冒頭の写真のように、秋田市新屋の市立秋田西中前の歩道橋の上から、直線で500メートルほど離れた市立日新小学校の校舎が見えた。(校舎左に見えるとがったものは、風力発電の風車)
日新小は、雄物川対岸の秋田大橋北詰からも見える。
1.3キロほど離れている
以前紹介したように、新屋地区は海の近くが丘陵になっていて、その東側(海と反対側)斜面に日新小が建っている感じ。
坂の下に校舎が建っているような気がして、その時の記事では「4階といっても高さとしては3階建て並みだろうから、眺めはさほどよくなさそう」としていた。
でも、このように平地(低地)から見ると結構目立っているので、やはりこの辺りでは「頭ひとつ」高い建物で、海と反対側の眺めはそれなりに良さそう。
さて、その日新小の校舎。
歩道橋からの写真を拡大
屋上に「柱」のようなものが1列に並んでいる。
(再掲)下から見ると、正面の校舎に3本見える
もう1つ、
旧山王中校舎(2003年6月撮影)
上の写真は、市立山王中の先代校舎の解体途中の姿。東側の一部だけを先に解体し、残りの部分を使用しながら、現校舎の建設が行われた。
1967年にできた先代校舎は、秋田市立の学校では初めての4階建て校舎だったそうだ。日新小より5年くらい古いことになるが、写真のようにグラウンドから校舎南・東側を見ると、よく似ている。
山王中の屋上にも、やはり柱状のものが並んでいて、日新小より本数が多い。
屋上の柱は、日新小や山王中に限らず、秋田市立の学校の古い校舎にはほぼ必ずあった。それだけでなく、特に同年代の寒冷地の大きな建物(学校や集合住宅)では、よく見られたらしい。これの正体をご存知でしょうか?
僕はすっかり存在を忘れていたが、写真を見ていたら、突然その名前を思い出し、子どもの時は漠然としか認識していなかったその構造も理解できた(ような気がした。間違っていたら教えてください。)
この記事のタイトルから分かってしまったかと思いますが、その正体は「集合煙突」。(正確には「集合煙突の先端部分」)
集合煙突とは「複数の煙突をまとめた煙突」のこと。ここで取り上げる校舎の集合煙突は、教室などに設置された煙突式ストーブの排気のためのもの。かつての校舎では、煙突から排気を外に出すタイプのストーブが使われていた。
校舎の壁の中に縦方向に空間を設け、そこへ各室のストーブの煙突を接続し、まとめた排気を屋上に飛び出した先端部から放出するという仕組み。「ナントカと煙は高いところが好き」ということだ。「校舎自体を煙突として使う」とも言えそう。
屋上に突き出た集合煙突が見られるのは、校舎の教室のある側(南向きや東向き)であることが多い。
各室ごとに窓から煙突を出すのと比べて、教室や学校周辺への煙の害を軽減したり、教室のすき間風防止、シーズンごとの設置・撤去作業の省力化、見栄えの良さなどのメリットがあると考えられる。
山王中では、各教室正面、黒板と窓の間の柱のような部分の天井近くにストーブの煙突を差しこんでいた。
一部解体された山王中の“断面”の写真から、その接続部と、そこからまっすぐ、屋上の集合煙突の先端へつながっていることが確認できる。
4階の天井近くの小さな丸い穴がそれ。真上が集合煙突の先端(つまりこの集合煙突は、接続される教室が解体されてなくなっているので、既に役目を果たしていないことになる)
山王中では、1フロア当たりの教室の数だけ、屋上に集合煙突が出ていた。つまり、単純に1階から4階までの縦方向に重なる教室の分をまとめて排出していたようだ。
一方、日新小では、教室数に比べて、屋上の集合煙突が少なく見える。
1フロアの2教室につき1本くらい?
