豆箱根鉄道」の「駿豆(すんず)線」。
伊豆半島の温泉地である伊豆長岡や修善寺へ至る路線で、JRから特急「踊り子」も乗り入れるが、三島市中心部にも2つの駅がある。列車本数が多く(少なくとも毎時3~4本)、初乗り運賃(130円)範囲内で利用しやすいので、駿豆線で移動するのもいいかもしれない。(三島市内は100円バスもあるようだ)

宿泊するホテルに荷物を預けて、散策。
三嶋大社
以前、列車の待ち時間に三嶋大社へ参拝したことがあったので、ここだけは再訪。JR三島駅からだと神社の裏側に当たり、事前に調べておかないと、迷う。
「福太郎」という赤福餅の草餅版みたいなものが名物で、草餅&こしあん好きの僕としては好物。境内でも購入できるけど、帰りに駅のキヨスクで買いました。

三嶋大社の正面を東西に走るのが、静岡県道22号線で「三島大通り商店街」。
以前少し取り上げた、「都市型の小型マックスバリュ」があったのがここ。
空き店舗は少なそう

2月5日は「三島宿地口行灯」という行事が行われていた。10年ほど前に始まった新しい行事で、商店街などの主催らしい。
「地口」とは駄洒落のような言葉遊びで、それと絵を描いた行灯を、商店街などに飾って展示する行事。
全国各地に同じ行事があり、秋田市保戸野の勝平神社のものは歴史もあって、(秋田では)有名。※秋田のものはこちら
地口行灯
秋田の勝平神社では、たった1人の地元の人が何十個もの灯籠を創作・制作していたはずだが、三島のものは全国から公募したり地元の高校生などが作ったものだった。
「おやじギャグやめて地口でほめられる」どっちも同じようなものですが…

三嶋大社から東へ700メートルほど進むと、駿豆線の「三島広小路」駅。
三島広小路駅
地方私鉄の駅らしく、大きくはなく、道路に面していきなり改札口があるようなきゅうくつな駅。
踏切の向こうが駅舎。踏切ぎりぎりに電車が停まる
駅前にミスタードーナツがあった。三島市唯一の店舗「三島広小路ショップ」。
ショップNo.0038(右端のドア上に表示)
秋田市にある23番目のミスドと15番違いだから、ほぼ同時期に開店したと思われる。(秋田のほうは途中で移転しているが)

一方、三嶋大社から南へ進んで三島市役所前を通り、東へ折れて少し進むと、駿豆線の次の駅「三島田町」駅。(神社から徒歩500メートルほど)
三島田町駅
こちらは駅前に大きなヤシの木があったりロータリーがあるが、やはりきゅうくつ。駅の隣に小さなスーパーがあり、イトーヨーカドー三島店も遠くない。
「三嶋大社前」という副駅名が付いており、たしかに三島駅から歩くよりは近いし、迷う可能性が低そう。

富士山のふもとの三島市は、市内の至る所に湧き水があり、そこから清流が街中を流れている。
 
湧水は「柿田川」が有名だけどそれ以外にもいくつもあり、ホテルに置いてあった観光地図に掲載されていた。それによれば、三島田町駅からそう遠くない場所にも1つありそうで、三嶋大社から歩いてそこへ行こうとしたが、途中で道が分からなくなってしまった。
後で確認したらその道で正しかったのだが、案内看板などがなくて不安になり、道を間違えたと思い込んで引き返してしまったのだ。
三島ならではの自然の観光資源なのだから、もうちょっと分かりやすくしてほしいし、いつか訪れてみたい。
途中、エンドウマメが咲いて実っていた。2月上旬なのに!
2017年3月に三島市を訪れた時の水辺の植物について
結局、うろうろして三島駅へたどり着き、三島広小路駅まで駿豆線に乗ってホテルへ向かった。

伊豆箱根鉄道三島駅の自動改札機がおかしかった。
自動改札機は、内外両側から通れる入場と出場兼用のものが設置されている駅もあるが、そんな駅でも最低1台ずつは入場専用と出場専用のものがあり、どちらか片方向が混雑していても最低限1通路は逆方向の改札機を使えるになっているもの。
しかし、ここは、
(改札外から)入れないじゃないか!
(上の写真左から)出場専用・入出場兼用・入出場兼用という配置で、入場専用の改札機がない!
ちょうど電車が到着し、出場する客がどっと出てきて3台ともフル稼働。人の波が収まるまで、入場できなかった。(上の写真では左端の改札機が空いているが、それは出場専用)
改札内から
人の波といってもたかが知れているし、これでなんとかなっているのだろうが、こういう配置の駅があったとは、びっくりした。
三島広小路駅の駅名標は毛筆文字

旅行記はもう少し続きます。※次の記事
※三島市のバスについてはこちら
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テレビの話題

2012-04-17 23:33:35 | 秋田のいろいろ
テレビの話題をいくつか。
●AABロゴ ※前回の記事
 (再掲)
今年の正月あたりから、秋田朝日放送(AAB)の従来と違うデザインのロゴマークが一部で登場し、2月からは画面右上に表示される「ウォーターマーク」もそれに替わった。

