広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ローカル番組

2014-11-30 19:32:09 | 津軽のいろいろ
青森で見たローカルテレビ番組から。

まずは、NHK青森放送局の夕方18時台のローカルニュースワイド。
この時間帯の番組の流れは、(大都市圏は別として)多くの地方局で共通のフォーマットだと思われる。
・18時10分から19時00分までの県域放送。(後述の通り気象情報は別)
・番組名は各局ごとにさまざま。(かつては「イブニングネットワーク○○」で統一されていた時期もあった)
・男性正職員アナウンサーと契約女性キャスターのコンビで進行する所が多い。天気予報などのコーナーキャスターがいることも。
・番組内で放送されたレポートは、朝や21時前のニュース内で再度放送されることが多い。
・首都圏で制作・放送されたレポートやコーナーを放送することがある。地元が舞台になった全国放送旅番組などを再編集して放送することも。
例:首都圏で放送されている(昼前の番組?)「いまほんランキング」を、青森で月曜、秋田で火曜(「ライフスタイルに彩りを添えるこまちスタイル」コーナーに内包)に放送している。
・東北エリアでは、管内各局のニュース1つを1分にまとめた、リレーニュースが放送される日がある。(昔は6県分を6県揃って同じ時間で必ず放送していたようだが、今は自県を除く1~5県分を各局の任意の時間帯に放送する方式のようだ)
・最近は視聴からお便りや写真を募集し、紹介する局が多い。
といった感じ。


番組名は、青森局は2003年から「あっぷるワイド」、秋田局は2007年から「ニュースこまち」。
「あっぷる」「こまち」とか、いかにもその県らしい番組名。「ニュースザウルスふくい」「お好みワイドひろしま」なんてのもある。
青森県のすべてがリンゴじゃないし、福井県で恐竜の化石がよく見つかるといっても県内の限られた場所だけだろう。その県の住民にしてみれば、どんな気持ちだろう。
良くも悪くも、他県出身者・転勤族のNHK職員でなければ命名できなかった番組名ではないだろうか。


あっぷるワイドは金曜日の放送を見た。
※じっくり見たわけでないので、見落としや勘違いがあり得ます。
・オープニング・エンディングの音楽は、男性ボーカルの歌付き
NHKでは朝ドラだって昔は歌はないのが一般的だった。報道番組で歌詞がある主題歌の番組は、極めて珍しいのではないだろうか。

・男性キャスター
北向敏幸アナウンサーが出てきて、「今日は北向がお伝えします」とあいさつしたので、代理だったようだ。
北向アナウンサーは前にも何度かお見かけしたことがあったが、「きたむかい」さんだと思っていたら「きたむき」さんだった。八戸出身。

・赤いジャージの男が踊る
中盤のコーナーで、2人のメインキャスターの横に、赤いジャージを来た男性が登場。テツandトモのテツさんにしては、少々太っている。

よく見れば、かつて秋田局にいた増子有人アナウンサーじゃありませんか!
「元気あっぷる体操」というコーナー。
NHK青森局では、短命県青森を返上するべく「脱・短命プロジェクト」を実施しており、その1つがこのコーナー。
オリジナルの歌詞・曲・振り付けの体操がある。県内各地を巡って、各地の人たちと触れ合ったりインタビューしたりした後にみんなで体操するという、流れ。※青森局のサイトで動画が見られます。
女性キャスターと増子アナウンサーが交代で担当しているようだ。

体操するシーンは、地元の人たちと増子さんが並んで、少々不揃いにやっていた。
昔、教育テレビでやっていた、特別支援学校・学級向け学校放送番組「いってみようやってみよう」のエンディング「できた体操(だったっけ?)」を思い出した。

・大胆なコーナー名
視聴者からのお便り・写真紹介。
秋田局では、写真とお便りは別コーナーで、写真は中盤の「季節の写真」というコーナー名、後半のお便りは特にコーナー名はなし。

青森局では、写真がメインで、お便りは写真の後にちょっと読むような感じだった。
写真コーナーの名を聞き取れず、帰ってから調べると、「Shamori(しゃもり)」だそう。

「写真」と「青森」から取ったのは分かる。
青森局のサイトでは「Shamori」としか出ていないが、Wikipediaによれば「Shamoriクラブ(またはShamori倶楽部)」という名称も見られ、しかもBGMはテレビ朝日「タモリ倶楽部」の音楽を使っている(いた?)という。
他局の長寿番組をローカルのいちコーナーに拝借するとは、大胆。

秋田局の写真やお便りコーナーでは、“レギュラー”投稿者が多い、すなわち投稿する(もしくは採用される?)人が固定化してしまっている。
県の人口を考えれば仕方ないとも思っているが、マンネリ化を招いているとも思う。Shamoriはどうなんだろう?

・平井さんが出ない!
秋田局では、番組終盤の天気予報は、18時52分から全国版を東京から放送した後、54分から秋田局に戻ってローカル版が放送され、エンディングにつながる。(土日も同様)
現在は、東京からの全国版は平井信行気象予報士が担当。
この流れは、秋田局では、昭和の「630(ろくさんまる)あきた」、全国版が高田斉(秋田出身)さんや中村次郎さんだった頃からずっと変わっていないはず。

ところが、青森局では、平井さんのコーナーがなかった。
全編を青森からのローカル放送。青森局のスタジオに気象予報士が出演しており、その人が全国版相当の情報(天気図や全国の予報)と青森ローカルを一括して伝えていた。
(青森局でも、土日は全国版の天気を放送するようだ)

秋田局では、10年ほど前の一時期、気象予報士がいたことがあるが、それでも全国版は流れていたはず(違ったかな?)。その時期以外は(現在も)、気象担当キャスターが出演するが、契約キャスターの1人で気象予報士ではない。

青森のような全国版を放送しない所は、Wikipediaによれば現在17のエリアまたは放送局。
NHK公式ホームページの番組表より2局分を合成
番組表では、全国版がない所では18時10分から19時00分まで通しで1つの番組扱いになっている。これは当然。
一方、全国版が入る所(首都圏も含む)では、ローカルニュース番組(ニュースこまちなど)は18時51分までで、18時52分から19時00分までは「気象情報」という別番組扱いになっている。実際には、「気象情報」の後でニュースのエンディングがあって、その最後に「ニュースこまち 終」などと表示されるので、ややおかしい。

【12月26日追記】2014年最後の放送である12月26日の「ニュースこまち年末ハイライト」では、番組表上は青森などと同じく、18時10分から19時00分までの通しの番組扱いとなった。しかし、実際には52分からはいつもと同じく、平井さんの全国版が放送された。

・青森からの全国天気
その青森局仕様の気象情報。
以前取り上げたように、NHKのローカル天気予報とひとくちにいっても、画面構成から伝える項目まで、局によってまちまち。機器や契約する気象会社の関係があるのだろうが、視聴者・受信料納付者からすれば不公平な気もする。

全国版相当の天気予報も伝えている青森局では、内容は同じだと思われるが、画面は見慣れた東京からのものと若干違った。
日本地図に示した明日の天気や予想気温は、ぱっと見は東京のものと同一で、天気のアイコンも同じはず。しかし、背景の青の色合いとかフォント(東京のは独特の書体だが、青森は普通のゴシック)が違った。

NHKの全国版の週間予報では、札幌~東京と名古屋~那覇の2画面で16都市を伝えることが多い。その中に、青森は入っていない(秋田が入っている)。
青森からの全国版週間予報でも、16都市はそのまま。(背景とフォントは違った)
せっかく青森からやるんだから、秋田を青森に差し替えても良さそうなものだが、そうもいかないのか(青森の週間予報はローカル版部分ではもちろん流れる)

まあ、ローカル番組なんだから、遠方の地方の天気は控えめにして、地域の気象情報をよりきめ細かく伝えたほうがいいのかもしれない。
でも、全国版の平井さんのようなベテランの分かりやすい解説を聞けば、納得できたり、台風接近時などは早い段階で情報を得ることもできる。(例えば、平井さんは、波の高さとか風の高さを日本地図に示した画像を見せてくれることがある。同じ日に、青森では流れているのだろうか?)
一長一短だろうか。(前提としてその局で気象予報士を確保しないと、ローカルで全国版はできないでしょう)

※2016年春から、秋田放送局の夕方のニュースに気象予報士が出るようになったが、全国版も引き続き放送されている。この記事中ほど参照。

・ビデオ便りがない!
秋田局ニュースこまちで金曜日といえば、「630あきた」時代から続くと思われる「ビデオ便り」コーナー。(平日昼前に再放送される場合あり)
視聴者が撮影したビデオを紹介するもので、秋田では「NHK秋田ビデオクラブ」という愛好家団体みたいなのがあり、(投稿者はほぼ固定されているが)活発に投稿されているようだ。
大館市の藤田さんという、80歳を越えて撮影だけでなく、独特の節回しのナレーションを入れて、パソコンで(過剰気味に)編集までしてしまう人もいる。

他県でも同じかと思ったら、青森ではビデオコーナーはないようだ。昔からなかったのだろうか?
朝5時台の「おはよう日本」内で「とれたてマイビデオ」という、全国版コーナーもあったが、それも2014年3月で終了したそうだ。
昔はビデオカメラを持つこと自体が珍しかったが、今はデジタルカメラや携帯電話機で誰もが撮影してネット投稿できる。ビデオカメラで撮ったものをテレビ局に送って見てもらおうという時代ではないのかもしれない。


以上が、あっぷるワイドで気づいた点。
青森、秋田以外の多くの地方局で同じ傾向かと思うが、個人的には、NHKの18時台のローカルニュースは冗長だと思う。
はっきり言って、首都圏の本のランキングとか、旅番組のダイジェストとか、自局制作ドラマの宣伝とか、(朝の忙しい時間ではないのだから)同じ天気予報を中盤と終盤で2度見せられるのは無駄。
もっと濃縮して、短時間で見られる番組のほうがいいと思うのだけど。

だって、ここ数回のオリンピック期間中なんか、平日でもローカルニュースを18時45分からの15分で済ませてしまってるじゃない!
それで済むのなら、普段の50分は何なんだと言いたくなる。


青森朝日放送(ABA)からも若干。
・Mステ予告
秋田朝日放送(AAB)では、「クレヨンしんちゃん」の最後の「この後はミュージックステーションだゾ」というしんちゃんからの紹介に続き、「今夜のMステは…」という、女性アナウンサーによる簡単な予告(出演者紹介)が流れるはずだが、青森朝日放送ではなかった。(しんちゃん部分もななった?)

・1時間ごとに天気
秋田朝日放送では、しんちゃんの後19時54分からローカルの「AABニュース&ウェザー」、Mステの後20時54分から「世界の車窓から」を放送している。
青森朝日放送では、19時54分も20時54分も、どちらも「ABA天気」。
20時54分は、月火木が世界の車窓で、水金が天気という、妙な編成。ローカルニュースは18時台のスーパーJチャンネルがその日の最後になってしまっている。

地方の新興局は、人員や費用の面で、ローカルニュースはそうそう放送できないらしいが、AABはけっこうがんばっているということか?

・土曜の朝は…
秋田朝日放送では、土曜9時30分は「サタナビっ!」というローカル情報番組がすっかり定着している。(2003年開始。現在は11時まで放送)
司会者は秋田市で印章店を営む“兼業ローカルタレント”。それだけに、秋田弁や秋田県内各地の情報や昔の秋田の様子に詳しい。他にも秋田出身・秋田在住の人が何人も出演する。地元の人による地元の番組であることが、受け入れられているのかもしれない。

青森朝日放送でも、2013年から土曜朝の情報番組が始まっていた。9時35分から1時間の「夢はここから生放送 ハッピィ」。
司会は、全国区で活躍する芸人・あべこうじ(元モー娘。高橋愛の夫)。
毎週東京から青森に来るのは大変そう(特に冬)。それに、別段青森県と縁のある人でないようなので、どの程度青森に溶け込めているだろうか。(否定しているのではありません。よそから来た人が司会であっても、それはそれで良い面もあるはず)
そう考えると、秋田ってローカルタレントが多い土地なのかもしれない。

視聴者へのプレゼントは、秋田ではイオン商品券なのに対し、青森では青森銀行系のギフトカード(VISA?)だった。


青森では、1970年に日本初のローカルニュースワイドとして始まって今も続く「RABニュースレーダー」や1991年開始の「おしゃべりハウス」のような長寿ローカル番組、いずれも終了しているが「スーパーギャング深夜同盟(関連記事)」「人間椅子倶楽部(収録場所)」「いいでば!英語塾」といった個性的なローカル番組も少なくない。
秋田では、ローカル番組は名称も放送時間もコロコロ変わってしまう(けど内容はあまり変わらない=某八橋本町の局とか…)ものが多いような気がする。これも地域性だろうか?
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レインボー2導入

2014-11-27 20:53:52 | 秋田のいろいろ
コメント欄で情報をいただいていた(ありがとうございます)ように、このほど、中央交通の路線バスに新車が3台導入された。
路線用の新車としては、昨年末に3台導入されて以来。過去は何年間も新車を入れないことがあったので、思っていたより早いペース。
運良く目撃できた。
「か10-87」臨海営業所配置
あとの2台は10-85と10-86で秋田営業所配置とのこと。

