広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

六魂祭周辺の光景

2015-05-31 21:02:50 | 秋田の季節・風景
地元住民としては、多少心配なこと(日程交通)もあった東北六魂祭が始まって、とりあえず無事に終わったようで何より。(無関係でバッティングしてしまったイベントはどうだったのだろう?)
2日間で予想の22万5千人を上回る26万人が訪れたとのこと。

秋田市は、開幕前日29日は31.8度と5月としては観測史上最高気温となった。初日30日はいくぶん下がって28.9度。夜は雨が降って朝に上がり、31日はぐっと涼しく19.5度で快適。風はやや強め。
秋田駅前の大屋根下
仙台七夕の飾り。パレードはできないので、こうのような展示方法になるそう。
大屋根下では、駅側に六魂祭の大きな旗が下がっていて、駅方向からはせっかくの飾りが見えない。旗なんかより、七夕飾りが見えたほうがいいのでは?

エリアなかいち前
大屋根では水平方向に竹竿(金属棒を添えて補強していた)を渡し、そこから吊り下げる飾り方。エリアなかいちや八橋近辺では、上部に葉がついた竹を斜めに立てたものに下げていた。これが本来の姿なんだろうか。本場仙台でも、両方の方法が取られるようだ。

仙台七夕の実物は初めて見た。サイズが複数あるのかもしれないが、思っていたより小さくて高い位置。
静岡の清水の七夕は見たことがあるけれど、想像通りの大きさで、吹き流しが顔に触れるくらいの位置だった。(「ちびまる子ちゃん」でも描写がある)



会場ど真ん中へは行かなかった。ニュースやケーブルテレビのライブを見ると、当然ながら人は多かった。(30日午前中から沿道に陣取っていた人もいて、見るだけで暑そうだった)
パレードは30日が16時30分から19時20分、31日が12時30分から14時45分。
交通規制の時間は30日が1次エリアが9時、2次が12時、3次が15時から、いずれも22時まで。31日は1次、2次規制が9時から、3次が11時から、いずれも19時まで。
30日3次規制中の広小路・久保田町交差点から西(見えないけど会場がある)方向
30日のパレード中でも、駅から会場方向へぞろぞろと人の波が続いた。身動きが取れないような状態ではない。
旭川に突き当たると、警察官が「会場へ行く人は右へ行ってください。左だと元に戻されます」と、二丁目橋→竿燈大通りではなく、一丁目橋→大町一丁目・二丁目の間の一方通行路へ誘導していた。
実際のところ、二丁目橋側は、
30日17時頃
最混雑時は分離したほうがいいだろうけど、この程度。
土手長町の歩道橋は封鎖され、通行止めの車道を横断。


戻って、
30日の秋田駅西口。左は公道、右がバス乗り場
西口駅前は道路、バスターミナルとも封鎖され、誰もいない場所にコーンや柵が並ぶ、少々異様な光景。この背中側の駐車場も整列スペース。
30日は17時、31日は15時から実施される、JRの方面別・列車別改札のため準備。
その時間にJRの列車に乗る人は、全員、西口の下に来て整列しないといけないのだ。夏の大曲の花火大会の大曲駅も時もこうなるのだが、秋田駅では史上初だろう。いやはや大変そう。
ところが、31日17時の時点では、誰も並んでいない(JR社員が1人? だけいた)どころか、路上のコーンはきれいになくなっていた。わずか2時間足らずで人が引いてしまったということか。(改札口付近は行っていないので不明)

ちなみに、30日の15時54分秋田発の羽越本線新屋行き普通列車に乗った。パレード開始直前の逆方向だから、当然、駅構内はガラガラ。乗客は、バスから流れたのかいつもよりいくぶん多い感じ。



その他、街中の様子。
交通規制の影響で、全体的にその周辺の道路(新国道や国道13号)は休日の昼間にしては車は少ない。店舗の来店客や医院の通院患者も少ない気がした。イオン秋田中央店も、お客さま感謝デーにしてはやや少なく、食品レジは1~2人待ちで済んだ。
規制により一方にしか進めない(鉄砲町方向から左折して千秋矢留町へ)通町橋の交差点では、信号待ちで数百メートルの車の列ができるなど、局所的には流れが滞っていた。
昼間の段階では、大規模な道路渋滞は発生していなかったと思われる。したがって、大幅な削減・短縮が行われた路線バスもおおむね順調だったはず。

泉ハイタウン線上りの始発・泉北二丁目
泉ハイタウン線(旧・泉秋操線)は、末端部が環状運行となる関係上、基本的に行った車両が必ず折り返して戻る。時間調整は、ジェイマルエーとコメリの間の「泉北二丁目」バス停で行う。
ところが、上の写真では、なぜか2台のバスがいる。
後ろの「回送」のバスが秋田駅から運行して来たバスで、手前がこれから秋田駅へ向かうバス。おそらく、遅延に備えて、往路と復路で運用を分離したのだろう。ご覧のとおり、定刻で運行されてしまい意味がなかったけど。


30日午前に土崎からマツダ前に着いたバス
本数が激減した新国道経由のバスは、数分遅れて臨時終点・マツダ前に到着していた。
中型バスからお客がぞろぞろと降りていて、途中の乗降に手間取って遅延したのかもしれない。空になったバスは、臨海営業所へ戻ったようだ。

降りた人々は高齢者も多く、ほとんどが南方向へ新国道を歩いて行ったけれど、どこまで行くのか。六魂祭会場にしても、秋田駅にしても、かなり遠い。
道路状況と利用状況からすれば、マツダ前発着に短縮した上、1時間に1本あるかどうかでは、やはり過剰な削減だと思った。

行き先表示は、通常と異なる行き先の場合は、LEDは社名表示にして行き先は紙で対応していたが、上の新国道経由はなぜか通常の系統番号入り西口行き(紙も掲出)。駐車場シャトルと誤解されないように?


そんな新国道を、路線バスより多く走るのが、臨時駐車場(秋田運輸支局と卸売市場)と会場を結ぶ有料シャトルバス。
30日午前の段階でも、告知された15分よりもやや高頻度で走っていた。
卸売市場から来て、山王二丁目で降車扱いするシャトルバス
新国道の路上で方向転換して、下り用(土崎方面)バス停で降ろしていた。
見た限り、卸売市場は中央交通の中型路線バス。立ち客もいた。
シャトルバスは、空で駐車場へ戻る運用らしい。制約があるのは承知だが、土崎方面へバスで行く人を乗せてあげられないものか…

一方、秋田運輸支局からは、
工藤興業の貸切バス! しかも空席あり
いちばん近いクセに、いちばん優雅な移動じゃないか!
※「工藤興業」は当ブログ初登場のはず。
秋田市雄和にあり、1967年に砂利販売業で創立。2004年から旅客貸切に進出。秋田の新興貸切バス会社としては、おそらく最大手で、プロ野球や学校行事などでも利用されるようになった。

駐車場は30日は14時半までにすべて満車、31日は昼過ぎの段階でプライウッドだけが満車になったとのこと。【6月3日追記】左記は当日の秋田魁新報ホームページからの情報だが、2日付経済面では「両日とも満車にはならなかった」。シャトルバスは30日に48台、31日は35台。


わずかに運行される、買物広場発山王二丁目行きの「会場行き」特発バス。
中型バス
回送中の姿しか見られず利用状況は不明だが、中型バスが2台続行していたようだ。大型バスが入っていたという情報もいただいた。
山王二丁目で折り返し、買物広場へ戻ったのだろうか。


パレード終了前後などは混雑したかと思われるが、それ以外の時間の会場周辺に限れば、交通規制、バスダイヤとも、やや過剰な傾向がしなくもなかったが、致し方ないのかもしれない。
でも、実行委員会や秋田市が言う「当日は自家用車の利用は控え、交通機関の利用を…」という無責任な呼びかけは腹立たしいし、バス会社のダイヤ設定や告知方法ももうちょっとやり方があったように思えてならない。
中央交通のホームページは、29日夜から30日午前にかけて、前例がないほど“重かった”。バスダイヤを知ろうとアクセスする人が集中したのだろうが、ダイヤを知ってがく然としたかもしれない。


31日17時頃の久保田町交差点
パレード終了から2時間経ち、人通りは少なめ。いつもの日曜よりちょっと多い程度。
交通規制は続いていて、車は通らない。この状態で交通規制するのはもったいない気がしてしまった。せめて、路線バスとタクシーだけでも低速で通行させるとかしても良かったかも。

交通規制箇所の交差点などには、警察官、民間警備会社員のほか、揃いのポロシャツを来た人も配置されていた。
ポロシャツは黄緑(若草)色とえんじ色があり、若草色のほうが多い。おそらく若草色が秋田市役所職員、えんじ色が秋田県庁職員ではないだろうか。それぞれの旗の色である。
【6月3日追記】2日付秋田魁新報 秋田市地域面によれば、秋田市役所職員は30日に1302人(消防を除く市職員の60.9%)、31日に1216人(同56.8%)を動員。

車両通行止めの道路では、歩行者が車道を歩いても問題ないはず。
ところが、交通規制区間で、えんじ色の服の人が「車道を歩かないでください」と必死にハンドマイクで呼びかけていた。特に車が近づいているとか、危険ではなさそうなのに。掲示などはない。
しかも、近くにいる若草色の服の人も、警備会社の人も、さらにたまたま通りかかった警察官も、それに応じた行動を取るわけではなかった。
沿道の関係者などの車を通行させる場合があるし、基本的には歩道部分を歩いて混んできたら車道へということかもしれないけれど、えんじ色の人だけが歩道を歩かせたくて仕方がなかったように思えた。(上のほうの写真でも、多くはないが車道を歩いている人が写っているが、特に注意されていなかった)
どっちでもいいけれど、ルールと対応は統一してほしい。



例年、東北六魂祭は、全国版のマスコミでもそれなりに取り上げられる。
今年もそうではあったが、例年よりはやや控えめだった気もしなくはなかった。
口永良部島の噴火や小笠原沖の深いところでの巨大地震という自然災害のニュースが飛び込んだから、それを優先するのは当然。しかし、六魂祭が5回目であること、さらに震災で一部不通が続いていた宮城県のJR仙石線が、30日に全線で運行再開したことのほうが、震災復興としての“ニュース価値”が高かったことも理由ではないだろうか。

今日の閉祭式では、産経新聞(17時58分更新)によれば実行委員長である秋田市長が「来年、青森で会いましょう」と述べ、来年は青森市で開催されることを「公式に明らかにした。」としているが、時事通信(18時46分更新)では「(実行委は)青森市での開催を検討するとしている。」にとどめている。青森市でやるでしょうけど。
多くの人が楽しめて、できれば被災地や開催地に直接的な効果がもたらされる祭りになってほしい。


そして、今年の秋田市での六魂祭に関わった(関わらされた)すべての皆さん。おつかれさまでした。
多少の続きがあります
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山口市旗と火の用心

2015-05-28 22:25:34 | 秋田の季節・風景
今日の秋田市役所前
若草色の秋田市旗とともに、見慣れぬ白い旗がはためく。

これは山口市の旗。中国地方の山口県山口市の。
白地に赤の意味は分からないけれど「山」と「口」を合わせた意匠のようだ。

海外から要人が来たりイベントがある場合、その国旗を掲揚することはまれにあったが、他の市の旗が揚がるのは初めてかもしれない。
こうなったのは、「チャレンジデー」で秋田市が山口市に負けたから。(負けなくてもこうなったかもしれない。後述)



各自治体や報道では、「チャレンジデー」と称することが多いが、正式には「国際チャレンジデー」という世界的イベントらしい。
カナダ発祥で、日本では「笹川(ささかわ)スポーツ財団」が主催する。
※秋田市では「はずむスポーツチャレンジデー」と称した模様。上の写真で庁舎玄関左に看板が出ている。

市町村単位で参加し、5月の最終水曜日(今年は27日)の0時から21時までの間に、15分以上継続して運動・スポーツした人の割合(参加率)を競うもの。人口規模が同じ市町村どうしが対戦する形式。

秋田県では、何年か前から参加する自治体が増え、この日にスポーツイベントが開かれたことが報道されていたので知っていた。
今年は、全国130市町村が参加。秋田県からは大潟村と秋田市が初参加し、県内全25市町村が揃うことになった。(県内全市町村の参加は、全国唯一のはず)

対戦基準の人口区分は6段階。人口31万8千の秋田市は、25万人以上の「カテゴリー6」だが、他に同カテゴリーの参加市町村がなく、カテゴリー5でいちばん人口が多い山口市(19万4千)が相手になったようだ。

結果としては、県内では勝った自治体が多い【29日追記・20勝5敗】中、秋田市は負けた。
参加率は全自治体平均52.7%、山口市が50.3%、秋田市が21.7%。【29日追記・秋田市では40%を目標にしていたとのこと】
秋田市は全国的にも下から数えたほうが早い参加率。


まあ、勝った負けたじゃないし、勝ったからといって特別いいことがあるわけでもなさそう。だから細かいことに目くじらを立てるべきではないのだろうけど、相変わらずいろいろ気になってしまったので、以下に記します。

秋田市でのチャレンジデーそのものの認知はともかく、知っていてもルールや参加手順について充分な周知がされていただろうか。市の告知はもちろん、主催者のホームページを見ても、あいまいに解釈できる部分もあったと思う。

・「運動・スポーツ」の定義
スポーツイベントに参加しなくても、個人的な運動でも認められる。
通勤や買い物などで歩いたり自転車に乗ることでも、15分以上なら認められる。
いくら車社会秋田だと言っても、歩いた人を含めれば2割程度ではなさそう。もっと周知すれば割合は上がったかも。


・報告期限
集計は自己申告(団体はまとめて)に基づいて、各自治体が行う。
秋田市の参加報告は、電話、FAX、電子メール。メールアドレスからすれば、新屋のコールセンターに委託したようだ。
その報告期限は、秋田市ホームページに「5月27日(水) 受付時間:午前9時00分から午後9時00分」とある。
ずいぶん早い締め切りだが、当日中(23時)に主催者のホームページに結果が掲載されたから、早く集計する必要があるようだ。

ということは、21時ギリギリあるいは21時を越えて運動していた人が、一息ついてから「報告しよう」と思ったら、間に合わないことになる。


ところで、主催者ホームページの自治体担当者向けの「実施の手引き」には「住民からの参加報告の締切りは、午後9 時30 分までとします。これ以降の参加報告は無効となることを、あらかじめ住民や関係者、実行委員等にご周知願います。」とあった。
秋田市側での集計に30分要するのは分かるけど、秋田市では「これ以降の参加報告は無効となること」はまったく周知していなかったのではないだろうか。
【29日追記】29日付秋田魁新報社会面で、秋田市スポーツ振興課が「運動してもどう報告していいか分からなかった市民もいたようで、PR不足は否めない。」と話している。

どっちにしても30分しか猶予がないのは厳しい。世界的な統一ルールなのかもしれないけれど、報告期限はカウント時間帯の数時間後にするべきではないだろうか。発表は翌日でいいじゃない。選挙じゃないんだから(選挙だって翌日でいいと思う)。


・100%超?
全国の結果を見ていたら、青森県新郷村の参加率は117%(※公式資料でなぜか小数点以下の記載なし)、岡山県新庄村は103.4%。
100%超、人口以上の人が運動したって、どういうこと?
※新庄村は秋田県上小阿仁村と対戦。上小阿仁村は64.0%と善戦したが、これでは勝ち目がない。

「自治体外からやって来て、(スポーツイベントに参加して)自治体内で運動した人」をもカウントしているのだ。

主催者のホームページや各自治体の告知では「運動やスポーツをした“住民”の参加率を~」としているのがほとんど。
その日だけよそから来た人は「住民」じゃないのでは?