AABの公式サイトを見ると、開局20周年のページの中(http://www.aab-tv.co.jp/pc/20th/about/index.html)に、新ロゴについての説明があった。
「20周年を契機に新しいロゴマークを誕生させました。テレビ画面をイメージさせる箱の中に、AABの文字を入れ込んだ単純明快な新マークです。」
「囲みの四隅のうちひとつに丸みを持たせ、会社としての柔軟性や優しさを表現しています。」
とのこと。
ふーん。ということは、開局以来の親しみのあるロゴはもう見られないのか。

しかし、今なお、テレビのリモコンボタンを押したりした時の画面表示は、従来のロゴが表示される。【8月9日追記】8月になっても変わらず。
そればかりか、
秋田朝日放送本社(逆光です)
従来は何もなかったかと思うが、社屋北面の壁の西側に新ロゴが表示され、東側(国道側)にはキャラクターの顔が設置された。
しかし、アンテナには、旧ロゴが残る(これは開局当初からのもの)。
※この後、2014年5月2日現在、アンテナのロゴは旧ロゴのまま変化なし。
※5年経過した2017年11月時点でも、本社の玄関マットも旧ロゴ。


AABでは新ロゴが「単純明快な新マーク」というけれど、もっと単純明快なマークを使っているテレビ局がありますよ。
 これ
ズバリ「あさひ」。

これは静岡朝日テレビのウォーターマークと画面表示。
日本語の、しかもひらがなであり、日本人なら一見しただけでテレビ朝日系列のチャンネルであることが理解できる。デザインも目障りでない。実にシンプルで素晴らしいと思う。

このテレビ局は、1978年の開局から1993年までは「静岡けんみんテレビ(SKT)」という局名で、1993年から「静岡朝日テレビ(SATV)」に変更。
2005年には局の愛称を「あさひテレビ」としており、それをロゴにも採用したのだろう。
なお、公式ページを見ると、「静岡朝日テレビ」という正式名称は別デザインのロゴ。

秋田の民放局は全部「A」で始まる3文字だし、高齢者の視聴者が多い。AAB以外の各局も含めて、分かりやすいロゴにすると親切なのに。

※静岡の他のテレビ局の状況についてはこちら
※AABのロゴについての続き(竿燈のちょうちん)はこちら
※さらに続き(画面表示の新ロゴへの変更)はこちら


●(新)いきいき秋田市から
4月から秋田朝日放送で「いきいき秋田市から」という新番組が始まった。月曜と水曜の14時50分から5分間の番組。
これは、秋田市政広報番組で、月曜から木曜の10時30分から放送されていた「おはよう秋田市から」が移動したもの。4月6日号の秋田市広報紙「広報あきた」に告知があった。(市政番組については花時計からのたよりの記事参照)

新しい放送時間では、時間的に「こんにちは秋田市から」になってしまうが、それだと11時台に放送しているABSと番組名がかぶってしまうからという配慮なのだろう。秋田市が作ってる番組だし、内容だって同じなんだから、別にいいような気もするけど…


●女子アナの話題
キー局の女性アナウンサーに関する話題が、一般紙にも社会面に小さめに掲載されることがある。
最近では、フジテレビの中野美奈子アナウンサーの退社、日本テレビの葉山エレーヌアナウンサーの結婚、そしてTBSの竹内香苗アナウンサーの結婚が掲載された。
3月31日秋田魁新報社会面
竹内さんの結婚は、TBS系列局がない秋田県の県域紙である秋田魁新報でも、「TBS竹内アナが結婚」と顔写真付きで掲載された。
おそらく共同通信から配信された記事そのままで、「TBS系の朝の情報番組「はなまるマーケット」などを担当する竹内香苗アナウンサー…」などとある。

魁の読者のどのくらいが竹内さんを知っているのだろう? そもそも秋田で記事にする必要があっただろうか?
コメント (2)
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降りるんですけど…

2012-04-16 23:01:19 | 秋田のいろいろ
路線バスに乗っていて、ちゃんと降車ボタンを押したのに停まってくれなかった!(あるいは危うく通過されそうになった)という経験、ありませんか?

ダイヤで定められた駅では必ず停車しないとならない鉄道(路面電車は除く)では、停車駅を誤って通過することは停車駅失念といって事故扱いになったり、ニュースになったりしてしまう。
バスの場合はなんと呼ぶのか知らない(ここでは誤通過とか停車失念としておきます)が、停留所の数が多く、停まったり停まらなかったりするという路線バスの性格上、間違いやすいだろうし、降りるべきだった客に謝罪や適切な対応をすれば、あまり目くじらを立てることではないと個人的には思う。(高速バスだとまた話が違ってくるわけで、過去には行政処分を受けたバス会社(秋田県外)もある)


僕は秋田市内を走る路線バス(旧市営バス、中央交通とも)で今までに何回か、誤通過を経験している。(乗り合わせた他のお客さんのケースを含めて)
まず、今までに遭遇した、(適切なタイミングで降車ボタンが押されて)降りる客がいるのに通過しそうになったり、ほんとうに通過してしまったバス停を挙げてみる。

・県庁経由 山王十字路(竿燈大通り側)・上り
・県庁経由 八橋市民広場・裁判所前・下り
・手形山団地線 鉱業博物館入口・上り
・泉ハイタウン(泉秋操)線 聖園短大前・下り
・柳原経由御野場団地線 卸センター入口・下り
こんなところ。山王十字路上りと鉱業博物館入口上りでは、複数回経験した。

