広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

“告ぐ”

2020-07-15 20:20:48 | 秋田のいろいろ
秋田市内の街角で、時々こんなものを見かける。

30センチ×24.5センチほどの白い板に、縦書きで「“告ぐ”/この集積所から/   の    /を堅く   」「秋田市/秋田警察署/秋田臨港警察署」。

穴埋め問題みたいになっていて、意味不明なのは、とりあえず置いておいて。
書体は前回扱ったばかりの写研「石井太丸ゴシック体」。末尾の小さい3者連名は「~細丸~」?
市内のとあるゴミ集積場。ここは側面にある
文中に「集積所」とある通り、これが見られるのは、秋田市内各所のごみ集積所=ごみ置き場(※)。
※全国的には「ゴミステーション」と呼称する土地もある。秋田市では一般的ではないと思うが、秋田市役所ホームページでは「ごみの収集・集積所(ごみステーション)」と表記。まあ、通じないことはないでしょうね。

現在の秋田市には、秋田中央、秋田臨港、秋田東の3警察署がある。この表示板のような秋田と秋田臨港の2署体制だったのは2005年まで。
つまり、古い表示板で、その一部が色あせて残っているのがこれ。

確認できる限りで現存するものは、どれも穴埋め問題状態。
2013年に、当時としても珍しく穴埋めになっていない表示板を発見し、撮影していた。
薄れかけてはいるが、完全版
「“告ぐ”/この集積所から/ビン類のもち去り/を堅く禁ずる」

やはり赤印字は太陽光には弱いというか、黒こそ強いというか。県立明徳館高等学校駐車場の不思議な赤文字掲示がこうなったら、もっと謎になる。

つまりこの表示は、秋田市が回収して資源化するために、市民が出した空き瓶を、換金目当ての第三者が持っていくなという、警告。
この表示板のことは2013年の記事やコメント欄で、触れている。
秋田市(当時は雄和河辺合併前)では、1980年5月に一部地域で空き瓶の回収、1981年5月から全域で空き瓶と空き缶の回収を始めている。当初は「資源ごみ」の呼称で、瓶は若草色、缶はレンガ色のプラスチック容器(前日までに集積所に置かれる)に入れる方式。
1999年4月からは缶は箱でなく、ごみ袋で出す方式に変更。ほかにも、古紙や缶以外の金属なども回収するようになり、呼称が「資源化物」に変わるなど変遷があるが、空き瓶は今も若草色の箱で回収している。
(再掲)やけに大量に置かれた瓶回収箱

表示板がいつ作られたか。回収開始直後1980年代始めではなく、少し経ってからだと記憶していた。小学校中学年くらい=1980年代中頃辺り。
当時の僕の家は、集積所の真ん前だったから、ある日突然、これが出現したのを覚えている。堅苦しくて厳しい表現にビビったのと、「告ぐ」を「こくぐ」と読んでしまったり、どうして「“告ぐ”」と変なチョンチョン(ダブルクォーテーション)で囲っているのか不思議だったり、「堅く」が読めなかったりした。

今回、秋田県立図書館のサイトで、秋田魁新報の見出しを「集積所」で検索すると、1986(昭和61)年1月31日付夕刊に「持ち去らないで/回収箱に警告を掲示/「福祉妨害」と怒り」があった。これだ。
となると3年生の終わり頃。当時は「告」は4年生で習う漢字だったようだけど(2020年指導要領からは5年生に変更)。


大人になって見ても「“告ぐ”」はちょっとヘン。チョンチョンの意味が不明だし、ごみ置き場に「告ぐ」とあれば、ごみを出す善良な秋田市民が警告されているようにも感じてしまう。江戸時代の高札場の御触書のような威圧感かも。※実際の御触書は「定」というタイトルが多かったようだ。
現在、あるいは我々世代の感覚では、上から目線で過剰に厳しい言い回しだと思うが、昭和61年当時でも、広く一般人の目に触れる場所の掲示としては、時代遅れの内容だったのではないか。当時の秋田市職員には戦前生まれの人もいたわけで、そんな感覚が入った文面の気がする。あと、この用例の「堅く」は、普通は「固く」だ(固辞、断固のように)。「持ち去り」でなく「もち去り」としたのも独特。

それと、1986年当時でも、缶飲料は多かった(ペットボトルが少なかったので、今以上に多かったはず)のに、「缶のもち去りを禁ずる」は作らなかったのか。
また、1986年といえば、ナールが道路標識の標準書体に採用された時期。「告ぐ」にはナールではふさわしくないと判断したのか、まだナールには及び腰だったのか、石井太丸ゴシック体を採用したのだろうが、文面に比べて柔らかすぎる。角ゴシック体で良かったかも。


現在、この表示板は写真のように、ごみ集積所の構造物そのものの壁など、もしくは周りにある柱などに取り付けられている。固定されている。
しかし、当初は、緑色の箱側に取り付けられていた。上の魁の見出しが「回収箱に警告を掲示」なのがそれを示している。すべての集積所に箱とともにやって来て、箱・瓶とともに去るのを繰り返していた。
当時は瓶飲料が今より多く使われていたから、各集積所に箱が複数個置かれるのが普通だったが、おそらく各集積所につき1つの箱にだけ付けられていた。
昔のごみ集積所は、場所だけで、覆いなどない所も多かったから、その方式にするしかなかったのかもしれない。

その後、何らかのタイミング(警察署再編の2005年よりは前??)で、箱への設置をやめて、余剰になった表示板を各集積所に配ったのではないだろうか。新興住宅地のごみ置き場にあるかどうかを調べれば、ある程度時期が特定できるかも。
また、旧・雄和町、河辺町の合併も2005年。合併以前から、両町のごみ処理は秋田市が引き受けていたかと思うが、資源ごみはどうだったのだろう。この表示板の雄和町・河辺町版もあったりするかも??


近年、秋田市ではごみ集積所(の箱や覆い)を交換・新規設置する町内会に補助をしており、特に折りたたみ式のもの(秋田市内のメーカー製)を設置する町内が多い。
上から2枚目の写真のような折りたたみでない集積所なら、更新前の集積所から表示板を引き継いで設置する例もたまにあるが、折りたたみ式では(構造上固定できないので)困難。
2013年に見た赤文字が残る表示板があった集積所は、こういうもの↓
2013年撮影
木製で立派なものだったが、場所を取るためか、現在は折りたたみ式に交換されてしまい、表示板は見当たらない。


集積所リニューアルの際、町内の集積所を整理統合することもある。設置場所の問題、清掃当番の周期、高齢化・人口減など理由はいろいろありそう。
とある町内では、捨てるのも忍びないのか、
2枚重ねて置かれていた。手前の表示板は割れている
その手前の表示板をちょっと失礼して、
初公開! “告ぐ”の裏側!!
金属の外枠があって、上辺に飛び出した細い棒(表からも見える)、さらに見えない位置にも細い縦棒が2本。
なるほど。これら細い棒は、緑の箱に取り付けていた当時の名残だ。
縦の2本の棒で箱の縁に引っ掛け、その付け外しの時に指を引っ掛けるのが上の棒だと思われる。
そう言えば、表示板面はプラスチックの割には、上のひび割れぐらいで、金属枠から脱落したり、欠損したりしたものは見たことがないので、耐久性は悪くなさそうだ。


設置当時は、持ち去っても“窃盗罪になる場合がある”程度で、明確に禁止されていなかったらしいから、警告の掲示を出したのだろう。
秋田市では2014年に「秋田市ごみ集積所の設置および維持管理に関する要綱」を施行していて、持ち出し・持ち去りの禁止と、悪質なものは警察へ通報することを定めている。
もし、今、この手の表示を作ったら、「注意」とか「持ち去りは犯罪です」にして、ですます調で、持ち去りは禁止され通報する場合があることを明記した文面になるだろう(他都市の事例あり)。
あるいは資源化物持ち去りよりも、可燃ごみ等も含めた、分別不徹底や他町内住民が捨てていくことのほうが問題で、その注意のほうが必要とされるかもしれない。※2枚目写真の集積所では、正面にその旨の掲示が付いている。

文字が薄れ、警察署名も違ってしまい、そして瓶飲料も激減し、おそらく瓶を盗もうとする者も減った今、この表示板も消えていく運命。

秋田市のごみ集積所に関する記事は続く
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうなる? アーバン原の町

2020-07-07 00:30:40 | 秋田のいろいろ
竹半スポーツの店舗と事務所が、閉店した文具店「のてや」跡に移転して、7月1日オープン。
オープン数日後
壁面のオブジェはそのまま残り、建物本体や自立式の看板は設置なし。のてや時代のままの固定ガラス窓に、「TAKE HAN」と表示されたが、上の写真では開店記念の生花が並んでいて隠れてしまっている。
花がないとしても、その前が駐車場だから、車での来店客がいたら隠れてしまう。
前の菊谷小路を徒歩でも車でも通る人からは、何も見えないわけで、もうちょっと看板が必要ではないでしょうか… 実際、車で来たものの、通り過ぎて方向転換して入ったお客さんがいたようだ。

上の写真で前に出ている花3つのうち、2つはスポーツ関連の企業から贈られたものだったが、あと1つは「株式会社のてや」から。のてやさんは、企業としては存続しているということだろうか。

さて、竹半の事務所は、この近くのマンションの3階の一室に入っていた。
路線バス 神田線・添川線の走行ルートでもある県道233号は、菊谷小路を北進すると、千秋トンネル通り~保戸野学園通りと交わり、そこを西へ左折、かつてはボトルネック区間だった保戸野郵便局を過ぎ、すぐに右折して北進・保戸野原の町通りを進む。
この原の町通りへ入っていく、Y字路交差点の角に、そのマンションがあった。4階建てで1階が駐車場のようだ。
2014年12月撮影。竹半はこの翌月に移転して来る。交差点の信号機は交換直後
千秋トンネル・鷹匠橋方向から来ると、正面にこの建物が立ちはだかるように見えていた。車の信号待ち中も正面。そのためか、広告看板が設置されていた。
建物は原の町通り側に長く続く一方、このすぐ裏側は、秋田大学教育文化学部附属学校の敷地(正門)なので、厚さはそれほどでもない。近くで落ち着いて見れば、細長い建物という感じ。
現在
コーンが置かれ、看板も、その後ろにあった植木も撤去されてしまった。
看板の後ろは、3階まで届く細長い木が目立っていたが、ハクモクレン。控えめながら白い花が春を告げていた。
ただ、現時点でも駐車場に車は入っているようだし、人も住んでいる気配も。
改修工事でここまでやるのか、やはり解体なのか…
いずれ、竹半が出ていったのも【7日補足・というか、店舗と事務所が再統合することになったきっかけが】、これが理由の1つかもしれない。
裏・附属学校側から
一部には足場がかかっている。こちら・西面が外廊下で、部屋は東向きだったことになる。

附属学校の門の隣に、茶色い平屋の箱状の建物があるが、それがこのマンションの玄関。そこに箱文字で書かれたマンション名は、
「アーバン原の町」
細めの明朝体というか、宋朝体っぽい雰囲気もする。建物全体も合わせて、昭和50年代っぽい感じもする。

ところが、アーバン原の町ができたのは、1985~1986(昭和60~61)年頃だったはず。
保戸野原の町通りが開通したのが、1985年春だったはずで、その後に新しいマンションができて、初めて「アーバン」という言葉を知った思い出がある。
ちょうどその頃、「アーバンライフ」などの言葉が使われ始めたのではないだろうか。JR高崎線の快速「アーバン」は1989年運行開始。
原の町でのアーバンライフはどうなる?