隣り合った教室の分もまとめて排出していたのかもしれない。
そういえば、集合煙突があった保戸野小の先代校舎では、2つの教室だけ、煙突式ではなくFF(強制給排気)式ストーブが設置されていた。どうしてなのか不思議だった。
考えてみれば、その2教室の上下階は教室ではなく、トイレや給食室などだった。つまり、構造上、集合煙突がないための対応だったのではないだろうか。
かつての木造校舎では、材質上この形式の集合煙突は有り得なさそう。秋田市立学校で初の鉄筋コンクリート造の校舎となった1961年築の土崎中(先代校舎ということかな?)の写真を見ると、ここで紹介しているのと同じような集合煙突が付いている。
時が経ち、寒冷地の校舎の暖房の主流は、煙突式からFF式へ変わったようだ。
FF式は排気と新鮮な空気の取り入れを、1本の「給排気筒」で行うので集合煙突に接続できないし、部屋ごとに給排気筒が出ていても小型で目立たない。そうした理由からか、秋田市ではおそらく昭和50年に入って建設された校舎では、最初から集合煙突がないようだ。(先日紹介した、南中の校舎では集合煙突がなく、各室から給排気筒が出ている)
したがって、秋田市の場合、1961年から1975年頃までの間に建てられた校舎だけ、屋上に集合煙突が突き出ていたと考えられる。
しかし、日新小など集合煙突がある現役の校舎でも、今は壁から給排気筒が出ているので、FF式ストーブに更新されているようだ。集合煙突があっても、その役目を果たしていないことになる。(だったら撤去すればよさそうだが、そうもいかないのでしょう)
なお、他地域では「ペレットストーブ」を校舎の暖房に採用しているところもあり、その場合は、集合煙突が今も活躍しているらしい。
先代の山王中と日新小の間に当たる1969年頃に建てられ、秋田市の現存する古い校舎の中でもかなり古い、旭南小の校舎にも、集合煙突がある。(上記の通りFF化され、現在は使われていないようだ)
旭南小校舎。外壁は数年前の大規模改修で塗り直されたのできれい
日新小や山王中では、それぞれの集合煙突は同じサイズ・形だったが、旭南小は2タイプが混在する。
太いのと細いの(矢印はFF式の給排気筒)
集合煙突というものは、それぞれに接続された煙突の断面積の合計以上でなければならないらしい。太さが違うということは、接続されていた煙突の本数が異なるのかもしれない。
ここまで、集合煙突につながれていたのは「煙突式」のストーブとしてきたが、それは当然、石油(灯油)を燃やすストーブのつもりだった。
かつての学校(に限らず寒冷地のある程度の広さのある場所)では、石油ストーブの中でも「ポット式」というものが設置されていた。
サンポットのカタログよりポット式ストーブの現行機種。昔のとあまり変わらない。タンク付きで1台10万円前後
しかし…
1969(昭和44)年2月10日の「広報あきた」406号に「二月一日から新校舎で勉強」として、同年2月1日から市立土崎小の新校舎が使われていることが紹介されている。現在も使われている校舎。
その中で「市内で初の石油ストーブ暖房」として、「(秋田市の)各小中の冬期間の暖房は、これまで石炭ストーブを使用していましたが、今回市内で初の石油ストーブを採用しました。」「今後新築、改築される学校には、この石油ストーブ暖房を採用していく計画です。」とある。ポット式ストーブが設置された教室の写真も出ている。
ということは、土崎小より前に建っていた集合煙突のある校舎、すなわち土崎中、秋田北中、保戸野小、旭北小、牛島小、山王中などでは、当初は石炭ストーブが集合煙突に接続されており、1969年以降にポット式石油ストーブに更新されたことになる。現存する旭南小も、もしかしたらそうだったかもしれない。(秋田南中の円形校舎はどうだったんだろう? 写真では集合煙突らしきものは確認できない)
団塊世代の方々から「昔の学校は石炭ストーブで、石炭を運ぶ当番があって、寒くて重くて汚れて…」という話は聞いたことがあったが、それは木造校舎だけの話だと思っていた。
昭和30年代後半に建てられた秋田県立高校では重油ボイラーが採用されているから、同時期の市立学校では当然、石油ストーブだと思い込んでいた。(ボイラーにしなかったのは、ボイラー技士の確保や全館を一斉に暖房する必要がないためだろうか)
鉄筋コンクリートの校舎と石炭ストーブという組み合わせたあったとは、知らなかった。
【2015年12月27日追記】集合煙突の内部にアスベストが使用(吹き付けもしくはプレスした断熱材・保温材として)されたものもあり、解体時や破損時の飛散対策が取られているとのこと。
【2017年7月18日追記】2016年10月に文部科学省が全国の学校の校舎のアスベストの状況を調査した結果が発表された。秋田県内では51の学校の煙突(集合煙突のことだと思われる)の断熱材にアスベストが含まれており、うち、湯沢市と横手市の4つの小中学校では、劣化などによってアスベストが飛散するおそれがある状態で使われているとのこと。秋田市立の校舎では、飛散の危険はないということになる。
■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色、似た校舎、憧れの明徳小、坂の途中の学校、旭南学区は広い(近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎、集合煙突(この記事)
※次の記事はこちら
※弘前市立学校の集合煙突はこの記事後半
日新小は、雄物川対岸の秋田大橋北詰からも見える。
1.3キロほど離れている
以前紹介したように、新屋地区は海の近くが丘陵になっていて、その東側(海と反対側)斜面に日新小が建っている感じ。
坂の下に校舎が建っているような気がして、その時の記事では「4階といっても高さとしては3階建て並みだろうから、眺めはさほどよくなさそう」としていた。
でも、このように平地(低地)から見ると結構目立っているので、やはりこの辺りでは「頭ひとつ」高い建物で、海と反対側の眺めはそれなりに良さそう。
さて、その日新小の校舎。
歩道橋からの写真を拡大
屋上に「柱」のようなものが1列に並んでいる。
(再掲)下から見ると、正面の校舎に3本見える
もう1つ、
旧山王中校舎(2003年6月撮影)
上の写真は、市立山王中の先代校舎の解体途中の姿。東側の一部だけを先に解体し、残りの部分を使用しながら、現校舎の建設が行われた。
1967年にできた先代校舎は、秋田市立の学校では初めての4階建て校舎だったそうだ。日新小より5年くらい古いことになるが、写真のようにグラウンドから校舎南・東側を見ると、よく似ている。
山王中の屋上にも、やはり柱状のものが並んでいて、日新小より本数が多い。
屋上の柱は、日新小や山王中に限らず、秋田市立の学校の古い校舎にはほぼ必ずあった。それだけでなく、特に同年代の寒冷地の大きな建物(学校や集合住宅)では、よく見られたらしい。これの正体をご存知でしょうか?
僕はすっかり存在を忘れていたが、写真を見ていたら、突然その名前を思い出し、子どもの時は漠然としか認識していなかったその構造も理解できた(ような気がした。間違っていたら教えてください。)
この記事のタイトルから分かってしまったかと思いますが、その正体は「集合煙突」。(正確には「集合煙突の先端部分」)
集合煙突とは「複数の煙突をまとめた煙突」のこと。ここで取り上げる校舎の集合煙突は、教室などに設置された煙突式ストーブの排気のためのもの。かつての校舎では、煙突から排気を外に出すタイプのストーブが使われていた。
校舎の壁の中に縦方向に空間を設け、そこへ各室のストーブの煙突を接続し、まとめた排気を屋上に飛び出した先端部から放出するという仕組み。「ナントカと煙は高いところが好き」ということだ。「校舎自体を煙突として使う」とも言えそう。
屋上に突き出た集合煙突が見られるのは、校舎の教室のある側(南向きや東向き)であることが多い。
各室ごとに窓から煙突を出すのと比べて、教室や学校周辺への煙の害を軽減したり、教室のすき間風防止、シーズンごとの設置・撤去作業の省力化、見栄えの良さなどのメリットがあると考えられる。
山王中では、各教室正面、黒板と窓の間の柱のような部分の天井近くにストーブの煙突を差しこんでいた。
一部解体された山王中の“断面”の写真から、その接続部と、そこからまっすぐ、屋上の集合煙突の先端へつながっていることが確認できる。
4階の天井近くの小さな丸い穴がそれ。真上が集合煙突の先端(つまりこの集合煙突は、接続される教室が解体されてなくなっているので、既に役目を果たしていないことになる)
山王中では、1フロア当たりの教室の数だけ、屋上に集合煙突が出ていた。つまり、単純に1階から4階までの縦方向に重なる教室の分をまとめて排出していたようだ。
一方、日新小では、教室数に比べて、屋上の集合煙突が少なく見える。
1フロアの2教室につき1本くらい?
隣り合った教室の分もまとめて排出していたのかもしれない。
そういえば、集合煙突があった保戸野小の先代校舎では、2つの教室だけ、煙突式ではなくFF(強制給排気)式ストーブが設置されていた。どうしてなのか不思議だった。
考えてみれば、その2教室の上下階は教室ではなく、トイレや給食室などだった。つまり、構造上、集合煙突がないための対応だったのではないだろうか。
かつての木造校舎では、材質上この形式の集合煙突は有り得なさそう。秋田市立学校で初の鉄筋コンクリート造の校舎となった1961年築の土崎中(先代校舎ということかな?)の写真を見ると、ここで紹介しているのと同じような集合煙突が付いている。
時が経ち、寒冷地の校舎の暖房の主流は、煙突式からFF式へ変わったようだ。
FF式は排気と新鮮な空気の取り入れを、1本の「給排気筒」で行うので集合煙突に接続できないし、部屋ごとに給排気筒が出ていても小型で目立たない。そうした理由からか、秋田市ではおそらく昭和50年に入って建設された校舎では、最初から集合煙突がないようだ。(先日紹介した、南中の校舎では集合煙突がなく、各室から給排気筒が出ている)
したがって、秋田市の場合、1961年から1975年頃までの間に建てられた校舎だけ、屋上に集合煙突が突き出ていたと考えられる。
しかし、日新小など集合煙突がある現役の校舎でも、今は壁から給排気筒が出ているので、FF式ストーブに更新されているようだ。集合煙突があっても、その役目を果たしていないことになる。(だったら撤去すればよさそうだが、そうもいかないのでしょう)
なお、他地域では「ペレットストーブ」を校舎の暖房に採用しているところもあり、その場合は、集合煙突が今も活躍しているらしい。
先代の山王中と日新小の間に当たる1969年頃に建てられ、秋田市の現存する古い校舎の中でもかなり古い、旭南小の校舎にも、集合煙突がある。(上記の通りFF化され、現在は使われていないようだ)
旭南小校舎。外壁は数年前の大規模改修で塗り直されたのできれい
日新小や山王中では、それぞれの集合煙突は同じサイズ・形だったが、旭南小は2タイプが混在する。
太いのと細いの(矢印はFF式の給排気筒)
集合煙突というものは、それぞれに接続された煙突の断面積の合計以上でなければならないらしい。太さが違うということは、接続されていた煙突の本数が異なるのかもしれない。
ここまで、集合煙突につながれていたのは「煙突式」のストーブとしてきたが、それは当然、石油(灯油)を燃やすストーブのつもりだった。
かつての学校(に限らず寒冷地のある程度の広さのある場所)では、石油ストーブの中でも「ポット式」というものが設置されていた。
サンポットのカタログよりポット式ストーブの現行機種。昔のとあまり変わらない。タンク付きで1台10万円前後
しかし…
1969(昭和44)年2月10日の「広報あきた」406号に「二月一日から新校舎で勉強」として、同年2月1日から市立土崎小の新校舎が使われていることが紹介されている。現在も使われている校舎。
その中で「市内で初の石油ストーブ暖房」として、「(秋田市の)各小中の冬期間の暖房は、これまで石炭ストーブを使用していましたが、今回市内で初の石油ストーブを採用しました。」「今後新築、改築される学校には、この石油ストーブ暖房を採用していく計画です。」とある。ポット式ストーブが設置された教室の写真も出ている。
ということは、土崎小より前に建っていた集合煙突のある校舎、すなわち土崎中、秋田北中、保戸野小、旭北小、牛島小、山王中などでは、当初は石炭ストーブが集合煙突に接続されており、1969年以降にポット式石油ストーブに更新されたことになる。現存する旭南小も、もしかしたらそうだったかもしれない。(秋田南中の円形校舎はどうだったんだろう? 写真では集合煙突らしきものは確認できない)
団塊世代の方々から「昔の学校は石炭ストーブで、石炭を運ぶ当番があって、寒くて重くて汚れて…」という話は聞いたことがあったが、それは木造校舎だけの話だと思っていた。
昭和30年代後半に建てられた秋田県立高校では重油ボイラーが採用されているから、同時期の市立学校では当然、石油ストーブだと思い込んでいた。(ボイラーにしなかったのは、ボイラー技士の確保や全館を一斉に暖房する必要がないためだろうか)
鉄筋コンクリートの校舎と石炭ストーブという組み合わせたあったとは、知らなかった。
【2015年12月27日追記】集合煙突の内部にアスベストが使用(吹き付けもしくはプレスした断熱材・保温材として)されたものもあり、解体時や破損時の飛散対策が取られているとのこと。
【2017年7月18日追記】2016年10月に文部科学省が全国の学校の校舎のアスベストの状況を調査した結果が発表された。秋田県内では51の学校の煙突(集合煙突のことだと思われる)の断熱材にアスベストが含まれており、うち、湯沢市と横手市の4つの小中学校では、劣化などによってアスベストが飛散するおそれがある状態で使われているとのこと。秋田市立の校舎では、飛散の危険はないということになる。
■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色、似た校舎、憧れの明徳小、坂の途中の学校、旭南学区は広い(近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎、集合煙突(この記事)
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※弘前市立学校の集合煙突はこの記事後半