上記の各バス停の立地を考えると、なんとなく共通点がありそう。それは「比較的広い道にあるバス停」で、「大きな交差点もしくは右左折する交差点を過ぎて間もない位置にあるバス停」という点。
他の車の流れに乗せられてしまったり、あるいは広い道に入って開放的な気分になって、バス停の存在もしくは降りる客がいることを忘れてしまうのだろうか。
鉱業博物館入口上りバス停(矢印の位置)。急な坂を下りて左折してすぐの直線道路
ただし、僕の乗車回数が多い大町経由新屋線においては、誤通過は1度も記憶にない。
新屋線も新国道上のバス停(例えば茨島三丁目とか)なら、流れに乗ってうっかり通過してしまいそうなものだけど。


最近遭遇したケースでは、誤通過した後、すぐに運転士が次のバス停の車内放送を流した。
つまり「バス停の場所」を失念したのではなく、バス停の存在は認識していて「そのバス停で降りる客がいること」を失念したことになる。
したがって、降車ボタンを押した時のチャイム音や合成音声の「次、停まります」が聞こえ、運転席の赤いランプが点灯するわけで、それらに注意していれば防げるはずだが、上記のような流れに乗ることや開放感に引きずられてしまうのかもしれない。

その対策として参考になりそうなのが、旧秋田市交通局末期の取り組み。
秋田市営バスの末期数年間では、誤通過の経験はない。(それ以前はあった)
理由として考えられるのは、客が降車ボタンを押すと、運転士が「次、停まります」と肉声で案内していたからではないだろうか。(全運転士が実践していた。この記事後半参照)
自分の声で停まることを確認すれば、誤通過の確率が低下しそうだ。


どこかの大学の先生とか運輸関係の独立行政法人か何かの研究者の皆さん、誤通過しやすいバス停の条件についてとか、誤通過を引き起こすメカニズムとその防止策について調査・研究してはいかがでしょうか?
交通や産業における重大事故の防止につながったりするかもしれませんよ?!



さて、バス停停車失念は、運転士やバス会社の責任であるけれど、乗客としては次のようなことに注意して乗車してみてはいかがだろうか。
○日頃から
・車内放送が流れたタイミングで降車ボタンを押す(放送を流し忘れてる時は別ですが) →極端に早い段階やギリギリの位置で押されると、紛らわしかったり急停車になって危険

○自分が降りるバス停を通過されてしまったら
・慌てて立ち上がらない →転倒など車内事故のもと
・座ったままで前方中央のルームミラーに向かって手を振ったり、「降ります!」などと言って、運転士に通過されてしまったことをアピールする →いちおう自己主張はしましょう
・対処は運転士に委ねる →事情が事情だからバス停以外の場所でも降ろしてくれるはずだが、安全上の問題から次のバス停で降りるように要請されるかもしれない。その時は受け入れましょう。ただし、次が運賃が上がるバス停だった場合、本来降りるバス停までの運賃を支払えばいいのが筋
・謝ってくれたら怒らない →急いでいたり余計に歩かされたりする場合は不満でしょうが、間違いは誰にでもあるもの。運転士が謝罪してくれたらよしとしましょう
・降りる時は足元と左右に注意 →バス停以外で降ろしてもらう場合、足元に段差など障害物があったり、自転車やバイクがすり抜けていく危険性が高まる。普段のバス停でも同じことだけど、よく確認しましょう

本文とは直接の関係はありません
そういえば昔、T市(富山市ではないです。その近くですが…)の路面電車で誤通過されたことがあった。
バスと違って停留所でないところで降ろすことはとても危険で不可能だろうから、黙って次の電停まで乗っていたけれど、路面電車はそうするしかないでしょうね…
コメント (8)
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春の変化/次世代に補充

2012-04-15 23:17:35 | 秋田の季節・風景
爆弾低気圧後の先週の秋田市は、晴天の日が多く、昼間の気温は10度を越える日もあって、春らしくなってきた。
黄砂が飛んできた日もあった。
秋田駅から見る太平山が黄砂に霞む

秋田市役所前の花時計は冬は積雪対策のため針が外されていたが、取り付けられてまた動き始めた。

時計の周囲に植えられた葉ボタンが撤去されて何も植えられていない状態で、土が見えている。これじゃあ花時計ではなく、ただの大時計。
針取り付け・再始動と同時に、葉ボタンからパンジーへ植え替えられるのかと思っていたが、その間に空白があるのか。

【17日追記】17日付秋田魁新報秋田市地域面によれば、16日から今週いっぱいかけて花時計の植栽作業が行われ、パンジーとデージー3000本が植えられるとのこと。
※花が植えられた様子はこちらの記事の下のほう


春といえば、消火栓の旗の撤去。
消火栓が雪で埋もれても位置が分かるよう、雪国では目印の旗を立てる。昨冬は、住宅用火災警報器啓発の文言入りの旗も設置された。

その旗の撤去は、一昨年は3月上旬に行われていたし、昨年は東日本大震災の前日に撤去作業を目撃していた。ところが、
今年はまだ撤去されていない!
秋田市内の少なくとも秋田、城東、土崎の各消防署管内で、ほとんどの消火栓に旗が残っている。
まさか忘れているはずはないが、年度を越えて残っているのが不思議。