【7日追記】壁面の管理会社名と空室状況を知らせる小さな看板は残っていて、「只今 満室」となっている(入居者募集していないという意味かもしれない)。
写真の通り玄関の文字は小さいので、ここがこういう名前であること自体、保戸野地区でも少し離れた住民は知らないようで、例えば「アーバン原の町の交差点」と言っても、ほぼ通じないと思う。ただ個人的には、上記の通り新築時を知り、アーバンという言葉を知った建物として、忘れがたい存在。

【8月7日追記】その後、8月初め時点では、植え込み跡は平らにされて舗装され、駐車スペースの一部のようになっている。西面の工事は終わり、覆いの跡にはきれいにされた非常階段があった。
ということで、アーバン原の町そのものは、存続するようだ。殺風景でつまらない集合住宅になってしまった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河辺給食センターは今

2020-07-05 00:21:53 | 秋田のいろいろ
古い写真と話ですが、2018年4月、平日の11時前、秋田市中央部でこんなトラックを見かけ、珍しいと思って撮影していた。
中型トラックサイズのパネルバンってやつか。
箱は銀色で、太い楷書で黒々と書かれた文字に目を奪われた。「秋田市立河辺学校給食センター」。隅に小さく「NO.2」。
秋田市内で「新潟運輸」と書かれたトラックをたまに目にするが、文字の雰囲気はちょっと似ている(無関係ですが)。

通り過ぎるのを見送った数分後、この近くにある市立小学校につながる小路から出てきて、どこかへ向かって行ったところまで確認。その前も、その後も、ほかの場所でも、このトラックを見る機会はない。
車体の文字と曜日・時間を踏まえると、学校給食に関わる何かを運んできた可能性が高そう。でも、この車がここでそれをするというのも、かなり引っかかった。ここは「河辺学校給食センター」の管轄外のはずだから。

以前も取り上げたように、平成の合併以前からの秋田市エリアにある市立小中学校の給食は、各校でそれぞれ調理する「自校調理」か、近隣の数校分をその中の1校でまとめて調理して配送する「(狭義の)給食共同調理場」方式。たくさんの学校分をまとめて、学校から独立した施設で調理する「給食センター(広義では共同調理場に含む)」方式は行われていなかった。
一方、2005年に秋田市と合併した、旧雄和町・河辺町では、それぞれが給食センターを持っていた。合併後は、秋田市立の2つの給食センターになり、引き続き、それぞれの地域内分を調理しているものと思っていた。

トラックの車体には、「秋田市立」が取ってつけたように上にあって、「河辺」の前に3文字分の余白がある。
河辺町時代の表記を、合併時に書き換えたのだと思われるが、それにしては元の字と追加分の筆跡がそっくり。フォントではないだろうから、同じ人が揮毫したのか。
ただ、消した部分に「市」と書かれていたような感じもする。ひょっとしたら「市立」ではなく、合併直後に「秋田市河辺~」という名称だった時代があったのかもしれない。

トラックが出入りしていた小学校は、自校調理のはず。仮に河辺で調理したものを運ぶにしては、けっこうな輸送距離になる。条例の定めがないとできなさそうな気もするし。
憶測だけど、下ごしらえを給食センターで行ったとか、一括で納品された食材を各調理校へ輸送する業務も行っているとか、そんなところかも。いつもやっているのか、この時だけ突発的だったのかも分からない。
と思ったのが2年前。


今回、Googleストリートビューで、河辺学校給食センターを見てみた。和田駅や旧町役場である河辺市民サービスセンターなどの近く、河辺の中心部にある。
2012年10月撮影ストリートビュー
上の画像では、今まさにトラックが出発しようとしている。そのトラックには「NO.2」とあり、冒頭の写真と同一車両だ。古めのトヨタ製であることが分かり、5代目「ダイナ」か5代目「トヨエース」、ライトやドアガラスから1987~1995年の中~後期型のようだ。
奥の車庫内にもう1台トラックが写っているが、別車種で箱は白っぽい車。これがNO.1?

同じ場所の2018年7月のストリートビューでは、
更地になっている!!

河辺学校給食センターがなくなった?!
調べると、河辺のセンターは2017年3月で廃止され、雄和学校給食センターへ統合されていた。早々に解体されていたのだった。

広大な秋田市の中では、雄和と河辺は隣接していて遠くはない。しかも、児童生徒数の減少が著しく、学校の統廃合が進んでいた。
雄和地区では、2016年度に小学校を1校に集約し、既に集約されていた雄和中学校と同一敷地内に校舎を建設。つまり、雄和学校給食センターは、実質的に1つの学校分の給食しか作っていなかった。


「平成27(2015)年度 教育要覧(秋田市教育委員会)」によれば、
河辺学校給食センターは、敷地面積1862平方メートル、建物は調理室169平方メートル、事務室他239平方メートルで、3小学校・2中学校分600食を調理。
雄和学校給食センターは、1529、183、289平方メートルで4小1中分400食。

両給食センターはどちらも昭和44(1969)年設立らしい。※雄和は1969年当時はまだ雄和村。
そして、雄和は2001年に建て替えられたようで、ストリートビューで見ると建物は新しい。トラックもいくぶん新しく、車体の文字は似ているが、「秋田市立」も一行に収まり、活字の楷書体。

建物は河辺が老朽化し、雄和はまだ新しいこともあって、雄和を存続させたのか。
「秋田市立学校給食共同調理場等管理運営規則」では、秋田市立雄和学校給食センターの対象校は「雄和小学校および雄和中学校ならびに岩見三内小学校、河辺小学校、戸島小学校、岩見三内中学校および河辺中学校」。
河辺のトラックは、2年前見かけた時点で既にその所属先を失って丸1年、車齢も20年を越えているはず。1年以上書き直さずに使い続けていたのがすごいけど、所属はどこなのだろう。雄和以外に秋田市に給食センターはないから、雄和? 今はどうなっているだろう。


秋田市内の給食共同調理場方式をとる学校間での輸送は、民間業者に委託しているはず。今は知らないけど、昔は日本通運などが受託し、これと同じようなトラックで運んでいた。

フジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」の「はたらくくるま(関連記事)」(詞 伊藤アキラ、曲 越部信義)では、第2作2番の3つ目に「おひるのおべんとう きゅうしょくうんぱんしゃ」が出ている。
映像では、今回のものより小さい、ダイハツのトラックが写る。白い箱には「祝一給食センター」。江戸川区に本社がある「株式会社祝一(しゅくいち)」で、今は宅配弁当、社員食堂(中央官庁や大手企業も)、学校給食、高齢者施設食堂運営をやっている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のてや跡に竹半 他

2020-06-24 00:00:48 | 秋田のいろいろ
秋田市中央地区から3題。

昨2019年7月で、菊谷小路の保戸野小学校入口にある文具店「のてや」が閉店した
閉店後も2020年3月まで学校向けなど外商はやっていたようで、今春から空いたことになる。
4月下旬
営業当時と同じ姿で残っていた店の外観が、足場で覆われた。
5月上旬
壁の「のてや」が取り外された。
そして、
6月中旬
「のてや」がなくなった以外は、雰囲気としてはさほど変わっていない。2階に黒いラインが2本入り、銀色の凹凸のある壁になった。
玄関上の分度器と三角定規を組み合わせたみたいな、とさかみたいなものは、残された。上の写真では、その右側に「NOTEYA」の文字が残っているが、さっき見たらなくなっていた。

ここに「竹半(たけはん)スポーツ」が入るという。
公式ホームページに、事務所と店舗を7月1日から移転する旨が掲載されている。現在の店舗は6月8日から休業中。

当ブログで伝えてきたように、竹半は近年、秋田市中央部でウロウロしている印象。
1949年の創業から長く通町にあり、1997年(?)にすぐそばのサンパティオへ移転。
2015年1月に通町を離れ、店舗を仲小路の「くらたビル」へ、事務所を保戸野原の町のマンション「アーバン原の町306号室」へそれぞれ移転した。
2018年5月には、仲小路の店舗を閉店。8月に近くのアトリオンの地下へ移転していた。
そして、2020年7月に、再び店舗移転、かつ事務所と再び一体化する。
のてや跡は、通町時代の店の場所からも、現事務所からも徒歩圏内。やはり駅前方面よりも、保戸野側のほうが良かったのか。一元化したほうがやりやすそうだし、家賃(?)などコスト面、駐車場もあるから店としてもいいのでしょう。

【7月2日追記】予定通りオープン。祝いの花がたくさん贈られて飾られたが、その中に「株式会社のてや」からの花があった。店はやめても企業はまだ存続しているのか。アーバン原の町のその後などと合わせて、この記事にて



竿燈大通りの大町西交差点(という名があったのだけど、今や死語?)の南西角。
空き地ができた
ここに何があったでしょう?

(再掲)2013年。建物がメインの写真ではないですが、向かい右側
横手市のバス会社系列の旅行会社「羽後交通観光 秋田営業所」があった。
2019年6月3日から、川尻の国道13号沿い、羽後交通本体の秋田営業所と同じ場所に移転して、空き家になっていた。古そうな建物だったが、更地を見るととても小さかったようだ。
地下横断歩道の階段もあって、車では出入りしづらい場所。どうなるか。




八橋のエフエム秋田本社壁面の社名が、部分的に消えて(はげ落ちて)「フエ秋田」になっていたのをアップしたのは、2015年のこと
以降、通るたびに気になっていたが、さらに消えるわけでもなく、直すわけでもなかった。今年5月29日までは。
現在は、
足場が組まれた!
ついに「エフエム秋田」復活か?※続きはこちら
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第一会館本館に入居

2020-06-23 00:00:09 | 秋田のいろいろ
記事にしそびれていたのですが、秋田市にある「第一会館」が昨2019年9月に事業停止・倒産した。※看板では「第」は「才」みたいな異体字を用いていた。
1970年2月設立の企業だそうで、歓楽街・川反(かわばた)にある2つのビルで飲食や宴会場を運営。
2つは「本館」と「川反店」という名称で、どちらも大町五丁目の道路1本違いのところにある、白いビルだったので、慣れない人には紛らわしかった。

まず川反店は、五丁目1番地・狭い本当の川反の通りに面し、旭川に背を向けた7階建て。フロアごとに内容が異なり、座敷の宴会場や個室のほか、個人で予約なし来られる居酒屋もあった。秋田民謡の浅野梅若一門による「出前民謡」サービスもあった。
第一会館川反店
西面は上階が面取りされていて、正面からは4階建てに見える。
看板は営業停止時のまま
1階に店舗はない。閉店時では2階が「ステーキハウス『牛(ぎゅう)ぐる』」だったが、以前(2012年10月~2015年8月の間に変更)は「カラオケ歌って和洋食」となっていて、バーだった。写真にあるきりたんぽ鍋は3階かな。

その1本西、バスも通る大町通り(赤れんが館通り)。移転した大町交番の斜め向かい、五丁目4番地(五丁目は四丁目以前とは番地がズレる)にあるのが、
第一会館本館 ※本店ではなく本館
5階建て。駐車場もあって、「第一会館駐車場」として、24時間営業・60分100円、最大800円で、誰でも駐められた。
ここは本社機能と、宴会、会議、結婚式などを行うバンケットホール。2階「欅の間」、3階梅、桜、藤、菊、蘭、萩の間、4階松、竹の間。松と竹をつなげれば300名(立食で400名)収容可能。

こちらは事業停止後、中のものが運び出されたり、何かの工事が入ったり、多少の動きがあったものの、外観はほぼ変わらず。「第一会館本館」の看板も、駐車場に自立していたものはなくなったが、電柱のものは残っている。
時間貸し駐車場は廃業(アサヒ自販機も撤去)したが、近くの店の駐車場である旨の看板があり、活用されていた。

先日、本館の前を通ると、深い(長い)ひさしの奥、かつてはアーチ型に「第一会館」と書いてあった場所に、違う文字が書かれているのに気づいた。
「東北バルブ(株)大町支店」
自動ドア上の銀色のところには「互大大町 第一ビル」。
この時は日曜だったせいか人の気配はなかった。新たな所有者が見つかり、使われるようになったようだ。