ここでまた「実施の手引き」を見る。
「当日、チャレンジデー実施自治体内にいる人であれば、誰でも参加可能です。」「住民以外の通勤・通学者、観光客等も参加対象となります。」「人口が少ない自治体などでは結果として参加率が100%を超える場合もあります。」
とある。
ルールとして、よそから来た人が参加してもいいのは分かったが、だったら「住民」という表現は適切ではない。「その市町村の中で運動した人」とするのが妥当ではないだろうか。

でもなんか腑に落ちない。人口に対する割合を基準にしているのに、そのベース(人口)以外から流入してくる人をカウントしてしまっては、なんかフェアじゃないような気がしてしまう。テストで「3教科の平均点」を求めるのに、5教科の合計を3で割っているようなもんじゃないの?
主催者が決めたルールが絶対なんでしょうけど。


・必勝法?!
勝てるかもしれない方法を思いついた。
年齢制限はないそうだから、幼稚園・保育所から高校まで、体育や部活で運動した園児児童生徒の数をカウントすれば、一気に増えるんじゃない?

ところが、これも「実施の手引き」。
「体育の授業や運動会の練習、部活動は対象となりません。」そうだ。
理由は、「参加者がチャレンジデーに参加したという意識が必要。」だから。
でも、「但し、休み時間などで、チャレンジデー用のプログラムを実施する場合は対象となります。」そう。

うーん。
部活動というのは、基本的に希望者が任意で加入して活動するわけだから、カウントしてもいいのでは?
むしろ、「休み時間などで~」というほうが、児童生徒は実質的に全員強制参加になってしまうことが多いのではないだろうか。
それに通勤や買い物で歩くのは対象だけど、それだって、歩きたくないけど必要に迫られて歩いていると言えなくもない。
主催者が決めたルールが絶対なんでしょうけど。

ただし、秋田市のパンフレットには「自宅や地域、職場、学校などで」とあり、これでは体育や部活動も含まれてしまうように受け取れる。
報告した段階ではじかれてしまうのだろうが、ちゃんと書いてくれれば、やりたい人は別に運動するし、そうじゃない人も無駄な報告をしないで済むのに。


・旗
そして、冒頭の旗。
チャレンジデーについてある程度知っている人は知っていると思うが、秋田市や秋田のマスコミは、負けた場合にどうするかをあまり触れていない。
負けたほうの自治体は、その庁舎に勝った相手の自治体の旗を、1週間掲揚しなければならない決まり。
だから、秋田市役所に山口市の旗が揚がっていたのだ。

これも「実施の手引き」では、
「対戦に敗れた自治体は相手の健闘を称え、翌日から1 週間、庁舎のメインポールに対戦相手の自治体旗を掲揚していただきます。」
「掲揚の方法は特にルールはありません。(略・対戦相手と)掲揚方法を事前に相談などしてください。」
「最近は勝敗に関係なく、お互いの健闘を称え、両自治体の旗を掲揚することが一般的になっています(推奨)」
となっている。
掲揚方法については、相手の旗と自分の旗を、1本の同じポールに上下並べて掲揚するところもあるようだ。

「推奨」されているように、もしかしたら山口市役所にも、秋田市旗がはためいているのかもしれない。


でも、知らない人が見たら、もう1つ揚がっているのはどこの旗なんだと、不思議に思われてしまいそう。
秋田市では、週末に東北六魂祭が行われ、秋田市役所前がパレード会場、しかも有料観覧席が設置されるので、山口市旗が多くの人の目に触れ、そのうち一部の人が悩むことだろう。

【2023年5月30日追記・その後のチャレンジデーについて
秋田市は2021年を最後に参加しなくなり、秋田県内の他の自治体でも参加しないところが出ていた。
そして、2023年5月31日の開催をもって、チャレンジデー自体が終了することになった。主催者は「国内の社会環境は急激に変化しており、少子高齢化、人々の価値観の多様化や社会課題の複雑化などの影響を受けて、全国一斉開催による現在の形態では、運動・スポーツ習慣者を増やすという目的の達成に限界を感じるようになりました。」としている。1993年から開催されていた(2020年は新型コロナウイルス感染症により中止)。




以上、チャレンジデーについていろいろ書いてしまったけれど、いちばん言いたいことはここから。
チャレンジデーの主催者「公益財団法人笹川スポーツ財団」のこと。

現在の理事長は元参議院議員の小野清子氏で、昨日は秋田市にも来てラジオ体操に参加したらしい。【29日追記・小野氏は秋田で育った(生まれは宮城)体操選手。秋田の全市町村が参加したのは、このことにも起因しそう。秋田県体育協会も関わっている】【2018年10月14日追記・余談だが小野清子氏は、NHK「おはようジャーナル」内のコーナー「さわやかシェイプアップ(1985~1995年)」の講師を務めたこともあったそうだ。】
設立者は財団名でもある笹川さん。「笹川」と言えば、30歳代以上の人はピンと来るかもしれない。

「火の用心」の白髪のおじいさんである。
1995年に96歳で亡くなった、笹川良一氏のこと。※以下、Wikipediaを参考にしました。

と言っても、「火の用心」と「笹川スポーツ財団」は直接の関係はなく、「財団法人日本船舶振興会(現・公益財団法人日本財団)」が関わる。
1962年に笹川良一氏が競艇の収益金を海洋や福祉の振興に充てる目的で日本船舶振興会を設立。英名は「SASAGAWA Foundation」。
後にいくつかの別財団を設立し、その1つの笹川スポーツ財団は1990年。
笹川良一氏の死後、日本財団に改称。現在の会長は良一氏の子息。


で、日本船舶振興会当時に流れていたテレビCMが懐かしいのである。
テレビCMを多く流していて「ダメ。ゼッタイ。」などもそのようだが、笹川良一氏の生前は、ご本人が出演するCMがあった。
ご本人登場でも何バージョンもあったようだが、僕は「火の用心編」しか知らない。(全国的には)1976年から1994年まで放映されたそう。(同内容で日本船舶振興会ではなく「日本防火協会」名義もしくは両者連名での放映もあった)

昭和末期の秋田では、平日の15時50分頃に流れていた。
たしか、秋田放送だったから、ワイドショーの終わり際から「世界の車窓から」の前くらいだろうか。

CMの内容は、火の用心をメインに、一日一善と曜日ごとの異なる教訓めいたことを伝えるもの。
映像もそれに合わせたもので、笹川氏のほか、芸達者な2頭のチンパンジー、子どもたちと火の用心(=「夜回り」だけど時間は昼)をしながら太鼓を叩く力士と、まといを派手に振る男。
力士は高見山大五郎(収録当時は現役)、男は作曲家の故・山本直純。
当時の僕は高見山は知らなかったが、山本直純氏は教育テレビに出ていたから分かっていたかもしれない。(笹川氏も火の用心のおじいさんとしてしか知らなかった)

流れる歌の歌詞は、内容に連動して曜日で違った。
「♪戸締まり用心 火の用心 戸締まり用心 火の用心」は共通で、7音-5音で教訓めいたこと、次に8音で曜日の語呂合わせ、最後に「○曜日」(火曜と土曜は「○曜日だ」)。
「♪水はいのちのお母さん すいすい すいすい 水曜日」といったように。

最後に、子どもたちと記念撮影風に整列した笹川氏が「水を大切にしよう!(フレーズは曜日で異なる。やや関西なまり)」「一日一善!」と呼びかけ、「モーターボートの収益金は、防犯防火のために役立っています」という中村正氏のナレーションと拍子木の音で終わる。


思い出深いのは、おじいさんの存在と、歌である。
当時から学校で歌う子がいたし、僕は今でも「火の用心」と聞けば頭に浮かぶ。
歌は武本宏一作詞、山本直純作曲の「火の用心のうた」。歌詞は日曜から土曜まで7番。

僕は子どもの頃から、月曜から金曜まで5バージョンあることは知っていた。
火曜と水曜は正確に、月曜はなんとなく覚えていたが、木曜、金曜はほとんど記憶になかった。学校が終わるのが遅くて見る機会が少なかったからだろうか?
日曜と土曜もCMとしては存在した(もちろん歌詞も)そうだが、見た記憶はなく、歌詞はまったく知らなかった。秋田では流れなかったのか、流れたけれど見ることがなかったのか。


テレビでは流れなくなった後も、各地の火災予防パレードでは流れることがある。
今年3月5日に、NHKの東北エリアニュースで偶然聞いて、懐かしかったのでメモしておいた。
盛岡放送局の「花巻 園児が防火パレード」。
火災予防運動に合わせて、「花巻市石鳥谷町で行われたパレードには石鳥谷保育園の園児や地元の消防団員などおよそ60人が参加しました。「火の用心」と書かれたおそろいのはっぴを着た園児たちは、JR石鳥谷駅前を出発し、商店街をパレードしました。園児たちは拍子木を鳴らしながら、「火の用心」と大きな声を出し」ていた映像の背後に、その歌が流れていた。

【追記】2020年11月9日には、NHK仙台放送局の「火災予防運動で園児が防火学ぶ」で、また幼稚園児がこの歌を歌っていた。秋の火災予防運動に合わせて「地元の柴田消防署が、子どもたちに防火や防災の正しい知識を学んでもらおうと」園庭に園児が整列して開催された催し。「保護者たちの前で「火の用心の歌」を元気に歌ったりして」として、ピアノ伴奏で歌っていた。

2023年10月18日には、青森県五所川原市のエルムの街ショッピングセンター内で、幼年消防クラブに所属する園児らが防火パレードを行ったことが報道された。
NHKの映像によれば、アカペラで、この歌を歌いながら、拍子木やカスタネットを打ち鳴らして歩いていた。
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新城川通水

2015-05-27 23:09:57 | 秋田の地理
川の話題が3連続してしまいますが、たまたまです。
土淵川、旭川に続く今回は、秋田市北部を流れる「新城川(しんじょうがわ)」。毎年のように起こる洪水対策のため、一部で新しい場所に川を移す付け替え工事が行われていた。
それに伴って、JR奥羽本線国道7号線の橋を新たに架ける必要が生じ、それぞれ大掛かりな工事がされている模様を2011年に記事にしていたけれど、それっきりだった。

2011年の時点では、道路、鉄道とも仮の橋へ迂回していた。
その後、じっくり見る機会がなく、たまに通ると工事が進んでいることは分かっていた。
2013年3月 奥羽本線(仮線)の車窓から下流側
本来の(=仮でない)線路上の、将来川になる位置に、先に橋ができていた。

2013年11月には、道路、線路とも、本来の位置の新しい橋を使うようになっていた。国道は2013年9月11日に「飯島橋」として開通。
2013年11月 新しい橋部分を走る奥羽本線車窓から上流側 ※右奥の赤白の構造物は送電線の鉄塔。火力発電所の煙突は下流側。
上の写真手前の土の部分が、仮線の跡。その向こうに既に新しい川が掘られているが、手前も奥もまだせき止められているようだ。

2014年7月 奥羽本線車窓から下流側 ※こちらの右奥が火力の煙突。この位置では3本がほぼ重なる
上の写真が国道の飯島橋。下が新しい新城川で、ほぼ完成しているように見えた。

2015年4月 奥羽本線車窓から下流側
こちらは古いほうの新城川。今春の時点で、まだ普通に川として機能している感じ?
青い水道管か何かの橋の向こうが7号線の橋で「新城川橋」。右奥に新しい川に架かった飯島橋が見えている。

古い新城川に比べて新しい新城川は、普段の水の量からすれば広すぎるほど、河川敷が幅広く取られたのが分かる。
かつて、ここの線路から1キロほど先の土崎消防署飯島出張所付近までの田んぼが、一面水びたしだったのを見たことがあったけれど、こうでないと防げないのだろう。



以上のような状況だということは、もう新城川は新しいほうへ移ったの?
でも、古いほうにもまだ水が流れているし…
秋田市中央部へは、新城川に関する情報はほとんど聞こえてこない。

と思っていたら、5月28日・木曜日に「新城川通水記念式典」が挙行されるのが分かった。
県知事、秋田市長、県議会副議長なども出席し、現地(ここより上流側の下新城笠岡地内)で行われる。

ちなみに、5月28日は元AABアナウンサーによれば、67%の率で晴れが出現する「秋田でもっとも晴れやすい日」。ちなみに、六曜では友引。
実際に晴れそうで、いい日を選びましたね。

ということは、既に新しい川に水が流れているけれど、今日まではまだ川じゃない扱いなのだろうか? それとも、式典を後回しにしていたのか。

1938(昭和13)年に雄物川放水路が開通した時は、爆破作業で川が開通する瞬間をとらえたモノクロ写真が残っていて、小学校の副教材で見て衝撃的だった。(写真は国交省のサイト等に掲載されていて、動画もある)
そのイメージがあるのか、式典の時にもう新しい川が機能しているというのは、ちょっと拍子抜け。(この小ささの川でこの立地で、爆破なんかやるわけはないけど。)
式典ではテープカットでもやるんだろうか? 「川が開通する」という事態はそうあることではないので、興味深い。明日以降の報道に期待。
【29日追記】29日付秋田魁新報 秋田市地域面で、詳しく報道された。式典開催の場所は「川沿いの駐車場」とあるが、写真からすれば新しい笠岡橋の上流右岸と思われる(詳細は後日アップの現地レポートにて)。
下新城小6年生18人による太鼓演奏の後、テープカットとくす玉を割り、式典に続いて、地元住民でつくる新城川改修促進期成同盟会と市が祝賀会を開催。
今回の通水式典の対象区間は、国道付近から笠岡までの2.35キロ。ほかに国道から河口まで2.0キロが1968~1990年度に改修済み。笠岡から上流の岩城、槻ノ木地区など2.3キロも改修が計画されているが、完成の見通しは立っていないとのこと。



さて、となると疑問なのは、(公式の)通水後、古い川はどうなるのか。
「付け替え」というぐらいだから、新旧共存することはなさそう。じゃあ、埋めるのか?

実は、大型連休前後に“現地調査”を行って、判明していた。
付け替え工事は、国道や線路がある飯島地区だけでなく、上流の下新城地区でも行われた。
洪水時に、農村部っぽい狭い道や住宅が水浸しになっている、あるいはあふれる寸前なのが報道されるのが、下新城笠岡付近(式典もここでやるらしい)。そこでは、
下新城小学校近くの「笠岡橋」の歩道用橋から上流方向
既に古い川を埋め立てる工事が進んでいた。
埋め立てられているということは、下新城笠岡付近では、通水記念式典前に既に古い川が川としての機能を失っていることになる。
古い川の橋は撤去するか、旧川に流れこむ用水路をどうするのか、埋めた跡をどう活用するのか、未着工の飯島側でもやるのか、やるのなら奥羽本線と国道の橋も撤去するのか、等は不明。

まったくよそ者の感想としては、以前は農村部の生活の場をかすめるような小さな川が、その裏の田んぼの中を抜ける広い川に変わってしまい、同じ川だとは思えない光景。古い川が埋められるのは、せっかくの景観が失われて惜しい気もする。
しかし、以前の川幅の狭さでは洪水が起きるのは当然。やっと安心できるようになったとも思うべきだろう。




地理院地図やGoogleなどの各地図サイトでは、現時点では古い川だけで新しい川は表示されていないものの、Googleの航空写真でははっきりと新しい川が分かる。
【29日追記】コメント欄の通り、28日にGoogleマップで飯島地区(下の画像の範囲)に新しい川が表示された。古い川もそのまま掲載。ただし、上新城地区では、新しい川が細い小川のように表示され、正確ではない。マピオンや地理院地図は未更新。
Googleマップと航空写真より作成。左が国道7号と奥羽本線、右上に少し見えるのが横金線(ここでは市道)


新城川は一級河川。昨日も触れたように、一級河川は本来は国管理であるが、指定した区間は都道府県に管理を委託できる。
実際には、旭川とか弘前の土淵川とかのように、支流の多くは県管理となっているようだ。
新城川も県管理で、この付け替え工事も県が行い、影響を受ける市道の橋も県が架けたようだ。(国道やJRはそれぞれも関わるのかな?)