昨年の新車と同じく、秋田2台、臨海1台の振り分けになった。
臨海営業所路線に多く乗る者としては、乗車チャンスが少ないことになる。(昨年の10-29はまだ1度しか乗っていない)※ただし、2011年以前導入の新車3台は、すべて臨海。

新車は、ノンステップタイプの中型車なのは珍しくないが、メーカーが日野自動車なのは少々意外だった。
なぜなら、中央交通では、ここ10年ほどは日野からは高速・貸切用だけを購入しており、路線用はいすゞばかりだったから。(いすゞからは貸切タイプも購入)

一方で、日野とも取り引きがある中央交通において、日野製路線車が入ることは、なくはないだろうと予想もしていたので、ついに来たかとも思った。
なぜなら、現在では、実質的にいすゞと日野のバスは同じだから。

事情を解説。(バスに詳しい方はご存知でしょうが)
かつては、当然、いすゞと日野はそれぞれで開発・製造・販売していた。
2002年に、両者のバス製造部門を統合し、両者が半分ずつ出資した「ジェイ・バス株式会社」が発足。両者でバスの車種を統合し、ジェイ・バスが製造した同じ車をそれぞれに供給して販売することになった。
ジェイ・バスの工場は、旧いすゞ系が宇都宮、旧日野系が石川県小松にあり、統合後もそのまま。路線系車種は宇都宮、貸切系車種は小松で製造することになり、見かけ上は「いすゞの路線車が日野で販売され、日野の貸切車がいすゞで販売される」ことになった(一部例外あり)。
統合車種では、両メーカーでほぼ同じ車になり、装飾や車種名が違う程度の差。

だから、いすゞのヘビーユーザーである中央交通が、それと同一の統合車種を日野から購入したとしても、運転や整備上は同一に扱うことが可能であり、技術的な面で導入をためらう点はないはず。
中央交通がいすゞにこだわる理由としては、秋田いすゞとの付き合いではないのかと邪推していた。先代商工会議所会頭の会社が、先々代商工会議所会頭(かつ秋田経済界の重鎮)の会社から購入するということだし、秋田の日野ディーラーである西東北日野自動車は山形の会社だから…


昔(1980~1990年代頃)の中央交通では、いすゞと日野だけからほぼ半々ずつ購入していた。秋田市営バスの移管が始まった時に、なぜか取り引きメーカーも“移管”されて、三菱と日産ディーゼルも導入開始。(三菱は1970年代までは取り引きがあって、中断していたそうだ)
ところが、いつの間にか、いすゞとの取り引きが圧倒的に多くなって、今に至っている。(日産ディーゼルのバス販売撤退という事情はあるけれど)
先代の日野レインボー。2003年頃の車のようで、この型としては末期(2004年で製造終了)
ちなみに、両者と取り引きがある弘南バスでは、逆に路線用はすべて日野から購入しており、統合車種になってからはいすゞの路線車は1台も入れていないはず。
弘南バスでは、昔からいすゞの路線車は多くなかったが、弘南バスには弘南バスなりの理由やこだわりがあるんだろうか。


ということで、新しい車は、実質的には「いすゞエルガミオ」と同じ。
車種は「日野レインボー2」。※正しくはローマ数字の「Ⅱ」。機器によっては文字化けするようなので、ここでは「2」とします。
「日野レインボー」は昭和から続く伝統の車種ではあるが、いすゞ側からの供給車種を意味する「2」が付くレインボー2では、受け継ぐのは名前だけ。
(再掲)昨年導入のいすゞエルガミオ

(冒頭の再掲)今回入ったレインボー2
エルガミオとレインボー2の大きな違いといえば、おそらく1点だけ。(エンブレムやロゴは別として)

ヘッドライトである。
いすゞではロービームとハイビームが上下に並んだ、4灯式。
日野では、左右1つずつにまとまった、2灯式。

昔の初代レインボーも同じ配置(ライトは丸型)だった。
(再掲・2001年撮影)市営バスの初代レインボー

日野自動車のホームページでは、「シャープなイメージで個性を強調。角形2灯式ヘッドランプ」「ヘッドランプは、すっきりしたデザインの角形2灯式を採用。日野レインボーⅡの個性を一段と引き立てます。」とある。
だけど、「レインボー2の個性を一段と引き立てます」じゃなく、「レインボー2のたった1つの個性です」のような…

レインボー2は、秋田県内では羽後交通が既に導入していて、2009年のバスまつりで展示された。
おそらく、今回はそれに続く2社目の導入だと思われる。


なお、2007年までは、ヘッドライトもいすゞと同じものだったので、メーカーロゴ以外では区別ができない。弘南バスなどに在籍。
(再掲)4灯だけど日野レインボー2
また、ごくまれに、いすゞブランドなのに日野タイプのヘッドライトの車が存在するそうで、小田急バスにいるらしい。あと何年かすれば、中央交通に譲渡されるかも…


今回中央交通に入った車は、正面右のライトの上に「HINO」のロゴが小さく入るほか、中央に「H」のエンブレム。(上の写真参照)
さらに、
前ドアと前輪の間、「一般乗合」表記の下にも「HINO」
以前なら、リアウインドウ右下にあった「HINO」表示はない。※後部の「HINO」は1992年度に秋田市交通局が導入したワンロマ車(秋田八丈塗装)で初めて見た。統合車種になった直後の車でも、色や大きさは違うもののあったはず。
後姿ではエルガミオと区別できない
後ろにこそ「HINO」が必要では?【末尾の12月12日付追記参照】

初代は筆記体、後に角張ったブロック体で誇らしげに表示されていた「Rainbow」の車種名はどこにもない。


従来、中央交通のノンステップバスでは、新車・小田急中古車、いすゞ・三菱とも、「ノンステップバス」の表示は、青い角ゴシック体だった。(上の昨年の新車の写真は、表示取り付け前)
(再掲)小田急中古車側面 ※窓配置や表示の位置が今回の新車とは異なります

それが、今回の車は、わずかに小さい丸ゴシック体に変わった。正面は青色、側面は蛍光緑色みたいな文字。

車内の座席の配置などはどうなっているだろうか。
昨年のエルガミオでは、前輪の上に座席がなかったり、中ドア戸袋付近のロングシートが一般的な部分が、布地の柄が違う前向きの席になっていたり、なんとなくイレギュラー。「国土交通省標準仕様ノンステップバス」のシールが貼っていないのは、そのせいのような気がしなくもない。
【12月1日追記】11月29日には、割山線で運用されていた。新国道方面等の限定運用ではなく、臨海営業所担当の全路線に入るようだ。車外から見た限りでは、中ドア戸袋付近は昨年のエルガミオと同じく前向きの座席。
【12月28日追記】後に、「国土交通省標準仕様ノンステップバス」のシールが、車外中ドア左側(車椅子マークの隣)に貼られた。


【11月28日追記】トヨタの新車販売台数が3年連続世界一になったことが、夏に報道された。この販売台数には、商用車を含み、さらにトヨタグループであるダイハツと日野の分も含まれる。
今回の3台も、次回分にカウントされることだろう。

【12月8日追記】コメントで教えていただいたように、同時期に小田急中古と思われるエルガミオ「10-79」が臨海営業所に導入された。(【12月28日追記】ネット上の情報では、狛江営業所に所属していたの2001年式「01-D319」だったとのこと)
レインボー2も含めてまとめると、中央交通ではノンステップバスは32台(EVバスは除く)、うち23台が小田急中古で、大型車は6台・いすゞエルガは5台となるはず。

【12月12日追記】「10-86」が手形方面の秋田営業所担当路線を走っていたのを目撃。
リアウインドウの従来と同じ位置に「HINO」ロゴがあった。10-87には付けていないのか、それとも遅れて貼付されたのか…
ドア側の前輪の上には、座席がないようだ。(運転席側は不明)
【2015年2月6日追記】「10-87」にも、リアウインドウ右下に「HINO」ロゴ、さらにその上に標準仕様ノンステップバスのステッカーが貼られていた(秋田営業所と位置が違う?)。こういうものは、運行開始後に遅れて貼付されるものなのか…【2月8日追記】秋田・臨海両営業所とも、側面中ドア左とリアウインドウ右下ロゴ上の2か所に貼っているようだ。
【2015年3月22日追記】2015年3月12日に確認した、前年導入のいすゞエルガミオ「10-29」では、中ドアの右のガラスと正面向かって右のボディ(ヘッドライトの上)にシールが貼ってあった。後部はリアウインドウ右下、車種名表記の上(レインボー2と同じ位置)。

※以降の新車導入状況はこちら
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続イチョウ・黄色い実

2014-11-25 23:28:16 | 動物・植物
1週間ほど前の秋田駅東口から見る、うっすらと雪化粧した太平山
最近はまあまあ良い天気が続いているが、あとは里にも雪が降れば冬に突入しそうな、秋田市内の木の話題2つ。


まずは、黄葉が遅くて太いイチョウのその後。
(再掲)手前の木
↑さすがに↓
ほぼ落葉し、わずかに残るだけ
通りの他の木(というか秋田市内のほとんどのイチョウ)は既に丸裸になっているので、やっぱりこの木がいちばん遅かった。



さて、秋田市内の住宅地にある街区公園に、1本だけこんな木があった。

ほぼ落葉して、黄色い果実が下がっている。

住宅の庭木などでも、たまに見かける木であるが、ぱっと見て種名としては2つに絞り込める。

「マルメロ」か「カリン」である。
どちらも、見た目が似ていて果実に芳香があり、果実は生食には向かないが「喉に良い」と言われて果実酒やジャムなどに加工して食べられるという共通点がある。
※マルメロ、カリンとも、石細胞(和梨のジャリジャリ成分)が多く、渋みや酸味が強いので、生食はしないとされているが、「マルメロは生食が可能」という情報も一部にはある。
植物分類学的にも近縁ではあるものの、バラ科マルメロ属とカリン属と、それぞれ別属に分類されている。

マルメロは、秋田県の北秋田市森吉町や青森県の平川市碇ヶ関(ソフトクリームがある)などが特産地。生の果実が、秋田市内の店でたまに売られている。
森吉の温泉「クウィンス森吉」はマルメロの英名だし、弘前市には「まるめろ緑地」があるように、親しまれている植物でもある。

両者の見分け方はそれなりにいろいろあり、秋田県果樹試験場のホームページ(http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1138260441721/)に詳しいが、素人や季節によっては難しそう。

果実の表面を見るのが簡単。
「表面に毛があるのがマルメロ、ツルツルなのがカリン」である。
陽射しを浴びて輝く
果樹試のホームページには、「カリンは果実が楕円(のものが多い)で、樹皮が滑らか」という趣旨の記述もあるから、そうした観点からしてもこの公園のはカリンで間違いないでしょう。

ただし、信州(特に諏訪近辺?)では、マルメロのことを「カリン」と呼ぶ。
1993年に放送された、NHK連続テレビ小説「かりん」(細川直美主演)でも、作中では実態に忠実にマルメロが登場していたそうだ。(という話を果樹園芸学の専門家から伺った)
また、勘違いや誤解でマルメロとカリンが混同されたり取り違えられたりすることも、多分にあるだろう。


さて、気になるのが、この公園のカリンの実の行方。
取ってそのまま食べられないから誰も手を付けないこともあるだろうけど、公共の場所に実った食べ物を気安く食べるのも気が引ける。一方で、少々もったいない気もして、こんな罪作り(?)な木を公園に植えなくてもいいのに…とも思えてしまう。
この公園は20年ほど前にできた公園らしいが、その前からここにあった木なんだろうか。

秋田市では、柿の木がある公園もあるが、あれは元は別の施設だったので、その頃からあったのかもしれない。渋柿だから、これもそのままは食べられないけど。
コメント (2)
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弘南バス/十鉄車両

2014-11-23 23:41:14 | 津軽のいろいろ
10月下旬の弘南バスいろいろ。
●居森平行き
この記事中ほどの続き。経由地や行き先の変更に伴う、行き先表示について。

今年2月の路線再編により、久渡寺線が桔梗野経由から第四中学校前・桔梗野小学校前経由に変わっていた。
正面の行き先表示が幕式の車両では、引き続き経由地なしの「久渡寺」のままだった。
経由地入りの「桔梗野 久渡寺」だったLED式表示の車両のうち、マイクロバス・三菱ローザでは「四中校 久渡寺」に変わっていた。
中型バスでは違う表示器を使っているが、おそらく同じ表示内容だろう。

そして、ダム建設に伴い10月1日から川原平行きの路線が、居森平(いもりたい)折り返しに短縮されていた。
従来は、幕でもLEDでも経由地なしの「川原平」だった。
(再掲)

短縮されたのだから、変更しなければならない。どうなったかというと、
幕式の小型バスでは、
ブレてますが「58(かな?) 居森平」
LED車では表示されず、そもそもアテにしている人がどれほどいるのか分からない、行き先番号(?)付き。