「互大」といえば「互大(ごだい)設備工業」という、工事会社があるけど、その関連? と思いつつ、後日、中通方面で偶然発見。本館から東へ900メートルほど、秋田市民市場とあきた文学資料館の間の中通六丁目。
【2021年4月21日追記】いただいたコメントによれば、この建物はもともと金融機関店舗として建てられたとのこと。
奥のビルは、左が秋田県畜産会館、右がNTT東日本

調剤薬局も入る建物で、右側には、
植木鉢と「互大設備」
下りているシャッターの上には、
「東北バルブ株式会社中通支店」!
張り紙もあって、
「6月5日より」中通支店が大町支店として移転したのだった
第一会館本館の1階に移転したとあるから、2階以上は未使用なのか。
互大設備と東北バルブの関係は不明だが、本社はどちらも秋田市添川字境内川原にあるようだし、関連は強いのだろう。
「互大大町第一ビル」という名前だから、もしかしたら、本館の2階以上に、今後ほかの互大設備関係が入居するのかもしれない。
川反の中に、宴会場を改装して企業が入るのは、街としても企業としてもちょっとやりづらいような気もするけれど、空きビルのままよりはよしと考えればいいだろうか。
【23日追記】ビル名に「第一」を入れ、電柱の第一会館の看板を残したのは、第一会館へのオマージュなのかもしれない。でも、現状では、深いひさしの奥にしか東北バルブの名が見当たらず、移転・入居したことが分かりにくい。


なお、第一会館では、大仙市協和のロイヤルセンチュリーゴルフ倶楽部のレストランもやっていたようだが、現状は不明。
さらに、2000年代初め頃では、「第一会館 東京銀座店」というのが、銀座五丁目の塚本不動産ビル5階にあったようだ。
さらにさらに、2010年代中頃くらいまで、川反店の隣と、中央通り市民市場入口交差点角にあった居酒屋「迎賓館」も、第一会館系列だったという話もあるが、詳細不明。

以下、第一会館関係の余談2つ。お食事中の方などは、ごめんなさい。
秋田県総合保険事業団が実施する、食品取扱者の年2回の検便は、たしか第一会館本館が受け付け場所になっていたかと思う。
あと川反店の男性用小便器の底には、いつもクラッシュアイスが入っていた。ハネや汚れのこびりつきの防止対策だと思われるが、初めて見たは時びっくりした。【23日追記・臭い対策もあるか。夜の飲食店では、他でもやっている店があるそうだ。】

【23日追記】2008年5月3日の「二〇世紀ひみつ基地」「旭川に舞う鯉のぼり(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-425.html)」によれば、当時、第一会館店頭でこいのぼりの借用を募り、それを川反店裏とその対岸の旭川にロープを張って、何匹も吊るしていた。また、その数年前から、少し上流の秋田中央警察署付近でも同様のことをやっているとしているが、第一会館との関係は触れておられない。
その後、ここ最近はやっていない(倒産のずっと以前、2010年代初めではもうやってなかったかも)が、そう言えばそんなこいのぼりがあったな。どんどん忘れていってしまう。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大川反方面も表示板更新

2020-06-10 00:22:34 | 秋田のいろいろ
先日、秋田市の山王大通り~竿燈大通り~中央通りのバス停の表示板が交換されたことを、長々と(最初の記事最後の記事)取り上げた。
その際、山王大通り西端「臨海十字路」バス停よりも、さらに先にも、交換対象となり得るバス停が続くことを、すっかり忘れていた。臨海十字路より先、臨海大橋手前を南へ左折して、秋田営業所(大川反車庫)へ向かう路線上の3停留所。
コメントで存在を思い出し、現地を確認すると、それらも交換されていた!
「大川反」

「船木鉄工所前」

「たけや製パン前」※県庁経由側のみ。長崎屋経由側は後ほど。
大川反上下と船木鉄工所前下りは、以前は支柱が錆びていたのがきれいになっているので、いっしょに交換されたようだ(台座は不明)。

交換直前は、3停留所・上下とも、四角い“共用タイプ”表示板であった。「船木鉄工所前」を2018年2月に撮影していた。
上り

下り
上下とも、北を向いていた面は普通だったが、南面は黄色の色あせが激しかった。下り側は板が曲がっていた。
共用タイプ表示板ではあるが、バス停名部分の雰囲気が、市営バス時代の本物の共用タイプとは違う。そもそもフォントがナールでなくスーラだし、文字が小さめで余白(余黄)が広い。ローマ字は「HU」「ZYO」など独特。
交換前の臨海十字路も、文字の大きさはやや違うがスーラで「ZYUUZIRO」表記と共通点が多いことから、移管後に中央交通が設置した可能性が高い。

また、「大川反」も上下とも船木鉄工所前と同じ見た目だったが、詳細は確認できずに交換されてしまった。
Googleストリートビューでさかのぼると、大川反は2012年11月時点で既に以前の表示板。船木鉄工所前は2015年8月までしか分からなかったが、その時点で以前のものだった。

実は、船木鉄工所前は上下とも、下に以前使われていたバス停名のカットシール文字が透けていた。事業者名部分には「市営バス」も透けていて、“真正共用タイプ”を転用していたことになる。
下り側を画像加工
画像では分かりにくいと思いますが。
上り側を画像加工
下りは「御所野ジャスコ前」、上りは「シルバーエリア入口」と判読できた。

「御所野ジャスコ前」とは、今の「イオン御所野店前」。秋田東営業所入口、ニューシティ前、サティ前、新都市交通広場など2011年4月にいくつか同時に名称変更されたバス停の1つ。
「シルバーエリア入口」は、御所野のイオンのそばだが、今も同名。Googleストリートビューで確認すると、2017年7月時点ではまだ共用タイプで、2018年7月には円形に交換済み。

したがって、少なくともシルバーエリア入口は、直近ではなくその1つ前の別の共用表示板だったようだ。市営バスの御所野方面撤退時に交換されたのだろうか。
なお、中央シルバーエリアは1997年に開設されたので、どんなに古くても製作はそれ以降。


「たけや製パン前」は、また違う。
上り側は、直近はパソコン印字の角ゴシック体で、日本語のみ表記。ストリートビューでは2015年8月でそうだった。2012年11月時点では、片面は丸ゴシック体で紙っぽいものに日本語のみ表記、もう片面は文字が消えていた。
そして下り側は、
2019年9月ストリートビューより
スーラらしきフォントでローマ字入り。
だけど、バス停名が「たけやパン前」と「製」が抜けてしまっている。
一般人にはそのように通称されるし、市営バス時代もそう言っていたので、中央交通さんだけの責任にはできないが、そこを間違っては失礼だ。

そうそう。市営バス移管前から元々の中央交通の車庫であった、大川反車庫のすぐ近くであるため、この辺は中央交通の独壇場という感覚になってしまっていたが、かつては市営バスもここを通っていた。恥ずかしながらすっかり忘れてしまっていた。
中央交通・県庁経由大川反車庫行きに対抗する意味があったのだろう【という単純な話でもなかったようだ。コメント欄参照】。市営バスでは「山王(県庁)経由たけやパン」行き/発という系統を運行していた。
再掲)市営バス時代の方向幕。「製」が抜けている
完全競合ということで、市営バスから中央交通への路線移管第一弾として、新国道経由などとともに2000年4月に中央交通へ移管された。この路線は、中央交通側の本数がとても多いので、移管というより“市営バス撤退”かな。
かつては、大川反バス停の昔の名が「クリスマス電球」だったとか、「大川経由交通局線」なんていうのもあったけれど、別のお話。

あと、本数が少ないのでこれも忘れそうだけど、たけや製パン前から車庫に入らず、勝平新橋を渡って行く、山王商業高校線、県庁経由割山線も、いずれもここを通る元市営バス路線。

県庁経由側・下りたけや製パン前。台座は古そう
県庁経由が通るバス停は、位置的には“たけや製パン横”。
先の信号を右折すれば、すぐ秋田営業所。信号を直進すると、やや右に曲がって勝平新橋。
上の写真で、右から左へ直進するバスが写っている。車庫を出て、長崎屋経由で秋田駅西口へ向かうところ。その後続はこちらへ曲がって県庁市役所前から運行する、空港リムジンバス。

信号を左折したところが、たけや製パンの正面であり、そこには長崎屋経由が停まる「たけや製パン前」バス停がある。そちらは今回は更新されなかったが、この機会に見ておこう。
長崎屋経由上り側
整備帰りなのか「回送」幕で通過する中型バスは、中央交通の日野レインボーでは最古参の部類の603号車。男鹿営業所所属らしいが、車体には「中央交通」とも「中央トランスポート」とも書いていないようで、ただの緑のバス。
表示板の色も、細いスーラの「たけや製パン前」も鮮やかだが、社名は消えて、下にほかの文字がボコボコしている。2012年11月にはこれになっていた。
下り側も同じ
車庫行きしか通らないから、次(信号を越えればすぐ)が終点のここから乗る人はいないだろう。

また画像をいじると…
上り側
「市営バス」も表記があったようだが、その当時の下段「秋田中央交通」がやけに下にある。
そのバス停名は「フェリーターミナル前」。
以前、ポートタワーセリオン方面のバス停表示板は、配色とその区分けが他と違うことを取り上げた。
フェリーターミナル前もその1つだったが、2010年頃に、ターミナルへの路線が一時期廃止されたため、バス停が撤去されたと聞いた(現在はバス停は復活)。その時の表示板だ。

下り側
移管直後に多数設置された、JTCウインRっぽいフォントだが、珍しくローマ字がない(八橋下水道終末処理場前上りはローマ字なし)。
「下沖田面」とある。
上小阿仁村沖田面(おきたおもて)の辺りでしょう。中央交通では2008年9月まで、五城目と沖田面を結ぶ路線があった。そこからはるばる持ってきたのか。なお、終点の沖田面では秋北バスと接続していて、バス停は秋北バスのものを間借りしていたらしく、中央交通の「沖田面」は存在しなそう。
この隣、「プライウッド前」も見てみた。細スーラ日本語のみの同スタイルだが、バス停名は浮き出ていなかった。上り【10日訂正】下り側の事業者名は「秋田中央トランスポート」らしき痕跡があったので、これもどこかローカルな所からの転用なのかもしれない。

※この後の更新は、2021年の単発。また文字配置が変わった
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急事態の表示板

2020-06-07 20:38:49 | 秋田のいろいろ
新型コロナウイルス感染症が、こんな短期間で、あんなに世界に広まるのかと、改めて病気やウイルスの怖さを思い知らされている。
現代では、ウイルスの知見や検査技術が発達したからまだいいもので、それらすらない時代だったら、これ以上の感染者と恐怖を巻き起こしていたことだろう。
日本では、いずれ第二波が来るだろうけど、「緊急事態宣言」も全面解除され、地方ではとりあえず落ち着いた。これまでの緊急事態宣言の経緯は、
4月7日 7都府県で発出。5月6日まで。
4月16日 全国に拡大。5月6日まで。
5月4日 5月31日まで延長。
5月14日 39県で宣言解除。
5月21、25日 残りの7都府県で解除。

緊急事態宣言中の外出自粛などの行動は、各都道府県知事から住民へ「要請」する形だった。そのため、秋田県などでは緊急事態宣言継続中でも、たしか連休明け5月5~6日辺りで、不要不急の外出や飲食店の休業の要請は解除された。
テレビニュースは東京中心だし、県広報とは別に各テレビ局が作ったスポットCM(NHK秋田放送局を含む4局合同版もあった)の差し替えが追いつかないこともあって、連休明けでもしばらく「不要不急の外出は自粛しましょう」のままなど、今の秋田がどうなっているのか、正しく伝わらない場面もあった。

さて、県内の交通量が多い道路に面して、秋田県警察本部が設置・運用する3色LEDの情報装置(道路情報表示装置)を、過去に何度か取り上げた。
秋田中央道路地下トンネルの両側入り口手前(当ブログでは秋田市の山王大通り・県庁第二庁舎向かいのものを取り上げています)は新しめの装置だが、国道13号の猿田川橋付近のものは古くてドット数や輝度が劣る。その新旧で同じ内容を表示することもあり、その制約なのか、素人がドットを埋めて作ったのではないかと思えるヘタクソな文字が出ることもあった。