ちなみに、新城川は「雄物川水系」で雄物川の支流の扱い。
秋田市中央部の者としては地理的にピンと来ない。地図を見ると、新城川は日本海に直接ではなく、秋田港の中みたいな所に注いでいる。秋田港は秋田運河(旧雄物川)とつながっていて、上記雄物川放水路ができる前は雄物川の本流だったから、その名残なんだろうか。
一級河川の支流は全部一級河川になるが、新城川を雄物川水系に入れないと単独の川になり、二級河川扱いになってしまうかも。【28日追記・二級河川だとしても管理は県】


現地レポートは後日また
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楢山登町河川公園

2015-05-26 22:57:28 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部から旭川に沿う県道28号線を下ってくると、「南有楽町通り」の楢山登町で川から少し離れる。そこから川沿いには、河川管理用通路が続き、実質的に歩行者自転車専用道路として使われている。※この記事参照

県道の歩道と通路がY字に分岐することになるが、その三角形の土地が「旭川 楢山登町河川公園」となっていた。
(再掲)
「秋田県」とあり県管轄だが、道路管理者としてではなく、河川管理者としてだろう。
※旭川は一級河川。一級河川の一部(けっこう大部分?)は国が都道府県に管理を委託しており、旭川も該当。
2014年1月撮影。手前から奥の建物までが河川公園
「公園」と言っても遊具類はなく、木とベンチがある程度。
市が管理する「都市公園」ではないし、狭いし、公園というより「緑地」レベルか。

木は、県道との境にドウダンツツジ(?)の生け垣、桜が2本、そして藤棚。(これで全部のはず)
藤棚のフジは花が咲かず、葉ばかりがこんもりと茂り、病気にかかっていたことすらあった。2014年と今2015年には、わずかながら花が咲いていた。
それが今は、
なくなってしまった!!

先週中(20日)頃から公園を取り壊す工事が行われ、週末までには更地になってアスファルト舗装されてしまった。
あっけなく、楢山登町河川公園がなくなってしまった。

反対側から
フジの状態のほかに、生け垣を囲う竹が壊れかけているなど、充分な手入れが行われていたとは言いがたかった。
ベンチに人が座っている(というか敷地内に人が滞在する)ことはまずなく、管理者からも住民・通行人からも見放されていた公園と言えるかもしれない。
だから、県としては撤去したのだろう。舗装したからには、跡に何かを造らずにずっとこのままだろうか。


改めて見ると、こんなに狭い公園だったのかと感じたものの、歩道(と通路)にしては広すぎるとも感じた。

何年前から公園があったのかは分からないけれど、おそらく管理できなくなったという理由で、あっさりと更地にしてしまうのは、やや安易な気がしなくもない。
数年前に(山王十字路以西の狭義の)山王大通りの中央分離帯の花壇がなくなったのも、同じ理由だろう。
これからはこういうことが増えていかざるを得ないのかもしれない。
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中央弘前-土手町の道

2015-05-25 21:27:39 | 津軽のいろいろ
前回の土淵川・寺沢川合流点付近から下流側は、右岸を弘南鉄道大鰐線が走る。
周囲はアパートや住宅が多く、繁華街や観光地のすぐ近くなのに、日常の静かな時間が流れる一帯である。
それも大鰐線の終点・中央弘前駅まで。一気に歓楽街や商店街に変わる。


その中央弘前駅は、鉄道好きの旅行客に「場所が分かりにくい駅」として知られている。
JR弘前駅から離れていて、しかもメインの通りから1本裏に入った、やや入り組んだ所にあるためである。

土手町にアーケードがあった当時は、駅入口を示す小さな看板があった。
秋田のADのような商業施設「ルネスアベニュー(ルネス街)」を通れば、土手町と駅の間を通り抜けることもできる。
いずれにしても、分かりづらいのはたしかで、僕も弘前に行った当初は、たどり着けなかったことがあった。


ところで、中央弘前駅前のすぐ下流側が土手町で、そこに架かる橋が「蓬莱橋」。橋の向こう(下流側)には、地元百貨店「中三(なかさん)」があり、土手町の中でもにぎやかな場所。
従来から、左岸側に川沿いの道があり、蓬莱橋の下をくぐって、中三前の蓬莱橋広場【6月23日訂正・「橋」がない「蓬莱広場」が正当でした】方面へ抜けることはできた。距離にして150メートル弱だが、勾配がきつめなのと、橋の下は天井が低くて薄暗く、あまり通りたい雰囲気ではなかった。また、上流側歩道には出られない構造で不便。

道がなくて通り抜けできなかった右岸側では、2012年秋から何やら工事が進んでいた。※直近の記事
(再掲)
青森県と弘前市による「土淵川環境整備連携事業」で中央弘前駅と土手町の上流側歩道を右岸沿いに結ぶ歩行者用通路が造られ、4月21日から供用されていた。

中央弘前駅からたどってみた。
中央弘前駅前は一方通行・歩道なしの狭くて曲がった道。
橋【2023年6月29日追記・「境橋」という名とのこと。】のたもとの下流側の駐車場の片隅から通路が始まるが、上流側にある駅からは道路を横断しなければならない。
駅を背に。ちょうど抜けてきた2人連れがいた
この橋は歩行者用が別に架かっていて、通路へ入るには車両用の橋のたもとへ行かなければならず、そこには横断歩道がない。
道幅が狭いから、ひょいと渡ることも不可能ではないが、駐車車両で見通しが悪い場合などもあるので、要注意。
駐車場出入口もあるし、ここの動線は要改善だと思った。

通路に入ってしまえば、あとは安全。全体に手すりがあり、融雪装置も入っているとのこと。
振り返って駅側

カーブと高低差があるので、階段とスロープがある。
左奥の特徴的な建物が中三。これも今年で20年のようだ

土手町側
土手町側はちょっとした公園風で「土淵川橋詰広場」と呼ぶらしい。

蓬莱橋の上から。右側の岸に橋の下へもぐる既存の通路がある ※右奥に五重塔がちょこんと見えてます

駅側の駐車場はそのままに、その外側に川にせり出すように通路を造ったようだ

行き方を知っている人にとっては、別になくてもいい通路のような気もする。上土手町・弘前駅方向へはやや遠回りになるし。
でも、車や積雪の影響なく、安全に分かりやすく下土手町や弘前公園方向へ行くことができて、バリアフリーや観光客向けには、意義があるものだろう。
弘前駅から来る時も、土手町循環100円バスで蓬莱橋で下車して、この通路を下りれば中央弘前駅だ。
【26日追記】カーブした川に沿っていて、かつ高低差があることもあるが、通路が必要以上にくねくねしているようにも感じた。スロープ部分など。ただ、仮に一直線だとスロープ部分を自転車で猛スピードで突っ切るやからが出てきそうで危険。意図しているのかは分からないが、自転車暴走対策にはなっていそう。
そう言えば、ここは自転車に乗ったまま通行してもいいのかな? 特に表示はなかったはずだが、自転車乗車の可否の表示も必要かも。

繰り返しますが、道路横断時は気をつけて。

※青森の記事の続きはこちら
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六魂祭のバス

2015-05-24 23:12:21 | 秋田の地理
5月30・31日に秋田市で開催される「東北六魂祭」。
先日の記事の通り、両日はパレード会場付近から秋田駅西口までの秋田市中心部の広範囲において、長時間、幹線道路を含むほとんどの道路で交通規制が敷かれる。
住民のみならずエリア内の店舗(休んだり飲食店は仕入れを工夫したり)や宅配事業者も影響を受け、秋田魁新報によれば、各社が対策を練っているとのことだが、最大の影響を被るのは路線バスであろう。まとめてみる。
※この記事には誤解や誤りがあるかもしれません。利用予定の方は、公式な情報で各自、充分にご確認願います。

まずは、当日のみ運行されるバスについて。
●駐車場有料シャトル
路線バスではなく、実行委員会が中央交通に委託して運行する貸切扱いのようですが、ここで。【27日追記・中央交通への問い合わせ先は、このバスだけは営業所ではなく「観光センター」になっている】

自家用車で来る人のために、会場周辺に4つの「一般車臨時駐車場」が設けられる。
・外旭川の秋田市卸売市場 720台(告知では「中央卸売市場」となっているけれど、花き部以外は公設地方卸売市場になったので、適切ではないのでは?)
・泉の新国道沿いの国交省秋田運輸支局 300台
・割山の旧秋田空港跡地 1530台
・川尻大川反の臨海バイパスの秋田プライウッド 750台
いずれも駐車料金は無料で、プライウッド以外の各駐車場と会場の間にシャトルバスが約15分間隔で運行される。降車・乗車場所は卸売市場と運輸支局からは鉄砲町交差点(中央郵便局と福祉会館の間)。空港跡地は山王六丁目(けやき通り南端西側)。
プライウッドからはバスがなく、徒歩かタクシー。

空港跡地では、プロ野球開催時などにも臨時駐車場が設けられるのが定例で、シャトルバスが運行される。弘前のさくらまつりでも、同様。それらと同じく、今回も無料シャトルバスかと思っていた。

ところが、今回のシャトルバスは有料。「往復」で大人900円、子ども400円。
片道での利用はできなさそうな書きぶりだし、片道にしても少々高い。
ほぼ同じ区間で一般路線バスに乗った場合と比較すると、運輸支局入口-山王二丁目は片道190円。市場入口-山王二丁目は片道320円。だいぶずれるけど、南浜回転地-県庁前として片道350円。
シャトルバス料金は、駐車料金相当額も含んだ値段なのかもしれないが、プライウッドはバスがないから完全無料だ。多くの人は「バス料金が片道450円」ととらえてしまうだろう。
主催者の一部告知には、これらの駐車場に「遠方からのお客様へ」とカッコ書きがある。つまり、シャトルバスに乗るのは、秋田市の地理に詳しくない人を想定していることになる。そういう人たちが、普段なら190円で済む区間に450円も払わなければいけないことを知ったら、どう思うだろう。
どうしてこう高額なのか説明をするとか、駐車料金を有料にするとか、別のやり方があるような気がしてしまう。
【29日追記】河北新報サイトの29日アップ「<六魂祭>交通規制に不安 物流影響も」によれば「実行委は「料金はバスの運行経費を予想利用人数で割った結果。駐車場は無料なので、全体的な割高感はないと思う」と説明する。」。

ちなみに、プライウッドから会場までは最短で900メートルほど。鉄砲町と山王六丁目のシャトルバス乗降場所から会場も同じくらい(ちょっと短い)。


●会場行き臨時バス
後述の通り、両日の秋田市中心部では、早朝を除いて一般路線バスがほぼ全便走らない状態になる。
そんな中、1路線だけ臨時に運行される。

「「東北六魂祭」会場行き 臨時バス」で、買物広場→木内前→通町→山王二丁目の経路で片道だけ運行。
西口バスターミナルが朝から使用できないらしく、始発を買物広場にして、通町経由将軍野線のルートで鉄砲町交差点まで。左折したところが終点。通しの所要時間は11分。(普段の将軍野線の駅→鉄砲町は7分))

木内前と通町では乗降ともできるとしてあり、運賃は一般路線バスと同額。千秋公園入口とか鉄砲町とか、告知に記載のない途中バス停では乗降できないのだろうか?
普段、一般路線バスがない駅・木内前→山王二丁目は210円、通町→山王二丁目は170円。

ダイヤは、30日が買物広場発9時から14時までの毎時00分と30分発で計12本。31日は9時と10時の00分と30分の4本。
広小路が30日は15時、31日は11時で交通規制されてしまうため、その直前までの運行。

秋田駅から会場まで2キロ以上あるのに、当日はアクセス手段が実質徒歩だけになってしまう。その一助にというつもりなんだろうけど、この本数と時間帯では、焼け石に水になりそうな気もする。
なお、中心市街地循環バス「ぐるる」は、後述の通り、30日だけは経路と時間を変更して運行されるので、多少は(木内前まで)アクセスとして使えなくもない。


以下は路線バスの運休、迂回。
●時間
交通規制時間の違いに関わらず、路線バスは両日とも全域で8時30分から終車までが、運休や迂回の対象。一部はそれ以前から。
秋田駅西口バスターミナル案内所は両日とも終日臨時休業。

●リムジン、高速
秋田空港リムジンバスは、東口発着に変更。県庁市役所~仁井田中丁の各停留所は通らない。

高速湯沢線は、長崎屋バスターミナル発着。八橋球場~西口~長崎屋は運休。
秋田発13時台→湯沢発17時台(秋田着19時30分の終車)の中央交通担当便1往復は全区間運休。

高速能代線は、東口発着。それ以外の秋田市内各バス停は通らない。(北インターではなく中央インター使用)
秋田発15時→能代発17時(秋田着19時台の終車)の中央交通担当便1往復は全区間運休。

●羽後交通 急行本荘線
長崎屋バスターミナル発着に短縮。運休便はなし。


●中央交通一般路線
以下、秋田市内の中央交通の一般路線。※方面や路線名称は告知の表記と異なるものがあります。
公式サイトで「全ダイヤ運休」との表示がない路線でも、朝の1便だけ運行して後は全部運休といった路線もある。以下の「運休」や「迂回」は、基本的に8時30分以降を指すこととするので、それ以前は通常運行の場合あり。
山王方面
会場を突っ切る、各車庫や県立プール方面は、早朝以外全便運休。

神田・添川・泉方面
添川線は全便運休。
神田線、泉ハイタウン線は、東口発着千秋トンネル経由に振り替え、半数を運休。
※「神田土崎線」に「通常運行」とあるのは、秋田駅に無関係な土崎駅-秋田厚生医療センターのこと。

新屋・割山方面
新屋線、新屋西線、川尻割山線は長崎屋バスターミナル発着。西線は中央交通本社前経由。
新屋線は半数(卸町経由は全休)、西線、割山線は3分の1程度が運休。

・新国道経由五城目線、追分(天王グリーンランド)線
土崎駅前発着に短縮。

新国道経由土崎方面
セリオン線、飯田街道・高専前経由厚生医療センター行きは運休。
マツダ前-土崎駅前に短縮し、マツダ前発10時~16時に計6本、土崎駅発8時~16時に計7本だけ運行。
飯島行きはなし。