LED式のマイクロバスでは、
「居森平」

LED式の中型バスでも、
「居森平」(上の川原平と同じ車だ)
小型表示器ではスペース上厳しいだろうが、中型車の大きい表示器では経由地も表示してほしかったところだが、入らなかった。
まあ前例踏襲で妥当といったところか。

ここで、中型バスのLEDのフォントに注目。



弘南バスが使用しているレシップ製のLED表示器では、2~3文字程度を画面いっぱいに1行で表示する時は、やや扁平な文字で表示される。(レシップ製を採用している弘南バス以外の他社でも同様。秋田の中央交通などのオージ製表示器では原則として正方形で表示)
従来の「弘前駅」とか「川原平」では、一般的なゴシック体が横長になった書体だったが、この「居森平」は違う。
「居」の左側の払いの「ノ」や右の「口」、「平」の2つの点のバランスが違って、大ぶりな印象、すなわち視認性が良くなっている気がする。

おそらく、携帯電話の画面表示用書体とかユニバーサルデザイン書体のようなフォントではないだろうか。
最近、「路線バス乗り継ぎの旅」か何かのテレビで見た、どこかのバス会社の表示器(たぶんレシップ製)でも、同じフォントが使われていた。
ということは、レシップの表示器では新しいフォントが使えるようになったのだろうか。とすれば、「四中校 久渡寺」もフォントが違っているかもしれない。(中型のLED式車両は台数からして当たる確率は高くないので、確認するのは難しい)


●あちら方面にも大型バス
以前から時々触れている、弘南バスでは珍しい大型路線バス。
「50125-2」という、弘前営業所所属の1989年式の日野ブルーリボンは、神出鬼没。(というかこの他に弘前市内で大型は見ないような…)
スクールバスの関係なのか学園町周辺、なぜか久渡寺線でわりとよく見るが、
弘前市役所前にて「枯木平」行き
嶽温泉方面枯木平行きに入っていた。

(再掲)中型バスの枯木平行きはよく見かける(気がする)
個人的には、枯木平行きは中型が多いような印象があり、大型バスが入るのを初めて見た。でも、実際はこの大型車もわりと入っているようだ。そういえば、テレビで見た岩木山スカイライン8合目まで登るバスにも、これらしき車両が入っていたな。
岩木山の観光需要に応えるため、威力を発揮しているのかもしれない。


●グループ会社
さくら野弘前店の向かいに、こんな会社があった。
見覚えのある「K」マーク
「弘南建設株式会社」で、「ビル建設、住宅、設計・施工、リフォーム」とある。

弘南バスグループは手広くいろいろやっていて、タクシー会社、岩木山スカイライン、ランプの宿青荷温泉、不動産管理さらにビル管理会社(この記事末尾)などは知っていたけれど、建設会社まであったのか。※ただし、弘南鉄道は例外。現在は弘南バスとの資本関係はないので、グループ会社ではない。
城東地区で消防署の改築工事が行われていたが、その施工業者にも弘南建設の名が出ていた。




ここで、2012年に廃止された、十和田観光電鉄の鉄道(とうてつ)の車両について。
廃止時点で在籍していた車両はすべて、廃止後は途中の七百駅の車庫にそのまま置かれていた。
今年6月になって、そのうちの7200系2両が、静岡県の大井川鐵道へ譲渡されていた。

今月初め、残りの車両の処遇が決まった。11月6日付デーリー東北より。
7200系や7700系導入前に営業用に使用されていた古い電車2両も、イベント用として残っていた。元東急電鉄モハ3650形である「モハ3600形」と自社発注の「モハ3400形」。
※デーリー東北では、モハ3600形のことを「“尾青ガエル”の愛称で親しまれた」としているが、何それ? 東急5000系(初代)なら「青ガエル」の愛称があるけれど…
それに「電気機関車2両、貨車2両。また、同駅の駅舎と車両の修理を行う検修庫、変電所も土地込み」
以上すべてが、個人に売却された。
その方は「埼玉県在住の男性会社員で、駅の歴史を後世に伝えようと活動している「七百レールファンクラブ」のメンバー」で、保存・展示を前提にした売却。

七百レールファンクラブでは、所在地の六戸町と保存を交渉していたが、維持管理などの面で折り合いがつかず、メンバーの1人が買うことにしたそうだ。
金額は非公表だそうだけど、一個人が買ったとはすごい。


上記に出てこないのが、末期の主力だった7700系2両×3本。
「7700系6両は既に解体されている。今回の売却で、十鉄は全ての車両を手放した。」
なんと、機器更新などがされて比較的新しい7700系だけが、なくなってしまった!
(再掲)在りし日のとうてつ7700系
個人的には、青森県内の弘南鉄道に譲渡すればいいと思っていたのに…
もちろん、費用や技術的な面での弘南鉄道側の事情はあるけれとはいえ、譲渡時の輸送距離が短くて済むし、弘南鉄道が使っている7000系と共通点が多くて扱いやすそうだし、冷房付きでサービス向上になる。安く車両更新できるチャンスだと思っていたのに。
これで弘南鉄道の車両更新は、また遠のいてしまいそう。
※弘南鉄道と弘南バスは起源は同じだが、現在は資本関係はない。
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きました 他

2014-11-21 00:09:52 | 秋田のいろいろ
今年10月から12月まで、秋田における3年にわたる観光キャンペーンの最後である、アフターデスティネーションキャンペーン期間中。
秋田駅自由通路では、11月初めに国民文化祭が終わるとその装飾類が外されて、アフターDCの装飾が増えたのか目立つようになった。

基本的には、過去2年間と同じ、黄色やオレンジ色を主体とした「あきたにしました。」。
再掲)昨年の様子。今年もほぼ同じ

おそらく昨年以前はなかったものがあった。上の再掲写真の向かい側。
これ
「あきたに“し”ました。」ではなく、「あきたに“き”ました。」になっている。
「あきたにきました。」

おそらく秋田駅周辺では、これ1つだけが「きました。」になっている。※赤地に白文字の「しました。」が各所に設置されている。
わざわざ秋田にお越しいただいた方々にしてみれば、「秋田に来た」わけだから「来ました」のほうがふさわしい。
ここで記念撮影でもすれば、いい“証拠写真”になりそう。

ただ、設置場所がイマイチ。
自由通路の途中にあるので、気付かれにくい。もう少し小さいのを改札口近くとかに置くといいかも。

赤い部分の右下には、秋田県、秋田市、JR東日本秋田支社とあり、その3者が設置したのだろう。
さらにその右隣りには、秋田市民市場とエリアなかいち・県立美術館への道案内が出ている。親切といえば親切だけど、周囲にも各種道案内があるので、別になくてもいい。

秋田市民市場の英語表記に注目。
「City Market Plaza」

ちなみに、先日、秋田市によって路上に新しく設置された道案内板では、
(再掲)「Akita Citizen's Market」
英語表記が統一されていない。
2010年に指摘し、さらにそれを魁さんが後追いしてくださった時と、まったく同じ違いである。(当時の差異の原因は、市役所内で設置した部が異なるためだった)

今回の表示はDC中の一時的なものだろうし、自由通路の常設の表示が「City Market Plaza」になっているのと揃えたのかもしれない。あるいは、県やJRが絡んだので、発注時に意思疎通が上手くできなかったのかもしれないけれど、相変わらず部局連携が取れていないのか、あるいは揃えようという意志が毛頭ないのか。




先月紹介した、路面に達筆な文字が書かれた駐車場。アップした直後に変化があった。
(再掲)

今はこうなっている
「無断駐車厳禁」のうち「厳禁」の文字が消えてしまった!
他の文字は鮮やかなままだから、意図的に消したと思われる。

でも、それだと「ケアホテル○○/無断駐車」となる。意味が分からない。
「ここに停まっている車は無断駐車ですよ」とか「無断駐車してもいいよ」と取れてしまわなくもないような…
どういう意図なんだろう。
いずれにしても、もうすぐ雪が積もって全部読めなくなるわけですが。
※その後、雪が融けて2015年7月時点でも、さらにもう1冬過ぎた2016年3月時点でも、2016年6月でも変化なし。2021年頃になると、表示全体が薄れて読めなくなり、2022年8月時点で再塗装されることなく、ひっそりと消えようとしている。2024年7月時点ではほぼ消えた。
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せいてんのへきれき

2014-11-19 23:58:11 | 津軽のいろいろ
30年前の1984年だったそうだが、イネの品種「あきたこまち」がデビューした。当時はそのネーミングが斬新だったことを、小学生だった僕でも記憶している。
当時は、カタカナの品種名がほとんどで、あきたこまちも「アキコマチ」【2016年2月23日訂正・「あきこまち」「あきたこまち」など5つの最終候補があった】にしようとしていたそうだが、当時の佐々木喜久治秋田県知事があきたこまちに決定したとか。
※当時は「国が育成した品種はカタカナ、それ以外(都道府県)が育成したものはひらがな・漢字の品種名とする」という決まりがあったという話も聞く。だったら、秋田県が育成した品種の候補に「アキコマチ」が残るのはおかしい。そもそも、明文化された規則だったのか、暗黙のルールだったのかも分からない。現在は、国の品種でもカタカナでなくても良くなったらしい。
【2015年3月24日追記】2013年5月14日アップの日本経済新聞サイト「本日入荷 おいしい話」「きらら397は○、キラキラは× コメの名前どう決まる(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK11018_T10C13A5000000/?df=2)」によれば、
「コメの銘柄名にはかつて、国の機関や国が指定した試験場で育成されたものはカタカナ、都道府県が開発したものはひらがなもしくは漢字、というルールがあった。それぞれ6文字以内とされていた。」
「潮目が変わったのは1991年。国指定の古川農業試験場(宮城県大崎市)が育てた品種が「ひとめぼれ」と命名されたのだ。国が運用ルールを緩めたことで、ユニークな名前が次々生まれるようにな」ったとしている。
いずれにしても、あきたこまち当時では、県作出品種にカタカナ名を付けるのは難しそう。
【2016年2月23日訂正】2016年2月の秋田魁新報の連載「時代を語る」によれば、最終段階で5つの候補(いずれもひらがな表記)が残り、その1つが「あきこまち」だったとのこと。(以上追記)

それから10年ちょっとは、あきたこまちそのものがもてはやされたし、それがきっかけで各地で米の育種やネーミング競争が活発になった。
小野小町伝説がある秋田ではあるが、それまではさほど認知されていなかったようにも思う。あきたこまちの普及で「こまち」という言葉も流行し、新幹線や野球場、テレビ番組などに「こまち」が使われた。
最近は、あきたこまちも安くなってしまったけれど、秋田県のイメージアップや日本の米の育種に大きな貢献をしたのが、あきたこまちであったと言えよう。
【20日追記】ジャガイモの「インカのめざめ」のように、イネ以外でも奇抜な品種名が広がったのも、あきたこまちに影響されたのかもしれない。


その後、「ひとめぼれ」「はえぬき」「どまんなか」など奇抜なネーミングの品種が続々と登場し、あまり驚きもしなくなった。1997年にデビューした青森の「つがるロマン」なんておとなしい方。
2003年前後に弘南バスに掲出されていたつがるロマンの広告。行政や農協が組織する「青森米本部」によるもので「白い優しさ、輝く笑顔」のコピー

今年11月5日、青森県が2015年度から流通させる新品種の名称を発表したのだが、それは久々に驚いた。「青天の霹靂」である。

いや、驚いて青天の霹靂の気分なのではなく、品種名が「青天の霹靂(せいてんのへきれき)」。
故事成語としての「青天の霹靂」は陸游「九月四日鶏未鳴起作」が出典で、晴れ渡った青空に突然起こった雷(霹靂)のこと。「急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。(デジタル大辞泉)」の意味。
英語でも、そのまま「a bolt from the blue」と用いるらしい。

全国公募で集まった1万1049件の中から選ばれた、野辺地の33歳の男性のもので「青森の天からふりそそぐ自然からできた、まるで青天の霹靂のような驚くほどおいしいお米」をイメージしたという。
つまり、元は「晴れ渡った青空」の意味の「青天」に「青森の天」の意味をかけてある。
秋田の「こまち」同様、青森ではひところ「青い森○○」と命名するのがブームになったが、今回は「青」だけが使われた格好。

現段階で「青天の霹靂」と聞いて米をイメージする人はいないだろうけど、それは30年前の登場直後の「あきたこまち」だって同じこと。時が経って、売れるようになれば、広く認知はされろうだろう。それまでにいかに宣伝するかが大事。
「青天の霹靂」の言葉の意味としては、あまりいいイメージではないような気がするが、「びっくりするほどおいしい米」ならなんとか通じるか?
また、「雷が落ちた田んぼでは、空気中の窒素が、肥料として使える状態になって田んぼの中に入る(窒素固定)ので、収量が上がる」という説があり(だから「稲妻」という言葉ができたとか)、米と雷は良い関係にあるとも言える。
言葉としては知られていて、インパクトがあって覚えやすくて、悪くない命名かもしれない。