通常は、シートベルトや中央道路内の事故注意など、いくつかの定型内容を表示(時間で分けている?)するが、臨時の交通規制や交通安全週間など別内容が出ることもけっこう多い。
それでも、ほぼすべてが道路交通分野の内容で、確認した例外は「青少年の非行・被害防止月間」の告知だけであった。警察分野の告知ではあるが、関係が薄い内容を運転中の人に見せると、注意が散漫になりそうな気はする。

そんな表示板に、緊急事態宣言中、それに関係した告知が出ていた。警察とはほぼ無関係の表示は初めて見た。外出がはばかられ、写真も撮れなかったが、そうするだけの事態なのは分かる。
連休明け、延長されてまだ緊急事態宣言中には、
「秋田県からのお願い」

「緊急事態宣言 延長!」

「県外への移動を控えましょう」
「県警から」でなく「県から」のお願いということは、知事部局から頼まれて表示したのだろうか。
「お」「緊」「事態」「宣」「長!」「移」は(手作り? でない)きれいな文字のようだ。

その翌週、宣言が解除されると、
「運転免許センターからのお知らせ」

「日曜日午前中の更新受付は」

「混雑のため優良講習等に限定します」
「雑」はきれいな字。「優良講習等」はひどく(?)て、「習」の「羽」は直線のみ、「等」のたけかんむりは縦棒がない。

これは県警からのお知らせということになる。「混雑のため」だけで言及はないが、もちろん感染防止の一環。
5月17日から31日まで、日曜午前の受付回に限り、優良運転者と高齢者(講習受講済みの人)に限定して、免許更新を行ったことの告知。

5月中はずっとその表示だったというわけでもなく、5月末。
「県民の皆さまへのお願い!」

「県外との不要不急の移動を控えましょう!」

「三つの密を避けましょう!」
「民」「お」「!」「密」がきれい。
内容からすればこれも県警でなく県からのお知らせだろうか。この時点では、知事はまだ「県外との往来の自粛」を求めていたから、矛盾はない。

県外との往来自粛は5月いっぱいで終了。県警表示板は、以前と同じ定型に戻っている。
※秋田県では現時点で、5都道県との往来(真にやむを得ない場合を除く)と県をまたぐ観光は、引き続き6月18日までは避けるよう要請しています。最新の情報は県のサイト(コンテンツ番号49988)等で確認してください。

県警表示板についての次の記事



最後に、警察でなく道路管理者管轄の表示板。
国道7号、通称臨海バイバス。臨海十字路から青森方向へ進んですぐ、271キロポストの手前に設置された単色横長のLED表示板。こちらは、常にきれいな丸ゴシック体。フォント名は調べてみたが特定できず。
手前の青い距離の案内標識は中央分離帯に設置
距離表示は青森、大館、能代。なぜか距離の数字部分が上貼りされている。
通常は、電光表示のほうでも、まったく同じ3地点の距離を固定表示していて、意味がない。
しかし5月中は、距離と別の画面を交互に表示していた。
5月9日
「不要不急の外出 県をまたぐ移動は 自粛を!」

5月16日
「県をまたいだ 不要不急の移動は 自粛を!」
1週間で微妙に変わっている。前者は「県内を含めた不要不急の外出」や「必要・急ぎであっても県をまたぐ移動」をも自粛を求め、後者は「県をまたいだ不要不急の移動」だけを自粛してほしいことになろう。
でも、それだと5月9日の内容が、秋田県知事(周辺他県も同じはず)の要請よりも厳しいことを求めていることになる。連休明けの段階で、県内での不要不急外出自粛は解除されていたのだから。単に、国土交通省東北地方整備局秋田河川国道事務所の更新遅れまたは確認ミスだと思うが、まじめに受け取ってしまうとややこしいし、国の出先機関が県知事の決定事項を否定していると取られてしまうかもよ(冒頭の地元テレビ局のスポットも同じく)。
現在は距離固定表示に戻っている。

そんな状況下でも、流通業界など県を越えて行き来してくれた人たちがいたから、我々はさほどの混乱もなく生活を送ることができた。
また、県土が広い東北と言えども、隣の県へ通勤通学、買い物や通院しなければならない人もいて、肩身が狭かったことだろう。


ところで「不要不急」という言葉は、本件以前では、いつから使われていたのか。気になって調べた見たが、分からなかった。
台風や爆弾低気圧接近時に「明日は不要不急の外出は控えてください」と伝えられることがあった。それでもここ10年くらいではないだろうか。

鉄道好きとしては、もっと前から言葉は知っていた。「不要不急路線(不要不急線)」として。
第二次世界大戦中(1941年8月30日以降)に、鉄道のレールなどの資材を、重要線区用や武器に使うために、重要度の低い路線がその名目で休止や廃止されたのだ。御殿場線では複線だったのが単線にされ、今も単線の隣に、線路跡の空き地が続いている。
戦後しばらく、不要不急は死語になっていたのか?
21世紀になって(?)気象情報で「ほんとうに必要なこと以外は」のニュアンスで、誰かが使い出して広まったのだろうか。4文字で見れば意味が分かりやすくはある。
今回のウイルスは、国内外の何人かが言っていたけれど、まさに戦争。ある意味、ふさわしい言葉なのかもしれない。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レア標識・矛盾規制

2020-05-29 00:21:27 | 秋田のいろいろ
【2020年9月17日訂正・この記事で取り上げる2つの標識について、誤解がありました。2つは規制内容が異なる点もあり、同一視はできません。以下、初回アップ時のままの内容ですので、こちらの記事を併せてご覧ください。
約10年前、2010年末の記事で、「歩行者専用」の規制標識を取り上げた。
秋田ではほとんど見ない標識で、その新品に近いもので、しかも若干の矛盾がある設置方法であった。
当時は場所を明言しなかったようだが、仲小路の西端、みずほ銀行と産業会館跡地の間に設置されている。現在も状況は変わっていない。
現在の姿。若干汚れているが破損などはない
県によってはそうでないデザインのものもあるが、標準的なクネクネっとしたラインの親子のシルエット。
下には「自転車を除く」の補助標識。だったら「自転車及び歩行者専用」の標識を設置すればいいのではと思ってしまうが、これは歩行者が最優先であり、自転車は気をつけて通ってほしいという意図【29日補足・例外的に通行を認めているような意味合い】があるのだと考えられる。秋田県外ではアーケード商店街などで同様の設置例がある。

ここでおかしかったのは、これが設置されているのが道路左側で、その右側(宝くじ売り場付近)には「自転車及び歩行者専用」標識が設置されていることだった。
言っていることはほぼ同じだが、図柄が違うのは混乱を招くし、厳密には自転車以外の軽車両が通れなかったり/通れたりして矛盾している。
※道路交通法における「自転車で通れる/通れない」は、「自転車に乗って」通行することを指すので、以下それに従います。自転車を降りて押して通る場合は歩行者扱いです。

右側の「自転車及び歩行者専用」は、仲小路が昭和末に整備された時、県警が設置したもので、この逆側にも設置されている。
一方、「歩行者専用」は、見るからに新しく、ここ1か所にしか設置されていなかった。管理者を示すシールなどはなかった(今回再確認済み)。
そして、この標識は、警察も道路管理者(ここの場合秋田市)もどちらでも設置できることになっている。憶測だが、「歩行者専用」は秋田市が設置したもので、警察側と連携が取れていないのかなと考えていた。

秋田市内でここ以外で知る「歩行者専用」は、広面(と柳田)の秋田大学医学部向かいだけだった。古そうなものが複数枚あり、これは県警設置。
ただ、これは秋田県警でよく見られるのだが、一本道のこちら端とあちら端で、設置されている標識や補助標識が統一されておらず、厳密に従えば片方向は自転車で通れるのに、逆方向はダメというものだった。
【29日追記】記事にしたのにもう1か所あったのを忘れていた。八橋運動公園を抜ける市道の、歩道を自転車が通行できる旨の標識で、2012年の県警設置と思われるもの。片方向・1枚のみ。


以上を踏まえて。
高陽青柳町は、秋田市中央部、新国道と八橋の間にある住宅街。細い道路が碁盤の目のように(等間隔でなく、行き止まりもあるけど)張り巡らされている。その1つ。
「歩行者専用」発見!
この辺りの道路の中には「自転車及び歩行者専用」規制はいくつもあったはずだけど、歩行者専用はあったっけ? 見た感じ標識本体も支柱も新しそう。
ピカピカ
図柄や反射材は、仲小路と同一と思われる。
補助標識は「規制区間内住民の関係車両を除く」。補助標識のフォントは異なり「自転車を除く」は写研ナール、こちらは平成丸ゴシック体かな?
裏面。分かりづらいですが「H30」
このシールが貼ってあると警察発注の可能性が高い。2018年設置だ。
以前はどうだったか、Googleストリートビューで確認。
左が2018年7月、右が2017年4月
以前は補助標識なしの「自転車及び歩行者専用」。警察管轄で間違いないと思う(以下、それで話を進めます)。
2018年7月の画像では、民家の植木に倒れかかっているようなので、交換されたのだろう。
なお、ストリートビュー撮影車は、標識に従って道路内には進入していなかった。

標識と補助標識を厳格に守れば、以前は住民であっても車では一切通れなかったことになるし、交換後現在は住民以外は自転車で通行できないことになる。これらは常識的にあり得ない。【29日追記・旧標識時代も当初は「区間内住民を除く」の補助標識があったのに、なくなってしまった可能性がある。現在のものは、本標識の内容が変わったのにも関わらず、その補助標識は以前と同じものにしてしまったのだと考えられる。】
そして、ここは細い道路といえば細いが、近くの他の道も似たようなもんだし、特段主要な通学路とかいうわけでもないだろう(ここは学区のほぼ端)。どうして歩行者専用に変わったのか。
秋田市内では古い「自転車及び歩行者専用」の交換はほぼまったく実施されていない。久々に更新の必要が生じたのを機に、より歩行者を守るために変えたのだろうか。【29日補足・そしてその際に、補助標識の文言の見直しが不十分であったことになろう。】

この道は一方通行ではない。では、この区間の反対側の端はどうなっているか?
たどってみると、先日の秋田スズキのお隣、新国道モール(いとく)の駐車場の裏面に突き当たる。駐車場の出入り口側も微妙ながら公道の扱いらしく、小さな十字路になっている。
何もない!
ストリートビューでは、
2018年7月
今は空き地のところに「売物件」の家があり、その塀際というかその民家の敷地内に「規制区間内住民の関係車両を除く」補助標識付きの「自転車及び歩行者専用」が立っていた。
おそらく、民家の解体に合わせて撤去され、後で設置するつもりが…なのだろう(秋田県警なのか秋田中央警察署なのか、こういうのがままある)。

そして、どちら方向に進む時でも同じ規制が適用されているはずなのに、以前と現在を比べても、反対側と比べても、一致していない問題がある。
【29日補足】標識に厳密に従うと、車両の種類ごとに以前/現状では、
 自転車:両方向通行可/西進のみ可(東進は住民のみ)、規制区間内住民の車:西進のみ可/両方向通行可、よそ者の車:通行不可/西進は可能
となる。本来は、自動車は地域住民だけ通らせ、歩行者自転車に開放させたくて実施した規制[自転車:両方向可、住民の車:両方向可、よそ者車:不可]のはずだが、以前も現在も、標識の不備のせいで意味が分からなくなっている。(以上追記)
現状では、スズキ裏側から来て右折しようとする車向けには、指定方向外進行禁止の標識があってかろうじて伝わるが、いとく駐車場から直進、旧国道側から左折する車向けには、その類の標識がないので、この区間に進入してもとがめることはできない。通り放題。
これで万一事故になったら…
・新国道(いとく裏)側入口への標識設置(仮設ででも)。
・「歩行者専用」側に、自転車は通れる旨の補助標識が必要ではないか。
は提案したほうがいいと思うのだが、あえてここを選んで通る人も車も少ないと思われる道だし、明らかな危険は少なそう(むしろ近くの幼稚園前とかのほうが怖い)。僕も、もしかしたら今回初めて通ったかもしれない。本当に危ないなら、町内会が要望したり立て看板を置いたりしそうだし、よそ者がとやかく言うのもはばかられてしまう【6月2日補足・つまり、矛盾していたとしても、地元の人たちはそれが暗黙の了解で合意形成されている、みたいなことになっていたとしたら、それをよそ者が壊すことになる】。
ここ以外の各所で統一されていない補助標識の見直しを進めるべきだとも思うが、秋田県警はそのことは把握しているのか、必要性を感じているのか。

