地元住民としては、多少心配なこと(日程や交通)もあった東北六魂祭が始まって、とりあえず無事に終わったようで何より。(無関係でバッティングしてしまったイベントはどうだったのだろう?)
2日間で予想の22万5千人を上回る26万人が訪れたとのこと。
秋田市は、開幕前日29日は31.8度と5月としては観測史上最高気温となった。初日30日はいくぶん下がって28.9度。夜は雨が降って朝に上がり、31日はぐっと涼しく19.5度で快適。風はやや強め。
秋田駅前の大屋根下
仙台七夕の飾り。パレードはできないので、こうのような展示方法になるそう。
大屋根下では、駅側に六魂祭の大きな旗が下がっていて、駅方向からはせっかくの飾りが見えない。旗なんかより、七夕飾りが見えたほうがいいのでは?
エリアなかいち前
大屋根では水平方向に竹竿(金属棒を添えて補強していた)を渡し、そこから吊り下げる飾り方。エリアなかいちや八橋近辺では、上部に葉がついた竹を斜めに立てたものに下げていた。これが本来の姿なんだろうか。本場仙台でも、両方の方法が取られるようだ。
仙台七夕の実物は初めて見た。サイズが複数あるのかもしれないが、思っていたより小さくて高い位置。
静岡の清水の七夕は見たことがあるけれど、想像通りの大きさで、吹き流しが顔に触れるくらいの位置だった。(「ちびまる子ちゃん」でも描写がある)
会場ど真ん中へは行かなかった。ニュースやケーブルテレビのライブを見ると、当然ながら人は多かった。(30日午前中から沿道に陣取っていた人もいて、見るだけで暑そうだった)
パレードは30日が16時30分から19時20分、31日が12時30分から14時45分。
交通規制の時間は30日が1次エリアが9時、2次が12時、3次が15時から、いずれも22時まで。31日は1次、2次規制が9時から、3次が11時から、いずれも19時まで。
30日3次規制中の広小路・久保田町交差点から西(見えないけど会場がある)方向
30日のパレード中でも、駅から会場方向へぞろぞろと人の波が続いた。身動きが取れないような状態ではない。
旭川に突き当たると、警察官が「会場へ行く人は右へ行ってください。左だと元に戻されます」と、二丁目橋→竿燈大通りではなく、一丁目橋→大町一丁目・二丁目の間の一方通行路へ誘導していた。
実際のところ、二丁目橋側は、
30日17時頃
最混雑時は分離したほうがいいだろうけど、この程度。
土手長町の歩道橋は封鎖され、通行止めの車道を横断。
戻って、
30日の秋田駅西口。左は公道、右がバス乗り場
西口駅前は道路、バスターミナルとも封鎖され、誰もいない場所にコーンや柵が並ぶ、少々異様な光景。この背中側の駐車場も整列スペース。
30日は17時、31日は15時から実施される、JRの方面別・列車別改札のため準備。
その時間にJRの列車に乗る人は、全員、西口の下に来て整列しないといけないのだ。夏の大曲の花火大会の大曲駅も時もこうなるのだが、秋田駅では史上初だろう。いやはや大変そう。
ところが、31日17時の時点では、誰も並んでいない(JR社員が1人? だけいた)どころか、路上のコーンはきれいになくなっていた。わずか2時間足らずで人が引いてしまったということか。(改札口付近は行っていないので不明)
ちなみに、30日の15時54分秋田発の羽越本線新屋行き普通列車に乗った。パレード開始直前の逆方向だから、当然、駅構内はガラガラ。乗客は、バスから流れたのかいつもよりいくぶん多い感じ。
その他、街中の様子。
交通規制の影響で、全体的にその周辺の道路(新国道や国道13号)は休日の昼間にしては車は少ない。店舗の来店客や医院の通院患者も少ない気がした。イオン秋田中央店も、お客さま感謝デーにしてはやや少なく、食品レジは1~2人待ちで済んだ。
規制により一方にしか進めない(鉄砲町方向から左折して千秋矢留町へ)通町橋の交差点では、信号待ちで数百メートルの車の列ができるなど、局所的には流れが滞っていた。
昼間の段階では、大規模な道路渋滞は発生していなかったと思われる。したがって、大幅な削減・短縮が行われた路線バスもおおむね順調だったはず。
