広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

イオンスタイル茨島とは

2020-10-31 23:52:06 | 秋田のいろいろ
2020年10月17日に、秋田市にあるマックスバリュ茨島(ばらじま)店を改装してオープンした、イオンスタイル茨島。運営企業は変わらずイオン東北株式会社。
前回の記事では、ブランド転換が唐突で客への説明が足りないと感じたこと、秋田市内にすでにあるイオンスタイル御所野(旧ジャスコ御所野店)と同一ブランドの店になるとすれば、ちぐはぐな点が生じるのではないかということを指摘した。
【1日補足】建物の大きさからして、衣料品売り場などを設けるのは困難で、食料品・日用品売り場限定の店舗となることは、当然予想でき、やはりその通りになった。以下は、食料品・日用品スーパーマーケットとしての評価です。

2度ほど行ってみた。
報道などされた通り、目新しい商品もあった。地元商品コーナーは、夏に改装されたマックスバリュ港北店よりもやや大きく品揃えも多かった。(港北にもあるが)お菓子、飲料、豆腐カマボコなど加工品も充実。
11月中旬からは「レジゴー」という、貸し出しスマホでカゴに入れながらバーコードをスキャンして、レジで支払いだけをするサービスが始まる。全国で13店舗目くらいで、首都圏以外の導入店は少ない。
そういう商品やサービスを必要とする客、新規の客もいるだろうけれど、20年前のオープン時からマックスバリュ茨島店を使っている客の立場としては…

結論から言えば「イオンスタイルの皮をかぶったマックスバリュ」。
マックスバリュ茨島店に、新しいサービスが付加されて、店舗ブランドが変わっただけ。
ただし、マックスバリュでなくなることを口実に、廃止されたサービスもある。例えば月木日のポイント5倍デー。【2023年7月14日追記・5倍デーはその後土日実施に変更。また、2023年7月15日からは元マックスバリュのイオンスタイルでも、5倍デーが実施されることになったらしい。】
ということは「ポイント5倍がないマックスバリュ」である。
ということは「劣化版マックスバリュ」の側面もあると言わざるを得ないというのが感想。その他、「一見、他のイオンスタイルと同じっぽいけど、中身はマックスバリュ同然」という点も多い。

考えてみれば、イオンスタイル御所野だって「イオンスタイルの皮をかぶったイオン(旧ジャスコ)」かも。
【11月1日追記】ということで、イオンスタイル御所野とイオンスタイル茨島は、ブランドは同じながら違いが多い。客としては、これがまぎらわしくて大きな問題だと思う。
以下、上記の裏付けをこまごまと。
レシート。最近の秋田のイオン各店では、店名を左寄せするのが主流
以前、イオンスタイル御所野のレシートでは、「ジャスコ御所野店」のままだったとした。イオンスタイル御所野に変わってからは2度しか行ったことがなく、2度とも食品売り場のセルフレジしか使っていない。もしかしたら、セルフレジ(の特定の端末)だけ、店舗名更新を忘れていたのかも…

イオンスタイル茨島では、今回、お支払いセルフレジ(セミセルフレジ)が新たに導入されたようだ。マックスバリュ広面店でも今年入った。フルセルフレジは従来と同じく4台。

・商品と価格はマックスバリュ仕様
イオン東北に統一後も、発売される商品と価格は、旧イオンリテールとマックスバリュで、けっこう異なっていた。
例えば、トップバリュベストプライスの醤油(ワダカン製造で悪くないと思う)や100個入り紅茶ティーバッグは、リテール店舗のみの扱いで、マックスバリュにはなし。棒寒天や麩のメーカー、一部トップバリュ商品の価格も異なった。
イオンスタイル茨島になっても、確認した限り、マックスバリュ茨島店とまったく変わっていなかった。
ある意味安心ではあるが、それを5倍デーであった日に買うのは悔しい。

・チラシは独自だがマックスバリュ寄り
10月20日の3ブランドのチラシ
イオンスタイル茨島だけのチラシが作られるようになった。【末尾追記の通り、2023年にマックスバリュと同じチラシになった】
でも、その中身は、マックスバリュ店舗のものに極めて近い。
マックスバリュでなくなるから、曜日ごとのジャンル別特売はなくなった。火曜・水曜の「野菜・果物の日」は、たしかにイオンスタイル茨島のチラシには書いていないが、同じ場所で野菜が特売されていて、値段はマックスバリュと同じ。意味ないじゃん。

・イオンお買物アプリは異例の対象外
イオンリテールのスマホアプリ「イオンお買物アプリ」では、割引クーポン(まれにお菓子やペットボトルの無料クーポンも当たる)が配信される。
このアプリは、イオンリテール運営店舗である、本州と四国のイオンとイオンスタイルで使用可能。対象エリアでも、ダイエーやマックスバリュなどは対象外。
イオン東北が発足した時どうなるかと思ったが、引き続き、対象とされている。
アプリのクーポン利用条件
対象外店舗として、ズバリ「イオンスタイル茨島」が表示されるようになった。
他に具体的な店舗名が出るのは、「ボンベルタ成田」「昭島、八潮南(これは対象外の対象外として)」だけ。茨島の名が全国にとどろくことになるが、読めないし、どこにあるか分かってもらえないだろう。
イオンスタイルになったのに、イオンスタイルとしてのサービスが例外的に受けられないというのは、中途半端なイオンスタイルだ。
【2024年5月21日追記】イオン東北運営の総合スーパーイオンでは、2024年5月末を持ってお買物アプリでのサービスを終了。それまで併用されていたiAEONアプリに一本化されるとともに、この項目については解消されることになる。

・制服
店長以下、従業員のみなさんは、マックスバリュ茨島店時代のまま【11月4日補足・顔ぶれが変わっていないという意味です】のようだ。その服装。
これまでは、レジや生鮮でない商品を並べたりする人たちは、赤紫で背中に白で「MaxValu」ロゴのジャンパー。生鮮や惣菜の人たちは、また別の衣装だった。

イオンスタイル化後は一新。イオンリテールとほぼ同じになった。
違う点も。イオンリテールでは、レジの人は赤紫のエプロンと三角巾だが、イオンスタイル茨島では、生鮮でない商品を並べる人と同じ、黒くて背中に小さく「AEON」と書かれた、シャカシャカしないジャンパー。夏はどうするんだろう。
なお、別会社のイオンスーパーセンターでも、制服はイオンリテールとほぼ同じだったはず。

・店内放送
ほぼイオンリテール仕様に変更された(イオン東北化後も、にぎわい東北など一部を除き、イオンリテール時代と変わっていない)。
クリーンタイムはマックスバリュの「従業員にご連絡します」から「イン・ザ・ムード」になった。時報やナレーションの告知「ナビゲーターのなんとかです」も流れる。

ただし、マックスバリュでしか流れない、秋田ノーザンハピネッツの選手がしゃべる宣伝のうち、一部【11月1日追記・新型コロナウイルス対策の紹介だったか?】は引き続き流れていた。


店が継続するのはありがたいし、モノさえ買えればいい客も多いだろうから、これでいいのかもしれない。
でも、イオン東北やイオンスタイルとしての特長(特徴)、マックスバリュやイオンとの違いがあいまいになってしまっているのは気になるし、せっかく新会社発足や改装したのにもったいないと思う。
【11月1日追記】イオン東北公式ホームページの各店舗情報のアドレス(URL)も、旧イオンリテール店舗と、旧マックスバリュ東北店舗で、いまだに異なる(リテール運営のままの非食品売り場との兼ね合いはあるだろうが)。前者は「www.aeon.com/store/イオン秋田中央店」などとイオンドットコムへのリンクを貼る形、後者は「aeontohoku.co.jp/stores/izumi」と自社サイト内。イオンスタイル茨島は、上記の流れで想像がつくかと思うが「~/stores/barajima」のまま。
また、WAON POINTサイトの利用履歴は、10月末時点で未更新で「マックスバリュ茨島」で使ったことにされてしまう。この点は、2011年にザ・ビッグに転換したはずなのに、いまだに「マックスバリュたかのす」のままの例もある。


【11月1日追記】関係ないけれど、11月1日にマックスバリュ泉店に行ったら、オムロンの「複合型サービスロボット」が、売り場をうろうろしていてびっくり。オムロンホームページによれば清掃・警備・案内ができるそうだが、この時は警備の巡回か?
思ったよりは速い速度で、売り場外周を行って戻って、コピー機やATMの横で休んでいた。わりと横幅があるので、人が多いとジャマになりそうだけど、この時は歩いてくる人の動きを検知して、止まったり横に寄ったりなかなか機敏。でもすれ違う時に、腕にかけている買い物かごはあまり上手に感知できないらしく、やや危なっかしく避けてくれた。
【11月12日追記】その後、泉店では日常的に動いているようだ。売場外周でない棚の間の通路も回るし、掃除機のような音を立てて巡回と同程度の速度で動くこともあり、清掃も行っている。巡回機能のみの時はほぼ無音。
【11月20日追記】ポイント5倍デーない日に、「ごばばばーい」の歌が流れていると思ったら、発生源はロボットだった! 待機中に画面に映像を映し、音声を流していたのだが、まぎらわしい。
※ロボットの詳細・続きはこちら


【2022年4月9日追記】2022年3月21日付のイオン東北人事異動で、イオンスタイル茨島の店長(たしかMV茨島店時代から店長だった人)がイオン秋田中央店の店長へ異動していた。
イオン東北統合後も、総合スーパー系とマックスバリュ系では店長の「格」も違うようで、両者の間での異動はとても少ないはずなので、異例だと思う。店長から店長といえども、昇任・栄転だろう。
とは言っても、イオンスタイル茨島店は相変わらずマックスバリュの看板をすげ替えただけの店に過ぎないと思う。4月の駅弁販売イベントの告知では、イオンスタイル茨島が、マックスバリュとして扱われており、会社内部でも、マックスバリュ時代のまま意識が変わっていないように思えてならない。

2023年7月15日には、同様にマックスバリュ広面店がイオンスタイル広面に転換。2号店ができた。折込チラシがマックスバリュと共通のものになるなど、変化も。
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わっぱ舞茸2020

2020-10-30 00:34:39 | 各地お土産・食べ物
久しぶりに秋田駅の駅弁を食べる機会に恵まれた。
大館の花善の鶏めしも頭をよぎったものの、純粋な秋田市の業者である「関根屋」の、とある商品を思い出したので。
現在、恒例のJR東日本の駅弁コンテスト「駅弁味の陣2020」開催中で、今年の関根屋のエントリー商品の1つ(もう1つは「秋田比内地鶏こだわり鶏めし」)だから、秋田駅に入荷していると踏んだ。

昼前の中央改札横のNewDays。新型コロナウイルス流行下のせいか、昼前にしては商品の種類は少ない気がした。たぶん関根屋と花善の2社のみ。ただ、各商品ごとの陳列数(入荷数)としては、いつも並みに見えたので、売れ筋だけを作っている感じか。
お目当ての弁当は5個ほどあった。
わっぱ舞茸 税込み950円 513.2kcal、食塩相当量3.9g
1988年8月発売開始との情報があり、関根屋のロングセラー商品の1つとしていいだろう。
その名の通り、キノコの舞茸(マイタケ)を使って、わっぱ飯風にした弁当。
なお、2014年に復刻販売されていた「稲庭割子」の1区画にも、これと同じと思われるごはんが入っていた。

秋田では大館の「曲げわっぱ」が特産だが、食べ物としての「わっぱ飯」は、それほど名物ではない(新潟とか会津とかが本場?)と思う。秋田以外の他社でもわっぱ風容器の駅弁はある。
マイタケは、秋田では身近で好まれるキノコ。
わっぱ舞茸は一時期は予約制のこともあった。現在は「舞茸(まいたけ)の旬である秋限定となっております。」と関根屋ホームページに出ている。でも、栽培モノのマイタケだろうから、季節はあまり関係なさそうだけど。

現在の関根屋の他の商品同様、掛け紙を紐で結んだものではなく、筒状にしたボール紙の中に、発泡スチロール製のわっぱがぴったり収まった商品形態。
商品構成
おしぼりは、以前は駅弁ならではの小さくて薄いものだったが、コンビニおしぼりタイプになった。
ボール紙裏面は、昔の関根屋の話。写真は大正13年の旅館だった頃の関根屋。