旧国道・寺内経由将軍野・土崎方面
県庁・寺内経由土崎線、県庁・寺内・サンパーク経由厚生医療センター線、通町・寺内経由将軍野線とも、早朝以外運休

牛島方面
二ツ屋福島線、御野場団地線(旧道経由・柳原経由とも)、南大通り経由日赤病院線は運休。
仁井田御所野線、大住みなみ野団地線は、買物広場発着(下りは南大通りに迂回)。

手形方面
下北手線(大学病院に入らず宝川上丁着発)は運休。
手形山団地線は東口発着、半数が運休。
仁別線、秋田温泉線は東口発着、3分の1程度運休。
太平線(大学病院・岩見三内)、大学病院経由松崎団地線は東口発着
赤沼線(車庫-西口-大学病院-東口)は、車庫発東口行きは運休。東口発は東口→大学病院→三吉神社前→(手形山崎交差点左折)→東口で運行。

駅東各方面
西口発着築地・横森経由桜ガ丘線、西口発着明田地下道・城東消防署経由駅東団地線、東口発着明田・横森経由ノースアジア大学線は運休。
東口発着横森経由桜ガ丘線、東口発着広面御所野線はそれぞれ半数が運休。
東口発着南ヶ丘線は変更なし。(といっても2.5往復)

・秋田市中心市街地循環バス「ぐるる
30日は買物広場14時40分発まで運行。15時00分以降運休。西口と通町→交通公社前は通らず。
※通町→交通公社前迂回は、ヤートセ秋田祭など通町交通規制時に実施例あり。木内前の次は北都銀行前。
31日は全便運休

といった感じ。
当日の一般路線バスの状況(会場行き特発バス、ぐるるは除く)
黒線が運行しない区間。オレンジ色線が運行する区間(通常ルートと迂回ルート両方)。

大雑把に言って、各方面とも1時間当たり1~2本の運行に削減されている。
直接の交通規制の影響がない、桜ガ丘や日赤・御所野方面でも、それぞれ2時間に1本になる。(イオンモールのシャトルバスはどうなるんだろう? 今のところイオンモールのホームページには記載なし)

通常の土日ダイヤでは毎時3~4本ある牛島方面は、仁井田御所野線と大住みなみ野団地線が1本ずつ。
通常3本ある新国道経由の土崎までは1本。通常は、別に旧国道を通る寺内経由各路線が毎時計3本あるが、全休なので、秋田と土崎方面を結ぶ路線バスは、通常の2割程度の輸送力になるだろう。
また、土崎駅より先の飯島方面に直通する路線は、運休または土崎駅発着となるので乗り換えが生じるが、ダイヤ上は考慮はされていなさそう。(さらに通しで運賃を支払える配慮があればいいけど、やらないでしょうね)
反対に、新屋方面、特に新屋西線は比較的本数が確保されている。


そして、秋田市内側の発着地の振り替え。振り替え先は買物広場や東口はともかく、長崎屋バスターミナルとマツダ前。秋田駅から直線距離でも、それぞれ1.8キロと2.7キロ離れている。
西口のタクシー乗り場は閉鎖されるそうで、駅からそちら方面のバスに乗るには、東口か(規制時間外なら)ビューホテル脇などからタクシーに乗るしかない。
東口発となる泉ハイタウン線で泉南三丁目~泉北二丁目のどれかで降りて、500メートルくらい歩けば新国道に出るけれど、接続は悪い。
マツダ前はあまりに遠い。中央郵便局前とかならまだなんとか分かるけれど。シャトルバスや観光バスの乗降などで混雑するから避けたのだろうか。

ダイヤでも、発着地でも、秋田市北部がかなり影響を受けてしまう。この方面は、JRが比較的本数が多いから、その分削った【ただし、当日は秋田駅の入場規制あり】のか、あるいは渋滞が激しくなりそうだからか。



前年までの各開催地の状況がどうだったかは知らないし、街の構造が違うので一概に比較はできない。
会場がほぼ同じ竿燈まつりの時(時間が短く、駅や広小路が交通規制されない点では異なる)は、運休や区間短縮はないのと比べると、非常に厳重というか慎重な態勢に感じられた。
魁の記事では、中央交通側が「渋滞がどの程度になるか予想がつかない」といった趣旨の発言をしていた。ダイヤを見ても、その不安が伝わるし、前例がないことだから慎重になるのは分かる。交通規制決定後の時間的余裕が少なかったり、車両や乗務員のやり繰りが厳しかったりするのかもしれない。
だけど、その日にバスを利用しなければならない住民はもっと不安だし、そもそも変更内容を把握していない人もいることだろう。
今日現在、経路は変わらないが減便されるバス停には「詳細はホームページか電話で」という掲示しかなく、当日に来ないバスを待ち続ける人が出てしまいそう。
対象全バス停に、詳細を掲示するのは大変なのも分かるから、バス会社任せでなく、主催者側が力や人やカネを出してやってもいいのではないだろうか。
六魂祭の日でも、六魂祭と関係なしに通常の仕事や用事でバスを利用しなければいけない人のことを考えているのだろうか。


今さらどうしようもないけれど、規制にならない通町~旧国道~寺内をまったくバスが通らないというのは、もったいない気がする。道が狭くて渋滞を恐れているのかもしれないけれど。例えば通町発着で土崎方面への足、会場への輸送に使えなかっただろうか。

他にも、通常の経路にこだわらず、秋田駅から南大通り経由新屋方面、千秋トンネル経由新国道方面などを運行することも可能だったかもしれない。




ざっと数えたところ、通常の土日ダイヤの8時半から最終までの間に秋田駅西口を発着する路線バスは、片道400本強。
次の土日は、そのほぼすべてが西口に姿を現さないことになる。そんな街に多くの観光客。どんな事態になるか想像できない。
外出の際は、できれば余裕を持って広い心でいきましょう。

【25日追記】ちなみに観光バスの駐車場は2か所。
「A」が新国道沿いの八橋の「(株)ナイス所有地」、「B」が向浜の「こまちスタジアム駐車場」。
ナイス所有地とは、店舗建設予定地ながらずっと空き地のあの土地のことだろう。この記事中ほど参照。

六魂祭当日の状況
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20周年

2015-05-21 23:25:31 | 昔のこと
【2016年10月31日カテゴリーを「秋田のいろいろ」から「昔のこと」へ変更】
うっかりして忘れていた。(別に忘れてもいいのだけど)
今年の4月28日で、丸20年だったことを。


1995年4月28日(金曜日だったらしい)、秋田市楢山に「秋田サティ」がオープンした。
「サティ」とは、大阪に本社があった株式会社ニチイ→株式会社マイカル(1996年に社名変更)やその子会社が経営していた総合スーパー。
ニチイ経営の店舗は秋田市初(能代や鷹巣には既に「ニチイ」ブランドの店があった)、サティブランドとしては秋田県初の店舗(後に能代と横手にも開店。能代は撤退し、横手は現・イオン横手店)であった。


現在の「イオン秋田中央店」がそれである。建物の外観も内装も(看板や店舗レイアウトは別として)20年前とほとんど変わっていないと思う。
サティがイオンに変わった経緯は以前記事にしていたが、「サティを経営していたマイカルが経営破綻し、イオン傘下に入ったこと」と「イオンの既存の同コンセプト店『ジャスコ』とブランドを統合するため」であり、2011年3月に全国一斉にサティがイオンにブランド転換している。
したがって、たまに「秋田サティが単独で営業状態が悪かったから、潰れてイオンになった(サティが撤退し、後継にイオンが入った)」と勘違いしている人がいるが、そうではない。むしろサティの中では秋田サティは優良店舗だったらしい。

運営会社とブランドは変わっているが、1度も「撤退」はしておらず、20年間ずっと存続している店である。
(再掲)秋田サティ当時。今も看板が違った程度の差

開店当時、僕は秋田を離れた直後ではあったが、建設途中の状況をよく目にしていたことと、耳慣れぬ「サティ」という店に興味があって、開店の日付まで覚えていたのだった。その後もしばらくはあまり行く機会はなかったけど。

やがて2010年代までに秋田市では、ダイエーもイトーヨーカドーも撤退し、秋田駅や秋田市中心部からいちばん近い総合スーパーが秋田サティ(イオン秋田中央店)になってしまい、今までになく利用するようになっているのは、皮肉なもの。


僕が物心ついた頃は、「市街地の総合スーパー」全盛期だった。
5階建てとかそれ以上のビルがまるまる同じ店で、地階に食品売場。上のフロアへ行けば、文房具や家電製品まで揃う。
そんなジャスコ、ダイエー、イトーヨーカドーなどが、多くの地方都市の駅前や今で言う中心市街地にあった。
やがて、郊外型のショッピングセンターができ、秋田市では1993年に御所野のイオン(現・イオンモール秋田)がオープンし、やがて市街地が衰退し、総合スーパーという形態も受け入れられなくなっていく。

秋田サティがあるのは、楢山の外れの幹線道路沿い。
中心市街地ではないが、秋田市中央部(中心部でなく)の範疇に含まれる場所であり、御所野のようなまるっきり郊外とは違うと思う。
同じような立地の店としては、1986年に旭北にできた長崎屋(現・ドン・キホーテ。こちらも同様にブランドは変わったが撤退はしていない形。もうすぐ30年か)や1979年の土崎ジャスコ(イオン土崎港店)も含まれよう。
車で訪れることを想定している店なんだろうが、周辺から歩いて来店する人もそれなりにいて、中心部と郊外の中間のような立地は悪くないと思う。

売り場は標準的な総合スーパー。個人的にはこれがいちばん便利で楽だと思う。
秋田サティは3階までしかなく地下もないのが、中心部の高層総合スーパーに慣れた者としては珍しかった。長崎屋や土崎ジャスコも同じような構造。

今もおおむねきれいに保たれているが、トイレはちょっと。
当時としては最新の赤外線センサーによる男性用小便器の自動水栓はあるが、個室は和式が多かったり、少々古臭い柄入り壁紙【6月7日追記・二枚貝が並ぶパステルカラーの帯状の部分がある】で、それが汚れたり剥がれたりしているような所もあるのが気になる。【6月16日追記】1階立体駐車場側など多少手直しされたトイレもある。
秋田フォーラスのトイレはもっと古く、おそらく1974年のジャスコオープン時のままではないだろうか。(踊り場にあって便器が多すぎるくらい大量に並び、蛇口は回すタイプ)イオンリテールでは、トイレは改修しない方針なのでしょうか…



例年、4月28日頃には「開店○周年祭」とかいったチラシが折り込まれ、イベントやセールが行われていた。サティからイオンに変わっても(土崎港店や御所野店ではやらない単独セール)。
今年は、4月の最初の週末にそういうチラシが入った。イベントなどもやったようだけど、記念すべき20周年にしては大々的じゃないような気がしたから、これは“前哨戦”で、月末に本格的にやるのかななどと勝手に考えていたら、やらなかったようだ。(そして、そのまま忘れてしまっていた)
節目の20年にしては、寂しいのでは?

上記、ジャスコ土崎港店は、東北地方の旧ジャスコとしては青森店に次いで2番目に古い店で、2009年で30周年を迎えた。
その時は記念式典が開かれ、秋田県知事や岡田卓也氏(名誉会長相談役)も出席したという。
(再掲)当時の広告看板
イオン秋田中央店では、20周年式典はやらないのか。やらないのであれば、その理由は10年足りないから? それとも旧サティだから?
【22日追記】2年前だったはずのイオンモール秋田の20周年式典はやったのだろうか? 全国的にも20年程度のイオンはそれなりに存在するから、20年程度ではこんなものなのかもしれない。それだけ、1980年代から1990年代前半にかけての日本の商業施設の変化は著しく、それをかいくぐって30年存続する土崎港店は、式典を開くにふさわしかったということだろうか。
なお、外旭川にイオンタウンができた場合も、イオン土崎港店は営業を継続する方針であることが、今年の土崎の住民向け説明会で明らかにされたとのこと。(といっても、後で方針変更はいくらでもできますが…)


サティからイオンに名前が変わって、吸収された側の(サティとしての)過去にはこだわらないのかもしれないが、さまざまな変化があった中、撤退せずに20年続いたことは、会社にとっても、お客にとっても(どちらも20年前を知る人は減っているだろうけど)喜ばしいことではないだろうか。
ダイエー秋田店は21年、イトーヨーカドー秋田店は30年で撤退した。イオン土崎港店は今年で36年目。イオン秋田中央店がいつまで続くのか分からないけれど、末永く繁盛することを祈ります。

開店当時の記録はこちら
2024年のイオン秋田中央店の開店記念セールについて




余談だが、イオンの前身であるジャスコのCMソング「ジャスコで逢いましょう(作詞:横内理和 作曲:中村泰士)」。
かつてはテレビCMや店内で流れていた。今もボサノバ風にアレンジされたものが流れていることがあるらしいが、秋田の店ではどうだろう?

その替え歌が子どもたちに広まっていたというのを、昔、朝日放送「探偵!ナイトスクープ」でやっていた。
1998年6月放送の立原啓裕探偵による「必ず歌ってしまう替え歌」で、大阪での街頭インタビューでどのように替えていたかを調査した。(見た記憶はあるが、今から10年くらい前かと思っていた)
その結果、「♪ジャスコで万引き ダイエーで食い逃げ ニチイで捕まりブタ箱へ」というパターンがいちばん多かった。

当時は、ニチイからサティ(もしくはビブレ)への転換途上だったし、大阪が株式会社ニチイの本拠地でもあったから、「ニチイ」だったのだろう。
今にして思えば、ニチイもダイエーもイオン傘下に入ってしまい、間もなくダイエーの店舗名も消える。全部「イオン」になることを預言していたかのような歌詞でもある?

替え歌には他のパターンも存在し、地域差もあったようだ。(歌い出しは「♪ジャスコで万引き」でほぼ共通)
ネットで調べてみると、ローカルスーパーが出てきたり、地域によって適切なスーパーがなかったのか百貨店名や「生協(またはコープ)」が出てきたり、あとなぜか「そば屋(で食い逃げ)」が好まれたようだ。
逮捕されずに逃亡したり、窃盗以外に重い罪を重ねたり、再犯をほのめかすような歌詞もある。
(そういった意味では、大手総合スーパーのみを列挙し、最後は捕まって終わるナイトスクープのパターンは、ストーリーとしてうまくまとまっている?)