ただ、そそっかしい人は米屋さんで「『塞翁が馬』10キロください」などと間違えたりして…
あと、後追いで類似の名称の品種が登場したら、混乱しそう。

そして最大の難点は、文字。
「霹靂」は漢字検定1級レベルじゃなかろうか。

さらに「青天」が「晴天」と誤記される可能性も高い。
「ネプリーグ」の林修先生出題問題で出題されて回答者が間違うと、林先生が「いやぁ。僕の思った通りに間違ってくれましたねー」と喜びそうなシチュエーションだ。
【24日追記】↑などと書いていたら、タイムリーなことに11月24日放送のネプリーグで、本当に「林先生厳選の漢字テスト」の「書き間違いが多い漢字」として出題された!(蛭子さんが間違えて、北村弁護士が正解)


「あきたこまち」でさえ、店頭では「秋田こまち」「秋田小町」「アキタコマチ」等々間違って表記される場合がある。
「青天の霹靂」も、「晴天のヘキレキ」なんて表示されてしまいそう。あるいは無知な人の誤変換で「青天の辟易(へきえき)」とか?
【20日追記】オールカタカナで書いてしまう人は、「動植物の標準和名はカタカナで表記する」という生物学の慣例を拡大解釈というか誤解している場合もありそう。標準和名はヒトとかホタテガイとかリンゴとかイネとか「種」名のことであり、種の中の「品種」名の表記にはそのような制約はない。

というか、さっそく間違った人がいる。※以下、恒例の揚げ足取りです。
11月8日付の陸奥新報の社説のネット版である。(紙面は未確認)


タイトルが「県産米“晴天の霹靂”「作付け限定、理解得る努力を」」。


本文中はすべて「青天」なのに、見出しだけ「晴天」。
「名称については、近年デビューした銘柄米と比較しても異色の命名だ。」等々書き連ねてあるけれど、見出しを間違えては、説得力がない。
青森の「青」なんだから、青森の新聞社がここを間違えてはいけませんよ。

以前も取り上げたが、陸奥新報のサイトでは、この手の変換ミスがよく見受けられる。
仮に間違ってアップしても、社員の誰かが見て気付かないものだろうか。
教えてやろうかとも思うが、購読者でもないよそ者が差し出がましい気がして控えている。


※その後、一般に販売されて食べた時の記事。なお、その時点でも、陸奥新報の社説は「晴天」のまま。






秋田魁新報の紙面でも、最近は「訂正」をよく見る気がする。
「ナマハゲ伝導士」を見出しだけ「ナマハゲ伝道士」としてしまうという、初歩的ではあるが、言葉の意味の勉強にはなった変換ミスもあった。
これは「晴天の霹靂」と同じく、見出しを付ける整理部がやらかしたであろう変換ミス。

最近の魁は、変換ミスではなく、地名や人名の判読・入力間違いに起因すると思われるミスが多い。
※提供された元々の名簿や資料自体が間違っている場合は「主催者訂正」という別の枠で訂正される。ただの「訂正」なのは魁側の間違いだと考えられる。

具体的には、秋田市の地名「御所野」と「御野場」、人名の「奥山」と「畠山」など。(いずれもここ1週間ほどの間のこと)
紙の資料を見て文字入力する時に、思い込みとか、ぱっと見の文字の形だけで判断し、間違えてしまったのだろうか。
脱字や変換ミスと違って、こういう間違いは(元の資料に当たらない限り)他人が見ても気付かないが、人名を間違うなど失礼な話。我々一般人も含めて、気をつけましょう。
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駅西北で進む解体

2014-11-18 23:31:02 | 秋田の地理
秋田駅西北(にしきた)地区土地区画整理事業」について。

まずは先日の続き。「秋田駅前ビル」1階の秋田駅西口店が移転して、「三宅ビル」1階で秋田駅西店となった、ローソン。
西口店閉店直前。2つのローソンの看板が並ぶ。新旧で青の色合いが違う

 閉店後の西口店跡の張り紙
2枚の張り紙のうち下には「移転しました!」とある。
しかし、上の「店主」名の「閉店のお知らせ」では、「閉店させて頂きました」とあり、問い合わせ先として新店舗ではなくローソン秋田事務所を挙げている。
これを見ると、実際には経営者が変わって、閉店→新規開店したのだろうか。どっちにしても客としては「移転」だけど。

三宅ビルの秋田駅西店
新店舗は、間口は旧店より広い。奥行きはあまりなく、総面積では新旧でそんなに違わないのかも。

三宅ビルの東側(フォーラス横・リボン会館跡との間)が、区画整理で拡幅・対面通行化されることになる狭い道。
三宅ビルの東壁面
ローソンの出入り口がない、東壁面の3階の位置に、小さなローソンの看板がちょこんと設置された。
広小路側店舗前も含めて、「酒・たばこ」としか表示がないが、ATMも設置されているようだ。

※このローソンは、2017年に店舗が広くなった。この記事中ほど参照。

区画整理とは関係ないが、突き当りの広小路の緑屋ビルの隣の隣のビルに入っていた「東洋新食堂」がいつの間にか閉店。現在は改装工事中で、昨日辺りに「酒菜の隠れ家 月あかり」という看板がついた。
東洋新食堂は秋田の企業「あべ乃グループ」の経営、月あかりは全国チェーン店のようだ。東洋新食堂がここにオープンしたのは2004年春だそう。



では、その拡張される一方通行の道。
三宅ビルの後ろ(北)側には、いくつかの店など建物が建ち並んでいた。
広小路から2012年10月撮影

2012年10月撮影ストリートビューより。突き当りが広小路
区画整理を控えてなのか空き家も少なくなかったが、「秋田クラーク高等学院」が入っていた3階建てのビルのほか、居酒屋、食堂、写真館などがあり、昭和の趣きが漂う小路であった。


それらが今年春頃から、徐々に閉店・解体されていった。【28日追記】居酒屋は移転したらしい。50年以上の歴史があるそうだ。
 2014年5月 水色のシートがクラーク学院のビル

2014年6月。だいぶ更地になったが、まだ営業する店もあった

 現在。すべて解体されつつある
※看板が出ている旅館は、奥まった位置にあるので、このままなのかもしれない。
※「管理地」という看板があるので、更地になった部分すべてが道路用地ではなく道路になるのは一部で、残りがどこかに売却されるのかもしれない。残るであろう三宅ビルの幅からしても、全部が道路にはならなそう。

残るのは、
お好み焼き屋と空になったビル
お好み焼き屋さんはまだ営業中であるけれど、いずれここでは営業をやめることになりそう。

現在更地になった一帯で、最後まで営業していたのが、八百屋というか青果店。
キテレツ大百科のブタゴリラの家(八百八)のような、店先に商品が並ぶ昔ながらの八百屋だった。
どうしたのかと思ったら、
すぐ近くに移転していた
先に道路が拡張された部分の南端、脳研の裏の下の空き地だった所に、新築移転していた。旧店舗とは50メートルくらいしか離れていない。

引き続き店頭に商品は並ぶものの、しっかりとしたドアが付いて、少し今風になった。
秋田では、おそらく冬の雪や寒さからすれば、ブタゴリラの家スタイルの八百屋さんは大変だろうから、改築されて今はかなり少なくなっていると思う。

旧店舗の看板には、「高級果実・新鮮野菜・秋田・青森りんご専門店」とあったが、新店舗は「秋田・青森りんご専門」となった。メインはリンゴ屋さんだったのか。


拡幅済みの区間には、新しいカフェみたいなのもできた。
これからも古い建物がなくなって、新しい街に新しい店ができていくことだろう。

※続きはこちら
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弘前いろいろ2

2014-11-17 23:54:43 | 津軽のいろいろ
先日に続いて、弘前での発見をいくつか。

●イトーヨーカドー弘前店の変化
・地下食品売場で、予告通り精算前後でカゴの色が変わっていた。7月末に出ていた掲示によれば8月19日から実施。精算前は従来の水色、精算後が黄色。

・地下食品売場、正面エスカレーターを下りたパン・惣菜コーナー近くに、イオングループの「ハッピーゲート」と同じ装置が置かれていた。イオンの装置から2匹の犬(WAONとソフトバンクの父さん)のイラストや装飾を外した、白一色の端末。(愛称等も表示されていなかったはず)
イオン系列店舗を対象とした、ソフトバンクやヤフーの会員向けに割引券を出すサービスがある。最近はその対象店舗にイトーヨーカドーが含まれる場合が出てきている。おそらくイオンと同様に、携帯画面のバーコード読み取りまたは数字入力により割引券が発券されると思われる。
イオンのものと同様、液晶画面に「タッチしてください」と出ていたけれど、土日のイオンのようなポイント付与サービスはやっていないはず。nanaco(やWAON)をタッチしたら、どうなるんだろう?

・デジタル値札廃止?
店頭の各商品の所に掲出された、商品名や価格を表示した値札のことを「棚札」と呼ぶそうだ。
イトーヨーカドーでは、2005年から全店舗で「電子棚札(デジタルプライサー)」というものを採用していた。(もちろん秋田店でも使っていた。はず)地下食品売り場だけかな? 家庭用品や衣料品など上のフロアは不明。

モノクロ(部分的に赤)表示で紙の札よりは見づらかったし、電池も消費するだろうに(ソーラー式ではなかった?)、どうしてこんなことをするのか理解できなかった。
調べてみると、これは無線LANを使って一斉に表示変更が可能であり、POSデータとも連動している。したがって、値札変更の省力化と、価格表示の間違い防止ができるのだった。

なるほどと感心していたが、7月末の段階で、イトーヨーカドー弘前店では、紙の棚札に戻っていた。
耐用年数が来たものの、費用をかけてまで更新するほどでもないという判断だろうか。


●イタトマ
全国の地方都市にあって親しまれている「イタリアントマト」。
秋田市では、辻兵系列の企業「エル・アンド・デー」が経営していて、秋田ニューシティ(ダイエー秋田店)がオープンした時にできたのが最初だったと思う。現在は、ドン・キホーテと八橋にケーキショップ、秋田駅東口のアルヴェ2階に「イタリアン・トマトカフェ ジュニア」という、軽い飲食ができる店(?)がある。
ジュニアではない「カジュアルレストラン&カフェ」は秋田県内にはない。
ニューシティがあった頃は、2階のエレベーター近くに飲食できる店があったのだけど、あれはどっちだったんだろう(当時はそういう区別がなかったのかも)。

現在、弘前市には2店舗。
イトーヨーカドー1階の巨大な風除室みたいな空間、富田大通り経由のバス停がある側の道路に面した店は昔からあって、それが「ジュニア イトーヨーカドー弘前店」。
そして、ヒロロの1階、並木通り側にもできていた(ジョッパル当時は衣料品や薬局だった場所かな?)。これはジュニアでない「カフェ ヒロロ弘前店」だそう。(弘前以外にもヒロロが存在するかのような、ちょっとヘンな店名)【18日追記】比較的細長い店舗で、黒基調のやや落ち着いた雰囲気ではあるが、ヨーカドーのジュニアとさほど違わないような感じもする。

近接して、カフェとジュニアが共存していることになる。
秋田ニューシティでも、2階にカフェがあるのに、地階にもケーキショップがあったから、イタトマはそういう方針なんだろうか。

そういえば、昔はイトーヨーカドー弘前店の上の飲食店街のフロアにもイタトマがあったはず(1階と2つ共存したはず)。雰囲気としては、秋田ニューシティ2階の店に似ていたけど、そっちはやめたようだ。


●大成小
2002年に第一大成小学校と第二大成小学校が統合し、旧第二大成小の場所に新校舎を建てて開校した、弘前市立大成小学校。(校舎について

その敷地の隅の光景。
後方に岩木山
岩木山を横目に立つのは、二宮金治郎(治が正当だそう)こと二宮尊徳先生の石像。
秋田や弘前の学校では、今まで見たことがなかったと思う。
台座は新校舎建築時に新調されたように見えるが、石像のほうもそんなに古そうには見えない。

その隣には石碑があって、「大成の華 開け」「弘前市教育長 虎谷一郎 書」とある。
調べると、揮毫した虎谷一郎氏は、今年2月に94歳で亡くなっていた。東北女子大学長も務めたという。教育長当時に建てられた碑なのだろう。

どちらも今まで存在に気付かなかったが、
(再掲)2013年2月撮影。左側に注目
冬期間は雪囲いがされていた。

以前からここ(旧・第二大成小)にあったのか、ひょっとしたら統合時に第一大成小から移動して来たのかもしれない。

【2017年1月20日追記】これも知らなかったけれど、弘前公園にも二宮尊徳の銅像(石像でなく)があるとのこと。
丑寅櫓付近に1935(昭和10)年に設置されたもので、冬は市によって衣装が着せられ、2016年末は初のサンタクロース姿になったとのこと。
※さらに弘前市立石川小学校には、1942年に設置された石像があった。この記事中ほど。


●リンゴを磨く ※関係ないけど別の意味のリンゴ磨き
弘前駅改札口前に置かれている巨大なリンゴ
通りかかると、
お掃除中
モップで丁寧に拭かれていた。
背伸びして上部を見ると、凹んだ部分にゴミを投げ入れた輩がいるようだ。


●装飾中
弘前駅改札内では、駅社員による季節ごとのオブジェや装飾が施されている。
この時は、秋仕様の飾り付け作業をしていた。
2人がかり。脚立の上は人形です
恒例のリンゴの収穫風景(一例)になる模様。