【24日追記】この1週間後くらいの間に、旗が撤去された模様。
※と思ったら、桜が咲いてもまだ撤去されない旗もあります。この記事末尾。



秋田駅自由通路に設置された次世代自動販売機。その貴重なシーンを見かけた。
フタが開いていて商品補充中!
この自販機は、従来型ではセットできなかった特殊な形状のペットボトルにも対応しているそうで、補充方法が違うのかと思っていたが、傍から素人目で見た限り、至って普通の自販機の内部であり、普通の商品補充風景だった。(内部構造は若干シンプルな気はした)
その時の画面
「扉が開錠中です/扉がロックされると、自動的に販売画面に戻ります」
マウスカーソルだろうか「+」が出ているし、「メンテナンスモード」「オペレーションモード」という、おそらくタッチボタンも表示されている。
補充しているお兄さんは扉の向こうなので、画面は見えないはず。どちらかのボタンに触れたい衝動に駆られたが、思いとどまった。

補充中の画面は、思ったよりシンプル。
販売中に表示されるのと同じ「顔」の画面にして、「ちょっと待ってね」とかしゃべらせれば楽しいのに。
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“誤訳”博ついに閉幕?

2012-04-13 22:42:03 | 地震
【15日追記】
東北観光博サイトの誤訳が報道されたこともあり、当ブログへ多数のアクセスをいただいています。
当ブログでは誤訳に関して複数の記事をアップしています。
以下の各記事ですので、余裕のある方は順番にご覧いただくことをおすすめします。
 4月7日 → 4月8日 → 4月12日 → 4月13日(この記事) → 4月25日


今日(4月13日)21時44分に、名古屋の中日新聞のサイトに「誤訳多発で東北博HP閉鎖」という記事(共同通信からの配信)がアップされたのを、発見。
誤訳が多発していていた東北観光博の各外国語版のページの公開を中止して、修正作業に集中するということのようだ。
昨日の記事でも述べたように、これが妥当な対応だろう。


東北観光博の公式ホームページには、「東北観光博ポータルサイト他言語版 一時閉鎖について」というページがアップされ、
「不適切な翻訳があるとのご指 摘があり、これまでの間、適正化に努めてまいりましたが、修正に一定の時間を要す ることから、他言語サイトを一時閉鎖することといたしました」(不自然な空白は原文ママ)
「再開は、4月下旬を予定しております。」
などとある。
ページ上部の「English/韓国語/…」という言語へのリンクをクリックすると、各言語での同じ内容の文が表示される。

今まではマスコミを通しての情報ばかりで、公式には何の説明もなく、やっと間違いがあることを認めたかという感じもする(あの北朝鮮でさえ、ミサイルだか衛星だかの打ち上げ失敗を、自ら即日認めたんだからねぇ…)。


あと2週間後には公開を再開するらしいが、そのくらいの期間で大丈夫か、やや気がかりだけど、今日をもって「東北“誤訳”博」が閉幕することを願いたい。


【14日追記】
秋田魁新報の14日の紙面とサイトにも、上記共同通信の記事が掲載された。その見出しは「誤訳多発で東北観光博HP閉鎖」。これだと、観光博のホームページ全体が閉鎖されたように受け取れてしまう。

外国語ページの閉鎖を受けて、宮城県を中心とした東北地方のブロック紙である河北新報(のサイト)にも、やっと初めてこの件の記事が登場し、Yahoo!ニュースにも転載。Yahoo! JAPANトップページのトピックスにも「東北博のHP一部閉鎖 誤訳多発」として掲載された。

それによれば、「観光庁観光地域振興課は「自動翻訳の誤りを見つけるボランティアを募り、総力戦で翻訳ミスを修正し、4月下旬には外国語版を再開したい」と話している。」そうだ。
ボランティアはそれはそれでいいけど、「ボランティアを募」るのはいつから? 「4月下旬」までは遅くてもあと2週間しかありませんよ。ボランティアがやったとしても最終チェックはやはり責任ある立場の者が行うべきだと思うが、その時間的余裕は?
本当に間に合うの?

【14日もう1つ追記】
観光博公式サイトに掲載されていたのと同じ告知が、観光庁のトップページにも掲載され、担当部門(観光地域振興部 観光地域振興課)の連絡先も掲載されていた。それは東京。
観光庁は地方出先機関がないらしく東京で対応するしかないのだろうが、その距離の遠さも今回の不誠実な対応の原因かもしれない。

今回のトラブルでは、普段は主にクルマや公共交通機関を所管する「東北運輸局」が、各県との調整に当たっている(当たらされている?)ようなフシがある。同じ国土交通省とはいえ、ご苦労なことです。
これでは、わざわざ国交省本体から観光庁を独立させた意味がない。本当に観光を振興するなら「東北観光局」でも作らないといけないんじゃないだろうか。
【追記】↑「今回のトラブル」というのは「誤訳発覚後の各県やマスコミへの対応」という意味です。発覚前のページ作成や翻訳の段階のことではありません。直接的に関係はないであろう「東京の観光庁」の尻拭いを「仙台の運輸局」がさせられて、東北運輸局さんは大変だなというのがこの文章(この記事全体ではなくこの部分の)の趣旨です。(ツイッターでここを引用して誤解されている方がいらっしゃるようなので追記しておきます。)