秋田ではどうだったのだろう?
僕はCMソングは子どもの時から知っていたが、替え歌は知らなかった。(替え歌といえば「うれしいひなまつり」とか「忍者ハットリくん」)
ネット上にわずかながら情報があり、いとく、ダイエー、西武、サティ、ユニオン、ユーワ、サンホーユ、つるまい、サンプラザが登場するものを確認。

「ユニオン」「ユーワ」は横手、「サンホーユ」は能代にそれぞれあったスーパーだそう。サンホーユは後にニチイ能代店→能代サティとなる。
「つるまい」は秋田市以南(?)で展開していたスーパーで、マックスバリュ東北の前身。「ジャスコ本荘店」を運営していた時期もあるので、歌詞上、万引きの被害も重複して受けた可能性がある。
「サンプラザ」は秋田市土崎にあった「サンプラザつるまい」のことだそう。上記つるまいが経営する店舗(本荘のジャスコも「サンプラザ本荘」だった時期がある)で、現在のマックスバリュ東北本社の建物のことらしい。
地元スーパー「いとく」は秋田市以北の展開、ダイエーは秋田市1店舗。
秋田市に「西武」ができたのは1984年。それ以前は地元百貨店「本金(ほんきん)」で、1984年から2006年までは「ほんきん西武」。【23日追記】したがって、純粋な「西武」になったのは2006年以降。ほんきん西武時代の通称は「西武」派と「本金」派があった。今でも年配の人は「本金」と呼ぶ人もいる。
書き込んだ人の年齢が不明だが、秋田で「サティ」が出てくるからには1995年以降だろう。(後に能代と横手にも開店)
東日本では「(イトー)ヨーカドー」が出てきても良さそうだけど、秋田以外でも例はなさそう。メロディに載せにくいからか、東日本ではこの替え歌がさほど流行らなかったからか?【コメントで情報をいただいたように、秋田でヨーカドーが出てくる歌詞が存在したとのこと】


だいぶ話がそれましたが、ついこの間だったような1995年から、もう20年。
Windows95が発売され、マルチメディアブームとなるのもこの年のことであった。
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寺沢川・土淵川

2015-05-20 23:59:14 | 津軽のいろいろ
前回に続いて弘前市内の風景。
弘前市の街中を流れる川の代表が「土淵川(つちぶちがわ)」。
久渡寺(くどじ)の山が源で、市内を南から北へ抜けて撫牛子(ないじょうし)で平川に合流し、最終的には岩木川となる。
個人的には、城南と桜ヶ丘の間のリンゴ畑の中を経て、弘前大学(文京町地区)の裏から弘南鉄道大鰐線に沿って、土手町の中三の下辺りがなじみ深い。護岸がびっちり固められたずっと下のほうを、ちょろちょろ流れているような感じで、川自体には親しみがなかった。
弘前市中心部が土淵川を谷の底とする地形で、大雑把には街全体が土淵川に向かって下り坂になっている(寒沢スキー場とか)ことや、川沿いの家並みといった周辺環境には、親しみと郷愁を覚える。


土淵川の近くに、護岸や川幅の雰囲気がよく似た、別の川がある。
名前すらうろ覚えで、医学部の裏辺りを流れていたはずだけど、土淵川との区別があいまいだった。
今回、弘前公園から県立弘前高校方向へ向かおうと、医学部付近を適当に歩いていたら、その川に行き当たった。
左奥が弘前公園方向。右の高いのが附属病院、他も医学部関係の建物
この辺りは、土淵川とは別にこの川に向かって下り坂になっている。地形図からでは把握しづらいが、土淵川よりもアップダウンが激しく、また道路と川底の高低差が激しく、ものすごく下に水がある所も。
「寺沢川」の看板
そうそう。寺沢川だった。
看板の下に「昭和52年8月5日 洪水位」とある。1977年夏に岩木川とともにこの川が氾濫し、11名が亡くなったそうだ。
看板の下の線まで水が来たようだ。後に洪水対策がされたようだが、この川幅と深さ(浅さ)では、限界が早かったのだろう。

地形図を見ると、寺沢川は土淵川と一定の距離を置いて並走するような感じだが、長さは短い。
桜ヶ丘や大開から遠くない「茂兵衛堤」が源で、りんご公園裏側、茂森新町、医学部裏を経て、五重塔がある最勝院と弘前高校の谷間で、土淵川に合流する。
上流にはため池が点在し、1977年の水害はその決壊が原因だったそうだ。

※最勝院付近の寺沢川一帯は、江戸時代は池があったとのこと。激しいアップダウンもそのことが関係しているのかもしれない。この記事参照

川沿いの道を下ってみた。
奥に五重塔。道が急に川より高くなる
県道28号線が最勝院前で交わるのが「日暮橋」。「ひぐらし橋」と読むそうだ。これが寺沢川最後(最下流)の橋。
奥が弘前高校
最勝院と弘前高校それぞれの裏の谷間の薄暗いような所を、半円を描くように進むと、
開けてきて

土淵川と合流
なるほど。こうなっていたのか。

対岸を弘南鉄道大鰐線が走る。このまま進むと中央弘前駅方向。
「階段部入口」だって
昨年の旅番組で、川原にカメラが下りて撮影しており、そんな場所もあったのかと思っていたら、たしかに弘南鉄道の車窓から確認できた。
(再掲)車窓。まだ新しい

その現地がここ。
石の風合いを活かした階段で若干足元が不安だが、ちゃんとした手すりがあって、自由に下りていいのでしょう。
下りてみた。右が寺沢川、奥上が弘前高校
下は平らにならされているが、土むき出しで、ごく限られた範囲しか動けない。

目の前に土淵川
上から見下ろすだけだった土淵川の川原に下りることができ、水に触れられて感激。
水がきれいではない勝手なイメージがあったが、澄んで日の光に輝く。

弘南鉄道が合流直前の土淵川を渡る(水が見えてないし、下手な写真です)
弘高下駅からここまで300メートルほどだが、その間に2度、土淵川を渡る。
ここから中央弘前までは、おなじみの川沿いの線路
川原から見上げる弘南鉄道も、また一興。

ただし、中央弘前方向は、
赤い橋がちらり
川がカーブしていて見通しが利かない。


道路へ上がって、下流方向へ。
 
その赤い橋は、県道の日暮橋と同じく、最勝院にちなむのか赤くて和風のデザイン。銘板が達筆で読めないけど「清水橋」。
【追記】2022年6月28日放送のNHK BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」の1104日目で、「富田の清水(シツコ)“御膳水”」が目的地となった。
その中で、富田の清水が「しつこ」なのだから、清水橋も「しつこ橋」ではないかとの話が出た(その発想はなかった)が、橋はあくまでも「しみずはし」とのこと。

橋付近から川に滝のように流れ込む水が。
水量はけっこうあり、きれいな水のよう
この方向に、湧き水の「御膳水」や「富田の清水(しつこ)」がある。おそらくそれ。

そして、
ここにも階段
合流点と同じ構造だが、「階段部入口」表示はなく、県による「増水に注意」の看板が立つ。
水が増えたらすぐ上がれということだそうですが、合流点にはなくていいのかな?

下りてみると、
飛び石があり対岸に渡れる

対岸から下流方向

清水橋から全貌
2つの階段のおかげで、今までにない場所で土淵川に触れられ、親しみが増した。【21日追記】医学部裏から清水橋までの距離は600メートル足らずとお手軽なのもうれしい。
管理者(県のようだが)には、継続して確実な維持管理をお願いしたい。
流れる水、石の階段、土など、一歩間違えれば命に関わりかねない事故につながるのだから。
特に飛び石。土淵川よりは川幅がある秋田市の旭川では、とある場所に昭和末期にちょっとした親水施設が整備され、小さな中州へつながる飛び石などもできた。
ところが、近くの小学校から危険だという声が上がり、児童は遊ばないようにとのお達しが出て、ほとんど使われないまま、現在は中州は草に埋もれてしまっている。
せっかく作ったものだから、有効に適切に末永く活用できるといいものだ。

弘前の街のまた違った光景に触れられたのも楽しかった。やっぱり奥が深い街であり、まだまだ知らないことばかりである。
ちなみにこの1つ下の橋は「黄昏橋」。日暮橋とともに情緒的な名。
弘前大学文京町地区のほう(西弘と西ヶ丘・桔梗野を結ぶ県道)には「弘盛(こうせい)橋」という橋があるが、由来は不明らしい。

続きは少し下流側について
※2017年の少し上流側
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懐かしい光景の変化

2015-05-19 23:56:20 | 津軽のいろいろ
花見(前回の記事)以外の弘前の話題。
弘前大学までバスで行って、ぶらぶら弘前学院大前(旧・西弘前)駅まで歩いて弘南鉄道に乗ろう(=公園の無料入場券をもらおう)と思って行動したら、電車の時刻を30分間違えていた。
そんなわけで、思いもかけず弘前大学周辺の少し広い範囲を歩くことができた。

弘前学院大前駅の由来である、弘前学院大学。
青森では多いプロテスタント系の学校法人(秋田はカトリック系が主流)で、1駅隣にあり、甲子園に出場した聖愛高校も同経営。
駅は中野1丁目にあるが、大学は線路の西側の稔町(みのりちょう)の少し奥まった所にある。距離は遠くはないものの、駅は東側にしか出口がないので、踏切を渡る。
弘前大学からも遠くないので、周囲には学生向けアパートが多い。
2013年5月撮影 Googleストリートビューより
駅側から行くと、開けて小奇麗な正門に突き当たり、その右に洋風建築が見え隠れする。重要文化財指定の歴史的建造物、1906(明治39)年築の「弘前学院外人宣教師館」である。
宣教師館も大学も昔からここにあったのではなく、短大だった1970年に現在地に移転(翌年に4年制も開学)、宣教師館は1979年に移築されたそうだ。門の辺りはもっと後で再整備されたようにも見える。

僕が弘前を離れた後には、1999年に女子大から男女共学化、2000年に短大閉学、2005年に看護学部開設といった変化があった。
そんなことより気になっていたのが、正門左側にあったATMコーナーである。
以前の記事で触れた通り、2013年5月のストリートビュー(上の画像)では営業していたのに、昨年末では公式ホームページのリストに出ていなかった。
ストリートビューより
歩道寄りに道路に向かってドアがあった。青森銀行とみちのく銀行で1台を共有する共同ATMのようだが、昔は2台別々だったような気がしなくもないし、みちのく銀行単独だったような気がしなくもない? 設置されたのは1997年頃だったような気がしなくもない?(すべてあいまいな記憶です)

今回行ってみると、
なくなっている!(「営業中」の旗とポストの間にATMがあった)
ATMコーナーも看板もすべて撤去され、既存部分と一体化した駐車場になっていた。
「営業中」の旗は、この奥にある「ライトホール」という学食のものらしい。道路から直接出入りできるようになっていて、旗が立っているから、外部からの利用も歓迎なんだろう。これは昔からあっただろうか? 少なくとも旗はなかったはず。


弘前学院大前駅の西側が稔町で、その南側が城南1丁目。境をバカヤローカーブ経由のミニバス「城南線(さくら野・バスターミナル-桜ヶ丘)」が走る。【20日追記】その本数は20年前とほぼ同じはずだが、以前はほぼ全便がさくら野(当時は開店間もない弘前ビブレ)発着だったのが、今はほとんどバスターミナル発着に短縮されている。かつては中型の旧塗装をもっと赤っぽくして子鹿のイラストが入った丸っこいマイクロバスが走っていた。
その辺り、駅南方の踏切すぐに交差点がある。
小さい道路どうしが交わるわりには交通量が多い。僕が入学した当初は信号機がなく、後に新設された。1995~1996年頃だっただろうか。(信号機は変わっていないので、銘板の製造年を見れば分かるけど→確認しました
その交差点南西角に、青森銀行の店舗があった。
2013年5月ストリートビューより
ところが、
なくなった?(道路左側が城南、右側が稔町)
建物はそのままながら、店が閉まり、看板は白くなっていた。
反対側から。奥が踏切
青森銀行ホームページに「城南出張所の移転について」が出ていた。
ここ城南1丁目13番地8にあったのは「城南出張所」。1985年3月開設だったとのこと。
2013年9月27日でこの店は閉まったそうだが、「閉鎖」や「統合」ではなく「移転」。
移転先は、教育学部の北側、富士見町の青森銀行富田支店内?!

「支店内支店」というもので、「同一の建物内で複数の営業店が同居して営業する店舗体制で、営業効率の向上を目的とした店舗体制の1形態のこと」だそう。移転後の電話番号は富田支店と同じ。
「なお、城南出張所は、平成26年6月以降に富田支店へ統合される予定です。」としているが、今のところ統合されていないようだ。

秋田銀行では、少し前に店舗統合が盛んだった。
口座番号が変わり、勤務先への給与振込口座の変更手続きは顧客が各自で行わなければならず(各種引き落としの変更手続きは銀行が勝手にやるのに)、店が遠くなるという点を別にしても、客としては迷惑。
その点、支店内支店なら手続きは不要だそうだ。
でも、将来的には統合を計画しているのだったら、一気に統合してしまっても同じことのような気もする。

秋田銀行の場合、店舗跡にはATMコーナーを残してくれることが多い。
青森銀行城南出張所跡にはATMはない。

学院大前ATMも城南出張所もなくなり、近くのATMとなると、学院大前駅隣接の「コープあおもり西弘店(旧・弘南生協)」にATMがあるそうだ。
ちなみに、みちのく銀行は、駅の並びに支店がある。
線路を越えないとATMがないのは、少々不便になったかもしれない。


あと、学院大の南、出張所跡の西(斜め向かい)に「城南ストア」とかいう、商店が長屋風に入居する建物(2階はアパート「城南ハイツ」?)があった。
僕がいた当時から空き店舗が多かったはずで、当時入っていた宅配ピザ屋は、後に退去して近くに移転していた。今回前を通ったら、「弘前の煮たまご屋」なるものができていた(2010年11月オープンらしい)。
休業日だったが、小さな店でこんな所でやっていけるのかと思ったら、駅前のヒロロで販売していて、買うことができた。【2021年9月1日追記・2021年8月には、店の前に、煮玉子の自動販売機が設置されたとのこと。】

学院大と城南ストアの間にある公園「松木記念緑地」。存在は知っていたけれど、初めて足を踏み入れてみた。
松木さんという人(医者?)から市に寄贈された土地。木は比較的うっそうとしているが、周りはアパートや家で、それほど広くない。ベンチはあるが遊具などはなかったか。リンゴ畑でも見かけるキジが来ていた。


3月末で惜しまれつつ閉店した、「サンクス西弘店」。

当然ながら、看板類が外されていた。(信号の隣の柱が看板跡)
建物自体はあまり変化なし。
コンビニのドアの右側に郵便受けが付いているけれど、コンビニ時代はなかったようだ。(ゴミ箱があった)
※この後、7月にこういうことになった。



最後に、弘前大学文京町地区。2014年10月に附属図書館がリニューアルしたと聞いていたので、外観だけ。
正門から入ると、左が総合教育棟(旧・教養部)、右が本部など、突き当りが教育学部。
総合教育棟と教育学部の間が図書館で、従来は、正門からまっすぐの左面(北側)に階段があり、それを上がった2階に出入口があった。

今回、1年がかりで耐震改修とバリアフリー化が行われた。
左奥が新玄関、右奥の張り出した屋根が旧玄関跡
リニューアル後は、出入口が東の総合教育棟向かいの1階に変わっていた。旧出入口への階段はなくなり、1階部分が屋根付き車寄せ(関係者出入口?)、2階はバルコニーのようになっていた。
外壁は、かつては濃いグレー系だったのが、学内の他の建物と共通の肌色系に。
正門側の北東角には、1階から2階まで使って青に白文字で「Hirosaki University Library」との表示。なんか取ってつけたみたいでアンバランス。

南へ曲がって人文学部方向を背に。左が図書館、右が総合教育棟
図書館の新出入口と総合教育棟の出入口は向き合っているわけではない。
昔は、ここはアスファルト舗装で自転車が並んでいて、総合教育棟は色が違った。→この記事参照。
その後の別の建物の変化


足の向くまま歩いたつもりが、どうしても懐かしい思い出のある方に行ってしまう。かなり久しぶりに通った場所もあり、いずれも昔の面影が残る一方、何かしら変化を遂げている点もあり、時の流れを感じてしまった。
弘前市中心部の話題など続きます
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六魂祭が沙漠に影響?

2015-05-18 20:13:36 | 秋田のいろいろ
東北6県の祭りが一同に会する「東北六魂祭(ろっこんさい)」が、東日本大震災後毎年1回、県庁所在地持ち回りで開催されている。
5回目となる2015年は5月30日・土曜日と31日・日曜日に秋田市で開催。
過去各回も、それぞれの県庁所在地中心部で開催されていたようだが、秋田市では(竿燈大通りを含まない狭義の)山王大通りの県庁第二庁舎東側(東カンビル付近)から県児童会館前の1.2キロがメイン会場。

初回の仙台市では36万人が訪れ、ものすごい大混雑になった。
翌年以降はいずれも24万~26万人が来ていて、今回は22万5000人を見込んでいる。

秋田市では、今回の会場の近くで8月に「竿燈まつり」が開催され、例年4日間で100万人以上が訪れる。1日当たりの人数からすれば六魂祭のほうが少なそうだから、ちょっと見に行ってみようかと、たかをくくっていた。
しかし、以下のように当日の交通規制などの状況が分かるにつれ、末恐ろしくなり、あまり近づきたくない(近づかざるを得ないのだけど)気がしてきた。


交通規制は広範囲かつ長時間。
けやき通りや大町の裏通りは土曜日は9時から22時、日曜日は9時から19時までと半日。
それに加えて、土曜の15時から22時、日曜の11時から19時にかけては、竿燈大通り、秋田駅前、広小路、脳研前の大手門通り、秋田中央道路地下トンネルといった、秋田市中心部の主要道路の大部分が通行できなくなる。
※中央通り、通町~旧国道、手形陸橋~千秋トンネルなどは規制対象外。

県警の道路表示板は、相変わらず不格好な文字で、抽象的な告知。
「六」が苦しい。「魂」はそれなり

 
「庁」が下寄り。そもそも「県庁周辺」ではなく「臨海十字路」でしょう。
いつもより速いスピードで「5月30日 5月31日 秋田駅から 県庁周辺」「東北六魂祭 交通規制 実  施 」「交通事故に 注意し   安全運転を」と表示。
※別の表示板の状況はこの記事末尾

これに伴い、路線バスも大幅な変更を余儀なくされることが予想され、コメントでも情報をいただいていたが、18日にやっと詳細が発表された。
方面や路線によって対応が異なり、運休(寺内経由など)、減便、秋田駅西口発着路線の発着地の変更(東口、長崎屋、マツダ前など)、迂回運行が大規模に行われる。※詳細は後日利用予定の方は各自、充分にご確認を!
なお、JRも夕方以降は秋田駅改札口の入場規制を行うことにしており、通常通りには利用できなさそう。

秋田市では「当日は自家用車の利用はできるだけ避け、公共交通機関の利用を」といった呼びかけをしているが、これでは公共交通機関さえ使いものにならない。
秋田市中央部に住む人、秋田市中心部を六魂祭以外の目的で訪れる人、秋田市中央部を抜けて南北を移動する人は、身動きが取れないも同然。徒歩や自転車でも、少々足止めや遠回りさせられるかもしれない。(山王大通りは自転車規制あり)
のこのこと歩いて会場に行ったところで、人だかりで見られないで終わりそうな予感もするし。


遠方から見物に訪れる皆さんにも、この交通規制では、秋田の街を楽しんでもらうことは難しいだろう。
駅・中心市街地と会場はやや距離があり、当日はこのエリアの路線バスはほぼ全休。秋田市に不慣れな人がそこを歩いて移動しようとは思わないだろう。
観光バスで来る人たちは、会場近くのけやき通り付近などに乗降場所が設けられるので、会場近辺を歩いて終わりだろう(八橋運動公園でイベントは開催)。
自家用車向けには空港跡地などに駐車場を設け、そこからシャトルバスを運行する。プロ野球試合時のような無料シャトルバスかとおもったら、これが有料。しかも片道【19日訂正】往復900円!(片道だけ乗ることはできないのか?)※中央交通が儲けるわけではなく、主催者側の収入になる模様
以上からして、実質的には、六魂祭とはツアー客向けのお祭りダイジェストみたいなものか。個人客、ましてや当日思い立って、県外から車で来たような人は、見られずに帰るはめになってしまうかもしれない。
秋田市内の飲食店などにどれほど経済効果がもたらされるだろうか。

秋田市が単なる会場としての「器」になってしまっている感じ。
6年に1度(?)の大きなイベントだからそれでいいのだろうけど、それだったら山奥(北欧の杜公園とか??)でやったほうがいいかもしれない。

六魂祭の目的であると思われる、東北地方一丸となった復興を否定するつもりはないけれど、直接的な被災地ではない秋田市で開催することにより、直接的な被災地へどれだけの効果があるのかも疑問。震災復興を名目に被災地を置き去りにして盛り上がっている感じがしなくもない。
来年はおそらく青森市で開催して一巡するわけだが、これほど人を集められる催しなら、例えば会場や会期を分散して、各地にまんべんなくメリットがあるようなイベントに仕立て直すことがあってもいいかもしれない。




我々秋田市中央部在住で特に用のない人は、割り切って自宅と徒歩圏内(あるいは前日からどこかへ遠出して)でのんびりするのもいいでしょう。
でも、土日とはいえ仕事や大事な用事など前々から予定がある人が、何らかの制約を受けてしまうのは、お気の毒。

ところで、公益財団法人秋田観光コンベンション協会のホームページには、「コンベンションカレンダー」として、秋田市内で開催される会議・学会・大会などの予定が掲載されている。

それによれば、5月30・31日に、六魂祭とは無関係の2つのイベントがあることになっている。
・30・31日に仲小路の明徳館ビルのカレッジプラザを会場に50名が参加する「日本沙漠学会第26回学術大会」。
・31日に秋田市立体育館で180名が参加する「第15回全国障害者スポーツ大会バレーボール競技(精神障害の部)北海道・東北ブロック予選会」。
どちらも毎年、各地持ち回りで開催されるようだから、例えば前回の会とか、年度ごとの会議か何かで、1年以上前に「2015年5月末に秋田市でやりましょ」と決定されたのだろう。
一方、六魂祭会場が秋田市に正式決定したのは、今年の1月だったそうだ。(実質的に青森市か秋田市の2択で、昨年内からウワサはあったけれど)

2つの催しの関係者にしてみれば、開催まで半年を切った時点で、六魂祭とバッティングが分かって寝耳に水、青天の霹靂だっただろう。
交通や宿泊の手配、当日の運営に影響が出てしまうのだから。


これで大丈夫なのかと余計な心配をしてそれぞれの主催者のホームページを見てみると、どちらも予定を変更して1週間繰り上げて開催するようだ。バレーボールのほうは理由は不明だが、六魂祭に違いない。
日本沙漠学会のホームページには、
「変更理由 東日本大震災の鎮魂と復興を願う東北六魂祭が,5月30~31日に秋田市内で開催されることが1月20日に発表されました(http://www.rokkon.jp/).
 25万人を超える来場者が予想され,2月5日時点ですでに5月30~31日の秋田市内のホテルは満室になっております.交通機関の渋滞も想定されることから当初の日程での開催は困難と考え,やむを得ず日程を変更することといたしました.会員諸兄には大変ご迷惑をおかけいたしますが,ご了解いただけますようお願い申し上げる次第です.」
とあり、六魂祭のせいで日程を変えていた。

余談だが、学会名が「砂漠」でなく「沙漠」なのは、岩石や礫といった砂以外でできた乾燥地をも含むから。英名では「desert」ではなく、「乾燥地」を意味する「arid land」としている。
今大会では秋田市大森山動物園の小松園長によるラクダについての講演があるそうだ。


日本沙漠学会にとっては今回が「25周年記念大会」という特別なものだそう。
その研究発表の申し込み締め切りは2月27日だったから、それに向けて日程調整と研究を進めていた発表希望者もいたはず。そこへ1月末に突然に六魂祭が割って入って日程変更で段取りが違ってしまったかもしれない。
他の参加者も、沙漠という日本にはないものを研究する人たちだから、予定していた海外出張を変更させられた人などがいたかもしれない。
六魂祭が沙漠(学会)に影響を与えてしまった。それによって、沙漠の緑化が遅滞してしまうかもしれない!?


観光も会議も所管する秋田観光コンベンション協会にとっては板挟みかもしれないが、六魂祭に伴って変更させられたことを把握していない(もしくはホームページに反映させていない)のは、主催者に対して失礼だ。
主催者側が愛想を尽かして連絡しなかったのかもしれないね…
コンベンション協会側も各主催者側も、切羽詰まってそれどころじゃないのかもしれない。
【23日追記】5月23日時点でコンベンション協会のカレンダーでは、沙漠学会の日程は修正されている。バレーボールはそのまま。


ほかには、
・30日「秋田高校吹奏楽部定期演奏会」県民会館
・30日「ゴスペラーズ坂ツアー2014~2015“G20”」秋田市文化会館
・31日「JリーグJ3第14節 ブラウブリッツ秋田 vs FC町田ゼルビア」あきぎんスタジアム(秋田市八橋運動公園球技場)
が予定通り開催されるようだ。
高校吹奏楽部の定演には中学生も来る。会場ど真ん中で開かれるコンサートやサッカーには鉄道や飛行機で見に来る人もいる。そうした参加者の来場・帰宅がどうなるか、ひとごとながら不安である。

六魂祭の関連イベントで同日に「六魂Fes!」というコンサートが県立体育館で開催されるそうだが、それの参加者も同様。

竿燈など夏祭りは1年前から翌年の期間中の宿が埋まるというし、そこに別のイベントをぶつけようとする組織はない。周辺へ及ぼす影響を考えれば、六魂祭の5か月前の決定は遅い。もっと早く、会場と期日を決定するべきだったのではないだろうか。


なお、会場ど真ん中の秋田県立図書館は、両日とも「東北六魂祭に伴う臨時休館」になった。恐れをなしたのかもしれないが、無難な選択だ。
ただし、引き続いて翌6月1日から7日は特別整理期間のため休館で、お休みが長くなる。

図書館向かいの秋田県児童会館は通常通り開館するようだけど、トイレ借用や休憩目的の入館で騒がしくなってしまいそう。
そう言えば、竿燈の時は仮設トイレ設置や近隣ホテルのトイレ開放をするけれど、六魂祭ではどうなるんだろう?【29日追記・仮設トイレは設置され、周辺の商店など竿燈以上にトイレ開放(貸出)が実施される】



それにしても、交通規制時間の会場以外の秋田市中央部・中心部はどうなるのだろう。
広小路や竿燈大通りなどは、路線バスやシャトルバスを含めて車は一切乗り入れできない。車がまったくいない道路を見物客がぞろぞろ歩くのか、それとも歩行者もいないゴーストタウンになるのか。【19日追記】竿燈の本番直前のように、演者の入場までの待機場所になる道路もありそう。
一方通行の片側だけ生き残る中央通りはどんな状況になるのか。
土曜日とお客さま感謝デーが重なり書き入れ時の30日のイオン(特に秋田中央店)は客があまり来ないのではないか。
等々、個人的に気になる。

天気も心配。雨も困るが、暑くなると休憩場所もろくにない(オフィス街の土日なので)駅から会場までの間で、行き倒れる人が出ないだろうか。
関係者、参加者の皆さん、そして巻き込まれる皆さん、おつかれさまです。無事に終わることを祈りましょう。



ちなみに、8月に秋田県大仙市大曲で開催される「全国花火競技大会」には、地域の人口(合併前の大曲市で4万人)の20倍の80万人が一晩で訪れる。
主催者や関係各者と市民の尽力で、毎年うまく開催できているのだろう。六魂祭もそうなってほしい。

それから、「各地の祭りが一同に会する」イベントとしては、秋田県では毎年恒例のものが2つ初秋に催される。
能代の「おなごりフェスティバル」、十和田湖畔(場所としては青森県側)の「十和田湖国境祭(くにざかいまつり)」で、六魂祭とは多少顔ぶれが違うものの、さほど混雑せずに、いろんなお祭りを楽しめるそうだ。
じっくりお祭りを見たいなら、こっちのほうがいいかもしれませんよ。(ほんとうはそれぞれの祭りの現地で、それぞれの本番を見るのがほんとうなんでしょうけど…)

【18日22時まとめ】六魂祭自体に反対ではないものの、次のような点への配慮や検討が必要ではないかと思う。
・他の催しや住民への影響を踏まえ、日時や交通規制など影響を及ぼすことの周知は、極力早く。
・市街地を会場に年1回・2日間が妥当か?
・直接的な復興、開催地への経済効果につながるか?

※六魂祭にともなう路線バスの影響はこちら
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さくらまつり中のバス

2015-05-17 19:19:56 | 津軽のいろいろ
弘南バスの話題。※前回の弘前の記事
まずは、さくらまつりの輸送体制。弘前駅と弘前公園の間は例年通り。
・駅-文化センター前(NHK弘前支局前。東門最寄り)の直行(途中乗降なし)100円シャトルバスを随時運行
・土手町循環100円バスの運行時間延長
・駅~弘前公園一帯の一般路線バス運賃100円均一(2011年から実施。公園以遠は通常運賃)

昨年までの印象。
上記3つのうち、走っているバスに乗っている時間は、直行バスがいちばん短いはず。渋滞しにくい経路を選んでいるようだ。また、追手門よりも東門のほうが本丸に近く、園内を歩く距離が少なくて済む。
ただし、直行バスの運行間隔は決まっておらず、特に弘前駅発は、基本的にある程度の人数が乗車するまで発車しないので待たされるし、場合によっては通路までぎゅうぎゅう詰めのこともある。路線バス仕様の車両が充当されることが多く、座席は多くない。

かと言って、土手町循環バスは渋滞に巻き込まれやすく、大幅遅延や2台が続行するケースもある。途中乗降があり、座席が多く通路が狭い自家用仕様の車両が多いこともあり、シャトルとは違った意味で車内がきゅうくつなこともある。


今年は、シャトルバスは例年と同じような状態だった。弘前駅前には弘南バスの社員が2~3人出て、「弘前城へはこちらから直行バスをご利用ください」と今まで以上に積極的に呼び込みをしていた気がした。文化センター前にも社員を配置。

土手町循環バスは、例年ほど遅延・混雑はなかった感じ。観光客もそれなりに乗っていたが、いちばん乗客が多くなる土手町近辺でも、全座席が埋まるかどうか程度。シャトルへの誘導と、ソメイヨシノの見頃が早く終わってしまい客自体が少なかったためだろうか。

そして一般路線バスは、100円にしなくてもいいんじゃないかと思うほど、いつも通りの客数。(途中バス停から公園に行く人や、早朝・夜間の便を図っているのだろうけど)
バスターミナル始発で駅を経由しない、福祉センター経由神田線に乗ったら3人しか乗っておらず、(マイクロだったけど)悠々と公園へ行くことができた。運転士さんも丁寧な方で良かった。
※神田線でも文化センター前が公園最寄りバス停だが、NHK前とは反対の和徳側にある別のポールで、公園にはちょっと遠い。
※僕は同じ日、秋田でも天徳寺前経由神田線に乗った。同じ日に秋田と弘前で「神田線」に乗った人間は、世の中にどれくらいいるだろうか?!