わっぱは内径12センチ、底からの高さ4.5センチといったところ。持つ場所によっては若干、へにゃっと心もとない。
わっぱ舞茸の中身
峠の釜めしなんかと同じように、ごはんの上に具が載っている。
上写真で手前側のいろんなおかずが、こちら向きにそろえて盛られているので、これが正しい向き。
上側ほぼ半分が、煮たマイタケ。
その他おかず
手前側は、煮たタケノコとニンジン、葉やニンジンらしきものが入った卵焼き、栗甘露煮など。
白い紙に入った緑のものは「こごみ胡麻和え」。こごみは山菜で、クサソテツの若芽。たしか3つ。
いちばん下の茶色い海苔巻きみたいに見えるのは「しそ巻大根漬け」。
中央の光沢のある白くて丸いものは「とんぶり入蒲鉾」。トンブリは秋田特産のホウキギの果実。

下のごはんは、秋田県産あきたこまちの味付きの茶色い炊きこみ。
逆側からマイタケをどけて

わっぱ舞茸を食べるのは、2度目か3度目のはず。記憶通りの味だったと思う。
マイタケは柔らかいながらコリコリと食感がいい。
ごはんは、醤油ベースか。若干甘い、秋田人としては親しみがある味。人によっては濃いと思うかな。
その他おかずは、まあ普通。山菜は苦手な人もいるけれど、コゴミごま和えはクセはないと思う。カマボコはつるんとしている。トンブリならではのプチプチは分からず、トンブリの量が少ないのでは。漬け物は大根にしては柔らかめ。

大館の鶏めし(通常品)より50円高いわけだけど、悪くないのではないでしょうか。
おそらく、マイタケメインの駅弁は全国で唯一だろうから、嫌いでなければいかがでしょう。
【2021年5月27日追記・静岡県の第3セクター鉄道・天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅にも「まいたけ弁当」が存在した!
2009年発売開始のようで、2021年時点で同社公式サイトで他2品とともに紹介(製造は地元3店)されているから、JR系ではないものの正式な駅弁となろう。地元産マイタケの炊き込みごはんに、おかずがいろいろ入って1000円。バランスが良くおいしそうだけど、マイタケの量と存在感は、秋田のほうが強そう。】
【2021年5月28日追記・福島県の常磐線の原ノ町駅にも「舞たけごはん」があった。製造元の丸屋(ホテル)は、東日本大震災後は駅弁から実質撤退しているので、現在はなくなった。2005年の情報では、マイタケごはんとおかずの2段重ねで800円と安い。】
【2021年12月13日追記・だるま弁当や鶏めし弁当で有名な、高崎駅の高崎弁当(たかべん)にも「上州舞茸弁当」があった。1984年12月発売で、2021年時点で1230円。「醤油味で炊いた茶飯に舞茸の具を炊き込んだ大変美味しい混ぜ御飯」「香り、味、かみごたえ三拍子そろった群馬名産の舞茸を豊富に使い、天ぷら、和え物、煮物等自社独自の調理法で種々の味付けをしており、舞茸のおいしさを存分に楽しめます。」→この記事にて。】


以上、2020年秋のわっぱ舞茸。
ところで、以前のわっぱ舞茸を知る人なら、昔と変わったと思われたことだろう。

以前はボール紙でなく、掛け紙(現在と同じデザイン)を紐で縛ったものだったが、そのほか中身も何度か変更されている。
まず、少し前にさかのぼれば、トンブリカマボコはなかった。
代わりに、デザートなのだろう「大福餅」が入っていた。大きさも色もカマボコと大して変わらないが、けっこうな違い。
ネットを見ると、公式サイト以外には、カマボコが入っている情報はない。ごく最近、駅弁味の陣に合わせて変更されたのかもしれない。

さらにさかのぼると大きく異なる。少なくとも1998年頃以前、たぶん発売当初もだろう。
おかずがなく、マイタケが全面を覆っていた。
その頃はごはんに鶏肉が入っていたようだ。漬け物は、千枚漬、レンコン酢漬け、紅生姜の3種。
この千枚漬とは、京都のようなカブの酢漬けではなく、菊の花などを大根で巻いた味噌漬け。岩手の金婚漬みたいなもの。
おかずがなくてマイタケだけなのは受けが悪かったのかもしれないが、マイタケのコスト削減もありそう。


ネットで調べると、2004年1月の京王百貨店の駅弁まつりでは、まだおかずなし。容器も一部に木が使われていて、サイズも違いそう。
2005年12月にはおかず入り(大福も)になっていた。その時点では、玉子焼きは混ぜものなし、タケノコではなく細いササダケ1本(秋田ならでは)で、千枚漬けといぶりにんじんが入っていた。

2004~2005年におかず入りに変更され、その後、おかずが一部変更されてきたようだ。
そう言えば、10年くらい前の関根屋の駅弁には、いぶりにんじんがよく入っていた。
【30日追記】2018年春の段階では、大福、ササダケ、具入り玉子焼き、千枚漬、いぶりにんじんだった。


僕がわっぱ舞茸の存在を知ったのは、テレビ番組。
1997年4月から1998年8月まで、TBS水曜22時に「所さんの20世紀解体新書」という番組があって、よく見ていた(ちなみにこの枠の後継番組が「ここがヘンだよ日本人」)。
20世紀末を控えて、毎回のテーマごとに、それがどう変わってきたのかを見るバラエティー番組。

おそらく「駅弁」の回【下の追記参照】があったのだろう。その中で「こんな駅弁もある」と全国いくつかの駅弁が、映像で紹介された。その1つがわっぱ舞茸で、「これでもかとマイタケを散りばめた…」みたいに紹介されて、これはおいしそうと思ったのが最初。その後、おかずが入る前に、1度食べることができた。
【30日追記・ズバリ駅弁ではなく「旅」か「鉄道」がテーマの回だったような気もしてきた。開業したばかりの秋田新幹線「こまち」の愛称公募のことも紹介され、所さんが「応募数で1位の『なまはげ』にならなくてよかったね」と言っていたはず。】



コロナ流行で、駅弁業界も当然厳しいようだ。
岩手県一ノ関駅の2業者あるうちの1つ、以前食べた「あべちう(※“あべうち”ではありません)」は、休業か廃業かは分からないが、春以降、駅弁も駅そばも営業していないという。
関根屋、花善、その他特に地方の駅弁屋さんには、なんとかがんばってもらいたい。

例えば、駅弁まつりを、各地で積極的に開催すれば、業者の売り上げになるし、旅行気分になれていいと思う。
だけど、味の陣主催のJR東日本は、首都圏やせいぜい仙台止まりで、地方ではやってくれない。
駅弁フェアをわりと大きくやっていたイトーヨーカドーは秋田にはなくなった。
ナイスやマルダイで、土曜日に折り込まれるチラシに「今日限り」というのがたまにあるが、(日頃行かない店なので)唐突だし、ラインナップも多くはなさそう。イオン東北さんなんかががんばってくれてもいいのでは。【30日追記】あるいは、個別に注文を受けて輸送費を取って、新幹線で輸送するとか。農産水産物では、新幹線での輸送が試みられつつある。
旅や駅弁が恋しい。
【2021年1月28日追記】↑なんと実現する。2月の6日間、関東方面を中心とした計8種類の駅弁を秋田新幹線で輸送し、秋田駅と秋田生鮮市場保戸野店で販売! 大船、水戸、小淵沢など、駅弁大会の定番ではない業者のものもあって興味深いし、続編にも期待。この記事参照
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新川橋架替2

2020-10-28 00:01:25 | 
前回の続きで、秋田市の秋田運河(旧雄物川)に架かる「新川橋」の架け替え。
前回最後のように、今は新しい橋自体はもうできてしまったけれど、それに至る過程を簡単に。
2018年5月。左岸(勝平側)から
両岸から鉄板で囲まれた「島」状のものが造られ、クレーンなどが入っていた。
上の写真、手前側の島の先端部を見下ろすと、
深い穴の中に柱?(右側底のはしごに人がいる)

2018年9月
橋脚ができていた。穴の中は橋脚の基礎だったようだ。
向こう、川尻側はまだ囲まれたままだけど、
中に橋脚ができつつあった

勝平側の岸から
2つ上の写真の橋脚より岸側にも、橋脚のようなものができていた。岸と接続する「橋台」。
Googleマップ航空写真より。下が勝平
道路からは分かりづらいが、勝平の岸は、運河の中に“岬”のように突き出した部分から橋が伸びていた。
新しい橋も同じようになるらしく、工事のためにいったん掘り返して、橋台を造ったのだと思う。
2019年2月。埋め戻された

同じく2019年2月
橋脚が2つともでき、向こう川尻側の橋台も完成。工事用の島はなくなり、これで足回り(?)はでき上がったようだ。

なかなか行く機会がなくて、
2019年11月
もう橋桁が組み上がっていた。

旧橋から手が届きそうな距離(届きません。落ちます)
少し写っているが、前回の通り、今の新川橋の橋名板(川名板?)では、秋田運河や旧雄物川でなく「雄物川」とされている。

この後、1年弱の間に橋桁の上に路面ができて、舗装などもされて、今に至る。
現在。新旧新川橋の競演
新しい橋のほうが、路面はわずかに高い。
新しい橋を外側から。今だけのアングル
今のところ、新しい橋の路上に特別な装飾などは見当たらず、シンプルになりそう。よく見るタイプの照明と高欄だが、高欄は光沢感のあるメタリックな塗装で珍しい。

全体の流れとしては、20年前の秋田大橋の架け替えと、よく似ていたと思う。


ところで、両岸の道路との線形のこと。
川尻側。国道7号・若葉町交差点から
若葉町交差点からはやや左に現橋が見える。左(東・上流側)に緩くカーブして橋に入る。
新しい橋はその右側だから、今よりは直線に近くなりそう。
勝平側
※写真左の建物は舗装会社だが、新しい橋の路面工事は、同社を含む共同企業体が落札している。
勝平側には、無名のY字路がある。橋を渡ってくると左右というより、直進と左へ分岐する。
今は直進するのが自然な動線だし、道も広い。新屋西線のルート。でも、その直進路ができたのは1985年頃(その少し前から道はできていたものの、実質行き止まりだったようだ)。

それまでは、今でいう左側の狭い道しかなく、それが県道であり、旧羽州街道であった。
旧道側から。橋方向からこちらへ来る時は、信号に関係なく左折できるが、歩行者は横断する場所がない
川尻側よりもきついカーブで橋とつながっていたことになる。

前回の通り、今の橋より前の新川橋もあったから、それとの架け替え時の結果なのか、あるいは運河ができる前、渡し舟があった頃の名残りなのかもしれない。
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」で、明治末期と現在の地形図を重ねてみた。
モノクロが明治。線が描かれた部分が当時の川(運河になる前の雄物川)
黄色い線が今の新川橋のルート。白いのが初代新川橋で、赤で印を付けたのが、その橋の両端。
昔は川幅が今より広かったが、橋がとても長かった。今の倍近い。【11月5日追記】「秋田市文化財イラストマップ秋田市八橋・川尻地区編」によれば、「全長288m」。地図で読むより長かったようで、現橋97.85、新橋98メートルと比べると、実にほぼ3倍。
たもとは、川尻側はあまり変わらず、今の新川橋バス停の辺り。勝平側では、今のY字路を越えてパチンコ屋の前くらいまで橋だった。川本体というより河川敷が広かったようだ。【28日補足・つまり上の写真のY字路辺りはまだ河川敷で、道路よりやや右に橋が伸びていた。】
初代新川橋の位置は、今の新川橋のわずかに上流側。川尻側から来ると、今よりも少しきつい左カーブだった。当時は臨海バイパスなどなく、若葉町交差点部分で交わる道はなかった(東側には池らしきものがある)が、その箇所で道路が少し角度を変えて、そこから橋まで一直線。
一方、勝平側ではまっすぐに羽州街道(今のナイス付近)へつながっていた。
運河築造前後の資料が分からないので、また違うかもしれないけれど、いろいろな経緯があって、今の道路形状になったのでしょう。
新しい橋の勝平側では、交差点の構造も変えないといけなくなることだろう。となると、供用はもう少しかかるかな。

続き、以前の新川橋に関する話はこちら
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新川橋架替

2020-10-27 00:55:07 | 
現在、秋田市内では才八橋のほかにも、架け替えが行われている橋がある。2017年度辺りから工事が始まっていたのだが、取り上げそびれてしまっていた。