個人的には、国土交通省は親しみのある国の役所だった。
公共交通や道路や河川など興味のある分野を所管しているし、正確な地形図や天気予報を手がける国土地理院や気象庁も国交省の機関。
日本と日本国民の生活になくてはならない組織であり、過剰な合理化や人員削減はするべきではないと思っていたが、今回の一件はとても残念だった。

※続きはこちら
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誤訳博・その後

2012-04-12 23:59:22 | 地震
【15日追記】
東北観光博サイトの誤訳が報道されたこともあり、当ブログへ多数のアクセスをいただいています。
当ブログでは誤訳に関して複数の記事をアップしています。
以下の各記事ですので、余裕のある方は順番にご覧いただくことをおすすめします。
 4月7日 → 4月8日 → 4月12日(この記事) → 4月13日 → 4月25日


「東北観光博」ホームページにおける大量かつ低レベルな誤訳の続きです。※前の記事
まずは最近の報道から新たな情報。
11日の秋田魁新報社会面より。(11日のNHK秋田と秋田朝日放送のニュースでもほぼ同じ内容を伝えた)
・英語以外の外国語にも同様の誤訳がある
・10日に東京で「東北観光博連絡調整会議」が開かれ、その席上で秋田県観光振興課は誤訳32か所を示して、観光庁に訂正を要請
・秋田県によれば、会議の席上で、観光博実行委員会事務局である、観光庁観光地域振興課の担当者が誤訳について謝った上で、ネーティブスピーカーによるチェックを行い、直していくと説明
・国土交通省東北運輸局は9日、東北各県の観光担当者宛てに電子メールで誤訳された事情を説明。チェック作業には時間がかかり、見落としがある可能性があるとして、誤訳があれば連絡してほしいと要請

12日朝日新聞秋田版より。(青森など他県版にも同じ記者による同じ記事が載ったようだ)
・膨大な訂正作業が終わるめどは立っておらず、各地の観光担当者は困惑
・中国語訳でも秋田の「ナマハゲ体験講座」が「はげ頭病の講座を体験する現場」と訳されるなどデタラメ
・翻訳を担当したのは、在京のIT関連の企業。「復興支援に一役買いたい」として、本来なら数百万円はかかるという各言語の自動翻訳を無償で引き受けた
・同社によると、誤訳しやすい固有名詞を把握するため、実行委に一覧表の提示を求めたが、受け入れてもらえなかった
・(観光庁の)担当者は「誤りに気づいたところはスタッフが直したが、あまりに多くて追いつかない。今後はしらみつぶしに直していく」と平謝りだ。
・(これらの状況について)秋田市は「我々がそういう認識で書いていると思われかねない」(担当者)。盛岡市の担当者は「少しでも早く解決してほしい」と求めている。

まず不思議なのは、間違いは秋田県以外の東北5県についても多いのに、秋田県以外ではあまり関心がなさそうな印象を受けること。
会議の席上では、秋田県だけが間違いをたくさん指摘したように見え、他県の担当者たちはあまり積極的ではないようにも感じる。
それに、秋田以外のマスコミはほとんどニュースにしていないようだ。東北全体に関わることだから、河北新報がニュースにしてもいいはずなのに、同社のサイトには出ていない。
昨年、同様に誤訳だらけの本が出版された時は、ネット上ではそれなりに知られたニュースになったと記憶している。今回は本ではなくWebサイトなので、ネット上で誰でも間違いを直接見られるし、国がやったこと。ネット上でもっと騒がれて、例えばYahooのトップページのニュースの見出しくらいにはなってもよさそうなのに…

なんか秋田県だけがひとりで騒いでいるような状況になってしまっているが、少なくとも東北各県、それに市町村、官民問わず観光関係者は、もっと怒るべきだと思う。秋田市の「我々がそういう認識で書いていると思われかねない」という言い分はごもっとも。
自分たちのことを、自分たちが知らないうちに、日本政府(=国土交通省観光省)によって間違って紹介されてしまっていて、自分たちが軽視されているように思わないのだろうか。もっと厳しく抗議してもいいくらいだ。

国から謝罪があったというが、それが「東北各県の観光担当者宛てに電子メールで」というのが馬鹿にしている。
各県のみならず、市町村、観光施設、住民、そして旅行に訪れたり訪れようとサイトを見た人すべてに謝罪するべきだ。各県に対しては観光庁長官や国土交通省大臣が謝罪してもいいだろうし、誤訳があった市町村や施設・地域に対しても謝罪するべきだ。
現在、東北観光博や観光庁のサイトでは、本件に関しての謝罪や状況説明は掲載されていないが、ホームページでの説明もするべき。


観光庁側が誤りの全貌を把握しきれない現状において、誤った内容を含むホームページを公開し続けながら、ちまちまと修正していくというやり方もおかしい。場当たり的というか泥縄式というか。
いったん公開を中止して、一挙に検証・修正・再検証して、再度公開するべきだと思う。


さて、実際にはどうなっているか。
以前紹介した、「道端の駅 リンゴ蛭」や「道端の駅 籤『我々は土、風、建物をやめさせる』」(「Roadside station "namioka" apple leech」と「Roadside station lottery "we let you stop dust storm building"」)は、
正しいんじゃないかな
当ブログで紹介した誤りは、大部分が修正されていた。
【13日追記】以前は「道の駅」はすべて「Roadside station」と訳されていたはずだが、修正された項に限り「Road station」になっている。現状では2つの言い回しが混在しているものの、道の駅に対する公式(国土交通省道路局)な英名が「Road station」なので、その点は考慮の上で修正されたと言えそう。

実は、当ブログへのアクセス解析によれば、翻訳システムの企業からこの3日間で30回以上のアクセスがあった。(それ以前は1回もアクセスなし)
当ブログを見ながら、修正してるってこと?
まあ、役に立っているのなら、それはそれでいいですけれども。

でも、当ブログで紹介したのは、あまりにもヒドイものやおもしろすぎるもの。
それ以外にも、おかしいものがまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだたくさんありますよ。



朝日新聞によれば、翻訳を請け負った企業は無償で請け負った、いわばボランティア。
しかも観光庁に一覧表を要求したのに取り合ってくれなかったそうで、そうなると見方もやや違ってくるけれど、不完全さを認識しながら公開したのには違いないだろう。
例えば、腐った食べ物を無償提供したり、今の時代にアナログブラウン管テレビを無償提供されるようなもので、ダタだからって何をやってもいいってもんじゃあ、ない。


他にもいろいろ書きたいことはあるけれどうまく表現できないので、ここでやめます。
国土交通省観光庁にも、請け負った企業にも、本当に東北の観光振興につながることをやってほしい。
※その後の展開はこちら
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五能線キャラ/GAOバス等

2012-04-11 22:18:42 | 秋田のいろいろ
JRとバスについて、以前の続報など。
●キオスク跡地
JR秋田駅3・4番線にあったキオスクが、2月末で閉店し、その後撤去されて更地になっていた。
さらにその後、自動販売機が置かれた。
中央の路面の色が違う場所

背中合わせに2台
写真ではちょっと分かりにくいが、以前は土崎駅寄り(北側)に設置されていた、木にとまったクマゲラの親子(?)の絵柄の「顔はめ看板」も移設された。

●キョウフーンとエッパー
3・4番線にはもう1枚、(おそらく)新たな顔はめ看板があった。キオスク跡地より北側。
3番線は、リゾートしらかみが発着するホームなので、その乗車記念撮影用。
後ろはたまたま停まっていた男鹿線のディーゼルカー
「しらかみ3兄弟」。
「青池」「ブナ(正式には漢字)」「くまげら」の各編成を戦隊ヒーロー風にデザインした「あおいけブルー」「ぶなグリーン」「くまげらレッド」になっていて、ぶなとくまげらから顔を出すようになっている。
お隣のJR東日本盛岡支社では、2003年から「新幹線トレインジャー」という、新幹線の車両をモチーフにしたキャラクターを展開しているし、秋田県では「超神ネイガー」が定着している。秋田支社がそれらに便乗したような感じもしなくはないが、顔はめ看板以外の場面でも使っているのだろうか。

おもしろいのは、看板の下の両端で3兄弟にやっつけられる姿が小さく描かれている、「敵」キャラ。
「五能線の敵 キョウフーン(強風)」

「五能線の敵 エッパー(越波)」
うまい!
風と波はまさに五能線にとって敵であり、特に冬期間は運休が相次ぐ。
現場にとっては、ほんとうにやっつけてほしいに違いない。


●動物園のバス 増える?
今度はバスについて。
公募した「秋田市らしい」デザインを、車体広告として秋田中央交通の路線バスにラッピングしている秋田市の事業。
そのデザインの1つが、動物たちがバスに乗って大森山動物園へ向かうもの。
秋田営業所の「300」と臨海営業所の「518」の2台にラッピングされていたはず。
でも、
もう1台?
「112」という車両も同じデザインだった。
後ろのピラーの塗装が白いから、やや古めの車両(新しい車両は屋根と同色)。たぶん秋田営業所所属。【5月6日追記】「112」は臨海営業所所属だった。

当初予定されていた15台はすでに満たしていたはずだから、16台目が出現したことになるはず。
秋田市では関連事業として、民間企業の車体広告の一部を秋田市らしいデザインにすることで、その費用の一部を補助することも計画していたが、それらしき広告は見ていない。希望者がなく、予算が余ったので、公募デザインを増やすことにしたのだろうか。

【30日追記】4月29日に、動物園ラッピングの「300」が新屋西線を走っているのを見かけた。ということは、臨海営業所へ転属したのだろうか。
【5月25日追記】「112」は座席の配置が変わっていて、車両前方は窓を背にして座る電車のロングシートのようなタイプ。これは、旧雄和町が中央交通に委託して運行していた町内循環バス「ユーグル」専用車両だったものだと思われる。
ユーグル廃止後は秋田営業所の一般路線用となり、雄和・河辺方面専属で使われていたものが、今春から臨海へ転属したことになる。
ということは、昨年度からラッピングがされていた可能性もある。(そうなると合計台数が合わないが)



●水族館のバス マイナーチェンジ
もう1つ、中央交通のラッピング広告。
秋田県男鹿市にある、秋田県立男鹿水族館・GAOの広告バスが2010年3月から走っている。※以前の記事はこちらこちら
ラッピング広告は一般的に3年契約だから、今年度が最後だろうか。