ということで、駅前でのシャトルバスの呼び込みに惑わされず、一般路線バス利用がおすすめ。ただし、路線によって経路・バス停が異なるので、要確認。
あと、弘前駅前のバス乗り場には、待機する車両もお客もいつも以上に多く…
駅舎寄りのバースに4台が行列
公園行きシャトルバスは、通常は高速バスが発着する乗り場から発車。上の写真は、前が乗車扱い中でぎゅうぎゅう詰めになりつつあるシャトルバス、次にシャトルバスが動くのを待つ高速バスヨーデル号、3台目がリンゴラッピングの土手町循環、最後尾が公園から戻ってきたシャトルバス。3台目付近に歩行者横断帯があるが、塞いでしまっている。
以前も書いたように、ここは横断帯以外の場所でも容易に通行できてしまう構造。そんな決まりを知らない観光客が、駐車するバスの隙間を横断しているような、一歩間違えば事故になりかねない場面も目撃した。
弘南バス側も、客側(というか会社や行政の周知)も、充分に注意していただきたい。
※シャトルバスへ必死に誘導していたのは、極力横断させないで済む乗り場からバスに乗せてしまいたかったのかも。



さて、シャトルバスに使われた車両。
※弘南バスでは社番からその車両の製造年が分かりますが、これは年度ではなく製造された「年」を示すようです。中古車でも弘南バスに来た年ではなく、製造された年。
※中古車の来歴等は愛好家の方々によるネット上の情報を参考にさせてもらいました。
毎年、シャトルバスには大型・中型路線車の種々雑多な車両が見られたが、じっくり観察していなかった。
日頃は見かけないバスもあり、普段はどこを走っているのか、また、座席が少ないので直行シャトルには不向きではないのか(土手町循環と交換してはどうか)と考えていたが、今回、その答えが分かった。
まず、上の4台並んだ先頭の車両は、まだ新しい日野レインボー2。「52504-3」号車だから、2013年導入で五所川原営業所所属。
他にも、いずれも弘前市内の弘前営業所、和徳車庫、藤代車庫のレインボー(純正といすゞとの共通車種の「2」いずれも)は複数台充当されていた。

弘前では貴重な大型バス。中古の日野ブルーリボン
弘前市内のスクールバス運用などでよく見かける「青森220か163」「50125-2」かと思ったが、別の「か152」「50126-2」だった。見かけはそっくり。両車はナンバーは9番飛んでいて、社番は連番ではあるが順序が逆転している。
どちらも1989年製(27年前!)で弘前営業所所属。横浜市交通局の中古だそう。塗装や外観はわりと(秋田某社と比べれば格段に?)きれい。

帰ってから、青森のローカルニュースを見ていたら、この車が意外な場所を走っていたのが映った。
4月28日青森テレビホームページより
弘南バスが経営する有料道路「津軽岩木スカイライン」が冬季閉鎖を終えて開通したニュースで、「一番バス」としてこの車が走っていた。
昨年も同じ型のバスが映っており、163のほうだと思っていたが、こっちだったのかもしれない。(昨秋、枯木平行きには163が入っていた)
「岩木山春山スキー」という専用の幕もセットされ、式典参加者に見送られて誇らしげ。
4月27日は公園シャトル、翌28日がスカイラインと、27年の車齢をものともせずに活躍しているようだ。(スキーバスは5月6日まで運行)

【2016年5月22日追記】2016年の一番バスは、中型の日野レインボー「51207-2」号車、ナンバー「51」が使われた。雪不足で春スキーができず、乗客が少なかったのかもしれない。
【2019年4月27日追記】ブルーリボンが廃車され、その後大型車として中古エルガ1台が走っている2019年4月27日の一番バスは、日野レインボー2「52404-2」号車、ナンバー「773」。行き先のLEDは正面が上段に小さく「スカイラインシャトルバス」、下に大きく「スカイライン八合目」。後部は「岩木スカイライン」?

三菱エアロスター!!
ブルーリボン以上に貴重なエアロスターもいた。
何年か前のさくらまつりシャトルで見たが、それ以後はずっと見ていなかった。ブルーリボンに比べると車体はボロっちく、以前はちゃんとしていた前バンパーがつぶれてしまっている。
「30214-2」だから1990年製で弘前営業所。神奈川県の相鉄バスの中古だそうで、弘南バスでは青森営業所→(弘前市内の)和徳車庫→弘前営業所と転属しているようだ。

弘前駅前に大型バス2台が揃うのは、今となっては極めてまれ
ブルーリボンには「県民共済」、エアロスターには「函館牛乳」の広告がそれぞれリアウインドウに掲出されていたので、普段から運用されてはいるのだろう。
ただ、弘南バスの路線バスが中型・マイクロにシフトし、中古を含めて新しい大型バスがずっと入っていない状況からすれば、これらが弘南バス最後の大型路線バスになってしまいそうな気もしてしまう。
シャトルバスの大型はこの2台しか見なかった。(大型については後でまた)

中型バス
富士重工の古い「6Eボディ」をまとった、いすゞジャーニーK・LR。
秋田では10台近く残っているが、弘南バスでは元々少なく廃車も進み、昨年藤代車庫の「10310-5」を確認していた程度。
これはそれとナンバーも社番も1つ違い。1991年製の「10309-7」。ということは鯵ヶ沢営業所の所属だ!
夕方の便だからか立ち客がいない
側面は前だけにドアがあり、窓は横引き(通称「メトロ窓」)。路線バスとしては少々変わった仕様で、弘南バスの自社発注か自家用の中古かと思いがちだが、路線バスの中古で神奈川の箱根登山バスから来たそうだ。
最後部の斜めになった部分のルーバー(?)みたいなところにシルバーの飾りがあり、いかめしい。この部分は黒いのが一般的で秋田市営バスもそうだった。中央交通では、ボディと同じベージュ色で塗ってしまった車もある。



そして、
見慣れたような見慣れぬような、微妙なお顔
いすゞジャーニーK・LRの純正ボディ(上の車とボディは違うが型式はほぼ同じはず)。ただし、ボディと一体化した大きい行き先表示がない、貸切・自家用仕様。窓は横引き。
この路線仕様は秋田ではよく見かける(弘南バスはさほど多くない)けれど、出っ張った行き先表示がないと印象が違い、すっきりし過ぎて見える。
後ろのほうは窓以外は路線仕様と同じ
「10505-7」で、1993年製でこれも鯵ヶ沢。普段はスクールバスが主な用途らしい。

ということで、弘前公園シャトルバスは、各営業所から車両をかき集めて対応しており、普段は運行範囲や用途が限定された車両が来ることも多いのだった。だから、それを土手町循環バスに容易に振り向けるわけにはいかない(乗務員や機器の都合で)のだろう。
伊勢神宮でも伊勢市外から応援の車両が来ていたり、秋田でも男鹿の種苗交換会に秋田市から応援を出したりしている。
たまたまなのか、黒石と青森からの応援車両は見かけなかった。鯵ヶ沢だと回送が片道1時間はかかるはずだけど、長いまつりの期間中、毎日帰っているのだろうか。(営業所間で一時的に車両を貸し借りしているのかもしれない)
平日だったこともあるのか、走っているよりも弘前駅前で一般路線バスの隙間で待機する時間のほうが長そうだった。客の動向を見て、案内の社員が待機中の各車両へ出向いて声をかけ、それを受けて乗り場へ入っていたようだ。長距離の回送や待つのは大変かもしれないけど、運賃は乗車時に社員に支払うはずだから、運賃収受をしなくていいのは楽かな。


シャトルバスは、シャトルバスを示す紙を掲出し、行き先表示は幕、LEDとも「弘南バス」が基本。
以前から幕式では「弘南観光」表示の車両もあったが、今年は鯵ヶ沢の6Eボディ1台しか出していなかった。減りつつあるのだろうか。
エアロスターでは白幕(ただの紙?)、LEDの車で1台だけ黒幕(電源入れ忘れ?)の車があった。別に表示がなくてもいいけれど、毎年のことなんだから、「岩木山春山スキー」みたいな専用のコマを用意してもいいかもしれない。
日野レインボー2台
紙の表示は、なぜか白い紙と黄色い紙が混在。どちらも書体は丸ゴシック体だが、上の写真右の車だけは白い紙にPOP書体。

ちなみに、上の2台で「弘南バス」のフォントが違っている。
左の車は昔ながらの丸ゴシック体、右はやや細身で大ぶりな細丸ゴシック体系か。※弘南バス方向幕のフォントについては、この記事でも。
秋田などでも、今と昔で方向幕の書体は同じような変遷がある。

※コメント欄で教えていただいたように、日によっては弘前大学から譲渡された1980年製の日野RE101もシャトルバスに使用されたとのこと。


ここからはシャトルバス以外。
上でちょっと出てきた、大型バス「163」はどうしたかと思ったら、
小栗山行き
小栗山線を大型バスが走るのは久々に見たし、今や富田大通りを走る大型バスはこれ1台なのだろうか(2012年もこの車)。20年前は元貸切車を含む大型バスがたくさん走っていたものだ…(関連記事
シャトルバスには入らず、スクールと一般路線で活躍していた。おそらく平日は固定運用なんだろう。

塗装はきれいだけど、行き先表示の上に、横浜市営バス時代の青い塗装が見えている。(車体そのものは秋田よりずーーっと美しく整備されている)
方向幕が新しくされたようで、細い文字。昨年秋の「枯木平」も細文字だった。

宮園行き
「青森22あ86」「50811-9」。1996年製、和徳車庫所属。
「宮園団地線」で、これも「神田」は通るそうだ。神田線とは途中経路が少し(道が1本隣?)違う。
弘南バスでは相当な台数があり、活躍している、小型バス日野リエッセ。
でも、この車はどこか違う。乗ったことはなく、たまに見かけるだけだったが、全体的に落ち着いたような豪華なような印象を受ける。
まず、ボディカラーの色合いが、他の車両とちょっと違う。ベージュ色が濃いというか、ちょっと金色っぽくて「シャンパンゴールド」といっては言い過ぎだけど、そんなような。
それに弘南バスの路線バスではかなり珍しいことに、窓が黒い。ヘッドライト間には、社名の行灯(点灯するかは不明)もある。
※この車について2018年末の記事

1995年の新発売直後から、弘南バスはリエッセを好んで買っていたが、それとは仕様が違う。
(再掲)1996年に新車で購入した「50803-2」
同時期に新車で購入したリエッセは、バンパーが銀色。ナンバープレートは大型や中型バスと同じサイズ・通し番号のもの。
「50811-9」は、小さくて別番号のナンバープレート。でも「青森22」と分類番号が2桁だから、3桁化される1999年春以前に登録されたことになる。かなり早期に中古で来た車ということだろうか?
「50811」の社番からすれば、1996年日野製の車両(中大型・貸切を含む)の中で11台目に弘南バスに来たことを意味する。

ちなみに、この頃に秋田市交通局が購入したリエッセは、小型のナンバープレートで、年が変わっても数字がまったく進んでいなかった。それだけ使う事業者がいないナンバーなんだろうけど、同時期の青森では大きいナンバープレートなのか。



すっかり定着した土手町循環100円バスは、2013年に弘前駅周辺の経路が変わり、弘前駅前での降車と乗車が分離される形になった。
弘前駅前では6番乗り場が降車専用としても使われるようになり、新たにポールが置かれていた
(再掲)当初のポール
いわゆる「ダルマ型(ひまわり型とも呼ぶらしい)」のポールで、他の弘南バスのバス停では見かけないタイプ。
それがいつの間にか、
変わっていた
「しらゆり型」と呼ぶそうだが、2013年の新設停留所はじめ、現在の弘南バスでは標準タイプ。
2013年設置分では手書きだったバス停名部分は活字で「土手町循環」と路線名を表示。下の時刻表のスペースに「100円バス降車専用」とある。
降車専用なんだから、ダルマ型でも充分だったと思うけど…


後日、弘前市のバス以外の話題や青森市のバスについて少々。弘前についての次の記事はこちら

【2018年8月11日追記】2018年春頃までに、弘前の大型バスの多くが廃車されたそうで、残ったのはブルーリボンの163だけという話。この記事後半に少々。最終的には163も廃車され、後継の車(リンク先中ほど)が入った。
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内濠ウォーク

2015-05-15 00:03:39 | 津軽のいろいろ
4月末の弘前さくらまつりの続き。弘前公園(弘前城)で10年がかりの石垣改修工事が行われるため、昨秋に内濠が埋め立てられ、夏からは天守の移動が始まる。※昨年秋の記事
二の丸から下乗橋と天守。内濠のこの部分は埋めておらず、花筏
4月23日から5月6日まで実施された、埋めた内濠を開放して天守の下まで行くことができるイベントが「内濠ウォーク」。ソメイヨシノが早く咲いてしまった今年の弘前さくらまつりでは、メインイベントだったかもしれない。
7時から21時までと本丸の有料時間帯と同じではあるが、出入口は無料の二の丸側なので、これも無料。
夜はライトアップや照明が点灯したそうだが、昼間は光線の関係上、順光となる午前中から午後早くのほうがベスト。

園内には案内は出ていたものの、全員が見るはずはなく「(内濠ウォークは)有料なんでしょ」と勘違いして話している人たちもいた。
出入口は「与力番所向かい」となっていて、ちょっとイメージしづらい。
下乗橋側から行くと、東内門や最古のソメイヨシノがある辺りの少し先の右側が与力番所。花見中にお茶の提供が行われる休憩所となる建物(1970年代に復元)。
出入口「弘前城内濠一般開放」と表記
松と桜の間に、工事現場の出入口によくある扉付きゲートがあり、そこ1か所が出入口。
ストリートビューより工事前の同じ場所
出入口はけっこう広かった(工事車両が出入りするだろうし)が、桜を伐ったり移したりはしていないようだ。
右側通行で出入りが分離され、市役所職員や警備員が配置されているが、手続き等は不要。
片道200メートルほど(うち石垣と並行が100メートル)で、天守下で折り返して同じルートを戻る。
入場制限する場合もあるとのことで、この時もひっきりなしに人が出入りしていたものの滞るほどではなく、待たずに出入りできた。


入るとすぐ緩い下り坂でお濠だった位置に到達。左に曲がって天守の真下へ向かう。
ここ以外は段差も高低差もなく、車椅子の人も天守の下まで行くことができていた。
左が二の丸の土手・右上が本丸
仕切りロープはなくなるが引き続き右側通行で、工事現場の歩行者用ゴムマットが敷いてある。マットの外も土で固められており、石は少なく、濡れていない時なら歩いても支障はない。
撮影のために立ち止まったり、コースを逸脱して少々左側へ行ったりしても、とがめられることはなかった。
有料区画・北の郭から撮影。左手前が出入口
本丸とつながる「北の郭」は、内濠とほぼ同じ高さの視点。


埋められたのは内濠全部ではなく、石垣の反対の二の丸の土手側。石垣から10メートルほどは埋められずに水が入っていた。【15日追記】石垣側は足場が組まれるのでそのスペースか。工事中はここも水を抜き、さくらまつりのために水を入れたのかもしれない。
したがって、内濠ウォークでも石垣ギリギリに近づいたり触れたりはできない。
思ったよりは石垣に近づけないし、イメージしていた(=上から見ていた)よりも“浅く”感じた。いずれにしても、普段は絶対に経験できない眺め。