泉ハイタウン線上りの始発・泉北二丁目
泉ハイタウン線(旧・泉秋操線)は、末端部が環状運行となる関係上、基本的に行った車両が必ず折り返して戻る。時間調整は、ジェイマルエーとコメリの間の「泉北二丁目」バス停で行う。
ところが、上の写真では、なぜか2台のバスがいる。
後ろの「回送」のバスが秋田駅から運行して来たバスで、手前がこれから秋田駅へ向かうバス。おそらく、遅延に備えて、往路と復路で運用を分離したのだろう。ご覧のとおり、定刻で運行されてしまい意味がなかったけど。
30日午前に土崎からマツダ前に着いたバス
本数が激減した新国道経由のバスは、数分遅れて臨時終点・マツダ前に到着していた。
中型バスからお客がぞろぞろと降りていて、途中の乗降に手間取って遅延したのかもしれない。空になったバスは、臨海営業所へ戻ったようだ。
降りた人々は高齢者も多く、ほとんどが南方向へ新国道を歩いて行ったけれど、どこまで行くのか。六魂祭会場にしても、秋田駅にしても、かなり遠い。
道路状況と利用状況からすれば、マツダ前発着に短縮した上、1時間に1本あるかどうかでは、やはり過剰な削減だと思った。
行き先表示は、通常と異なる行き先の場合は、LEDは社名表示にして行き先は紙で対応していたが、上の新国道経由はなぜか通常の系統番号入り西口行き(紙も掲出)。駐車場シャトルと誤解されないように?
そんな新国道を、路線バスより多く走るのが、臨時駐車場(秋田運輸支局と卸売市場)と会場を結ぶ有料シャトルバス。
30日午前の段階でも、告知された15分よりもやや高頻度で走っていた。
卸売市場から来て、山王二丁目で降車扱いするシャトルバス
新国道の路上で方向転換して、下り用(土崎方面)バス停で降ろしていた。
見た限り、卸売市場は中央交通の中型路線バス。立ち客もいた。
シャトルバスは、空で駐車場へ戻る運用らしい。制約があるのは承知だが、土崎方面へバスで行く人を乗せてあげられないものか…
一方、秋田運輸支局からは、
工藤興業の貸切バス! しかも空席あり
いちばん近いクセに、いちばん優雅な移動じゃないか!
※「工藤興業」は当ブログ初登場のはず。
秋田市雄和にあり、1967年に砂利販売業で創立。2004年から旅客貸切に進出。秋田の新興貸切バス会社としては、おそらく最大手で、プロ野球や学校行事などでも利用されるようになった。
駐車場は30日は14時半までにすべて満車、31日は昼過ぎの段階でプライウッドだけが満車になったとのこと。【6月3日追記】左記は当日の秋田魁新報ホームページからの情報だが、2日付経済面では「両日とも満車にはならなかった」。シャトルバスは30日に48台、31日は35台。
わずかに運行される、買物広場発山王二丁目行きの「会場行き」特発バス。
中型バス
回送中の姿しか見られず利用状況は不明だが、中型バスが2台続行していたようだ。大型バスが入っていたという情報もいただいた。
山王二丁目で折り返し、買物広場へ戻ったのだろうか。
パレード終了前後などは混雑したかと思われるが、それ以外の時間の会場周辺に限れば、交通規制、バスダイヤとも、やや過剰な傾向がしなくもなかったが、致し方ないのかもしれない。
でも、実行委員会や秋田市が言う「当日は自家用車の利用は控え、交通機関の利用を…」という無責任な呼びかけは腹立たしいし、バス会社のダイヤ設定や告知方法ももうちょっとやり方があったように思えてならない。
中央交通のホームページは、29日夜から30日午前にかけて、前例がないほど“重かった”。バスダイヤを知ろうとアクセスする人が集中したのだろうが、ダイヤを知ってがく然としたかもしれない。
31日17時頃の久保田町交差点
パレード終了から2時間経ち、人通りは少なめ。いつもの日曜よりちょっと多い程度。
交通規制は続いていて、車は通らない。この状態で交通規制するのはもったいない気がしてしまった。せめて、路線バスとタクシーだけでも低速で通行させるとかしても良かったかも。
交通規制箇所の交差点などには、警察官、民間警備会社員のほか、揃いのポロシャツを来た人も配置されていた。