いつの間にか、その後部のデザインが変わっていた。
以前のデザイン

新しいデザイン
丸っこい登場人物は同じだが、そのうちホッキョクグマらしきキャラクターが大きく描かれ、他のキャラクターは小さくなった。
クマの肉球に、「GAO」の文字や動物の写真がデザインされている。左下には小さなタコ2匹が登場。
「男鹿水族館」であることは分かりにくくなったが、秋田県内では知名度があるので、インパクトのほうを重視したということだろうか。

両側面のデザインは変わっていないと思われ、後部だけのマイナーチェンジのようだ。ラッピング広告の一部だけを途中で更新するのは、珍しい。

昨年10月27日の水族館のブログ(http://www.gao-aqua.jp/blog/?p=4090)によれば、描かれているのは月1回発行している手描き新聞「GAOっと!にゅうす」のキャラクターとのこと。
さらに、これと似たデザインが、昨年秋から高速バスにラッピングされているとのこと(後部のみ)。ブログの写真を見ると、「420」といういすゞガーラ(先代)で、側面は赤系統のデザイン。東京行きの「フローラ号」用っぽい車両だが、ブログによれば仙台行きの高速バス(すなわち「仙秋号」)に使われているそうだ。ほんとかな。

その男鹿水族館だが、先日の爆弾低気圧で強風と高波による大きな被害を受けた。(↑五能線と同じく、「キョウフーン」と「エッパー」ですな)
明日まで臨時休館するそうだし、夏の冷房や海水冷却に使う装置も使えない状態になっているそうだ。


●LED化進む
秋田中央交通の秋田市内を走る路線バス車両の行き先表示は、大部分がLED式になっていた。昨年秋の系統番号表示に伴い、さらにそれが進み、幕式の行き先表示の車両は激減していた。(小型バスは除く)
そんな中、しぶとく幕式で残っていた車両が数台あった。どれも大型バスで臨海営業所に所属しており、新屋方面の路線にほぼ限定して使われていた。
「319」もその1つ
当ブログの写真で何度か登場していた「319」は富士重工が組み立てたいすゞのバスで、どこかの中古。昨秋以降は新屋西線でやたらとよく見かけた気がする。
だいぶ古そうだし、このままLEDに交換せず最後まで使うのかと思っていたが、先日、LEDに交換されていたのを確認(写真はありません)。運用される路線が新屋・割山方面以外にも拡大され、従来は対応できなかった新国道経由にも使われていた。

となると、小型バス以外でいまだに幕式なのは、五城目営業所所属の車両の一部だけになったのかもしれない。
旧塗装&幕表示の貴重な車両
上の写真の「298」はかつては「特急かもしか(JRではなくバスの)」にも使われていた、五城目生え抜きの車両のようだ。「安田のつくだ煮」の広告、フロントガラスに律儀に「系統番号100」の紙を出しているのが、五城目らしい。
一部の塗装が剥げてきていることだし、いずれ新塗装に塗り替えられるかもしれないし、LEDに替えられるかもしれない。

※旧塗装についての続きはこちら
【23日訂正】この記事のコメントへの返信で触れている旧塗装の「300」は臨海営業所所属ではありませんでした。
コメント (5)
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旭南学区は広い

2012-04-10 23:54:12 | 秋田の地理
秋田市立の小学校では、今日一斉に入学式が挙行されたようだ。
僕たちの頃は、4月4日に始業式、6日に入学式だったものだが、今は2学期制(前期/後期)になったためか、6日始業式、10日入学式に繰り下がったらしい。(昨年度までは入学式は8日だったようだ)

今日の秋田魁新報秋田市地域面に「小中学校新入生が過去最少、秋田市 少子化で3年連続減」という記事があった。
秋田市教育委員会のまとめによれば、今年度の新入生は中学校2658人、小学校2385人で、前年よりそれぞれ100人と80人減って過去最少だという。
学校別の新入生が多い順では、中学校が泉中236名、山王中217名、御野場中201名。小学校は桜小157名、日新小138名、港北小115名。
少ない順では、中学校は岩見三内中9名、太平中と豊岩中12名、下北手中18名。小学校は上新城小と種平小と戸米川小各3名、太平小4名、下浜小5名。

当然ながら、児童生徒数(総数)が多い学校の入学者数が多いわけで、先日紹介した昨年度秋田市で児童数が最多だった日新小は、桜小に抜かれてしまったものの2位につけている。(昨年度児童数は日新、桜、勝平、港北の順)

テレビニュースでは、こちらも以前紹介した東小(NHK)と明徳小(民放3局)の入学式が放送されていた。
新入生は東小が81名、明徳小が45名とのこと。30人学級でも2~3クラスで足りてしまう。



さて、秋田市中心部には小学校が比較的多い。今はドーナツ化・少子化・高齢化で児童数300名前後が標準のようだ。
学校がたくさんあるのだから、どこでも通学の距離や時間はそうかからないだろうと思っていたが、考えてみると、かなり長距離の通学を強いられている地域があるようだ。
それが、中心部の南側の市立旭南(きょくなん)小学校。
昨年度の児童数は374名で、中心部では多いほう。明治42年の開校で、校舎は古いタイプ。
所在地は寺町の南側にあたる、旭南一丁目。大町や川元各町との境界も近い。
旭南小の北と西には、比較的近くに他の市立小学校が存在する。
Googleマップより
旭北(きょくほく)小と川尻小で、旭南小からの直線距離は1キロ前後しかない。旭川を渡るが、東隣の築山(ちくざん)小も1キロ強。

では、南隣の小学校といえば…
ない!
強いて挙げれば、雄物川の対岸の日新小や羽越本線の向こうの大住小ということになるが、遠い。

旭南小の南側には国道13号線があり、その南側の茨島(ばらじま)や卸町地区は、工業地帯や卸団地ではあるものの住宅地も形成されていて、相当の人口があるはず。だけど、考えてみればそこには学校がなかった!