地盤がしっかりしているためか、いつもこの状態であると誤解している人がいたが、いっしょにいた人がとくとくと石垣修理について説明していた。
旅行客も地元の人もどちらもいたが、みなさん工事の概要を的確に把握しておられたようだ。
中には、歩くのが疲れたのか「ずっと同じ(風景)だし」と、天守の下まで行かずに途中で引き返していた人たちがいたけれど、それはもったいない。
目の前に石垣

 
今回の工事の原因である石垣が膨らんで“孕んだ”所も、間近で見られ、他のどこから見るよりもはっきり分かる。

いよいよ天守のそばへ

真下から

 石垣のエッジがカッコイイ(?)
貴重な眺め。歴史上、部外者は忍者ぐらいしか見ていなかったアングルではないだろうか。
かなり広角のレンズでないと天守全体の写真は撮りづらいほど、近い。
ちょっと離れると収まるけど、地盤が写りこんでしまう
↑これを二の丸の土手の上から見ると↓
桜の枝が入る見慣れた眺め
デザイン的にも、真下よりは少し上から見たほうが美しいかも(見慣れているせい?)。

内濠は天守の下で、T形になり、直進して下乗橋の下と90度曲がってすぐ突き当たるほうに分かれる。
下乗橋側は冒頭の写真の通り埋められず、曲がったほうは埋め立てられて、そこが内濠ウォークの折り返し点。
下乗橋は上も下も人



二の丸から。右が出入口で、左奥が折り返し点

折り返し点から。左手前が本丸にある枝垂れ「御滝桜」
ここから見る天守はいい感じ。花が咲いていればさぞ美しいだろう。
奥まで来る人は少なく、来た人はちょっと一息

もみじと天守

桜が咲いていれば絶景だったはずだけど、そうでなくてもとても貴重な体験ができた。
そして、ここに天守があるのを再び見られるのはあとわずか。次は5年以上(?)先になるであろう。




※以下、爬虫類が苦手な方はご注意ください
内濠に入ってすぐのところで、足を止めてじっと石垣を見入る人たちがいた。混ぜてもらうと、
矢印のところに…
※この辺は修理箇所と石の積み方・組み方が違う。ここの石垣は、慶長、元禄、さらに明治と3期に分けて積まれたそうで、その時々で違ってしまったようだ。

石垣の間を、
にょろにょろと

アオダイショウ!
蛇年でヘビに嫌悪感を抱かない者としては、うれしい遭遇。
ゆっくりと石垣表面を移動していた。

僕はアオダイショウは秋田市大森山動物園で飼育されている個体しか見たことがないはず。野生はシマヘビしか見たことがなかった。
初めて見た野生のアオダイショウは、思っていたより青く、長い。
石垣にヘビっていそう(暖かくて過ごしやすそう)だし、アオダイショウは水も得意だそうで、いいすみかなんだろうけど、これから10年間はどうなるかな?

秋田の久保田城址・千秋公園は、自然の丘を利用したので、今でも植物や鳥類は多くの種が見られ、リスやカモシカもいる。でも、ヘビは見たことがなかった。石垣がない城だからか、いるけど見たことがないだけか。
一方、弘前城はほぼ平地なので、千秋公園ほど動植物は多くないイメージがあった。まさかヘビがいるとは思わなかった。
※城の分類としては、どちらも「平山城」とのこと。


あとは、こまごまとした話題を順次アップします。次の記事
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手形陸橋拡幅

2015-05-13 21:19:04 | 秋田の地理
秋田市の「千秋城下町」交差点にあった歩行者用「千秋地下道」の撤去工事がおおむね終わったところまで紹介していた。※直近はこの記事後半
それと並行して、千秋トンネルから来て県道に突き当たった、「道路予定地」として空き地だったスペースで工事が行われており、それも昨年度中にほぼ終了。
「秋田温泉さとみ」看板の前辺り

脳研センター側から

(再掲)以前の同じ位置
空き地だった部分も舗装されて道路の一部になった。
歩道が広くなったのはいいとして、その形状や車道側の車線の交わり方が不自然。さらに、現時点では柵を立てて増えた車線を塞いでいる。


この工事は、地下道とは直接は関係がない県道28号線の拡幅(車線増設)工事の一環。他の箇所の拡幅に先立ってここだけ工事したためこうなった。
ここより南・脳研方向は民家や脳研などの敷地。用地買収がどうなっているのかは知らないけれど、横手市へ移転した県立衛生看護学院の空き校舎の解体もまだ(今年度実施?)で、道路の着工は先になりそう。


そして逆の東・手形方向には、「手形陸橋」がある。(関連記事
※県道はこの交差点で90度向きを変えて南-東をつなぐ。
手形陸橋はJR奥羽本線をまたぐオーバーパス(昔は「跨線橋」「陸橋」と呼んだけど)。
秋田駅の東西を踏切を介さずに結ぶ初の道路として1966年に完成。後に市道の明田地下道と県道の地下トンネル・秋田中央道路が開通しても、秋田市の道路交通とランドマークとして重要な地点。
【2017年12月23日追記】長さは399メートルらしい。

手形陸橋は、少々不思議な構造で、歩道が北側にしかなかった。
郊外や山間部の橋やトンネルならともかく、一定数の歩行者・自転車がいる秋田市中央部なのに不親切だと感じていた。(その代替なのか、陸橋の南側に歩行者専用の小さな跨線橋はある)
【17日追記】そう言えば、南側を歩行者が通ることを禁止する標識や看板の類は設置されていなかったはず。南側に歩道がないだけで、路側帯? 路肩?を歩行者が歩いても理屈では問題はないのだろう。(危険だからやめたほうが無難)

また、車道も両方向合わせて3車線で中途半端。
そんな状態で朝夕で方向が偏るラッシュに対応するため、時間帯で中央車線の進行方向を変える「リバーシブルレーン(中央線変移システム)」を1991年4月5日から2010年7月28日まで行っていた。【14日追記】1991年以前は1車線ずつだったものを少し拡幅したようだ。前後の歩道や陸橋部分の歩道・階段が今のデザインになったのもこの時かと思う。
秋田中央道路開通後は、手形方向1車線・脳研方向2車線で終日固定。【16日追記】工事中のため、現在は陸橋上は1車線減で上下とも1車線。【23日追記】陸橋上の車線規制は2014年10月10日から2015年7月31日までとの看板が出ていた。


おそらく、陸橋ができた当時から、将来的に南側を拡幅・車線増設するつもりだったのだろう。
開通して約50年でやっと念願の車線増設ということなんだろうけれど、開通当時と異なり、秋田駅東西の移動は現時点でも上記3つの道路に分散している上、秋田市がこのすぐ近くにアンダーパスを造ることになっている。人口・自動車数も減ることが見込まれる中、県道28号線の拡幅が必要なのかは、少々疑問である。
手形陸橋方向。車線が増えた時のイメージはできる


手形陸橋の拡幅分の橋脚が立つスペースは、かなり以前(開通当初?)から用地が確保され、だいぶ前から橋脚も立っていた。橋脚には落書きがされているものも。
【17日追記】千秋側の拡幅側の橋脚に銘板(下のストリートビューに写っている)があり、それによれば2002年10月から2004年3月にかけて施工されていた。約10年間橋脚だけが立っていたことになる。一部は遅れて2007年頃に施工されたものもあり。
 2012年撮影のストリートビューより
下の道路から見るとパルテノン神殿の柱みたいと言っては過言だけど、独特の雰囲気があった。
ゲート状の箇所も
手形側の1か所だけは、金属製のゲート状の構造物。コンクリート製橋脚をそのまま置くと、下の既存道路と干渉してしまうためだろう。

2014年4月撮影
2014年度から橋脚に橋桁を造る工事が本格的に始まった。上の写真は着工直前で、この右側に新設が始まった。
現在。やっと橋桁が載った(右の階段は従来から少しずれた位置に作り直された)

中央が新旧の境目
スペースや取付部の工事のやり方からすれば、1車線分+歩道っぽい部分があるので、南側にも歩道ができるのだろう。

ここは歩道?
「橋を拡幅しています」看板によれば、工期は2016年5月いっぱいだから、あと1年。
下から見上げれば、まだスカスカ
この後、道路を作らないといけない。
さらに、肝心の線路をまたぐ(線路の真上の)部分は橋桁さえまだできていない。
一般に、JRの線路をまたいだりくぐったりする箇所は、JR側で工事を行う決まりになっているそうで(中央道路のトンネルも、弘南鉄道大鰐線の立体交差もそうだった)、ここも両端とは別工事なのだろう。

続きは機会があればいつか。※続きはこちら
コメント (3)
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その後/薄ビル

2015-05-12 23:49:36 | 秋田の季節・風景
まずは以前の続きを2つ。
1月下旬、秋田市卸町の県道28号線の案内標識にマイクロバスが衝突して倒れたため、臨時の低い標識が設置されていた。※この記事後半。
4月下旬(20日~25日頃)、やっと代わりの正式な標識が設置された。
柱がピカピカ
板のサイズや表示内容は以前と同じだが、文字が少し小さくなってしまったようだ。
ストリートビューより以前の標識


県から委託を受け、秋田公立美術大学が行っている「市街地木質化実証モデル事業」の一環として、秋田駅の中央改札周辺が杉で装飾されている。そのうち、改札内に新たな窓口らしきものが作られたが、塞がれた中途半端な状態になっていた。※前回の記事
おそらく大型連休明けから(5月9日に確認)、予想通り、NRE(日本レストランエンタプライズ)の弁当売店が新しい窓口の中に移っていた。
従来は右側の旗のある所が売店だった

(再掲)移動前

従来の売店は店自体が撤去され、床の汚れで跡が分かる状態。壁は仮の板のようなものが張ってあるので、この後、もうひと仕事、手が入るかもしれない。




秋田市楢山登町の県道28号線の「刈穂橋東」交差点。
「登町地下道」(この記事中ほど)があり、変則的な形状・信号サイクルでもある。
この交差点南東角には「秋田タウン情報」が入るビルがあったが、2012年の今頃に解体。宅地として売却された。
また、北東角には2000年までスーパーマーケット「いとく登町店」があったが、今は医院と薬局が建っている。

そして、西側(角ではなく交差点の途中と言うべき場所)には、
向かい側のクリーム色の建物(2014年4月撮影)
ビルと言っていいのだろうか、2階建ての建物があった。
壁面に学習塾などの広告が出ているが、入居者はいない空きビルらしかった。いつから存在し、かつては何が入っていたのかは知らない。

ちょうど1年前、この前の歩道にちょっとした工事が行われた。上の写真でコーンが置かれている所。
従来は車道より歩道が1段高くなっていた部分を、スロープ状にするもの。道路管理者である県が実施したのではなく、民間が県の許可を得て工事したように感じられた。ひょっとしたら、このビルに何か工事をするため、その車両が出入りしやすいように手を加えたのではないかと思っていたが、昨年は変化がなかった。

ところが今は、
解体されて更地になった!
4月末から5月初めにかけて、あっという間になくなってしまった。

このビルは薄っぺらだった。
竿燈大通りにもあるが、道路が拡張された際、道路にならずに残った土地に建物を建てたためだろう。
Googleマップより赤矢印がこのビル。長い

ストリートビューより。薄っぺら。2階の窓が割れている


更地になると広いような?
改めて見ると、ビルの一部分(北東側。上の地図で右側)の後ろにあった民家もいっしょに解体されていた。
2012年向かい側から撮影
消火栓があるところがビルと民家の境だったから、やっぱり相当薄かった。

それなりの広さは確保できたものの、交差点に面し地下道出入口もあるから、用途は限られそう。どうなるか。
※その後2015年8月時点では「売地」の看板が立っている。2016年3月末でもそのまま。
※その後、2018年(2月頃?)に工事が始まり、南側が建物・北側が駐車場になって、6月中頃に「有人コインランドリー」がオープンした。
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たけや菓子2015.4

2015-05-11 21:09:12 | ランチパック
たけや製パンのお菓子3つ。

たけやの定番商品「バナナボート」の派生商品の1つとして、バナナの代わりにリンゴシロップ漬けを入れ、ホイップクリームに加えてカスタードクリームまで挟んだ「りんごボート」が今年2月に発売されていた。
リンゴは秋田県鹿角産を使用していて秋田ならではで、おいしくて気に入っていたが、3月で終了。コストが高かった?

代わりに4月から出たのが、
フルーツボート 269kcal
包装右上に「バナナが苦手な人のために パイン・黄桃入れちゃいました。」とある。
僕はバナナが苦手なわけではないけれど、バナナボートはちょっと苦手。バナナとクリームの配分がイマイチに思えて。

パイナップルと黄桃は、缶詰のようなシロップ漬け。クリームはホイップだけ。
予想通りの味でおいしいけれど、りんごボートのような秋田ならではの個性はない。

新聞広告も出た。
3月30日付秋田魁新報より
広告の下に「チョコバナナ/抹茶/キャラメル/コーヒー/ミニバナナボート(3個入)」とあり、これが4月時点のバナナボート派生商品のラインナップなのでしょう。
【12日追記】5月からは「黒糖風味」が発売。上記のどれかが発売終了している可能性がある。

なお、2014年12月頃には「バナナボートのバナナ抜いちゃいました。」という、皮とクリームだけのバナナボートが売られていたそうだ。パッケージは透明袋にシールを貼ったもので、サルのイラストがあった。

※2015年5月25日付新聞広告によれば、6月からは「フルーツボート マンゴー&パイン」が発売。従来のものも「パイン・黄桃」として継続される。一方、「コーヒー」が外れている。5月から発売された「黒糖風味」は未掲載。
※2015年8月には小倉あんとホイップを入れた「あずきボート」が発売。
※2015年9月には「プリン風味に仕上げたホイップとカラメルゼリー」が入った「バナナボート プリン風味」が発売。
※2015年10月には「フルーツボート りんご」が発売。かつての「りんごボート」とは異なり、クリームはホイップのみの模様。
※2015年11月には「クレープ」が発売。この記事にて。←以後の展開は、この記事に追記します。


もう1つ4月発売。
秋田仕立てのなめらかシュー 212kcal
「花立牧場工房ミルジーのジャージー牛乳を使用しています」「米粉入りのシュー生地に牛乳で仕込んだなめらかなカスタードを注入しました。」

大きめのシュークリームで、パッケージや中身の見かけはヤマザキの「大きな○○シュー」シリーズに似ている。(たけやでも受託製造している?)
食べた感じは、皮はやや硬めでヤマザキのに似ており、米粉が入っていることは分からない。昔ながらのシュー。
クリームはなめらかでおいしい。


花見シーズンに合わせてということか、4月下旬に見かけたもの。
たけや三色だんご
ヤマザキの三色だんごもあるが、あちらは3本パック。
こちらは1本売りで、だんご1つ1つが大きくてやや平べったい。串に刺さらず、2組(6個)セットになったものもあった。

たけやのはどうして平べったくて大きいのかというと、中にあんこが入っているから。
あんはそれぞれ違い、ピンク:こしあん、白:白つぶあん、緑:つぶあん、の組み合わせ。※あんこの名称は原材料名欄より。
餅は色だけで味付けはなし。上新粉はアメリカ産。
【11日22時追記】串刺し団子であんこ入りって珍しい。意外ではあったけれど、おいしかった。
※2015年10月25日の十三夜の時には、ザ・ガーデン自由が丘西武で、月見用のお菓子セット2種とともにこの団子が売られた。場違いな雰囲気。

そう言えば、三色だんごって、色の順番がひし餅と同じなんだ。
工藤パンの三色だんごについては、後日
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