その橋は、
「新川橋」

以前は県道65号だったが、今は秋田市道で、国道7号「若葉町」交差点南の川尻地区と、新屋のいわゆる勝平地区を結ぶ。
秋田運河(旧雄物川)に旭川が合流した直下で、橋上流の中洲にウミネコが集結すること、新川橋ができる前にこの付近に「芝の渡し(新川の渡し)」と呼ばれる渡し船があったことを取り上げた。

1892(明治25)年に初代新川橋が架かって、渡しが廃止。その当時は、秋田運河・雄物川放水路がまだなかったので、この川が雄物川本流だった。
秋田市の版画家・勝平得之が、初代であろう新川橋を描いている。「秋田十二景 新川ばし」で、1936(昭和11)年作。木製の橋の下で、岸で漁や釣りをしている。
運河・放水路は、その翌年1937年完成。

熱心に探したわけではないが、現在の橋の以前の新川橋については、得之の版画以外には、諸元や写真といった資料を知らない。
後述する新聞記事見出しからは、現橋が、新川橋として初めての鉄橋(鋼鉄製の橋という意味)と受け取れる。ただ、運河化によって川幅や周辺道路は変わっていると思われるし、木橋の耐用年数を考えても、現橋の前の木橋は、明治時代の初代とは違う2代目だったのではないだろうか。

ということで、たぶん3代目ではないかと考える現在の新川橋。県道だった時代で秋田県が架橋したはず。
現在の管理者である秋田市のサイト(ページ番号1007309)で、諸元を掲載してくれている(秋田県庁ならやらないでしょう)。
それによれば、市道 川尻新屋線、1963(昭和38)年架設、橋長97.85メートル、幅員12.5メートル(歩道を含むかは不明)。【2021年2月18日追記】2月15日付秋田建設工業新聞によれば、「橋長97.85m、トラス部の幅員が14.58m」。
上記の通り、今の橋は架橋時から「秋田運河」もしくは「旧雄物川」に架かる橋なわけだが、橋名板では「雄物川」とされている。そういう慣例なんだろうか(運河の他の橋は未確認)。
勝平側・上流側から

勝平側。離れてズームすると、トラスの丸みが出て雰囲気が変わる
種類としては、下路式のトラス橋。※以下、橋の構造については、素人の受け売りです。
トラスは1つ(1径間)だけ。トラスの形状としては「曲弦ワーレントラス」か。
戦前製の先代秋田大橋木曽三川の橋のような、重厚なトラスではなく細身。

この橋とつながる勝平地区の反対側、雄物川放水路のほう(こちらは今も県道)には雄物新橋が架かる。雄物新橋も、現在の橋は1963年竣工。雄物新橋のほうが長く、複数の形が異なるトラスが使われているが、大きなトラスの形状は新川橋とそっくり。設計・製造・工事を2橋でまとめたのかもしれない。

現在は、新川橋も雄物新橋も、トラスはクリーム色。子どもの頃(昭和末~平成初期?)は色が違った。雄物新橋はオレンジ色っぽい赤だったはず。新川橋も今とは違う気がするが、あいまい。

秋田運河は堤防の道がなく、ギリギリまで建物が多いので、外側から新川橋の姿を見られる場所は限られる。私有地や危険な箇所もあるし。
右岸(川尻側)上流から
写真では影と、新しい橋の脚も写りこんでいて分かりづらいのだが、橋脚の配置が意外だった。
橋脚は1本だけだが、橋の中央でなく、川尻寄りにある。その上がトラスの根本という感じ。
つまり、トラスは勝平側の岸の「橋台」と、橋脚で支えていて、橋脚から川尻側の橋台の間は桁橋ということなんだろうか。97.85メートル全部がトラス橋という構造ではないのだと思う。
単に設計施工上有利だったのか、本荘の由利橋のように下を船が通ることを考慮したのか。
【30日画像追加】左岸上流側から


新川橋を通る道は、今は幹線道路とは呼べなくなったかもしれないが、市民生活には重要な橋。
路線バスは新屋西線と川尻割山線が通り、歩いて行き来する人も多い。雄物新橋と違って歩道も狭くはない。

さかのぼれば、新川橋の重要度はさらに増す。
初代、運河化以前は、秋田市内では新川橋が唯一の雄物川を渡る橋だったはず。
運河化されて勝平地区が「島」になってから長らくは、新川橋、雄物新橋、新屋水門だけが、外とつながる道だったはず(もしかしたら戦後すぐ頃は違ったのかもしれない??)。
1961年から1981年までは、勝平(割山)に秋田空港があった。秋田市街地と空港の行き来に、新川橋が欠かせなかったことだろう。
上で少し触れた新聞見出し。1962年5月9日の秋田魁新報夕刊に「秋田空港へ舗装道路/川尻ー空港/新川橋も鉄橋に」。
つまり、今の新川橋(と雄物新橋も同様なのだろう)に架け替えられた大きな目的が、秋田空港のアクセス道路だったようだ。

1969年に、秋田運河2本目の港大橋(1976年に車線が増えて新港大橋になったようだ)が開通するが、向浜側なので勝平とはほぼ関係ない。
1980年代中盤以降、放水路河口に雄物大橋、運河に勝平新橋が開通。今は臨海大橋もできて、新川橋の負担はいくらかは減ったものの、身近で重要な橋には変わりない。

そんなわけで、老朽化した新川橋を架替えることになったのだろう。
新しい橋は、仮橋なしで旧(現)橋のすぐ下流側に造る方式(当初の計画では仮橋と聞いた気がする)。秋田大橋も、旧橋のすぐ下流側に今の橋が架かったので、手順としては同じ。

新しい新川橋は、橋長98メートル、有効幅員14.6メートル。【2021年2月18日追記】2月15日付秋田建設工業新聞によれば、「橋長110.3m、幅員16m(車道W9m、歩道W3.5m×両側)」と、だいぶ違う。
現橋は川尻新町~新屋豊町間だが、新しい橋は川尻若葉町~新屋天秤野になるそうだ。これは、橋が架かる道路が町の境目だったためか。

ちなみに由利橋は、旧橋175.6メートル、現橋190.5メートル。仮橋を使って、以前とほぼ同位置のはずなのに、なぜか伸びた。
仮橋なしの秋田大橋は、旧578.4メートル、現583.6メートル。どのケースも、近年架けられた新しい橋のほうが若干長くなる。
これは、技術に限界があった昔は、極力短くて済む2点間に架けようと検討した結果なのだと思う。今の技術ならどうってことないことや、取り付け道路の線形の都合があるかも。

前置きが長くなってしまいました。取り上げないでいる間に工事は進み、1か月ほど前・9月下旬時点では、
勝平側
新しい橋がもうできている!
川尻側
この時点では路面の舗装は途中。高欄(欄干)、照明など設置済み。秋田の海沿いの橋定番の、冬の強風を防ぐ板もある。橋名板はまだないかな。
下流側・勝平新橋から
新しい新川橋は、トラスなどない、ただの桁橋。現在の技術をもってすれば、秋田大橋だって桁橋にできたのだから。
桁は水色(秋田大橋に似ているが、あちらは緑が強く、こちらは水色に近い)。橋脚は等間隔に2本。
工事看板
この時点での工事看板は、今年11月までに終わるものだが、既存の道路とつなぐ工事は手つかずだから、供用はまだ先だろう。と言っている間に、また進んでしまいそうだけど。
今の新川橋を通行できるのも、長くはないだろうし、この橋がなくなれば、秋田市内からトラス橋がまたなくなることになる。運河下流の秋田臨海鉄道の橋も、鉄道自体が廃止されようとしているし。残るトラス橋は、勝平新橋やJR羽越本線・雄物川橋梁、雄物川上流寄りの雄和地区にちらほら程度。

これまでの工事の状況など、後日
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解体進むABS旧社屋

2020-10-24 23:53:26 | 秋田の季節・風景
今年春に、山王大通り沿いから秋田駅前(中通)へ移転した、テレビ・ラジオ局、秋田放送(ABS)。
その旧社屋について6月初めに記事にした。その時点では、内部の片付けのみで、外観は表示も含めて移転前と変わらない姿だった。
(再掲)移転直後のABS旧社屋

6月上旬、裏側・南側から。建て増しされた建物には赤で「ABS」
その後、梅雨以降、囲われて本格的な解体に入った。内部にアスベストが使われているようだし、頑丈でもあるせいか、進捗はゆっくり。
10月上旬、正面
左奥の建て増し棟は、白かった外壁がはがされたものの、形はそのまま。
往時は、正面側からは見えなかった。グレーの新しいアンテナの根本が見えるようになった。
それを隠していた、60年前からあると思われる正面の建物と、その上にあった赤白のアンテナは姿を消し、その西側部分(正面よりは新しい?)が解体されつつあった。
2週間後、10月中旬。
古い棟の解体が進んでいる。
そして、新しいほうのアンテナも、上から解体されつつあった。

地デジ化で設置されたはずだから、まだ20年経っていないはず。どうするかと思っていたが、この大きさだし、しょせん鉄(?)の塊だろうから、解体するしかないでしょうな。

さらに1週間後、現在
建物よりもアンテナの解体が進んだ。
残りこれだけ

アンテナの残骸? 建物の鉄骨といっしょに処分されるのか

山王大通り向かい西北側から。がらんとした

(再掲)以前

在りし日のアンテナ。
裏面西側から



【2024年2月27日追記】解体後、更地のままで経過していた2024年2月27日、秋田魁新報が「イオン東北 山王に新店舗」を報道。現地に建築計画がすでに掲示されていて、イオン東北株式会社は「出店予定であることは事実」と認めているが、詳細は検討中として明らかにしていない。
地上2階建ての「イオンスタイル秋田山王(仮称)」、予定工事期間は2024年3月19日から2025年3月19日。【2024年5月21日補足・イオン東北のニュースリリースでは、店舗名は「(仮称)イオンスタイル山王」と「秋田」が抜けた。】

イオンスタイルは、全国的には、イオンスタイル御所野など総合スーパーの店舗ブランド(屋号)だが、日本中で秋田市だけはマックスバリュを転換した平屋建て食品スーパーのイオンスタイルも存在(茨島と広面【補足・2024年4月に岩手県にも同タイプのイオンスタイルができた】)も存在し、客には分かりにくいことになってしまっている。山王はどちらになるか不明。
【2024年4月21日追記】4月16日付秋田魁新報で、「2025年春のオープン予定であること」を報道。「専門店のテナントも出店する方向で計画」とあるものの「食品を中心に売り場を構え」ともあるので、やはりマックスバリュ級の店になるのだろう。
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羽後交通の山王十字路

2020-10-22 00:24:12 | 秋田の地理
「山王三丁目」にひっそりと改名された、新国道側の「山王十字路」バス停の続き。今回は羽後交通を中心に。
羽後交通は、10月1日以前に掲出されたと思われる、本荘営業所による告知が、上下両側の時刻表枠に出ていた。
羽後交通こだわりの独特の書体の「お知らせ」
「引き続きのご愛顧お願い申し上げます。」の言葉、定期券利用者への配慮もあり、親切。
【22日補足】この路線は、羽後本荘駅からはやや離れた、秋田県庁の出先機関「由利地域振興局」前を通る。そんな状況から、秋田市内と振興局の行き来には、JR羽越本線よりバスが便利ということで、秋田市在住の由利振興局職員の通勤利用が一定数あるようだ。路線バス乗り継ぎ旅系番組(本家ではない)でそんな人と乗り合わせていたし、朝に秋田市から本荘へ向かう便にはそんな客が何人か乗っていた。だから定期券利用者もいなくはないかもしれない。(以上追記)

前回、このバス停は羽後交通は秋田-本荘の急行バスが通るとしていたが、もう1つ、秋田-横手・湯沢の高速バスも通るのを忘れていた。ただし、バス停記載の連絡先は急行バスを運行する本荘営業所管轄だし、高速バスは中央交通との共同運行。
前回の図の羽後交通版(白舟特太極書使用)。消したバス停は中央交通専用

山王十字路時代のD。こちら側だけ白舟特太極書の新しい表示板だった
↑山王十字路の英訳「Sanno crossroad」がカッコイイ。A、Bは中央交通のポールに間借りしているので、この表記はもう見られないだろう。
「方面行」欄は「本荘営業所、湯沢営業所 方面行」となっていた。
山王三丁目になった現在
方面が「横手、湯沢 / 本荘」表記に変わった。本社所在地でもある横手も通ることを示したものの、「営業所」を入れると細かくなってしまうからか。