2021年になって、矛盾は解消した
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自動放送事故

2020-05-23 00:22:09 | 秋田のいろいろ
秋田放送(ABS)で「放送事故」と言って差し支えない事象が発生した。
ABSだけを責められるものではなく(後述)、実害もほぼなかったものの、ABSのホームページでのおわびを早々に引っこめてしまったのは気になる。
また、昔は起こり得ず、今は他の放送局でも起こり得る、新しいタイプの放送事故と言えるかもしれないので、記録させてもらう。

実際の放送は見なかったので、報道で知った。
複数のマスコミが伝えたのだが、そのどれも、テレビかラジオか明言していない。「ラテ兼営局」なんだからどちらかを伝えるのは大事だと思うのですが。番組名からすればテレビ。
※ABSホームページでも明記はないが、聴取者でなく「視聴者の皆様へのお詫び」のタイトルだったから、テレビと受け取ればいいのだろう。

今回の放送事故の分類は「誤報」ということになろう。
5月8日22時55分から9日13時55分の間に7回放送された「ABSお天気情報」において、出てもいないのに「宮城県西部に特別警報が発表されています」との音声を放送したもの。
これだけ読めば、アナウンサーが7回も事実でない原稿を読み上げたのかと思うかもしれない。秋田魁新報(ABSの主要株主でもある)などでは説明が不足でそう受け取られかねないが、そうではない。

当ブログでは何度か書いており、ご存知のかたもいらっしゃると思うが、この番組は「自動音声(音声合成)のお天気番組」。
あらかじめ音声をパーツで収録しておき、その時の放送内容(天気予報)に合わせてそれを組み合わせ、文章にして放送する方式。
ABSに限らず、この10年ほどの間でだろうか、地方民放局では多くが導入している。当初は各局の局アナの声のものもあったが、今は外部のナレーターの声が多いようだ。
秋田の3局では、ABSが導入がいちばん最後で、局アナだった当時に収録された椿田恵理子アナウンサーの声を、退職後も使い続けていた。それが、今年4月から外部ナレーターらしき声に代わり、画面も一新されていた。

本件は、NHK秋田放送局では、土日で放送されたかどうかは分からない【23日補足・今春から土日のローカルニュースはすべて仙台局からになってしまった】が、NHK NEWS WEBはどこよりも詳しく伝えており、「この放送は自動音声で」と言及。
ABSサイトのお詫び文では「この音声は事前に登録された音声を自動で再生するものです」と説明。

NHKはさらに踏みこんで、
「この放送は自動音声で、日本気象協会から送られてきた音声データが放送に反映される仕組みになっているということで、ABSでは詳しい原因について調査しています。」
だそう。
数日後、ABSのお詫び文に追記がされたようで、
「その後の調べで、この音声は事前に登録された音声を自動で再生するものですが、誤った音声が登録されていたことがわかりました。」。
5月12日になって、日本気象協会のサイトに「ABS秋田放送での自動音声のシステムトラブルにつきまして(お詫び)」が掲載。原因の詳細には触れていないが、
「当協会のミスにより障害を発生させてしまいましたことを深く反省をしております。」「システムをチェックし、現在は問題がないことを確認しています。」


つまり、例えば「晴れ」の予報が出ていると、「晴れでしょう」の音声が流れるわけだが、それは、「『晴れ』の予報というデータ」に対して「『晴れでしょう』の音声データを流す」ことが対応して紐付けられているからできること。
おそらくその紐付け作業は、人間が設定しないとできないはずで、そこを間違ってしまった。そうなればいくら自動音声でも、というか自動音声だからこそ、そのまんま間違って放送されてしまう。
※この点は、音声だけでなく天気マークなど画面でも同じ仕組みのはず。今回、画面がどうなっていたのかは分からない。

ちなみに、具体的にどのデータに間違った音声が設定されていたか分かるかもしれないと思って、誤報が流れた時刻と、秋田県の注意報警報の履歴を突き合わせてみたが、よく分からなかった。
近いところでは、3月8日からずっと出続けていたなだれ注意報が、5月8日10時21分33秒に解除されて、注意報警報が何も出ていない状態になっているが、その直後昼の11時35分や午後にもお天気情報は正しく放送されているようだから、違うか。


でも、本来の正しい「ABSお天気情報」では、全国の天気マークが流れる以外は、秋田県内の情報のみ。特別警報といえども宮城県に出ていても流さないはず。それなのに「宮城県」の音声データが用意されていたのは不思議。
これは、気象会社が全国各地の放送局向けに同じ商売をしているから、効率化のために、音声データを共用しており、ABS用(と同じ声)でも使わないものの「宮城県」が用意されてしまっていたのだと思う。局アナでないナレーターの声が増えたのも、この事情があるのかもしれない。


そして、どうしてこのタイミングでミスが露呈したのか。
ABSの本社は、今年4月に山王から秋田駅前へ移転したばかり。かつ、その時に気象情報のデータ提供会社が変更されているのだ。
以前はウェザーニューズ社(ウェザーニュース)と契約していた。秋田の民放3局そろって同社であり、予報のマークや気温が同じで、画面デザインも似ていた。【23日補足・いずれの局でも、気象予報士はウェザーニューズ以外所属またはフリーの人が出演する。】
それが、ABS移転お祝いの関係業者によるCM(公共施設オープン時の新聞広告のテレビ版)に「日本気象協会」の名があり(余談だがテロップの「ラムダシステムズ」もあった)、また画面デザインも大きく変わったことから、移転とともに鞍替えしたのだなと思っていた。
その矢先の放送事故。導入・運用開始から1か月ちょっとで起きたと思えば、タイミング的には“初期故障”だろう。

もちろん7回も放送してしまったABSにも責任はあろう。
日本気象協会から送られてくるものにABS側で手出しできなかった「自動(的に起きてしまった)放送事故」なのかもしれない。
でも、送出する内容をモニターしてチェックして気付けないもんなのだろうか。「宮城県に特別警報」なんて聞けば「おっ?」と思いそうなものだけど、垂れ流し?
根本的な原因としてはABSではなく、ホームページでも認めているが日本気象協会の「納品ミス」と言えそう。
【23日追記】ABSサイトのお詫び文では、気象会社の存在には触れていなかったはず。気象協会をかばったのかもしれないが、充分な説明をしたことにはならないし、そのお詫びを早々に消してしまうのはいかがなものか。




ところで、今回詳しく伝えたNHK秋田放送局は、秋田駅東口側にある。西口側に移転したABSを迎え受ける立場で、両局内を紹介したりアナウンサーが相互に出演したり、良好な関係のようだったが、伝えることは伝えるということか。ローカル放送枠が少ない土日ということもあり、他の民放2局では伝えなかったと思う。
あと、NHKもひとごとではない。
今のところ自動音声は使っていないが、2013年には名古屋放送局の天気予報の画面で、4か月にわたって、岐阜と津のマークを取り違えて表示していたことがあった。これは気象庁から来るデータをNHK自身で処理する設定の間違いだったようだ。【23日追記】2014年には全国各地の放送局で同様の設定ミスが見つかっていて、中には4年間も間違っていたものもあった。いずれも画面の誤りで、NHK側の間違いのようだ。
【24日追記】そういえば、今回の件に日本気象協会が関与していることに言及したのは、日本気象協会自身の発表とNHKの報道だけだったはず。NHKは視聴者の知りたいことを伝えてくれたわけではあるが、そこまで触れる必要があるのか(「契約した気象会社」とぼかして伝えることもできる)という気もする。NHKも日本気象協会からデータを受けている(NHK秋田でも部分的にもらっているのでは?)はず。



ついでに、ケーブルテレビで見るIBC岩手放送も、日本気象協会の自動音声天気予報を採用している。
でも、画面も声も、ABSとはだいぶ違う。IBCでは、自動音声予報にしては珍しく、最後に「天気予報でした。」と律儀にあいさつしてくれるが、ABSではぷっつりと終わる(これも設定ミスだったりして?)。【24日追記】ABSでは、オープニング画面はあるものの、本編の始まりも注意報警報から唐突に始まる。IBCでは最初も「天気予報です。」、注意報警報の後に「充分注意してください。」など丁寧。

さらに余談だが、市営バスから移管直後の中央交通の車内放送では、バス停名の後の「でございます」の設定をし忘れた停留所がいくつかあって、「次は大町四丁目、大町四丁目」でぷっつり切れてしまうものがあった。【24日補足】後に修正されており、現在は知る限りでは解消されている。続いて流れる広告放送とのつながりの関係がありそうで、広告を差し替えたりやめたりした時の手違いが原因だったかもしれない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城→共用→円形

2020-05-20 00:02:20 | 秋田のいろいろ
山王大通り~中央通りのバス停表示板の四角い“共用タイプ”から円形への更新シリーズ。
臨海十字路から始まって、前回は山王十字路まで。今回は竿燈大通り(広義では山王大通りなのだが、当ブログでは分けて扱っています)を東へ。

「大町二丁目」。交差点の関係か上下で位置がだいぶずれている。
下り側は、市営バス時代設置の2代目バスロケで、羽後交通も含めた3事業者共用。といっても接近表示するのは市営バスだけで、中央交通と羽後交通は社名表記と時刻表が入るだけだった。
次の交通公社前(現・川反入口)下りとここにしかない、どっしりとした大型の埋めこみタイプ。
通る路線が多い上、木内前や県庁市役所前などと違って、吊り下げタイプを設置できる上屋類もないため、こうなったのだろう。初代バスロケではどうだったか、記憶がない。
あと、交通公社前はかつてはダイエーの最寄りだったり、乗り換え客もいたりして、乗車客は多かった(今もそれなりに)。でも大町二丁目は、これを設置するほど乗車客がいたのだろうか。次の山王十字路(バスロケなし)と大差ないはずだし、山王十字路のほうが運賃が安くなることもあって、いくぶん乗る人は多い気もする。
というわけで、今回は手付かず。

秋田銀行大町支店前にある上り側は、非共用。バスロケもどきの埋めこみ式(ここのは短足)、共用タイプ、羽後交通の3本。
ここの共用タイプは、かつては、当ブログの呼称「城バス停」であった。
(再掲)城バス停
真四角の白ベースの板に、なぜかお城のイラストが描かれ、きゅうくつにバス停名がローマ字入りで表記、広告スペースがあった。
おそらく市営バスは関わっていないもので、2009年時点で設置済み。この周辺と神田線の神田の5か所でだけ確認。【21日訂正】コメントでご指摘いただいたように、その他にも市内各所にいくらかは存在していたのを忘れていた。いずれも、広告が入っていたそうで、今は交換されている。城バス停の存在意義は広告を入れるための表示板だったようだが、広告が存続しているものもあるので、何らかの理由で城デザインを取りやめたことになりそう。
過去の記事では明確に触れなかったが、フォントは「町」が「田丁」であることから、太めのスーラだ。
その後、2015年の始め(上の過去記事参照)頃に、城バス停は一掃された。
(再掲)共用タイプになった。広告はバスロケもどきに移設
市営バスがなくなった後で、新たに共用タイプが増えた形。
これもフォントを見れば、「田丁」ではないのでナールのようだ。それも細いし、ローマ字の上の伸ばす棒があるから、前回の山王十字路など市営バス時代設置の仕様と同じだ。中央交通の社紋はなし。
憶測だが、城バス停になる以前にこれが設置されており、城バス停交換後も保管され、復帰したのではないだろうか(だから、後述の中央通りの2枚と同時に設置されたのに、色、フォント、広告の有無が違ったのではないか)。
だが、それも5年ほど経った今、
円形表示板に