弘前の話題はまだ残っています。
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助役/ローレル賞

2014-11-16 23:57:05 | 秋田のいろいろ
鉄道の話題をまとめて。

●続・助役
先日の記事の鉄道会社の「助役」の続き。
前回は、大館駅で秋田県内6人目の女性助役が起用されたという、秋田魁新報の報道に基づくものであったが、県内の助役の総数(女性の割合)が分からないし、そもそも助役ってそれほど偉いわけでもないようにも思えた。


秋田魁新報が発行する「マリ・マリ」という主に女性向けのタブロイド版情報誌がある。
秋田市内の魁購読世帯は金曜日の新聞に折り込まれるのだが、正確には「秋田市内と潟上市天王は全戸配布(=魁を取ってない世帯にも)。男鹿市、天王以外の潟上市、南秋田郡、由利本荘市、にかほ市は魁新報に折り込み」だそう。

その11月14日発行の281号で、今度は秋田駅の女性助役が紹介されていた。
大館駅の新聞記事よりは詳しく、助役について新たなことが分かった。

・助役は「駅長、副駅長に次ぐ管理者」
・秋田駅は「社員103人が働く」「助役は計24人。」「同駅でただ1人の女性助役」
→駅の中での順位としては上から3番目ということになるが、秋田駅では103名中24名、すなわち駅員の2割強がナンバー3という、フラットな構成。上から3番目だけど中間管理職ということか。(「駅」は内勤ではなく現場であるという事情でしょう)
ちなみに大館駅の駅員総数は25名だそう。やっぱり秋田駅は大きい。

・「井上さんの仕事は、月に4、5回の泊まり勤務に加え、主に駅で行うイベントの企画運営やサービス全般の管理を担当している。」
→「泊まり勤務」というのは助役でなく駅員としての業務だろう。
「サービス全般の管理」というのが助役としての業務だと思われる。以前書いたように、助役の業務は複数人で分担することが多いそうで、この方の場合、列車の運行、窓口などに関する業務は助役としてはやっていないのだろう。

・「女性社員1期生として1991年に入社」
大曲びゅうプラザ、横手駅びゅうプラザ、秋田支社営業部販売促進課を経て「助役試験に挑戦し合格。今年7月、晴れて秋田駅の助役に就任した。」
→大館の方は、1992年入社で県北の駅と秋田支社経理部門を経て助役登用。助役になるには現場と内勤と両方を経験する必要があるのだろう。

・「女性助役としては県内6人目」
→大館の助役も「県内6人目」だった。しかも、大館の助役は秋田より後の10月1日付で就任している。魁の記事どうしで矛盾している?
「6人目」は「女性助役は歴代6人目」ではなく、「現時点で助役として勤務するの女性が6人目(助役でなくなった人を除く)」という意味なんだろうか。7月から9月末までの間に、どこかの駅の1名が助役でなくなっていれば、つじつまが合う。
ただ、とすれば、県北には大館の1名だけ、秋田駅も1名だけだから、残りの4名が県南もしくは中央部の小規模駅で助役をしていなければならなくなる。ちょっと無理があるかも。
「秋田県内」ではなく「秋田支社管内」という意味で、弘前駅にもいたりするのかもしれない。とすれば、明らかに誤った表記。どうでもいいけど、ちょっと気になる。

・「(女性助役は)秋田駅では3人目となる」
→現時点では秋田駅唯一の女性助役だというから、過去も含めて歴代3人目ということなんでしょう。
以前の2人は、助役でない役職(支社内勤を含む)に異動したのでしょう。
→となると、「県内6人目」というのはやっぱり歴代で6人目ということで、大館との矛盾は単なる数え間違い?


こうした方々の中から、やがて副駅長や駅長にも登用される人が出ることだろう。
ただし、秋田支社管内には、既に女性駅長が存在した。※もちろんJR東日本正社員の駅長のことであり、委託された観光駅長などは別
1997年春の秋田新幹線開業時に、角館駅に女性の駅長が起用されていた。
たしかこの方は、鉄道現場出身ではなく、鉄道病院か何かの勤務が長い社員だったと思う。

【2017年7月2日追記】その後2017年7月1日には、再び角館駅長に女性(秋田駅助役から異動)が起用された。井上さん(44)だから↑この方か。
2017年7月2日付秋田魁新報社会面で報道されている。
角館駅長としては41代目、JR化後では14代目。上記、最初の女性駅長は1997年3月22日(秋田新幹線開業日)に当時46歳で着任した。現在の角館駅員は6人で全員男性。
「同支社採用の1期生」とあるが、上記マリマリによれば「女性社員1期生」ですが… 旧中仙町の実家から旧角館南高校へ自転車で通学していたという。


※少々関連した記事はこの記事後半



●ローレル賞
JR東日本の秋田新幹線用車両・E6系電車が「ローレル賞」を受賞した。
鉄道愛好家の団体による表彰で、鉄道業界・鉄道好きな人には、(少なくとも名前は)けっこう知られた賞だと思う。

JR東日本秋田支社では、ローレル賞受賞を宣伝に活用している。
11月8日に秋田駅において、秋田県知事、秋田市長、秋田商工会議所会頭、デザイナーなどが出席した「受賞式典」を開催。もらったJR側がやるから「“授”賞式典」ではなく「“受”賞式典」ということのようで、式次第の1つに「授与式」というのがある。
受賞式典の中で出発するE6系は、団体旅行の専用列車で、乗務員が企画した盛岡往復ツアー。クイズ大会や車内補充券発券などの車掌体験などができた。
さらに、E6系のグッズ類販売、子どもの絵画展なども行われている。


ここで、実は恥ずかしながら僕もよく分かっていなかったのだが、「ローレル賞」と、混同しがちな「ブルーリボン賞」について。
どちらも、国内最大の鉄道愛好家団体「鉄道友の会」による表彰。
歴史としてはブルーリボン賞のほうが先。前の年に営業運行を開始した国内車両の中から、会員の投票で1形式を選んで決定。
ローレル賞は、ブルーリボン賞からもれた形式の中から、技術面や先進性に優れたものを、専門家からなる選考委員会が選ぶ。受賞対象の数の制限はなし。

ブルーリボン賞が人気投票的なのに対し、ローレル賞は専門家の見地から優れた車両が選ばれる形。
選考対象は新幹線や特急だけでなく、普通列車や地下鉄、路面電車も含まれる。
今年は、ブルーリボン賞は近鉄50000系電車「しまかぜ」、ローレル賞はE6系と福井鉄道の路面電車・F1000形電車「FUKURAM」が受賞。

15日の秋田魁新報「いまを読み解く 解説のページ」「ニュースのつぼ」で、ローレル賞が解説されていた。
・鉄道友の会会員は約3200名
・鉄道友の会事務局長の話「会員の多い東京・大阪近辺の車両が上位に選ばれやすいのは事実」「賞の発表は毎年5月。以前は7月だったが、株主総会の前にやってくれという要望もあって早めた。社会的責任が大きくなってきた。」


11月8日のNHK秋田放送局のローカルニュースでは、「秋田県内の鉄道車両がローレル賞を受賞するのは初めて(略)ということです。」と伝えていた。これは誤り。(伝聞調だから、JRの発表が間違っていたのか?)
魁の解説では、先代の秋田新幹線E3系や、「リゾートしらかみ」のハイブリッド車HB-E300系は受賞を逃したことに触れた上で、秋田在住の鉄道友の会会員が秋田県関係では「日本海」「あけぼの」用の寝台車両が過去に受賞したことは触れていたが、これでもちょっと足りない。

「秋田県内の鉄道車両」を、「秋田県内で定期運行されたことがある車両」と定義すれば、ブルーリボン賞と合わせておそらく次の3形式が過去に受賞しているはず。
・1961年ブルーリボン賞のキハ81系気動車
→元は特急「はつかり」として製造されたが、後に「いなほ」にも使われた
・1975年ローレル賞の24系25形客車
→魁でも触れていた寝台車。B寝台初の2段式で、寝台列車時代の末期の主役となった
・1979年ローレル賞の50系客車
→701系導入以前に奥羽本線・羽越本線などの普通列車として使われていた、エンジ色の客車。飾り気のない車両だったが、自動ドアなど当時としては画期的な点が認められたのだろう。


ところで、E6系は今年、「グッドデザイン賞」も受賞した。
中央交通の秋田駅西口バスターミナルとともに、秋田の交通から2つが選出されたことになる。(他分野でも受賞したものはいくつかある)
この件について、JR東日本の本社からはリリースされているが、秋田支社では何も言っていない。

グッドデザイン賞は、賞といっても“自己推薦”方式の“認証制度”みたいなものだから、控えめなんでしょうか。
そういえばバスターミナルのほうも、秋田ではほとんど話題にならないな…


ローレル賞、グッドデザイン賞とも、受賞車両にはそのプレートが掲出されるのが通例。
全車両ではなく、製造番号「1」の車内に貼付されることが多いようだ。



●レイルウェイ・ライター逝く
11月7日「間違いだらけのクルマ選び」で知られる自動車評論家・徳大寺有恒氏が亡くなった。
その訃報記事と並んで出ていた新聞もあったが、6日には種村直樹氏が亡くなった。

徳大寺氏に比べれば、報道の扱いは小さかったけれど、種村氏も昭和末期から平成にかけての、日本の鉄道を語るに欠かせない人物だったと思う。
種村氏の肩書きは、訃報記事では「鉄道作家」「鉄道ライター」などまちまち。ご本人は「レイルウェイ・ライター」としていた。
文章の言い回しが独特だったり、“取り巻き”を引き連れた旅行スタイルなど、クセが強い部分も感じたものの、きっぷの制度を取り上げた連載や、旅先の郵便局を巡る「旅行貯金」に代表されるゲーム的な旅の楽しみ方を広めた功績がある。

ネットが普及する前は、種村氏のような乗車レポートが、各地の鉄道の現状を知る大事な手段だった。僕も、旅行中の着眼点とか、文章の端々に知らず知らずに影響を受けているはず。「苦言を呈する」とか「ぞっとしない」は、種村氏の著作で意味や使い方を知った。
2003年には宮脇俊三氏も亡くなった。今は鉄道アイドルなんかは増えたけれど、これからはこのような鉄道作家は出てくるだろうか。
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遅くて太いイチョウ

2014-11-13 20:47:32 | 動物・植物
秋田市は強風が吹いて初雪を観測。秋田市街地の紅葉もおおむね終わり。
秋田地方気象台の生物季節観測によれば、イチョウの黄葉は11月3日、落葉は6日。イロハモミジの紅葉は7日、落葉はまだとなっている。
「紅葉(黄葉)」の定義は「葉の色の大部分が紅(黄)色系統の色に変わり、緑色系統の色がほとんど認められなくなった最初の日」
「落葉」は「葉の約80%以上が落葉した最初の日」
春の魁新報によれば、イチョウの標本木は日吉八幡神社にあるとのこと。モミジは気象台構内だろう。

今まで何度か触れているように、ケヤキとかソメイヨシノとか、近くにある同じ種の木であっても、葉が出たり花が咲いたり紅葉したりする時期に差が見られる。
日当たりなどの環境、剪定等のストレス、生まれ持った個体差(ただしソメイヨシノなどはクローンなので基本的には個体差はないはず)によると思われる。
中でも、イチョウの黄葉→落葉は、かなり幅がある。

10月31日の保戸野みその通り
今年はみその通りのイチョウが見事だった。数年前に剪定されて、ボリュームのある樹形に整っている。
気象台が黄葉を観測する前だったけれど、どう見ても100%黄色くなっている木がほとんど。
ただし、
ここは違う
まだ「黄葉」とは言えない状態の木も若干。
写真の木は並木の端で、南~西方向に建物がない(道路と墓地)ため日当たりが良好。そういう条件によるものだろうか。

同じ日の保戸野原の町通り
こちらはみその通りよりは緑が多い感じもしたが、それでも黄葉しているとみなせそう。

みその通りも原の町通りも、1980年代中頃に秋田市が建設した道路。現在は原の町通りは県に移管されて県道233号線となったようだ。
そうした経緯で管理者が異なった今では、市と県で剪定方法が違うらしく、両者で樹形が違っている。原の町通りのほうが少し小ぶりに感じる。
※原の町通りは来年で開通30年。みその通りはその3年くらい前にはできていたはず。
もっと古くからあるイチョウ並木では、メスの木が混ざっていて秋にはぎんなんが落ちて臭いを漂わせていることがあるが、両通りはすべてオスの木。苗木の育成や選別の技術が向上した時期だったのだろう。(葉っぱの形で雌雄が区別できるというのは迷信【16日追記】ぎんなんの殻の形状が二面体か三面体かで、それが発芽後に雌雄どちらかになるか識別できるという話もあるそうだが、それも怪しいらしい)
【2018年4月4日追記】原の町通りは、「秋田環状線」の一部として1985年12月2日開通。ただ、街路樹の植栽など道路としての形は、同年春頃にはもうできていたような記憶がある。

原の町通りでも、黄葉が遅い木があった。
手前と奥の木は黄色くなっているが、間のあちら側2本・こちら側2本は緑のまま
しかも、それ以外にも他の木との差が見られた。
分かるでしょうか
黄葉が遅い木は、幹が太くて枝に葉が多い。さらに、
幹の下のほうに葉が付いたり、新たな細い幹(徒長枝・シュートと呼んでいいのか)が出たり
木の元気がいいのだ。

この4本だけ、別に植えられたかのようにも思えるが、そうではないはず。
原因として考えられるのは、宅地化から残されたかのようにぽつんと西側にある畑の存在。近隣の民家1軒の敷地と同程度の広さ。
日当たりの良さに加えて、畑で施している肥料が雨水に溶けて道路に流出し、その前にある2本の街路樹のイチョウの養分になり、さらに道路の下を通って向かい側にも流れて、向かいの2本のイチョウをも“育てて”しまったのではないだろうか。(下の写真の赤矢印のような流れ)
黄葉前でも、葉が繁茂しているのが分かる

11月8日にはやっと黄葉の盛り。向こうの細い木は既に裸
※黄葉のその後はこちら
【2018年6月11日追記】その後、この畑は2017年で耕作をやめて、2018年春には舗装されて駐車場になってしまった。今後のイチョウはどうなるか?


(再掲)竿燈大通りのケヤキも端の1本は立派

「置かれた場所で咲きなさい」なんて言った人がいるけれど、動けない植物は、まさにその場で生きていくしかないのです。

エノキの黄葉の時期の違いについて
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ポッキー誤発注?

2014-11-12 23:49:37 | その他もろもろ
インターネットの普及により、世界各地のさまざまな媒体による、いろいろなニュースが容易に見られるようになった。
だけど見出しに惹かれてクリックすると、取るに足らないようなどうでもいいような話のこともあり、取捨選択が難しい。


今朝、読売新聞のネット版に出た「ポッキー10倍も誤発注、青ざめた大学生協に…」というニュースについて、いろいろと。
これはgooニュースにも転載されて、gooトップページからもリンクされている。昔はgooニュースから直接gooブログを書くボタンがあったのだけど、今は各SNSだけでブログはなくなってしまった。

内容は、
北九州市立大学生活協同組合(大学生協。要は大学内の購買部・売店のような存在)が、11日のグリコの「ポッキー&プリッツの日」にちなんでポッキーを320個注文するつもりで、アルバイト従業員が誤って3200個発注して納品されてしまった。
返品できないので困り果てた生協が、事情を説明する「HELP!」のPOPとともに店頭に並べたところ、学生たちがSNSで広めるなど協力して、4日間で普段の100倍近い1700個が売れ、(続報によれば)最終的に12日午前に完売した。
という、“美談”的な記事。


いかが思われますか?


僕の第一の感想はデジャヴ。
あとは、「慌てて売らなくてもいいのでは?」「バイト任せでいいのか」「読売新聞が記事にするほどのことか」等々
果たして「美談」なのだろうかとさえ思えた。
ネット上では、素直に美談と受け止める声も多いが、僕と同様の疑問の意見もある。


デジャヴというのは、「どこかの大学生協がプリンを誤発注したけれど、学生の協力で売れた」という話があって、当時はそれなりに話題になったのを思い出したから。
調べると、2012年11月初め、京都教育大学生協が、「森永の焼きプリン」を誤って200倍の4000個発注して入荷された一件。
それからわずか2年で、場所は異なるが大学の生協で同じ事案が発生し、同じ“美談”が起こったことになる。
※大学生協以外に、コンビニやローカルスーパーでも類似の事案が発生してはいるようだ。


そもそも、誤発注という、小売店としては初歩的かつ重大であろうミスが原因。
一般のお店でこんなことをやったら内部では大問題だろうし、それをお客に対して「間違っちゃったから、買って!」なんて言えないだろうし、そんな顛末を報道されたらいい恥。企業イメージが低下しかねない。
実際には、あの店この店で似たようなことは起きているのだろうし、旅行先某所の閉店時刻直前のスーパーで、恵方巻きが異様なほど大量に売れ残っているのを見たことがある。
そういえば、大手スーパーI(AEじゃなくて)は、値下げ商品(見切り品ではなく、店頭価格自体を下げる)について理由を表示するようになったが、「在庫過剰のため」というのを見たことがある。理由の説明だけで「だから買ってね」とは言っていないし、実際のところはそんなに在庫過剰にも見えなかった。
顧客が身内の大学生にほぼ限定される大学生協だからこそ許された対応で、それが話題になったと言えよう。


なんといっても、誤発注ミスを引き起こした、北九州市立大学生協の体制に問題があると思う。
大学生協は横のつながりが強い。同じエリア(例えば東北6県の7国立大学)では、食堂のメニューが共通だったり、交流会のようなものが行われているはず。発注システムも同じもしくは似たものかもしれない。
京都と福岡では密接なつながりはないかもしれないが、2年前の京都のプリンの一件は当然認識しているはず。それを踏まえた防止策は考えていなかったのだろうか。明日は我が身という意識が低かったことになる。
報道では「アルバイトの従業員が」間違えたことにされているが、(3200個以前に320個という)通常と異なる大量注文なのにバイト任せで多重チェックや上司のチェックはしなかったのか。(受注した側が指摘しなかったのかという声もあるがファクスやネット、委託運送会社などを使った意思疎通しにくい受注・納品体制で難しかったのかもしれない)


読売の記事は、生協職員の話として「「(略・学生たちが買ってくれて)こんなに協力してくれるなんて、本当にありがたい。どうにかして売り切りたい」と感謝しきりだ。」と結び、完売した続報でも感謝の声が載っている。
これからすれば、生協はポッキーを急いで売り切ろうとしているのが分かるが、それが不可解。
京都のプリンだったら要冷蔵で賞味期限(15日)があるから、早く売らなければならないのは分かる。他のコンビニなどの例でも大量に入荷してしまったのは、おにぎりや惣菜類。
しかし、ポッキーは常温保存で賞味期限は1年間。保管場所は必要とはいえ、プリン4000個と違って四角い箱だから、なんとかすればどっかにしまっておけるだろう。何も大慌てで売らなくても良かったのではないだろうか。
ずっと値引きセールでもしていれば、賞味期間内には売り切れたのでは?
最悪、周辺の他大学生協に頼み込んで“転売”することなどができたかもしれない。
北九州市立大学生協の資金繰りが悪くて、すぐに売って現金化したかったのでしょうか?


買った学生さんたちは、学生らしいノリの良さで楽しんで協力してやったのだろう。あるいは大学生協に出資(15年前の弘大生協は2万円だった。卒業時に返還)している組合員としての使命感だろうか。はたまた、スーパーより20円ほど安い111円で売ったようなので、単に価格重視で買った人もいたかもしれない。
そうでなく、単なる同情で購入したのであれば、申し訳ないけれど思慮が足りないようにも思えてしまう。
2年前の京都のプリンの件は、まだ高校生で知らなかった学生も多いのかもしれないけれど、冷静にポッキーの賞味期限を考えれば、別に急いでまとめて買わなくたっていいのに。
それに、北九州市立大学の学生数は6000名以上もいるそうで、(キャンパスが複数あるそうだが)計算上は生協組合員(学生・教職員)の半数ほどが1人1箱買うだけで、売り切れてしまうことにもなる。

SNSで広まったという点では、一種のチェーンメール(チェーン投稿)に通ずるものも感じる。



個人的な憶測だが、以上からして、本件は「誤発注」ではなく、北九州市立大学生協による「話題作りを狙った、意図的な大量発注」のように思えてならない。
個人的には、学生=組合員=客の同情を誘い、善意・親切心(あるいは無知?)につけこんでモノを売るようで、いい気がしない。
上で「大学生協だからこそ許された対応」としたが、意図的だとすれば許してはいけないようにも思う。
京都の一件の後、日本女子大学生協が森永チョコボール2000個を仕入れて売ったそうだが、その時は「止めたのに上司が大量発注をさせるんです」といった趣旨の、誤発注ではないことが理解できるPOPを出していた。
それならば、明らかに京都のプリンに便乗した“ネタ”であることが分かって、笑って許せる上手な宣伝だと思う。



僕の憶測が間違いで、意図的でなく、ほんとうに誤発注だったとしても、美談で片付けるべきではない大きな問題だとも思う。
大学生協では学生や教職員の代表が出席する「総代会」という理事会のような組織があったはずだが、この件でモメたりしないだろうか。こんな危うい運営をする生協などに加入していられるかと、卒業・退職前に脱退する組合員が出るかもしれない。

大学生協側は美談を喜んでいる場合ではなく、今回の原因究明と再発防止策をまとめ、出資者である組合員へ報告しなければならないと思う。誤発注したアルバイトは、責任を感じているだろうから心のケアも必要だ。協力してくれた組合員たちには、お詫びと感謝のセールでもやるべきではないか。
また、国内の大学生協で2年間に2件も類似の事態が発生しているのだから、各大学生協の業務手順に何らかの問題がある可能性もある。上部組織の全国大学生活協同組合連合会に上げて、国内すべての大学生協で情報を共有して解決策を見出すべきではないだろうか。

さらに、大学生協はその大学の学生・教職員のための組織であり、大学当局と直接の関係はないとはいえ、多くの外部の人から見れば大学と一体。本件で大学そのものや設置する市の対外的なイメージが悪くなってしまわないとも限らない。
場合によっては、大学当局や北九州市議会、北九州市民などに対して、説明をしなければならないかもしれない。
※後半のほうはだいぶ話を大きくしました。

結局のところ、誤発注しない仕組みを構築することに尽きる。あとはヘンな小細工でモノを売ろうとしないことだ。



そして、こうしたことを天下の読売新聞が記事にするのも、情けない。(読売以外では記事にしたところはなさそうだ)
新聞記者のクセに、たった2年前の京都のプリンのことは知らなかったのだろうか。知っていたら、記事にしないか、せめて記事中で触れるのではないだろうか。デスクなど上司も同じく。
知らなかったとしても、新聞記事にするような話題だろうか。もっと伝えるべきニュースはたくさんあると思うのだけど。



「大学生協」といえば、昔は単なる購買部、学食、アパート仲介業程度の存在だったようだが、2000年前後から学食のリニューアルや学食定期券「ミールカード」制度、アパートを直接管理するなど、いろいろやるようになった。
市中の一般店舗との競合や、学生の減少と生協離れが原因だろう。国公立大学の独立法人化も遠因かもしれない。
本件もその1つなんだろうか。

2004年頃には東京農工大学生協における組合員と生協職員との「ひとことカード」のやりとりが注目され、2005年には「生協の白石さん」として出版されて話題になった。
ひとことカードに今回のことを書いたら、白石さんはどんなお返事をくださるだろうか。


結局のところ、北九州市立大学生協(とグリコポッキー)のいい宣伝になってしまったかもしれない。とすれば目論見は成功?


【14日追記】
「ねとらぼ」に11月12日18時更新の「大学生協がポッキーを予想の10倍も誤発注→学生がすべて買い切るドラマが生まれる(http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1411/12/news147.html)」として、店内の画像やツイッターなどが情報源の新たな情報が出ていた。
・3200個はポッキーだけでなく、ポッキーとプリッツ合わせた数
・店頭のPOPには「作戦ではありません。本当にミスりました。」と発注書の写しを掲示
・地元テレビ局も取材に来たらしい
・この件の感謝セールを来月あたりに開催するか検討している
と、ほんとうに誤発注だったのかなと、思ってもいいような感じにもさせられた。

大量入荷を知った熊本大学生協が、ツイッターで協力を呼びかけたのだが、他のユーザーから僕が指摘したのと同様の疑問点を尋ねられたのに対しては、
「通常のシステム経由の発注ではなく、事前発注書をFAXで問屋さんに直接送信するやり方でした。発注量が増えても問屋さんは気付きにくく、また本部を介さないため納品まで誰も気づかなかったようです。」
「今後の改善点かと思います。いずれにせよこのような初歩的なミスで世間をお騒がせし、大変お恥ずかしい限り」
などと説明・釈明している。
熊大生協は当事者ではないのに丁寧な対応なのは感心するが、本文で指摘した通り、大学生協全体かつ個々の大学生協が自分の所も起こしかねない問題として事実を受け止めて改善しないと、またどこかの大学生協で再発してしまうだろう。
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大和家おにぎり/長もやし

2014-11-11 23:59:12 | 津軽のいろいろ
弘前の食べ物の話題2つ。(工藤パンではないものです)

●大和家おにぎり
弘前市百石町にあった「大和家」という大正12年創業の「大衆割烹」が、最近閉店した。
報道では「日本料理店」としているものもある。閉店の日付は「10月下旬」とか「11月10日」などまちまち。いずれにしても、今日現在は閉まってしまったと考えられる。

閉店は、79歳の3代目女将の高齢と後継者不在、それに不景気が理由。来春から仕出しなどに業態転換して再オープンの予定。

僕は大和家のお店には行ったことがないが、なじみのある店というかブランドではあった。それは弘前で暮らしたことがある多くの人が同じではないだろうか。
大和家では、弁当やおにぎりなどを販売しており、おにぎりは弘前市内のスーパーなどで入手できた。弘前大学生協でも扱っていたはずだし、弘前駅や弘前バスターミナルのそば屋や売店でも売っていたとのこと。
来春からはおにぎりなどをまた売るようなので、今冬だけ買えないことになる。(つまり、今回の「閉店」というのは「店舗部門の閉鎖」「仕出し専業化」ということか)


その大和家のおにぎり。僕が弘前にいた頃からあったけれど、販売された経緯や歴史については意識していなかった。

「まるごと青森(http://marugoto.exblog.jp/5348747)」などによれば、40年以上に渡って親しまれているおにぎりだった。
昭和46(1971)年に、中学校の購買で売るために製造したのが最初。手作りの作り方や包装は当時とほとんど変わっていないとか。
大和家のおにぎりは、形や海苔の巻き方などがコンビニおにぎりとは一線を画するものだが、コンビニおにぎりが登場するより前からあるのだから、違って当然なのだった。

大和家のおにぎりは、最近では、「生姜焼き」、青森らしい「しじみ」「帆立貝焼き味」、一時期駅弁的商品もあった「りんごごはん」、弘大生が開発した「梅なめたけ」など17種類以上もある豊富なラインナップだった。(スーパーではそのうち数種類しか見たことがなかったけど)

今回、オーソドックスな「おかか」を購入した。標準価格は8%税込み130円。
女将のイラスト
ビニールで包んでから、紙で包装されている。中身によって包装の印刷の色が異なり、女将がいない商品もある。

「底」から見る
手で握っているそうだが、どういう手順なんだろう。
おかかは底から入れているらしく、海苔は厚さの分だけ三角形の2辺に巻かれている。もうちょっと海苔が多くてもいいかも。ゴマが少々。

復活したら、いろいろ食べてみたい。


●長モヤシ
津軽名物に、大鰐温泉で作られる「大鰐もやし」がある。
温泉の水や熱で育てられたモヤシで、現在一般的な緑豆ではなく大豆(その在来品種だそう)を使っていて、軸がとても細長いのが特徴。(「そばもやし」も見たことがある)【21日追記】食感はシャキシャキしている。
生産農家は少なく、出回るのは冬(12月から?)限定ではあるものの、冬の大鰐周辺ならスーパーでも売っているらしいし、大鰐温泉の宿の冬の朝食にモヤシのおひたしが出るのが定番。温泉施設「鰐come」でも売るが、昼までに売り切れてしまう。
【21日追記】11月(半ば?)頃から翌年5月上旬頃に出回るそうだ。

今回、ヒロロ地階のルミエールに行ったら、こんなものを売っていた。
長いモヤシ!
シーズン前なのに大鰐もやしを売っている? と驚いた。
よく見ると、
 
「長もやし」という名称で、「産地:青森市」。
青森市で作ったのなら「“大鰐”もやし」ではないが、見た目はそっくり。当然、温泉の水や熱は使わないのだろう。
味も違いは分からなかった。(同時に食べ比べれば違うのかもしれません)

大鰐もやしとどういう関係で、どの程度の知名度があるのか知らないけれど、冬の大鰐じゃなくても似たものは手に入るのか。

※「そばもやし」についてはこちら

【2017年9月14日追記】2017年9月に改めて、弘前市など津軽のいくつかのスーパーを見たところ、地元・県外資本に関わらず、ほぼすべての店舗で豆の長もやしを売っていた。津軽地方地盤のスーパーを中心に複数店舗で、そばもやしもあった。佐藤長では、豆・そばとも、太子食品の製品。弘前市撫牛子産を扱う店もあり、製造元はさまざま。
実は長もやしは津軽なら大鰐以外でも生産され、どこででも売られているようだ。
また、2017年8月に取材された、9月14日放送NHKBSプレミアム「ニッポンぶらり鉄道旅」では、夏場なのに大鰐でもやしを栽培し、それが地元食堂で出されているシーンが放映された。量は多そうではなかったが、実は大鰐でも通年生産されているのか。
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バスの車両いろいろ

2014-11-10 23:59:34 | 秋田のいろいろ
秋田のバスの主に車両にちなむ話題をいくつか。
●久々エレモ
秋田県が主導したコンソーシアムが製造(改造)した、EVバス(充電式の電気で動くバス)「ELEMO-AKITA」。
※中央交通はコンソーシアムの一員として運行を担当しているだけであり、中央交通が自主的・主体的に開発したのではない。

泉ハイタウン線において、いちおう営業運行がされていたところ、今年7月9日から9月上旬(予定)まで、「車両メンテナンスのため」運行を休止するとのことだったが、11月に入っても、何の情報もないまま運行は再開されていなかった。

11月7日・金曜日の午後、買物広場の充電器のところで、
お久しぶりです
久々に見た。
写真ではただ停まっているが、この後、充電していた。外観は以前との相違は認められなかった。

ひょっとしたらメンテナンス中に重大な不具合でも発生して走行できなくなったのではないかと気がかりだったが、とりあえず走行はできるようで何より。
営業運行再開が近いのだろうか?

【14日追記】その後、11月14日に中央交通のホームページが更新された。
「車両メンテナンスが完了致しました。」として11月19日水曜日から運行再開
従来同様、平日の泉ハイタウン線で1日1往復の運行で、2パターンのダイヤを1日おきに繰り返す。
そのダイヤは一部変更され、従来は、秋田駅西口11時35分発~秋田貨物駅入口11時51分発、秋田駅西口15時05分発~秋田貨物駅入口15時21分発だったのが、15時台がなくなって、秋田駅西口13時35分発~秋田貨物駅入口13時51分発に移動した。
※EVバスが走らない日・走らないダイヤは、一般車両で運行されるので、その便自体が運休となるわけではありません。



●新広告
10月14日にこんな路線バスを発見。
小田急中古のノンステップのいすゞエルガミオ
中ドアの戸袋である、中ドアの1つ前の席の窓ガラスに「商工中金」の広告が掲出されている。従来はなかったタイプの広告だ。
【13日補足】この車両では、戸袋の部分は窓を背にして座るロングシートになっている。

かつての市営バスの窓ガラスにシールを貼った広告を連想した。
ただし、市営バスは、車内から外が見えるフイルムを使い、側面のほぼすべてのガラスに掲出されていたのに対し、こちらは外が見えないただのシールが1つだけ。

今までにない位置の広告ということで目を引き、広告媒体としての注目度は高いかもしれない。
戸袋窓の幅とシールの幅がぴったり一致しているから、中央交通で多数派のエルガミオの戸袋窓に貼る前提で作った広告なんだろう。

反対側の窓の下(ボディ)に同じ(サイズが違う?)広告を貼った車もある。【13日補足】運転席側はかなり横長のサイズだった。戸袋の広告と左右セットで出ているようだ。
【12月28日追記】後に、これと同じサイズ・位置(色合いも似ている)に秋田銀行系列の「秋田グランドリース」の広告が掲出された車両も登場。


●471行き
今年夏、兵庫県三木市議会の委員会でバスのナンバープレートが問題になったという。(8月23日神戸新聞より)
三木市が隣町の総合病院へ運行しているバスのナンバープレートが、縁起が悪い語呂合わせになってしまい、苦情が寄せられ、市はナンバーを変えようか悩んでいるという話。

2社に委託して22台と、コミュニティバス(と言っていいのかな?)にしては多くの車両が使われ、うち13台(日野ポンチョのようだ)が「42-XX」のナンバーで、「死に~」という読める語呂になってしまった。
「4269(死に向く)」「4251(死に来い)」「4250(死にごろ)」の3台は既に変更済みとのこと。
行き先が病院であり、高齢者も多く利用するから、気になってしまうのは分からなくもない。(市議会で取り上げ、それを報道するほどの内容かどうかは別として【11日追記】だけど、ナンバー変更費用を支出するには、議会の承認は必要になるか…)


さて、秋田にも、ちょっとおもしろい語呂のナンバーのバスがある。別に縁起は悪くないけど。
このバス
主に空港リムジンバスに使われている車。
ナンバーは「秋田22 い471」。

リムジンバスは空港と秋田市内を結ぶ。空港発は「秋田市内行き」→「市内行き」→「しない行き」→「471行き」?!
空港発ならぴったりだけど、市内発空港行きだとふさわしくない語呂になってしまう…

●471+1
その「471」は、どこかの中古車だと思われる。【11日追記】もしかしたら最初から中央交通で買った車かもしれない。
リムジンバスには「472」というナンバーの車も使われている。

472はラッピング広告が施されていて、原則としてリムジン以外には使われないと思われる。(471は県内高速や貸切に充当される可能性がある)新しくはない車だけど、ラッピングされたのが今年だか昨年だったので、契約期間からすれば少なくともあと1~2年は使うつもりか。

471と472は連番だから同時期に登録されたのは確実だが、漠然と同じ経歴の同型車だと思い込んでいた。(リムジンにはあまり興味はないこともあって)
ところが、
472
ボディのラインが少し違うし、ライト類の配置が別。ライト周りの塗装も異なる。

471、472どちらも「いすゞスーパークルーザー」ではあるが、架装(組み立て)した企業が違い、471【11日訂正】472がいすゞ系列の純正(IKコーチ→いすゞバス製造)、472【11日訂正】471が“準純正”と言える富士重工が組み立てた「マキシオン」と呼ばれる車体ということらしい。
※富士重工は日産ディーゼルの標準架装メーカーだったので、日産ディーゼルのマキシオンもあった。

472は、ライト周りの枠が黒いが、これは中央交通のこの手のバス(中古車の貸切塗装)としては珍しい。
471のように、ライト周りもボディと同色で塗ってしまうのが、中央交通は好きなようだ。黒いほうが引き締まって見えていいかも。


秋田市交通局が空港リムジン用として導入し、現在は秋田市教育委員会が所有する「まんたらめ号」も、改めて見ればいすゞスーパークルーザー&富士重工マキシオンだった。
(再掲)まんたらめ号。これも塗装変更されているがライト周りは以前から黒い
【11日追記】まんたらめ号が交通局で緑ナンバーだった頃は「秋田22 い444」だったようだ。(それはそれで縁起が悪いナンバーだけれど、当時は希望ナンバー制度はなかった)
ということは、471、472と近い時期の登録。とすれば、471、472は中古ではなく、新車で中央交通が導入した可能性もある。


●どこの中古? &観光社が消滅していた
中古といえば、空港リムジンバスに「10-74」という車が新しく入った。
先代の三菱製だから、例によって小田急の中古か。

さらにこんなバスも。
後ろ姿から。先代・日野セレガ「10-44」 
※上の写真で隣は十和田観光電鉄のバス。側面や後部は「Towada Kanko」表記だが、屋根上は「Kokusai Kogyo Bus」のまま
小田急中古エルガ「10-39」やリムジン用新車「10-50」などが今年4月に入ったので、その中間の登録。

最初見た時、どこのバス会社のものか分からなかった。
でも、男鹿半島にちなんだラッピングが施されている。
運転席側側面が青系統の海中、ドア側が赤系統(おそらく夕日?)のデザイン。
後部では、側面から続く色が半分ずつ交わっていて、それぞれの色のナマハゲの顔が出ている。
空港リムジンバスの秋田のプロスポーツ支援のラッピング広告(秋田プライウッドが広告主)でも、ブラウブリッツとハピネッツで半分ずつ色を変え、後部で交わるデザインのものがある。

そして、屋根などラッピングフイルムが貼られていない部分に見える、車体の塗装はやや紫がかったピンク色。
正面もピンク一色
正面のライトの間には「秋田中央観光」とある。
すなわち、中央交通グループの車両で、定期観光バスに使われる車両だった。

中央交通グループには、「秋田中央観光社」という企業があり、旅行代理店や寒風山回転展望台を経営していると思ったら、いつの間にか中央交通本体に吸収されてなくなったらしい。
別に「秋田中央トランスポート」という企業が、タクシーや観光バスなどをやっていて、そこの所属車両には「AKITA CHUO KANKO」と表記されている。※この記事中ほど参照
その例に従えば、これもトランスポート(の男鹿営業所かな)所属の車両なんだろう。塗装がピンク色というのは異例だけど。

ピンク一色以外にも、若干変わったところがある車両だ。
「秋田中央観光」が表示される部分は、通常は光を通す行灯だが、これは光を通さない板を張っているようだ。
さらに、昔ながらの翼型の「Hino」の大きなエンブレムが輝くのが珍しい。


(再掲)エンブレム自体は1980年製とだいたい同じようだ

車体がもともと(前所有者当時から)ピンク色で、「どうせラッピングするんだし、塗り替えないでおくか」ということだろうか。
この車は、リアガーニッシュが赤一色なので、1990~1995年製造のセレガの最初期モデルだと思われるが、セレガでエンブレム付きなんて、ほとんどないのではないだろうか。少なくとも一般的なバス会社の車では。
前所有者は自治体とか企業、つまり自家用バスだったのかもしれない。



●エアロスターが2台?
Wikipediaの中央交通の項を見ていて気付いたこと。
今年の6月18日付で書き加えられた文章で、
「ノンステップバスに関しては、エアロスター2台以外は、エルガ及びエルガミオのみの導入となっている。」
とある。
エアロスターが2台あるってこと?