前回のように、中央交通の長崎屋経由大川反車庫線は、改称前は「山王十字路」を2度通り、うち下りは上下とも乗降を扱い、上りは図中Aのみで乗降を扱って、現山王三丁目のCは無視していた。
今回の急行本荘線と高速湯沢線は、どちらも改称前時点で山王十字路を3度通る。
両路線の秋田市内を出発する便は、秋田駅が始発(終点)ではない。※本荘線の上下各1本だけは駅始発・終点。
本荘線は県立体育館前、湯沢線は八橋市民広場・裁判所前始発なので、西側・県庁市役所前方向から山王十字路を越えて、東の秋田駅西口へ向かう。
秋田駅で折り返して、再び東側から山王十字路に入り、左折して南・長崎屋バスターミナル(羽後交通では「長崎屋前」)へ進んでいく。
したがって(途中バス停は省略)、
 県庁市役所前 → 山王十字路(竿燈大通り側A) → 秋田駅西口 → 山王十字路(竿燈大通りB) → 山王十字路(D・現山王三丁目) → 長崎屋前
逆方向・秋田市内行きでは、 県庁←(B)←駅←(A)←(C・三丁目)←長崎屋
となる。
竿燈大通りを行って戻るため、竿燈大通り側の山王十字路(A・B)を上下とも2度通り、なおかつ新国道側も通る。

3回の通過での乗降の実態。告知されていないと思うが、実はこの点も比較的最近、変わった感じ。
前提として、高速湯沢線は、いわゆるクローズドドア制で、秋田市街地では、湯沢行きは乗車のみ/秋田行きは降車のみの扱い。以下、この点はあまり意識せずに「停車」などと表記します。

●以前 ○:停車、×:通過
県庁 → ○ 竿燈大通りA → 駅 → × 竿燈大通りB × → ○ 現三丁目D → 長崎屋

県庁 ← ○ 竿燈大通りB ← 駅 ← × 竿燈大通りA × ← ○ 現三丁目C ← 長崎屋

まず、中央交通長崎屋経由と異なるのは、長崎屋から駅へ向かう時の、現・三丁目であるCの扱い。
中央交通では無視していたのに、羽後交通では停車する。同じように車線変更して右折するのに。
そして、右折後のAのほうを無視していた。少なくとも本荘線では、車内放送が入らなかったと思う。
山王三丁目C
↑時刻表は、山王十字路時代も同じ形式。左の2列が「急行本荘線」用(駅止まり欄と駅経由県立体育館前行き欄)。
右1列は「高速秋田線」欄。ここでは降車専用なのに、その旨の記載なく掲載するのはちょっとまずいかも。そもそも掲出する必要があるのだろうか。
羽後交通としては「急行秋田線」なのを言い換えているが、高速湯沢線のほうはそのまま。時刻表記載の問い合わせ先は、高速秋田線は湯沢営業所へとしている。

逆向きでは、中央交通がBD両方に停まっていたのが、Bは無視。本荘線車内放送も同様。
つまり、2つ連続して通る山王十字路では、竿燈大通り側を無視して、現・三丁目側を使うという方針かと思われた。
羽後交通サイトの2020年4月改正の本荘線時刻表より抜粋
現時点では、羽後交通ホームページの急行秋田本荘線時刻表の停車バス停名は未更新。この書き方ではどちらの山王十字路か伝わらなかったが、少なくとも2度停車することは分かる。

竿燈大通り側Bの2016年の時刻表
まず、この時刻表、「羽後交通株式会社」名義になっていて、表の形も羽後交通(というか中央交通以外の多くのバス会社)標準の、1行に1時間を割り振った形。でも、タイトルなどに“中央交通臭さ”が漂うし、左の時刻の列が、普通は「時」の数字だけなのに「:00」まで付いていてぎこちないし、羽後交通の連絡先も未掲載。
羽後交通に代わって、中央交通が作っているのかも。共同運行、ポール間貸しの間柄だし、掲出枠の違いもあるし。

この時刻表が示すのは、「本荘より」「県立体育館前行き」だから、本荘から来て、秋田駅に寄って戻ってきた便だけ。
右に「お客様にお知らせ」欄があって、「この停留所は県立体育館前行きの停留所になります。横手・湯沢方面行きをご利用のお客様は、山王十字路交差点を左折して50M先の山王十字路の停留所よりご乗車願います。」。
知らない人にはちんぷんかんぷんかもしれないが、現・三丁目のDまで歩いて、そこから乗れと行っている。
本荘線の逆向き(本荘行き)についての言及がないが、上記を裏付けている。


●現状
まずは上の写真の、竿燈大通り側Bの現在の時刻表。
相変わらず中央交通臭い時刻表だが問い合わせ先が記載された。「羽後交通株式会社」だけ赤文字
お知らせがなくなって、欄が増えた。
県立体育館前行きに加え、急行本荘線・本荘営業所行き、高速 湯沢線・横手 経由 湯沢営業所行きも記載。
したがって、以前は通過していた2つの路線(方面)も停車するようになった。降車専用となる、湯沢から来た八橋行きは掲載なし(妥当だと思う)。

本荘行きと湯沢行きが、ここから左折して次、山王三丁目になったDには、羽後交通のポールがあるから、当然引き続きどちらも停車するのだが。
2社のポール
羽後交通とまったく同じ時刻を示す時刻表(デザインは違う)が、中央交通側のポール(下の掲出枠)にも「羽後交通 バス時刻表」として入っている!
こちらの表の形式は、中央交通仕様を手直ししたような雰囲気。

以前は、この枠には新港線のまばらな時刻表が入っていたのだが、今は上の長崎屋経由車庫行きと一体化された。
※中央交通の2020年10月改正では、これまで分散していた時刻表が集約されたバス停がいくつかある。平日/土日で分かれていた牛島経由駅行きや、新屋線と割山線など。効率的ではあるが、それだけ減便された証。
字が大きくて見やすくはあるし、時刻表がないよりはいいけれど…
共同運行の高速バスは分かるけど、秋田市内ではある意味、自社新屋線のライバルである本荘線まで掲出してしまうというのは…


八橋方面を発ったばかりで、駅を経て各地へ向かう便が停まっていた、竿燈大通り側A。
2020年4月改正。掲出枠のカバーが濁っているため不鮮明です
羽後交通名義だが、表の形式からして中央交通のもの。
枠は向かいBと同じように3方向分。本荘発駅経由県立体育館前行き、県立体育館前発駅経由本荘行き、八橋発駅経由高速湯沢。
本荘から来て、Cで停車して右折した便も、停まることになっている。

以上、いつの間にか、無視するバス停はなくなって、3つすべてのバス停に停まるように変わっていたらしい。

羽後交通公式サイトの高速湯沢秋田線のほうの時刻表では、2020年10月改正版がアップされ、山王三丁目改称を伝えるとともに、「どちらの停留所でも取扱いいたしますので、お間違いのないようご利用ください。」としている。「どちらの~」の意味はいろいろ取ることができてあいまいだが、時刻表記を見れば、
時刻表より抜粋・加工。湯沢発の便ではC→A→Bと3つ停まる
山王三丁目と山王十字路が連続し、その後にも山王十字路があるので、確実に3つとも停まることになろう(逆方向便も同じ)。

実は、山王十字路A掲出の時刻表は、少なくとも2019年4月改正で既にこの形だった(サイト掲載時刻表は未確認)。
でも、2019年中に、本荘方面から駅行きのバスに乗った時は、そのAは無視するような車内放送の入れ方だったと思うのだが。タイミングを見計らって降車ボタンを押せば停まってくれたのだろうか。


名称変更で分かりやすくなった山王十字路と山王三丁目。通る全部のバス停で乗降できるという、羽後交通のやり方が単純明快ではある。
でも、中央交通も含めて総合的に見れば、告知が不充分なこともあって、まだ分かりづらい。
以前取り上げたように、市営バス時代・拡幅前の通町周辺はバス停配置が複雑だった。特に上り通町二区では、時刻表はないが神田線・添川線にも乗車のみできるという、知らない人には分からない、不思議な扱いがあった。それと通じるものがある感じがする。

※秋田中央交通と共同運行する県内事業者としては、秋北バスもある。
上記の山王三丁目より先、茨島や大野口など、羽後交通の高速横手・湯沢線では、羽後交通によって自前のポールが設置されているのに対し、秋北バスの高速能代線では、すべて中央交通のバス停に間借りしていて、対照的。この記事にて。
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続・ムクゲとケイトウ

2020-10-21 00:10:52 | 動物・植物
連日植物の話題で恐縮ですが、季節ものということでご容赦ください。以前の続き2つ。
10月1日に秋田市泉のハミングロードでは、まだムクゲが咲いていると紹介した。こんな秋深くなっても、ムクゲが咲くのは珍しいと思っていた。
その後、市内の民家などを見ると、市街地でも紅葉が始まった10月下旬になっても、それなりにムクゲが咲いている。毎年こうだったっけ? 9月頭が猛暑だった今年だけ?

現時点では、ハミングロードの泉小グラウンドの植えこみは、だいぶ花が少なくなってきた。まだ多少は咲いている。
そこから少し離れた、保戸野千代田町と対面する押しボタン信号のところに、1本だけ大きめのムクゲがあり、こちらはまだたくさん咲いている。
右奥は紅葉し始めたソメイヨシノ
八重咲きで、かつ白地にピンクの濃淡の“絞り咲き”のような花弁。そこそこ珍しい。
あと、八重咲きでも、前回のグラウンドの白い八重咲きよりも、“ちゃんとした八重咲き”のような雰囲気。


別の某所。
低い場所に小さいムクゲ
最初はムクゲと気づかず、何の花かと思ってよく見ると、ムクゲだった。
葉はムクゲだけど、こんな青紫の花のムクゲは初めて。
葉と比べると、花は小さめ?
しかも(ちゃんとした)八重咲き。
ハナアブらしき虫が来ているけど、そこには蜜も花粉もないよ


もう1つは、先日のケイトウ
ハミングロード内に、羽毛ケイトウが咲いていたとしていた。ところがその後、花の形が変わったように思える。当初の観察不足でなければ。
花壇の一角
上にぴょんぴょん飛び出ているのはセイヨウフウチョウソウ(クレオメ)。
スマホのカメラにはちょっと厳しく“赤飛び”してしまった下奥は、おなじみサルビア。
そして手前に1本(?)、葉も赤いケイトウ。
「まっかな秋」の歌詞には出てこないけれど、サルビアもケイトウも真っ赤だな。
ケイトウの花
最初見た時は、上部・先端が目に留まり、突き出した花だったので羽毛ケイトウかと思った。
それも今見ると、ところどころ扇形の花になっていて、それではトサカケイトウっぽい。
そして右下、これはもう、久留米ケイトウでは。

ケイトウを育てたことも、他でもあまり見たこともないので分からないが、こういうふうに徐々に花の形を変えながら、最終的に久留米ケイトウになるのだろうか。いずれにせよ、なかなか奥が深い植物だ。※この場所の翌2021年のケイトウ
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旭川に“山ホップ”

2020-10-19 23:59:41 | 動物・植物
秋田市中央地区の旭川沿いの河川管理用通路(≒歩行者用通路)のフェンス。
つる植物がからまっている
4年前に「ガガイモ」という植物を紹介した。最近は見かけなくなってしまった。
そのほぼ対岸、住宅地のフェンス。

街中でもよく見る、つる性の植物としては、いずれもブドウ科のノブドウやヤブガラシが定番。この近辺にも多い。
なお、ヤブガラシの花はスズメバチが好み、9月頃花の時期には、よく見かけた。自分たちの巣の近くではなければ、スズメバチもさほど攻撃はしないらしいが、通りかかると怖い。

このつるはそれらとは違う。ノブドウ・ヤブガラシは、上というより横方向、地上をはうように伸びることも多いが、これは積極的に上へ伸びている。
そして、松ぼっくりのような形の、淡い緑の実のようなものがたくさんぶら下がっている。




ふわふわ柔らかそう

アサ科の「カラハナソウ」という植物。

川のほうにもつるを伸ばしている

カラハナソウの名前は知らなくても、ぶら下がっているものに見覚えがある方もいらっしゃるかもしれない。ビールの原料に欠かせない「ホップ」?
ホップはビールメーカーのホームページやパッケージに写真や絵が出ている。それと比べると、旭川のカラハナソウは、似ているものの全体に丸みを帯びた形状。
また、つる(茎)の色は、ホップでは緑色のようだが、ここのカラハナソウは赤い。個体差かもしれない。

カラハナソウとホップは、まったく同一の種ではないが、かなり近縁種。「変種」という関係になる。動物でいう「亜種」のような位置付け。
ホップは「セイヨウカラハナソウ」とも呼ばれるヨーロッパ原産種。日本では北海道の一部に自生する所もあるとのこと。
カラハナソウは、日本では中部以北と北海道に自生する。山野や林に生えるそうで、このような街中の川沿いというのは、珍しいのかもしれない。
カラハナソウには、20年以上前、秋田市河辺地区の岨谷峡(そやきょう)の、道路からすぐの所で見たことがあって、それ以来2度目の遭遇。

ビールの原料としてのホップは、日本国内でも栽培され、それを売りにしているメーカーや商品もある。
岩手県の遠野、秋田県の横手市大雄などで、やはりカラハナソウの分布域と重なる寒い土地ばかり。
青森県でも栽培されていると聞いたことがあった。三戸町だそうだが、年々生産者が減って、今は皆無という情報もあれば、1軒だけと聞いた気もする。
多年草なので、植え替えなどは要らないが、高いやぐらを組んで育てるので、作業は大変なのかもしれない。
Wikipediaによれば、日本のホップ産地では、外来のホップと区別するために、在来のカラハナソウを「山ホップ」と呼ぶこともあるとのこと。
山ホップにも、同じ苦味成分は含まれるものの、量は少ないらしい。

気候が合って日本でも栽培できるホップだが、カラハナソウがあったために不都合なこともある。
カラハナソウに感染する病気があって、それがホップにも感染してしまう。ビールの本場ヨーロッパでは確認されていない病気。
その病原は「ウイロイド」と呼ばれるもの。「ウイルス」よりもさらに単純な(タンパク質の殻がない)、遺伝情報むき出しの塊のような、植物だけで確認されている病原体。
弘前大学農学生命科学部に、その研究をする教員がいらっしゃる。20年ほど前、そんなお話を伺い、大学の畑にやぐらを立ててホップの栽培を始められたのを拝見した。その後、成果を上げられたようだ。


ホップもカラハナソウも「雌雄異株(関連記事)」。
ビールの原料になる松ぼっくり状のものは雌花で、「毬花(まりばな?【22日補足・「きゅうか」らしい】)」と呼ばれる。ビール用には、基本的に花粉を受粉してしまったものはダメで、受粉していないもの、つまり「果実」ではなく「雌花」を使うそうだ。だから雄株は不要。

周辺の旭川沿いをざっと見た限りでは、これ以外にカラハナソウは見当たらなかった。こんなにたくさん雌花をつけても、種はできなさそう。


ネットで知ったのだが、カラハナソウの茎(つる)や葉を、指先でそっと触れてみた。
写真では分からない、ごく短いながら、硬い毛がびっしりと生えているのが分かる。植物の毛としては、かなり硬いと思う。指に刺さるようなトゲではなかった。※個体差があるかもしれないので、もし触る時は、念のため気をつけてください。
アサガオのつると葉には、目で見える柔らかい毛が生えているけれど、おそらくそれと同じく、つるをしっかりと巻きつけ、固定させるためだろう。

最近は暑さ対策の「緑のカーテン(グリーンカーテン)」として、ホップが使われることもある。
多年草だから手間がかからないかもしれない。
緑のカーテンからビールを作ろうとする人はいないだろうから、雄株でもいいし、カラハナソウだっていいでしょう。でも、むやみにホップを育てると、カラハナソウとの交雑が起きてしまい、純粋な在来種を汚染してしまうこともあるかもしれない(ビール原料としての栽培なら、雌株ばかりで、種にしないでビールにしてしまうのだから、ほぼ影響はないと思う)。
【20日追記】毬花はハーブティー、天ぷらなどにも使え、ポプリや(つるも含めて)リース、アレンジメントといった使いみちもあるとのこと。


10月上旬に見つけた時は、どの花も緑色だった。それから5日ほど経つと、
茶色くなった花も
通路向きの花は緑のままだが、川のほうに伸びたつるの花は枯れ始めていた。

こんな街中に山ホップがあったとは。

【追記】翌2021年のシーズンには、河川管理用通路の除草がされたのか、生えたのは確認できず。2022年も見当たらず。
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冬に備えて出没

2020-10-18 00:06:31 | 動物・植物
秋田市中央地区某所。
曇りの昼下がり、少し高い位置から、民家の庭を見下ろすと…
何かがもそもそ
ネコにしては大きく太った動物がいた。時折移動しながら、頭を落ち葉の中に出し入れしている。
落ち葉に頭を突っこむ

目のところが黒くて視線が分かりづらい
この動物は、ニホンアナグマ。
ニホンアナグマ
2011年春にも目撃したが、その時とだいたい同じ場所。その後にも何度か、この周辺でアナグマを目撃しているので、あまり驚かなかった。
でも、これまでは、いずれも夕方~夜で、短時間の遭遇。今回は、午後早い時間で、気づかれなかったこともあって10分ほど見ることができた。

アナグマは、ツキノワグマのような「熊」ではなく、イタチの仲間。近縁ではないがタヌキに姿や生態が似ている。
アナグマは人を襲うようなことはなく、人に気づけば逃げる(かいわゆる狸寝入りをする)。
アライグマのように凶暴でもなく、ハクビシンのように屋根裏に上がりこむことはできない(床下には入るかも)、日本在来の臆病な動物である。【18日補足・熊=ニホンツキノワグマも本来は臆病な動物ではある。】
【18日補足】この記事のタイトルは「冬に備えて出没」としたが、アナグマの生態からして、通年で生息して日常的に出没しているはず。アナグマがひっそりと行動し、人間は気づかないでいるというだけだと思う。ツキノワグマと人間は基本的には生活圏が重ならないものだが、アナグマと人間は実は共生している。

落ち葉に頭を突っこんでいたのは、ミミズや虫、あるいは草の実や根を探して食べていたのだろう。
こちらを向いてくれた
上の写真では、オレンジ色のものをくわえている。
ここには柿の木がある。落ち葉の多くがその葉。その中に、色は着いたものの落ちてしまった果実があって、それを見つけた。その場で食べずに、くわえて少し移動。
右下に柿を置いて一休み?
でも、この柿(寒冷地の柿はほぼすべて)って、渋柿。樹上でぐじゅぐじゅの熟柿にならない限り、動物は食べられないかと思うのですが、大丈夫?
食べたかどうかは確認できなかった。
【18日補足・アナグマは木登りは苦手。似たような動物が登って実を食べていたとすれば、ハクビシンかもしれない。】

今回、じっくりアナグマを観察できたが、今までよりも太っていて、顔(頭)がとても小さいように感じた。
考えてみれば、今は秋。アナグマはまもなく冬眠に入るはず。たくさん食べて備えていたのだろう。
(再掲)2011年春のアナグマ
あと、2011年に見たアナグマは、体毛の色が薄かった。当時もイメージや図鑑と比べても薄いと感じた。
今回の個体のほうが色が濃く、目の周りや鼻がより黒く、より標準的なニホンアナグマに見えた。個体差か、季節の違いか。

薄暗い時に行動するはずのアナグマにしては早いお出まし。車の走る音、人の声も時々していたが、警戒するそぶりはなく、大胆な行動だと思った。
この庭は開けているものの、四方を民家や塀に囲まれて隔絶されている。車は来ないし、人もほとんど現れないから、警戒心が薄れるのだろうか。
何より、冬に備えてたくさん食べたいアナグマさんは、食べ物探しに熱中していたのでしょうね。

柿の後、再び柿が埋もれていた辺りへ戻って、また探し始めた。
すると、どこかの家の工事だろうか「コンコンコン」と何かをたたく音が響いた(現場は見えない)。一瞬、動きを止めたが、再び食べ物探索。
2度目の「コンコンコン」が聞こえると、アナグマにしては急ぎ足で、音と逆方向の草むらのほうへ移動して、姿を消した。

この辺で最初にアナグマを見たのは、30年以上昔。脈々と確実にアナグマが息づいている。
以前と同じ結びになるけれど、アナグマは臆病だけど街なかでしたたかに生きている。
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和洋高校ほぼ解体

2020-10-16 00:11:09 | 秋田の季節・風景
秋田県民会館と秋田市文化会館の機能を統合し、秋田市街地・千秋公園ふもとの県民会館を解体した跡地に、新しい文化施設が建設中。(正式名称「あきた芸術劇場」、愛称未定。2021年12月竣工、2022年6月オープン予定。)
その新施設の関係者駐車場とするため、隣接する私立秋田和洋女子高等学校の校舎が建つ土地が使われることになった。
和洋高校は、近くの同校多目的グラウンドの土地に新校舎を建設し、今春移転。同時に、男女共学化されて秋田令和高等学校と改称。
(再掲)2017年広小路から。左が和洋、右が県民会館
空になった和洋高校校舎は、解体が始まり、夏以降本格化した。
その影響で、西側の通町からの風景が変わったことを以前取り上げた。
今回は校舎解体そのものについて。

場所。
広小路に面した、千秋公園のお堀は、中土橋(という道路)をはさんで、東がハスの咲く大手門の堀、西が昔はボートがあったりコブハクチョウがいたりした穴門の堀。
穴門の堀は、広小路から北方向・秋田中央警察署の裏面の「古川堀端通り」沿いにも続き、L字型。
Googleマップ航空写真より。旧校舎も「令和」にされている
その古川堀端通りの対岸、Lの縦部分ほぼいっぱいに、和洋の校舎が建っていた。裏手はすぐ県民会館で、南北に細長い敷地。
その北辺は「佐竹小路」に面しており、校門・正面玄関はそちら側。北側に少しだけ飛び出た棟があり、校舎はお堀と逆向きのL字型。1966年頃にできたらしい(後述のモニュメントの制作年)、4階建て。

校舎の長い辺は120メートルほど。お堀向きの西面はほとんどの窓が小さいので廊下だったのだろう。
2018年10月。北寄り一部を堀越しに
↑校舎に継ぎ目があり、全体が同時に建設されたわけではなさそう。ごく一部だけ窓が大きく壁が出っ張っている。

反対の県民会館向きは、高低差がある土手に面しており、(県民会館側は建物裏面であり)一般人が近くで見ることは不可能。広小路からはわずかに見ることができたが、ベランダ(バルコニー)があり、こちらが教室と思われる。防犯上は良さそうだが、風通しや日当たりはどうだったのだろう。
再掲)2013年。南面にもベランダが回りこんでいた

Googleマップストリートビューで確認すると、2012年10月では、校舎外壁でまさに工事が始まったばかりらしき風景が写されていた。2015年8月と比較すれば、耐震補強材設置、屋上のフェンス撤去などが行われている。外壁の色も少し違うかも。当時は移転解体する話(新設計画そのものが2013年に浮上)などなく、当分使い続けるつもりだったのだろう。

2020年3月。南から
解体工事は、高校側が発注した形のようだ。佐竹小路に面した正門側は、厳重に高い囲いが設置され見られない。お堀側は、外壁が足場と防音シートで覆われた。
8月初め。タワークレーンは新施設のもの
解体は佐竹小路・正面側から着手。
8月中旬。奥の北側が解体され、足場が低くなった
解体済み箇所は足場が撤去され、今までは見られなかった光景が姿を現した(そして通町からの風景も変わった)。
10月初め。平野政吉美術館と新施設の鉄骨が見える

解体はどんどん進み。
10月初め。南側の隅がわずかに残るのみ

現在。ほんとに最後の最後
上の2つの写真。建物が少なくなったわけだが、屋上にあったアンテナのようなものがなくなっている。
10年前にブログ「二〇世紀ひみつ基地」の「天地を結ぶアンテナ・和洋女子高モニュメント(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-706.html)」で知ったのだが、彫刻家・秋田大学教授の阿部米蔵氏(2011年没)が、旧校舎竣工時に作った作品「三愛のモニュマン」とのこと。
これがどうなったか。取り外して移設なり保管なりされると思っていたのだが、最後まで残って姿を消した。工程上、解体と同時に取り外したほうがやりやすくて、そうしたのだと思いたいところ。

2021年初めの校舎跡地の様子など。
開館時には、和洋高校敷地跡の堀沿いに遊歩道ができた
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鶏頭120年

2020-10-14 00:35:20 | 動物・植物
秋の花壇。
今回の写真(最後の1枚以外)は、秋田市土崎地区の駐車場の角の小さな花壇を勝手に撮影させてもらいました。雨上がりに、鮮やかな花を、スマホで撮影したので、写りはいまいちですが。

手前のマリーゴールドは、丈夫で花が長く咲き、昔より花色のバリエーションも増えたためか、あいみょんの歌のためか、最近は人気。

ガーデニングの分野も流行り廃りがある。サルビアは昔ほど見かけなくなった気がするものの、別種のブルーサルビアが現れた。特に品種改良が盛んな秋田では、ダリアも増えた。
上の写真奥の、背の高い赤っぽい植物も、秋ならでは。
左は花盛り、右は終わりかけ。花の形や葉の色も微妙に違う。個体差? 品種が違う?
主に赤い、ふさふさした花を咲かせる「ケイトウ」である。

ケイトウは花の咲き方(花穂の形)の違いで、いくつかに分類される。分類法や名称は統一されていない。
写真のケイトウは、円錐形で「羽毛ケイトウ」「プルモーサ系」に分類されるタイプ。

ほかには「ノゲイトウ(野ケイトウ=後述)」「トサカケイトウ」「久留米ケイトウ」などに分けられる。最近はオレンジ色やピンク色の花や、鉢植えできる小さいもの(羽毛の矮性品種)も出ている。
個人的にはケイトウといえば、手芸用のモールを折り重ねたような久留米ケイトウ。秋の彼岸の供え花に、1本だけ入るのが定番かな。
トサカケイトウというのは、ニワトリのとさかを連想した命名。それ以前に「ケイトウ」は「鶏頭」で、和名そのものがニワトリの頭なのだけど。
羽毛ケイトウでもモールっぽい。触りたくなる
なお、葉が大きく鮮やかな「ハゲイトウ」、花穂が紐状になる「ヒモゲイトウ(名前は今初めて知った)」は、同じヒユ科だが、属が違う別種。ちなみに、スーパーフードと言われる「アマランサス」や、ひたち海浜公園の紅葉でおなじみ“コキア“や秋田名物トンブリのなる「ホウキギ」もヒユ科。

今年、少し意識してケイトウを探してみた。雰囲気が違うノゲイトウや、小型品種は見落としているはずだけど。
大きい品種では、彼岸の花以外では、ここで紹介している駐車場と、泉のハミングロードの一角の2か所しか見つけられなかった。どちらも羽毛ケイトウ。【20日追記・泉のケイトウは羽毛ケイトウではないようだ。この記事後半参照。また、土崎の民家ではとても立派な久留米ケイトウ(茎は緑色で理想的? なケイトウかも)らしきものが咲いていた。】【31日追記・さらに土崎駅前の自転車置き場(図書館側)の横の地域の花壇のようなところにも、泉と同じような茎も赤いケイトウを発見。】
育てるのは難しくないと思うし、見栄えのする花だと思うのに、あまり人気はないのかな。昔から切り花ばかりで、生えているのはあまり見た記憶がない。
どうして今年ケイトウを探したかというと、今年でちょうど120年になることを知ったから。

「鶏頭の十四五本もありぬべし」

正岡子規の俳句。
1900年9月の句会で出され、年内に発表された。

この句は、高校、たしか2年生の国語(現代文)の教科書に載っていた。
先生(前年の入学直後に、入試に「美しい」の書き取りを出題したことを批判した人。当時は若かったが、文学への造詣は深い方)が「『14、5本』としているところがいい。『15本ある』じゃいけない。」と話していたのだけ、強く印象づけられた。その辺はよく分からなかったものの、ただ「ケイトウがまとまって咲いている」という描写だけで、俳句が成り立つことが新鮮に感じられた。

近年知ったのだが、この句の評価は分かれ、戦後には「鶏頭論争」と呼ばれる出来事もあった。
要は、「鶏頭」が「十四五本」である必然性があるか、例えば「菊」「七八本」でもいいのではないか、ということらしい。
それを言ったら、全部の俳句でその指摘ができるように、素人は思ってしまう。高校生の時に感じた、単なる描写でもないようにも感じてしまう。
ほんとに俳句は難しい。だから句の解釈は分かりません。


この句は、東京都台東区根岸にある「子規庵」で、庭に咲くケイトウを見ながら作った(=句会の会場が子規庵)ようだ。
となると気になるのが、120年前に咲いていたケイトウは、どのケイトウか。

数年前、テレビで子規庵が紹介された時、今も庭に、(同じくゆかりがあるヘチマとともに)ケイトウを植えているのを見たが、何ケイトウかは忘れてしまった。
今、画像検索すると、現在の子規庵では羽毛ケイトウとトサカケイトウが混植されている感じ(年によっても違うはず)。そして本数は十四五本よりは多い。

というか、ケイトウは枝分かれして、それぞれに花穂が付く。
十四五本というのは、花穂の数だったのか、株(根本)の数だったのか、そこは論争にならないのでしょうか…
見下ろす羽毛ケイトウもまたきれい
↑つぼみもあって、うまく数えられないが、花穂はかなり多い。

こんな花もあった。最近、そこそこ見かける花だが、名前は知らなかった。
東部ガス秋田支社の花壇
おしゃれなガーデニングといった感じ。上記ブルーサルビアも合いそう。
この花は、花穂が細長く、先がとがり、色は先が濃いピンク、下が白のグラデーション。

実はこれが上で何度か出てきた「ノゲイトウ」らしい。本来の野生種はもっと短くて、赤い花だと思われ、これも品種改良はされているはず。
ノゲイトウは「セロシア」という名で流通することもあるそうだが、本来のセロシアはケイトウ属の学名なので、羽毛やトサカも含まれる。ガーデニング業界ではこういう命名がよくされてしまう。
このような色形の品種名として「ルビーパフェ」というのがあるが、写真がそれかどうかは断言できない。
120年前はたぶんなかった、このケイトウからはどんな句ができるでしょうか。
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MV茨島→イオンスタイル茨島に

2020-10-12 00:01:57 | 秋田のいろいろ
秋田市中央部の南寄り、茨島(ばらじま)四丁目にショッピングモール「イオンタウン茨島パワーセンター」がある。
県道56号(2004年まで国道7号だった区間、秋田大橋の北)に面した、秋田放送のラジオ送信所のアンテナを囲むように駐車場と店舗が並ぶ。2000年にオープンだから、もう20年になる。
(再掲)2011年頃のマックスバリュ茨島店
その主要店舗が、スーパーマーケット「マックスバリュ茨島店」。
オープン時から、モール全体の所有・管理と合わせて、マックスバリュ東北株式会社が運営していた。同社は2020年3月に「イオン東北株式会社」に再編されたが、見かけ上は変わりなく営業継続。

イオン系列以外も含めて、最近はある程度年数が経ったスーパーを、建物は壊さずに改装してリニューアルオープンすることが多い気がする。
昔と違って駐車場や耐震化といった問題点はクリアされているためか、これ以上大きくしても無意味で、あまり費用をかけず、固定客を逃さないためなのか。イオンと言えども「スクラップアンドビルド」ではなくなっていると思う。

秋田のマックスバリュ各店も、けっこう頻繁にリニューアルしている。24時間営業店舗で深夜早朝だけ休んだり、数日休業したりして、レイアウトを変えるようなものを、特に港北店と茨島店で何度かやっている。
茨島店については、少なくとも2004年春、2010年11月19日(2011年1月の記事)、2013年9月13日、2015年9月4日に、それぞれリニューアルオープンしている。
20年前と比べればあちこち変わっているはずだけど、箱や大まかな配置は同じだから、そんなに変わっているようには感じない。

現在、マックスバリュ茨島店でまた店内改装工事が行われている。
告知によれば、9月20日で24時間営業をいったん中止。10月12日から16日は終日休業
10月17日9時にオープンし、以降は24時間営業。

夜間だけでは済まず5日も休んで、かなり大規模そうだ。
9月末に行くと、
駐車場の片隅。赤白がラジオアンテナ
売り場の冷蔵ケースのほとんどが運び出されていた。
店内は「縮小営業」に近い形。冷蔵ケースがあった部分は、囲われて入れなくなっていて、何もないがらんとした状態。通路が狭い箇所もあり、扱い品目はいくらか減っていたと思う。
内装だけでなく、外壁の看板や、県道に面した2つの大きい看板も、囲われて工事中だった。その道路向きの看板は、何年か前にきれいになっていた気がしたのに。
それらを見て、ちょっと頭をよぎったのが、マックスバリュのリニューアルではなく、「マックスバリュでない店舗への転換」ではないかということ。
秋田市内にはないディスカウント店「ザ・ビッグ」かと思ったけど、ザ・ビッグは24時間営業しない。
休業とリニューアルオープンが近くなっても、イオン東北の公式サイトやその他ネットには、情報がなかったので、やはりマックスバリュのままなのか?

11日に行ってみた。
店舗の看板。冒頭の再掲写真の位置
覆いが取れつつあり、看板の周囲は出来上がって、店名部分だけ覆われている。
マックスバリュのままなら、とっとと覆いを取ればいいのに、隠している。
そして「MaxValu」の看板ならば、「V」の右上が枠の外へ突き出しているのに、覆いの下はどうもそうではない。もしや??

ドア周り
サッシや外壁がきれいになっていて、黒~茶色系統になった。
店内の壁や床もほぼ新しくされていて、茶色や木目調が多用されている。
売り場はまだまだ。いっそうがらんとして縮小営業そのもの。通路は迷路のよう。

店内には、営業短縮・休業の告知ばかりが目立ち、17日オープンしか分からない。
よーく探すと、店内にわずかに、そして店舗前の大きい看板の裏面に、答えがあった!
「お客さまへお知らせ」隠しているんだか、見せたいけど置き方が悪いのか…
マックスバリュ茨島店は2020年10月17日(土)より イオンスタイル茨島として生まれ変わります。
そう来たか!!!
やっぱりマックスバリュでなくなる。

「イオンスタイル」というのは、イオンの新しい店舗ブランド・店舗形態。
秋田県内では、秋田市のイオンモール秋田内のイオン御所野店(旧ジャスコ)が、2016年から「イオンスタイル御所野」になっているので、県内・市内2つ目のイオンスタイル。
御所野は元ジャスコだから衣料品など非食品売り場もあるが、茨島は食品・日用品のみなのだろう。全国的にも、売り場や扱い品目は統一されていないらしい。

御所野と、新潟市街地の食料品売場だけ(元々はダイエーだったのを縮小)の「イオンスタイルラブラ万代」に行った限りでは、新しくてきれいだけど、従来のイオン(旧ジャスコ・サティ・ダイエー)とほとんど違わないと感じてしまった。

告知の下には、マックスバリュとしての営業終了をもって、実施しなくなる企画が示されていた。

ごばばばーいのポイント5倍デーや、毎週の曜日別特売など、イオン東北運営のマックスバリュ店舗独自の企画はなくなるようだ。これは、マックスバリュじゃなくなるのだから、当然。

今春、マックスバリュ東北と、イオンリテール株式会社東北カンパニーの食品事業が統合して、イオン東北が発足した際、イオングループ内ながらそれぞれで違う点はどう変わるのかと、客として不安だった。説明もなかったので。
すなわち、品揃え、5倍デーなどの企画、一部トップバリュ商品の価格の違い、火曜日のバラ売りジャガイモの大きさ、ネットチラシの掲載サイトや更新時刻等々。運営企業が同じになれば、どちらかに統一されるかと思っていた。

半年以上経った今。統一前とほぼ変わっていない。
ある意味安心しているが、統合したメリットを活かせていないようにも思える。
つまり、旧イオンリテールのイオン(ジャスコ・サティ)とマックスバリュでは、位置付け、「格」が区別されているようにも思える。

今回、マックスバリュ茨島店がイオンスタイル茨島になれば、格が変わることになるのだろうか。
品揃えなども、旧リテール店舗と同じになるのか。余計なお世話だけど、従業員の制服や、店頭の資源回収体制(上の写真のように、マックスバリュでは箱からあふれてしまっていることが多い。旧リテール店舗では専門スタッフがこまめにきれいにしてくれるのだが)も変更されるのか。
【12日追記】例えば、全国のイオンリテール運営店舗のキャンペーンでは、イオンリテール配下でない北海道・九州沖縄のイオンは対象外。イオン東北発足により、東北のイオン(少なくとも食品売り場)も対象外にされるかと危惧したが、現状では、イオンリテール時代と変わらず対象。マックスバリュはもちろん対象外だったが、イオンスタイル茨島になれば、対象になるのか。一般客には分かりにくいし、説明も足りない。

となると、また疑問。
イオン秋田中央店(旧秋田サティ)と近すぎるのでは?
両店は、直線で1.3キロ、道のりで1.5キロほど。
今までは、店舗ブランド(品揃え・価格・企画)が違うことで、棲み分けできていたはずだし、両店舗を回る人もいたはず。
今後は食料品に限れば、あまり違いがなくなるとすれば、客の動きが変わるかも。


県道沿いの看板も覆いが取れていた。
てっぺんの大きい紫の所は、以前は「AEON TOWN イオンタウン茨島」だったが、そこも消されていて、まだ何もなし。【追記・14日には以前と同じデザインと思われる、イオンタウンの看板になっていた。】
その下の「MaxValu」だった小さい看板は、すでに
「AEON STYLE イオンスタイル茨島」が見えている

開店まで1週間を切った現時点で、店舗前・店内の告知とこの看板だけが、「イオンスタイル茨島」誕生を告げている。
大きな変化なのだから、もっと早くから、広く告知すればいいように思うのだけど。
ネット上にも「イオンスタイル茨島」の情報は見当たらないのだが、Googleの検索窓に「イオンスタイル」まで入れてみると…(場所は秋田市として検索されているはず)
サジェスト(候補)の4番目に「イオンスタイル茨島」
調べようとしている人は少なくなさそうだ。

公式発表やオープンを待ちましょう。
※イオンスタイルは「~店」が付かない店舗名が原則なので、「イオンスタイル茨島」が正式。

【12日追記】12日にイオン東北の「企業サイト」のニュースリリースに「10月17日(土)朝9時より「イオンスタイル茨島」リフレッシュオープンします。」が掲載。「お客さまサイト」には情報なし。
その資料によれば、
「地域により密着したサービスや商品をご提供するため(略)店名を変えてリフレッシュオープン」
「秋田県産の鮮魚や農産物、お肉、加工品、県産品の原料を使ったお惣菜の取り扱いを拡大し、日々の生活がより楽しく、豊かになるような商品をご提供」
野菜の産直コーナーの写真が掲載されているが、それは今年7月にリニューアルしたマックスバリュ港北店の写真を使っている。

「おうちでイオン イオンネットスーパー」の「ピックアップサービス」も開始。
ネットスーパーで買ったものを、駐車場に設置したロッカーで非接触で受け取れるというサービス。
ネットスーパーはイオン秋田中央店で実施しているが、そこからのお届けになるとある。つまり、秋田中央店から茨島まで運んで、ロッカーに入れる。だったら、イオン秋田中央店にロッカーを置けばいいような…

オープン後の状況
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ビューカード磁気不良

2020-10-11 00:30:54 | その他もろもろ
クレジットカード「ビューカード」を磁気不良で再発行(「再製」と呼ぶそうだ)した話。
ネットで検索すると、一連の経験をまとめたブログなどは見つけられず、ツイッターの断片的な投稿あるいは中身の薄いまとめサイトばかり(ネットの現況をよく現している)なので、ここに記録しておきます。

20年近く前に加入した、JR東日本(今は系列会社扱い)のビューカード。
当時のビューカードは国際ブランドはVISAのみ、Suicaもそれ自体がまだなかった。後にSuica搭載カード(世界初のエンボスレスクレジットカードだったとか)も出たが、切り替えると再審査・カード番号変更だそうで、そのまま更新し続けてきた。現在は接触型ICチップ(金色の四角い部分)は搭載されたものの、磁気ストライプと番号や名前が凸凹した昔ながらのクレジットカード。ちょうど1年前に更新され、有効期限はあと4年あった。


ビューカードの主な使いみちは、Suica(クレジットでない普通のICカード)へのチャージ。
今のところは、実質的に「秋田生鮮市場保戸野店用電子マネー兼ポイントカード」として、けっこうお得に重宝させてもらっている。来春からは秋田市内のバスでも使えるかな。
ビューカードからSuicaへのチャージは、対応券売機かATM「VIEW ALTTE(ビューアルッテ)」でないとできない。現在の秋田県内でそれができるのは、秋田駅自由通路のアルッテただ1か所。だから残高の見極めと駅へ行くタイミングを計画的にしないといけない。
秋田駅自由通路のトイレとびゅうプラザの間
ある日、チャージを試みた。
指示に従って、先にSuica、次にビューカードを挿入する手順なのだが、ビューカードを入れた後、一瞬、ATMが固まったような雰囲気。
画面と音声で「お取り扱いできなくなりました」の後、2枚のカードが返却され(利用明細書はなし)、備え付けの電話で問い合わせるようにと表示され、「使用停止」になってしまった!

カードが戻ったのだから、問い合わせはしないでおく。
数分して戻ると、使用停止ではなく、普通の待機画面に戻っていた。
システムやATM端末の調子が悪いのかもと、数日後にやっても、同じ。

カードとATMの“相性”で不具合が出ているのかも。
他のアルッテや店舗で使ってみれば、より特定できそうだけど、県内唯一のアルッテだし、駅窓口やお店で「使えません」と言われるのも恥ずかしいからやめた。

相性だとしても健全なカードでは起きにくいだろうし、原因はカード側だろう。
そして、ATMで読み込み画面や利用明細が出ないことならして、カード自体を認識していなそう。
利用限度額を越えたとか、何かでカードが使用停止されているのなら、読み込みはされ、「このカードは使えません」ぐらい出るはず。
ということでカードが壊れてしまったと推測。
アルッテはICチップは非対応らしいから、磁気情報が壊れてしまった(磁気不良)か。1週間ほど前は使えたのに…


磁気不良は初めての経験。磁気カードの取り扱いには、気を付けてきたつもりだったので、ショック。
ただ、今まで知らなかったのだが、磁気カード(のストライプ部分)どうしをくっつけておくのも、磁気不良の原因だそう。
ビューカードと同じ財布に入れていた複数の磁気カードは、現時点では正常。郵便貯金の古いキャッシュカードをビューカードとぴったり重ねてしまっていたのだが、それも問題なし。【11日追記】財布の中の複数枚の磁気カードのうち、いちばん新しいビューカード1枚だけがダメになったわけで、そういうことも、なくはないだろう。

こうなったらカードを再発行してもらうしかない。
他のクレジットカードでは、ネットで再発行受付をするところもあるが、ビューカードは電話のみ。
各種問い合わせを一括して受ける「ビューカードセンター」へ電話しないといけない。オペレーター対応の「その他お問い合わせ」扱いで、毎日9時から17時半。

この電話がなかなかつながらないとのツイッターの情報。
その通りで、土日や朝夕は5分待ってもつながらない。木曜日の昼前にかけると、ちょっと待ってつながった。

「ビューアルッテでチャージできない」と話すと、そのATMの場所や日時(だいたいの日付で良かった)を聞かれた。
おそらく利用履歴を照会して、限度額超過や使用停止でないことを確認、というより該当する利用履歴がないことを確認したのだろう、やはり磁気不良の可能性ありとのこと。
で「担当におつなぎします」と待たされ、「混み合っているので、こちらから折り返しさせて」といったん切って、5分弱でかかってきた。
先の電話の内容を再確認され、「磁気不良と思われますので、頻発するようなら作り直しをご案内しております」と言われた。
希望しなければ作り直さなくてもいいらしい。IC部分だけを使うとか、他のATMなら反応するということもあるからだろうが、秋田駅で使えなきゃ困るので、当然お願いする。※Suica搭載のカードなら、定期券期限や残高の移し替えとか付随する処理も必要で、再発行を遅らせるような人もいるのかもしれない。

「カード番号と有効期限は現カードと同じ、手数料なし」「1週間から10日ほどで登録住所へお届け」「古いカードは、ハサミを入れて返信用封筒で返送して」と、ツイッター情報通りの案内を受けた。

ちなみに、コールセンターでは、最初の人も次の人も、「ビューアルッテ」のことを単に「アルッテ」と呼んでいた。ビューカード専門のセンターなんだし、カードユーザーはアルッテを知っているから通じるのだけど。

それから土日を含めて6日後に、ゆうメールの簡易書留(通常の更新と同じ)で新カードが届いた。ほんとうにまったく同じカードだった。
もちろん、今度はチャージできた。
Suicaチャージ中の画面
この機種では、手続き中に右向きのE2系(色からすれば上越・北陸新幹線用)先頭車が3両現れ、影が左から右へ動くアニメーションが表示される。本物のE2系は減っていく傾向だが、アルッテのソフトや機種が新しくなったら、新形式に代わるかな。
乗務員室と客用のドアがそれぞれ描かれている
↑客席窓が小窓だから、初期型で、既に全車両廃車された0番台がモデルのようだ。
【2021年10月1日追記】この1年後、2021年9月末に新しい機種へ更新された。画面構成は一新されており、鉄道車両の絵は特に表示されず。

さて、磁気不良対策。
とりあえずは、財布の中で磁気ストライプどうしを重ねないようにしている。上下逆に入れたり、間にICの電子マネーカードをはさんだりしているけど、効果のほどは?
ネットを見れば、磁気不良対策として「防磁シート」や対応しているというカードケースを紹介する、まとめサイトや一部通販サイトがある。
でも、それは疑わしい、というか誤解しているような気がする。
Suicaのような非接触ICカードの、スキミングやカードどうしの干渉を防ぐものであって、磁気カードの磁気によるデータ破損を防止するものではないように読めるものばかりなのだが。【下の追記参照】
確実なのは磁気発生源、カードどうしの接触を避けることでしょうか。

【2022年4月5日追記】サクラクレパスグループの「雲州堂」が、「ノータム 磁気シールドケース」を発売していた。サクラ総合カタログ2021~2022年版で「NEW」印が付いている。
磁気カードや通帳を収納する手帳型のもので、「外部の磁気からケース内部を保護する」「磁気情報が破壊されるのを防ぎます」。同社では、ICカードスキミング防止ケースも発売しており、カタログでは両者の違いを説明し、使い分けるよう説明している。
でも、これでも、ケースの中で、複数のカードの磁気ストライプが重なって…というのには対応できないかもしれない。
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ぴったりポスト/廃止後も道順板

2020-10-08 00:03:27 | 秋田の季節・風景
先月の徐行標識に続いて、才八橋周辺、楢山地区東の橋や川以外の話題。才八橋のすぐ南側、道路がかなり狭くカーブが多い一帯から2題。

以前、少し珍しい郵便ポストの記事の中で、秋田市内では10本あるかどうかの「郵便差出箱11号」を取り上げた。投函口が1つで、箱が大きい(脚が短い)現行型。
その1つが、この狭い道の狭い建物際に横向きで設置されていた。
(再掲)民地のすき間に絶妙に収まっている
昔はお店だったお宅だろうか。横向きなのは、デッドスペースを生じさせず、かつ側面の回収扉を開閉できるためだと考えられるが、ポスト背面の隣の塀との位置関係などが絶妙。
そのポスト、2019年9月のGoogleストリートビューで存在を確認できるが、今はなくなっていた!(家はあるかどうかは確認しなかった)

そこから南へ100メートルほどの道路向かい側。かつて走っていた小型バスが曲がっていた丁字路(実は十字路?)辺りに、
新しいポストが!
いちばん小さい「郵便差出箱14号」。
秋田市内の他の11号も交換が進んでおり、投函される郵便物が減ってしまった現状では、妥当なサイズだろう。ここでは、それに加えて、以前設置していた家の都合もあって、新たにこちらが場所を提供することになったようだ。「ポストマップ」サイトには2020年4月に登録。

向かって左に、ポストが設置された敷地のブロック塀、右には隣の家の板塀があり、2つの塀に挟まれてぴたっと収まっている。14号は扉が前面にあるので、この設置ができる。
脚が埋めこまれた土台は新しいが、道路より1段高い。それなのにポストの脚は短縮されず通常のようなので、投函口が標準よりは高くなっているはず。

この状況を見れば、設置場所を提供したお宅のブロック塀の右端を、ポストの幅分だけ撤去したと思うでしょう。
Googleストリートビューを見ると、
2015年8月
そうではなく、以前から同じ幅だけすき間があった! 勝手口みたいなのだろうか。
なお、さかのぼった限り、塀は変わっていないが、この土地には2012年10月には民家が建っていて、2015年8月までに家がなくなって、今のお庭に変わっていた。

以前のポストも絶妙な置き方だったけど、新しいほうもなかなか。
郵便局の人が、たまたまこのすき間を発見して「こここそポストを設置する場所だ!」となったのか、それとも前のポストの家の人などに「どこかにポストを設置できる場所はないでしょうか?」と当たって紹介されたのか。どちらにしても、(側面扉でない)小さなポストを設置するためにあったような、運命的なすき間だ。



もう1つは、その丁字路。
背後が才八橋。駅から来たバスは、ここを左折していた
上写真右のカーブミラーに注目。
緑色赤枠の矢形の看板がくくりつけられている
文字はほぼ消えているが、「秋田中央」とか見覚えのある車輪の社章…

そう。路線バスが走っていた当時、運行中に道を間違えないように案内する看板だ。
秋田では、市営バス時代から、本数が少なかったり、道がこみ入った箇所に、このような看板が見られた。
中央交通移管後に、中央交通仕様のものに交換されたようだが、同様の泉山王環状線では違う形状のものが設置されていた。
(再掲)泉山王環状線にあった矢印

緑の看板を見ると、「秋田中央交通」のほかにも、文字の痕跡がある。

縦書きで、手書きっぽい角ゴシック体で「中央交←秋田←手形山←大学病」と読める。
裏側は、

やはり文字が薄れ、下に痕跡があり、表面とは逆向き。「中央交」は見当たらず、最初が「秋田駅(駅の字も確認できる)」、最後が「大学病」。
板を固定する針金がサビて、カーブミラーの支柱にサビを移してしまっている

元は別の表示板だったことになり、下が途切れているから、もともとはもっと縦に長い板だったのを、転用時に切断している。
元の板が手形山経由大学病院線の経路を、裏表で往復で示しているらしいが、どの場面で使われていたが、想像できない。
「中央交(通)」があるから、市営バス時代ではなさそうだが、単に「中央交通」とは? 昔なら、長崎屋バスターミナルの場所を指していた可能性があるが、移管後は「大川反車庫」が一般的だろう。
手形山団地線は、移管前は市営バスの独壇場で、中央交通は入らなかったエリアのはずだし…【下の追記に正解が】

時代はともかく、設置場所も思いつかない。
裏表で往復だから、弘南バスのように車体側面などに掛ける「サボ(サイドボード)」のようにも見えるが、秋田で使われたことはあっただろうか。
謎の板。
【13日追記】コメントをいただき解決。「手形山」は「手形山崎」ではないかとのこと。それならば、以前から中央交通が運行している、三吉神社入口経由(かつては谷内佐渡も通っていた、今の赤沼線、太平線など)の経路と一致する。また、1980年より前の車両では、側面は幕でなくサボを使っていた(設置枠があった。後に方向幕を追加設置)とのこと。
「手形山」を「手形山団地」と決めつけてしまったことで、辻褄が合わなくなっていたのだった!
つまり、昔の中央交通で、車体側面の表示板として使っていた板が、数十年ストックされて転用されたことになる。(以上追記)


路線は2018年9月で廃止され、撤去を忘れられ、2年経っても放置。立つ鳥跡を濁さず、撤退する路線跡を濁さずではないでしょうか。
コメント (6)
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羽後交通バス停の書体

2020-10-07 00:07:29 | 文字・書体
ダルマ型バス停の表示板の、バス停名を記した書体・フォントについて、これまで秋田市交通局(秋田市営バス)と秋田中央交通のものを特定してきた。
※昔の手書き時代は、手書きだから除く。またローマ字は割愛。
市営バス時代は写研「ナール」。
中央交通移管直後はニィス「JTCウインR」、近年はフォントワークス「スーラ」。秋北バスでも、少なくとも近年はスーラの表示板が多いようだ。

残すは羽後交通。
昔は手書きか活字か分からないが、味のある隷書体だった。21世紀に入った頃からだろうか、活字と思われる楷書系の毛筆書体に変わっていた。
羽後交通のバス停は、文字を縦方向に圧縮したものが多いこと、毛筆書体は各社各種いろいろ発売されていること、秋田市内では羽後交通のバス停が少なく、かつ特定しやすいひらがなバス停が少ないこと、あとは個人的に毛筆体にあまり興味がなかったこともあって、なかなか特定できないでいた。


前提として、市営バスや中央交通などでは、文字の形を切り抜いてシール貼りする、カッティングシール文字なのに対し、羽後交通の現行は表示板全面を(地と文字をいっしょに)印刷しているようだ。
それと、隷書でなくなった21世紀以降でも、時期によって異なる複数のフォントが使われている。秋田市内と由利本荘市本荘地区のバス停では3種類を確認。どれも微妙に似ていて、微妙に異なる。このことも特定を難しくさせた。以下3種類。
1.いちばん古いタイプ
おそらく隷書から変わった直後のもので、ローマ字なし。
(再掲)新屋駅入口

(再掲)新屋支所前

(再掲)美術工芸短大入口

(再掲)むつみ町
ローマ字がないせいもあるが、黒々と力強く、肉太で存在感がある。
分類としては「楷書」なのだろうが、偏の縦棒がはねていたり、「新」の左下が「木」でなく「ホ」であったりと、若干崩しているというか手書きっぽい雰囲気も漂わせている。「むつみ町」の「む」はかなり個性的。

秋田市内にはそこそこ残っているが、羽後交通本拠地の内陸南部各地や本荘の特に市街地では、交換されたのか少なそう。


2.英字なし末期~英字入り初期タイプ
秋田市では新屋支所前が日吉神社前に改称された、2009年秋に初確認。
(再掲)日吉神社前
秋田市内での設置は少ない。

秋田市外では英字なしバージョンも存在した。
由利本荘市、本荘市街地から国道105号を走ってきて、羽後岩谷駅方向へ右折してすぐにあるバス停、
「大谷」上下兼用のポールらしい
↑背景が銀色なのは劣化なのか、裏面は普通に白地で同じ内容だった。
「~方面行」の中に、廃止された路線もあり、隠していたテープが取れてしまっている。2013年に閉館した「天下の名湯」のうたい文句の「滝温泉」行きの路線もあった。市による道の駅発着のコミュニティーバスで存続していて、「(旧)滝温泉」として今も行くことはできるらしい(大谷は通らない)。

前の書体と比べると、カキッとしている。線は太めだが抑揚がなく、いかにも活字の楷書体。他の場面でもよく見かける気がする。
書体とは関係ないが、この世代(の一部?)は印刷の耐久性(耐候性)が低いようで、短期間で色あせする場合があった。


3.現行タイプ
2013年開学の美術大学前で、この書体を初確認。バス停名称だけでなく、行き先(○○方面行)も英字入り。
山王三丁目がこの書体だったから、2020年秋時点で現役。
(再掲)美術大学前

(再掲)ローマ字がないけど大野口も?

秋田市内では、山王三丁目改称前の「山王十字路」本荘行き側(前回参照)や、「茨島」からいつの間にか改称(2019年12月確認)された「ハローワーク秋田前」など、散発的に交換されている。
ハローワーク秋田前

羽後交通本拠地エリアでは、だいぶ増えているようだ。由利本荘市の場合。
道の駅おおうち
余談だが、道の駅おおうちー羽後岩谷駅前-大谷-組合病院-本荘と運行する路線バスがあるが、道の駅~本荘方面を乗る時は、道の駅では乗降せず、線路を渡った反対側の羽後岩谷駅前で乗降したほうが、乗車時間が短く、運賃が安くなるのでおすすめ。

本荘駅前(=羽後本荘駅)
方面の部分を使って「降車専用」と記しており、英訳は「an arrival platform」か。

線が一直線でなく、生き生きとした感じのする文字。最初の書体に似ているが、そこまでは強くなくクセも弱いか。基本的には標準的な楷書だが、営業所の「業」の下の「木」が「ホ」になっている。
以上の3種。


結果。
1.「織田特太楷書」もしくは「楷書体マール」【追記参照】
これの同定が難しかった。2書体の作者は同じ人だそうで酷似していて、資料が少なく、ともに現在入手困難な書体なので、どちらかは不明。
【2021年1月3日追記】詳しい方からコメントをいただいた。「楷書体マールを元に細部を整理・アレンジしたもの」ではないかとのこと。

織田特太楷書は、写研製品。ということで、写真植字機専用でパソコン版は出ていない。
楷書体マールは、キヤノンが発売していたパソコン用フォント。
「Canon FontGallery」という、日本語85書体などセットで1万5千円弱の製品を売っていたそうだ。楷書体マールのほか、イワタ教科書体(国語の教科書の光村教科書体とほぼ同一?。今はこれ単品で8千円)やサザエさんのキャスト・スタッフ表示や次回予告に2013年まで使われていた「キヤノンCaゴシック体」なども含まれていたから、かなりお買い得。
2007年初めにキヤノンがフォントから撤退したため、自社開発だったのかライセンスの関係か、いくつかのフォントは、どこからも発売されなくなってしまった。パソコンフォントでも、消滅してしまうケースもあるのだ。
【2021年1月3日追記】ところが、2020年12月に、楷書体マールがインターネットでダウンロード販売されるようになったとのコメントをいただいた。マールというのは出版社の社名だったそうで、同社から直接販売。単体で1万2千円。キヤノン時代よりはだいぶ高くなる(フォントとしては妥当だが)が、発売再開・復活である。

しかし、楷書体マールは今もたまに目にする。
テレビのバラエティー番組の字幕として。
「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」や「ナニコレ珍百景」が好むようだ。太いし、独特の迫力があって、バラエティーに向いているかも。

サザエさんでも7年前まで使われていたわけだし、テレビ局のテロップ用パソコンには、大切にインストールされ続けているのだろうか。
【2021年1月3日追記】発売再開されたので、今後は使用頻度・分野が増えるかもしれない。羽後交通でも再起用されるかも?!


2.「DF超極太楷書体」(方面表示は「DF太楷書体」)
ダイナコムウェア製フォント。
台湾のメーカーであるせいか、日本語書体としては言わせてもらえば玉石混交で、イマイチなフォント(文字単体の形、文章にした時のそろい具合など)もあるが、楷書系は悪くないと思う。印刷物やテレビでもよく使われている。
他メーカーの楷書体は、どれもどこかクセがあるのに対し、機械的ではあるが素直な文字だからだと思う。
DF○○楷書体のバリエーションはとても多く、バス停名と行き先(○○方面行)では違う書体で、上記2書体(単なるウエイト違いではなく、線どうしが付く/離れるといった違いがある)だと思う。


3.「白舟(はくしゅう)極太楷書」
毛筆体に興味が薄いこともあって、聞いたこともなかった。現役のパソコン用フォント。
メーカーは兵庫県の「株式会社白舟書体」。元々印章店で、社内用として作っていた毛筆系フォントを、市販するようになったとか。
ハンコ屋さんだけに、異体字の外字対応はしっかりしているようだ。4ウエイトセットながら、8万円とけっこうなお値段。その一方、各書体の教育漢字限定版は、フリーでダウンロードできる(ので利用させてもらいました)。

なお、テレビ番組では、2020年春から始まった、BSテレ東「BS演歌の花道」で、曲名表示に使われていた。

今も使えるはずのDF書体をなぜやめたのか分からないし、その後継はシブい選択をしたもんだ。
伝統なのかこだわりなのか、羽後交通のバス停といえば毛筆体。昔の隷書体が懐かしく、再び見てみたい気がする。当分は白舟極太楷書で行くのだろうか。

【8日追記】羽後交通では、2018年頃にバス停のミニチュア「羽後交通ミニバス停」を3千円で発売していた(現在は不明)。
時刻表枠に名刺サイズの紙を入れることができるほか、表示板のバス停名と方面部分に好きな文字を入れることが可能。「羽後交通」は変えられないようだ。
台座や支柱(1本)の形状は実際と異なるが、表示板は比較的忠実で、羽後交通ロゴも同じ。でも、バス停名と方面は明朝体になってしまうようだ。
コメント (5)
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