次の「川反入口」は、下りは前述の通り大型バスロケで共用。
上りはポールが乱立(循環バスとリムジンバスも)し、かつては共用タイプもあったが、2018年10月の交通公社前からの改称時に円形に交換済み。細い棒2本の珍しい支柱。

一方通行の中央通りへ入ると、「中通一丁目」と「中通二丁目」。中通二丁目に羽後交通がある以外は同じなのでまとめて。(以降、買物広場と駅西口は変更なしなので略)
バスロケもどきと、城→共用があった。
 (いずれも再掲)
社紋なし、ローマ字が上、太いスーラをやや扁平にし、下に広告という、共用タイプながら独特の間延びしたデザイン。
それも5年で、交換。
 
ローマ字の「一丁目」は、最近(2016年の泉八橋環状線で初確認)の中央交通がこだわる(?)「ITCHOME」表記。
今回交換された他の円形表示板と同じ配置で、その黄色と赤の境界部分に広告を貼ったため、きゅうくつ。
広告を入れるのならば、共用タイプのほうが面積が広くて向いていたのでは。
そして、
中通二丁目、影のほうが分かりやすいかも
中通二丁目の円形表示板のポールには、相変わらず時刻表枠がない。広告と反射材の役目は果たしているのだろうが、無駄。

今回の表示板交換シリーズはこれにて完結。
※と思ったら、今回取り上げた区間の外側、大川反方面でも表示板が交換されていたので、後日また
※今回の交換対象外だったが、番外編として県立体育館前
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山王交番~山王十字路 表示板

2020-05-14 00:39:29 | 秋田のいろいろ
バス停の表示板が、四角い共用タイプから円形に交換されたシリーズ。前回の臨海十字路から東・駅方向へ進む。
「山王交番前」。市営バス在りし当時は「酒造センター前」、移管と前後して「八橋南一丁目」になり、2010年10月頃に「山王交番前」となった。
上下とも、市営バスが設置した、埋めこみ式赤色LED点滅ポールと共用タイプが2本並んでいた。
(再掲)LEDは点灯しなくなった。フォントはどちらもスーラ?
今回は単純に、共用タイプを円形に交換。

時刻表は、下り側は埋めこみポールに両車庫・スケート場行きをまとめた1枚、円形ポールに臨海新屋西、商業高校、商業割山のマイナー路線をまとめた1枚、ぞれぞれ貼っている。
上り側は駅止まり、駅経由各方面、高速バスとそれなりの枚数にはなるが、ここにポールが2本必要なのか、14年前の市営バス時代をまだ引きずっているのではないかと思わずにはいられない。

次の「県立体育館前」は、以前に共用タイプが撤去されているので、今回は手付かず。いつか別記事にしたい特殊ポールもあるのですが。

次は「文化会館前・八橋球場」。
2019年10月撮影。下り側
上下とも羽後交通が単独であり、市営バス設置のステンレスボディの埋めこみ式と共用タイプで中央交通が2ポール。ここも、いずれも共用タイプが円形に変わっただけ。
ここで、元市営バスの埋めこみ式について。一見、上下とも2代目のバス接近表示(バスロケ)付きかと思いがちだが、実は違う。上り側はバスロケだったが、上の写真の下り側は、元々バスロケ非搭載で、バスロケに似せたデザインのただの電照式、「バスロケもどき」。
両者は、設置時期(もどきのほうが数年後)、支柱(バスロケは角型で長め、もどきは円柱で短め)、厚さ(もどきはやや薄い)、扉の開き方、バスロケには上部に通風口のようなものがあり、もどきは2面しか点灯しないといった違いがある。今となっては、どちらも点灯さえしなくなって、オブジェ。

バス停名は、サイトの検索や路線図では「文化会館・八橋球場前」と中黒入り。
現地の表示は、バスロケともどきの点灯面は「八橋球場文化会館前【14日訂正】文化会館八橋球場前」と1行。もどきの点灯しない面、羽後交通、共用タイプとも「文化会館(改行)八橋球場前」。いずれにしても中黒なし。
このバス停は、元は「文化会館前」で1997年10月に改称された。※当時の広報では「八橋球場・文化会館前」と逆だったようだ。ちなみに、その時まで、1つ隣のバス停が「八橋球場前」であった。
時期的にバスロケは設置後の改称、バスロケもどきは設置されたかどうか微妙な時期だと思う。
共用タイプ
共用タイプのフォントはスーラだったようだ。ローマ字も2行に分けているが、「KYUUZYOU」と臨海十字路の共用タイプと似た表記。移管後に作ったのかもしれない。
交換後の上り側。こちらは元バスロケで通風口がある

上り側西面
↑上り側はボルトの位置がセンターからややずれてしまっている。現場での作業には苦労もあるでしょう。
下り側東面
上の2面、微妙に違う。上り西面だけが違い、他の3面はほぼ同じ。
上り西面は、日本語もローマ字も、「文化会館 八橋球場前」と間に少しスペースが空いている。他の3面はそれがなく等間隔。ローマ字は「~KYUJO MAE」はスペースあり。
そして、文化会館と八橋球場前の間に中黒が入っていて、その位置がそれぞれで微妙にずれている。しかも、スーラの中黒は丸いのに、これは四角い。
カッティングシートは中黒なしで作って、3面はすき間を空けずに貼った段階で思いついて、1面はすき間を開けて貼り、かつ黒い四角をどこかから持ってきて、それぞれに強引に貼ったのでは??

ところで2021年度中には、秋田県民会館と秋田市文化会館を統合した新施設が、県民会館の跡にできる。その時に、文化会館は閉館することが決まっている。
だから、特に表示板が劣化しているわけでもないものをこのタイミングで交換したのが信じられない。まさか中央交通さんはそのことを忘れて、うっかり新調してしまったとかじゃないでしょうね。あるいは文化会館がなくなっても文化会館前で押し通すつもりとか…→文化会館閉館後の状況


次の「八橋市民広場・裁判所前」は、上下とも元市営バスのバスロケもどき、珍しい埋めこみ式「バスで行こう」、埋めこみ式羽後交通の3つなので、変わらず。
「県庁市役所前」も、上りは市役所改築時の上屋と円形、下りは上屋だけでポールなしで変わらず。
「県庁第二庁舎前」は、上下ともバスロケもどきと共用の2つで、共用が円形に更新(前々回に写真あり)。
【14日追記】ここの名称は、市立体育館前→NHK前→県庁第二庁舎前と変遷している。第二庁舎前になったのは中央交通移管後の2008年。バスロケもどきでは市営バス時代そっくりの表示で差し替えられたものの「県庁第2庁舎前/KENTYOUDAI 2 TYOUSYA MAE」という独特の表記。共用表示板は、はっきりと上貼りしたのが分かる(出っ張っている)、ローマ字なし角ゴシック体で「県庁第二庁舎前」であった。更新後の円形板は「KENCHO DAINICHOSYA MAE」。

次は「山王十字路」。
竿燈大通り側のほか、長崎屋経由と新港線が通る新国道側にも同名バス停がある。今回の交換は竿燈大通り側だけだが、この機会に新国道側も見ておく。
昔は、上下とも市営バスの(2代目でなく)初代バスロケもどき(単なる電照式)が設置されていて、たしか中央交通も共用していた気がする。2010年初めに歩道の融雪工事などがあった時に撤去され、円形表示板が設置された。
2010年頃撮影
表示板は新品で、もしかしたら金属でなくプラスチック製かもしれない。
スーラを使ったものとしては初期だと思われ、細いウエイト。ローマ字は「SANNOU JUUJIRO」。※ここはこの直後2020年10月に改称された。関連記事

では竿燈大通り側。
上り側。更新前
上下とも、(2代目)バスロケもどきと共用タイプの2つ。
ここは共用タイプが特徴的な使い方をしている。更新直前時点でも、かつての市営バスと中央交通が共用していた頃と同じように、上段の社名部分が赤と緑の2色になっていた。
2010年撮影
赤い部分は「秋田市営バス」ではなく、「羽後交通」。
本来は市営バスと中央交通が共用するためだったものを、羽後交通と中央交通という違う組み合わせで共用している。
山王大通り~秋田駅では、羽後交通と中央交通両方停まるバス停が多いが、上記のように羽後交通単独でポールを用意するのが原則。新国道側の山王十字路も同じ。なぜかここ1か所だけ共用している。

この「山王十字路」のフォントは、昔からのナールだ。ということは歴史ある表示板だったのか。
(再掲)信号機の地点名表示はナール。ただし「王」を上下逆に貼っている
ナールとスーラでは「路」の右の「各」が違うようで、各の1画目がスーラは上に突き出てることから判断した。「字」の「子」の「了」と「一」の位置関係も違って区別できる。
共用表示板では、「十」の横棒の位置がやや下(上下逆?)で、プラス記号みたい。ローマ字は伸ばす棒付き「SANNO JUJIRO」。地点名は「Sannou」が違う。【14日追記・バスロケもどきのローマ字(下り側は破損したのかローマ字なしに変わっている)も、共用と同じ表記。この点からも歴史がありそう。】

円形に交換後は、
これは下り側
引き続き羽後交通の名前も表記された。
でも、以前のような色分けはなく、順番も入れ替わって中央交通が上。
中央交通の社章はないものの、中央交通が羽後交通に「間借りさせてやってる」感満載?

今回はここまで。続きは大町二丁目から
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨海十字路バス停

2020-05-12 23:52:19 | 秋田のいろいろ
先日に続いて、山王大通りなどの四角いバス停表示板が、円形表示板に交換された話。
前回最後「臨海十字路」で、更新後の写真を載せたのは、JAビル前にある上り用。
(再掲)上り側
現在は、ポールが1本だけ立っているが、かつては元市営バスの元バス接近表示も設置されていた。
Googleストリートビューでは2018年7月時点ではまだあった。ここは上屋があって、何年か前に新しくなったがそれよりは後の撤去。
2010年頃撮影。分かりにくいがバスロケは一般的なタイプ
「十字路」のローマ字は、バスロケが「JYUJIRO」、共用タイプが「ZYUUZIRO」。【13日追記】共用タイプの「臨海十字路」はナールだと思っていたが、「海」の形(前回参照)からスーラと判断できる。やはり使い方によってはナールとスーラはよく似ているのかも。
今回更新されたのは「JUJIRO」、残った臨海営業所方向下りはバスロケと同じ「JYUJIRO」。

前回も触れた、8年近く前にサタナビで指摘されて新しくされた、臨海経由新屋西線下り用。
台座・支柱も新しそう

細いナール【13日訂正】スーラで「JUUJIRO」
表示板に錆の跡のような凹凸があり、この当時よく行われていた、他で使っていた表示板を塗り直して転用したもののようだ。
上の写真の裏面は、南向きのためいくぶん色があせており、目を凝らすと下にほかの文字が見えた。写真の色相をいじってみると…
「秋操駅(あきそうえき)入口」!
現在の泉ハイタウン線(泉八橋環状線も)の「秋田貨物駅入口」のかつての名称だ。【14日補足・ハイタウン線は片方向運行する区間なので、バス停は1つしかなかった。改名後の環状線運行開始により、反対側にも設置された。】
2016年の記事では忘れて間違ったことを書いてしまっていた。
昔は「泉秋操線(さらに昔は泉保戸野線だった)」と言っていたが、2007年に路線名とバス停名が改称されたのだった。
「秋操駅入口」のフォントは、移管直後に中央交通が更新設置していた、JTCウインR。2007年に撤去、1年ほど保管されて転用されたことになる。
【2022年9月で、臨海経由新屋西線が系統廃止され、このバス停は廃止。】

ついでなので、大川反車庫方面の下り側も。
ここは今回更新の表示板
上の写真では、時刻表掲出枠がだいぶ下にある。
ストリートビューの2019年9月の画像では、共用表示板で同じ位置だから、確実に表示板だけが交換されたことになる。また、2018年7月ではもっと上の位置に枠があったので、1年少しの間にずり下がったことになる。【22日訂正】「ずり下がった」は不適切だった。実際には留め具が違っているので、2018年7月から2019年9月の間に枠が交換され、交換後の枠がやけに下に付けられたというのが真相の模様。なお、支柱の上方には留め具の一部らしき部品が残っている。
支柱には、
緑色のシール
以前、卸町経由新屋線の経路変更前に使っていたハローワーク前のバス停にも同じものがあった。
建設省の「道路占用許可済証」である。国道上にバス停を置く時、かつてはこれが必要だったと思われる。
許可もしくは有効期限の年月を穴を開けて示す方式で、ここは「5」年の「3」月。かつてのハローワーク前のものと同じだ。

臨海十字路だけで記事1つにしてしまいました。まだまだ続きます
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市“広報”が変わった?!