三菱エアロスターは、2012年に登場した「か929」だけだと思っていたけれど、もう1台あるのだろうか。
Wikipediaを全面的に信用してはいけない(例えば終了しているボートピア河辺の送迎バスがまだあるように記載されているし)けど、ちょっと気になる。

そういえば、929も最近見ていないような。(冒頭のEVバスの写真に少し写っているけれど、市営バス中古の20年以上前のLVキュービックは、4台あるとはいえしょっちゅう見るのだけど)
中央交通の大型バスは、運用の偏り(充当路線や時間帯)が大きく、タイミングがずれるとなかなか遭遇できない車両もいるけれど、元気でしょうか。【18日追記】11月18日午後に追分線・新国道経由天王グリーンランド行きに入っていたのを目撃。新国道経由は珍しくないものの、追分線に大型車が入るのは珍しい。
【12月28日追記】ネット上には、929は故障して修理に長期間を要したという情報があり、見かけなかった期間と重なる。
コメント (16)
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夜の光景

2014-11-09 23:58:20 | 秋田の季節・風景
以前ちょっと触れたけれど、国民文化祭に合わせて、秋田市の歓楽街・川反(かわばた)の旭川に架かる橋に、イルミネーションが施されていた。
※報道などで「ライトアップ」と称している場合があるが、これは「イルミネーション」もしくは「電飾」が正当ではないだろうか。

10月3日の秋田魁新報 秋田市地域面によれば、3日までの国文祭期間中だけの点灯とのことだったが、8日現在も継続中。
土手長町通りと川反の間に150メートルほどの間隔で架かる、一歩通行【12日訂正】一方通行の小さい橋、三丁目橋と四丁目橋が、青白色とオレンジ色の計5万個のLEDで装飾されており、17時から0時まで点灯するらしい。

川反にある割烹の女将が会長だか実行委員長だかを務める、川反の飲食店などで組織する市民団体「川反橋を明るくする会」が、もてなしと川反の魅力発信のために実施するもの。
点灯初日には秋田県知事らも出席した点灯式が行われ、女将は「長年の夢」だったとあいさつした。

歩道橋から昼間の様子。手前が三丁目橋、奥が四丁目橋。どちらも線が張り巡らされている

点灯時
両橋とも、イルミネーションのデザインは同一。「A」をモチーフにしたとか、(川面に映った時に?)ハート型になるようにしたとか聞く。
橋の高欄(欄干)だけでなく、川の上にケーブルを渡したり、橋の中央部に支柱を立てて線を張ったりしている。

三丁目橋では、中央部にすずらん形の街灯があるが、それとは別に柱が立てられ、イルミネーション点灯中は街灯は消灯していた。
再掲)普段の三丁目橋 ※四丁目橋の関連記事

 
それなりに人通りがあって、写真を撮る人もいる。※車は普通に通行するので注意
四丁目橋。手前右の「かめ清」の女将が明るくする会の会長

普段は薄暗い場所だけど、それなりのイメージアップにはなっているのかもしれない。
2つでデザインが違ったり、もうちょっとカラフルだったり遊び心のあるデザインだと、また違った楽しさがあるかもしれない。

【12月1日追記】11月29日には、クリスマス関連の装飾の追加設置工事(「Merry Christmas」とか少々)がされていた。イルミネーションをクリスマスまで延長するようだ。
【2015年1月10日追記】クリスマス後は関連の装飾を撤去し、以前と同じ装飾を継続。1月10日時点でもまだ点灯している。【2015年1月14日追記】クリスマスの装飾は、撤去されず残ったままで、点灯しないようにされているようだ。撤去作業はまとめてやるということでしょう。
【2015年1月17日追記】1月15日~17日の間頃に、両方の橋のすべての電飾が撤去され、いつもの橋に戻った。


秋田市中心市街地のほかの場所の夜の光景。
中央通り
イチョウの黄葉も終盤。まだ葉が残っている木の向こうに街灯と月。

照明に注目
中央通りにも竿燈をモチーフにした街灯が設置(茶色いもの)されているが、中の電球は青白いのとオレンジ色のと2色あった。オレンジ色のほうが少ない。
中央通りは秋田市道だが、県道部分は白色だけだったはず。県道のこのタイプの街灯は、LEDに交換する計画(球の交換で灯具はそのまま)があるようだ。

恒例のフォンテAKITA前のクリスマスツリー
根本の板の色が昨年と違って赤一色になっている。
(再掲)昨2013年
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気になること2つ

2014-11-08 21:22:01 | 秋田のいろいろ
自分とはほぼ無関係なことで、最近気がかりなことが2つある。
当事者にとっては余計なお世話かもしれないけれど、書かせてもらいます。

●NHK秋田放送局のアナウンサー
※本項については、デリケートな内容を含んでいると考えられます。非公式な情報や憶測・推測に基づくコメントはなさらないようお願いします。(場合によっては削除します)

最近、NHK秋田放送局の正職員アナウンサーのうち1名を見かけなくなった。
局や担当番組の公式ホームページには所属・担当アナウンサーとして掲載されているものの、出演しなくなったことの説明がない状態が1か月以上続き、どうされているのか心配なのだ。

まず、事実をまとめておく。
このアナウンサーは、夕方のローカルニュース番組のキャスターをしており、平日は毎日テレビに出ていた。
9月29日の週だったかと思うが、夕方のニュースに別のアナウンサーが出演。「今週は私がお伝えします」というあいさつだけで、本来のアナウンサーが出演しなくなった理由等の説明はなし。
その週末・10月4日に行われた、国民文化祭の開会式の司会を担当することにもなっていたが、それも別のアナウンサーが代打。(代理司会のアナウンサーは、局のブログで「急遽、私が担当することになった」としていた)

余談だが、そうした影響で秋田局のアナウンサーのローテーションが成り立たなくなったらしく、東京から応援要員のアナウンサーが派遣された。その人は平成初期頃に秋田局に在籍していた内藤啓史アナウンサー(それこそ夕方の「イブニングネットワークあきた」も担当していた)で、久々に秋田から秋田のニュースを読んでくれた。おそらく10月3日~5日の2泊3日の日程。(応援が1泊で済む時は仙台から派遣され、それ以上の時は人員が多い東京から来るのだろうか?)

翌週以降も復帰せず。平日夕方のニュースは、代理として中堅とベテランの2名のアナウンサーが交代で出演(週替りもしくは週の前/後半で分担)している。
番組を毎日・全編を見ているわけではないから見落としているかもしれないが、こういう事態になったことについて特に説明もなく、最初からこのようなスタイルだったかのように放送が続いている。局のブログでは、本人執筆分は出演していた頃に更新されたのを最後に止まっていて、他のアナウンサー・キャスターたちはこの事態にまったく触れていない。
来週は、番組全体がスタジオを飛び出して、外からの生中継で放送するようだが、その告知スポットでは、代理のアナウンサーの顔写真と声が流れており、引き続き復帰はしないと考えられる。
こんな状態だから、「そういえば、あのアナウンサーどうしたの?」と心配している視聴者もいる。

【ここだけは憶測を書かせてもらいます。】
過去には、夏休みや他番組の取材で出演しない場合は、事前もしくは出演しない初日の番組中でその旨が説明されていた。(説明なしに1日2日居ないこともたまにはある)
出演しないのが2週間程度であれば、身内の不幸でもあった可能性があるが、1か月にも及ぶことはないだろう。
ご本人が体調を崩されたことくらいしか考えられない。 ※繰り返しますが事実ではなく憶測です

2011年には、「のど自慢」を担当していたアナウンサーが体調を崩して療養に長期を要し、出演できなくなったことがあった(現在は放送文化研究所の研究員に異動)。
その時は、出演しなくなって2週間以内の時点で、事実の公表と代理司会者を正式に起用(徳田さんだったので再起用)していたはず。

全国放送のバラエティ系番組と県域放送の報道番組という違いはあれど、多くの視聴者に親しまれている公共放送局職員のアナウンサーという点では同じ。
視聴者に状況を説明し、病気なのであれば、一時的にでも降板させて治療に専念させたほうがいいだろうし、代理司会者も専属にしたほうが番組制作がスムーズに行くかもしれない、というのは素人考えだろうか。

【以上憶測】

個人的には、そのアナウンサーが出演しなくなった理由を詮索するつもりはないし、休みを取ることは労働者の当然の権利。(中小企業でもそうあるべきだが)NHKという大組織でもあるのだから、じっくり休んで、しっかりと問題を解決してほしい。
ただ、視聴者に対して「出演できなくなっている」ということそのものの説明がまったくないのはおかしいと思う。
現状では、そのことに触れてはいけないこと、もしくはアナウンサーの存在がなかったかのように扱われてしまっているのが、引っかかる。

テレビ出演者かつ公共放送局の職員といえども、従業員のプライベートに関わることは公表する必要がないのかもしれない。
ただ、テレビ出演者かつ公共放送局の職員という立場なのだから、視聴者・受信料支払い者への説明があってもいいように思う。詳細な説明でなくていい。「○○(例えば病気療養)のため、当分の間出演を控えさせていただいています。しばらくの間、我々が番組を進行しますので、どうぞご支援ください」といった程度でいいから。
そして、いつの日か、また以前のように出演してくれる日が来ることを願っている。

ちなみに、NHK仙台放送局に専属で出演している、民間気象会社所属の気象予報士が、今週木・金と出演しなかった。
その時は、仙台局の正職員アナウンサーが出てきて、「ミヤケ予報士は体調不良のためお休みです。代わりに私が…」と、2日とも理由まで説明した。
なんか不公平。【10日追記】こちらは翌週月曜から無事復帰。


【14日追記】11月13日付で秋田放送局のアナウンサー・キャスターブログが、お休みしていたアナウンサー名で「転勤のごあいさつ」として更新された。
「9月末から体調を崩してしまい、しばらく療養を続けていました。」「今後は、郷里に近い四国・松山の地」へ異動するとのこと。
アナウンサー職は継続するようなので、回復しつつあるということなのだろう。お大事に。
余談だが、内藤啓史アナウンサーも松山局時代にご病気をされたとか。

秋田局のテレビ放送の中では、夕方の番組がイレギュラーな生中継・公開放送ということもあるのか、今のところ説明はないと思われる。
また、その生中継のため人員が不足したらしく、1泊2日で仙台局から応援のアナウンサーが来ていた。
今後、秋田局の正職員アナウンサーが6人に戻るまでは、応援要員が来ることが増えるかもしれない。

ということで、この項は納得できて、ひとまず解決。

【12月12日追記】秋田局のアナウンサー・キャスターブログでは、執筆した個人(アナウンサー・キャスター)別に、当ブログなどの一般的なブログにおける「カテゴリー」に当たる方法で区分されている。
各個人が異動・退職すれば、遅くない時期にカテゴリーごと削除されてしまう(? 少なくとも表面的には見えなくなる)ため、上記追記のアナウンサーのあいさつも、現在は見えなくなっている。
機械的に前例を踏襲しただけなのかもしれないが、異動をひっそりと片付けようと意図的にやったように感じなくもない。いずれにしても、もう少し、視聴者への説明がほしかった。
(以上追記)



●マックスバリュ泉店
やっとのことでオープンし1か月が過ぎた、マックスバリュ泉店。
我が家では、それなりに利用させてもらっている。

行って気になるのが、お客の少なさ。
例えば土曜日の午後でも、駐車場の車も店内の客もまばらだった。同時間帯の茨島や広面といった同社既存店舗ならば、店内にはもっと客がいるはず(駐車場は他店と共用だから比較できない)。
見切り品が他店より多く発生しているような気もしなくもない(これは営業時間の違いや来店のタイミングもあるでしょう)。

見ていると、この店では現金で支払う人がマックスバリュ他店より多いような気がする。WAONを使う客=固定客が少ないということではないだろうか。周辺の競合他社が手強い存在になってしまっているのかもしれない。

それと、オープン時は元気で愛想が良かった店員さんたちに、覇気がなくなったような印象もしなくもない。客が少なきゃ張り合いが出ないのは分かるし、場合によっては客より店員のほうが多く店頭にいて、目についてしまうのかもしれないけれど。

スクラップ・アンド・ビルドを社是とするイオングループのことだから、ちょっと心配になる。


そうしたことの対策なのか、チラシが少し変わってきている。
泉店開店以前、さかのぼって茨島店がリニューアルしてからしばらくは、他の2店と同じ商品ながら、茨島だけ価格がちょっと安い(10円程度)別チラシのことが多かった。(茨島店は、少ない種類の商品を大量に置いて安く売るコンセプトだったから、それに合致はしていた)
しかし、いつの間にか、広面と港北も同じ価格になり、チラシは3店で共通になっていた。

そこに泉店がオープン。
開店当初や開店1か月記念などは、泉店だけまったく別のチラシだったが、徐々に既存3店と同じ、4店共通のチラシになった。
しかし、最近、また泉店だけ別のことがある。扱い商品は既存3店とほぼ同じなのだが、特定の商品だけ、価格がちょっと安い、つまり茨島店リニューアル直後のようなことになっている。
周辺のライバル店への対抗ということなんだろうか。
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