ポロシャツは黄緑(若草)色とえんじ色があり、若草色のほうが多い。おそらく若草色が秋田市役所職員、えんじ色が秋田県庁職員ではないだろうか。それぞれの旗の色である。
【6月3日追記】2日付秋田魁新報 秋田市地域面によれば、秋田市役所職員は30日に1302人(消防を除く市職員の60.9%)、31日に1216人(同56.8%)を動員。
車両通行止めの道路では、歩行者が車道を歩いても問題ないはず。
ところが、交通規制区間で、えんじ色の服の人が「車道を歩かないでください」と必死にハンドマイクで呼びかけていた。特に車が近づいているとか、危険ではなさそうなのに。掲示などはない。
しかも、近くにいる若草色の服の人も、警備会社の人も、さらにたまたま通りかかった警察官も、それに応じた行動を取るわけではなかった。
沿道の関係者などの車を通行させる場合があるし、基本的には歩道部分を歩いて混んできたら車道へということかもしれないけれど、えんじ色の人だけが歩道を歩かせたくて仕方がなかったように思えた。(上のほうの写真でも、多くはないが車道を歩いている人が写っているが、特に注意されていなかった)
どっちでもいいけれど、ルールと対応は統一してほしい。
例年、東北六魂祭は、全国版のマスコミでもそれなりに取り上げられる。
今年もそうではあったが、例年よりはやや控えめだった気もしなくはなかった。
口永良部島の噴火や小笠原沖の深いところでの巨大地震という自然災害のニュースが飛び込んだから、それを優先するのは当然。しかし、六魂祭が5回目であること、さらに震災で一部不通が続いていた宮城県のJR仙石線が、30日に全線で運行再開したことのほうが、震災復興としての“ニュース価値”が高かったことも理由ではないだろうか。
今日の閉祭式では、産経新聞(17時58分更新)によれば実行委員長である秋田市長が「来年、青森で会いましょう」と述べ、来年は青森市で開催されることを「公式に明らかにした。」としているが、時事通信(18時46分更新)では「(実行委は)青森市での開催を検討するとしている。」にとどめている。青森市でやるでしょうけど。
多くの人が楽しめて、できれば被災地や開催地に直接的な効果がもたらされる祭りになってほしい。
そして、今年の秋田市での六魂祭に関わった(関わらされた)すべての皆さん。おつかれさまでした。
※多少の続きがあります
2日間で予想の22万5千人を上回る26万人が訪れたとのこと。
秋田市は、開幕前日29日は31.8度と5月としては観測史上最高気温となった。初日30日はいくぶん下がって28.9度。夜は雨が降って朝に上がり、31日はぐっと涼しく19.5度で快適。風はやや強め。
秋田駅前の大屋根下
仙台七夕の飾り。パレードはできないので、こうのような展示方法になるそう。
大屋根下では、駅側に六魂祭の大きな旗が下がっていて、駅方向からはせっかくの飾りが見えない。旗なんかより、七夕飾りが見えたほうがいいのでは?
エリアなかいち前
大屋根では水平方向に竹竿(金属棒を添えて補強していた)を渡し、そこから吊り下げる飾り方。エリアなかいちや八橋近辺では、上部に葉がついた竹を斜めに立てたものに下げていた。これが本来の姿なんだろうか。本場仙台でも、両方の方法が取られるようだ。
仙台七夕の実物は初めて見た。サイズが複数あるのかもしれないが、思っていたより小さくて高い位置。
静岡の清水の七夕は見たことがあるけれど、想像通りの大きさで、吹き流しが顔に触れるくらいの位置だった。(「ちびまる子ちゃん」でも描写がある)
会場ど真ん中へは行かなかった。ニュースやケーブルテレビのライブを見ると、当然ながら人は多かった。(30日午前中から沿道に陣取っていた人もいて、見るだけで暑そうだった)
パレードは30日が16時30分から19時20分、31日が12時30分から14時45分。
交通規制の時間は30日が1次エリアが9時、2次が12時、3次が15時から、いずれも22時まで。31日は1次、2次規制が9時から、3次が11時から、いずれも19時まで。
30日3次規制中の広小路・久保田町交差点から西(見えないけど会場がある)方向
30日のパレード中でも、駅から会場方向へぞろぞろと人の波が続いた。身動きが取れないような状態ではない。
旭川に突き当たると、警察官が「会場へ行く人は右へ行ってください。左だと元に戻されます」と、二丁目橋→竿燈大通りではなく、一丁目橋→大町一丁目・二丁目の間の一方通行路へ誘導していた。
実際のところ、二丁目橋側は、
30日17時頃
最混雑時は分離したほうがいいだろうけど、この程度。
土手長町の歩道橋は封鎖され、通行止めの車道を横断。
戻って、
30日の秋田駅西口。左は公道、右がバス乗り場
西口駅前は道路、バスターミナルとも封鎖され、誰もいない場所にコーンや柵が並ぶ、少々異様な光景。この背中側の駐車場も整列スペース。
30日は17時、31日は15時から実施される、JRの方面別・列車別改札のため準備。
その時間にJRの列車に乗る人は、全員、西口の下に来て整列しないといけないのだ。夏の大曲の花火大会の大曲駅も時もこうなるのだが、秋田駅では史上初だろう。いやはや大変そう。
ところが、31日17時の時点では、誰も並んでいない(JR社員が1人? だけいた)どころか、路上のコーンはきれいになくなっていた。わずか2時間足らずで人が引いてしまったということか。(改札口付近は行っていないので不明)
ちなみに、30日の15時54分秋田発の羽越本線新屋行き普通列車に乗った。パレード開始直前の逆方向だから、当然、駅構内はガラガラ。乗客は、バスから流れたのかいつもよりいくぶん多い感じ。
その他、街中の様子。
交通規制の影響で、全体的にその周辺の道路(新国道や国道13号)は休日の昼間にしては車は少ない。店舗の来店客や医院の通院患者も少ない気がした。イオン秋田中央店も、お客さま感謝デーにしてはやや少なく、食品レジは1~2人待ちで済んだ。
規制により一方にしか進めない(鉄砲町方向から左折して千秋矢留町へ)通町橋の交差点では、信号待ちで数百メートルの車の列ができるなど、局所的には流れが滞っていた。
昼間の段階では、大規模な道路渋滞は発生していなかったと思われる。したがって、大幅な削減・短縮が行われた路線バスもおおむね順調だったはず。
泉ハイタウン線上りの始発・泉北二丁目
泉ハイタウン線(旧・泉秋操線)は、末端部が環状運行となる関係上、基本的に行った車両が必ず折り返して戻る。時間調整は、ジェイマルエーとコメリの間の「泉北二丁目」バス停で行う。
ところが、上の写真では、なぜか2台のバスがいる。
後ろの「回送」のバスが秋田駅から運行して来たバスで、手前がこれから秋田駅へ向かうバス。おそらく、遅延に備えて、往路と復路で運用を分離したのだろう。ご覧のとおり、定刻で運行されてしまい意味がなかったけど。
30日午前に土崎からマツダ前に着いたバス
本数が激減した新国道経由のバスは、数分遅れて臨時終点・マツダ前に到着していた。
中型バスからお客がぞろぞろと降りていて、途中の乗降に手間取って遅延したのかもしれない。空になったバスは、臨海営業所へ戻ったようだ。
降りた人々は高齢者も多く、ほとんどが南方向へ新国道を歩いて行ったけれど、どこまで行くのか。六魂祭会場にしても、秋田駅にしても、かなり遠い。
道路状況と利用状況からすれば、マツダ前発着に短縮した上、1時間に1本あるかどうかでは、やはり過剰な削減だと思った。
行き先表示は、通常と異なる行き先の場合は、LEDは社名表示にして行き先は紙で対応していたが、上の新国道経由はなぜか通常の系統番号入り西口行き(紙も掲出)。駐車場シャトルと誤解されないように?
そんな新国道を、路線バスより多く走るのが、臨時駐車場(秋田運輸支局と卸売市場)と会場を結ぶ有料シャトルバス。
30日午前の段階でも、告知された15分よりもやや高頻度で走っていた。
卸売市場から来て、山王二丁目で降車扱いするシャトルバス
新国道の路上で方向転換して、下り用(土崎方面)バス停で降ろしていた。
見た限り、卸売市場は中央交通の中型路線バス。立ち客もいた。
シャトルバスは、空で駐車場へ戻る運用らしい。制約があるのは承知だが、土崎方面へバスで行く人を乗せてあげられないものか…
一方、秋田運輸支局からは、
工藤興業の貸切バス! しかも空席あり
いちばん近いクセに、いちばん優雅な移動じゃないか!
※「工藤興業」は当ブログ初登場のはず。
秋田市雄和にあり、1967年に砂利販売業で創立。2004年から旅客貸切に進出。秋田の新興貸切バス会社としては、おそらく最大手で、プロ野球や学校行事などでも利用されるようになった。
駐車場は30日は14時半までにすべて満車、31日は昼過ぎの段階でプライウッドだけが満車になったとのこと。【6月3日追記】左記は当日の秋田魁新報ホームページからの情報だが、2日付経済面では「両日とも満車にはならなかった」。シャトルバスは30日に48台、31日は35台。
わずかに運行される、買物広場発山王二丁目行きの「会場行き」特発バス。
中型バス
回送中の姿しか見られず利用状況は不明だが、中型バスが2台続行していたようだ。大型バスが入っていたという情報もいただいた。
山王二丁目で折り返し、買物広場へ戻ったのだろうか。
パレード終了前後などは混雑したかと思われるが、それ以外の時間の会場周辺に限れば、交通規制、バスダイヤとも、やや過剰な傾向がしなくもなかったが、致し方ないのかもしれない。
でも、実行委員会や秋田市が言う「当日は自家用車の利用は控え、交通機関の利用を…」という無責任な呼びかけは腹立たしいし、バス会社のダイヤ設定や告知方法ももうちょっとやり方があったように思えてならない。
中央交通のホームページは、29日夜から30日午前にかけて、前例がないほど“重かった”。バスダイヤを知ろうとアクセスする人が集中したのだろうが、ダイヤを知ってがく然としたかもしれない。
31日17時頃の久保田町交差点
パレード終了から2時間経ち、人通りは少なめ。いつもの日曜よりちょっと多い程度。
交通規制は続いていて、車は通らない。この状態で交通規制するのはもったいない気がしてしまった。せめて、路線バスとタクシーだけでも低速で通行させるとかしても良かったかも。
交通規制箇所の交差点などには、警察官、民間警備会社員のほか、揃いのポロシャツを来た人も配置されていた。
ポロシャツは黄緑(若草)色とえんじ色があり、若草色のほうが多い。おそらく若草色が秋田市役所職員、えんじ色が秋田県庁職員ではないだろうか。それぞれの旗の色である。
【6月3日追記】2日付秋田魁新報 秋田市地域面によれば、秋田市役所職員は30日に1302人(消防を除く市職員の60.9%)、31日に1216人(同56.8%)を動員。
車両通行止めの道路では、歩行者が車道を歩いても問題ないはず。
ところが、交通規制区間で、えんじ色の服の人が「車道を歩かないでください」と必死にハンドマイクで呼びかけていた。特に車が近づいているとか、危険ではなさそうなのに。掲示などはない。
しかも、近くにいる若草色の服の人も、警備会社の人も、さらにたまたま通りかかった警察官も、それに応じた行動を取るわけではなかった。
沿道の関係者などの車を通行させる場合があるし、基本的には歩道部分を歩いて混んできたら車道へということかもしれないけれど、えんじ色の人だけが歩道を歩かせたくて仕方がなかったように思えた。(上のほうの写真でも、多くはないが車道を歩いている人が写っているが、特に注意されていなかった)
どっちでもいいけれど、ルールと対応は統一してほしい。
例年、東北六魂祭は、全国版のマスコミでもそれなりに取り上げられる。
今年もそうではあったが、例年よりはやや控えめだった気もしなくはなかった。
口永良部島の噴火や小笠原沖の深いところでの巨大地震という自然災害のニュースが飛び込んだから、それを優先するのは当然。しかし、六魂祭が5回目であること、さらに震災で一部不通が続いていた宮城県のJR仙石線が、30日に全線で運行再開したことのほうが、震災復興としての“ニュース価値”が高かったことも理由ではないだろうか。
今日の閉祭式では、産経新聞(17時58分更新)によれば実行委員長である秋田市長が「来年、青森で会いましょう」と述べ、来年は青森市で開催されることを「公式に明らかにした。」としているが、時事通信(18時46分更新)では「(実行委は)青森市での開催を検討するとしている。」にとどめている。青森市でやるでしょうけど。
多くの人が楽しめて、できれば被災地や開催地に直接的な効果がもたらされる祭りになってほしい。
そして、今年の秋田市での六魂祭に関わった(関わらされた)すべての皆さん。おつかれさまでした。
※多少の続きがあります