2020-05-02 23:20:43 | 秋田のいろいろ
今年4月から、秋田市の広報が変わった。
変わったというのは、広報の組織とか方針とかそういうことじゃなくて。

秋田市役所が秋田市内全世帯に配布する「広報あきた」。
市役所からのお知らせ的印刷配布物のタイトルは、全国的に「○○市政だより」「○○市報」と呼ぶ自治体も少なくないようだが、「広報○○」も多数。自治体はひらがなにするところも多い。青森県3大都市は「広報あおもり」「広報ひろさき」「広報はちのへ」。広島県安芸高田市は「広報あきたかた」で、Googleで「広報あきた」を検索すると、結果にまぎれこむことがある。秋田県北秋田市も「広報きたあきた」、高知県安芸市も「広報あき」。
よそから引っ越してきた人にとっては、「広報+ひらがな自治体名」では、市の広報ということが伝わりづらい可能性もある。堅苦しいが市政や市報の名が入ったほうが、それらしくていいような気もする。
京都市は「きょうと市民しんぶん」だそうで、なんかフリーペーパーとかミニコミ紙のような名前。

秋田市ホームページより。最近のタイトル面一覧
上の画像で上2つが今年度、下が2019年度のもの。ちょっと小さいけれど、年度替わりに変化している。

変わったのは「広報あきた」のタイトルの一部分。
上が昨年度まで、下が今年度
「広報」の文字のデザイン、大きさ、書体が変わった。「あきた」は変わらず。

昔の広報あきたは、タブロイド判、青インクの1色刷り縦書きだった。
かつては秋田市役所サイト内で、創刊号からすべてのバックナンバーの閲覧と検索ができたのだが、「lg.jp」ドメイン移行と前後して、検索と2000年より前の閲覧ができなくなってしまった。市に問い合わせたり図書館では見られるかと思うが、気軽に見られなくなったのは惜しい。ただ、昔の広報には個人情報がてんこ盛りだったから、配慮が必要(かつ修正等は至難の業)なのも分からなくはない。

現在、市のホームページに掲載されているものは、2000年4月・1479号以降。それらは青1色タブロイド判でない、A4判、表紙・裏表紙フルカラー、中面は2色刷り、右開きの縦書きの作りだが、中身は横書きも多用。
※現在見られるバックナンバーの一部は、lg.jp化以前のドメインに残っていたり、PDFファイルのリンクが分かりづらいページもあったりするが、美術館収蔵品の写真などごく一部を除けば、すべてを見ることは可能。

青1色時代は「広報あきた」のロゴ全体が別デザインだったが、2000年度以降はずっと同じロゴが2019年度まで続いていた。
ただ、毎号、その掲載位置と色が違う。位置は写真との兼ね合い。色はざっと見ると赤色系統が多いが、それ以外もバリエーションは多く、特に決まってはいなそう。
これまでの「広報」は小さくて、色や写真との組み合わせによっては、目立たなかった。

今年度変わった「広報」はとても存在感がある。広報であることは分かりやすくなったかもしれないが、「秋田市」の広報であることは書いてない。知らない人は秋田県とか、その他組織の広報だと思ってしまうおそれはまだ残る。


新しい「広報」は、存在感は別として、「あきた」と対極にある角張った今風のフォント。「あきた」との組み合わせでなく、単体で見ても個人的には好きじゃない。どういうフォントか?
実は現在の広報あきたの紙面本文は、フォントワークス製のフォントが使われている。明朝体はセザンヌ【10月29日訂正・セザンヌは角ゴシックでした】マティス、角ゴシック体はロダン、丸ゴシック体はスーラ(このメーカーのフォント名は分かりづらい…)。
それを手がかりに調べたら、すぐに判明。やはりフォントワークス製。
フォントワークスホームページにテスト入力
「カラット UB」というフォント。UBの1種類のみで太さ(ウエイト)違いはなし。
「メカニカルやエレクトリックな雰囲気を表現します。」と説明されているけれど、「広報」そして「広報あきた」にふさわしいのか…
【9月2日追記】余談だが、カラットは、工藤パン「イギリストースト」のロゴに似ている。イギリストーストのほうが先にできただろうし、細部は異なるが。


4月発行の2回は、「あきた」がピンクや赤なのに対し、「広報」が黒い文字で、そのことも違和感につながっていた。これまでは、「広報(の地色)」と「あきた」は常に同じ色だったから、色指定を間違えたかとさえ思った。
5月1日号では、再び同じ色に戻った。
「あきた」は白抜き
いくぶん違和感は和らいだものの、やっぱりなんか…


ついでに、この20年の広報をさかのぼっていたら、いくつかの変遷があったことを知った。
まずは本文のフォント。上記の通り、現在はフォントワークス製だが、前はそうでなかった。※PDF版で確認した限りなので、実際の印刷物では違った可能性があるかもしれません。
青1色刷りだった頃の末期は、モトヤの明朝体だったはず。

2000年4月ではアドビ「小塚明朝」「小塚ゴシック」。看板や印刷物や魁「中学自習室」などでよく見るフォントだけど、個人的には嫌い。丸ゴシックは使っていなかったようだ。

2001年4月からはゴシックはそのまま、明朝体が変更。
おなじみ(?)「MS 明朝」。PDFファイルでは、縦書きの行内で文字が左右にガタガタに表示されてしまう。
MS明朝は、リョービイマジクス(現在はモリサワが発売)の「本明朝-L(標準がな)」を、リコーが手直ししたフォントだそう。両者でひらがなのデザインなどが微妙に異なり、特に「ま」で区別しやすく、そこから判断。

MS明朝は2003年5月9日号まで。5月13日号からは再び小塚明朝に。
小塚明朝・小塚ゴシックは2008年7月18日号まで。8月1日号からフォントワークスになって現在に至る。


もう1つは、表紙のタイトル付近や紙面上部にフレーズが添えられていた時期があった。
2000年4月から2004年6月25日までは、「広報」の横にその英語「Public Relations」と、上段に「北のまちで心にふれる」。
2004年7月9日以降は「Public Relations」のみ。

2004年10月8日からは「Public Relations」がなくなり、ほぼ同じ位置に「市民の生活情報誌」。
渋い色使い
【3日追記】上の画像では「市民の生活情報誌」が、縦画が太い、特殊なデザインの書体のように見える。他の号を見ると、一般的な太めの角ゴシック体に、影をつけているようだ。その中で、上の写真のようなものもたまに見受けられる。おそらく、文字本体と影を同じ色で指定してしまい、その結果一部の線が太く見えているようだ。【4日訂正】コメントで教えていただいた。上の画像の「市民の生活情報誌」は、フォントワークスの「ロウディ EB」というフォント。角ゴシック体「ロダン」をベースに右方向に伸ばしたのがロウディ EB。なお、同じ年度内でも号によっては、「市民の生活情報誌」がそのロダンになっている。

「市民の生活情報誌」は覚えている、というか引っかかっていた。
実は当ブログ過去記事で、「広報あきた」の説明をどう表記するか、これが原因で迷っているのだった。個人的には「広報あきた」を「秋田市の広報誌」と説明するのは躊躇する。「秋田市の広報紙」だと思うから。誌か紙かの問題。

「生活情報誌」だから発行元の秋田市としては「誌」で、「広報誌」ということなんだろう。
秋田市のサイトでは、タイトルが書かれた面を「1面」でなく「表紙」と表記していることからも、秋田市としては「誌」扱いしているのがうかがえる。

青1色の時代は明らかに「広報“紙”」であったが、現行のこのスタイルを「広報“誌”」と呼んでいいのか。
もっとページが多いとか、ホチキスや糊でバラけないように留められているのなら「誌」で問題ないだろうけど、小ぎれいで若干ページが多いものの「紙」のようにも思う。
それならば、ページは少ないが同じスタイルの「あきた市議会だより」も、「誌」になるのか。また、同様の(ただし左開き)県の広報「あきたびじょん」は、秋田県のサイトには「全戸配布広報紙「あきたびじょん」」とあるので、県庁としては「紙」扱いしている。
あと、基本的には「市政情報」が掲載されているものを、「生活情報」と言い換えてしまっているのも、少々引っかかっていた。生活情報誌ってのは「オレンジページ」や「ESSE」のようなものを指すのじゃないでしょうか。

「市民の生活情報誌」は約15年続いたが、2019年3月15日が最後。
2019年4月からは、「新年度スタート!」「夏イベントまっさかり!」など時期に応じたキャッチコピーをロゴ周囲に表示するようになったかに思えたが、わりと早期にフェードアウトしてしまう。
2019年度中盤以降、現在は、何も添えないことになっているようだ。


最後に、秋田市ホームページにも「広報あきた」のロゴが出ている。
ホームページより
現行とは違うし、青1色時代とも違うような。

秋田市民としては紙面の内容には目を通しておくべき広報あきただけど、これからはタイトルも要注目?!
【15日追記】この後、新型コロナウイルス関連の秋田市の対策をまとめた、A4裏表1枚、黒・ピンクの2色刷り「臨時号【保存版】広報あきた」が配布された。それも書体は同じで「あきた」が濃いピンク、「広報」が黒。これはこれで目立っていいかもしれない。
定期の15日号は、新緑にちなんで緑色ベースの表紙で、「あきた」も「広報」も緑。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手形陸橋5・さらに迷走

2020-05-01 00:24:12 | 秋田のいろいろ
昨年11月に新しくなったものの、未完成・中途半端っぽい箇所もあった、秋田県道28号のオーバーパス「手形陸橋」の続き。※直近の記事
4月初めに通った時は以前と同じだったはずのいくつかが、4月下旬に変化していた。
親柱
石でできた4つの親柱には、市立明徳小学校の児童4名がそれぞれ揮毫した、名称などの金属板が埋められていたが、その下に、小さな凹みがあった。おそらく揮毫者名が入りそうな気がしていたが、やっと実現した。

上の本体と同じ仕様の金属板で、「明徳小学校(改行)氏名」が活字で横書き。フォントはDF太楷書体か。
4名のうち2名は6年生だったそうなので、卒業してからやっと設置された。

北側歩道手形寄り下り口
手形陸橋の端は、千秋側南側を除く3か所で、狭い市道と交わる。信号機がなく線形が不自然で、安全とは言い切れない。
これまでも、手形側南側は、市道と重なる県道の歩道の延長部分が、緑色に塗装されていた。今回、その向かい側も同じようになった。
どうして白ゼブラの横断歩道じゃないのかと言えば、おそらく警察の横断歩道設置基準を満たさないからだろう。通学路でもあるし、自転車が下りてくるし、強引な車もあるし、注意喚起のために、道路管理者ができることとして、緑色に塗ったのではないだろうか。→この記事参照
ほかにも、秋田駅の大屋根西側【2024年2月22日追記・白線はなく緑色のみ】とか、弘前駅前バス乗り場などにもある。