秋田市教育委員会学事課の学区検索のホームページを元に、旭南小学校の学区を地図に示してみた。
※通学区域のことを西日本では「校区」と呼ぶことが多いようですが、秋田など東日本では「学区」と呼ぶのが一般的であり、秋田市教委でも「通学区域(学区)」としているので、ここでは「学区」を用います。
赤い線の内側が旭南小学区。線がかすれているところは、あいまいな部分
旭南小の学区は南側にとても広く、卸町と茨島は、全域が旭南小学区だった。
羽越本線が雄物川を渡るあたりの茨島七丁目が学校からもっとも遠い地点になり、学校までの道のりは3キロ近いと思われる。小学生の通学距離としては遠いからか、スクールバスが運行されている。(ちなみに旭南小から逆の北方向へ3キロ進めば、八橋新川向や泉中央辺り。この間には、旭北・保戸野・泉と3小学校の学区が含まれている。)
工場地帯や川があるため、旭南小以外の学校となるともっと遠くなってしまうから、仕方ないのだろう。
ただし、一部エリアでは町内会単位で、学区を大住小へ変更することが特例で認められているようだ。通学距離がだいぶ短縮されるし、バスに乗ったり国道を通行・横断しなくて済む。

一方で、学校の西・北・東はかなり狭い。
学校北側でいちばん遠いのは、市立病院付近だけど、通学距離は1キロにも満たない。
それに、学校の所在地である旭南一丁目でさえ、一部地域(5番地、6番地の一部)は旭北小の学区になっている。(一方で旭北小学区っぽい大町六丁目や川尻小学区っぽい川元開和町などの各一部は旭南小学区)
つまりは、学区の北寄りに学校が位置するとも言える。
隣接する各学校との児童数のバランスを考慮しているのだと思うが、川尻・旭北・築山の各小学校に通うよりは、旭南小のほうが近そうに思えるエリアもある。例えば築山小学区のイオン秋田中央店や若草団地周辺とか。

旭南小の卒業生は、山王中または秋田南中へ進学する。(秋田西中や城南中へ進学する特例地域もあるようだ)
茨島の南側の五丁目~七丁目は山王中学区だが、山王中まで4キロもある。山王中は原則徒歩通学だが、この地域からのみ自転車通学が認められていたはず。


茨島や卸町が宅地化されたのは、戦後だろう。
明治時代に旭南小が開校した当時は、そんな遠くから通ってくる児童がいることなど想定していなかったはず。(雄物川放水路完成前だったから、田んぼと川の下流の湿地ばかりだったかもしれない)
宅地化が始まって人口が増える段階で「茨島小学校」でも設立していればまた違っていたのだろうが、子どもが減る一方の現在では、それもできない。
今後も、市街地としては長い距離を通学する小学生がいることになりそうだ。
小学校の新入生たちにとっては、新しい学校生活はもちろん、登下校の通学路さえ未知の世界で恐怖に感じることがあるだろう。我々大人は、せめて安全運転を心がけ、見守ってあげたい。

※茨島地区の選挙の投票所については、この記事

【12月2日追記】全国的には、旭北小と旭南小よりも近い距離に同校種の公立学校が存在する例がある。
埼玉県川越市中心部には、道路を隔ててほぼ向かい合うように2つの市立小学校がある。それぞれの学区の端に建っているようだ。
俳優の市村正親氏がその片方の出身で、小学生の頃は相手をバカにして自分たちをよく言うような言い合いというかはやし立てるような(全国的にありますね)ことをしていたという。(日本テレビ系11月27日放送「火曜サプライズ」より)

【2016年4月14日追記】
1954年5月15日付広報あきたの「市民の要望がどう処理されたか! 第3回歩く市役所結果報告」という記事があった。
「茨島地区の旭南編入の措置(川尻学区)」という要望に対し、「答 将来茨島、牛島地区に対し小中学校を新設予定であるが取敢えず本年四月より茨島地区三百名を旭南学区に暫定編入を完了した。 」とある。同時に、川尻小学校の移転(当時は川尻十字路近くの現在の高清水醸造元の一角にあった?)・校舎改築の話も出ている。
ということは、元々は茨島は川尻小学区で、戦後しばらく経ってから何らかの事情で(住民から要望があって)旭南学区へ振り替えられた。
当初は茨島への学校新設計画があって暫定措置だったのが立ち消えて(あるいは1980年開校の大住小学校のことを指していて、開校時に学区に組み入れられなかった)、そのまま現在へ至っているということだろうか。茨島からなら、川尻も旭南も距離的にさほど違わない気がするけど。


秋田市中心部には、学区の設定がおかしいというか不思議な箇所がいくつかある。機会があればまた
■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校、旭南学区は広い(この記事)
※次の記事はこちら
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