千秋側北側は、従来どおり、正式な横断歩道。でも、渡る距離が長いし、緩いカーブで速度を落とさずに曲がってくる車がいて、歩行者は怖い。さらなる対策が必要ではないだろうか。
昨年末撮影


北側歩道には、線路際に下りられるらせん階段が東西それぞれにあるが、ここが迷走していた。
手形側線路向き螺旋階段接続部の現状。
どこが変わったかお分かりでしょうか?
(再掲)直近の状態
陸橋本体の手すりと、らせん階段の手すりとの間にすき間が生じていた。
開通直後はロープを張ってとりつくろっていて、その後半月ほどして、上の再掲写真のように陸橋側の手すりのパイプをL字型に延長して、すき間をカバーするようにされた。ただ、その延長部分の手すりに傷のようなものが付いていて、少々残念だった。

そこに今回、4か所とも白いプラスチックの板が取り付けられた。一見すると、らせん階段部分の白い板と一体感があるのだが…


裏側から
金属製の部材も新たに設置して、それにプラスチック板を付けたようだ。でも、その金属の枠、ホームセンターで売っているようなもの。さらに、
千秋側線路向きのプラスチック板上辺
上の写真で分かるだろうか、プラスチック板の切り口が毛羽立ってブサブサしている。他の箇所も同様だし、よく見ると、切り口が一直線でなくゆがんでいるような。
手作りですき間にプラスチック板を設置したようだ。
千秋側外向き
ここではらせん階段の手すりとぶつかってしまうため、プラスチック板の角を落としているが、それが雑な切り方。
長く使うものであろう。多少手間になっても、もっと丁寧にカットするなりヤスリをかけるなり、それができないなら専門業者に頼むなりして、見栄え良くできなかったのだろうか。
さらにまた、やっつけ仕事で迷走してしまった。

そもそも、このプラスチック板の必要性はあるのだろうか。パイプを延長した段階で、少なくとも常識的な通行をする人には、危険も問題もなくなったと思うのだが。
お手製プラ板は経費節減にはなるのかもしれないが、あんな金属の枠では何らかの理由で通行人が体重をかけたり、今後何年も経って強風にさらされたりして、外れて落下しないだろうか。下は道路そして線路である。心配だ。

最後、あまりに迷走していたので現地では気づけなかったのだが、らせん階段の踏面。さらに迷走している。
上と同じ千秋(西)側らせん階段
踏面の角には、注意喚起や滑り止めがあるのが普通。開通時点では西側には赤いテープ状のもの(滑り止め機能はなさそう)が貼られたのに、東側には何もなし。その後、東にも貼られたが、開通からひと月ほどで、両側ともすべて撤去されてしまっていた。
それが3か月で再び、赤い帯が付けられた。※東側は未確認なので、後で追記します。【3日追記・東西とも、以前と同様に赤いテープがすべての段(下側数段は、以前同様ちゃんとした===模様の滑り止め)に貼られていた。】
5か月の間で設置→撤去→同じものを再設置。何があったのだろう。

まったくもって秋田県のやることが理解できない。税金の無駄遣いというほど費用はかかっていないとは思うが、やっていることそのものが無駄だ。
この後は、どんなことが起きるだろうか。

【2日追記】近くの秋田市道の千秋トンネル内では、融雪剤散布装置「まきえもん」に関して、手作業の試行錯誤がされたことがあった。
まきえもんでは、方向性というか目的はなんとなく伝わったし、比較的丁寧に作業されていた。現在も汚れただけで、変更や破損はない状態。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドア自動へ/ATS-P設置

2020-04-15 23:08:50 | 秋田のいろいろ
JR東日本秋田支社から2題。
秋田駅に掲示が出ていた。
中央改札口・券売機撤去跡に大きな「お知らせ」
「4月20日(月)より当面の間、新型コロナウイルス感染症対策のため、始発駅と終着駅を除き、列車のドアが一斉に開閉しますのでお気をつけください」
「奥羽本線、羽越本線、田沢湖線を走行する電車で実施します。ただし、ワンマン列車とディーゼルカーは除きます。」

車内保温のため、駅停車中に乗客が開/閉ボタンを押して、ドアを開け閉めする「半自動ドア(以前の記事)」。秋田のような寒冷地はもちろん、最近は温暖な地域や首都圏でも増えていた。
新型コロナウイルス対策には換気が有効だが、鉄道の車内は空気が入れ換わるのに時間がかかり(飛行機内と比べて)危ないとおっしゃる専門家とかいう人もいた。それを聞けば乗る時は気になっていた。窓は開けたほういいのでは、停車中はドアを開けっ放しのほうがいいのでは…と思っていた。
3月下旬のコメントによれば、盛岡支社では、終点到着後、換気のためドアは開けたままにして降りてくださいという放送が流れたとのこと。先日、秋田でも同様のアナウンスを1度だけ聞いた。
ドアボタンを指で触れることによる、ウイルス感染も気になっていた(指の関節などで押しましょう)。
来週の月曜から、その対策がされるようだ。

お知らせを言い換えると、701系の車掌が乗る列車において、途中の各駅では、ボタンを無効にして、車掌の操作ですべてのドアが同時に開いて閉まることになる。押しボタンでない一般的な電車のように開閉する「(半でない)自動」扱い。
秋田では701系電車導入以降25年以上、常に半自動扱いとされ、地元の乗客は「開けたら閉める」「開けっ放しだったら近くの客が閉める」ことがすっかり定着していた。
701系でも、車掌用スイッチの操作(右に回すか左に回すかの違い)で、自動扱いにすることは可能。
以前の記事で触れたが、25年701系に乗っていて、1度だけ、自動扱いで一斉に開閉するのに遭遇した経験がある。事前の放送もなく、明確な理由も思いつかないが。
だいぶ昔のことだから書いてしまうが、夜の奥羽北線上り5両編成で、鯉川駅のことだった。
たしか列車が数分遅れており、車内はガラガラ、鯉川駅での乗降客はなかったと思われる。操作ミスでなければ、せっかちな車掌で「どうせ誰も降りないだろうけど、降りるならとっとと降りろ」と自動扱いにしてしまったのだろうか。
1両で(両開きだから)6枚のドアが同時に開いた時は、「どん」と大きな音がした。月曜からは、それが各駅で見られるようになる。
ドア付近に立つ時は、これまでの感覚でいると、最悪ホームに放り出されるかもしれないので、ドアにもたれかかるなどしないようご注意を。開閉予告チャイムが鳴らない3両編成では、いきなりドアが動くのもびっくりしそう。

ワンマン列車では従来どおりだから、途中駅では、列車によってボタンが必要だったりいらなかったり、ややこしくなりそう。車掌の乗る列車では、終着駅だけはボタンを押して開けないといけないのも。
あとは、まれに途中駅で10分とか長時間停車する列車があるがそこも開けっ放しなのか、一部区間だけワンマンになる列車では、その境の駅はどうなるのか。
【2020年6月10日追記】その後、秋田発弘前行きに乗ると、「終点弘前以外の各駅で、ドアが自動で開きます」と放送されたが、停車時間が長い駅ではいったん半自動にするとのことで「その都度放送でご案内します」とのこと。2両編成だったので、全自動でもドアチャイムは鳴った。ドアボタンのランプは点灯せず。


東日本大震災・福島第一原発事故後の節電名目で、車内の蛍光灯が間引きされた時は、いろんな感慨を覚えたものだが、今回もそうだ。
【16日追記】例えば高崎支社では4月1日から、211系(ワンマン運転はしていない)で自動扱いを実施しているそうだ。告知ではウイルス対策で「車内換気のため」と、より踏みこんで理由を説明している。【5月28日追記】盛岡支社でも4月20日から(一部を除いて、おそらく701系で)自動扱いを開始。

土崎駅にも小さい同内容のお知らせ
ここから掲示の重箱の隅をつつく話です。秋田駅と土崎駅のお知らせは文面や基本デザインは同じ。
相違点は、用紙サイズ、名義が「駅長」と「土崎駅長」、改行位置、フォント(秋田はMSゴシック、土崎は平成角ゴシック)、そして「ウイルス」の表記。
秋田駅は「ウイルス」、土崎駅は「ウィルス」となっている。「イ」の大小。

どちらも許容されると考えていいだろうし、他の企業の告知類でも両方が見られるが、国や自治体、マスコミ(寄稿では例外があった)では大きい「ウイルス」で統一されている。
これは、大きく「ウイルス」と書くのが、正式というか公式であるため。研究者の学会でそう決まっているのにならっている(大学の時、植物ウイルス病が専門の先生からそう伺った)のだと思う。日本語での発音に忠実な表記でもある。
大昔はドイツ語っぽく「ビールス」が広く知られていた(医学界発祥)し、英語では「ヴァイラス」のように発音するけれど、「ウイルス」はラテン語?

【7月3日追記】コメント欄の通り、東能代駅名・鷹ノ巣駅掲示はまた微妙に違うとのこと。
4月20日から仙台支社管内でも自動化されており、「仙台駅長」名の掲示をネットで見ることができた。
スタイルは秋田支社のものと同一だったため、支社を越えて共通のフォーマットみたいだ。
文面は「ウィルス」で、「~対策のため」までは秋田と同じ。「始発駅と終着駅を除き」がなく、以降「列車のドアは自動で開閉します。(ワンマン列車は除く。)」「※ドア付近にご乗車の際は、お気をつけください。」。始発・終着駅でも自動で開くということだろうか。

続きはこちら



秋田市の羽越本線・新屋駅南方(酒田寄り)の豊岩踏切(昔の記事)。
まだ新屋駅の構内にあり、踏切より南側に、駅の出発信号機が設置されている。その信号機の下に、
新しそうな黄色い看板が
「ATSP確認」とあるが、上に赤い「×」があるから、記載内容は無効ということだろう。

ということは、ATS-Pの地上設備が秋田でも設置された(それが稼働前)ということか?!
レールの間に設置された、プラスチックまな板みたいなのがそれだと思われるが、現行のものもあるだろうし、識別する能力がないので確認していません。

「ATS」は自動列車停止装置。赤信号見落としを防ぐシステムだが、限界もある。
その高機能版が「ATS-P」。単に赤信号かどうかでなく、デジタルデータで列車の速度や線形を把握(速度照査)して、止まれるかどうかを判断する、みたいなのかな? 線路側にも車両側にも、対応装置が必要。
P形は、秋田ではミニ新幹線区間でしか導入されていないが、JR東日本は導入区間を拡大する方針だった。
男鹿線のEV-E801系では、線路は未対応なのに、製造時点でP形対応だった。
(再掲)分かりにくいが左下「秋アキ」の左側の枠に「Ps」と「P」
「P」とあればATS-P搭載。
「Ps」は現行のATS-Ps。アナログ式で、いちおう速度照査ができ、元祖ATSよりは安全性が高いようだ。秋田の701系では製造後に後付けされ、「パターン発生(or終了)しました」としゃべるのがそれのはず。
【16日補足】Ps形とP形の間に互換性はなく、このように両方の車上機器が併設される場合もある。

701系では、P形対応工事を行うとの噂もあった(その施工中のつなぎで719系が転属したとの噂もあったが、以前の通り、事故離脱した701系の補充であり、昨年運用終了)が、今のところは気配なし。
どの701系も「Ps」のみ
設置したとして、701系も車齢30年が見えてきているし…

新屋駅では北側でも同じ看板が設置済み。秋田駅の少なくとも奥羽北線方面では見当たらない。
とりあえず、秋田にもじわじわとATS-Pが歩み寄っている模様。

【追記】その後ずっと見ていなくて、10月14日に豊岩踏切を通ると、バツ印が取れていた。ATS-Pが稼働し始めたのかは不明。
11月下旬に整備を受けた、701系N21編成に、ATS-P車上装置が搭載されたとのこと。とりあえずは、701系をP形対応化していくようだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする